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前回よりの続き「あいさつ」について…最終回・・・あいさつには、積極的に相手に関わる、という意味があります。その人の明るい生き方なども関係していると思いますが。□…そうですね。自分の心の中にあふれるような夢や希望があれば、その生きる喜びは、そのまま明るいあいさつ、心からの言葉になるはずです。その意味で、生きる目標をしっかり持つことや生命力を旺盛にすることが大事ではないでしょうか。相手の心を開いていくようなあいさつを心掛けたいものです。
2003.11.29
前回よりの続き「あいさつ」について…その(8)・・・周囲のおとなが心掛けることは。□…まず、大人自身が若い人のモデルになるような生き方、あいさつをみせていくことです。そのうえに立って、言い方の工夫をすること。否定的に言えば、相手は反発したり、心を閉ざしてしまいます。例えば、自分の価値観からは容認できない態度を相手がとったとしても、「なんだ、その態度は!」と怒鳴るのではなく、「こういう場合は○○のようにしたら、お互い気持ちよくなれるね」と言うようにする。「あなたは○○」と言えば反発しても、「自分を主語」にして言うと、相手も聞き入れやすくなるものです。例えば、教育実習に行く学生に「教育実習とは就職活動である」と言うと、それだけでどういう髪形や服装をすればいいのか自然に分かる。茶髪がダメとか、禁止事項を言うよりも、抵抗なく伝わります。次回に続く
2003.11.28
前回よりの続き「あいさつ」について…その(7)・・・あいさつは苦手と感じている若者もいると思います。アドバイスがあれば。□…自分の価値観とは違う世界から学ぶことは、とても大切だと思います。例えば、「インターンシップ」という制度。これは短期間ですが、教員が研修として会社で働いたり、学生が就職前に企業で働くようなことで、異業種の体験を積むことで自分を豊かにしていくものです。あるいは、「ボランティア活動」に従事する。介助を必要としている人たちと触れ合うことで、生き甲斐も生まれてきます。自分と異なる世代、異なる環境や生き方をしている人たちと交流することで、自らの内面から強く生きる力を引き出すことができる。つまり、違う世界との触れ合いがインパクトになって、自分を人間的に大きく育ててくれる。あいさつは、そのきっかけになっていくと思います。次回に続く
2003.11.27
前回よりの続き「あいさつ」について…その(6)・・・あいさつが習慣として身についていない、という点もあると思いますが。□…そういう点もあると思います。子どもたちで言えば、家庭の中では親がモデルになります。子どもは親の姿を見て学ぶもの。言って聞かせてみたことよりも、やってみせていることのほうを子どもは学習するものです。もし、家庭の中できちんとあいさつが交わされていれば、子どもは自然にあいさつの習慣を身につけるはずです。また、学校では、「いっしょに遊ぼう」という声かけの仕方を見せて遊ばせる「社会的スキル(技能)の教育」の試みもあります。次回に続く
2003.11.26
前回よりの続き「あいさつ」について…その(5)・・・「自分のペース」で生きていく。これは最近の日本人に多い考え方ですね。□…自分のペースを崩したくない、と考えているのです。「頑張らない」「無理しない」「きちんとしない」「我慢しない」・・・それよりも自分のペースで、自然体で、ということです。「マイ・モラル」に共通しているのは、ほかの人がどういうことを考えているのか…という「想像力の欠如」です。人と人とのつながりを大切にする、という考え方が希薄です。そこからはあいさつの必要性は出てきません。あいさつは漢字では「挨拶」です。「挨」は心を押し開くことで、「拶」は迫る、意味があります。受け身ではなく、自分から心を開いて積極的に相手と関わるのが「挨拶」です。心を開いて積極的に相手と関わろうとしなければ、自然とあいさつを交わさなくなるのです。次回に続く
2003.11.25
前回よりの続き「あいさつ」について…その(4)・・・人間はほかの人とつながりをもちながら生きている、という意識が薄いわけですね。□…その典型的な例が、「人に迷惑をかけているわけではない」という言葉です。だから「すみません」などと言う必要はない、との開き直りです。「マイ・モラル」という言葉がありますが、ほかの人に迷惑をかけなければ、自分のモラルやルールで行動しても構わないと思っているわけです。そのいい例が電車の中で化粧する女性です。本人からすれば誰かに迷惑をかけているわけではありません。電車が「マイ・ルーム」になっている。周囲の人はたんなる「風景」にすぎません。心の通った人間として意識されていない。そのため、平気で化粧する姿を見せているのです。次回に続く
2003.11.24
前回よりの続き・・・子供たちが置かれている環境も、かつてと違ってきていますね。□…子供たちの場合で言えば、ある識者は、①かつてあった地域の結びつきが失われたこと②年齢が違う子供同士の遊び集団がほとんどなくなったこと③教育力のある「大家族」、つまり祖父母と一緒に暮らす3世代同居の家族が少なくなったこと④プライベート(私生活)を大切にする文化が広がっていること・・を挙げています。そういうなかで育ってくれば、あいさつすることが身についていない人間が増えるのもやむを得ないのかもしれません。次回に続く
2003.11.23
前回よりの続き・・・あいさつが交わされなくなった背景には、どのようなことが考えられますか。□…社会的には、「引きこもり文化」が関係していると思います。「自分の世界」に引きこもって暮らしているため、周囲のひとと自分は関係がないと考える。そういう考えを方を支えているのが、ヘッドホンステレオ、携帯電話、パソコン、自分用のテレビやDVDに囲まれた生活です。自分一人で楽しめ、自分の世界だけで完結する生活を送っている。そういう生活習慣が身につけば、ほかの人とコミュニケーションをとるためのあいさつを重く考えなくなると思います。次回に続く
2003.11.22
最近、ちょっと気になっていたのですが、タイミングよくこんな記事を見つけました。以下は、「あいさつ」について、聖教新聞の記事です。「あいさつ」は人間関係を円滑に保つ基本。しかし、最近、地域や職場で「おはようございます」という明るくさわやかな声や、「ありがとうございます」という感謝の言葉が少なくなってきていると言われます。特に、その傾向は若者たちに多く見られます。今回は、「あいさつ」について、創価大学教育学部助教授の吉川成司さんに聞きました。★一言が足りない人が増えている・・・「ありがとうございます」「失礼します」という言葉が、このところ聞かれなくなっているようですが。・・・確かに、「一言」が足りない光景を見かけますね。 例えば、込み合った電車やバスのなかで、「すみません。降ります」言えば楽に降りられるのに、何も言わないで乗降口に行こうとする人がいます。周囲の人も、何か通してあげにくい。「すみません。降ります」・・・ほんのわずかな時間で言えるのに、それが口から出てこないのです。「おあしす」・・・つまり「おはようございます」「ありがとう」「失礼します」「すみません」というあいさつは社会生活の基本です。親しい間柄の場合には自然にされているのでしょうが、一歩「外」へ出ると、欠けてくるようです。 次回へ続く
2003.11.21
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