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テレビから、優しい歌声が聞こえてきました。ふと見ると、美しいアニメーションの映像と、あたたかい歌詞に目が釘付けになりました。何の歌かと思ったら、「みんなのうた」でした。それから、録画して何度も見ています。NHKのホームページで、みんなのうた「あなたがどこかで」の、一部が見れます。https://www.nhk.or.jp/minna/songs/MIN202206_01/玉置浩二さんの声、どうしてこんなにやさしいのか。アニメーションの絵も、あたたかくて、本当に素晴らしい。自由に心が広がっていくようなそんな気持ちになります。雰囲気が伝わればと思って、歌詞をうつして書いてみました。あなたがどこかで 作詞 松井五郎 作曲 玉置浩二 編曲 安全地帯 うた 安全地帯 あなたがどこかで 悲しいときは あなたが見上げる星になりたい あなたがどこかで 寂(さみ)しいときは あなたに微笑(ほほえ)む空になりたい 忘れないで もう一度言うよ あなたは一人じゃない 忘れないで 何度でも言うよ あなたは一人じゃない あなたがどこかで 苦しいときは あなたを励ます歌になりたい あなたがどこかで 頑張るときは あなたを支える夢になりたい 忘れないで もう一度言うよ あなたは一人じゃない 忘れないで 何度でも言うよ あなたは一人じゃない あなたがどこかで 泣きたいときは あなたを守れる愛になりたい
June 16, 2022
少し前から、僧侶の横田南嶺さんの法話を聞いています。 毎日、動画が更新されています。 2022. 1. 18、第377回「生きているだけではいけませんか」で、紹介されていたのが、このタイトルの詩です。 この詩は、児童自立支援施設で、子どもたちの自立を援助されてきた辻光文先生という方が書かれたものです。 神渡良平さんという方のHPの記事(2015.6.7)のなかに この詩の全文がでています。 かなり長いので、一部のみ書き出しました。 といっても、大分長くなりました。****生きているだけではいけませんか 子どもの頃から、役に立つ人になりなさいヨ 人に迷惑をかけてはいけませんヨ ひとのために 国のために 天皇陛下のために お役に立つ人になりなさいヨ 私はそう親に教えられ、育てられてきました。 けれども 十五才の夏、十五年戦争が終わり、 天皇は神サマから人間となりました。 今頃 天皇のために命を捨てなさい と教える親はおりません。 人のため、国のためは、社会のためとなり 公共の福祉に、変わりました。 そして今、ここまで来てフッと思うのです。 生きているだけではいけませんか。 (中略) 目を閉じて静かに息を調えながら、生きているだけではいけませんか。 (中略) 人は誰でも、いつの日か、なにもかも喪失して 人に迷惑をかけなければ瞬時も生きてゆけない そんな日が必ずやって来ます。 この役立ちの思想の延長線上でゆくと、 いつかは誰でも、生きることの価値をなくします。 老いるということは、そういうことですか。 病むこと、呆けることはそんなことだったのですか。 その時にも尚わたしは生きる価値、生きる資格があると いえる人は かつて役立っていたときの貯金の精算をしている、 そんな気ですか。 (中略) 迷惑をかけるといいますが、生きていて迷惑をかけない人って 本当にいますか。 毎日の、自分のウンコの、オシッコの、その行方をあなたは 知っていますか 生きていることは、はかりしれない人々に迷惑をかけてのことでした。 だからこそ少しでも「役に立つように」ということだと思います。 けれども役に立つ前に、生きる資格を言う前に、 生きている、そのいのちとは何ですか。 (中略) 「いのちとはつながりだ」と平易に言った人がいます。 それはすべてのもののきれめのない、つぎめのない 東洋の「空」の世界でした。 障害者も、健常者も、子どもも、老人も、病む人も、 あなたも、わたしも、区別は出来ても、切り離しては 存在し得ないいのち、いのちそのものです。 それは虫も 動物も 山も 川も 海も 雨も 風も 空も 太陽も、宇宙のちりの果てまでつながるいのちなのです。 (中略) すべてはみな、生かされている、そのいのちの自覚の中に、 宇宙続きの、唯一、人間の感動があり、愛が感じられるのです。 ほんとうはみんな愛の中にあるのです。 生きているだけではいけませんか。****みんなのために、社会のためにならなければいけない。人の役に立たなければならない。周囲の人に、迷惑をかけてはいけない。他の人に迷惑をかけないように、最大限努力しなければならない。人の世話になったのなら、それを返していかないといけない・・などなど。一般的に言われていることであるし、いかにも、あたりまえで、正しいことのようにおもえます。けれども、本当にそうなのでしょうか。いのちとは、なんなのか。さまざまな人が生まれて、ここに居る、在ること。そこにある、目には見えないつながり、その深さ、その複雑さ。植物同士や、植物と虫とが、お互い、生きるためにしていることが、相手のいのちを完璧に支えているように、人間も生きているだけで、知らず知らずに相手のいのちを支えているのではないかと思えてくるのです。生きているだけで、大丈夫なんだ。そのままで大丈夫なんだ、そう自分に言い聞かせています。
June 10, 2022
以前、聞いて、心に響いた言葉を書いてみたいと思います。 NHKEテレ「バリバラ~障害者情報バラエティ~」のコメンテーター、 社会福祉士、玉木幸則さんのメッセージです。 ほんとうに久しぶりの更新です。『 あのね、僕、ずっと言うてるのは、人間生きてる以上は、 みんなが生きづらさを持っているはずなんですよね。 いわゆる、「障害のない人は、生きづらさなんかない」って 思わされているような気がしてるんですよね。 だから、最近ずっと言うてるのは、特に学校で、子どもたちに 言うてることは、 「まず、自分のこと大事にする」っていう、 「その感覚って大事やねん」って。 だから、しんどいときには、「しんどい」って言って、 いいねんでって、 つらいときには、「つらい」って言って いいねんでって。 でも、それを、やっぱし、大人に悩みがあればあるほど、 「みんな、つらいんやから、我慢しよう」とか、 「歯を食いしばって、生きていけ」とか、 なんか、ある方向だけの世界を押しつけられているような気がしている。 だから、これ、一番難しいと思うんやけど、 「自分のことを、どいだけ大事にできるか」とか、 「どいだけ自分のことを、守っていけるか」とか、 まずは、そこを考えていって欲しいなって思っていて、 それが出来ない人は、 他人のことなんか、もっと考えられへん っているふうに、 僕なんかは言うてるんですけど、なかなか厳しいね』 玉木幸則 (合理的配慮とは?~みんなで生きる社会を考える~ 玉木幸則(NHKEテレ「バリバラ」コメンテーター) ・奥田知志(ほうぼく理事長) オンライン対談 2021.11.25 ライブ配信 より 私も、今頃ですが、YouTubeを見るようになり、いろんな人の 話を聞いたり、ふと、心にひびいた歌を聴いてみたり、しています。 また、昔の本を読んで読み返していて、考えさせられたのは、 医師・高柳和江さんの「生き方のコツ」(2004)です。 自分の人生は、自分で決めるというのは、あたりまえのことなのに、 患者という立場に立たされると、途端に言いたいことが言えなくなって しまう、と高柳さんは言います。 高柳さんの知人の医師も、自分が患者になって、納得していないのに、 手術されそうになっていると、入院先から電話してきたといいます。 高柳さんは、すぐタクシー呼んで逃げなさい、とアドバイスし、 実際その医師は 逃げて、別の病院で納得できる治療を受けたと いうのです。 高柳さんは言います。 人は不安と恐怖に捕らわれると、「フリーズ」になって、 「自分で考えて、自分で生きる」という人間の基本を ダメにしてしまう、と。 心も体も痛くて、つらくて、病院だからしかたがない、 あたりまえだと 思って我慢していて、でも心の中では 「なんかおかしくない?」と思っている人が本当に多い、 「みんなガマンしているんですよ」と言われても、 それはウソですから、安心して逃げてください、と。 「病気になったら、自分が病気の当事者なんだ。 自分で判断して、自分で決めて何が悪いことがあるものか」 と高柳さんは言います。 これは、あまりにもおかしくない? 心の中で、なんか変だな、と思っていても、それが、言葉にすら ならないこともあります。 若い頃は、へんだな、嫌だなという、苦しくて重い気持ちを 抑えつけるようにして、生きていました。 それが、私にとって生きることであり、あまりに自然であり、 あたりまえのことだったのです。 中年になってからは、自分の違和感を押さえつけず、そういう状況に 入り込んでしまったら、そこからできるだけ離れるようにして、 なるべく自分の思いに反しないように生きてきました。 ところが、また、昔のような状態になっていました。 嫌だとか、苦しいということさえ、自分では気づかないまま、 それが「普通」になってしまっている。 また、はまりこんでいたのです。 自分で考え、自分で判断すること。 意識して、自分を守っていかなければいけないこと。 あらためて、大切なことではないかと思っています。 去年から、また何か書いてみたいなあと、と思いながら、 今日になりました。 読んでいただきありがとうございます。
June 10, 2022
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