無色透明

無色透明

2006.02.05
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カテゴリ: スピリチュアル
ホームワークの回答を一人一人提出順に見ていきましょう。
最初は、Suppleさんですね。

「ホームワークを記載します。初めて出します。

自分は論理的な思考をしているか、それとも非論理的か。
ただイマジネーションの中で遊んでいるだけか、それとも事実に基づいた思考をしているか。
⇒自分の思考はケースバイケースな気がしますが、論理的な思考が強いですね。
自分にかかわる過去のことや現状説明の際は論理的な思考をつかっている。
未来を予測するときや他人のことなどを推測するときは非論理(イマジネーション)的な思考をしている。
ただ、過去の経験から推測するのだから「論理的な思考」⇒「非論理的な思考」へと移る。


自己中心的行為が自他を破滅に追いやる---その原因は何か。
イマジネーションか論理的思考か、あるいはその両方か。自分の思考を明晰に見つめて回答してほしい。
⇒自己中心的行為が自他を破滅に追いやることは、イマジネーションと論理的思考両方だと思うなあ。
イマジネーションって想像の世界ですよね。
論理的思考って経験だけをみている。
結局、思考って自分の思い込みや考えですから、自分中心な思い込みだけで行動すれば、自他をわけて思考できなくなっちゃう。
結局、自分よがりになるからね。
それは、他の人を尊重もないから、自分が、自分がとなったところに他者がぬけ、いつしか自他の崩壊が起こる気がします。
だからそれを国民が一人一人していたら文明も滅ぶ。
みんなで集る必要がなくなるのでというところです。
種族もほろぶかもね。



論理的な思考と非論理的なイマジネーションが、両方とも見られるのですね。
たぶん、それが普通の人の状態でしょう。
片方だけという人はいないでしょう。
非論理的思考から論理的思考へと、精神は順に成長します。
しかし、成長後も両方使うのですね。


両方とも客観的に、非利己的に使えている人は極めて希ですね。
ほとんどの人は利己的に使っています。
特に自分のこととなると、客観的・非利己的に使うのは至難の業です。
その結果、多くの災厄が人類全体を襲っています。
現在の災害の多くは、過去の人類の想念の結果と言われています。

自分のことについて、非利己的に思考を使うことが可能でしょうか。
それが問われています。

次は、Y@soleiさんですね。

「Yです。ブログ上の初参加。思考のホームワーク提出します。

『自分は論理的な思考をしているか、非論理的思考か』

私のタイプはどちらかというと、非論理的思考の傾向が強いです。
感覚を表現する時が多いし、イメージを使ったり、想像すること、イメージを形にすることを楽しむ傾向がある。

『イマジネーションの中で遊んでいるか、それとも事実に基づいた思考をしているか』

先日、自分の状況の知らせを出した後、これってどうかな?と思えることがあり、その出来事を自分の中で終わらせることが出来なかった。
起きている事実を具体的に説明することが出来なかった。
書いている間に自分を明らかにすることに不安を感じた為、イマジネーションを利用した説明で煙に巻いたと感じる。
ひそかにイメージ遊びの空間を作ることによって、あるがままの私が逃げ去れるような場所を無意識的に作っておく。
それで不安に耐えるのに必死な赤裸々な自分を隠しておける。
独りで表層の言葉をもて遊んでいるのと同じ事。
相手も私も決して核心に触れることはできない。
またイメージをするというのは確実に私の事実や状況が具体的に把握できていない事の現れでもあるんだなと感じた。
となると、理解することでその事柄を終わらせることもできない。
これはイメージの中で遊んでいたのだ思う。
客観的になっていると思っても全くなっていないことが多い。
イメージ乱用での説明は理論派に大体突っ込まれるので、だからあいまいさを抱えたままのものについてはついつい身構える。
なぜなら、彼らの突込みが自分(イメージ)を攻撃されてるように感じて怖いから。
ということは、イメージそのものが私と同化してしまっていることになる。

『自己中心行為が自他を破滅に追いやるその原因はなにか?
イマジネーションか、論理的思考か、あるいはその両方か』

その両方だと思います。
思考は思考でしかないから。
どんな形であれ、思考は思考。
私が考えると言っている限りは自己中心的になってしまうと思う。

イメージに基づく思考はイメージが膨らめば膨らむほど事実から離れていく。
なぜなら、よくよく見るとイメージが生まれる時には、事実の知覚の間に隙間、時間があるから。
イメージは今ここに息をしている体も忘れて、過去だったり、未来だったりする。
それは今ここの事実とともに生きていないことを意味する。
それは事実に対する本物の理解を生まず、自己中心性をますます加速させる気がする。

論理的思考のほうが、一見客観的、クリアーにも見える。
でも、論理的思考と純粋な観察は違うと感じる。
ここを混同してはいけない気がする。
ここを混同すると、ここで言う、ものすごく冷たい、もしくは辛辣な人間になってしまうと思う。
私は明晰な思考をしたことがないから、よくわからないけれど、論理的思考の中にも考える私がおり、好き嫌いの判断、批判や肯定、反応としての感情などがひそかに隠されている時があると感じるのは考えすぎなのかな。
論理的思考の組み立ての最中に、あるいは、原因の中に、理想や怒りが潜んでいる場合があるのではないかと感じるときがある。
理に執着するということも暴力的だと思う。

私がひっそり入り込む隙間のない観察ができるかどうか。
そして外におきているもの、内におきているものについてクリアーな観察が刻々出来るかどうか。
それが非常に大切なのではと思う。

そしてこれら二通りの思考を使いこなす?
ここで地に足をつけるには、この両方の性質を理解して、上手に活用することが必要かもしれない。
しかし、あるがままの事実の間に私いて、私がイメージしたり、私が論理を構築してていることに気付けないままでいると、いつの間にかあるがままの物事はゆがんで自己中心世界になってしまう。
それが自他共に破滅に追いやる流れになってしまう。
そう感じます。」

逃げ場を残しておくために、徹底的に見極めない。
曖昧な部分を残しておく。
そういうことはありますね。
自分に甘いというか、自信がないというか・・・
それが自分の弱さであることを知りつつも、そんなに強くない自分が断定は避ける。
イマジネーションの曖昧さの中に逃げ込んでしまうのですね。

自然科学の分野では利己心の入る余地はあまりないように思いますが、社会科学の分野では主観の入る余地は大ですね。
歴史認識などは、その最も顕著な例です。
経済学も微妙に見方や捉え方が異なります。
心理学も諸説があり、諸派に分かれています。
人間性を扱う部分においては、なかなか主観を排除するのは難しいですね。
どうしても自分の人生経験をベースに物事を見てしまいますから。
人生経験には当然価値観も含まれるのですね。
それによって史観が分かれたり諸説が生まれたりします。

現在の人類の知的レベルでは、自分と関係の弱い自然科学や数学などの分野では客観的であり得ますが、自己の精神と深く関わる人文科学系はまだまだ未熟としか言いようがありません。
課題は、自分が関わる分野において、いかに客観的に物事を見ることができるか。
自分自身も含めて、非利己的に見れるでしょうか。
そして、非利己的に生き得るでしょうか。
そうでない限りは混乱が付きまとうでしょう。

利己が入り込まない観察と、思考の性質を理解した上で、思考を自由に使いこなすこと。
ぜひそれに挑戦してみてください。

次は、えっちゃんですね。

「イマジネーション思考はよくやります。
あれこれ想像するのは楽しい。
ついでに悲しい想像もでっちあげて、思い込み思考もよくやります。
これはしんどい。

けれど、事実に基づいて論理的思考も出来ると思っている。
客観的視野で論理的思考をしているとも思っている。

ただ、事が自己保存に関する思考になると、どうやら、論理的がヘリクツ思考に変身するらしい。
盗人にも三分の理みたいだけど、ヘリクツも、三分くらいの事実には基づいている。

自己中心的行為は、他を思いやる心が欠落してる場合が多い。
それは、信頼関係を揺るがしかねない。
または、信頼関係をなしえない。

信頼関係というのは大きい。
これなくしては、誤解に始まり誤解に終わるというように、真のコミュニケーションが成り立たない。
心の交流は壊滅する。
お互いの信頼と思いやりは、きわめて繊細な性質のもので、自己中心的な想いが肥大すると、もろく崩れる。

更に信頼と思いやりを持っているという想いは、逆に、思い込み・・自己中心的想いとなりやすい。
信頼と思いやりがあるという事に胡坐をかいてしまうと。

・・・と、論理的思考で書いたつもりですが、はたして、思い込みえっちゃんの為せる業か・・・。」

イマジネーションの世界では、楽しくも悲しくもなれます。
どんな想像も可能です。
そして、想像したことが現実となります。
想像力というのは、創造力に通じるのですね。
それは論理的思考にはないものです。
イメージは現象化するのです。

科学者も技術者も論理的思考だけでなく、イメージ的思考も使っています。
完成図をイメージの中で作ってみたり、イメージの中で試行錯誤を繰り返したりします。
両方使っているというのが現実でしょう。
しかし、こと科学や技術については、さほど問題はありません。
問題は利己的思考です。

いつのまにか、利己心がイマジネーションの中にも論理的思考の中にも忍び寄ります。
そして、気づかないうちに、利己性が考えの中に埋め込まれています。
よほど注意しないと、利己的傾向に引きずられてしまいます。

えっちゃんは、信頼関係にこだわっていますね。
でも、信頼関係も、また思い込みなのでは?
何をもって信頼関係と言うの?
信頼してる人から裏切られることもあるでしょう?
信頼関係とは何?
信頼関係があるから裏切られるの?
信頼関係がないから裏切られるの?
信頼関係とは何だろう?


「思考のホームワーク[2]」に続く







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Last updated  2006.02.06 12:53:15
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難しいね?@ 人はなぜ生まれてくるのですか その答えを探すためでわ?
emi☆@ タイムリー 先週、ちょっとしたことがありました。 …
風の彷徨者@ Re:そうだったのですか ぴあのさま そういう事情だったのですね…
ぴあの@サファイア @ Re:あれれ??2(06/13) 風の彷徨者さん >今見たら元に戻ってい…
風の彷徨者@ あれれ??2 今見たら元に戻っていました。 こちらのP…
風の彷徨者@ あれれ?? 日記の感じが(テンプレート?)が変わり…
風の彷徨者@ Re:2718日目 - 神聖ゴールデン貫入 石屋…いやいや(笑)水晶屋の 魂仕組みは奥…
ポプラ@ ヒマラヤグリーンDTマスター 私もこの水晶を毎日のように眺めてはぞく…
風の彷徨者@ Re:2716日目 - 運命の水晶 「その秘められた可能性を理解すること…」…
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