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2006年琉球弧への旅


2006年01月17日
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カテゴリ: 生活を楽しむ
「滅びゆく琉球女の手記」は1932年「婦人公論」に掲載。

日本は前年の1931年9月満州事変があり、
当年1932年、あの「5.15事件」のあった年である。

連載第1回「滅びゆく琉球女の手記」は、
発表されると直ぐに、
在京の「沖縄県学生会」や「沖縄県人会」から、
内容に関する謝罪の抗議が殺到した。

その結果、「謝罪」ではなく「釈明分」を掲載し、
「滅びゆく琉球女の手記」の第2回以降の掲載を中止。



漆黒の闇夜のアーマン(ヤシガニ)
漆黒の闇夜のアーマン


友達は母を此方へ呼んで、大島紬の商売でもやりたいと思ふけれど、あの”いれずみ”がねエーと思案顔だった。”いれずみ”ではどの家庭も困らされた。稼ぎためた金で、息子を幾人も高等教育受けさせたところで、母は手の甲にしみついた”いれずみ”の為に、死ぬまで故郷に置き去らねばならなかった。ひどいのになると、孫の顔も知らずに死んでしまふのである。息子達が出世すればするほど、その母はこの故郷といふほんの少し自由のきく座敷牢の中に僅かなあてがひぶちで押し込まれねばならないのだ。・・・・・


叔父が帰省したのはさういふ生活の中にであった。
彼はその家に寝起きするのを嫌って、いくらかましな私の家へ寝泊りした。
二間間口の傾いた店と、六畳一間の間取りだったが、私が小学校教師で田舎に行っていたので、その一間は、どうにか叔父の為に役立てることが出来た。母は彼を伴って、親類廻りに出向いたが、何処も此処も、あか茶けてぶくぶくした畳と、欠けた湯呑み茶碗が、彼を待ち受けていた。そして話といへば、梅雨期のやうにじめついたおしひしがれた民族の歎声ばかりだった。石垣は崩れ、ぺんぺん草が生え、老人ばかりがむやみと多かった。彼はその悲惨な故郷の有様に胸を打たれるよりもまづうんざりしてしまったらしい。
・・・・・・・・・・
そして別れ際に、かういひすてるのだった。
「僕の籍はね、×県へ移してありますから、実は、誰も此方の者だってこと知らないのです。」

・・・・・・・・・・
妾(わたし)は叔父の帰省したことも、出発した事も知らずにいた。
・・・・・・・・・・
小学校を了へただけの叔父が、苦労で築き上げた事業を守るために、小細工を弄する心情は、妾(わたし)には如何にも憐れに思はれた。母の住む街から、就職先の村へ帰る途すがら、汚れた幌馬車の中でゆられるままに、何かなし「滅びゆく孤島」といふ想いをしみじみ考えさせられた。
夕暮れの風景は、この島の持つ感情そのものだった。見るからに、痩せたごろごろの土に甘藷のかづらが這ひ、あとはひょろ長い甘藷の林と、赤松の並木、そてつの群生、おやじの顎鬚みたいに白くさんさんと垂れ下がるガチマルの気根、赤く大きくゆれながら丘陵の彼方へ沈みゆく夕日没落の美が、ひたひたと潮のやうに妾(わたし)の胸にしみ渡った。
・・・・・・・・・・・・




「滅びゆく琉球女の手記」は、
何という、
連綿とした、
鬱積した吐露・・・・

これでもか!
これでもか!!
と繰り返す、
執拗な妾(わたし)自身の中に巣食う何物か・・・・

気が遠くなるような「嘔吐」の後の、
読後感・・・・・・




「手記」は第1回で中断し、
「釈明文」以降、
永遠に闇に葬られた・・・





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最終更新日  2006年01月17日 17時33分05秒
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