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二人体制の授業が基本の養護学級。この授業には、二人体制は必要ないなんて、大人が勝手に決めていいものでしょうか?サポートを必要としているのは、子供たちなのですから。一人で十分というその自信が、私にはどうしても信じられません。そのくらいじゃないと、養護学級はできないんだよね、と夫はいいます。でも、他人の意見を聞かなくなったら、人間はおしまいです。一人の目には限界があります。長く子供たちと接したからこその偏見もあります。考え方だって人によっていろいろあります。だから、多くの目が子供たちには必要なのです。自分の中に大きな不満がたまっていくのがわかります。子供たちのために、何とかしなければと思う気持ちはあっても、言葉に出せない自分自身もイヤでたまらないのです。お琴を直すことも、合唱のパート練習を手伝うことも私の仕事ではないかもしれません。でも、昔から「芸は身をタスク」といわれているように、私にはできることがあって本当に良かったと思っています。こんな状況から逃げるようで卑怯な気もしますが・・・
January 31, 2007
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この4月から、養護学級の授業では一度もパソコンを使ったことがありません。どう考えてみてもこれはいいことではないと思うので、技術を担当していらっしゃる先生にお願いしてみました。他のクラスの技術と重なっていなければいいけれど・・・願いは通じ、きょうは、初めてのパソコンの授業でした。ローマ字打ちできるかな?彼らの国語力や英語力を知っているだけに不安でした。ところが、その不安は全くありませんでした。ほとんどの子供たちが、スイスイパソコンを使いこなすのです。漢字に変換することは、ちょっと問題ありでしたが、ローマ字打ちは、表がなくてもスイスイ。やっぱり彼らは、現代っ子なんだと思いました。前の職場で、みんなで講師を招き、パソコン教室を開きましたが、受講者の多くが高齢者だったので、ほとんどの方が途中でリタイア。最後まで通ったかたも、とても一人では使いこなせる状態ではありませんでした。ですから、結局、組織自体でパソコンを活用することは不可能でした。世の中を先取りしているかのような意識が感じられる組織でしたが、情けないことに事務処理はきわめて古典的なところでした。養護学級の子供たちにとって、九九は大きな壁です。でも、九九ができなくても、もしかしたら、現代にあった教育内容にかえることで、彼らの能力には、大いに期待ができるのではないでしょうか?どんな仕事に就くことになっても、パソコンは必ず必要になってくるはずです。仕事だけでなく、生きていく上でなくてはならないものになっていることも確かです。彼らがパソコンを使えるとわかり、胸のつかえがなくなったような気がしました。
January 29, 2007
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今日は、勤務をお休みにして、学校のお琴体験教室をお手伝いしました。なぜ、こんなめんどくさいことをするかというと、「あなたの仕事は、お琴の手伝いではない」なんていわれたらイヤだから、休みにすれば、誰も文句いわないはずと思ったのです。きょうの体験教室のために他の学校から借りてきたお琴が、いくつか使えず、使用台数が少なくなってしまったことを音楽の先生から聞いたので、私のお琴を貸すことになり、授業を見せてもらうことにしました。アシスタントというのはなかなか難しいもので、もし、その先生が手伝っていいとおっしゃったら、手伝おうと思っていました。結局、そうなりましたが・・実は、私、お琴のお稽古をここのところずっと休んでいるので、お琴には久しぶりにさわりました。授業が始まっても子供たちは、静かになりませんでした。私のお琴をいれても、4人に一面くらいしかないのですから、授業に全く参加していない子がいっぱい。さらに、言葉遣いやお行儀の悪さにはあきれるばかり。邦楽にはあまりお詳しくない音楽の先生に向かって、「自分ができないくせに、偉そうなこと、ガタガタいってんじゃないよ」正座をしなさいといった先生に「いちいちうるせーんだよ」「うざい」しかし、少し手伝って、なんとなくお琴が弾けると、「これっておもしろいじゃん」「もっと私にやらせてよ」という子もいました。頑張った子に、「それでいいのよ」「じょうずに弾けたじゃないの」と私がいうと、「いいなー八組(養護学級)は。こんなことで、いちいち褒めてもらえるんだ」「オレも明日っから、八組いくかな?」荒れた学校の代表というわけではありませんが、なんだか、一日、金八先生のドラマのセットの中にいるような気がしました。でも、これが、紛れもなく、私の勤務校の姿です。
January 25, 2007
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いよいよ入学願書を提出する時期になりました。養護学校の高等部でも、もうすぐ、入試があります。養護学校の調査書には、数字や記号の欄がありません。各項目について、全部言葉で書かなければならないのです。良くないことは、あまり書きませんが、きょう、見せていただいたら、一人の生徒の欄に、食生活がきちんとしていないため、生活も乱れがちと書いてありました。彼が、朝食をとらずに学校に来ていることは知っていましたが、夕食もとっていなかったとは知りませんでした。彼はいつも青白い顔をしていて、マッチ棒のような体型です。マラソンをしても、途中でばててしまい、みんなより遅いのがイヤなのか、結局、さぼりにさぼって、本番も欠席でした。育ち盛り、食べ盛りのはずなのに・・・夏休みや冬休みの後、いつも体調を崩していたわけです。学校がお休みの間は、唯一の栄養源が絶たれてしまうのですから。カウンセリングルームに通っている子たちも、朝食を食べない子がほとんど。家の人が朝起きてくれない、給食代は払っていない、お弁当も作ってくれない。これでは、学校どころではありません。食育の大切さが身にしみた一日でした。
January 24, 2007
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養護学級の子供たちの中に、指導する先生によって、大きく態度を変える生徒がいます。特に女の先生だと、なめてかかっている様子が、はっきりうかがえます。授業中、ほおづえをついていて、注意されると、ものすごくいやそうな顔をして、さらに「うるせーなー」。いったんほおづえはやめるのですが、二、三秒後には、また、ほおづえをついているのです。読めなかった漢字に読み仮名を振りなさいといえば、寒いからポケットから手を出したくないのか、ポケットに手をいれたまま、「ふりたくない」といい、同じ間違いを何度でも平気でするのです。「これは、どちらのグループに入りますか?」と提示すれば、あごで示し、それが、間違っていると、今度は「しらねーよ」とふてくされる。授業者によって、態度が変わるのを知っているのは、私だけ。担任に伝えることが私の仕事だと思いますが、私は、どうしてもいうことはできません。なぜなら、まるで、担任が指導していないかのように誤解されるからです。今までに、こういうこと、何度もありました。その後、どんな言葉が自分に返ってくるかと思うと、恐ろしくてつい、守りに入ってしまうのです。子供たちのことを考えたら、これでは、いけないとは思うのですが・・・人にはそれぞれ立場があります。私はとても弱い立場なので、そんな立場の私に、いろいろいわれるのは、おもしろくないのかもしれません。担任が気がつかないから、私が知らせるわけではなく、私が気がついたことを知らせるだけのことだと思います。私が担任に気づいたことを報告するのと、他の先生が報告するのでは、全く違った反応が返ってくるというのも、紛れもない事実。私は弱い立場だから、何いわれても仕方ない?弱い立場の人には何言っても許される?そんなばかな・・・やりきれない気持ちです。来年もこの仕事をしたいと希望を出しましたし、校長先生からも、是非来年もという言葉を頂きましたが、きょうは、こんな風ならもうやりたくないという心境です。お金をもらうということは、楽しいことばかりではなく、いやなこともやらなければいけないことだとよく夫はいいます。その通りだと思います。でも、相手によって態度を変える人は、やっぱり許せません。大人がこんな風だから、子供たちが、先生によって、態度を変えるのかもしtれません。子供たちは、本当に大人をよく見ています。
January 22, 2007
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きょうの1時間目のことです。先生「先生は、みんなが家でどう過ごしているのか、見てみたいと思います」「そこで、明日から、一件ずつ、お泊まり家庭訪問をしようと思います」「帰ったら、家の人に伝えてください」「お茶碗とお箸は、持って行きます」「寝るところは、どこでもいいです」子供たち「えーっ!」「マジ?」もちろん、嘘に決まっています。でも、先生の気持ち、よくわかります。何度言っても、ハンカチを持ってこない子。夜更かしばかりして、遅刻が多い子。好き嫌いが激しく、給食を残す子。歯磨きなど、身だしなみを整えないまま、登校する子。親の言うことを聞かない子。ゲームばかりやっている子。お風呂に入ってこない子。家庭の事情もあると思いますが、養護学級の子供たちには、理解しかねる行動がたくさんあります。自立を目指す姿勢をいくら学校で示しても、家庭での様子や過ごし方がわからないので、先生の心配の種が、尽きないのです。あり得ないけれど、本当に、お泊まり家庭訪問が実現したら、とってもおもしろいかも・・・
January 19, 2007
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偶然にも、現在私が勤務してる学校の校長先生は、昨年度まで、夫が勤務している学校の校長先生。夫や夫の同僚の先生方から、いろいろな話を聞いていたので、かなりかまえていた私でしたが、9ヶ月過ぎた今、全く違う印象を持っています。きょう、用事があって、校長室に入ると、そこには、エアコンではなく、丸い小さなストーブがありました。私が校長室にはいると、先生がストーブをつけて下さいました。「ストーブつけたよ。寒いから、こっちで話そう」「この部屋は、こんな小さなストーブしかないんだよ」「職員室は、先生方が大勢いるだろ。だから、ガンガンエアコンつけても、誰も何も思わないんだろうけど、こっちは、一人だからね、なんか遠慮しちゃうよね」校長先生のお人柄を感じるお話でした。養護学級の子供たちは、校長先生が大好きです。いつも、彼らが活躍する場面には、必ず、応援に来て下さり、その場で励ましの言葉をかけて下さいます。彼らの活躍している姿をスクープ写真のようなショットで撮って下さり、さらに、加工して、一人ずつにプレゼントして下さるのです。作業学習の時間に、校内を清掃していると、「いつもありがとう」と声をかけて下さり、さらに彼らの育てた花が咲くと、「きれいに咲いたね。みんなの力で、いつも花がいっぱいのきれいな玄関でうれしいよ」と励まして下さるのです。人にはそれぞれ立場というものがあり、とやかく言っている夫も、もしも管理する立場になれば、現在の考えや言動とは違ったことをするようになるかもしれません。相手の気持ちや立場を考えることは、大切なことであると同時に、とても難しいことなのですね。
January 16, 2007
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教えるという立場に立った人に求められるものは、努力と経験から成り立つ頭の中の引き出しの数だと私は思っています。絶え間ない努力と経験により、いかなる生徒や状況に遭遇したとしても、冷静な判断で、的確なアドバイスや処置ができること。これが、引き出しが多いということです。今日、私は、久しぶりに、高齢者教室の講座を頼まれ、授業をしてきました。2時間の予定で組んでいった授業内容でしたが、時間は、1時間半弱しかなくなってしまいました。用意していただくはずの椅子は、数が足りなく、また、数をそろえると時間がかかるので、なしでやって下さいとのこと。さらに、使えるはずのオーディオのデッキは、調子が悪く、いきなり、伴奏を弾いてもらえないかというお願いが・・・しかも、楽譜はなく。驚きの連続でしたが、そこには、表面的には何事もなかったかのような顔をした私がいました。内心は、もうドキドキ。どうしよう!困った!の連続でした。高齢者教室は、長い間、関わってきた仕事ですから、私なりに何とかなるという自信みたいなものがありました。しかし、今日のトラブル続きに焦る自分自身を振り返り、まだまだ引き出しが少ないことを実感せざるを得ません。もっと余裕がなければ、人に教えることはできないと思いました。もちろん自信を持つことはとても大切なことですが、他の人の考え方や見方を受け入れる器の広さを持ち続けることは、もっと大事なことだと思います。変な自信が他人を否定したり拒否することになっては、成長が望めませんから。教えるということは、本当に難しいことです。講座を通して、いろいろなことを考えさせられた一日でした。
January 11, 2007
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今「千の風になって」が大ブレーク中ですね。私も紅白以来、この曲にすっかりはまった一人。もちろん、それ以前に聴いたことはありましたが、そのときは、ソプラノの方が歌っていました。私の声も分類すればソプラノに属すると思いますが、(大学時代、高声用というテキストを使って、歌っていましたから)でも、私は、いわゆるソプラノの声は、あまり好きではありません。なぜかというと、なんていっているのかわからないから。残念ながら、歌詞がはっきりわかるように歌える日本のソプラノ歌手は、あまりいらっしゃらないように思います。やっぱり、あの歌は、テノールの方がいいです。メロディはもちろんのこと、歌詞もすばらしいのですから、はっきり言葉が聞き取れる方がすてきに決まっています。すーっと心の中に入ってくるようなメロディーと、感動的な歌詞。この歌を聴いていいと思える人がたくさんいるということは、まだまだ日本も捨てたもんじゃないなあと思えます。しばらく、私の車の中は、秋川さんの歌声で染まります。母校に血などあるはずないのですが、なぜか、同じ血が流れているような親近感を覚えるのは、本当に不思議です。今までにも同じようなことを感じたことが何度もあります。さらに、秋川さんとは、年齢的に、同じ頃、大学に通っていたと思うので、もしかしたら、学食とかで、あっていたかもしれないと思うと、さらに親しみが・・・はやくリトミックの勉強しなきゃいけないのですが。
January 9, 2007
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リトミックの最終試験が迫ってきました。今日は、試験の補講に行ってきました。まだ、お正月が続いているのでしょうか、受講生があまりに少なく、先生に申し訳ない感じでした。リトミックの最終試験、本当は、昨年受けるはずでしたが、学校に勤め始めて一年目だったことと、インフルエンザにかかったこと、父が入院したことなど、様々な出来事が重なって、受験することができませんでした。今年は、二年目になり、仕事の休み方もわかってきましたから、絶対に受けて、受かろうと思っています。試験の準備は、かなり早くからやっていましたが、この冬休み、怠けに怠けて、何もしなかったので、きょうの補講をきっかけに勉強を再開しようと思い、申し込みました。試験には、かなりたくさんの項目がありますが、大学受験プラス大学時代に蓄えた力でこなせるものもあり、なんとかなりそうな気が・・・でも、動きを伴うものは、夫がいるところではとてもできません。たぶん、一般の人には、変な踊りにしかみえませんから。狭いところでは、目が回ってしまいそうなので、私は、リビングでやりたいのです。はやく、夫が寝てくれないかなと思っているのですが、こういうときに限って、夫はいつまでもテレビ見てるんですよね。問題は、論文。題は「リトミック教育とは何か」タイトルが大きすぎて、なかなか書けません。頭痛のタネです。今日で、冬休みも終わりです。明日からまた、学校が始まります。忙しい日々に戻りますが、私の場合、時間がたっぷりあるとかえって勉強しないような気がするので、もしかしたら、明日からの方が、論文もすすむかな?頑張ります!
January 8, 2007
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