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このブログでも何回か書いたことがあるが、伯母の一人に、未婚で最後は特養に入居して、そして亡くなった伯母いた。彼女が飼っていた猫は私が預かり、その後20歳まで生きた。 この伯母は、ある意味私の反面教師となった人だ。一人で生きることの虚しさや孤独をこの伯母から学んだ。もちろん、一人で生きている女性の中には、充実して幸せに暮らしている人もいると思うが、伯母はそうではなかった。 最後は痴呆の症状がひどくなり、私のことはもちろん、自分の妹である私の母にこともよくわからなくなった。 その伯母が特養に入居する前、痴呆の症状がひどくなり始めた時に私に、「私がどんどん壊れていくの」と、抑えきれない不安を訴えたことがあった。ずっと忘れられない、たぶん今後も忘れることのできない言葉だと思う。 人は、正常から異常へ、一足飛びに変化するのではない。徐々に自分の体が蝕まれていくその過程を、痴呆症状を患う人々も他の病気の人たちと同じように経験するのだ。その不安は想像を絶するものがある。 人はいつまでも若く健康ではなく、誰にでも老いは訪れる。こんな当たり前のことも伯母は私に教えてくれた。
2021.06.10
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2018年4月頃から、母を病院に連れて行くべく、ケアマネさんと一緒に父を説得し続けた。するとケアマネさんが、父が行きつけの町医者ならば母を連れて行っていいと父の承諾を取り付けてくれた。とにかく何をするにも認知症という診断がなければ始まらない。町医者は専門医ではないけれど、小さな一歩でも前進は前進に違いない。 そんなわずかな光明の見えた矢先2018年の5月初旬に、荒れ果てた実家の掃除を友人のYさんが手伝ってくれることになり、掃除道具を持参して二人で実家を訪れた。 しかしこの日、父の様子が変だった。顔色が悪く呂律も回っていない。そんな状態なのに今から床屋に行くという。父は脳梗塞と脳出血を起こしたことがあるので、私はものすごく不安になり、状況の推移を理解できない父をさっさと車に乗せて、そのまま病院へ。病院に着くと床屋に行くつもりだった父は受付で怒り出したが、その場で急に気分が悪くなって座りこんでしまった。そして病院のスタッフに車椅子に乗せてもらい救急室へ。 検査の結果は、胃潰瘍による出血と肺炎だった。こうして父はそのまま入院となった。 今思えば、この日は運命の分かれ道だったと思う。私が実家に行かなかったら父は街中で倒れていた可能性が高いし、さらに友人と車できていなければ、頑固な父を病院に連れて行くことは難しかっただろう。 母を病院に連れて行く行かないで、父と長くバトルを繰り広げていたが、その闘いは、父の予期せぬ入院で呆気なく終了となったのだ。そして実は、この日を最後に父が自宅に帰ることは永遠になくなった。 自分自身が脳出血の後遺症で生活がままならなくなっていた父にとって、母の病気は日常生活の破綻を意味する。だから父はあれほど頑なに母の異変を認めたがらなかったし、病院に連れて行くことも拒絶し続けた。しかしケアマネさんという第三者が現れたことで、外堀が少しずつ埋められ、病院に連れて行くことを了承せざるを得なくなってしまった。逃げ場を失った父は、体調を崩してしまったのだ。当時は私も必死で父を責め立てていたが、今なら追い詰められていたであろう父の思いを少しは理解できる。 父も辛かったのだ。
2021.06.10
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両親の住むマンションの管理人さんから連絡があり、同じマンションに住む方々が、両親について相談する機会を持ちたいとのこと。娘さんにも同席して欲しいと言われた。 その席で、それまで両親が皆さんにかなり迷惑をかけていた経緯が明かされた。 話をうかがい、正直、本当にびっくりしてしまった。 父は、母がいなくなったと住人に訴え、皆さんで母を探しに近隣のスーパーに探しに行ってくれたことは複数回。車道の真ん中を歩く母を見かけて、車で母を保護してくださった人もいたとのこと。ケアマネさんも、今時こんなに親切な方々が住むマンションは珍しいと驚かれていた。両親には私という娘や弟もいるのに、本当に申し訳ないことばかりだ。 住人の中にはご両親の認知症で対応された方もいて、落ち込む私に、皆が通る道だと慰めてくださった。涙が溢れてきた。 この時期から、母はどこかに出かける度に、迷って長時間帰ってこられないことが増えて行った。その度に父が私に連絡をしてきて、実家に行く。その繰り返しだ。 保育専門学校を卒業している母は、同窓生たちと年に何回か会っていた。その日も東京まで同窓生に会いに行ったのだが、待ち合わせ場所に母が来ないと実家に連絡があったという。出社していた私は、早退して実家に向かった。11時ごろ出かけて行ったのに、私が到着した時も母は帰宅しておらず、電話もないと父。夜になり、会うはずだった友人から電話があった。その日、母の友人と初めて話した。そのかたもとても心配してくれていた。友人曰く、2017年年末にも母と会う約束をしたが、かなり遅れて母は約束の店に現れたとのこと。しかし謝るでもなく、席に着いた途端、ずっと話し続け、食事に箸もあまりつけなかったという。背中とかなり丸くなり、身につけていた洋服もチグハグで、様子が今までと違ったと心配されていた。 母はおかしい。この時思い知った。 一旦電話を切ったところで、父が、警察に電話?何で?とおかしな質問をする。お母さんがいなくなったからでしょう?言うと、何言ってるんだ、お母さんはいるだろうと父。おかしな状況が10分程度続いたが、すぐに正気を取り戻し、記憶が混濁していたことも覚えていない様子だった。 思えば、これが父がおかしな言動を始めたいちばん最初だった。 その後警察から電話があり、母の写真を持って警察署に来て欲しい言われた。 急いで実家を飛び出したところ、母が帰ってきた。何やってたの?!と思わず怒鳴ってしまったのだが、母はまた飄々として、ワケのわからない言い訳をする。 この事件を経て、ケアマネさんとも連携し、母を病院に連れて行く必要があることを父に猛烈にアピール。父の声はどんどん小さくなっていった。 ここまで読んでくださった方は、こんな父など無視してお母さんを病院に連れて行けばいいと思われるかもしれないが、私の実家は強くて賢い父が支配する絶対君主制国家のようなところなのだ。跳ね返りな私は、そんな父に反抗して育ってきた問題児だった。とはいえ、それでも父が絶対というその法律を無視するということはできなかった。それは習い性になっていたのだと思う。
2021.06.10
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2018年年明け、自宅近くの喫茶店でケアマネさんと面談。母を病院に連れて行くことが急務と言う話。その障害となっている父の存在。担当のケアマネさんに率直に実情を話すことで、混乱した頭の名を整理することができ、「娘さんが私に連絡してくれたことが大きな一歩ですから。ここから始めましょう」という言葉に救われた。文章にすると冷静に対処しているようだが、そもそも母親が認知症になるなんて初体験なわけで、その時の私は混乱していたし、何をどうしたらいいのかよくわからなかったが、ケアマネさんに話すことでとりあえずの目標が定まり、落ち着くことができた。ケアマネさんオススメの脳神経科の評判の良い病院は、予約一ヶ月待ち。とりあえず予約はして、あとは父を説得するだけ。しかし、これが最大の難関だった。忙しい仕事をしながら父の説得を試みたが上手く進まない。一方で病院を予約した日は確実に近づいてくる。私では父を説得出来なかったので、主人にトライしてもらったりもしたが、玉砕。父は弁の立つ人なのだ。そしてある日、父と大げんかしてしまった。もういい!そんなに言うことを聞かないなら、勝手にやればいい!その代わり、私を頼らないでよ!と捨て台詞を残して、実家を飛び出した。これが2月初旬。病院の予約は流すしかなかった。それからは、父から電話は全てシカトを決め込んだ。そもそも好きで病院なんかに母を連れて行きたいのではない。しかも私は仕事も忙しい。もう知ったこっちゃない!と言うのが本音。両親のことは無視して、ひたすら仕事に逃げ込んだ。2月下旬。その日も父からの電話を無視して、Yさんと仕事終わりに東京・神田の居酒屋で飲んでいた。父からの電話のあと、電話帳に載っていない番号から着信があった。初めは無視していたが、留守番電話に残されたメッセージを確認すると、なんと、両親の住むマンションの上階の住人からの電話であった。お母様が買い物に出かけたあと、帰らないとのことで、お父様が心配して我が家にいらっしゃいました。警察に届けて探してもらうことにしました。その後、お父様がマンションの階段にお母様を探しに出られた時、階段から落ちそうになったようで、助けてください〜!と声をあげられたので、かけつけました、とのこと。警官が実家を訪問しているまさにその時、母は無事に戻ってきたらしい。悪ぶれたり様子もなく、買い物に行ってただけよと、飄々としていたとのこと。この出来事を機に、母の症状は加速度的に悪化していくのだった。。。
2019.02.08
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昨年初秋、両親が立て続けに老人ホームに入居した。二人ともアルツハイマーを発症し、母は要介護度3、父は要介護度2と認定されている。父については、アルツハイマーのほか脳出血の後遺症もあり、左半身が不自由。 まず、2015年頃に、少しだけ母に違和感を持ち始めた。しかし私は仕事が忙しく、問題を先送りをしてしまった。しかしこれも後付けで思ったことで、当時は先送りしているという自覚さえなかった。 初めの違和感は「冷蔵庫」だった。母は冷蔵庫の整理が徐々にできなくなっていた。何度注意しても、何度掃除しても、すぐに物で溢れて汚くなる冷蔵庫。しかし当時は、見た目も話すこともきちんとしていたので、母も高齢となり整理整頓がキツくなってきたんだろうぐらいに思っていた。 そのうち、汚れは冷蔵庫だけでなくキッチンを侵食し始め、果ては家中に広がっていった。2016年はそんな状態だった。しかし私の仕事はますます忙しくなり、実家に行く回数はさらに減ってしまっていた。 2017年頃から、父から頻繁に電話がくるようになった。 「買い物に行ったきり、お母さんが帰ってこない」 初めは、身体の不自由な父が母への依存を増しているだけかと思ったが、それは私の勘違いだった。後でわかったことだが、母は買い物に出ると迷ってしまって、直ぐに家に帰ってこられなくなってしまっていたのだ。しかもこの頃の自宅の汚れは凄まじく、たくさんのハエが部屋中を飛び回るようになっていた。 2017年、この頃になると母は間違いなく認知症だと思うようになっていた。 まず、病院に連れて行かなければ話は始まらない。父は身体が不自由なので、家事は全て母がやっていた。その母が認知症だとすると、生活そのものを根本的に見直す必要がある。しかし母を神経内科に連れて行きたいと父に話すと、お母さんはおかしくない!の一点張り。身体の不自由な父は、母の異変を受け止めることができないようだった。 様々なことに精通しているYさんという友人がいる。彼女は出版社を経営しており、20代の頃から親しくしている。私が結婚する前は、うちの実家にもよく遊びに来ていたので、両親とも仲が良かった。そんな事情もあり彼女に相談したところ、「まず、ケアマネさんに相談すべき」と助言してもらった。脳出血の後遺症のため、当時から要介護1に認定されていた父は、地元の介護事務所を利用していた。その事務所に連絡して、担当のケアマネージャーさんと会う約束を とりつけた。 2018年新年早々のことだった。 つづく
2019.01.26
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さて、実はしばらくフリーライターをやめて、とある雑誌で専属編集者として働いておりました。2013年8月頃からです。この度、紆余曲折あり、専属を離れてフリーライターに戻ることになりました。 また一からがんばります! 「紆余曲折」については、おいおい書いていこうと思います。
2019.01.25
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とても久しぶりにブログを更新しています。ここ数年、いろいろなことがありました。未だに起こったことを消化し切れていないように思います。今も迷い続けています。でも一つ、はっきりしたことがあります。私が選択してきたことを全て否定はしないということ。間違った選択をしたこともあったと思うけれど、それでもそれを否定しない。間違った選択だったとしても、そこから未来がつながっていると思うから。選択したきた現在を肯定して、その先を歩み続けよう。精一杯今を生きよう。それだけだ。
2016.06.18
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流行歌は時代を反映するとはよく言われる。私にとって最も心に刻まれている流行歌は、松任谷由美の『まもってあげたい』と、オフコースの『さよなら』、それから松田聖子の『青いサンゴ礁』。リアルタイムで聴いていた時は、どれも特に好きな曲ではなかったけれど、過去を思い返す時、時代を反映する歌だったなーと感じられる。80年代に一番好きだったアーティストは忌野清志郎だった。あれから30年以上が経ったのか。当時10代の少女は、50大台の立派なおばさんになった(笑)。生きるということは、それだけですばらしいこと。すばらしい音楽に触れ、美味しい食べ物を食べ、感動する映画やドラマを見て、心許せる人たちと話す、それだけ満ち足りた気持ちになれる。なんてことに気付いたのは、つい最近である。
2016.02.19
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『アナと雪の女王』を見た。初めに断わっておくと、私はディズニー映画が苦手だ。ついでに、ディズニーランドもあまり好きじゃない(笑)しかし、こんな私でも断言できる、この映画は素晴らしい!最もアメリカ映画らしい幸せ感に溢れ、生きる希望と勇気が湧きあがってくる作品。これ以上はできないだろうと思われる素晴らしいアニメーションのクオリティー。音楽のすばらしさ。映画は基本字幕でみる私だが、この作品に限り吹き替えの日本語バージョンの方がおすすめできる。特に神田沙也加は、演技も歌も才能のある人だと、この作品で初めて知った。もちろん松たかこに関しては、以前から才能のある女優さんだと思っていたが。「ありのままに」生きようと思ったエルサが、本当の人生を掴む。それは「ありのままに」生きるだけでなく、周囲の日立を愛して、共に生きることに気づく。私自身、結婚してから「ありのまま」で生きられなくなっていて、エルサのように自由に正直に生きたいと思ったことは数知れない。でも、それよりももっと大切なことがある。この映画はそれを教えてくれる。この映画はぜひ、映画館まで足を運んで大型スクリーンで見てもらいたい。それでこそ、そのすばらしさが実感できるというもの。
2014.05.19
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シンディー・ローパーのファンだと自覚したことはなかった。もちろん好きな歌い手の一人だと思っていたが、青春時代を振り返る時、私にとってこの大切な時期を象徴する歌い手だと思ったことはなかった。振り返ると、15歳から20歳までのこのわずかな期間が、私にとってもっとも印象深い年月だったと思う。とはいうものの、実際この期間で私が経験したことはそうたいしたものではない。というより、挫折に次ぐ挫折で、人生で一番自信喪失していた時期だったようにも思う。高校受験で第一志望の学校に不合格で、人生初めての挫折を経験し、入学した私立の女子高ではやる気もなく、フワフワと日々を送っていた。当然、大学受験ではそのまま浪人。美術大学に進学したかったけれどもそれも叶わず、仕方がないので写真大学に修学した。当時は写真に興味があったわけではない。それしか進学できる学校がれなかったのだ。大学では授業そっちのけで部活に精を出し、アニメ映画なんかを制作していた。それが、15歳から20歳までの私の生活の全てだ。そして、そんな私の10代の終盤を彩るのが、シンディーの哀愁アフレルの独特な歌唱なのだ。この時期の私の苦悩、焦り、自己嫌悪、未来への不安感、そして希望、自負心、そんなものを代弁しているのが、シンディー・ローパーの当時のヒット曲だ。10代後半、私はアメリカンポップスに入れ込んでいたのだ。今でも、ラジオから流れる流行歌の数々は、頭の奥深くに刻まれている。深夜、聴くでもなくマイケル・ジャクソンやマドンナ、TOTO、デュラン・デュラン、POLICE、ETCを耳にしていた。当時は東京の新宿区に住んでいて、ラジオから流れる流行歌に耳を傾け、ウォークマンを聞きながら、新宿の街を歩いていた。そんな時代を象徴するのが、シンディー・ローパーだ。そういえば、オフコースも曲も高校時代限定で、私の人生を象徴している。オフコースは特に好きなグループではなかったにも関わらずだ。それからやはりRCサクセション。歌というのは実に不思議なものだ。
2014.04.22
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またまた続いてフィギュアスケートについて(笑)先日、フィギュアのスポーツ性と芸術性について書いた。でもそんなものを凌駕したところに本当の感動があると、私はソチオリンピックの浅田選手のフリー演技を見て思った。思いの強さで演技することより、人の心を揺さぶるのはない。そこには理屈も技術も、表現力も関係なく、思いから生まれた剥き出しの発露があるだけだ。人とは、思いで生きている存在なのだなとつくづく感じる。思いといえば、2010年の羽生の演技も思いそのもの。この時期のフリープログラマもやりは「ロミオとジュリエット」だ。演技途中、足を取られて転倒するのだが、それさえも渾身の力を振り絞って演技する演技のひとつのように感じられるから、スゴい。2014年世界選手権のエキシビジョンで、羽生はこの旧ロミオとジュリエットを披露した。4年分の成長が感じられ、技術力も表権力も伸びていたけれど、2010年のような魂の発露がそこにはなかった。人の心を揺さぶる感動は、たぶん理屈を越えたところにある。技術力も表現力も劣っていた2010年の演技に、見る人たちがより感動を覚えるからだ。フィギュアを見ていると、一番感動するのが演技終盤のステップバイステップだったりする。2014年ソチオリンピック・フリーの浅田もそうだし、2010年世界選手権の羽生の場合もそう。さまざまなことから解放されるこの瞬間、最後のこの見せ場で、選手たちは渾身の力を振り絞って演技をする。実は見た目の優雅さとは違い、ものすごく過酷な競技でもあるフィギュアスケートでは、この最後の30秒で選手たちは性も根も尽き果てて演技しているという。その最後の最後、まるでろうそくの火が燃え尽きる直前により明るく輝く、そんな一瞬の輝きに魂が持って行かれる。
2014.04.16
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私のフィギュアスケートのファン歴が結構長い。両親がフィギュアスケートが好きだったので、幼い頃からテレビで見る機会が多かった。当時はフィギュアはマイナーな競技で、民放で放映されることはなく、もっぱらNHKで鑑賞していた。記憶に強く残っているのは伊藤みどり。NHK杯から始まり世界選手権、アルベールビルオリンピックとずっと追いかけた。アルベールビルオリンピックで伊藤みどりは銀メダルを獲得した。この時金メダルに輝いたのは、クリスティ・ヤマグチ。その時私が思ったことは、「伊藤みどり方がずっとすばらしい演技をしたのに。フィギュアでは、結局ルックスが重要視されるんだな」ということだった(笑)。この時私が感じたこととはつまり、フィギュアが芸術かスポーツかという、現在も熱く議論されることが多いテーマとイコールだと思う。未熟な私は「ルックス」というわかりやすい記号に流れたけれど、総合的なパフォーマンスか技術力かとうことだろう。キム・ヨナと浅田真央の演技がよく比較される。曰く、浅田の方がヨナより高く飛べる、体が柔らかい云々。これはフィギュアスケートをスポーツという観点から捉えた評価だ。対して、キム・ヨナのスケーティングの滑らかさ、演技力に重点を置くと、浅田はヨナにかなわないという結論が導きだされる。フィギュアは、芸術要素とスポーツ要素が、6対4、いや、7対3ぐらいの割合で融合した珍しいスポーツだと思う。ここに勝ち負けの分かり辛さがあるし、魅力もある。もっと言うなら、フィギュアの演技者はあくまでもアスリートだ。あのキム・ヨナでも、浅田の十八番のトリプルアクセルを飛びたいとかなり練習した時期があるという話を聞いたことがある。羽生も、「より高く飛びたい」という思いが何より強いと言う。彼らは芸術家ではない、あくまでもアスリートなのだ。魂がアスリートである人たちが、そこに芸術という薄皮を被ってパフォーマンスを披露している。どうやら私はここに感動をしているようだ。芸術を堪能したければ、バレーを鑑賞すればいい。でも私がインスパイアされるのは、アスリートたちが限界に挑み、そこから生まれる「感動」なのだ。ソチオリンピックのフリーで見せた浅田真央の演技。芸術的な完成度という意味では、キム・ヨナの演技に感動するべきだろう。でも、ソチから数か月経った今、キム・ヨナの演技は今や記憶の片隅にも残ってない。しかし、バンクーバーオリンピックの彼女の演技は確かに記憶に刻まれている。あの時のアスリートとしてのキム・ヨナの圧倒的なパワーは、浅田真央を応援する日本人としても、否定できない強さがあった。フィギュアスケートは、芸術とスポーツの両面を微妙なバランスで成り立っている。それは今も昔も同じだ。たぶんこの絶妙なさじ加減はずっとこのまま続くに違いない。芸術とスポーツ。伊藤みどりは1対9、荒川静香は8対2、キム・ヨナも8対2、浅田真央は4対6。そして羽生は5対5である。そういう意味で、羽生はフィギュアの理想型かもしれない。
2014.03.30
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今年5月、父が脳出血で救急車で運ばれ、その後6カ月余りの入院の後、体が不自由になって今にいたる。伯母はつい先日亡くなった。そして今日、11/30に飼い猫のタロー(もしくはスネオ)が死んでしまった。今年はやたらに辛い出来事が多い。今、スネオ君の亡骸を横に、このブログを書いている。伯母もそうだったが、生き物は死ぬと、不思議と威厳のある顔になる。死ぬ間際とは違う。死に顔がその人の本質を表しいると本輝の小説に書かれていた。「それは違うだろうと」と思ったけれど、最近目にした二つの死で、考えを改めた。生き様は、死に顔に表れるようだ。
2013.11.30
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ここ15年ほど、ライティングの仕事だけは誠実に一生懸命やってきたという自負がある。「自負」なんて恥ずかしくて、自分のことでは使えない言葉だと思っていたけれど、この仕事にだけは使いたい。だから、ここでライティングの仕事がなくなってしまったとしても、後悔はない。所詮ここまでのライターだということだと思うから。ライターであることだけが私の存在意義ではないハズ(かなり大きな部分占めていたのは事実だけれど)。だからここで限界だというのなら、また違う道を探すだけだ。と思いながらも、心残りがあるのはなぜだろう??
2013.10.15
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たぶんここ10年で考えると、今年ほどひどい年はない。そのせいかどうか、ここ2週間ほどひどい腰痛に悩まされている。少しよくなってはまたぶり返しの繰り返し。腰痛を制御できないと思ったのは、20年振りのぐらいのことだ。それなのに、13日から台湾旅行が控えているという(笑)この腰で旅行とか、マジ、あり得んな。でも私は行ってきます(笑) だってそういう性質なんですもん!人生は厳しいな。ということをつくづく思い知らされた8か月間だった。だからといって、私は心弱くなったりしないからね。
2013.08.08
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父は毎日リハビリに精を出し、左半身マヒもずいぶん回復した。高次脳機能障害もだいぶ回復しつつあるものの、記憶力が戻らない。まぁ77歳だし、贅沢言っても仕方ない。私は、5月2日からあまりにもストイックな生活を続けてきたため、心が窒息しそうだ(笑)海外旅行に行きたいよ~。でも実は、飼い猫の一匹が手術を受けたので、2か月で20万円程が飛んでいってしまった。先立つお金がない。でも、旅行に行きたい~。もう娘の夏休み(お盆)に合わせて、無理やり行ってしまおうかという気分になってきている。金は天下の回りものと言うではないか。場所は、中国・九寨溝・黄龍。しかし、成都までの航空券が、高い、あり得ないぐらい高い。初めての海外旅行が中国だった。今から26年前のこと。それからずいぶん時が経った。今では中国は、日本を抜いて世界第二位の経済大国である。その後6回も中国に旅行した。思い出深いのは、当然初回の中国旅行と、それから14年後に行った西安・敦煌だ。九寨溝・黄龍は、今のところ唯一中国で行き残した場所。九寨溝・黄龍に行ったら、しばらく中国を訪れなくなるかもしれない。それぐらい思い入れがある。
2013.07.15
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5月2日からかなり厳しい日々を過ごしていた。父が突然脳出血で病院に担ぎ込まれてのだ。青天の霹靂とはこのこと。それまでの平和な日常は完全に終わりを告げ、病院と自宅を行き来する日々が始まった。入院当時は左半身がマヒし、さらにICU症候群やら高次脳機能障害やらを併発して、大騒ぎだ。人の平安なんて、一瞬のうちに吹き飛んでしまうことを実感した。記憶か途切れ認知力は落ち、妄想に苦しめられる父。見ていて涙がこぼれてきた。ほぼ1か月近くは毎日病院に通った。5が下旬にリハビリ病院へと転院して、状態が落ち着いた。妄想がほとんどなくなって、倒れる前の父に9割程度戻ったのだ。運がいいことに、出血量が少なかったという。そのお陰で、マヒの程度も高次脳機能障害も比較的軽く済んだ。デイルームでおやつを食べていると、入院していることを忘れそうだ。父と楽しくおしゃべりできる日々を取り戻せたのだ。父が入院してから、今週は初めて平日、1日も病院に行かなかった。父が元気になった途端、やらなければならないことが目立ち始めて、父のことは二の次となった(笑)ある意味、元の日常生活が戻ってきたと言えるだろう。まだ、この出来事について頭が整理されていない。考えなければらないことが山積みのような気がする。
2013.06.28
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心を打つ画像を見つけたので。http://www.youtube.com/watch?v=V8RfSCKMYj4
2013.04.19
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めでたくもないが、3月4日は私の誕生日だ(笑)いつも誕生日には、旦那と娘が誕生会をひらいてくれる。それぞれプレゼントをくれて、二人で夕飯を作ってくれるのだ。プレゼントはさておき(笑)、夕食を作ってくれるのは有難い。今年はこの誕生会が、趣向を凝らしたものだった。例年通り、旦那の手料理をごちそうになった。そのあとのプレゼントタイムで、「折り紙5枚をダイニングルームに隠したので、娘と二人でそれを探せ」と旦那。はじめは、「へっ?」という感じだったのだけれど、娘と一緒に折り紙を探しているうちに、だんだん楽しくなってきた。昔、こういうイベントを子供会主催とかでやった記憶がある。ひさしぶりに童心に返って、折り紙探し。折り紙5枚の内訳は、「カタログブック」「ヘアーアイロン」「バスグッズ」「たわし」「夕飯の後片付け」だった(笑)「楽しい時間」を織り込んだプレゼントというのは、良いアイディアだなーと。その他、娘とお友達3人から誕生日プレゼントをもらい、両親からはレストランディナーに招待してもらった。私って、幸せ者~(笑)
2013.03.19
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浅田真央ちゃんは、本当に立派な人だと思う。どんな逆境にもくじけず、腐らず、常に前を向いて努力し続ける。私はすぐに、くじけて、腐って、後ろ向きに投げ出してしまう。そうなりそうな時は、真央ちゃんのことを思い出して、前を向いてがんばろう!話は変わって、本日は友人と東京都美術館で行われているエルグレコ展に行って来た。私が好きな画家は、グスタフ・クリムトやエゴン・シーレなのだが、エルグレコもかなり好みのような気がする。ただ、この方は宗教画家として著名で、私はキリスト教については今一つ理解が薄いので、どうしても距離感が生まれてしまう。といいつつ、実は小学校高学年の2年間、教会の日曜学校に通っていた時期があったのだが、礼拝中は友達としゃべってばかりで、シスターたちにいつも怒られていた。もっと真面目に話を聞いておけばよかった。エルグレコはクレタ島に生まれ、イタリア、スペインと移り住んだ画家だそうである。それにしては、色が淀んでいるというか、色彩が暗い。私はそこがいいと思ったのだが。絵を鑑賞後、上野から亀戸に移動してタイ料理レストランへ。このお店、とにかく味付けが塩辛くて、水分ばかり採っていたらお腹が水もので膨れてしまった(笑) というわけで、レストラン名はここでは明かさない(笑)
2013.03.17
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昨日、フリーライター友達とつくばでランチ&お茶を楽しんだ。そのお友達といろいろ四方山話をする中で、人は見てくれは年相応に老いてくるけれど、心は若い時のまま、実はあまり変わらないということで意気投合。10代の頃、今の私の実年齢である48歳といえば、もう大人の中の大人だと思い込んでいた。「四十にして惑わず」というぐらいだから、50歳なんて悟りの境地なのでは?と。 とんだ勘違いであった(笑)人は四十になろうが五十になろうが、たぶん、六十、七十、八十なっても惑いまくりに違いない。そして、若い頃の自分の美しさに気がついていれば、もっと自信を持って生きられただろうに、という点でも意見が一致(笑)どうやらお互いに、気難しく、コンプレックスの塊で、要領悪く青春期を生き抜いてきたらしい。私のような性格の人間にとって人生は実に生きづらい。もっとシンプルにいろいろなことが捕らえられれば、もっと楽しく、楽に生きられたかもしれない。それでもね、私は今までの私の人生や、自分自身を否定しない。先日娘に、「大人になっても良いことなんかなさそう」と言われた。どうやら私を観察していて思ったことらしい。「大人は大人で楽しいこともあるし、今から若い時期に戻りたいとは思わない」と娘に言った。かなり意外そうにしていた(笑)つまるところ、私は自分を結構肯定しているし、今の自分も結構好きらしい。だってね、一応人生の伴侶も見つけられたし(笑)、子供も産んで育てることができている。その子も、まぁ、それなりに順調に育っている。仕事はいつなくなるかわからない不安定なものだけど、それなりにやりがいを感じている。少ないながら大切友達もいる。まぁ、まぁ、健康だ(笑)。両親、兄弟も健在とくれば、これ以上を何を望むのよ。
2013.03.15
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今季のドラマで観ているのは、TBSの『夜行観覧車』のみ。原作は湊かなえだ。ものすごい作家だと思うものの、世界観は決して得意ではないし、読後はたいてい気分が沈む(笑)『夜行観覧車』は読んだことがなかったが、このタイトルに原作が湊かなえとくれば、どういう内容のドラマか、容易に想像がついたので、観るのはやめようと思っていた。いたのに、案の定、引き込まれて観てしまっている。思った通りの内容だし、思った通り、鑑賞後は気分が沈む(笑)でも、やめられない。ただ、今夜放映された7話では、いつもと違う感想を持った。主人公真弓は、高級住宅地のひばりが丘に一軒家を建てて、家族と一緒に引っ越して来る。しかし生活レベルが違う街での生活では気苦労が多く、それまで仲の良かった家族もすれ違いが増える。ついに娘の彩花が家の中で暴れ出し、家庭内暴力をふるうようになってしまう。そんな母と娘の諍いに目を背けて逃げるばかりの夫。--このストーリー、どこかで観たことがあると思ったら、『積み木崩し』であった。あのドラマでも、娘が学校でいじめに遭ったことが原因で不良化し、荒れ果てて家で暴れ、母親に暴力を奮うという内容だった。当時その暴力の凄まじさが話題となったものだ。『積み木崩し』では、娘がどんなに暴れようが、暴力を振るおうが、母親は決してそんな娘に歯向かわず、無防備にされるがまま。当時、私は娘視点でドラマを観ていたので、やられるがままの母親についてさしたる疑問を感じることはなかった。しかし、『夜行観覧車』では母親視点でドラマを観ている。すると、暴れる娘、理不尽な娘にやられるがままのを母親を観ながら、「今時、こんな風に耐えるだけの母親なんていないんじゃないか?」とぼんやり思った。「家族を捨てて逃げ出すか、やり返すか、私ならどちらかを選びそうだと思っていたら、なんと今夜の放映で、母親が娘を殺そうとしていた。なんというか、このドラマ、本当に恐ろしすぎる。まさに「今」の母親の脆さと自己中心性を描いていると思う。子供たちが耐えられなくなって叫び出す時、親も同じようにすべてを投げ出して叫び出している。そういう意味では、今の子供たちの叫びは、親たちに受容されることは永遠にないのかもしれない。まるで木霊の様に跳ね返ってくるだけだ。では、そんな親たちの脆さは、子供たちにとって不幸の種でしかないのだろうか?私はちょっと違うように思う。親も子供と同じ、叩かれれば痛いし、傷つけられれば傷つく。辛すぎると逃げ出したくなる。それでいいのではないか。だから子供たちは、自分の人生を自分の力で生きなければならないのだ。引き籠りが社会問題化している。しかしこれからの親は、子供たちの引き籠らせる経済的、精神的余裕はないだろう。実際、引き籠りの統計を確認すれば、平均年齢がかなり高いに違いない。今の親たちは、子供が弱かろうが、能力がなかろうが、社会の荒波に放り出すしかないのだから。
2013.03.01
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インフルエンザに罹ってしまって、3日ほど寝込んでいた。やっと熱も下がり、復活。でもまだ本調子ではない。インフルになったのはおよそ4年ぶりぐらい。免疫が弱いらしく、インフルに罹りやすいし、重症化しやすい。呼吸器官があまり丈夫ではないので、もしかしたら将来の私の直接の死因は肺炎なのかもしれない、などと思った数日間だった。一度健康を損なうと、その有りがたさが身にしみる。本日3日ぶりに自転車に乗れて、心底安心できた。自転車は私にとって「変わらない日常」を象徴するものらしい。
2013.02.12
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12月31日から1月1日になり新年を迎える。とはいうものの、1日、日付が変わるだけのこと、という捉え方できるわけだけど、年ごとに確かに運気が変わると思うのは、私だけではないだろう。昨年は結構良い年だったのに、今年は新年明け早々にトラブルが続出して、あまり良い雰囲気ではない。「運気」というのは面白いものだと思う。今年はひたすら「忍耐」の年になりそうだ。どんなに上手くいかなくても、ひたすら諦めずに耐え忍んでチャレンジする年。そうすれば、きっと結果を残すことができる年。と、信じて、私は今年を乗り切り、今よりジャンプアップするための助走期間にするつもり(笑)
2013.02.06
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加齢による衰えは、音楽的感性から始まると聞いたことがある。つまり、懐メロなんかを聴きたくなりだしたら、そろそろあなたの感性は衰えてきていますよ、というらしい。私にはまだまだ無縁な話だと思っていたが、最近、やたらと80年代のアメリカンポップスが聴きたくなる。実際、夜な夜な、ユーチューブでそういう動画を見つけては、狂喜乱舞している。ヤバいな、私。ついに感性の衰えが始まったらしい。私がアメリカンポップスにやたらとハマっていたのは、16歳から21歳ぐらいまで。日本ではバブルがそろそろ始まり出した頃。それは黄金の80年代だ。「ベストヒットUSA」で、音楽ビデオをチェックして、FM東京で最新の音楽情報を入手する。まぁ、いろいろな意味でトンがった時代だった。そんな時代を象徴するかのように、音楽もまた、鋭角的なものが多かった。フォークを「貧乏くさい」と両断した時代でもある。今はガガを神格化している時代だが、正直、彼女程度の音楽性やインパクト、影響力を持つアーティストなら、当時は山のようにいたと思う(別にガガを馬鹿にしているのではなく、あくまでもボリュームの問題で)。バブル世代と揶揄されてもいい。私は80年代を愛している。未来を憂えず、身の程を知らずでいい気になっていられた時代。無謀な夢を見られた時代。若い時ぐらい身の程知らずになれなかったら、一体いつ、なれるというのだろう。いやでも人は分別くさくなるものだから、人生の中のほんの一瞬ぐらい、大人たちから眉をひそめられるぐらい身の程知らずの夢を見られる時期があってもいいんじゃない?そんな80年代を象徴する楽曲は、本当にいろいろ思い浮かぶけれど、私にとってはシンディー・ローパーの「タイムアフタータイム」。
2013.01.28
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思い込みによる偏見というのが、諸悪の根源という気がする。これがなくなれば、世の中はもっと平和になるし、多くの不幸が少なくなるだろう。しかもこの“思い込みによる偏見”傾向というのは、頭の良し悪しとか、育った環境の良し悪しにあまり影響されないようで、ある程度“持って生まれた素養”に起因しているように思う。娘の担任の教育方針は、「個々の個性を認め合おう」というもの。つまり、自分と他人とは、価値観や考え方、感じ方が違う、この違いを認め合おうということ。実はこの考え方に、幸せになる秘訣が隠されているように思う。この真理を理解できている人は、基本的に充足した人生を送ることができるようだ。娘には、「個々の個性を認め合う」こと、「自分と違う人を認められる度量の広さ」を身につけてほしいと、心から願う。
2013.01.25
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本日は伍代夏子さんの取材で、市ヶ谷にあるソニーエンターテイメントまで行く。伍代さんの取材はこれで2回目。竹を割ったような性格で、美しくスマートな女性。何より旦那さまの杉良太郎さんを心から愛して、尊敬されていらっしゃるところが素晴らしい。私の理想の女性である。取材が終わった後、駅近くの「ティーヌン」でトムヤムラーメンをいただいた。「ティーヌン」はチェーン展開しているので、さまざまなところに支店がある。この市ヶ谷店はなかなか美味しくお勧めできるお店だ(チェーン店といえど、味には結構バラつきがある)。ちなみに本店の高田馬場店にもよく行く。そして、そのあと都営新宿線を利用して終点の本八幡まで行き、そこからバスでJR市川大野駅を経由して帰宅した。なんでこんな手の込んだ道順を選んだかと言うと、最近少し心がお疲れ気味なので、妊娠中、そして娘が乳幼児だった間の2年間住んでいた市川市の南大野付近に立ち寄りたくなったからだ。JR市川大野駅で電車を待っている際、1歳児くらいのかわいい娘さんを連れた若いお母さんを見かけた。やさしい口調で、よくしゃべるおしゃまな娘さんとたくさん話していらして、抱っこをしたり、スリスリしたりと、スキンシップをしていた。「いいなぁ、私だって娘があのぐらいの頃は、あんな風にベタベタしていたのに」なんて思いつつ、なんか見ているだけで幸せになるような光景だった。世の中のお母さんが、皆あんな風だったら、子供たちは幸せに満たされて過ごし、素敵な大人になるに違いない。ちなみに、私も娘はかなり可愛がって育てたけれど、今日見かけたお母さんのように、ゆっくり、のんびり、優しく話しかけるような母親ではない、残念なことに。その時、不意にものすごく娘に会いたくなった。でも、部活で忙しい娘は、夕方の18時を過ぎないと自宅に戻ってこない昨今なのであった。子供を育てることは大変だ。特に生後1年ぐらいは、泣いてばかりで意思の疎通もはかれず、一人で立つこと、座ることはおろか、一人で寝ることさえできない。まさに、奴らは何にもできない宇宙人である。だから一人でその宇宙人と接していると、息が詰まって叫びだしたくなるような瞬間もある。これはどんな人にも絶対あるに違いない。私の場合、娘自体があまり手のかかるタイプではなかったし、何より健康だった上に、周囲に助けてくれる家族や友人などがいてくれたので、育児ノイローゼとか産後鬱にかかることもなかった。そんな私でも、思わず叫びだしたくなる瞬間があるのが、乳幼児の育児機関なのだ。それでも私は敢えて言いたい。今、まさに乳幼児と格闘中のお母さんたちへ。宇宙人との生活はわずか1年足らずで確実に終わる。そのうちその宇宙人は着実に一人の人間となり、会話を楽しむことができるようになり、一緒に同じご飯を食べて、「おいしいね」と話せるようになる。だから、この1年は、神様から子供を産んだ女性へのプレゼントだ。十分に楽しんで、一生のうちで1年しかない、子供とのハネムーンを存分に楽しんでください。なんてことを徒然考えた1日だった。
2013.01.24
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一応まだ1年の始まりということで、今年の決心をここに記そうと思う。・3kg痩せる・ライター業の営業に挑戦してみる(実はやったことがない)。・家計簿で立てた予算に沿って家計を切り盛りする。・昨年より少しでも年収をアップする。どれも大したことない目標に思われるかもしれないが、私にとっては3つとも切実だ(笑)今年の12月に、この結果をまたここで公表したいと思う(誰も興味ないと思うけど)。
2013.01.20
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『バーレスク』を観た。いかにもアメリカ的な作品。『コーラスガール』や『シカゴ』、『フラッシュダンス』などと同系統だ。ストーリーは非常にシンプル。主人公のアリは、幼い頃両親を共に亡くしている孤独な女性。片田舎にある冴えないカフェで働いている。しかしその胸には、歌とダンスに並々ならぬ情熱を秘めていた。そしてある日、夢を叶えるためにロサンジェルスにやって来る。そこで偶然、「バーレスク」というショーパプを知り、夢と希望、そして愛を手にするというサクセスストーリーだ。ストーリーそのものはたいしたことはないのだが、全編に溢れる歌とダンスが素晴らしい。主人公アリ役のクリスティー・アギレラはもちろん、圧巻なのはやはりシェールだ。その歌唱力と存在感は他の追随を許さない。私がシェールを初めて知ったのは、『月の輝く夜に』だった。つまり、女優・シェールを先に目にしたワケなのだが、彼女はもともと歌手で名を成した人だ。この作品では、歌手シェールの健在振りが確認できるというか、時を経てますますその歌声に円熟味を増した彼女の歌い手としての魅力を堪能できる。アリは、エンターテイナーとして素晴らしい才能を持ちながら、その人格は非常に保守的な女性として描かれている。たとえば、パートナーの決まった男性にはどんなに心惹かれていても手を出さないとか、一度好きになった人にはウブで一途だったり。舞台映えするからとショートカットを勧められても、舞台ではウイッグを利用しつつ、日常生活ではロングヘアを守り続けたり。何も持たない女性のサクセスストーリーを描いた作品としては、アリの無欲さ、善人さは、非常に新鮮だ。イケイケドンドンな80年代には、こういう感じで女性は描かれていなかったように思う。アメリカでも保守回帰に進んでいるのだろうか?まぁ、こんな風にいろいろ考えず、ただひたすら、そのミュージック、ダンスに酔いしれるのが、この作品の正しい鑑賞の仕方という気がする。
2013.01.16
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卵子は日々老化しているということを知らず、40歳を過ぎたころにやっと子供を産み育てられる環境が整って、いざ妊娠、出産しようとしたときにそれが叶わず、呆然とする女性が多いという話を数年前に聞いた。実際、私が卵子が老化するということを知ったのは、たぶんここ10年以内だったように思う。つまり、自分が妊娠・出産適齢期だった時にはこの事実を知らなかったということだ。「女性の体を冷蔵庫に例えると、その冷蔵庫の中には決まった数の卵が貯蔵してある。初潮を迎えた時から、その冷蔵庫に入っている卵をひとつずつ出して、使っている。当然、冷蔵庫の卵の数は減っていくし、時間が経てば経つほど古くなっていく」という話を聞いて、ずいぶん驚いた。これはかなりわかりやすいたとえだと思う。結婚の適齢期は人それぞれだけれど、妊娠・出産の適齢期は、生物学的に定められているということらしい。保険体育とか家庭科とか、道徳とか、そういう授業で、もっとこういうテーマを突き詰めて子供たち教えるべきだし、親も子供たちにこういう話を積極的にすべきなんだろうと思う。私も含めて。
2013.01.10
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新年あけましておめでとうございます。昨年はお世話になりました。本年もよろしくお願い申し上げます。
2013.01.03
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私は政治が大好きだ(笑)だからここ数日は、閉め切り前で忙しい合間を縫って、テレビの前に座ることも多い。今日、民主党政権が終わり、自民党政権となった。安部晋三が復活したのだ。総理大臣に返り咲いた安部さんも、今回文部科学大臣となった下村博文さんも、昨年取材させていただいた。新党未来から離党するらしい亀井さんも取材させていただいた。悲喜こもごもだけれど、どの人も真剣に政治を、そして日本の未来を考えている方ばかりだった。一方で、今日総理公邸を去った野田さんが、首相指名選挙前に、国会議事堂の議場でひとりポツンと座っていたらしい。私は野田さんも好きだ。野田さんはまだ若い。このつらい時期を乗り超えて、これからさらに日本のために奮闘して欲しいと、心から願っている。
2012.12.26
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「人生、生きているだけで丸儲け」誰かがこんなことを言っていた。最近、この言葉の深さがわかってきた(笑)本当にその通り。この世に生を受けて、生きていられるだけで丸儲けだ。47歳、そろそろ人生の尻尾が見え隠れし始める時期だ。とはいうものの、それを実感できるほどではない。でも、自分自身に最後が来ることは確実に意識し始めている。10年前にはなかったことだ。限りがあるからこそ人生はかけがえのないものだし、強烈な光を放つ。生の終わりを意識するからこそ、子供の存在は切実で救いだ。もしこの救いがなかったら? それは今の私には想像できない。というわけで娘には、この世に私の娘として生れてきてくれたことに、心から感謝している(笑)
2012.11.03
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アメリカ映画『タイム』をDVDで観た。舞台は未来。全ての人間が25歳以上年を取らないという世界だ。25歳を境に、時間はお金で売買をしなければならなくなる。だから裕福な人の平均寿命は100年を超え、貧しい人は25歳と少ししか生きられない。この舞台設定はなかなか魅力的だと思った。私が知る限り、こういう未来社会を描いた映画は今までなかった。ただ、作品を鑑賞した直後の感想は、「何かが足りないね」というものだった。主人公はスラム街で暮らす25歳になったばかりの男。ある日、スラム街に突然現れた裕福な男から、100年以上を超す余命を譲られる。その時間で男は今まで一度も行ったことがない裕福な人たちが暮らす街に忍び込む。そこで出合ったのが、富豪の令嬢だ。彼女と恋に落ちた男は、彼女を連れて逃避行の旅に出る。まぁ、言ってしまえばこんな感じのストーリーである。世間知らずだった富豪の令嬢が、外の世界を見て世の中の不条理に腹を立て、生れて初めて拳銃をぶっ放す! 社会から追われる2人。あれ? これって『俺達に明日はない』ではないか。そうなのである。たぶん監督はあの名作映画『俺達に明日はない』の未来バージョンを作りたかったのではないかと思うのだ。でも、この物語に『俺達に明日はない』の衝撃と悲しさはない。でも、それでいいという気もする。未来にまでリアリティーを持ちこむ必要はないからね。でも、だからこそ、「何かが足りない」と思うのかもしれない。見て損はない作品ではあると思う。
2012.09.09
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今回の日韓問題について、まずい状況だなぁという感じである。特に韓国に思い入れはないが、ドラマはよく見ている。面白いからだからだ。私が韓国ドラマを見ていることについて、夫から、「こんな時期に信じられない」と言われた。問題が違うと思うのだが、こう考える日本人が実は多いと思う。それだけ感情的な問題になってきてしまっているのだろう。でも実際に、韓国に訪れて、韓国人1人1人と対すれば、実は韓国人は、今も昔も親日的な国であることがわかる。ただ彼らは常に本音と建前で語るので、日本人にはよくわからないのだ。本音も建前も日本人のことが嫌いなのは、実は中国人の方だと私は体感している。ただ、中国では昔ほどは日本アレルギーは強くなくなっているようにも思える。感情にまかせてしまうなら、私にだってどんどん攻めろ!的な気分がないでもない(笑) でもそれは双方同じだろうと思うし、これではあまりにも無策で愚かである。なんのために先の大戦で、両国ともに多大な犠牲を払って苦しい思いをしたのかわからない。ただひとつ韓国、朝鮮、中国に言いたいことは、反日教育は今すぐやめるべきだということだ。日本を仮想敵国として幼い頃から叩き込んで、自国で何か息詰まる度に、叩き込んだ日本への敵対心や憎しみをガス抜きに使う、こんなことを続ける限り、中国も韓国も一流国とはなりえないだろう。話は変わるが、きれいごとではなく、自国の領土は守るべきである(笑)今も昔も、強い国が領土を広げ、弱い国は攻められる。これは変わらないハズ。弱いままでは、竹島も尖閣諸島も北方領土も取られる、あるいは取られたままである。対馬列島も韓国の領土とまで言い出しているらしいので、日本はここらで平和ボケから目覚めるべきかもしれない。でもあくまでもクールにずる賢くね。
2012.08.24
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6月中は、突然ポッカリと仕事がなくなり、暇にまかせて遊び来るっていたのだが、7月から8月にかけてまたまた忙しくなって、今は修羅場の真っ最中(笑)どうがんばっても完璧な状態では締め切りに原稿が間に合わないようなので、今回はクオリティー重視でやってみることにした。よく考えると、難しい仕事をしているわ。何が正しいのかわからないし、クオリティー重視といっても、そこに正確な物差しがあるわけじゃないし。とにかく8日までは仕事に集中して、その後の10日間は娘が夏休みを楽しく過ごせるように、母としていろいろ考えてみようと思う。本日、クラス担任との面談があった(今どきは夏休みに面談をするらしい)。担任の先生から、「人の言うことをまじめに聞いて、一生懸命がんばる性格。この子は信用できる子と思った出来事があり、いろいろな仕事を振ったら、がんばってくれた。かわいい生徒です」とおっしゃっていただいた。教科主任の先生も、「人の話をちゃんと聞いてくれるので、本当にいい子よ」とおっしゃっていただいたらしい。正直、とてもうれしかった。このまま充実した中学校生活を3年間送ってくれれば、母としては言うことなし。不出来な母の娘としては、アナタはなかなかできた娘である。
2012.08.03
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今日は絶対に仕事を頑張らなければいけない日だったのに、まったくがんばれなかった。夫が掃除をしてくれて、私は食事を作るだけという日だったのに。今日がんばれなかった分、明日から全てその借金を払うことになる。今月は本当に大ピンチだ。なんだかあり得ないような状況。昨日までは順調だったのに。1日の失敗が全ての失敗につながったりして…。でも、本当に今日は仕事をする気が起きなかった。こんな日もあるよね。締め切りまでに無事、原稿を全て入稿できるのだろうか?今はできるような気がしない(笑)土台、スケジュールが無茶苦茶なんだもん。ああ、疲れる。
2012.07.28
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フジテレビの月9ドラマ『リッチマン・プアウーマン』が、日本ドラマとしては本当にひさしぶりに面白い! 作り手側の強いパワーを感じるドラマというのが、最近なかっただけに、これは期待できる。ドラマというのは本来フィクションなわけで、その魅力は理屈じゃないんだろうと思う。フェイクに命を吹き込むのは、作る側のこのドラマを届けたいという情熱のみ。その情熱を得てフェイクは初めて本物になる。
2012.07.23
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久しぶりに、これはいいじゃんという歌い手を見つけた。といっても、特に新しい人じゃないんだけど。実は娘がアニメの『ナルト』に夢中になっていて、そのエンディングテーマに使われている『Wind』を聞く機会があり、久しぶりに度肝を抜かれた次第。この『Wind』はAkeboshiというアーティストが歌っているということで、さっそくアマゾンでポチッと、ミニアルバム『STONED TOWN』を購入。これがまたよかった!ウィキによると、このAkeboshi氏は、U2に影響を色濃く受けているらしい。実は私、アイリッシュが好きらしく、U2はもちろん大好きだし、アイリッシュダンスなんかをみると、血が湧き肉躍る感じになる。アイルラランドを舞台にした『草原とボタン』という映画も大好きだ。私の魂の一部であるRCサクセションともどこか通じるサウンドを奏でている。というわけで、ちょっと興味が湧いた方は、以下に飛んでください。http://www.youtube.com/watch?v=j5ORESglJAM
2012.07.22
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男だから、女だからと区別したがる人は、男女双方に多い。でも世の中の半分は男で女。そのどちらかをパキッと区別して、詰まるところ、「異人種」として区分けしてしまったら、半分の可能性を自ら捨ててしまうことにならないだろうか?「他人」というだけでわかりづらいのに、そこに男とか女とかいうさらに境界線を引いてしまうのはもったいないと思う。「人間」でいいんじゃないの。こんな単純なことも理解できないなら、その人の伸びシロは少ないに違いない。
2012.05.13
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ものすごく忙しかった時期が17日に終わり、昨日、今日、明日と束の間のゆったりした時間を過ごしている。「ゆったりとした時間」といっても、明日は娘の13回目の誕生日なので、例年通り両家の両親を招いてのパーティーである。で、さっきまで掃除と食材調達でワラワラしていた。でも、まあ、義務でやっているパーティーではなくて、好きでやっていることだし。というか、ずっと義務で娘の誕生パーティーをやっていると思い込んでいたのだけれど、それは勘違いだった。別に誰かにやれと言われたワケではないので、これは私が好きでやっていることだったのだ! 本当は中学に入学したらもうやめようと思っていたのだが、やりたくてやっていることなら、私がやりたい限り続ければいいじゃんということにまたまたまた気がついて、今年もやることにした(笑)当の娘は小学3年頃からこの誕生パーティーをイヤがり出している。大人ばかりが盛り上がって楽しくないという(笑)。ヤツめ、なかなかスルどいな。そう、ズバリ、大人たちが楽しむ会なのであった! 香織という娘、または孫は、「なんてかわいいのでしょう」と、親族で喜び合う会なので、当の本人が楽しくないのは仕方がない(笑)で、本日、娘の誕生プレゼントを3人で買いに行った。携帯電話である。今どきは、中学生になると必要になるらしい。パパ方祖父母からは3DS、ママ方の祖母からはコピック、ママ方の祖父からは本をもらえる予定。なんて恵まれているのやら、うちの娘。ちょうど明日は「母の日」なので、両家のお母さんにお花の寄せ植えの鉢植えを用意した。明日はいろいろご馳走を作るぞぉ!珍しく写真撮って、画像をアップしてみようか(笑)
2012.05.12
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最近、全く仕事のことを書かないので、もうライター業をやめたかのようだが、いや、私は日々頑張っています(笑)実は昨年は政治家の取材を結構していて、我ながら圧巻だったのは安倍晋三氏をインタビューできたことだろう。一国のリーダーを経験した人を取材できるなんて機会はそうそうあるものじゃない。取材させていただいた政治家の方々の中には、ありがたいことに私が書いた文章をご自分のHPに掲載してくださっている人もいるので、以下にご紹介します。下村博文さんhttp://hakubun.jp/2011/09/%E3%80%90%E9%9B%91%E8%AA%8C%E6%8E%B2%E8%BC%89%E3%80%91%E3%80%8E%E6%9C%88%E5%88%8A%E3%80%80%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%83%E3%82%AF%E2%98%86%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%80%8F11%E6%9C%88/平沢勝栄さんhttp://www.hirasawa.net/news/2012/120402.html
2012.04.10
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あ~、もう仕事と家事と娘関係の仕事でいっぱい、いっぱい。何もかも投げ出して旅行に行きたい!!
2012.02.28
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1/4~1/9まで、中国旅行に行ってきました。昨日は万里の長城見物です。今日は5時30分起きで8時50分発の成田行きのANAに乗り帰国しました。自宅に到着したのは16時頃。飛行機で実際に飛んでいるのは2時間10分~20分程度なのに、なぜかこんなに時間がかかります。もう体中がミシミシ言ってます(笑)前に書いた鄭州にも行ってきました。鄭州はものすごく変わったようでいて、その実まったく変わっていませんでした(笑)詳しくはまたあとで。
2012.01.09
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あけましておめでとございます。昨年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願い申し上げます。
2012.01.01
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雑誌の仕事の年末進行&トラブルと、MRテキスト執筆の仕事と、ガールスカウトの仕事と、1/4から行く旅行の準備で、もはや収拾不可能な状態〈笑〉こういうときは「大変だ~、どうしよう~」といろいろ考えず、とりあえず手元にあるやらなければならないことをひとつずつ片づけていくのがよろしい。少しずつやらなければならないことが片付けば、気持ちも落ち着いて余裕が生まれる。ということが、46歳になってやっとわかってきた〈笑〉今日朝起きた時に、「大変だ~、どうしよう~」と思ってしまったので、とりあえず洗濯をして、その後お仕事に移り、合間に家事を片付け、またお仕事に戻り、合間に家事を片付けと続けたら、仕事のノルマと最低限の家事は終わった。ただし、プールには行けなかった〈泣〉やはりプール通いは優先順位が低い。明日は朝一で、神奈川県の辻堂まで行って取材である。優先順位の高いものから、ひとつずつ確実に片付けていくことが肝心だ。24日には自宅で両家両親を招いてクリスマス会を開き、25日は実家で開かれたクリスマスイ会に取材の後合流した。自宅のクリスマス会では、カナッペ、ヤムウンセン、生春巻き、サラダ、パエリア、鶏のから揚げなどを作った。パエリアをだいぶ上手に作れるようになってきたのでうれしい。そういえば私のつくるカナッペは母直伝だ。どこで覚えたのか知らないが、私が小学高学年の頃から母はクリスマスにこのカナッペを作り始めた。クラッカーに、チーズや生ハム、イクラ、玉ねぎやピーマン、トマトなどを乗せるものだ。食材が今より豊富になってからは、カラスミ、キャビア、ブルーチーズ、パプリカなどなど、具材のバリエーションが増えていった。彩はキレイだし手軽に作れるお勧めのパーティーメニューだ。家庭環境というのは大切なのかもしれない。母がカナッペなどを作らなければ、私も作ろうとは思わなかっただろう。一方で、生き物にとって育った環境より生まれ持った素質が重要という気もする。それは娘を育てていても思うし、猫を養っていてさえそう思う。とうような益体もないよもやま話はいい加減にして、明日取材のためにそろそろ眠らなければ。
2011.12.26
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来年の1/4から1/9まで中国に旅行することになった。経路は、北京→鄭州(洛陽)→北京だ。北京、洛陽は別にして、鄭州ってどこ?と思う人が多いに違いない。鄭州は黄河流域に位置する河南省の省都だ。今から約25年前、友人と中国旅行に行った際、なんと1週間も滞在してしまった場所だ。もちろん、鄭州に1週間も逗留する予定ではなかった。目的地はあくまでも洛陽で、鄭州はちょっと立ち寄る場所でしかなかったハズなのだが、結果的に私達はここに1週間も居続け、結局洛陽には行けず、そのまま次の訪問予定地だった桂林へと向かう羽目になった。中原と言われるこの地は、当時の中国では外国人が足を踏み入れると出られなくなる袋小路として有名なエリアだったということを、私は後に知った(笑)本当にその通りの場所だった。鄭州は、広大な中国大陸を移動する際に、中継地点となるお臍的な地域だったのだ。ここで旅人達は鉄道を乗り換えて目的地へと向かう。鄭州からは、首都北京はもちろん、西のシルクロードや北の南京、南の広州と、縦横無尽に鉄道が広がっている。当時の鄭州駅前には、たくさんの中国人たちがとぐろを巻いて行列をなし、野宿して鉄道の切符を手に入れていた。特に夕方を過ぎる頃から人々の列が何重にも交差して、足の踏み場がなくなった。目がくらみそうになるその人の集合体の中、列の中から、自分が乗るべき列車の列を見つけ並ばなければならなかった。中国語を話せない外国人からすると、それは至難の業だった。なぜなら、駅の従業員に切符見せて、どこの列に並べばいいのか?と聞いても、正しい回答を得られる可能性が絶望的に低かったからだ(笑)そこはまさに混とん、カオス! 私達は、北京から鄭州に入って、2泊して洛陽に向かう予定だった。しかし1回目、血眼になって自分たちが乗るべき列車を探したが、見つけることかできなかった。2回目、カオスだと思っていた駅と列の法則を見つけて、なんとか乗るべき列車の列を見つけたものの、なんとその列車はなんのトラブルか知らないが鄭州に到着することはなかった(笑)。8時間ほど駅で待った挙句のことであった。その後、私達はインフルエンザに罹ってしまい、3日ほどホテルで寝て過ごすこととなった。そこで洛陽行きをあきらめ、次の目的地である桂林への切符を取って、3日ほどホテルで静養してから、やっと鄭州を脱出できたのだ。1週間も鄭州にいたが、観光したのは黄河のみ(笑)。でもなぜか、25年前の旅行の中で、この鄭州での思い出が際立っている。当時ずっとお世話になることになった国際飯店、そこのレストランや、唯一日本語が話せたスタッフの女性の顔。1泊だけした駅前の旅館。鄭州駅の休憩所で友人とケンカしたことや、友人がその休憩所の職員からもらったリンゴ。インフルエンザになって高熱を発し、駆け込んだ病院。そこで出会った日本語が堪能なお医者さん。病院の治療代は人民元しか使えなかったのだが、そのお医者さんが私の治療費をポケットマネーから払ってくれたのだった。「私には日本人の親友がいます。彼の国の方は私の友人です」と、そのお医者さんはおっしゃってくれた。今思えば、住所と名前を伺って治療費をお返しすべきだったのに、インフルエンザで頭がもうろうとしてそんな考えも浮かばなかった。あのお医者さんにもう一度会いたいな~。鄭州は今や大都会だそうである。私達が訪れた25年前、鄭州に空港ができるという看板を見て、このカオスのような町もずいぶん便利になるのだろうと思ったものだ。1/4の夜、私はその鄭州空港に降り立つ予定だ。この鄭州を起点に、もう一度洛陽観光にチャレンジするつもり(笑)25年前たどり着けなかった洛陽を今度こそ見てくる! 洛陽といえば、芥川龍之介の『杜子春』の舞台なんだよね。そしてもう一度北京へ!
2011.12.10
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橋本さんが勝った。私が大阪府民でもたぶん橋本さんに1票を投じていたと思う。今の日本のリーダーは、ボトムアップ型では限界があることをみんな肌で感じている。トップダウン型が求められているのだ。もちろん、トップダウン型の危険性を私達は十分に理解している。でも、リスクを冒してでも選択しなければならない時がある。それがまさに、今なのだ。必要なときにそれを満たす(ように見える、もしくはむその可能性がある)リーダーが現れた大阪は幸運だと言えるだろう。もちろん、結果を見てみなければ真意のほどはわからないけれど。国政にも橋本的な存在は求められている。
2011.11.27
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このまま順当にいくと私は80何歳で死ぬだろう。私がどんなにいろんなことに悩んだり、幸せを感じたり、苦しんだりしても、私が死ぬことでそのこん跡はこの世から全て消えうせるんだ。だとしたら、人がこの世に生まれて死んでいくことの意味とはなんなのだろう?自分がこの世に生きたことのこん跡を何も残せず、ただ知らぬ間に忘れ去られていくとしたら。私の周りにいる人たちも同じだ。私の父も母も、娘も夫も。みんな等しくこの世に生れて、そして死んでいく。私が死んだら、私の思いはどこに行くのだろう?心は肉体の死とともに消えうせてしまうのだろうか?なんてことを考え出すと答えが見つからずに、心が宙ぶらりんな状態になってしまう。こんな心を慰めるために宗教はあるのだろうか?この答えを見つけるために人間は学ぶのだろうか?
2011.11.07
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『八日目の蝉』の映画を観た。これで、小説、ドラマ、映画の全てを鑑賞し終えたことになる。評判に違わず映画は本当に素晴らしかった。よく、「原作に忠実に映像化」というような常套句を目にするが、これは誉め言葉ではない。それでは面白くならないのだ。映像にするならばそれを活かした表現方法があるはずだ。それを良くわかっている映画だったと思う。特にラストシーン、写真館でのひとコマが実にすばらしい!「かおるに全部あげる」この台詞に込めたきわこの思いと、そのときのきわこの表情。この1シーンを観るだけで、この映画を鑑賞する価値はある。ドラマもとても良い。原作や映画よりエンターテイメントに徹していて、見やすく、エピソードひとつひとつが丁寧に描かれている。『八日目の蝉』は、小説、ドラマ、映画、どれをとってもはずれがない。
2011.11.05
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