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映画「テラビシアにかける橋」を観ました。 胸が切なくなり、涙があふれました。 この物語は、ただの子どもの冒険ファンタジーではなく、 思うようにならない現実のなかでどう生きていくかという 大人にとっても大切なテーマを描いています。 主人公のジェフは、小学生の男の子。 両親がいつもお金の心配をしているという、貧しい家庭のなかで 息苦しさを感じています。 学校でもいじめられ、ジェフには、ほっとする場所が ありません。 唯一、絵を描くことだけが楽しみだったのです。 そこに、ある女の子の転校生がやってきます。 その女の子、レスリーと親しくなったジェフは、 学校から終わると、二人で森を冒険し、ツリーハウスを見つけ、 そこに自分たちの居場所を作り上げていくのです。 家庭や学校での、現実は変わりません。 けれど、学校が終わって、森へ駆け出す毎日の中で、 彼の目は輝き始めます。 いつしか、彼が変わったとことで、現実の方にも 変化が少しずつ起こってくるのですが・・・。 友情、人とつながることの大切さ、そして、現実の中で、 自分だけの楽園を作っていくこと、そういう時間を 作ることの大切さを思いました。 苦しいことがあっても、その苦しいことを考えることに残りの時間を 使うのではなく、一日のうちで、数時間でもいい、数十分でもいい、 自分の望むような状況や場面を思い浮かべたり、自分が輝く時間を もつことができたらいいだろうなあと思います。 映画の中でツリーハウスを見ていて思い出したのが、 ツリークライミング(木登り)を子ども達に教えている、 ジョン・ガスライトさんのことです。 ジョンさんは、子どもの頃、自分がツリークライミングを 始めた頃の話をしていました。 当時、彼の両親は、父親の家庭内暴力から離婚し、その後母親が 再婚したのですが、ジョンさんは、新しい父親とうまくいきませんでした。 また、学校ではいじめられ、友達もできません。 ある日、学校から泣きながら帰って、祖父に学校でのことを話します。 すると、彼の祖父は、彼と一緒に丘の上の大木に連れて行ってくれました。 そして、一緒に木に登ったのです。 木の上からの広大な景色を見ながら、彼の祖父はこう言います。 「周りを見てごらん。視点を変えれば問題も変化する。 学校は大切だが、すべてじゃない」 「自分がおもしろいと思うことをやることだ。 そうすれば、友達は寄ってくるよ」 その後、彼は、木の上にツリーハウスを作り始めます。 すると、彼をいじめていた子が、ツリーハウスに興味を持ち、 そのことから、その子と親しくなっていったのです。 環境がどうであれ、そのなかで、人生を楽しむということは、 できるんじゃないかと思いました。 こうなったらいいなあという、楽しい空想をするだけでも楽しめる。 楽しかった思い出の写真を見るだけでも楽しめる。 映画の中で、大人が「現実を見ろ」と子どもを怒る場面がありますが、 そんな大人こそ、小学生の子ども達の豊かな内的世界から、学ぶべき ことがあるような気がするのです。 内的世界と現実の世界とに、いつか橋が架かる瞬間があるかも知れない、 そう思いながら生きていた方が、楽しいんじゃないかと思うのです。 ****************************************たとえ、忙しく、時間に追われる生活をしている人でも、よく生きるための極意がある。それは「空想」という武器を使うことだ。これを今様には、「脳内リゾート」と言うらしい。画家であり、作家の赤瀬川源平さんの言葉なのだが、頭の中に、ポンと自分をリラックスさせる場所を作ってそこで自分を遊ばせることによって、自分で新しい価値を生み出すという意味なんだとか。 「モタ先生の人生モタモタ」斉藤茂太著より *******************************次回3月1日のワークショップのお知らせです♪セルフケア講座~自分のこころをケアするためのアートセラピーを体験してみませんか?~詳しくはこちら☆
January 30, 2008
以前、徳永英明さんが、女性シンガーのカバーアルバムで新境地を開くまでについての軌跡についての番組を見ました。 徳永さんがなぜ、カバーアルバムを作ろうと思ったのか、このアルバムがなぜ多くの人に受け入れられたのか。 その物語には、人が自分の才能を周りと分かち合っていくことについてのヒントがあるような気がしました。 徳永英明さんは、中学二年生のある日、「お前は歌手になるんだよ」という不思議な声を聞きます。 徳永さんはその声に導かれるようにして、音楽の道へと進みます。 シンガーソングライターとしてデビューした徳永さんは、「輝きながら」で大ヒット、「壊れかけのRadio」で絶頂期を迎えます。 暗い面も含めた自分らしい歌を歌いたいと思う徳永さんと、売れる歌を作りたいスタッフとの間の軋轢から、徳永さんは、独立し、事務所を作ります。 その後もアルバムはミリオンセラーと、順調でしたが、次第に事務所の経営がストレスとなっていたこともあり、徳永さんは、音楽を続けていくことの意味を見つけられなくなっていくことに気づきます。 そんな時、脳の血管の病気である、「もやもや病」にかかります。 命に関わる難病でした。 歌手活動は休止、一年半にわたって療養生活を送ることになったのです。 その後、歌手活動を再開したとき、徳永さんには、今までとは別の感情が湧いてきます。 「たくさんの人に聴いてもらいたいという願望があって、昔は、 歌うことで『徳永はそう思っているんだ』って、『いいね』って、 誉めてもらいたい気持ちがあったかも分からないけど、今は、 僕が歌う言葉、歌うメロディーがその人達のプラスアルファーの 命になってくれたらいいなって思ってますし」 「今、自分の声をもっと多くの人に聴いてもらうには何がいいんだろうと 思ったときに、カバーをしようと思ったんですよね」 徳永さんは、自分も口ずさんだ名曲のカバーに挑戦します。 いっぽうで、徳永さんは、シンガーソングライターとしての自分が、カバーをすることに、複雑な思いもあったといいます。 実際、自分が作った曲ではない、「輝きながら」がヒットしたときのことをこう語っています。 「シンガーソングライターをしてやってきましたから、 素直に喜べなかったですよね。」 けれど、病気の体験が、徳永さんを変えたのです。 「病気をする前までは、我がために歌っていたのが、今は、より多くの人たちに 聴いてもらいたいっていう、自分が歌うことで、もっといろんな人たちが 元気になってくれたらいいなと思いますね。」 そして、病気の療養生活で変わったこととして、次のことも語られました。 「手放せるようになった。」 「今まで、自分が事務所やって経営もやってたけど、 自分がすべてマネージメントしていた部分があったけど、 もっとマネージャーを信じたりとか、社長を信じたりとか、 ファンクラブの人を信じたりとか、全部を信じて、自分は歌を 歌うことだけに専念できるように、自分でしていったね。」 「自分を信じられないから、人を信じれないんだと思うのね。 自分を信じれるようになったから、人をすごく信じれるように なったんじゃないかな。 それがすべて手放せるようになったことじゃないかな。」 私は、自分のために歌うというのも大切なことだと思います。 私自身、自分の体験したことや思っていることを伝えたいというところから始まりました。 それが人が聞きたいことじゃないかも知れないけれど、自分ならそのことを知りたかった(知りたい)と思うことを発信していきたいと思って、文章を書いたり、話をしたりし始めたのです。 私も、徳永さんの若い頃と同じように、「こう思ってるんだ」と人から分かってもらったり、誉められたいという気持ちがあります。 私には、「私が、私が」という煩悩というのか、我が強いという部分があると思います。 表現するということは、最初はそこから始まっても、いずれは、それを手放し、自分に与えられたギフト(才能)を、それを必要としている人に使ってもらうというスタンスが必要だと思います。 そうすることで、そのギフトは、その人の力を越えたなにか、大きな力が働くような気がするのです。 徳永さんのあの透明感のある声はどこから来るのか。 徳永さんに「歌手になるんだよ」とささやきかけたのが、神さまだとしたら、神さまは、徳永さんがいろんな経験を積むのを待っていたのかも知れません。 喜びや苦しみ、悲しみや希望を経験し、その上で、すべてを手放した彼を通り道として、自分の愛や、やさしさに包まれたエネルギーを、より多くの人に届けることができるからです。 徳永さんは言います。 人の歌を歌い始めてから、自分で作った、自分の思いをのせた自分のオリジナルの曲を今までで一番大切に歌うようになった、と。 自分のため、人のため、本当は、別々のものではなく、一つなのかも知れません。*************************************** 自分を信じれるようになったから、人をすごく信じられるように なったんじゃないかな。 それがすべて手放せるようになったことじゃないかな。 徳永英明(歌手) 徳永さんのレイニーブルーはこちら *********************************************************次回3月1日のワークショップのお知らせです♪詳しくはこちら☆
January 24, 2008
今日の朝、夫の出勤前に、夫とある事柄に関して言い合いになってしまいました。 夫が、あることを私に頼んで、私がそのことに関して、そのことをやる意味が分からないということで話しているうちに、お互い強く言う感じなりました。 結局、夫が直接やることになったのですが、あとになって考えているうちに、私が最初から「できない」「私にはやれない」と言えればよかったことに気づきました。 「できない」と言えないから、相手に「何でこんなこと頼むんだろう、自分でやればすぐできるのに」と不満に思ってしまいます。 もしくは、出来ない自分に「自分が悪いのか」と思ってしまいます。 相手には、頼む権利があるし、私にも、できないことや、やりたくないことを断る権利があるのです。 人はできることもあれば、できないこともあります。 できない自分を認めないとき、やりたくないことを断れないとき、人は、自己評価が下がっていき、自分や人への不満がたまっていきます。 燃えつきの始まりです。 燃えつきは、職場だけではなく、家庭の主婦や子どもにも起こってきます。 人がこうした態度を身につけるのは、自分の親の態度からです。 子どもは、親自身ができないことがあったときの態度を見ているのです。 たとえば、子どもがお父さんに、何かをしてほしいと言ったとします。 お父さんは、そのことが苦手で、できないとき、お父さんは、子どもになんと答えるでしょうか。 「ごめん、普通のお父さんなら出来るかも知れないけど、 お父さんこれはできないんだ。 お父さんはできないことがたくさんあるけど、 こうやっていままで生きて来れた。 お前も、いくらやろうとしてもできないことがあるだろうけど、 心配ない。できないことは人に助けてもらえばいい。 できないと言っていいんだ。」 そんなふうに言うお父さんは少ないでしょう。 今度は、子どもが何かをやっても、どうしてもできないとき、つまづいて立ち止まっているとき、母親はなんと言うでしょうか。 「どうしてもできないことは、できなくていい。 それよりも、自分にできることを探してごらん。 どんなちいさなことでもいい。必ずあるはずよ。 ほら、~もそうだし、~もそう。すごいなって思ってるよ。 できなきゃいけないことなんて、一つもないんだよ」 そんなふうに言うお母さんはあまりいないんじゃないでしょうか。 本当はそう言いたくても、母親として、もっと厳しくして乗り越える力を身につけさせなければという、役割のなかで、無理に励ましているのかもしれません。 私自身は、中・高生の頃、勉強の面では、できないということを認めてもらえませんでした。 教科によって成績にばらつきのあった私は、「なぜできないんだ」とできない教科について、できる教科と同じような成績を取ることを期待されました。 努力していないわけではありませんでしたが、なにせ、「いくらやってもできないことがある」ということを、当時、親も私も知りませんから、お互い苦しかったです。 努力すればできる、結果は出ると、そういう価値観で育ってきました。 成績が上がらない私は、だんだん、元気がなくなってきました。 けれども、親も、子どもに期待してますから、期待を裏切られたことで親自身が、傷ついたり、がっかりしています。 親は、子どもが、つまづかないように、失敗しないように、つらい思いをしないように、一生懸命育ててきたのですから、自分の努力が無になったようで、つらいのです。 それで、子どもが苦しんでいることに気づかず、自分の苦しみを子どもにぶつけてしまうのです。 「なんでもっと頑張れないんだ、やればできるのに・・・」と。 自分の弱さを認めないで、戦後、頑張って頑張って生きてきた世代ですから、当時、子どもの弱さや不完全さを認められなかったのです。 強く励ましたり、叱ったりすることで、「こんちくしょー」と頑張る子もいるでしょうが、私はそういうタイプではありませんでした。 私は、大人になってからも、親の価値観をとりこみ、今度は、できないことがあると、自分で自分を叱りつけるようになっていきました。 できないことがあるんだ、と思い知るまで、私は「できない」自分を、そして、失敗をする自分を認めたくありませんでした。 今では、できないことを努力してできるようにするより、できることを生かしていく方が大切だということや、失敗こそが成功へのプロセスなのだと思うようになりましたが、まだ、残骸が残っているのです。 今でも、ときに、できないと言えずに、相手に不満を感じてしまうことがあるのです。 けれども、そんな自分さえ、責めないで、今度は、大人になった自分が、自分の親になってあげればいいのです。 今は、自分で自分にかけてほしい言葉をかけてあげればいいのです。 「前は、腹が立っていることさえ気づかなかった。 今は、早く気づくし、なぜイライラするのか、その理由も すぐに分かるようになってきたね。 成長してきたね」と。 さきほど、西村衆院議員が、息子さんが自死されたことについて、テレビで語られていました。 落ち込んでいるときに、「がんばれ」と励ましていたことを悔いていらっしゃいました。うつは病気である、と。 息子さんは、生前、死後は臓器提供としてほしいと母親に話されており、角膜や臓器が、四人の方の体で生き続けているとのことです。 息子さんは、とても、やさしい方だったのだろうと思います。 新しい会社に入ったばかりだったそうですが、「できないことは、できなくてもいい。自分の良さを生かせるような場所が必ずある」「できないことがあっても、自分の価値に変わりはない」ということを知っていたら、と思います。 西村議員は、多くの人が、子どもの自死を隠して生きていることを知り、自分が公表することが使命だと語られています。 勇気がいることであるし、素晴らしいことだと思います。 息子にかけてあげたい言葉は、「ありがとう」だと言います。 感謝している、と。 なぜ、このように愛情ある親子が悲しい思いをしなければいけないのかと胸が痛みました。 ある外国人が、日本の社会は、失敗が許されない風潮があると話されていました。 期待された役割を果たさないと、批判される、と。 親子の問題ではないのです。 社会の問題のように思います。 人は後悔します。こうすればよかった、と。 でも、そのときは知らなかったのです。 もし、知っていれば、していたはずです。 今の一瞬一瞬、自分が知っている範囲で、精一杯の自分で生きているのです。 だれも悪くないし、だれも責められるべき人はいない。 失敗から学ぶことは多いのです。 だから、人が失敗したことを(私もそうですが)、こうして失敗した、と語っていくことって大事なんじゃないかと思っています。 私の書いていることが物事の一面に過ぎないと思います。 偏っているとも思います。 ただ、私の知っている知識、経験を総動員して、100%の自分で書いています。*********************************************自分が何もしたくないほどの暗い気持ちになっているとしたら、それは失敗したからではありません。自分がその失敗をしたという事実を認めていないからです。「ミスを認める」、その行為が非常に大切なのです。つまり、失敗してしまった自分を肯定するところからメンタルトレーニングが始まると言っても過言ではありません。 「うつから脱出するこころのトレーニング」岡本正善著より***********************************************次回3月1日のワークショップのお知らせです♪詳しくはこちら☆ 昨日、参加のお申し込みがありました。どんな会になるのか、楽しみです☆
January 23, 2008
星野道夫さんの「旅をする木」を読んでいます。 私が最も憧れる人の一人が、星野道夫さんです。 もし、いまも生きておられたなら、一度でいいから、お話を聞いてみたかったです。 星野さんは、アラスカで自然や人の暮らしの写真を撮り続け、1996年、43歳でヒグマに襲われ亡くなられました。 写真も素晴らしいですが、私は星野さんのエッセイが好きです。 この本「旅をする木」は写真は載せられてなくて、文章だけなのですが、自分まで旅をしているかのような気分にさせられます。 この本の中で、星野さんは、カリブーの出産に出くわしたときのことを書いています。 カリブーの赤ちゃんが、凍りついた大地の上に生みみ落とされる場面を見、その数日後には、オオカミかクマに襲われたであろう、仔カリブーの死骸を見つけるという体験の中で、生と死を強く感じるのです。 そして、マイナス50度のフェアバンクスで冬越えする、ちいさな小鳥、ベニヒワの命にも、感動を覚えます。 「カリブーの仔どもが寒風吹きすさぶ雪原で生み落とされるのも、一羽のベニヒワがマイナス50度の寒気の中でさえずるのも、そこに生命に持つ強さを感じます。 けれども、自然にはいつも、強さの裏に脆さを秘めています。 そして僕が魅かれるのは、自然や命の持つその脆さの方です。 日々生きているということは、あたりまえのことではなくて、実は奇跡的なことのような気がします。 つきつめてゆけば、今自分の心臓が、ドク、ドクと動いていることさえそうです。人がこの世に生まれてくることにしてもまた同じです。」 そして、神話学者ジョセフ・キャンベルという人の言葉が引用されていたのですが、これも心に残りました。 その一部を紹介します。 「私たちには、時間という壁が消えて奇跡が現れる神聖な場所が 必要だ。 今朝の新聞に何が載っていたか、友達はだれなのか、 だれに借りがあり、だれに貸しがあるのか、そんなことをいっさい 忘れるような空間、ないしは一日のうちのひとときがなくてはならない。 本来の自分、自分の将来の姿を純粋に経験し、引き出すことの できる場所だ。」 私が外国へ行きたいと思うのは、まさに、このことを求めているのだと思っています。 日常の雑事や、過去のこと、将来への不安、テレビや新聞のニュース、パソコンでの情報収集、自分が培ってきた経験や価値観、そういうことからまったく離れる時間をもちたいのだと思います。 他の人にとっては、それは、何か趣味やスポーツに没頭する時間かも知れないし、なにか別の形かも知れないけれど、私には、旅です。 星野さんの本を読みながら、旅について思い出していました。 アリゾナで、過去の未来もなく、いまここの感覚しか感じられなくなり、神経が研ぎすまされて立ちすくんだときのこと。 また、旅で出会った人のこと。 アメリカのエサレン研究所では、温泉の湯船で、見知らぬアメリカ人の女性と、お互いなぜこのエサレンという場所へ導かれたかを話しました。 その方は、学校の校長先生だった方で、仕事で突っ走ってきたので、少し休んでこれからの人生について考えているということでした。 外国でも、自分と似たような状況の人に会うのです。 また、食事で同じテーブルになった、サンフランシスコに住む白髪のおじいさんとは、京都に行ったことがあるという話をし、桂離宮が一番すばらしかった(私は行ったことがないのに)という話を聞いたりしました。 見知らぬ場所で、見たこともない風景に出会い、二度と会うことのない人と話をする不思議。 自分の生きる場所や時間は日本にありながら、そこから、外れることで、また、今いる場所が新鮮に見えてくることのあります。 自分が当たり前だと思っていたことが、「あれ?」と違和感を感じたり。 日常の中から、新しいすばらしいものを発見が出来たり。 私にとって、本を読むことも、映画を見ることも、同じです。 美術展、写真展へ行くこと、講演やワークショップへ行くことも。 こころを広げてくれるのです。 そうしたことにお金を使っても、あとには形は残りませんが、その世界に身をおいたことが、忘れていたように思っても、こころが静かになったとき、ふっと、浮かび上がってくるのです。 新聞や雑誌を読んだり、テレビを見ていたり、同じような人としゃべり、同じような日常を日々こなしていると、そこで自分の価値観が固まってきます。 固まりすぎて、私は、うつという病気になったのだと思いますが、うつがその自分を揺さぶってくれて、そして、海外への旅が、私を変えてくれました。 情報や日常から離れることで、生きていることの不思議さ、地球という不思議、他の動物たちの不思議、その動物や植物とそこに一緒にいるという不思議、自分や自分の考えの小ささ、いろんなことに気づきます。 目の前の悩みやこうなりたい、あれがほしいという欲など、騒がしかったこころが静かになってきます。 星野さんの写真やエッセイは、海外旅行へ行ったときと同じ感覚を呼び起こしてくれます。 日常の中で、奇跡を見つけることができるなら、自分と世界との調和を見いだせるなら、旅は必要ないのかもしれません。 昨日、スーパーで買い物をして帰ろうとしたら、自転車置き場で、卵を落としてしまいました。 「最悪だ~」と卵を拾おうとした瞬間、近くにいた定員さんが、さっと来てくれて、卵を拾ってくれて新しい卵を持ってきてくれました。 ありがとう、本当に助かりました、と普段は顔もしっかり見ない、店員さんの顔を見て、声をかけたとき、なにかつながりを感じました。 人の優しさやラッキーなこと、自分が生きている奇跡に目を向けたとき、やはり、世界は美しいものに変わっていくのかも知れません。 2月に、神戸で星野さんの写真展があるので、楽しみです。 興味のある方は、足を運んでみられてはいかがですか? 詳しくはこちら♪********************************************もし僕が若い世代にメッセージを送れるとしたなら、生と死の感覚というか、自分の一生はすごく短いものなんだということをできるだけ若いうちに実感してほしい、ということになるかもしれません。・・・・僕が自然に対する興味っているのは、最終的には人間に対する興味だと思うんです。もっと突き詰めてしまうと、自分が生きていることに対する興味なのかも知れません。 星野道夫 ***************************************次回3月1日のワークショップのお知らせです♪詳しくはこちら☆
January 22, 2008
徳永英明さんのアルバム「VOCALIST 2」を買いました。 なつかしい曲のカバーアルバムで、楽しんで聞いています。 好きな曲はいくつもあるんですが、オリジナルは知らなかったのにどうしても耳から離れない曲が「かもめはかもめ」です。 中島みゆきさんが作った曲で、研ナオコさんが歌ってヒットしたそうです。 かもめはかもめ 孔雀や鳩や ましては女にはなれない・・・ あなたの望む 素直な女には はじめからなれない・・・ かもめはかもめ 一人で空をゆくのが お似合い・・・ 好きな人と一緒になれなかった、さびしい歌なんですが、私には、かもめが風を切ってさっそうと大空を飛んでいく情景が浮かびます。 どんなに望んでも、手に入らないものがあり、自分は自分でしかいられない。 そんな悲しみを尽きぬけたさきに、「かもめ」でしか得られない幸せが待っているような、そんな気がします。 この歌をカラオケで歌ってみたいと思いました。 徳永さんの「かもめはかもめ」はこちら。***********************************次回ワークショップは、3月1日(土)、ウィングス京都で午後1時15分から行います。内容は、スクラップ・ブッキング・セラピー(アートセラピー)の手法を用いたものです。バインダーに、ライフマップ(人生地図)や、子どものころの自分の写真や絵を描いたり、コラージュを作ったりした用紙をとじていき、自分のバインダーを作っていきます。自分が体験して、すごくおもしろかったので、ワークショップでこのやり方を用いて、表現をしていきたいと思います。詳しい内容は、改めて、お伝えします。
January 17, 2008
『「今のままで生きていけばいいじゃないか。 人が何を言おうが自分はそれでいいんだ、 生きてりゃいいじゃないですか」 と自分で自分に思い聞かせたら、その瞬間に笑顔が戻ってきますよ。』 樋口強さんの「いのちの落語」という本を読んでいたら、こんな言葉が目に入りました。 あけましておめでとうございます。 年が明けて、どんな年にしようかな~と考えていたら、ちょっとしたトラブルがあり、ばたばたしてました。気づいたら、もう8日ですね。 何となくすっきりしなかったんですが、この本を読んでいたら、「何でもいいや、生きてれば」と楽観的な気分が戻ってきました。 樋口強さんは、42歳の働き盛りの時に、肺がんと診断されます。 肺がんの中でも悪性の、小細胞がんのため、3年生存率は5パーセント、5年生存率は数字がないとまで言われます。 しかし、樋口さんは、抗がん剤治療、長期の入院生活、自宅でのリハビリを経て、術後5年を乗り切るのです。 樋口さんは、5年目を記念して、それ以後一年に一回、学生時代から続けてきた落語の独演会をするようになります。 病気を得て、樋口さんの人生観は変わります。 彼は、退院後の人生を、二つめのいのちだと言います。 『退院後の私の判断基準というのは、「これは命に関係あるのか」と いうことでした。 それによってすべての課題が整理されるのです。 普通の人から見たら大変なことでも、「そんなのいのちに直接関係ない」と 割り切ることができました。』『私はあんまり難しいことをしたいと思っていないんですよ。 海外旅行へ行きたいとかいう希望もありませんしね。 私がいま一番したいこと、しててうれしいと思うこと、感謝でいっぱいだと 思うことはね、普通のことが普通にできるっていうことなんですね。 これが一番うれしいんですよ。』 樋口さんは、長期の入院中、「ひょっとしたら、この病室から出ることができないかもしれない」と思っていたころ、病院の窓から、外を見ました。 人が歩いています。電車が走っています。 樋口さんは、窓から外を見ながら、「パジャマでなくて服を着て歩きたい」、「ああ、あの電車に乗りたいなあ」と、切ないぐらい強く思ったそうです。 そして、退院の日を迎えます。 道を歩くことがうれしくてたまらない、喫茶店で飲むコーヒーがおいしい、そして、電車にのると、窓から自分のいた病室が見えます。 樋口さんは、普通のことが普通にできることの喜びを感じるのです。 しかし、退院後、抗がん剤の副作用で手足がしびれて、歩けなくなり、手で何も持てなくなってしまいます。 必死のリハビリで、歩けるようになり、手でものが持てるようになったものの、しびれはなくなりません。手足の感覚がないのです。 けれど、無理してリハビリすると、手足が動かなくなります。 『「よし、治してやろう」というふうに思って、そして一生懸命に 治す努力していたときってつらかったですね。』 『けど、あるときにね、失ったものはもう戻ってこないんだと。 それががんという病気なんだということに、ふと気づいたんですね。』 テレビのドキュメンタリー番組でも、樋口さんは、次のようなことを話されていました。 治そう治そうと努力しているとき、確かに、その努力は美しいかもしれない。 でも、その努力のためにもっと大事なものを見落としているのではないか。 しびれ自体が治らなくても、その状態で 普通のことができるようになって一人で歩けるようになった。 それでいいんじゃないか、と。 樋口さんは、しびれがあるから、無理をしないように体と見張ってくれる、しびれがあるから、再発の不安を感じないで済む、しびれは、神様からのプレゼントなんだと考えるようになるのです。 そして、樋口さんは、『私の人生の師匠は、今、猫なんです』と言います。 頼まれごとを何でも引き受けず、駄目なときは駄目と言う、猫のように断る勇気を持とう、と。 『うちに猫がいてるんですよね。この猫というのはすごいやつですよ。 とにかくね、断る勇気というのをものすごい持ってます。 見てましてね、自分のほしいご飯が出てくるまでわめいてますよ。 でね、うちのかみさんが、「いや、そんなこと言ったってね、 それないんだから、こっちのご飯食べなさいよ」って、別のものを 渡したって、いらない、フン、といいますよね。 出てくるまでわめいてますよ。ほんとに猫またぎってやりますね。 上またいでいきますよ。それから、フン、と横見ますね。 あれはほんと、冷たい態度をとります。 ・・・明日から路頭に迷うかも知れないなんていうことをまず考えません。』 『猫のやってる通りやってりゃ間違いないと。いやなことはいやっ。 眠たいときは寝ると。誰がなんと言おうがそうすると。』 猫が師匠。 今年はねずみ年ですが、今年は、猫のように生きてみようかと思いました。 今年は、あれもしよう、これもできるようになりたい、そのためにはこれをしなければ、そんな気負い、猫に言ったら、きっと笑われてしまいますね。 自分が思うようにならず困っている、そのことこそが、神様からのプレゼントだということに気づいたとき、「生きていればいい」とそう自分に言えたとき、人生の苦しみは少しだけ小さくなるように思います。 **************************************************** 「今のままで生きていけばいいじゃないか。 人が何を言おうが自分はそれでいいんだ、 生きてりゃいいじゃないですか」 と自分で自分に思い聞かせたら、その瞬間に笑顔が戻ってきますよ。 「いのちの落語」 樋口強 著より
January 8, 2008
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