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↓僧院で語らう尼僧(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 成田に着いたのは13時30分ごろ。着いてからの集合はないので、ここからは荷物を受け取り次第五月雨式に解散となります。 入国審査を受け、ターンテーブルのところまで行くのに何人かのメンバーと会い、「(父が)楽しませてくれてありがとう」とお礼を言われました。現地の人とすぐに仲良くなり、お腹を壊しながらもがんばってツアーについてきて、検査の度にひっかかる父は、そのつもりはくても、いつの間にかみんなを楽しませる存在になっていました。お礼を言われたときも父はトイレに駆け込んでいたのですが、それも父らしいということでさらに笑いに…。今回の旅行は、本当にいろいろなことがありましたが、父のお陰で、あの状況にもかかわらず、常に笑いの耐えない雰囲気の良い中で遂行することができたと思います。ターンテーブルのところで荷物を受け取った後、添乗員さんと最後のお別れをしました。臨機応変の対応と、代替の観光地、予定外の訪問、日本食のプレゼント…などなど、本当に完璧なお仕事でした。今回の添乗員がこの方でよかったと、心から思える添乗ぶりでした。ガイドさん共々感謝の気持ちで一杯です。その後、最後の税関はひっかかることなく通り抜け、父とも空港で別れました。人生二度目の海外旅行、お疲れ様でした。そして、とても長くなってしまいましたが、チベット旅行記を最後まで読んでくださった方々ありがとうございましたm(_ _)m少しでも天空の都の空気を感じていただけたら幸いです。→人気ブログランキングへ--------------チベットで撮影した写真で壁紙を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年06月15日
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↓チベットの民芸品(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 無事チェックインを済ませ、次に出国審査、ボディチェックと続きます。心配だったので、父を先に行かせ、出国審査を無事パスしたので私も安心してチェックを受けていました。しかし、ボディチェックと手荷物検査も通過し、グループに合流すると、先に行ったはずの父がいません。まさか…と思い、ふと後ろを振り向くと、審査官に捕まっている父の姿がありました。でも塩は手荷物にはないはずなのに何故だと思って視線をずらすと、審査官の手にお土産に買ったマニ車が…。それを見たメンバーが再び大爆笑。父には悪いけど、私も添乗員さんも笑いがとまりません。マニ車は無事父の手に戻りましたが、最後の最後でチベットらしいオチをつけてくれました。 笑いがおさまらないなか、ここで大阪組とお別れです。東京組みのメンバーとゲート前で待っていると、添乗員さんが、ラサで別れたガイドさんに連絡を取ることができ、みんなの無事を確認することができました。ガイドさんたちは、なんとかラサに戻り、ホテルまでたどり着いたそうです。ラサの状況は、やはり混乱していて、ポタラ宮も完全に閉ざされ道も封鎖されているとのことでした。この後、飛行機は時間通り離陸し、写真を没収されることもなく無事に中国を出ることができました。→人気ブログランキングへ--------------チベットで撮影した写真で壁紙を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年06月14日
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↓こぼれ落ちた塩(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより なんとか北京まで来ましたが、心配なことがひとつありました。それは、何かのタイミングで今まで撮った写真を没収されないかということです。テレビでのラサのニュースを強制終了するような国というのを体験をもって知ったので、その時期に撮った写真も持ち出しを阻止されるのではないか、と空港につくたびビクビクしていました。そうなったときの対応もいろいろ考えていましたが、結局取り上げられることもなく、無事に持って出国できたのでよかったです。北京のホテルから、さらに旅行をつづけるというメンバーと別れ、空港に向かいました。北京担当のガイドさんとも別れ、チェックインのため荷物をカウンターの前に並べます。ここでは、グループチェックインが可能だったので、順番が来てからは、添乗員さんがみんなやってくれました。私たちは近くのベンチで終わるのを待っているだけです。お腹を壊している父もトイレを済ませ、ベンチで休んでいましたが、まもなく、添乗員さんに呼ばれました。荷物を開けて欲しいそうです。そこにいたメンバー一同大爆笑。また塩がひっかかったのです。しかも、今回も父だけ。でも父もすっかり慣れ、手際よく対応していました。→人気ブログランキングへ--------------チベットで撮影した写真で壁紙を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年06月12日
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↓チベットの子供たち(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 北京のホテルは、空港からとても近くにありすぐに着きました。ロビーで部屋割りを待っていると、カラオケの音が聞こえたり、他のお客さんも多く、旅行気分はすっかりなくなってしまいました。部屋に入ると、すぐにバックパックを開けました。実は、北京の空港で荷物が出てきたとき、上の部分が濡れていたのです。その時、原因はすぐにさっしが付き、父とケンカ。ラサの空港で預かった父のビールが破裂していたのです。幸い、2本入れたうちの1本だけで、まわりに詰めた帽子と手袋がほとんどの水分を吸っていたので、他の着替えとかは無事だったからよかったですが、最後の最後で本当にやられました。とりあえず、ビール被害にあったものを洗い部屋に干しましたが、バックパックは洗えないので、ビール臭いまま日本へもって帰ることになります。 この日の夜は、シャワーを浴び、すぐに眠りにつきました(T T →人気ブログランキングへ--------------先日、私が勤めている会社で「四川大地震」と「ミャンマー・サイクロン災害救援金」の募集があったので参加しました。チベットの人もたくさん被害にあったと思います。お小遣いをほんの少し募金しませんか?↓日本赤十字社で募集していました。(6月10日まで受付)■ミャンマー・サイクロン災害救援金■中国大地震救援金--------------チベットで撮影した写真で壁紙を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年06月08日
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↓ヒマラヤ上空(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 飛行機は一旦、成都に寄ります。同じ機体で北京まで行くのですが、一度全部の荷物を持って外にでなければなりません。成都の空港で待っていると、日本の旅行会社と連絡を取った添乗員さんから話しがありました。「今回のラサでの騒乱のニュースは日本でもかなり大きく報道されていて、チベット旅行に強いうちの会社にも、ツアーの日程を調べたマスコミからの問合せが相次いでいる。もしかしたら、北京で取材を受けるかもしれない。もし、都合が悪い方がいたら、みんな私が対応するので振ってください。大使館には、ツアーの無事を伝えてあり、そのことも報道されたようです。」若干ドキドキしながら北京につくと、予想を超えた数の各国のテレビカメラが待ち構えていました。ラサから到着した飛行機のターンテーブルは外から丸見えだったので、すでに目星はつけられていました。荷物を受け取って外にでると、わーっとカメラが寄ってきて、あっという間に囲まれました。添乗員さんが代表して応えてくれましたが、それでも各メンバーにマイクを向けてきます。現地のガイドさんとすぐに落ち合え、バスに向かいますが、しばらくずっと追いかけてきました。なんだか、悪いことしてないのに、まるで逃げるように空港を出て、なんとかバスに乗りましたが、みんな無言でぐったりしてました。→人気ブログランキングへ--------------先日、私が勤めている会社で「四川大地震」と「ミャンマー・サイクロン災害救援金」の募集があったので参加しました。チベットの人もたくさん被害にあったと思います。お小遣いをほんの少し募金しませんか?↓日本赤十字社で募集していました。(6月10日まで受付)■ミャンマー・サイクロン災害救援金■中国大地震救援金--------------チベットで撮影した写真で壁紙を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年06月04日
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↓チベット上空(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより なんとか全員通過し、ギリギリ飛行機に乗り込みます。最後にチェックインしたので、席も一番うしろのほうでかたまっていました。機内に入ると、みんな新聞を読んでいて、席はほとんど満席です。あとで添乗員さんに聞くと、この人たちはみんなラサから逃げ出す人で、いつもならこの時期、満席になるなんてことはないそうです。実際、添乗員さんの隣の人は、「前日にラサに入ったが、ポタラも観光できずホテルに缶詰めになった。ラサでは装甲車がいて発砲音も聞いた。すぐにチケットを今日に振り替えラサから出た。」と言っていたそうです。中国は「武器使用を否定」と発表していましたが、実際のところはどうなのでしょう。飛行機に乗れる人は裕福な人に限られます。多くのチベットの人は、飛行機に乗るお金がなく、現地に留まるしかないというのが現状だそうです。→人気ブログランキングへ--------------先日、私が勤めている会社で「四川大地震」と「ミャンマー・サイクロン災害救援金」の募集があったので参加しました。チベットの人もたくさん被害にあったと思います。お小遣いをほんの少し募金しませんか?↓日本赤十字社で募集していました。(6月10日まで受付)■ミャンマー・サイクロン災害救援金■中国大地震救援金--------------チベットで撮影した写真で壁紙を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年05月31日
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↓ラサ空港(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 無事ラサ空港に到着。ラサ騒乱の影響で混んでいるかと思ったのですが、空港内は、ひっそりとし、あまり人がいませんでした。チェックインをするにも並ばずに済みましたが、これがこのすぐ後大騒ぎとなります。なんと、騒乱のせいで、前日より新ルールが施行され、あらゆるセキュリティーチェックがかなり厳しくなっていたのです。荷物検査でほとんどの人がひっかかり、荷物を開けさせられました。スーツケースの中でも液体の持ち込みは制限され、ペットボトルの水は係員の目の前で飲んで見せ、ビールの個数も減らされました。この時、父の荷物に入っていたビールも個数をオーバーしていたので、出たぶんを私のほうに移したのですが、それがまたチェックでひっかかり再び荷物を開け、てんやわんや。父はビールの他にも(やっぱり)塩でもひっかかり、なめさせられたそうです。大混乱のチェックインを済ますと、ここでドライバーさんとお別れし、二階の搭乗ゲートへ走ります。すでに離陸の時間が迫っていました。ゲートの入り口でガイドさんたちと慌しくお別れです。ボディチェックでは、靴も脱がされ、金属探知機が鳴る鳴らないに関係なく、全員が手動でもチェックを受けました。でも、こういう有事の際は、これくらいやってもらった方が安心できますね。→人気ブログランキングへ--------------先日、私が勤めている会社で「四川大地震」と「ミャンマー・サイクロン災害救援金」の募集があったので参加しました。チベットの人もたくさん被害にあったと思います。お小遣いをほんの少し募金しませんか?↓日本赤十字社で募集していました。(6月10日まで受付)■ミャンマー・サイクロン災害救援金■中国大地震救援金--------------旅に関する興味深いランキングなんでも旅ランキングを新期に掲載しました。一生に一度は訪れたい世界遺産や、日本人観光客の評判など旅の参考になる情報ばかりです。→こちらからどうぞ
2008年05月29日
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↓チベットの民家(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより ツェタン市内でチベット最後の食事をしたあと、飛行機の時間に合わせて、少し急ぎ足で出発。途中、添乗員さんの思いつきで、民家訪問をすることになりました。ガイドさんに「絶対15分です」と念を押されての強行見学。もちろん、訪問先の民家にも突然のお邪魔となります。先にガイドさんが民家の人に確認をとり、了承を得ることが出来ました。 入り口までの道の両側の壁には、ヤクのフンが貼り付けられ干されています。これは火をおこすための燃料として使われるとのことでした。庭に入ると、いきなり大きなチベット犬に狂ったように吠えられ、みんなそこでドン引きです。そこから進めず足踏みしていると、家の人が出てきておとなしくなりました。そのスキに家の中にお邪魔します。庭には他にも、おとなしいチベット犬の子犬や子牛もいました。 家の人は突然の訪問にもかかわらず、快く招き入れてくれました。挨拶を交わしながら、二階の住居部分へ急な階段を上がっていきます。この家は、チベットの家の中でも裕福な方の家だそうで、たしかに大きく立派です。二階では、台所とリビング、仏間を見せていただきました。バルコニーではさきほどのヤクのフンを燃料にして火がおこされていました。仏間にはたくさんのバターランプが灯され、仏様が祀られています。僧侶だけでなく、一般人でも本当に信仰深いということを改めて実感しました。あっという間の訪問でしたが、チベットの人の生活を垣間見れて、添乗員さんとガイドさんたちに感謝です。→人気ブログランキングへ--------------先日、私が勤めている会社で「四川大地震」と「ミャンマー・サイクロン災害救援金」の募集があったので参加しました。チベットの人もたくさん被害にあったと思います。お小遣いをほんの少し募金しませんか?↓日本赤十字社で募集していました。(6月10日まで受付)■ミャンマー・サイクロン災害救援金■中国大地震救援金--------------旅に関する興味深いランキングなんでも旅ランキングを新期に掲載しました。一生に一度は訪れたい世界遺産や、日本人観光客の評判など旅の参考になる情報ばかりです。→こちらからどうぞ
2008年05月27日
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↓タントク寺(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 次に訪れたのは、タントク寺です。タントク寺はチベット最古の寺院のひとつで、その昔、仏教が入る前のチベットに住んでいた人の肉を食べる凶暴な悪鬼を鎮めるために、ソンツェンカンポ王がいくつか鬼の体の上に建てた寺院のうちのひとつです。文化革命によってかなり荒れ果てていましたが、今では復興が徐々に進んでいます。ここで有名なのは、2階のお堂にあるダライラマ5世が母親の供養のために、2万個の真珠で作っというパドマパニのタンカです。硝子越しなのでちょっと見づらいですが、小さな真珠がぎっしりと並んでいるその様は、今までの派手なタンカに比べると、とても落ち着いたシンプルな仕上がりです。このタンカは、たとえお金を払っても写真の撮影は禁止だそうです。→人気ブログランキングへ--------------先日、私が勤めている会社で「四川大地震」と「ミャンマー・サイクロン災害救援金」の募集があったので参加しました。チベットの人もたくさん被害にあったと思います。お小遣いをほんの少し募金しませんか?↓日本赤十字社で募集していました。(6月10日まで受付)■ミャンマー・サイクロン災害救援金■中国大地震救援金--------------旅に関する興味深いランキングなんでも旅ランキングを新期に掲載しました。一生に一度は訪れたい世界遺産や、日本人観光客の評判など旅の参考になる情報ばかりです。→こちらからどうぞ
2008年05月25日
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↓チベット最古の王宮ヨンブラカン(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 外に出て、そこからさらに登ると、山と山を渡したタルチョが大量に捧げられている場所に出ます。そこまでは少し急な登りになるのですが、その風景は一見の価値がありました。へばりそうな人は、さっきの売り子さんたちが手を引いて連れて行ってくれます。頂上は狭く、平らではないのでちょっと気をつける必要がありますが、ここから見るヨンブラカンとタルチョのはためきは、本当に圧巻でした。ここまで来たら、ぜひがんばって登ってみてください。頂上で、添乗員さんがルンタを分けてくれたので、それを撒いてみることにしました。ハジャロハジャロラソソソー!そう叫びながらなるべく高く、なるべく遠くにルンタを飛ばします。色とりどりのルンタが風に舞っていきました。どうか世界が平和になりますように…そんな願いを込めながら山を下りました。ここでは、さっきの売り子さんからタルチョをお土産に買い、麓の村でルンタを買いました。いいお土産が出来てよかったです。ヨンブラカンの麓の村では、子供たちが元気に遊び、若者は青空ビリヤードをしていました。その脇では、お母さんが糸を紡ぎ、家の角では家畜が草を食んでいます。そしてうちの父は、民家にお邪魔しトイレを拝借していたそうです。どうやらお腹を壊したらしい…。→人気ブログランキングへ--------------先日、私が勤めている会社で「四川大地震」と「ミャンマー・サイクロン災害救援金」の募集があったので参加しました。チベットの人もたくさん被害にあったと思います。お小遣いをほんの少し募金しませんか?↓日本赤十字社で募集していました。(6月10日まで受付)■ミャンマー・サイクロン災害救援金■中国大地震救援金--------------今まで撮った写真にエピソードを添えたひとことアルバムにカナダ、ニュージーランド、CGアートを掲載しました。カナダとNZは、若かりし頃ワーキングホリデーで訪れたときのものです。→こちらからどうぞ
2008年05月23日
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↓ヨンブラカンの僧侶たち(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 本日最初の観光地は、ホテルから15分ほどのヨンブラカン。ここは、チベット最初の王宮で、ヨンブ(母鹿)に見える丘の上に建っています。吐蕃の初代王、ニャティ・ツェンポが住んだ宮殿といわれ、2000年以上前に建てられた仏殿が残されています。建物までは、山道を徒歩で登っていくのですが、希望者はラクダや馬に乗っていくことも出来ます。体調を崩していた父は、10元払って馬に乗っていきました。他のメンバーでは、ラクダに乗った人もいます。道自体はそんなに急ではないので、歩いてでも十分登れます。建物に着くと、タルチョやルンタを売る売り子さんがいますが、とりあえずここではお断り。建物の入り口の階段をさらにのぼり中へ入るのですが、そこには6人のお坊さんがいて、食事をしていました。若い人から年配の人まで一緒に食卓を囲んでいます。食べているのはツァンパ。青麦の粉末で、味はきな粉のような感じです。それにバター茶を入れて手で練って食べるのですが、少し分けてくれたので、みんなで味見させてもらいました。中は吹き抜けの2階建てになっていて、2階には壁一面に経文が並んでいました。窓から朝日が差しこみ、バターランプの器をキラキラと照らしています。 とても小さな建物なので、すぐに見て周れますが、人も建物も本当に素朴で、こんな空気を感じることができてよかったと思える場所でした。→人気ブログランキングへ--------------今まで撮った写真にエピソードを添えたひとことアルバムにカナダ、ニュージーランド、CGアートを掲載しました。カナダとNZは、若かりし頃ワーキングホリデーで訪れたときのものです。→こちらからどうぞ
2008年05月22日
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↓ツェタンのホテル(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 2008年3月15日今日は9時出発なので、少しのんびりの朝です。朝食を食べにレストランに行くと、他の外国人旅行者のツアーの人たちがいました。聞くと、今日泊まっているのは、私たちとそのツアーだけだそうです。思い返せば、今までのホテルもガラガラで、観光地もかなり空いていました。ガイドさんが言っていましたが、今の時期は観光客も少なく、気候もいいので、一番のベストシーズンだということです。準備も終えて、ホテルの外観の写真を撮ろうと外に出ると、キーンと空気が張り詰めけっこう寒い。でも、暑いより寒い方が好きな私にとっては、この感じは嫌いではありません。 ホテルを出発し、ツェタンの街中を通っていきましたが、今のところラサ騒乱による変化はないようです。いよいよチベット最後の観光が始まります。今まで、体調を崩すも一人も脱落することなく、ここまで来ることができました。添乗員さんの話しでは、やはりチベットは高地でハードな旅になるので、途中で帰国する人もたまにいるそうです。→人気ブログランキングへ--------------今まで撮った写真にエピソードを添えたひとことアルバムにカナダ、ニュージーランド、CGアートを掲載しました。カナダとNZは、若かりし頃ワーキングホリデーで訪れたときのものです。→こちらからどうぞ
2008年05月21日
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↓本場のバター茶(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 夕暮れの中、またあのオフロードをひたすら戻ります。ヤルツォンポ大橋を渡るころには、もうすっかり暗くなっていました。 ツェタンのホテルに一度よって荷物を下ろした後、そのまま夕食のレストランへ。ここでは添乗員さんが、ちらし寿司を作って出してくれました。体調を崩していた人もいたので、(そうでなくても)これはうれしいプレゼントです。また、食後には、観光用ではない地元のバター茶のサービスまで。本当に至れり尽くせりです。この食事中、入域許可証を取るべく、みんなのパスポートが集められガイドさんが手続きにいってくれました。ツェタンもラサと同様に入域許可証が必要で、とくに証書をもらうとか、パスポートに記載されるとかはありませんでしたが、なんだかやはりそいうのを聞くと、特別な地域のような感じがします。食事の後、そこからすぐのホテルに徒歩で戻りました。部屋についてテレビをつけると、どこか外国の衛星放送でラサの騒乱風景が映りました。それは、私の想像を超えた混乱振りでした。でも、こういう形で放送されているということは、世界中のニュースで流されているということでしょう。驚きながらテレビを見ていると、突然その放送がブツッと切れました。どうやら中国当局によって電波が切られたようです。他のチャンネルは平気でしたが、そのチャンネルだけはその後つくことはありませんでした。無事に中国を出れるんだろうか…その時ふと頭をよぎりました。→人気ブログランキングへ--------------今まで撮った写真にエピソードを添えたひとことアルバムにカナダ、ニュージーランド、CGアートを掲載しました。カナダとNZは、若かりし頃ワーキングホリデーで訪れたときのものです。→こちらからどうぞ
2008年05月20日
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↓ヘポリの丘(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 問答見学という思わぬサプライズがあったサムエ寺の観光後、その近くにあるヘポ・リの丘へ登るためにバスで出発しようとしました。すると、サムエ寺のお坊さん3人がツェタンの町まで乗せていって欲しいと言ってきました。全員一致で承諾しましたが、結局乗ってこなかったのでどうしたのかと思ったら、お坊さんから、検問があって(バスに僧侶が乗っていると)問題になるかもしれないのでやはり止めておくと言って来たそうです。とても複雑な思いでサムエ寺を後にしましたが、その時、頼んで来たお坊さんたちが、笑顔で私たちに手を振って見送ってくれました。その姿を見ながら添乗員さんが、私たちが承諾してくれてうれしかったのでしょうと言っていました。数分でヘポ・リの丘の登山口に着きました。ここの頂上からは、サムエ寺が形成される曼荼羅の形が見えるというので有名です。しかし今日は、丘の上には軍がいて、途中までしか行けないということでした。とりあえず、行けるところまでいってみることに。登るのは希望者のみで、父を含め数人の人はバスでお留守番。 早速登り始めますが、息が切れます。丘といっても、すでにスタート地点が3400m(ツェタンの標高)以上もあるので、ちょっとした丘登りとは少し事情が違います。息を切らしながらも、ゆっくりと登っていくと、眼下に夕陽に照らされるサムエ寺とそのまわりの家々が広がりました。そこからさらに上に登るのですが、私はそこまでにし、写真を撮ることにしました。私たちのいるところからは、サムエ寺が曼荼羅の形には見えなかったので、やはりそれを見るにはもっと上まで行かないといけないのでしょう。 夕陽でキラキラ光る山間の街並みを満喫し、ヘポ・リの丘を下りました。→人気ブログランキングへ--------------今まで撮った写真にエピソードを添えたひとことアルバムにカナダ、ニュージーランド、CGアートを掲載しました。カナダとNZは、若かりし頃ワーキングホリデーで訪れたときのものです。→こちらからどうぞ
2008年05月19日
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↓チベット問答(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより サムエ寺の3階までくると金網が張り巡らされ、地上を見渡すことができました。そこで写真を撮っていると、「パン、パン」という音が遠くから聞こえるのに気付きました。その音の方をよく見ると、別のお堂の庭にたくさんの僧侶が小さく見えました。もしかして「問答」か!?実は、ラサのセラ寺で問答を見る予定でしたが、デモが起き見ることができませんでした。そのためすっかり諦めていたのですが、まさかここでこんなチャンスが訪れるとは。逃す手はありません。急遽、ガイドさんにお願いして、問答をしているお堂に連れて行ってもらいました。小さな扉を入ると、たくさんの赤い袈裟を来たお坊さんが、3人一組になって問答をしています。問答をする言葉は、チベット語とは違い、チベット人のガイドさんも理解できないそうです。一人が立って、その前に座っている二人に向けて、パンと手を打ちながら問答を繰り返します。もともとチベット人は、体格がよく背も高いので、そのやりとりはとても迫力あるものでした。→人気ブログランキングへ--------------今まで撮った写真にエピソードを添えたひとことアルバムにカナダ、ニュージーランド、CGアートを掲載しました。カナダとNZは、若かりし頃ワーキングホリデーで訪れたときのものです。→こちらからどうぞ
2008年05月18日
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↓チベット最初の僧院サムエ寺(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 結構な時間をかけ、やっとサムエ寺に到着。サムエ寺はチベット仏教建築の最高傑作といわれ、チベット仏教最初の僧院です。8世紀に、仏教を国教と定めたティソン・デツェンパによって建てられました。僧院とは、僧侶が修行と勉学に励む場所で、ジョカンのような寺院とは違うそうです。この僧院(ゴンパ)の建設は、当初なかなか進みませんでした。仏教が広まるのを妨害する土着の土地神や龍神によって、昼間の工事がすべて夜の間に壊されてしまうのです。このためティソン・デツェン王は、密教の力を借りるために、インドのヴァラナシから密教行者であるパドマサンバヴァ(後のニンマ派開祖)を招きました。彼は、土着の神々を手なづけ、仏教の護法神に変え、無事完成させたといわれています。 またこのサムエ寺の建築は、神様の世界である曼荼羅を表すよう設計され、須弥山(全ての中心・神々の地)を中心とした宇宙観に従い、4つの大陸を表す4つのお堂と、4色のチョルテン(仏塔)が四方を固めています。建物は3階建てで、1階はチベット風、2階は中国風、3階は印度風に作られています。お堂の中は、赤い電気の光に照らされ、赤い部屋がさらに赤く染まっていました。たくさんの黄金の仏像に囲まれ、僧侶達はこのなかでお経を唱えるのでしょう。中庭には、ぐるりとマニ車が一周しており、ポタラ宮のコルラと同じように、回しながら一周しました。その後2階、3階へと登っていきます。→人気ブログランキングへ--------------今まで撮った写真にエピソードを添えたひとことアルバムを掲載しました。まずはチベットとウズベキスタンから。→こちらからどうぞ
2008年05月17日
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↓サムエ寺までの道(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより ラサ騒乱の一報を受けた後、今日宿泊するツェタンの町を一度通り抜け、チベット最初の僧院サムエ寺に向かいます。ツェタンはまだ情報が伝わっていないかのように、一見平和そのものでした。ヤルツォンポ大橋を渡ると、道は一気に悪くなり恐ろしく揺れ始めます。それはバスの天井についている非常口の扉が跳ね上がって開いてしまうほど。それと同時に、なんでこんなところにこんな砂漠が…と思えるほどの壮大な砂漠が広がってきます。 サムエ寺までの道は、ヤルツォンポ川沿いにカンパ・ラ峠に行ったときのようなくねくね道を進んでいくのですが、水と砂漠と雪山という相反する素材が普通に同居していて、こういう風景は現実にありえないと思っていたので、かなりの衝撃を受けました。これは、絶対に一見の価値ものだと自信を持って言える景色のひとつです。峠でしかバスを降りて写真を撮れなかったのが残念でなりません。→人気ブログランキングへ--------------先日訪れた北アルプスのスライドを掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年05月16日
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↓ヤルツァンポ川(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより お腹もいっぱいになり、罰金帳消しの希望も見えたところでレストランを出発。ヤルツァンポ川の写真撮影や青空トイレ休憩をとったりしながら、一路ツェタンに向けてバスは順調に走ります。もうすぐツェタンの町に入ろうかというとき、時間は16時ごろでした。添乗員さんから、ラサ騒乱についての一報があったと、私たちに話しがありました。内容は以下のものです。「今、ジョカンのまわりに装甲車がきていて、車が5台くらい燃えている。ラサ自体が大変なことになっていて、(先日訪れた)小昭寺でも問題が起きたらしい。ラサにいる観光客は、どうすることもできずにいて、もちろんお寺の観光どころではなくなっている。まだ、ツェタンは大丈夫だが、万一に備えて夜間の外出は控えるように。」この時、信じられないという気持ちと同時に、初めて危機感を感じました。今日の朝までいた町が、今では装甲車も現れ、暴動が起き大変なことになっているのです。 一緒に記念撮影をしたりお店を周って値切ったジョカンの周りには、仲良くなったあの女性と同じ、たくさんの巡礼者がいたはずです。砂曼荼羅の制作風景をこころよく見学させてくれた小昭寺のお坊さんたちや、そこで英語を勉強して話しかけてくれた若い僧侶もいました。ポタラの夜景を撮影中に、後ろからそっとカメラを覗き込んできたお坊さんたちも…。次々と、つい先日出会った人々の顔が浮かんできます。 メンバーみんなが神妙な面持ちでいました。でも、そんなメンバーに添乗員さんが頼もしい言葉をかけてくれました。「私の仕事は、皆様を無事に帰国させることです。皆様の安全を第一に考え、臨機応変にツアーを遂行していきます。このような状況下の中では見学できないお寺も出てきますが、そこはできるだけ他の場所にご案内し本来のツアー以上にご満足いただけるよう、ガイドさんと協力して精一杯がんばります。」この旅行会社にしてよかった。そして、添乗員さんがこの人でよかったと心から思いました。→人気ブログランキングへ--------------先日訪れた北アルプスのスライドを掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年05月15日
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↓道を横切る羊たち(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより さて、お腹も空いたところでラサ空港近くのレストランへ昼食に向かいます。のんびりとした田舎の風景を楽しんでいると、青空トイレでもないのにバスが停車し、ドライバーさんが外へ出て行きました。どうしたのかと思っていると、どうやらスピード違反で警察に捕まったようです。バスの中から外を見ると、他にもたくさんの車が列をなして道路脇にとめられいました。そして、パトカーが2台と警官がいて、のんびりと対応しています。 こちらのドライバーさんは、ガイドさんも協力しいろいろと交渉しています。10分…20分…どんどん時間が過ぎていきます。30分以上も過ぎた頃やっと戻ってきましたが、結局2000元の罰金を取られてしまったようです。そんなにスピードも出ていなかったのになぜかと思ったら、この高速道路並みの整備された道の制限速度が40kmということで、みんなひっかかってしまったそうです。とりあえず、消沈のドライバーさんが運転するバスで、レストランに向かいました。時間はもうとっくにお昼を過ぎています。小さな町の小さなレストランでしたが、味もボリュームも申し分なくすっかり満腹に。しかしここでは、うれしいおまけがついていました。お店の人に罰金のことを話したら、なんと、その中のスタッフの親戚に警察の偉い人がいるので、話しをつけてくれるということになりました。 結果はどうなったのか知りませんが、なんとも中国らしい話しです。実はこのあと、再び検問で車を止められました。それは、時間制限のある区間の始まりで、そこを通過した時間を記載したチケットを次のチェックポイントでまた見せ、ちゃんと決められた時間をかけて走っているか(つまり、スピードを守っているか)を取り締まるものです。↓検問でもらった切符でも、ガラガラの道では、あまり意味がないような気もする一同でした。→人気ブログランキングへ--------------先日訪れた北アルプスのスライドを掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年05月14日
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↓ゴンカルチュテンゴンパ(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより ゴンカルチュテンゴンパは、サキャ派の珍しいお寺だそうです。本尊はお釈迦様で、600年の歴史があります。かつては、200人ほどのお坊さんがいたそうですが、今では50人くらいに減ったそうです。そういえば、ガイドさんの話を思い返すと、今まで訪れたお寺でもお坊さんの数が減っていました。 ここでは、キッチンと本道を見学しましたが、やはり写真を撮るのにはいくらかかかります。めったに来れないので迷わず払い、撮影させてもらいました。 本道に入ると、天井近くの高い窓から日の光が一筋差しこみ、内部の煌びやかな内装を照らしています。まるで仏様が下りてくるような、それはなんとも言えない神秘的な光景でした。なんとなく、チベット仏教を深く信仰するチベタンの気持ちが、ほんの少しわかったような気がします。→人気ブログランキングへ--------------先日訪れた北アルプスのスライドを掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年05月12日
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↓ヤムドゥク湖(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより およそ4800mから見えるのは、聖なる湖ヤムドゥク湖。峠からは見下ろすかたちですが、それでも4440mもの標高があります。写真でよく見る風景が、目の前にそのまま広がっていました。今は凍っていますが、そうとは思えないほどの鮮やかなトルコブルー。チベタンが「聖なる湖」と崇めるのがよくわかります。さっそく写真を撮り始めました。峠はそんなに広くないので、どこから撮っても同じようなアングルになってしまうのですが、あまりの美しさについつい何枚もシャッターをきってしまいます。一通り湖の写真を撮ったあとは、峠の写真を撮りに行きました。他の観光客がいなかったので、人を入れずに撮るのがラクです。撮りながら、先日もらったタカを私も供えてみました。真っ白な長い布が、他のたくさんのタカやタルチョとともに太陽の光に輝きます。そこへ、ガイドさんが来てルンタを撒いてくれました。いろとりどりのルンタが真っ青な空に舞い上がっていきます。ルンタを撒く意味には、チベット仏教を世界に広めるという願いの他に、無事に峠を越えられるようにとの願いも込められているそうです。先日越えた橡皮山峠もそうでしたが、たしかに峠や山頂に行くと、たくさんのタルチョやタカが供えられ、地面には撒かれたルンタが落ちていました。カンパ・ラ峠での時間を満喫し、再びバスに戻り、寄せ書きをしたタカを車窓に見ながら峠を後にしました。その時、ちょうど入れ替えに中国の団体客が到着し、たくさんの人が数台のバスから下りてきました。重ならなくてよかった…。 行きと同じくねくね道を下り、次は、予定にはないゴンカルチュテンゴンパに寄ることになりました。→人気ブログランキングへ--------------先日訪れた北アルプスのスライドを掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年05月11日
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↓4749mカンパ・ラ峠(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより トイレも済ませ、まず目指すのは、標高4749mのカンパ・ラ峠。また記録更新です。 木の生えていない、茶色い荒涼とした山道に入ると切り立った崖の細い道をぐんぐんと登っていきます。山道らしいU字のくねくねした道が延々とつづき、眼下には段々畑なども広がっていました。標高が上がるにつれ、若干頭が痛くなってきたような気がします。私の父は青蔵鉄道に乗った日から高山病で体調があまりよくなかったのですが、やはり早くから頭が痛いと言っていました。父の隣に座っていた同じ年くらいの男性も調子が悪いらしく、すっかり意気投合し「お互いがんばりましょう」と励ましあっていました。(←もう、何かの合宿のよう)けっこう長い時間をかけて頂上につくと、貧血を起こしたときのようにサーと血の気が引くような感じがして頭がフラつきました。でも、深呼吸をしながらゆっくりと行動しているうちに治まったので、ホッと一安心。バスの周りには、アクセサリーなどのお土産を売る人や、チベット犬を連れた人たちが集まってきました。添乗員さんの話だと、このチベット犬の写真を撮るとお金を取られるので、勝手に撮らないようにとのことです。バスから下りると添乗員さんが、タカに名前を書いてそれを供えるというのでみんなで書きました。今でもこの峠ではためいていることでしょう。→人気ブログランキングへ--------------先日訪れた北アルプスのスライドを掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年05月10日
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↓偉い人のトイレ(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 3月14日早朝7時30分。あのラサでの大騒乱がこの後起こるとは知るよしもなく、まだ静寂につつまれているラサのホテルを出発しました。今日はツェタンまでの長距離移動ですが、5つ星ホテルに3連泊し、すっかり高所にも慣れたあとなので、苦痛というよりは、どんな景色が待っているのかとても楽しみでした。バスは、ラサ川、ヤルツァンポ川に沿って中尼公路を進みます。途中、町の堺で検問が行われていました。僧侶の出入りを禁止しているとのことです。なんだか刻々と状況が変化していますが、まだこの時は、(表立っては)差し迫った危険な感じはしませんでした。問題なく検問を通過し、中国の偉い人(名前は忘れました)がこの辺を訪れたときにトイレがなくて困ったということで、3日間で作ったというトイレに立ち寄りました。偉い人のために作ったにもかかわらず、中国でのこういう郊外にあるトイレは、基本的に床に穴を開けただけの扉のない(仕切りはある)もののようです。--------------先日訪れた北アルプスのスライドを掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年05月09日
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↓チベットの鍋ギャコック(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより ポタラ宮のコルラを終えて、すっかりお腹が空きました。今夜の夕食はギャコックというチベットの鍋です。なんだか怪獣のような名前のその料理は、煙突型の鍋にヤクでとったスープをいれ、野菜やハムを入れて煮込むのですが、これが…ちょっと、イマイチな感じで箸が進みません。つけダレもいろいろ工夫して薬味をいれたりしたのですが、スープの脂っこさがそれを全て打ち消し、だんだん気持ち悪くなってきました。他のみんなも徐々に元気がなくなり、半ば諦めムードで、後でラーメン食べに行こうなどと話しています。でも、めったに食べれないご当地料理を食べれたのは、いい経験になりました。食事をしていると、添乗員さんからラサのスーパーマーケットに寄りませんか?という嬉しい提案がありました。個人的には、地元のスーパーに行くのはとても好きで、他の国でもチャンスがあれば必ず寄ります。全員一致で行くことになりました。 ハデハデで大きなお店に入ると、本当に品数豊富で、食品から日用雑貨、CDまでなんでもそろっています。私は自分用のお茶とお土産用のお菓子などを購入。時間いっぱいまで楽しみました。満足してホテルに戻る途中、ポタラ宮の前を通ったのですが、昨日(3月12日)と比べて警察や軍の姿がかなり増えていました。ガイドさんも「今日はちょっといつもより多い」と言っていましたが、なぜなのか理由はわからないようでした。--------------先日訪れた北アルプスのスライドを掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年05月06日
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↓世界遺産ポタラ宮のマニ車(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより ジョカンの後は西蔵博物館へ向かいました。本当は閉館が4時半でしたが、(ここでも)無理を言って5時半までにしてもらいました。ここでは、日本語対応のイヤホンガイドでの見学となりますが、その説明があくまで中国寄りだったとみんな言っていました。展示物は豊富で、じっくりみていたらかなりの時間が必要そうですが、私はあまり興味をひかれるものがなく、時間よりも早く出てきてしまいました。 入り口の椅子に座って時間まで待っていると、旅遊局に呼び出しを受けた添乗員さんが帰ってきました。どうだったか聞くと、結局、打ち合わせのために立ち寄った手配会社で、もう大丈夫と言われ、旅遊局には行かずに済んだ、ということでホッと一安心です。博物館のあと、ポタラ宮の裏側と雪山が一緒に撮れるスポットを探しバスでうろうろ。あまりいい場所ではありませんでたが、なんとか小さく見ることが出来ました。その後再びバスに乗り、これも予定外のポタラ宮でコルラをしに行きました。添乗員さんが言うには、日本にいろいろな旅行会社があるが、この「夢」を実現したツアーはないでしょうとのことです。 約50分かけて、ポタラ宮のまわりにある数え切れないほどズラリと並んだマニ車を回しながらコルラを終えました。終わった後の手をみると、マニ車で真っ黒になっていましたが、全て回したという達成感で一杯です。ポタラ宮の脇に駐車してあるバスに戻るとき、その駐車場の端っこに、軍の車が3台止まっていました。ナンバーは隠されています。いつもはないそうですが、今ラサのお寺でおこっているデモと関係があるのでしょう。昨日添乗員さんが言っていた言葉を思い出します。ポタラも今夜か明日には見れなくなるかもしれない…--------------今日はこれからGW後半のお出かけです。皆様も良い休日をお過ごしください。--------------先日訪れた北アルプスのスライドを掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年05月04日
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↓ジョカン(大昭寺)(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 本当に開いているのかドキドキしながら門の前に行くと、無事開きました。チベット密教の総本山的役割をしているジョカンを見ずしてチベットは語れません。ジョカンは、7世紀ごろ、ソンツェンガンポのもう一人の妃、ネパールから送られたティツンによって建てられたチベット最古のラカン(寺院)です。遠路はるばる五体投地でやってくる巡礼者が目指すのが、ポタラ宮のご本尊とともに、このジョカンのお釈迦様なのです。私たちもご本尊の前で五体投地をしました。ジョカンの2階からは、ポタラ宮が綺麗に見れるとのことですが、この時は、2階に上がることはできませんでした。恐らく警察に占拠されているのだろうということです。添乗員さんが後の旅行記録の中で書かれていましたが、この日数時間大昭寺が開いたのは、中国がチベットの問題はもう解決したと観光客に示すことが目的だったのかもしれない。この日、数時間開いて以降、3月末の今でも大昭寺の門は閉ざされたままです。そう考えると、あの数時間に滑り込めたのは、本当に運がよかったのですが、日本へ帰ったあと詳しい状況を知り、先日ジョカンが記者団に公開されたとき、泣きながら訴えている僧侶の姿を見たときは、とてもやりきれない思いで一杯でした。あの時ジョカンを訪れたとき、緊迫した雰囲気はまったく感じ取れなかったのです。2階では、いったい何が起こっていたのか今では謎のままです。この後、西蔵博物館の見学ですが、その間、添乗員さんとガイドさんは旅遊局に呼び出しをされたということで、そちらに出向くことになりました。理由は、昨日大昭寺での見学をしつこくせまったからというものだそうです。少しお灸をすえられるだけで、強制送還とかはないと言っていましたが、ちょっと心配です。でも、今考えるとあのときの状況では、向こう(中国)もピリピリしていたんでしょう。--------------先日訪れた北アルプスのスライドを掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年05月03日
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↓青蔵鉄道ラサ駅(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより チベット旅行記を再開します。チベット旅行6日目の3月13日。パラルブ寺の後、2001年に「ラサのポタラ宮歴史地区」として世界遺産に追加登録されたノンブリンカに行きました。ノンブリンカとは、宝の公園という意味で、1755年のダライラマ7世の頃に、法王の夏の離宮として立てられました。見所は、14世が実際に住んでいた宮殿タクテン・ミギュル・ポタンで、1954年に完成した新しいものです。14世はその5年後に、このノンブリンカから亡命しました。現在は、ラサの人々の憩いの場になっているそうです。黄金に輝く屋根の宮殿内部には、ダライラマ14世が子供の頃愛用したラジオや、猫の絵、チベットで唯一のダライラマ14世の肖像を見ることが出来ました。また、ポタラ宮やジョカン、ツェタンの歴史を描いた壁画も圧巻です。のんびりと園内を散策したあと、市内のレストランで昼食を取り、余った時間で、その近くにあったポタラ宮とジョカンを見つめる金のヤクの像の写真を撮りにいきました。その後、これも予定にはなかったラサ駅に向かいます。ラサに着いたときは夜で、写真が撮れなかったのでリクエストしたら叶えてくれました。実は、ラサ駅は街から離れているので、ツアーではなかなか来れないそうです。 ラサ川を渡り、ポタラ宮をモデルにしたといわれるラサ駅へ。広大なロータリーの向こうに、山々を背に従え、大きな駅舎が横たわっています。今の時間は列車の乗り入れがないため閑散として、構内には入れませんでしたが、昼間に見れてよかったです。時間まで散策していると、添乗員さんが慌てた様子で近づいてきました。ジョカンが見学できるかもしれません。急いでバスに戻ってください!と驚きの朗報。バスの中で詳しい話を聞くと、突然今日の15時30分から開けるという情報を得たということです。急いで警察に占拠され閉鎖されていた現場(ジョカン)に向かいます。それにしても、本当に行って見ないとわからない、添乗員泣かせの中国旅行です。--------------今回訪れた北アルプスのスライドを掲載しました。→こちらからどうぞ
2008年05月02日
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↓ラサの薬王山(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより チベット旅行6日目の3月13日。予定にはなかった薬王山(チャクポ・リ)から観光開始です。摩崖石刻と呼ばれる岩壁にたくさんの仏様が描かれていて、その前でみんな五体投地をしています。 その脇の道を上がっていくと、マニ石を掘る青空工房があり、その先にマニ塚という巨大なピラミッドのような塚がそびえ立っていました。巡礼者は、右手にマニ車、左手に数珠を持って、その周りを右回りにまわり、下までおりてきます。私たちも同じように一周してバスに戻りました。途中、ポタラ宮の撮影スポットの丘に登ったあと、崖にへばりつくように建っているパラルブ寺へ。ソンツェンガンポ王が7世紀ごろに作った石窟寺院です。中に入ると予想通り、階段を上がらなければならない構造でした。でもがんばった甲斐があり、頂上からは綺麗にポタラ宮が見れました。中に入ると、ご本尊のお釈迦様が岩の洞窟のなかに祀られています。別の部屋に行くと、お坊さんが赤い長細い紙に何か書いていました。ガイドさんに聞くと、この紙に自分の名前や亡くなった人の名前を書いてもらうと仏様のご加護が受けれるというので、さっそくお布施を払い、数年前になくなった家族の名前を書いてもらいました。天国で喜んでくれると嬉しいです。 そのあと入り口の方に戻ると、バターランプの修行場があるということで、併設されている建物に行って見ました。中に入ると一人の僧侶がいて、炎の熱で灼熱の中、数え切れないほどのランプに火を灯していました。冬でもこんなに暑いのに、夏はさぞかし大変だろうと思います。--------------今夜から夜行バスで山登りにいってきます。また写真撮ってくるので楽しみにしていてくださいね(^^/--------------今回訪れたチベットの写真で無料ジグソーパズルを作成しました。→こちらからどうぞ
2008年04月27日
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↓世界遺産ポタラ宮のライトアップ(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 夕食後店を出て、バスに戻るためにパルコルを通って行ったのですが、もう暗くなりかけているのに巡礼者がまだたくさん歩いていました。ふと見ると、父が赤い袈裟を来た一人の女性に日本語で話しかけています。もちろんわかるわけがないのですが、お互い自分の言葉でなんとなく会話になっているようでした。今回、父とは初めて海外旅行をしましたが、まったく物怖じせず、ガンガン地元の人に(日本語で)話しかけていく姿にはかなり驚きました。今まで長い間「親子」をしていましたが、全然気付かなかった意外な一面です。私も途中から加わり、すっかり仲良くなって最後に一緒に写真を撮りました。バスに乗った後、一旦ホテルに戻り希望者をポタラ宮のライトアップ鑑賞に連れて行ってくれました。これも本来は予定にはありませんでした。ほとんどの人が参加し、ポタラ宮へ。青蔵鉄道でラサに着いてホテルに向かう途中、遠くに見えましたが、間近に見るとその迫力と美しさに圧巻です。 30分の写真タイムを三脚を担ぎフルに活用しました。撮影をしていると、いつの間にか後ろに人がいることが何度かあり、その度に撮った写真を液晶で見せてあげました。言葉は通じませんが、なんとなくコミュニケーションが取れた楽しいひと時です。あっという間のライトアップ鑑賞&写真撮影を終え、今日も夜遅くにホテルに戻りました。--------------今回訪れたチベットの写真で無料ジグソーパズルを作成しました。→こちらからどうぞ
2008年04月26日
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↓チベットの民族舞踊(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 尼寺で休憩をした後は、ジョカンの周りをとりまく八角街(パルコル)に戻り、一時間ほどのフリータイム。様々な民族衣装を着たたくさんの巡礼者と混じって、出店で買い物をしました。いろいろなお店で値切り倒し、父はマニ車、私は小さなマニ車を模したネックレスなどをゲット。そうこうしているとあっという間に時間がすぎ、集合場所のレストランへ行きました。ここでは夕食を食べることになっていたのですが、バイキング形式になっていてヤクのチーズや肉、ツァンパなどのチベット料理を民族舞踊を見ながらいただくことができました。その民族舞踊はとても迫力があったのですが、メンバーのなかにどうも新人の子がいて、ちょいちょい踊りをまちがえます。しまいには見事に転倒し、本人も他の踊り手も私達も笑いをこらえながら(実際はこらえられなかった)の鑑賞でした。楽しい夕食が終わり、レストランの一階にある高級そうなお土産物屋さんで、父がトルコ石のネックレスを母のために買っていました。ちょっとお高かったのですが、ガイドさんと協力してここでも値切り倒し、かなり安く手に入れられたみたいです。そして、「証拠写真」だと言って、お店の人と一緒に記念撮影。偽物だったらこの写真を持ってまたこのお店に来るそうです。--------------今回訪れたチベットの写真で無料壁紙を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年04月25日
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↓尼僧院アニツァングンの尼さん(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 再びバスにのり、大昭寺(ジョカン)へ向かいました。しかし、突然封鎖されていて、添乗員さんやガイドさんたちが交渉しても見学はできませんでした。すでに警察に占拠されてしまったそうです。いったいこのチベットで何が起きているのか、現地ではガイドさん同士のネットワークや、日本の旅行会社とのコンタクトで得られる情報のみで、詳しいはっきりとした情報が得られません。しかし、こんな状況でもジョカンのまわりでは、熱心に五体投地する人の姿がたくさんありました。私たちは予定を変更して、ジョカン近くの尼僧院アニツァングンへ行きました。このあたりは、ラサの旧市街でチベット風の建物が立ち並んでいます。その雰囲気のある路地をしばらく進んでいくと、こじんまりとした僧院に到着。よく見ていないとうっかり見過ごしてしまいそうな入り口です。さすが女性だけとあって内部は整然と美しく整理され、雰囲気もなんとなく柔らかい感じです。添乗員さんたちが、ジョカンに入れなかったという事情を話すと、快く写真撮影の許可をしてくれました。本堂の主尊は十一面千手観音で、小さいながらも金色に輝いていました。本堂の隣には、ソンツェンガンポが瞑想したという洞窟のような部屋が隣接されています。また、院内には、マニ車の中にいれる小さな経典の工房もあり、尼僧たちがおしゃべりしながら作業をしていました。住居部分になっている最上階まで見学したあと、ガイドさんのおごりで併設されているカフェでヤクのミルクティーをいただきました。あまくて癖がなくとてもおいしかったです。--------------今回訪れたチベットの写真で無料壁紙を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年04月24日
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↓砂曼荼羅に使う砂(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより チベット僧侶による砂曼荼羅の作成作業を見学していると、一人の僧侶が私に英語で話しかけてきました。私はチベット語も中国語も話せないので、まさか僧侶と直接コミュニケーションがとれるとは思ってもいなかったのでびっくりして英語で話をしてみました。私:英語を話せるの?僧:少しだけ私:英語はどこで勉強したの?僧:ここで私:ここにいる人はみんな英語を話せるの?僧:いいえ、たぶん自分だけどうやらこの若い僧侶は、独学で英語を勉強したようです。やはり、観光客も増えたりして、だんだんと国際化しているのでしょうか。砂曼荼羅の制作といい、小昭寺ではいろいろと貴重な体験をさせてもらいました。--------------今回訪れたチベットの写真で無料壁紙を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年04月23日
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↓チベット僧侶による砂曼荼羅の作成風景(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 診察の後は、当初の予定にはない小昭寺へ行きました。バターや肉、雑貨、お土産物のお店がひしめく参道を少し歩くと到着です。入り口には、遠くから来た巡礼者がたくさん座っていました。ここは、大昭寺(ジョカン)と並ぶほど古いお寺で、重要文化財に指定されています。文成公主が唐の建築師を招いて作らせたお寺のため、その建築様式は、唐代の特徴を少し残しているそうです。火災で何度も焼失し、現存するものは立て直されたものです。現在のご本尊は不動金剛像ですが、かつての本尊は、現在大昭寺に祭られている釈迦牟尼像だったと言われています。今回はここでとても珍しい光景を見ることが出来ました。それは、僧侶たちによる砂曼荼羅の製作現場です。添乗員さんによると、こんな機会はめったになく、旅行者が50回来ても見るのは難しいとか。セラ寺やデプン寺の見学ができないのは残念でしたが、その代わりこんな貴重な光景を見ることができて、本当によかったです。さらに、添乗員さんがお坊さんたちに頼み込んで、お布施を渡し、写真撮影もすることができました。お坊さん達は台を囲んでお経を見ながら、定規やコンパスを使って線や円を描いていきます。とても神聖な作業だと思いますが、ガタイのいい丸坊主のお坊さん達が頭をつき合わせて、低い静かな声でボソボソと相談しながら一生懸命細かい構図をとる姿は、なんだかとても親近感が沸いてしまいました。中には、日本のお父さんのように、えんぴつを耳にはさんで作業している人もいて、思わず微笑が(^^--------------今回訪れたチベットの写真で無料壁紙を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年04月22日
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↓ラサでのランチ(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 私たちがラサ市内のレストランで昼食をとっている間、ガイドさんがタクシーでセラ寺まで見学できないか確認しに行ったそうですが、現在はお寺に続く道自体が封鎖されていて、近づくこともできないとのことでした。残念ですが、仕方ありません。昼食後はチベット医学の蔵病院へ行きました。ここには、チベット医学の考え方や実際使われている薬草、トルコ石や山さんごなどの鉱物、冬虫夏草などが展示されていて、他に見学者がいなかったこの日は、本物のお医者さんが館内を案内してくれました。見学後は、薬草茶をいただきながら、案内してくれたお医者さんによる無料の脈診も希望者にしてくれました。脈を診ただけでその人の体調を診断できるそうです。チベットに来て初めて知りましたが、このチベット医学というのは、世界の医学者がいろいろと参考にするほどレベルが高い医学だそうです。--------------今回訪れたチベットの写真で無料壁紙を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年04月21日
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↓チベットの世界遺産ポタラ宮の白宮異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 内部には、チベットの仏教徒が巡礼の対象に訪れる歴代ダライラマの玉座や霊塔があり、その中でも、最も偉大なダライラマの一人として名高い5世の霊廟は圧巻です。その高さは14mもあり、3700Kgの黄金と15000個の宝石が使われているそうです。他にも、3階にある時輪殿のチベット密教の最奥儀とされるカーラチャクラの立体曼荼羅は一見の価値あり。 その後私たちは、ポタラ宮で最も重要なご本尊の観音様の前にたどり着きました。多くの巡礼者の最終目的地のひとつとされる神聖な場所です。ここで私たちも他の巡礼者に混じって、五体投地をさせてもらいました。さながら富士山の頂上(高度がほぼ同じ)でスクワットという感じで息が切れましたが、一生分のお参りをした満足感を得ることができました。外に出ると、添乗員さんがすごいトイレがあるというので、見学しに行ってみることに。それは床に2つ穴が開いただけのもので、その穴からは遙か下界が見下ろせます。一説によると、ここでトイレをするとみんな風で吹き上がってくるとかこないとか。もし行ったらチャレンジしてみてください。 結局、2時間以上もかけてゆっくりと観光し、後ろ髪引かれる思いでポタラ宮を後にしました。--------------今回訪れたチベットの写真で無料壁紙を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年04月20日
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↓チベットの世界遺産ポタラ宮の坂異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 坂の途中では、手を引きながら登る人や、道の片隅で休む人、赤ちゃんを抱えて息を切らす人など、みんなそれぞれがんばって登っていました。私たちも無事全員、まずはゲートまで到着。ゲートを入るとまた少し階段があって、チケット売り場を通ります。そこを過ぎると、開けた広場があり、その向こうに白宮がそびえ立っていました。白宮は、かつてダライラマ13世と14世が暮らしていた冬の宮殿です。建物中央の小さな入り口から中へ入り、また階段。けっこう登ります。地元の人も観光客もみんな息を弾ませていました。そしてようやくポタラ宮の頂上へ。ラサの標高は3650mですが、この頂上は確か3765mで、ほぼ富士山の山頂と同じです。ここからは、ダライラマ14世が子供の頃、興味心身に下界を見下ろしていました。とガイドさんが解説してくれました。ポタラ宮には999の部屋があるとされていますが、観光客が見学できるルートは決まっていて内部の写真撮影も禁止されています。白宮はほとんど解放されていませんが、見所の多くは紅宮にあるので、私たちはそこを見てまわることになります。混んでいる時期に来たことがないのでわかりませんが、通路が狭いのであまりたくさんの人がいると見るのが大変そうです。--------------今回訪れたチベットの写真で無料壁紙を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年04月19日
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↓チベットの世界遺産ポタラ宮異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより まずは、まだ騒乱によって閉鎖されていなかったチベット唯一の世界遺産ポタラ宮へ。ポタラとは「観音様が住む地」という意味で、チベット人にとってはダライラマを意味しているそうです。1959年にダライラマがインドに亡命するまで、宗教と政治の中心として、チベット人の心のよりどころになっていました。ポタラ宮はマルポ・リ(赤い丘)に建てられ、一説には7世紀にチベットを初めて統一したソンツェンガムポ王の時代から築かれていたといいます。そして、その建築方法は、未だに謎のままだそうです。前の広場で集合写真を撮り、その後少しの写真タイムのあと、いよいよ中へ入ります。入り口近くのポタラ宮のまわりでは、たくさんの人が五体投地をしていました。 入り口を入ると、ボディチェックと荷物検査を受けます。そして中庭にでるのですが、そこからは一層近くになった白と赤のポタラが姿を現しました。ポタラの観光は通常一時間に制限されているとのことですが、今回は観光客も少ないので無制限に時間がとれるそうです。そのため、ここから20~30分かかる長い坂も、周りの景色を見ながらゆっくりと登ることが出来ました。添乗員さんの話だと、観光シーズンに来ると、このあたりから人がいっぱいで渋滞するそうです。--------------今回訪れたチベットの写真で携帯待受画像を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年04月18日
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↓朝もやに包まれるラサ(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 翌朝目覚めると、すっかり頭痛は治まっていました。高度順応ができたようです。でも、同じツアーの中には、青蔵鉄道ではまったく平気だったのに、ラサにきてから手がしびれるなどの症状が出始め、観光をやめてホテルで休養する人もいました。今日はチベット旅行5日目の2008年3月12日。終日ラサの観光でしが、ホテルを出発したバスの車内で、添乗員さんから以下のような話がありました。3月10日にデプン寺でデモが起き、昨日セラ寺でも起きたらしい。境内は警察に占拠されて、見学ができない状態。僧侶の負傷者もたくさん出たらしい。大昭寺(ジョカン)やポタラも今夜か明日にはダメになるかもしれない。しかし、その後、デプン寺とセラ寺は修復工事のため閉鎖したとの中国政府の公式発表があったそうです。このあたりから、いろいろな場面で、中国の情報操作を感じていくことになりました。不穏な空気を感じながらも、街中は特に危険な状態ではないので、予定を変更しながら、臨機応変に見れるところの観光に切り替え、添乗員さんやガイドさんのがんばりで、本来の予定を十分にカバー(それ以上かも)できる観光が実現しました。後で聞いた話ですが、他の旅行会社で来ていたツアーは、変わりに違う場所の観光をすることもなく、みんなフリータイムになってしまったそうです。--------------今回訪れたチベットの写真で携帯待受画像を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年04月17日
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↓ラサの5つ星ホテル(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 今日から3連泊するホテルは、ラサで唯一の5つ星ホテル・ヤルツァンポ大酒店で、外観から内装まで豪華絢爛。チベット風に統一されているのですが、私たちが到着してロビーに入ると、チベットの民族衣装を着たスタッフが音楽と唄とともに、歓迎の印にタカという布を首に掛けてくれました。 同じく出迎えてくれたマネージャーっぽい人は日本語も堪能で、他のスタッフも英語を流暢に話します。 部屋までの廊下には、両側にたくさんのチベットの骨董品や写真が展示され、さながら博物館のようでした。部屋番号がバラバラに並んでいるので、自分部屋を見つけるのに少し苦労します。サービスの仕方も何か欧米風な感じがしましたが、実はこのホテルのオーナーは、以前NHKで放送された「激動する中国」で紹介され、そういうサービスを取り入れているそうです。--------------今回訪れたチベットの写真で携帯待受画像を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年04月15日
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↓ラサ駅に到着した青蔵鉄道(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 6時の夕食を終え、あとはラサの到着を待つのみです。チベットは日照時間が長いので、20時を過ぎてもまだうっすらと明るさを残しています。そんなころ見えて来たのが、7111mの主峰をたたえるニンチェンタングラ山脈。少し曇ってはいたものの、綺麗に見ることが出来ました。5000m越えをした後は、4000m以上の標高が長く続き、なかなか頭痛が良くなりませんでしたが、ラサの手前からグンと下がり、少しラクになってきました。到着予定時刻は21時50分。その時刻より少し早く着きそうだったのか、途中でわざと止まり、オンタイムにするために余計な時間調整。ホームに着いたころにはすっかり暗くなっていました。下車してから先頭部分の写真を撮るためにみんなで行きましたが、すでに切り離された後で撮影できませんでした。残念。薄暗い駅を出ると、ここからのガイドさんがお出迎え。ゆっくりと急ぎながら、重い荷物を担いでバスまで歩きます。少し息がきれますが、そんなに苦しいというほどではありません。一路ホテルに向かいましたが、その道中、ライトアップされた世界遺産ポタラ宮の姿を見ることが出来ました。頭痛もふっとび、テンションが急上昇です。これまでテレビや本で何度も見たものが、今目の前にそびえ立っています。明日からの観光がとても楽しみになりました。--------------今回訪れたチベットの写真で携帯待受画像を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年04月14日
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↓青蔵鉄道の車窓から(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 青蔵鉄道の車両は、高所を走るために作られたカナダ製のもので、車内には酸素を供給する仕組みを備えています。そして希望者には、酸素吸入用のチューブが与えられ、いつでも吸うことができます。ただ、気圧の調整は失敗している(やってないのか?)ようで、標高が上がるにつれ頭がガンガンと痛くなってきました。他の乗客にも体調不良を訴える人が出始め、しまいには、車掌さん(医者かも)が駆けつける始末。この旅に出る前に、いろいろなサイトを見たのですが、高度計を持っている人が実際に計ったら、ちゃんと外と同じ高度をさしていたとか。なので、気圧に関してはあまり期待しない方がいいでしょう。車掌さんによると、4600mを越えたら酸素を吸ったほうがいいということですが、ガイドさんが言うには、苦しくなければ高度順応できないので吸わない方がいいとのこと。実際私が感じたのは、酸素は十分で息苦しくはなかったので、あとは標高が下がって頭痛が治まるのをひたすら我慢して待つ、ということです。でもこの我慢のお陰か、標高3600mのラサに着いたときはだいぶラクになっていました。--------------今回訪れたチベットの写真で携帯待受画像を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年04月13日
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↓青蔵鉄道の食堂車での食事(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより ゴルムドからラサまでの乗車中に、昼食と夕食を青蔵鉄道の食堂車でいただきました。聞くと、ここで食事をするためには、乗車後に食堂車まで予約をしに行かなければならなく、そして必ずしも予約ができるとは限らないとのことです。出来なかった場合は、お弁当のワゴン車がまわってくるので、それを買うことになります。食堂車には専属のコックさんがいて、できたて熱々の料理を食べることが出来ます。品数も豊富で、絶景を見ながらの食事は、とてもおいしくいただくことができました。またここには、簡単な売店もあり、水なども買うことが出来ます。私はこの売店で、「青蔵高原」というミネラルウォーターを買いましたが、癖がなくとても飲みやすかったです。↓「青蔵高原」ミネラルウォーター--------------今回訪れたチベットの写真で壁紙を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年04月12日
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↓標高4000m以上の世界で生きる遊牧民のテント(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 天空列車とも言われる青蔵鉄道は、世界一高所を走ることで有名ですが、実は全部で6つの世界一があります。それをここでご紹介しましょう。1. 世界最高標高の鉄道(標高4,000m以上の区間が960km)2. 世界最長の高原鉄道(西寧からラサまで全長1,965km)3. 世界最高所の凍土トンネル(風火山トンネル:全長1,386m、標高4,905m)4. 世界最長の凍土トンネル(崑崙山トンネル:全長1,686m、標高4,600m)5. 青蔵鉄道で最長の鉄橋(清水河特大橋 (立体交差橋):全長11,7km、標高4,600m)6. 世界最高標高の駅(タングラ駅:海抜5,068m)一度で6つも体験できるなんて、なんだかお得ですよね(^^--------------今回訪れたチベットの写真で壁紙を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年04月10日
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↓青蔵鉄道から見る標高5000mの世界(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより この区間で一番のイベントは、なんといってもタングラ峠越えです。その標高は5072m。青蔵鉄道が開通するまでは、ペルーの鉄道が標高4783mで、世界一だったのですが、それを200m以上も越えています。車内には電光掲示板があり、常に標高などが表示されていて、峠が近づくとそこに表示される最高地点の標高の数字を撮るために、みんなカメラを向け始めました。5007m…、5050m…、もうすぐだカメラのファインダーをのぞきピントを合わせ準備はバッチリ。いつでもこい、と待ち構えていました。すると、5084mあれ?予想外の数字です。確か最高地点は5072mだったはず。電光掲示板が壊れているのか、本当にその標高があるのかは定かではありませんが、確かにこの数字が表示されました。もしこれが本当だとすると、さらに記録更新(?)です。↓5084mを表示する電光掲示板--------------今回訪れたチベットの写真で壁紙を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年04月09日
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↓青蔵鉄道(青海チベット鉄道)の車窓から異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 気を取り直して、これから見えるであろう絶景に期待をゆだねます。だんだんと夜も明け、あたりが明るくなってきました。それと同時に、チベットの絶景が姿を現します。玉珠峰(6178m)や雪に覆われた 崑崙山脈、ココシリ自然保護区では、北京五輪のマスコットキャラクターにもなっているチベットガゼルなどの野生動物も見ることができました。 標高4500mを流れる長江源流の沱沱河(トトフ)やエメラルドグリーンの水を湛えるツォナ湖は、この時期まだ凍っていましたが、太陽の光が反射してなんとも言えない色合いをかもし出しています。 赤茶色の荒涼とした大地に青白い凍った川が走り、真っ青な空とのコントラストは、これぞ「チベット」という風景でした。途中なんどか駅に停車したのですが、下車する乗客以外外に出ることが許されず、車両の写真を撮ることはできませんでした。その時の車掌さんやホームに待機している警察の気分によっては、出ることができるらしいので、交渉してみるといいかもしれません。--------------今回訪れたチベットの写真で壁紙を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年04月08日
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↓青蔵鉄道(青海チベット鉄道)の車内異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより なんとか無事セキュリティチェックを通過した後は、改札が開くまでしばらく構内で待ちます。その時、少し時間があったので、もう一度外へ出て駅舎の写真を撮ってきました。再びボディチェックを受け構内に入ると、まもなく改札が開きました。いよいよホームへ入ります。しかし、列車に乗るまでは大きな荷物を持って、再び階段を上り下りし、反対側のホームまで行かなければなりません。私はバックパックだったので平気でしたが、スーツケースの人たちは大変そうでした。みんなで協力し、息も絶え絶えなんとか全員乗車。出発ギリギリでした。しかし、乗った後も大変でした。私たちの席がすでに、西寧から乗車したと思われる他の乗客に占領されていたのです。通路にも人がいっぱいで、席にたどり着くのも一苦労。指定席のはずなのに、なんでこんなに人が溢れているのか不思議でしたが、今はそんなことを考えてる余裕はありません。とにかく座席を確保するべく、メンバー一丸となって協力し、座っている乗客をどけようとしますが、このすったもんだを見物しに人が集まり、さらに大混乱。なんとか席を取り戻しますが、席の上の荷物置き場にはもうスペースはなく、大きなスーツケースなどを置く場所がありません。仕方ないので、座席の一部を犠牲にして荷物置き場にしましたが、おかげで、最初のふれこみの「3席に2名、2席に1名」というスペースは確保できず、非常に狭苦しい長時間の鉄道の旅になりました。やっとのことでなんとか全員座れましたが、同じツアーの人は、想像していた優雅な青蔵鉄道とのあまりのギャップに半ば放心状態。私も、まさかこんなだとは思ってもいなかったので、かなりショックを受けました。--------------今回訪れたチベットの写真で壁紙を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年04月07日
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↓青蔵鉄道ゴルムド駅構内(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 朝5時30分出発。外はまだ真っ暗です。今日は、いよいよ憧れの天空列車・青蔵鉄道に乗車します。恐らくこの旅で、一番の目的にしてきたメンバーも多いはず。私も父も同様で、とても楽しみにしていました。出発前にこの町でお別れするドライバーさんとバスの前で記念撮影をしました。ドライバーさんは、ゴルムドの駅まで私たちを送ってくれたあと、再び西寧に戻るそうです。静まり返った町の中を進み、ゴルムド駅に到着。荷物をかついで階段を登ります。駅の構内に入る前に、飛行機なみの荷物検査とボディチェックを受けました。みんな無事に通過していきます。私も問題なく通過。しかし、うちの父だけがひっかかってしまいました。X線検査で荷物の中に怪しいものが写ったということで、せっかくパッキングした荷物を開けさせられています。そして開けてみるとその怪しいものとは、チャカ塩湖で大量に採った塩でした。ガイドさんが一緒に対応してくれましたが、どうやら麻薬に間違われたらしいのです。幸い、塩と判明し取り上げられることもなく事なきを得ましたが、危うく麻薬密売人とその一味になるところでした。--------------今回訪れたチベットの写真で壁紙を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年04月06日
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↓砂漠の夕暮れ(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより チャカからゴルムドまでは、砂漠に生息する野生のラクダやキレン山脈の壮大な風景を眺めながらのドライブです。茶色い草原の向こうに真っ白な雪を被った山々が幾重にも連なっている様は天空の別世界のよう。青蔵鉄道に西寧から乗車すると、このあたりは夜なのでこの風景は見れないとのことです。もったいない!ゴルムドの手前の砂漠で、ちょうど夕暮れを向かえ、青空トイレを兼ねた写真ストップ。真っ赤な夕陽とそれに染まる砂漠を見ることが出来ました。その後、町の明かりが届く前に、今度は星空ストップ。月も細く、真っ暗な夜空に満点の星が広がっていました。すっかり暗くなったころゴルムドに到着。ここは、石油が採掘されていて、炎を吹き出している煙突がところどころに立っています。町の中もふんだんに電気が灯され、まるでクリスマスのイルミネーションのようです。ゴミなども落ちてなく、とても綺麗で整然とした印象を受けました。本日宿泊する3つ星のホテルに到着したのは21時すぎ。それから食事をしましたが、このとき、明日乗車する青蔵鉄道のチケットのくじ引きをしました。私の番号は、8号車の22号です。ホテルの部屋はとても広く、アメニティも揃っていて快適でした。明日は早いのですぐ就寝です。--------------今回訪れたチベットの写真で壁紙を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年04月05日
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↓チャカ塩湖(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 満腹になった後は、そこからバスで10分ほどの場所にあるチャカ塩湖に行きました。もともとは、青海湖のような塩水湖で、海抜3104m、面積は105キロ平方メートルもあります。雨季には水浸しになっていたそうですが、今はほとんど乾いて白い砂漠のようになっていました。ここは、国営の塩の採掘場で、観光客などの採塩は硬く禁じられていますが、この時期は監視役がおらず、実際に採掘している現場で採りたての塩を好きなだけもらうことが出来ました。 大きな歯車みたいのが先端についたクレーンで、塩の山をガリガリと削り、その塩がベルトコンベアに乗って、トラックの荷台まで運ばれてくるのですが、その荷台から時折塩が溢れ脇に積もります。みんな、その溢れた塩を各自持参したビニール袋にこれでもかというくらい詰めこんでいました。ふと見ると私の父も、持って帰れるのか、というくらいの量を一生懸命詰め込んでいます。その量は、ちょっといただくというものではなく、もうどこかの業者の仕入れのようです。ちなみに私は写真を撮っただけで塩は採りませんでした。(荷物が増えるから)無料で質のいい塩を仕入れることができて、みんなご機嫌でチャカ塩湖を後にしました。しかし、この時採った大量の塩が、後にいろいろな場面で問題を起こすことになるのです。--------------今回訪れたチベットの写真で壁紙を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年04月02日
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↓手打ちラーメン(チベット)異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより 橡皮山峠を無事越えた後、昼食を取りにチャカ町のレストランへ行きました。このレストランは豚肉を出さない清真料理の店で、緑の看板が目印です。ここでは、定番の中華料理のほかに、手打ちラーメンを食べることになっていました。ラーメンの「ラー」は「伸ばす」という意味で、ラーメンとは「伸ばす麺」というそのままのネーミングだそうです。お店に入ると、厨房と麺打ちを見学することができました。大きな包丁に、火が音をたてて噴出すカマド、手際のいい料理人たち。そんな中、麺職人が、一人分ずつ小分けされた麺の生地のかたまりを素晴らしい手さばきで、あれよあれよと言う間に細く伸ばしていきます。感動しながら眺めていると、人数分のラーメンがあっという間にできあがりました。さっそく席に戻って熱いうちにいただきます。今まで食べたことのない食感の麺はとても柔らかく、いわゆる日本のラーメンのような「コシ」というのはあまりありません。そしてスープはあっさりさっぱりなので、テーブルの上にあるお酢などの調味料を入れて自分好みに仕上げます。他にも麻婆豆腐や、ナスや野菜の炒め物など山盛りの料理が出てきてお腹一杯。すっかり冷えた体も温まりました。--------------今回訪れたチベットの写真で壁紙を作成しました。→こちらからどうぞ
2008年04月01日
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