ラッコの映画生活

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2008.04.28
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カテゴリ: フランス映画
LE TEMPS DU LOUP
Michael Haneke
109min
(DISCASにてレンタル)

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1台の乗用車に乗った家族4人が田舎の別荘らしきちいさな家にやってくる。食料等を買い込んできたらしい。小学生の息子ベニーは鳥かごを持っている。「濡れるから下に置かないで」というセリフが聞こえる。家族が家の中に入ると、見知らぬ家族が家を占拠していた。その家族も4人。末子の赤ん坊が泣いている。男は入ってきた家族にいきなり猟銃を向けた。「食料は持ってきたのか?。車のガソリンはまだあるか?。」家の本来の持ち主の夫は銃を向けられ「食料も分けてやるから」と交渉をするが、猟銃は発砲される。夫を失い、家から放り出された母アンヌ(イザベル・ユペール)中学ぐらいの姉エヴァ、弟ベン(愛称ベニー)の3人は霧の中を自転車を押してさまようことになる。

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この映画に出てくる具体的地名はポーランド人移民という「ポーランド」以外にはほとんどない。日本でのレビュー等では場所も時代も解らないと書いている方が多い。しかしこの映画をフランス映画とするならば、フランス人観客には色々な理解が既に出来てしまう。役者がユペール、ダル、ベニシュー、シェローといったフランスの役者がフランス語を話している。もっともハネケの映画ではこれはあてにならない。 『ピアニスト』 ではユペールやジラルドはオーストリア人役で、ウイーンが舞台なのにフランス語を話していた。この『タイム・オブ・ザ・ウルフ』はオーストリアで撮影されたが、冒頭に出てくる乗用車はプジョーで、ナンバープレートはフランス・パリのもの。年式も今(2003年に)当たり前に走っているものだ。映画の主な舞台が田舎なのに対して、この家族等は「街から来た」という。ただ「街」としか言われないが、セリフの一つに「11区」というのがある。フランス人ならパリの11区を連想することは確かだ。そして段々にわかってくる「どうも地下汚染や異常気象で食料も不足する異常事態にあるらしい」というのは、冒頭の「床に置くと湿る」というセリフとつながるはずだ。この映画は2003年のものだが、その少し前からフランスをはじめヨーロッパ諸国は猛暑と長雨・洪水という異常気象に遭遇している。だからフランス人観客にとっては身近な終末的世界に感じられるように作品は作られている。

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ハネケは元祖オーストリア版『ファニーゲーム』をまったく何も変えずに、舞台だけアメリカに移したアメリカ版『ファニーゲーム US』を自ら作ったが、それは観客に映画世界が自分に身近と感じさせたいからだ。ハネケは「フランス版、日本版・・・等々各国版を作るのも良いかも知れない。」と言っている。そういう意味でこの『タイム・オブ・ザ・ウルフ』は "フランス版" としてフランス人観客にとって身近と感じられるように作られていることを理解して見ると良いのかも知れない。

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納屋を火事で燃やしてしまった3人は見知らぬ少年と出会い、道中を共にすることになる。貨物列車を止めて乗せてもらおうとして失敗する。列車には難民が乗っていた。線路づたいに歩く4人が目指すは鉄道の貨物駅であり、そこを通過する列車に乗ってどこか生きられる地へ行くことだ。貨物駅に着くと、そこには既に何組かの難民が列車を待っていた。駅舎での共同生活が始まる。ルールはあってなきに等しい。銃や食料を持った者が強者として支配している。強者に体を提供して食料を得ている女もいた。

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出会って道中を共にしてきた少年は最初から盗みを働いて追放される。エヴァ(姉)が手紙に書くように、つっぱって他人に心を開こうとしない少年だが、彼にそうさせるのは倫理観ゆえだと思う。欲望丸出しの大人への反抗なのだ。少年がわずかに心を開くのはエヴァに対してだけれど、エヴァが野犬に噛まれた少年の手を治療することがキッカケとなる。何があったのか、たぶん大人への不信から傷ついた少年の心を癒すということの比喩なのだろう。エヴァという名前自体がアダムを癒すべく創造された女の名だ。最初はアンヌ(母)も少年の手を治療するが、長続きはしない。大人では彼の心を癒すことはできない。

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ハネケの映画では子供が重要な役を果たす作品が少なくない。『隠された記憶』では少年時代のダニエル・オートゥイユの罪は子供の罪ではなく大人の偏見の反映であり、その偏見を解消せず持ち続けたのが彼の罪だ。物語を動かし始めるのはたぶん息子ピエロの親への不信だし、ラストはこのピエロとマジッドの息子に託された希望だった。『コード・アンノウン』でもビノシュの恋人の弟の少年や黒人の子供、聾唖の子供たちが大きな意味を持たされていた。 『カフカの"城"』 でも善意の進言者として子供を描いた。この映画でも色々な意味が3人子供(ベン、エヴァ、少年)に託されており、ネタバレになるので書かないが最後にはベンのある行動が描かれる。どの映画も、子供、つまりは人の未来への、性善説としての希望なのだと思う。

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ハネケの映画は独自のスタイルを持つ。まずは「観客への身近化」という性格。飢餓・貧困はニュースで見る世界のどこかの実情なのに、我々は傍観者、野次馬でしかない。それは事態を憂慮して真面目に考える者にとっても同じことだ。その者も快適な都市生活を送り、美食も楽しんでいることに変わりはないからだ。それを傍観者としてではなく自分のこととして感じさせることだ。そしてその性格と関係した実験室的映画という性格。それは前衛的というような創作の実験という意味ではない。映画自体が実験室なのだ。それには二重の面がある。この映画では、食料も不足した終末的世界を仮定し(実験室に作り出し)、そこでの人間を考察する。そしてもう一つの面は、観客自体を実験動物としてモルモットにしてしまうこと。それを仕掛けるのはハネケだけれど、それを観察するのはハネケではなく、見ている観客自体である。究極の問いかけ映画であると言えるかも知れない。だからそんな問いかけを考えたくない観客や、どうしてハネケに偉そうにそんな問いかけをされなければならないかという反感を持つ観客は彼の映画を嫌う。

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この映画の中でとりわけ好きな美しいシーンが一つある。途中から大勢の難民集団が貨物駅にやきた。当然狭い駅舎の中での共同生活が始まる。夜みんなが寝ようとしていると、新しくやってきた人々の一人の男がカセットテープをかける。音楽のないこの映画で音楽が流れる唯一(唯二)のシーンだ。流れてくるのはベートーベンのバイオリンソナタ『春』の第2楽章。静かで美しい音楽だけれど、ベートーベンの理想主義的世界の美しさは、殺伐とした物語の状況とは不似合いだ。精神的に狂気を孕んだ音楽にさえ聞こえてしまう。そんなベートーベンを耳にしたエヴァは聞き惚れた。で翌日エヴァはあれをまた聞かせてくれと男に頼む。ベートーベンが作った理想の世界の音楽。それを聞いて感動するエヴァ。どちらも人間の希望だ。この1シーンだけでこの映画をボクは好きだ。ここにハネケの思いも託されているのではないだろうか。

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Last updated  2008.05.03 03:11:48
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