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榎木孝明さんが京都を旅する番組「榎木孝明 京を彩る」という番組を見ました。 京都の観光地だけでなく、地元も人たちとのふれあいがあったり、何気ない場所で榎木さんが立ち止まりスケッチする様子が、とてもいい感じです。 この榎木さんという方、俳優としてだけでなく、絵も素晴らしく、人柄も、前から素敵だなあと思っていたんですが、番組の中でこんな事を話されていました。 「(絵を描いていて)完成前に失敗してやめることはありますか?」と いう問いに、榎木さんは、こんなふうに答えます。 「ありました。 昔は描いてると、嫌になったら破いて捨ててましたけれども 今は失敗ってことは、まずあり得ないですね。 同じ線を引くにしても、線がゆがもうと何しようと そのゆがんだ線が自分の表現だと思えば成立するんでね。 むしろ、線ってまっすぐ描くよりも、ゆがんだ線の方が おもしろいんですね。 ゆがんだ線が自分の個性を出してくれるんで。 ですから、その失敗という意識が今ないですから。 あと、水彩で一つのポイントは、やめどきなんですよ。 どこでペンを置くか。 白い空間がいっぱい残ってて、いっけん中途半端に思えるのも 作品としてみれば、白いところを残すのもおもしろいかなっと 思えば、それも一つの作品として成立すると思うし。 昔に比べたら、そういう意味では、失敗作っているのは、 今はないですね。考えたら。」 日頃から、「絵は、人生です」と言われる、榎木さん。 人生にも、失敗はない。 そんなことを榎木さんの言葉から感じていました。 毎日の生活の中で、失敗だと思えることはたくさんあります。 こうしなければよかったなあ、こうしたらよかったなあと。 けれど、そうした失敗の一つ一つが自分の人生の 味わいになっている、そう考えてもいいのでは ないでしょうか。 中途半端でやめてしまったことがあったとしても、やはり、 それもまた、おもしろさになっている、そう考えても いいのではないでしょうか。 どんなマイナスに見えることであれ、見方を変えれば、 人生の豊かさ、美しさ、そして自分らしさにつながって いるのではないかと思うのです。************************************ 同じ線を引くにしても、線がゆがもうと何しようと そのゆがんだ線が自分の表現だと思えば成立するんでね。 むしろ、線ってまっすぐ描くよりも、ゆがんだ線の方が おもしろいんですね。 ゆがんだ線が自分の個性を出してくれるんで。 ですから、その失敗という意識が今ないですから。 榎木孝明(俳優・画家)*************************** このブログに来てくださる方は、良い言葉に出会いたくて、 来られていることと思います。 せっかく来られても、更新が休み休みで申し訳なく思います。 また、ぼちぼち書けそうです。 ちょっと体調不良や気分の落ち込みがが続くと、 昔のことがあるので、もしかしてまた?と不安に なるのですが、自分の癖に気づくのが早くなり、 すぐにセルフケアに時間を取るようになった自分に 気づきます。 物事が空回りしてる、何か疲れると思ったとき、 ゆっくり休むことが本当に大事だと思います。 最近は、自宅のお風呂で、電気を消して、アロマキャンドルを つけて楽しんでます。 寒いですので、みなさんもどうぞご自身を 大事なさってくださいね。
January 28, 2009
雪が降っています。 綿のようなふわふわが、次から次へと天から降り注ぎます。 窓から、そんな雪を見ながら、この静かな時間を味わっています。 昨日は、朝の散歩中、霜柱を踏んで、さくさくして楽しみました。 きれいだな、不思議だな~、いつもながら、思います。 最近、体調が優れず、また、気に病むこともあって、元気がでないでいました。 睡眠も良くとれなくて、つらい気持ちが続きました。 そういうときは、どうしてもそこに気持ちがいってしまい、自然の美しさに感じる心を忘れてしまっています。 欠けているところではなく、うまくいっているところではなく、与えられているものに感謝して、視点を変えようって、頭で分かっていても、体調が悪いとついて行かない部分があります。 今度セルフケアについてお話やワークをする機会があるのですが、自分がこういうふうで説得力がないなあと思ったのですが、考えてみると、だからこそ、自分ができるのではないか、と思い直しました。 健康な状態では、気づかないことがあるように思います。 自分のように体も心も弱く(意志も弱く)、こうあってほしい、という執着が捨てきれない不満が多い自分だからこそ、弱さとどうやってつきあっていくのか、自分を例にあげて話せるのかもしれないなあと。 昨日読んだ仏教関係の新聞「同朋新聞2009年1月号」に「今、いのちがあなたを生きている。 この私の我執といっしょにお念仏さまもいてくださるのです。 井田ツル」 と書いてありました。 この言葉、響きました。 「私が」この命を生きているのではない。 命が、私を通して生きている。 命が、私という、不完全で脆い体や心を通して何かをしようとしている。 煩悩を抱えた自分が、自分一人でなんとかするのではない。 悲しみであれ、失望であれ、怒りであれ、不安であれ、いろんな思いを抱えた「私」の横には、いつも仏様がついている。 そのことを通してなにかをなそうとしている「命」がいっしょにいる。 そういうことかな、と私は理解しました。 先ほどの言葉は、井田ツルさんという89歳の女性の言葉です。 井田さんは、48年前、23歳の息子をひき逃げで亡くしました。 井田さんは、犯人への恨み、息子を失った苦しみから抜け出したくて、お寺に通い始めます。 最初は、仏法を聞いて、そのときは、いい話だったと分かったような気になるのですが、生活の中まで身につくまでには、時間がかかったと言います。 井田さんは、仏法を聞き始め20,30年たった頃、今だったら犯人が「参らせてください」と言ってきたら「どうぞ参ってください」と言えそうな気がすると友達に話します。 けれど、その友達に「あんた、その犯人を拝まにゃ」と言われたとき、井田さんは、「やっと犯人を許せるところまでたどり着いたのに、この上その人を拝めっていうのかい?」って腹を立てます。 井田さんは、自分はまだ我執に立っていたと気づきます。 井田さんは言います。 「許すという言葉は私たちが言う言葉ではないですよ。 われわれは許される立場ですもんね。 許すとか許さないとかは、人間の領域のことではなく、 仏様のなさること。 私たち人間は、仏様によってすでに許されているのですから」 そして、その後、井田さんは、夢の中で、犯人と出会います。 井田さんは、いきなりその人の手を取って、「ああ、ごめんなさい。 長い間苦労をかけて申し訳ありません」と泣いてしまったといいます。 目が覚めた井田さんは、「ああよかった」という喜びがあふれます。 井田さんは、そのことを仏法を学んでいる先生に電話しました。 すると、その先生から、「力(息子さん)も如来さんだし その人も如来さんだよ」と言われます。 井田さんは、そのとき、はじめて、抵抗なくそのことを受け入れられたのです。「自分が救われるってこのことか」と思ったと、井田さんは言います。 そして井田さんは言います。 「私と一緒にお念仏さまもいてくださる。 この我執といっしょにいついていてくださる。 私が何か腹を立てて大声を出したときに、あとから お念仏様が出てくださるのです。 そうしてお念仏を称(とな)えさせててもらって、 気がついたときには、腹立ちが懺悔に変わっているんですね。」 なんで、こんなことでこだわるんだろうって、自分の小ささに 情けなくなることもあります。 自分でコントロールできるとか、努力や練習だと言われると、 そうだろうとは思います。 でも、できないときには、自分で何とかしようという思いを いったん横に置いて、「お任せしよう」って思うことも一つの やり方だと思います。 自分という人間、そして命も、自然なんですよね。 雨や雪、お天気が、コントロールできないように、その仲間で ある私たちも、私自身でコントロールしようとするのは おこがましいのかもしれません。 コントロールしなくても、朝日、やわらかな日差し、美しい雪、 そういう自然の美と同じで、美しい瞬間はあると思うから。 ある統合失調症の女性が、こんなことを言っていました。 「何もしないで一日が過ぎていくのを 楽しむって事を心がけている」 生きてるだけですごいこと、その不思議を楽しむ。 焦って何かしようとするのではなく、時間が過ぎるのを ただ感じる。 私の中に一緒にいる命、あたたかいものの存在を感じる。 疲れたときは、そういう過ごし方もいいと思うのです。 太陽の日差しにあたって、「あたたかいな」「私のことを見ててくれるのかしら」とそんな時間も いいのではないかと思うのです。 *******************************今がしあわせでなくては。そう、たった今が心地よくなくては人生何の価値もありません。 ひろはまかずとし
January 26, 2009
今まで、コラージュのワークショップを通して多くの方のコラージュを見せていただいてきました。 一人として同じコラージュはなく、一人一人がとても固有の、そして深くて豊かな世界を持っていらっしゃることに心打たれることが多かったです。 はかなくて繊細なコラージュ、大胆に貼っていかれる力強いコラージュ、ユーモアのセンスがいっぱいのコラージュ、リラックスして癒されるコラージュ、色鮮やかなコラージュ、色彩を押さえたシックなコラージュ。 人によって違いますし、同じ方でも、その回ごとに全く異なる作品を仕上げていきます。 貼られたものには、その人にこめられた、その方にしか分からない、思いがあります。 「なぜだか分からないけれど、この写真に惹かれて・・・」ということもあります。そのときこそ、心の奥深くからのメッセージなのです。 自分では気づいていないけれど本当に望んでいる、ということがその写真には含まれています。 その方自身の持つ内面の豊かさや美しさが表現され、また、作ったときの状況、希望や目標、抱えるものなど、いろんなものが一枚の画用紙に現れてくるのです。 この頃では、雑誌の写真だけではなく、ご自身のもっていらっしゃる写真なども使うこともあります。 その持ってこられる写真にも、いろんな思いが込められています。 11月のワークショップの時に、参加してくださったNさんから、「私の今までのコラージュをブログにのせてみてはどうですか?」と言っていただきました。 その方が、ほかの方にもわかりやすいだろうから、と。 Nさんは、2年前から、何度もワークショップに足を運んでくださっています。 その都度、コラージュでご自身を表現され、自分の心と向き合ってこられました。 その変化やその時々を振り返って、コメントを添えて、そして今コラージュをみてどう感じるかを書いていただきました。 彼女が通ってきた「心の旅」を感じながら、私は、素晴らしいコラージュ作品を見返しました。 コラージュに限りませんが、絵であれ、文章であれ、写真であれ、音楽であれ、何か自分の気に入った表現する方法を持って、それをとことん突き詰めていくと、その人の個性がどんどん洗練されていくのではないかと感じています。 田口ランディさんの本「癒しの森」の中に、画家の横尾忠則さんの言葉が出ていました。『どんどん自分をつきつめて自分になって、そしてそれを表現していくと、その表現は神の言葉になる』と。 自分と表現しきると、そこには神様が宿る、と。 私も、同感です。 Nさんのコラージュ作品、それとともに、自分を振り返る作業、自分と向き合う時間が彼女の言葉でつづられています。 彼女自身の言葉に、私の簡単なコメント添えています。 ぜひ、ご覧ください。 Nさんのコラージュ作品。*************************どんどん自分をつきつめて自分になって、そしてそれを表現していくと、その表現は神の言葉になる。 横尾忠則 (「癒しの森」田口ランディより)********************************☆★ 次回ワークショップのお知らせ ☆★ 新年の願いをこめて作る「セルフ・ボックス」作り 2009年1月17日(土)午後1時半より 詳しくはこちら☆★
January 9, 2009
お正月も終わり・・なのかもしれませんが、初詣の話題を。 下鴨神社に初詣に行ってきました。 1月4日に「蹴鞠(けまり)始め」という行事をやっていたので、それを見学がてら行きました。 天下泰平・五穀豊穣を願って、平安貴族の遊びを再現するという行事です。 屋台が結構出ていて、おいしそうでした。 蹴鞠始めの前の儀式なのか、蹴鞠をする人(鞠足と呼ばれるらしい)が並んでいました。 鳥居をくぐって、会場となる境内まで移動。 蹴鞠って、なかなか楽しそう。 落とさないように足で球を蹴り上げるのですが、球を落とすと、見学の人も「ああ」と言ったりして、なんだか、おかしかったです。(見物の人がたくさんで、見るのが大変でした。) この行事、神主さんの話から始まって、なかなか蹴鞠が始まらず、1時間半ぐらい立ちっぱなしで、ちょっとつらかったです。 でも、一度見てみたかったので、満足でした。 それ以上に、うれしかったのが、下鴨神社のお守りでした。 女性を守り願いを叶えるという、「媛守り」というこのお守り。 ひとつひとつ柄が違って、かわいいんです。 私のはこれ。 裏はこうなってます。 お守りの入っていた袋に、下鴨神社の葵の御紋について、説明がしてありました。『 昔は、「あふひ」と書き、「あふ」は「会う」、「ひ」は神様のお力を示す言葉であり、大きな力に巡りあうという意味を植物の「あふひ=葵」で示していると伝えています。』 このお守りを身につけていれば、大きな力に巡りあえるかな。 お守りといえば、2日の日には晴明神社に行って、こんなお守りを買いました。 縁結び、夫婦和合の意味があるそうです。 この日は、寒くて、みぞれみたいな、雨がぱらぱら降っていて、風邪っぽくなってしまいました。 初詣もなかなか大変です・・。 それでも、お正月の雰囲気を楽しんできました。******************************☆★ 次回ワークショップのお知らせ ☆★ 新年の願いをこめて作る「セルフ・ボックス」作り 2009年1月17日(土)午後1時半より 詳しくはこちら☆★
January 6, 2009
竹内まりやさんのベストアルバム「エクスプレッションズ」を聴いています。 好きな曲はたくさんあるのですが、「毎日がスペシャル」という曲がいいなあと思いました。 憂鬱なことがあっても、冴えない、平凡な日でも、本当は毎日が、かけがえのない特別な一日なんだ、と彼女は歌います。 「目覚めた朝 息をしているだけで 幸せなこと」 「何でもない一日が 実はすごく大切さ」 彼女の歌詞に、そうだなあと思いました。 クリスマス、大晦日、元旦。 特別な日も、終わってしまいましたが、毎日、毎日をスペシャルな日にしたいって、思いました。 そう思ったら、ただ外に出て歩けるだけで、うれしくって、走りだしてしまいました。 ヒヨドリがつんざくような声で鳴いているのも、なんだか、うれしかったです。 彼女の歌の中で、「ひとり」という歌もありますが、その歌の歌詞にも、いいなあと思いました。 「生まれる時ひとり 最後も またひとり だから生きているあいだだけは 小さなぬくもりや ふとした優しさを 求めずにはいられない」 ぬくもりや優しさ。 人との間の中で、そういうものを感じていたいです。 優しさをやりとりするような、そんなことが、たくさんある一年になるといいなあと思うのです。 竹内まりやさんの夫である、山下達郎さんは、まりやさんの音楽のテーマは、「人が生きていくことへの強い肯定」だと言っています。 まりやさん自身も「生きていくということは絶え間ない出来事の連なりだけれど、どんな年齢になっても、日々を味わいながら、愛に満ちた人生にしていきたいと心から思います。」とコメントしています。 いろんな出来事があります。 小さなことに引っかかったりしているのが実際の自分です。 だけど、今自分がこの地球に生きていることを楽しみたいって、思うのです。 自然の美しさを感じて、人との優しいやりとりをし、おいしいものを食べて、暖かいお風呂に入って、こんなふうに自分を表現したり・・。 まりやさんの最近の歌は、特に、一緒に生きてこう、自分の人生を慈しもう、そんなメッセージが感じられます。 みなさんの2009年も、スペシャルな、すてきな年でありますように☆ 毎日がスペシャル♪**************************************「楽しもうとかたく決心さえすればたいていいつでも楽しくできるのが、あたしのたちなんです。もちろん、かたく決心しなきゃだめよ。・・・」 「赤毛のアン」より****************************☆★ 次回ワークショップのお知らせ ☆★ 新年の願いをこめて作る「セルフ・ボックス」作り 2009年1月17日(土)午後1時半より 詳しくはこちら☆★
January 1, 2009
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