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小旅行3日目、今日はもうただ帰るだけの日なのだが、昼食はちょっと喜多方市に寄り道して喜多方ラーメンを食べようということになっていた。米沢市から喜多方市までは車で1時間ほどなので、10時のチェックアウトでも時間が有り余ってしまう。ナビでルートを検索していたら西吾妻スカイバレーという山岳道路経由でも同じくらいの時間で喜多方市に着くらしい。もしかしたら高山の紅葉が楽しめるだろうし、道筋には檜原湖や裏磐梯五色沼があって、そこそこ時間が潰せて昼食時に喜多方に行けるのではないか、ということになった。 今日の朝にルート変更を妻に告げて、9時早々にホテルを出た。天気予報は曇りだったが陽が射している。できれば陽が射している紅葉の山を見たいと思って気が急いたが、山を登り始めれすでに十分に紅葉した景色が広がっていたし、カーブの連続する山岳道路ということもあってひたすらおとなしい運転で高度を稼いでいった。道脇のちょっとした広場では東京ナンバーの車のカメラマンが2メートルばかりの高い三脚のカメラを乗せ、脚立に乗って陽差しの変化をじっと待っているのだった。 展望台や休憩所など3か所で紅葉を楽しみ、車からいい景色が見えれば近くの停車スペースから歩いてその写真を撮りにも行った。あまりいい写真は撮れなかったが、1400メートルの全山紅葉に妻はちょっと興奮気味なのだった(旅行に出かける前、わたしたちには紅葉のことは全く念頭になかったのである)。 山を下り、桧原湖畔で景色を楽しみ、次は五色沼自然探勝路入口の駐車場に入った。せっかくなので15分ほどで行ける青沼まで歩こうということにした。妻の足は少し弱っているのだが、登山用スティックを両手に悪路を頑張って歩いてくれた。 探勝路入り口には裏磐梯物産館があって、会津塗の箸を数組買った(どういうわけか私は誤って箸の先を嚙んでしまうことがあって箸の消耗が激しいのである)。リンゴがとても安かったし、「紅玉」が一袋だけ残っていたので合わせてそれも買った。紅玉は焼きリンゴや肉料理のリンゴソースに使うのである。 五色沼から喜多方に向かい、午後1時にラーメン店に到着、昼時のピークが終わりかけていて、少し待つだけで狭い駐車場に入ることができた。ラーメンはもう文句なくおいしいのだが、どちらかと言えば、昨日の米沢ラーメンのあっさり味の方が私の好みである。1年ほど前から日帰り温泉に行ってその帰りにあちこちのラーメンを食べるというのが、妻と私のミニブームなのだが、好みは微妙に違っていて、妻は私より少し濃いめが好きなようだ。たぶん、米沢ラーメンより喜多方ラーメンを気に入ってるはずだ。ギョウザも追加注文した。ギョウザ好きの妻はその店にギョウザがあればいつもそれを食べたがり、今日も大満足なのだった。 昼食をとれば一路わが家へ、となるはずだったが、留守番している息子(と自分たち)のために夕食になるようなものを買っておきたいということで高速をいったん降りて道の駅猪苗代に入った。夕食になるような弁当の類はなかったが、野菜が豊富にあって、あれもこれもとけっこう買いそろえた。じつは、旅行初日の米沢市の道の駅米沢でも野菜を買い込んでいた。小旅行のはずなのに、妻とは違って食事担当の私としてはたくさんの野菜の方に大満足なのだった。 郡山経由で(途中、工事渋滞で悩まされたが)仙台まで走り、市内の弁当屋で3人分の弁当を買って今回の小旅行は終わりとなった。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2024.10.18
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米沢市への小旅行2日目、観光スポット巡りはしないことにしていたのだけれど、米沢市と上杉謙信に敬意を表して上杉神社だけには行ってみようということになった。さいわい、米沢城本丸跡に建てられた上杉神社はホテルから歩いて10分ほどの近さである。30分くらいで観光は終わるだろうから、その後は市内をぶらぶらと散歩することにして9時半ごろホテルを出た。 ホテルの前の道を南にまっすぐ7分ほど歩いて右に曲がれば上杉神社が見えてくる。観光客に交じって七五三参りの家族連れがちらほら見える。七五三参りの家族は両親と一緒だったり、母親だけだったりしたが、なぜか祖父母らしき二人がそろって一緒なのだった。たぶん、おじいさん、おばあさんの方が七五三参りは大事だとリーダーシップをとってのお参りなのだろうと眺めていた。 上杉神社から隣接する上杉伯爵邸の建物を眺めに行き、そこでソフトクリームを食べて、今日の観光は10時ちょっとすぎにすべて終わってしまった。所要時間が最も長かったのは、ソフトクリームを食べるときだった。いい観光旅行である。 街歩きといっても知らない街でどこを歩けばいいのか皆目見当がつかなかったので、昨夜必死になってネットで探した。米沢市の繁華街というアーケード街を写した動画を発見し、その場所を地図上でなんとか同定できたので、そこを起点に周辺を歩く予定にした。 スマホのグーグルマップ画面を頼りに地図上のアーケード街に着いたはずなのに、家並みにアーケードがまったくない。その繁華街から入る細い路地や裏路地には酒を飲む店が立ち並んでいるという情報もあって、路地に入ると確かに飲み屋街になっていた。 地図を読み違えたわけではないと、(地図上の)繁華街に戻ってみると、道のあちこちで工事をしている。道の拡幅工事である。まだ工事の始まっていないところの建物にかかるほど道は拡げられているので工事開始に合わせてアーケードは撤去されたのだろうというのが私の推量である。路地裏の写真を何枚か撮ってあっさりと街歩きは終了である。11時ちょっと前だった。 私の地図の読み違いで、じつはどこかにアーケード街が残っているといいななどと思い、中小都市の繁華街は今やシャッター通りなどと言うニュースを聞くたびに残念ことだと考えたことなどを思い浮かべながら昼食に向かう。昨日は昼も夜も米沢牛で私にとっては明らかの食べすぎだったので、今日の昼は断固として米沢ラーメンを食べると決めていた。ホテルのすぐそばに米沢ラーメンの店があって、ネットで「地元の人しか知らないおいしい店」という情報もあったのでその店に決めていた。 しかし、ネットで「地元の人しか知らない」という情報を仙台の私が見てその店に決めたというのは大いなる矛盾だろう。「地元の人しか知らない」という情報をネットに挙げた瞬間に「地元の人しか知らない」という情報は真から偽に変わる。などということをうだうだと考えながら歩いてその店に着いたのだが、開店は11時半でまだ15分もある。宿泊しているホテルのロビーで時間をつぶしてから店に入った。ラーメンは細麺で優しいスープのまったく私の好みにぴったりだった。ラーメンを食べながら二人でメニューを眺めていたら、どうもその店はワンタンも売りらしいのでワンタンも追加で注文した。今日も暴飲暴食に近づきつつあるのだった。 正午にはホテルに戻ってゆっくりと食休み、その後は妻が見つけていた日帰り温泉に行くのである。この温泉は旅行前に妻がネットで見つけていた。「350円で入れるのよ!」 泉質など関係なく入浴料の安さで決まってしまった。 ホテルから車で15分ほどの温泉施設はあまり混んでいないうえ、男湯には内湯、露天風呂のほかに寝そべった姿勢で入る露天風呂(これがとくに気に行った)もあってじっくりゆっくり時間が過ごせた。女湯は内風呂ひとつだけだったらしいが、一人だけでのんびり入浴できたと喜んでいた。 帰り道、コンビニによって芋焼酎とちょっとしたつまみを買った。夜、眠れないときのための準備である。ホテルではしばらく夕食を何にするかで妻と話し込んだ。米沢牛の焼肉の店も有力候補に挙がったが、また食いすぎるのではないかと心配する私の意見が通って、古くからやっているうどんの専門店ということになった。 このうどん店が大当たりだった。まず、古くからやっているというそのたたずまいは内も外も実にクラシックなのである。大柄なご主人(若い人と二人で店をやっていた)が笑顔で応対してくれて、少しは贅沢しようとうどんと天丼のセットのスペシャルというのを頼んだ。天丼の飯は半量なのだが、大きな海老天が二つと野菜の天ぷらが器からこぼれそうになっていた。少し濃いめの天つゆがかけられている。うどんは関西のうどんなどに比べたらいくぶん細目で良い出汁の味がした。天丼もうどんもどこかとても懐かしい味がした。どことなく味が濃いのだが、昔のように塩辛いわけではない。妻もとても気に入ったようだった。私にとっては天丼の分が食いすぎだった気がする。うどんという選択なのに昼のラーメンの時と同じく暴飲暴食に近いことになってしまった。 ホテルに帰って、7時ころには私は寝入ってしまった。12時ころに起き出して、お湯割りで焼酎を飲み、また6時ころまで寝入った。昨夜よく眠れなかった分を一挙に取り戻したのである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2024.10.17
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3週間の入院治療が終わって自宅治療になったのだが、退院時の状態から2ヶ月も期待するほど症状(血液検査と尿検査の数値)が改善されないので、10月16日から18日までの3日間、薬を変えて治療するために入院することになっていた。新しく使う薬も強い副作用があるので24時間監視が必要ということらしい。 ところが、入院前の10月1日の検査で数値がかなり良くなったことから、今までの薬での治療を継続して様子を見るということになった。薬の効果が少し遅れて出始めたのではないか、という見立てだ。 16~18日の3日間の入院はなくなった。そもそも入院中は日常の生活ができない日々になるので、妻と図って入院したつもりで2泊3日の旅行に当てることにした。以前から旅行をしたいねと話してはいたのだが、病状の先行きが判然としないのでなかなか決断ができなかった。長引く可能性が強い病気なのでぐずぐずしていたらチャンスがなくなるとも考えてはいたのだった。スケジュール満杯の観光旅行なんて御免蒙りたいので、近場の一つの街で2泊3日を過ごすことにした。それで妻も私も提案した街は同じで、山形県米沢市ということになった。車で1時間半ほどしかかからないので、ドライブ旅行ということになった。 私の体調がどうなるか心配だったので途中休憩を2回ほど入れることにして、11時少し前に家を出て福島市経由の高速で午後1時半に米沢に着き、予約していた店で昼食をとった。せっかくの米沢なので、まずは米沢牛だろうとステーキランチということにした。昼食が終わってホテルに向かう途中、食事をする店の看板には必ずと言っていいほど「米沢牛」の文字が見える。「もしかしたら米沢には米沢牛しかないかもしれんぞ」という冗談が冗談ではなく夕食まで続くことになった。 ホテルで少しゆっくりして、日が傾きかけたころ散歩と夕食のために街に出た。建物の間から夕焼け空が見えて、何枚かシャッターを切った。そういえば、カメラ修行を始めた5月から夕焼けの写真を1枚も撮っていないのだった。わが家は広瀬川が北から南に流れる岸辺にあって、そこは広瀬川河岸段丘の最下部にあたり、西には何段かの河岸段丘、さらに上には仙台城跡がある青葉山丘陵があってなかなかいい夕焼けをみるのは難しいのである。車でちょっと出かければいいのだが、夕飯時と重なって食事を作らなければならない身には時間を取りにくいのである。これからはずっと早い時間に暮れるだろうから、撮影のチャンスはあるかもしれない。 夕焼けを見て、暗い街を少し散歩して、ホテル近くに戻ってある小さな店に飛び込んだ。ネットで色々調べたが、良さそうな店は予約が必要だったり、メニューが判然としなかったりして、諦めての飛び込みだった。予約していないので待たされたものの何とか夕食にありつけたのだが、その店も米沢牛の店で「しゃぶしゃぶ」を食べることになった。 旅の初日は、私たちにとって米沢市は「米沢牛の街」ということで終わった。問題は、癌で半分ほど切除した胃を持つ私には、いくぶん暴飲暴食の日となったということである。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして
2024.10.16
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仙台の日の出の時間までもう15分ほどしかない。急ぎ足で仙台城跡の天守台に向かっているのだが、いつもの筋トレ散歩の時よりずっと息が切れて辛い。筋トレ散歩は空身で歩くのだが、今日は肩からカメラバッグを下げている。ステロイド投与治療のための入院ですっかり落ちてしまった筋肉では、わずかな負荷の増加が体にこたえるのである。 5月から終活の一つとしてカメラ修行を始めてから、何度か仙台市街の日の出を撮ろうと出かけた。これまでは仙台市街のビルの間から昇る日の出ばかりだった。仙台城跡からは南東寄りの方向に太平洋が見えるのだが、これまでの季節では北東寄りのビル群の間から太陽が昇っていた。太平洋から昇る日の出と仙台市街のビル群を一緒に撮りたいとずっと思い続けていた。それがやっと北から90度を超える(南東寄りの)方向から太陽が昇る季節になったので、天守台から日の出を写そうと思ったのである。 10月11日の仙台の日の出は5時41分、5時に家を出れば日の出の15分くらい前には天守台に着くだろう。そう思っていたのだが、出かける直前に猫がウンチをしてそれを片付けていたら、別の猫がオシッコをしてそれも片付けなければならなかった。家を出たのは5時8分くらいになってしまった。 仙台城跡に向かう途中、東の空がきれいな朝焼けになっていた。太陽が昇る方向はかなり明るくなっていて、気が急かされるのだった。日の出の時間が早まるなんて物理的にはあり得ないのだが、心は納得せず大股の急ぎ足になって、そのまま天守台に向かう急坂を息せき切って歩くことになった。 天守台にはなんとか日の出の10分ほど前に着いた。しかし、低い雲で水平線は隠れていて、太平洋から直接上る太陽を撮ることはできそうにないのだった。それでも三脚を立てカメラをセットして5時40分ころから撮り始めた。太陽が低い雲から見え出したのは日の出時間の6分後だった。間隔を置いてシャッターを切り、太陽が雲からすっかり現れた時点で終わりとして、バタバタと三脚をかたづけて、カメラバッグを背負った。 筋トレ散歩で天守台には週に2回は来ているのだが、そのたびに朝焼けを背景にした伊達政宗騎馬像を木々の間から撮ってみたいと思っていた。それもあって急いで帰り支度をしたのである。天守台を出る前に振り返って騎馬像のシルエットを何枚か撮った。太陽がもう少し北よりだったらもっといい写真になるような気がしたのだが、それには1ヶ月ほど前の日の出でなければ無理なので、来年を待つしかない。読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2024.10.11
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街を撮るためにカメラを持って歩き回っていて、これはもちろんカメラ趣味のためだが、闘病のための必要な運動量を確保するための散歩でもある。カメラを持たないでひたすら歩く散歩ももちろん行っているのだが、それ以外に「筋トレ散歩」と称するものもある。 4日に1回の筋トレ散歩は、まずわが家から15分ほどのところにある亀岡神社の370段ほどの石段の上り下りをする。亀岡神社は仙台城跡のある青葉山丘陵の北端近くにある神社で、青葉城跡の天守台の高さとあまり変わらない。石段の上り下りのあと、青菜城跡の坂道を天守台まで登る。この筋トレ散歩は、下半身の筋トレと心肺機能の強化(というよりは老化防止)が目的なので、とにかくできるだけ大股で急ぎ足で歩くのである。脈拍を110~120くらいになるようなスピードで歩くようにしている。 4日に1回というのは、私の年齢では使った筋肉を休めるためには中3日空けるのがいいという経験からである。じつは、この筋トレ散歩は以前からやっていて、かつては毎日だったのが、年齢に応じて2日に1回、3日に1回、そして2年前から4日に1回と体に相談しながら変えてきたのである。ネフローゼ症候群で3週間の入院治療で10㎏も痩せて、筋肉が激減した(ネフローゼ症候群では尿と一緒に多量のタンパク質が排出される)ので、この筋トレを恐る恐る始めたのだが、何とか1か月半前くらいから4日に1回のペースで続けられるようになった。 というわけで、今朝も朝5時に家を出て亀岡神社に向かったのである。神社の石段を一定のペースで登るのはやはり苦しいのだが、なにかまったく別のことを夢中になって考えていると気が付いたときにはけっこうな高さを稼いでいることがある。今朝は1週間分のレシピのこと、それぞれのレシピの材料や手順のことを考えながら石段を踏み上がっていったのである。このごろ、食事が本当においしいのである。何を食べてもおいしいし、切除胃で小食なのだが、食欲そのものはとても旺盛なのである。自分で食べたいものをメニュー表に乗せて自分で作って食べるので、三度の食事がおいしくて当たり前なのだが、10㎏も痩せた体が栄養を要求しているのが旺盛な食欲につながっているのだろう。 じつは、腎臓を病む前から年々美味しく食べられるものが増えていると感じてはいた。人間はそんなふうにできているのではないか、そう思っているのは同居していた義母がそうだったからである。115歳まで生きた義母の最晩年あたりの食事も私が作っていたのだが、私の拙い料理、ときには見た目の悪い誤嚥防止食なども含めて食べるものすべて「おいしいね、おいしいよ」と言いながら食べてくれるのだった。「食べるものがおいしくなったので、私もそろそろかな」と言って妻に睨みつけられるのだったが、やはり人間に備えられた能力の一つではないかと思うのだ。最後は少しなりともいい思いをしておしまいになるというのは悪いことではないだろう。 石段を踏みながら「おいしい生活だよな」などと考えていた。しかし、「おいしい生活」というのはたしか糸井重里氏の作った何かのCMのキャッチコピーではなかったか、それは使いたくないな、そんなふうに思いなおした。左翼崩れで新自由主義風の言説で名を成すことへの嫌悪感が私のなかにはまだ生き残っているようだ。 糸井重里氏が登場したあたりで現実に戻ると、かなり段数をこなしていて神社の屋根が見え出した。朝5時40分の太陽が背後から照らしていて、私の影が石段に伸びている。石段を下り始めると、太陽はほぼ真正面、樹々の葉に見え隠れしている(写真はスマホで)。 6時10分ころ青葉城跡手天守台に着くと、太陽は雲に半ば隠れながら仙台市街の一部だけを照らし出し、高層ビルの多い中心街は雲のなかのように煙っている。 さて、急いで仙台城跡の坂道を下り降り、朝食を作らなければならない。それでも妻が起き出す前には着くだろう。出社時間の早い息子はたぶんどこかで朝食を都合するに違いない。 そんな今朝の筋トレ散歩だった。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2024.10.01
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終活を始めるために、3月から4月にかけての年度替わり(地域団体や組織の総会時期)にほとんどの肩書をはずすことができた。半年ほどかけて準備をしていたので、驚くほどスムーズに辞められて、5月から私の終活が始まった。 終活としてやろうと考えていたことはいろいろあったが、まずは庭の雑草取りから始めた。いつもなら伸び切った雑草をむしり取ってさっさと終わらせていたのだが、なにしろ時間はたっぷりあるのでその日はほとんど庭に座り込んだ状態で、雑草を一本ずつ丁寧に根ごと掘り出しながら抜いて行った。 遅々として仕事は進まないのだが、ふしぎなことにその遅さ、はかどらなさが気持ちいいのである。わが家の狭い庭がそこにあって、私はその庭の雑草を一本ずつゆっくり抜いている。 庭があって、そこに私がいる。なにかしら、庭と私の「共在」する感覚が心地いいのである。これは、雑草を抜いた成果による心地良さではない。明らかにゆっくりと丁寧に草を抜くしぐさ(作業)そのものの喜びのようである。それで、心はほとんど定まった。終活で何をするにしても、それは「ゆっくりと丁寧に日々のくらしを生きていくこと」でなければならない、そう考えたのである。 やにわに庭仕事が終活の一番手に上がってしまったが、そうなれば二番手としては「料理」を上げざるを得ない。ここ10年ほど、わが家の食事は私が作っている。30年近く大柄な母の介護をしてきた妻は、両肩の腱を傷つけてしまい、腕があげるのが難しくなってしまったことと、115歳まで生きた義母は誤嚥性肺炎で入院を繰り返すので、嚥下食を作らなけらばならないこともあって、食事の用意は私の仕事になったのである。 義母の嚥下食は気をつけて準備する必要があったが、それ以外の家族の食事は義務感に押されて勢いで作っていた。しかし、三度の食事、その準備は文字通り「日々の暮らし」のど真ん中である。これを「ゆっくりと丁寧に」やることほど、私の終活にふさわしいものはないと考えた。いまは、まず一週間分のレシピを考えて、それに合わせて細かなものまで食材を丁寧に探すことから始めた。レシピの半分以上は初めて作るものを入れているので、これまで使ったことのない調味料や食材が増え始めている。 いまのところ、庭仕事も料理もとても楽しい。 当初、終活として手始めにやろうと考えていたのは、魚釣りと山登りだった。どちらも夢中になるほど好きだった趣味だったが、ここ8年ほどはまったくできなかった。経験もあるし、まずは手軽に始められると考えたのである。 5月には2回、ヤマメ狙いで毛バリを振りに川へ入って、水の中を歩いた。1回目の山行は山麓のトレッキング、2回目は300mクラスの山とリハビリ登山を始めた。3回目の山行は、6月7日に504mの戸神山に登った。1回目、2かいめよりはるかに楽な山歩きで、そこそこ花の写真も撮れて帰ってきた。 翌日、パソコンで写真の整理を終え、何気なく足を見たらパンパンに膨れ上がっていた。むくみ(浮腫)である。初めての経験だが、疲労によるものだろうと考えて数日様子を見たのだが、むくみが続くのでかかりつけの医院で診てもらった。尿検査で蛋白が出ていることから大きな病院を紹介されて診察を受けた。尿に大量のタンパクが排出される「ネフローゼ症候群」という診断で、急遽3週間の入院を言い渡された。治療はステロイドの大量投与(「ステロイドパルス」と担当医師は呼んでいた)、その副作用(血圧上昇、血糖値上昇、免疫力低下、不眠など)のコントロールに入院は不可欠ということだった。ネフローゼ症候群は難病指定されていて、それなりに厄介な病気らしい。場合によっては、一生付き合うことになるらしいのである。「病気で死んだか、寿命で死んだか、わからないこともあるということですね」と言うと、「そういうことも十分にあり得ますね」と主治医は答えるのである。これで3番目の終活がほぼ確定した。ゆっくり丁寧に私の病気の身体に付きあっていくのである。いまは、3週間の入院を終えて、自宅で決められた薬での治療になっているが、スマートウオッチなるもので、睡眠時間、心拍、血圧、体温、血中酸素濃度、血糖値、体温を24時間、監視・記録を続けている。この病気にはNa(ナトリウム)やK(カリウム)の過剰摂取は厳禁なので、2番目の終活(料理)にも関係している。カリウムの多い果物はコンポートにしてカリウムを減らし、野菜類は煮びたし、焼きびたし、揚げびたしなど、卓上醤油の3分の1は昆布入り煮きり酒で薄めたものを使っている。今のところ、こんな工夫もそれなりに楽しめるのがいい。 4番目以降の終活も始めているが、それは、また次の機会にしたい。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬、そして猫
2024.08.03
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