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前回よりの続き「あいさつ」について…最終回・・・あいさつには、積極的に相手に関わる、という意味があります。その人の明るい生き方なども関係していると思いますが。□…そうですね。自分の心の中にあふれるような夢や希望があれば、その生きる喜びは、そのまま明るいあいさつ、心からの言葉になるはずです。その意味で、生きる目標をしっかり持つことや生命力を旺盛にすることが大事ではないでしょうか。相手の心を開いていくようなあいさつを心掛けたいものです。
2003.11.29
前回よりの続き「あいさつ」について…その(8)・・・周囲のおとなが心掛けることは。□…まず、大人自身が若い人のモデルになるような生き方、あいさつをみせていくことです。そのうえに立って、言い方の工夫をすること。否定的に言えば、相手は反発したり、心を閉ざしてしまいます。例えば、自分の価値観からは容認できない態度を相手がとったとしても、「なんだ、その態度は!」と怒鳴るのではなく、「こういう場合は○○のようにしたら、お互い気持ちよくなれるね」と言うようにする。「あなたは○○」と言えば反発しても、「自分を主語」にして言うと、相手も聞き入れやすくなるものです。例えば、教育実習に行く学生に「教育実習とは就職活動である」と言うと、それだけでどういう髪形や服装をすればいいのか自然に分かる。茶髪がダメとか、禁止事項を言うよりも、抵抗なく伝わります。次回に続く
2003.11.28
前回よりの続き「あいさつ」について…その(7)・・・あいさつは苦手と感じている若者もいると思います。アドバイスがあれば。□…自分の価値観とは違う世界から学ぶことは、とても大切だと思います。例えば、「インターンシップ」という制度。これは短期間ですが、教員が研修として会社で働いたり、学生が就職前に企業で働くようなことで、異業種の体験を積むことで自分を豊かにしていくものです。あるいは、「ボランティア活動」に従事する。介助を必要としている人たちと触れ合うことで、生き甲斐も生まれてきます。自分と異なる世代、異なる環境や生き方をしている人たちと交流することで、自らの内面から強く生きる力を引き出すことができる。つまり、違う世界との触れ合いがインパクトになって、自分を人間的に大きく育ててくれる。あいさつは、そのきっかけになっていくと思います。次回に続く
2003.11.27
前回よりの続き「あいさつ」について…その(6)・・・あいさつが習慣として身についていない、という点もあると思いますが。□…そういう点もあると思います。子どもたちで言えば、家庭の中では親がモデルになります。子どもは親の姿を見て学ぶもの。言って聞かせてみたことよりも、やってみせていることのほうを子どもは学習するものです。もし、家庭の中できちんとあいさつが交わされていれば、子どもは自然にあいさつの習慣を身につけるはずです。また、学校では、「いっしょに遊ぼう」という声かけの仕方を見せて遊ばせる「社会的スキル(技能)の教育」の試みもあります。次回に続く
2003.11.26
前回よりの続き「あいさつ」について…その(5)・・・「自分のペース」で生きていく。これは最近の日本人に多い考え方ですね。□…自分のペースを崩したくない、と考えているのです。「頑張らない」「無理しない」「きちんとしない」「我慢しない」・・・それよりも自分のペースで、自然体で、ということです。「マイ・モラル」に共通しているのは、ほかの人がどういうことを考えているのか…という「想像力の欠如」です。人と人とのつながりを大切にする、という考え方が希薄です。そこからはあいさつの必要性は出てきません。あいさつは漢字では「挨拶」です。「挨」は心を押し開くことで、「拶」は迫る、意味があります。受け身ではなく、自分から心を開いて積極的に相手と関わるのが「挨拶」です。心を開いて積極的に相手と関わろうとしなければ、自然とあいさつを交わさなくなるのです。次回に続く
2003.11.25
前回よりの続き「あいさつ」について…その(4)・・・人間はほかの人とつながりをもちながら生きている、という意識が薄いわけですね。□…その典型的な例が、「人に迷惑をかけているわけではない」という言葉です。だから「すみません」などと言う必要はない、との開き直りです。「マイ・モラル」という言葉がありますが、ほかの人に迷惑をかけなければ、自分のモラルやルールで行動しても構わないと思っているわけです。そのいい例が電車の中で化粧する女性です。本人からすれば誰かに迷惑をかけているわけではありません。電車が「マイ・ルーム」になっている。周囲の人はたんなる「風景」にすぎません。心の通った人間として意識されていない。そのため、平気で化粧する姿を見せているのです。次回に続く
2003.11.24
前回よりの続き・・・子供たちが置かれている環境も、かつてと違ってきていますね。□…子供たちの場合で言えば、ある識者は、①かつてあった地域の結びつきが失われたこと②年齢が違う子供同士の遊び集団がほとんどなくなったこと③教育力のある「大家族」、つまり祖父母と一緒に暮らす3世代同居の家族が少なくなったこと④プライベート(私生活)を大切にする文化が広がっていること・・を挙げています。そういうなかで育ってくれば、あいさつすることが身についていない人間が増えるのもやむを得ないのかもしれません。次回に続く
2003.11.23
前回よりの続き・・・あいさつが交わされなくなった背景には、どのようなことが考えられますか。□…社会的には、「引きこもり文化」が関係していると思います。「自分の世界」に引きこもって暮らしているため、周囲のひとと自分は関係がないと考える。そういう考えを方を支えているのが、ヘッドホンステレオ、携帯電話、パソコン、自分用のテレビやDVDに囲まれた生活です。自分一人で楽しめ、自分の世界だけで完結する生活を送っている。そういう生活習慣が身につけば、ほかの人とコミュニケーションをとるためのあいさつを重く考えなくなると思います。次回に続く
2003.11.22
最近、ちょっと気になっていたのですが、タイミングよくこんな記事を見つけました。以下は、「あいさつ」について、聖教新聞の記事です。「あいさつ」は人間関係を円滑に保つ基本。しかし、最近、地域や職場で「おはようございます」という明るくさわやかな声や、「ありがとうございます」という感謝の言葉が少なくなってきていると言われます。特に、その傾向は若者たちに多く見られます。今回は、「あいさつ」について、創価大学教育学部助教授の吉川成司さんに聞きました。★一言が足りない人が増えている・・・「ありがとうございます」「失礼します」という言葉が、このところ聞かれなくなっているようですが。・・・確かに、「一言」が足りない光景を見かけますね。 例えば、込み合った電車やバスのなかで、「すみません。降ります」言えば楽に降りられるのに、何も言わないで乗降口に行こうとする人がいます。周囲の人も、何か通してあげにくい。「すみません。降ります」・・・ほんのわずかな時間で言えるのに、それが口から出てこないのです。「おあしす」・・・つまり「おはようございます」「ありがとう」「失礼します」「すみません」というあいさつは社会生活の基本です。親しい間柄の場合には自然にされているのでしょうが、一歩「外」へ出ると、欠けてくるようです。 次回へ続く
2003.11.21
ある人からの情報です。とんでもないウイルスがきています。私はこの2日間、メールを開いていなかったため、感染を免れました。というのは、10月8日、9日あたりにマイクロソフトのupdateを装ったメールが私のPC師匠のところにきたそうです。何気なくビューワー(添付ファイルを開いたのではありません)を開くとそれだけで感染してしまったというのです。今回のウイルスは、プロバイダーのウイルスセキュリティーをも簡単に通過してしまうものです。当然通常のPCにインストールしているノートンやウイルスバスターなどは簡単に通過してしまいます。対策としては、マイクロソフトからきたupdateのような体裁をしたメールは一切開かずに削除すること。この際、ビューワーで見るだけでも感染するので、怪しいメールを間に挟んで(意味がわかるでしょうか、怪しいメールの上のメールを押さえ、怪しいメールの下のメールをシフトキーを押して挟みこむ)削除するしか方法はありません。ご健闘を祈ります。すでに感染していたら、再インストールしか方法はありません。以上の内容ですが皆さんのところは大丈夫ですか?
2003.10.26
ギリシア神話に、プロクルステスという山賊の話があります。プロクルステスは、山のなかに宿屋を建て、そこに特製のベッドを置いた特別な部屋を用意していました。その部屋に泊まって、特製ベッドに寝た客は、気がつくとベッドの枠に縛りつけられているのです。プロクルステスは、客の身長がベッドより長いと、ベッドのサイズに合うように、頭か足を切り落とし、ベッドよりも短ければ、足にひもを結びつけ、骨が裂けるのも構わず、引き伸ばしていました。どちらにせよ、客は殺され、荷物をすべて盗られてしまうことになります。何とも恐ろしい宿屋ですが、結局、プロクルステスは、客として泊まったテセウスという英雄に、逆にベッドに縛りつけられてしまいます。プロクルステスの身長は、ベッドより長かったので、自分がそうしてきたように、首を切り落とされて退治されてしまったのです。 私たちは、いろいろな人を見るたびに、「あの人は、いい人だ」とか、「あいつは、何だか虫が好かない、イヤな奴だ」などと思っていますよね。ひょっとしたら、これは、この世に「いい人」とか「悪い人」とかが存在しているのではなくて、自分なりの「ものさし」で他人を測り、それに合わないと、悪い奴だ、気に入らない人だ、と裁いているのではないでしょうか。さらに、「こんなところが無かったら、いい人なのに」「もっとこうしてくれれば、気持ちよくつき合えるのに」などと、つい勝手に判断したりしているのです。でも、プロクルテスの話ではありませんが、自分のベッドに合わないからといって、人を切ったり伸ばしたりしていては、結局は、自分がそのベッドに縛りつけられることになるかも知れませんよ。「ものさし」に合わない人が多ければ多いほど、「悪い人」が多くなるわけですし、そんな世界は、住み心地もよくはありませんよね。 たとえば、こんなことはありませんか。ラッキーなことがあって、気分がウキウキしているときには、まわりの人がとても優しくて、いい人だと感じます。 ところが、気分がキズギスしてると、合う人合う人、すべてが、うっとうしくてイヤな奴に思えてきます。つまり、自分が、「優しい人」になれば、まわりの人も「優しい人」になるのです。自分が楽しければ楽しいほど、「いい人」が増えてくるわけです。どうせなら、ベッドに合わない人を、切ったり伸ばしたりして、人を裁くのではなく、まわりの人たちがくつろげるように、大きな大きなベッドを、持つようにしてみましょうよ。自分が、「まわりに居るといいな」と思う人になるように、心がけてみるのです。いい人優しい人楽しい人愉快な人心がホッとする人ステキな人そんな人たちが、多ければ多いほど、人生が楽しくなってきますよね。そのためには、自分自身が、そんな人になるのですよ。簡単なことです。いつだって、まわりに「愛」を振りまく人になればいいのです。
2003.10.16
『恵まれた生活も結構だし、恵まれない暮らしも結構、 何事も結構という気持が大切だと思います』 「松下幸之助「一日一話」」(PHP研究所)より
2003.10.09
「この世でなすべきことは、たくさんある。 すぐになせ!」 ベートーベン
2003.10.02
一休禅師が遺言を書き「これは遺言である しかし絶対に見てはいけない ただし大事件があった時見てもいい」と言ってこの世を去った 数年後、大事件が起こり弟子たちがその遺言をみた そこには墨痕あざやかに「心配するな!何とかなる」と書いてあった なんとかなると思うことによって問題の本質が見えくる 失敗とは挑戦をあきらめることです
2003.09.21
この夏、友人知人に出した僅か十通の「かもめーる」。高校時代の悪友が昨年転居して以来、初めての便りのはずでした。昨日当選番号を新聞で確認すると、その友人宛に出したものが見事に切手シート賞を射止めていたのです。自分の出した「かもめーる」で当たりが出るというのは何か自分が当たるのと同じくらいうれしい思いになりました。夕方帰宅してポストを検めると、そこに届いているはずの「かもめーる」があて先不備で返送されていました。年賀状に書いてあった住所をそのまま書いて出したのに、なんでだろう~?そして、ふと・・番号を見ると、下ふたけた『35』今年の年賀状が300通で何も当たらなかったのに僅か十通のしかも送り返されたそれが・・・。もしかして切手シートは、私にもらって欲しかったのかなぁ~本当に不思議な気分を味わいました。
2003.09.09
他人のせいにするほど 社会の中で生きていくことが難しくなる
2003.09.04
これは井伊直弼(1815~1860)の「茶湯一会集」に出てくる有名な言葉です 「一期」とは、人が生まれてから死ぬまでの一生涯のことです 「一」は、ただ一度で二度と繰り返しのないこと 「会」とは人の集まり、つまり一期一会とは一生にただ一度の出会いという意味です 我々は色々な出会いがあります 人との出会い、本との出会い、仕事の出会いを大切に日常生活を生き生きと行動しましょう何事にも一期一会を感じて「そのものになりきる」ことです 全ての人との、出会いに感謝です
2003.08.29
寿司を握るのは全て職人としてネタもシャリも酢も本物を使う ゴミ専用の冷蔵庫を置き、近所に臭いが出ないようにした 皿の色は値段の高い安いがぱっと見た目には解らないようにし あいつは安いものを食べていると思われない配慮をした 家族が来る日曜は、高いものを出さないようにしている そうする事で、子供が高いものを食べないようにして お父さんも安心して食事が出来るようにしている 子供がたくさん食べるとお母さんが食べるのを制限してしまうそうです その日に回転寿司で使うお金が決まっているからです そのお店は、1店舗5000万以上の売上を維持し、多店舗展開をしています 大切なのは、思いやりと配慮ですね!
2003.08.23
選手生活21年。読売巨人軍の川相選手がついにやりました!86年6月13日の初バントから17年、こつこつと積み重ねた記録です。本当におめでとうございます!
2003.08.21
1)小才は、縁に出会って縁に気づかず2)中才は、縁に気づいて縁を活かさず3)大才は、袖すりあう縁をも活かす
2003.08.15
プロ野球阪神タイガースの星野仙一監督は選手の奥さんの誕生日に花を贈ります。いつも選手を陰で支えてくれる人たちの労をねぎらうのです。奥さんは思ってもみない人から花をもらうので、とても感激します。選手である夫のサポートにも力が入ります。選手も監督のそんな心遣いに悪い気はしません。そういうところにまで気を配ることができる監督のことを心から尊敬します。監督についていこう、という気持ちを新たにします。同じ花を渡すのでも、すごく気持ちの伝わる渡し方があるんですね。職場の人が退職する時に、その奥さんに花を贈る方がいます。これは二重丸◎です。すばらしい。奥さんはびっくりして、そして喜びます。退職される方も悪い気はしません。いい気分です。今まで勤めた職場に誇りを感じます。ただ花を直接本人に渡すのではなく、こうした味のある渡し方ができると感じがいいですね。彼女や奥さんの誕生日に、その人を生んでくれたお母さんに花を贈るというのもあります。陰にかくれた見えないサポートがどれだけ見えるかどうかも、センスのうちですね。
2003.08.06
非常識は成果とともに常識となる
2003.07.27
「成功したい」「世界が平和であって欲しい」「あの人から愛されたい」目標や願望を持つことは、すばらしいことですね。強く願えば願うほど、叶う率も高くなることでしょう。でも、その思いのベクトルが強すぎて、願望に「絶対に~しなくてはならない」がついてしまったとしたらどうでしょうか。 「絶対に成功しなくてはならない」 「絶対に世界は、平和でなくてはならない」 「絶対に、あの人は、私を愛さなくてはならない」これでは、心に柔軟性がなくなり、後ろから追い立てられているような気分になってしまいます。始末の悪いことに、そうした考えを持つようになると、願望が叶わないと、もちろん心が痛みますが、たとえ叶ったとしても、本当の満足は感じられなくなるようです。それもそのはず、世の中に「絶対」というものは存在しないのですから。ないものを追い求めても、自分が苦しいだけです。それよりは、目標や願望を叶えるために、自分ができることに意識を向けてみた方が、心の健康にはよいのではないでしょうか。「成功したい。そのために最大の努力しよう」「世界が平和であって欲しい。そのために、私ができることをする」「あの人から愛されたい。私は、もっと輝けるように自分を磨く」今の自分ができることをする。これこそ、自分でコントロールできる「ある」ものなのですよね。失敗したり問題に出会うのは、辛いことですね。できれば、避けて通りたいものです。でも、こんなふうにも考えられますよ。失敗すればするほど、うまくいかない方法を知ることができる。失敗を克服すればするほど、成功への道が開けてくる。問題を解決すればするほど、多くのことを学ぶことができる。辛い思いを経験すればするほど、人の痛みもわかるようになるし、大きく成長することができる。それに気づけば、失敗や問題を恐れることはなくなります。どんなことに出会おうとも、それを自分を高めるためのチャレンジだと捉えることができるからです。人生を変えるのに、多くの時間は必要ありません。 長くて8秒、短くて1秒。だいたい3秒もあれば、欲しい未来は手に入ります。自分の考え方、ものの見方にちょっと変化を起こしてみればいいのです。
2003.07.19
「言い訳」と「成功」は両立しません。なぜかというと、「成功」する人は「言い訳」する前に動いているからです。「言い訳」というのは「成功」できない理由のことです。自分はいかにして「成功」できないかを考えるのが「言い訳」です。で、「言い訳」が得意な人は、簡単にトラック1杯分の「言い訳」を準備することができます。あなたの周りにもそういう人がいると思います。もしあなたが成功を目指しているのなら、そういう人の意見はうまく聞き流してくださいね。それも「成功」の秘訣です。「でも」とか「だって」とか、「言い訳」が口から出そうになったら、ぎゅっとガマンしてください。人間の話すことで、役に立たないことは話してはいけません。これも「成功」の秘訣です。役に立つことだけ話すように心がけていると、人生の流れが善いほうに向かいます。
2003.07.15
判断の最終段階を「決断」といいます しかしこの「決断」する事がなかなか難しいようです それは日頃より自分の「あるべき姿」戦略、目的を明確にしていないからです ことが起きてから思考していては間に合いません 決断は「決断すべきタイミング」「鮮度」が必要です 多くの場合それしか選択できない状態に追い込まれてから決めています それでは「決断」とは言えません 日頃から勇気をもって判断・決断をしていきましょう 決断と言う言葉には、力強さと勇気を感じます
2003.07.11
誰かを殴れば、殴り返される。悪口を言えば、言い返される。たとえ、直接でないとしても、自分のしたことはまわり回って、自分に返ってくる。誰かに親切にすれば、自分も親切にされる。思いやりを与えれば、思いやりを感じることができる。やっぱり、自分のしたことは、知らず知らずのうちに自分に戻ってくる。 「誰からも優しくされていない」と感じている人。あなたは、まわりの人に優しさを与えていますか?幸せになりたい、と思う人。みんなを幸せにしてあげるように心がけていますか?もっと楽しみましょうよ。もっともっと、自分が楽しんで、まわりを楽しくしてあげましょうよ。
2003.07.09
どんな悩みでも、突き詰めていけば、「~しなくてはならない」「~してはならない」という思いこみに行き当たる。そんなふうに縛りつけることで、自分で自分を苦しめているということのようです。「ちゃんとしなくてはならない」「失敗してはいけない」そんな思いが、自分を窮屈にしているのですね。そういえば、「~しなくてはならない」ではなくて、「~したい」という思いで行動を起こすときには、私たちは生き生きとして、思ってもみない力が発揮できるようです。そんなときには、たとえ失敗しても、それをいい教訓として次に生かせているような気もするんですよね。
2003.07.07
元気だから、健康だから、できることがありますやる気が出ないと、なかなかできないことがあります元気だと、やる気も湧きやすいでしょう勇気がないと、できないことがありますやる気が強ければ、勇気も出しやすいでしょう元気・やる気・勇気がないために,できないことがあるのではないでしょうか、元気・やる気・勇気は「気もちの問題」です。出すのが難しい時もありますが、自分なりに工夫することで出せる場合もあると思います。 元気/やる気/勇気を出してやることで、得られる幸せがけっこうあるのではないでしょうか。
2003.07.03
物をなくせば小さく失う 信用をなくせば大きく失う 勇気をなくせばすべてを失う。 (ジョン・F・ケネディ)
2003.06.29
「ひとつの単純な行動を変えることで、ほかの行動がその影響を受け、たく さんのことが変わる」 -- ジーン・ベイヤー(アメリカの作家)--あなたは、ひとつのすばらしい壺を持っています。 いつ頃から自分のものになったのかわかりませんが、気がつくと手のなかにあったのです。かすかに記憶にあるのは、その壺は、ずっと前には自由に大きさや形、色などを変えることができたということです。あなたは、他の人の壺を見たり、どんな壺がいいのかを教えてもらったり、本読んだりして、自分壺をいいものに少しずつ変えていったようです。ですから、今の壺は、最高な壺だと思っています。色も形も大きさも、自分にとって、いちばんいいものだと信じているのです。 不思議なことは、その壺は、あなたができることとできないこと、やるべきことややってはいけないことを、ちゃんと教えてくれるのです。そればかりか、何が正しいのか、何が間違っているのかを知るための基準にもなりますし、どんな態度で生きていくかの指針としても役立つのです。この壺は、とても大切なものですから、絶対に手元から放せません。他の人の壺を見るときには、必ず自分の壺と比べてみます。すると、他の壺は、どこかにおかしなところや、間違っているところが見つかります。そのたびに、自分の壺が最高だと思えて、相手の壺をもっといいように変えてみたくなったりします。 ……ときには、他の人の壺の方が、いいように見えたり、楽しいことを教えてくれるような気もしますが、比べてみると、やっぱり自分の壺が、自分にいちばんぴったりくるような気がして、もっとしっかりと手元の壺を守りたくなってくるのです。そういえば、もうずいぶん長いこと、自分の壺を変えることをしていません。だって、今の壺こそが、あなたにはいちばん役に立つものですもの。それでも、今、あなたが心のどこかで、満たされない思いを感じているのはどうしてでしょう。本当にやりたいことがあるのに、何かが邪魔をして、一歩踏み出せない。もっと自由でのびのびと生きたいのに、どうも自分を窮屈な枠に閉じこめているような気がする。……ひょっとしたら、壺のせい?いえ、そんなことがあるはずはありません。壺は、あなたにとって、自分を守ってくれる大切な宝物なのですから。でも一度、こんなことを試してみてもいいかも知れませんね。自分の壺をいったん、金庫のなかに入れて置いて、何も持たずに、いろいろなことをやってみるのです。そうすれば、世界には、色も大きさもさまざまな壺が、あちこちに置いてあることに気づくでしょう。誰かの壺を、ちょっとだけ借りてみてもいいでしょう。その壺を持って、生きてみた感じを味わってみましょう。どこがすばらしいのでしょうか、どこがもっと改める必要があるのでしょうか。この世界には、あなたの壺だけではなくて、もっとバラエティに富んだ壺があります。あなたの壺よりもいいものもあれば、劣るものもあります。あなたの壺とは、全く違った世界を見せてくれる壺もあります。 それを受け容れてみれば、後で自分の壺と比べてみることができます。自分の壺をもっとよくするために、どう変えればいいのか、何を付け加えたり削ったりすればいいのかも見えてくるでしょう。もっと自分の望む人生を手に入れるために、もっと楽しく生きるために、あなたの壺は、存在していることは間違いないのです。さあ、もしもっと大きく成長したいと思うなら、あなたの壺を、よりよくするチャレンジをはじめてみましょうよ。信念という名の、あなたの壺を……それが、すばらしい行動を生み、最高な人生を作るための第一歩になるかも知れないのですから。
2003.06.27
「なんだか最近つまんない」と言っている人はいませんか?その人は「つまんない」状態を望んで作り出したのです。「あーあ、なんかいいことないかな?ないよなぁ。」「どうせ、このままつまらない人生なんだろうなぁ。はぁ。」 と、思っていたからこそ、そういう願いが叶ったのです! そうです。望みは叶います! いいことも、悪いことも。 で、「絶対うまくいく!」「成功する!」「幸せになる!」と毎日願うと、それも叶います。気がつくと、うまくいっています。 成功しています。 幸せです。あなたは、自分がなりたいと望む人間になるように運命づけられているんです
2003.06.24
先月末から37度前後の微熱が続き、あやしいとは感じていたが、4日夕方からいきなりの高熱。38度9分。更に夜には40度。そして、その後も熱は上昇し、ついに41度2分を記録した。その時身体は、まさに火の出るような熱さ。そばにガソリンがあれば引火しそうな感じだった。39度あたりで猛烈に身体が悪寒にふるえたが40度を超えるとそれも治まり、ただカッカと燃えるような感覚であった。救急車が頭をよぎったが、思いとどまり一晩様子をみた。5日、目が覚めて体温を測るとまだ40度以上ある。身体は寝汗でびっしょり。全身に物凄い脱力感を感じ、自力で立つのもやっとの状態。きょうはとにかく病院へ行かねば。このままではヤバイかも・・・。そう実感した。診察を待つあいだベッドで横になっていた。看護師が血圧を測った。上が70、下が50。完全に脱水状態だった。本当にヤバかった。診察を受けると医師が、「感染症の疑いが・・・」と言った。原因は特定できず、リンゲル&抗生剤の点滴をごちそうになった。途中で看護師に、「さっき来た時はひどい顔色だったけど、大分良くなったわね!」と元気付けられた。わずか2時間くらいの間に、血圧は三桁に上がり、頭も幾分だがハッキリとしてきた。これで助かった・・と実感した。今朝は37度。まだ油断はできない。
2003.06.11
なんとか36度台をキープ。でも平熱が35度台の自分にとって、36度9分はちょっとだけつらい。
2003.06.10
久し振りの36度台。まだ下痢の余韻が。
2003.06.09
38度。更に下痢のおまけまで。
2003.06.08
38度1分
2003.06.07
37度3分
2003.06.06
41度2分の発熱。
2003.06.05
勢いに乗るコツは・・・流れに乗るより、流れを創る創れるかどうかは、自分次第
2003.06.04
僕は、『エンジョイ』(楽しい)という言葉を意識的にたくさん使う『~は難しい、大変だ』という言葉を言ってしまうと 頭にマイナスのイメージが、インプットされるのだ 確かに練習は、楽ではないし、多くの時間を使う しかし、この『エンジョイ』(楽しい)という言葉が 練習に対する考えを、プラスの方向へ変えてくれるのだ 『エンジョイ』(楽しい)、この一言で現実が変わる ーーイアン・ソープ(オリンピック水泳選手)ーー
2003.06.03
ああなりたい、こうなりたいと心にはっきりと描き続けること それは確固たる信念となり、理想が実現します一念の強さが不可能を可能にするのです
2003.06.02
問題を起こす人がいます。人に迷惑をかける人がいます。でも、その人にはその人なりに、そこまでに至ってしまう生きざまがあるのです。そこをわかってあげられずに、頭ごなしで決め付けてしまうと、理解が生まれません。問題解決の扉が閉じてしまいます。これは、子育てでも言えますし、お客さんのクレームにも応用できます。友達関係、夫婦関係、その他、さまざまな人間関係で応用ができる考え方です。人には、そこに行き着くまでの、その人なりの「生きざま」があるのです。そこを、汲(く)んでやれるかどうかが、絆が保てるかどうかの分かれ道です。汲んであげるためには、心に余裕がなければいけません。「人生は非常事態ではない」という言葉を胸にしまって、ゆったりとした気持ちで構えていきたいものです!
2003.06.01
確信を持つこと、いや確信を持っているかのように行動せよ そうすれば 次第に本物の確信が生まれてくる ゴッホ(画家) なるほどね! 最初は、ふりからはじめればいいんだ・・・・
2003.05.31
見返りを求めない支援がどこまでできるか? 社会の為にどれだけ尽くせるか? それが習慣化できる人に、人・物・金・情報は集まる
2003.05.30
往々にして、人間は、「死を見つめられない」ゆえに、はかないものに執着します。古代ギリシャの王の一人、ピュロス王(紀元前319~272年、エピルス王)は、イタリア征服をたくらんでいました。王のそばにいた賢者がたずねます。「イタリアを征服したあとは、どうなさいますか」「次はスペインを征服しよう」「スペインの後はどうなさいますか」「アフリカを征服しよう」「アフリカの後は?」「世界を」「世界の後は?」「そうしたら・・・ゆっくり休もう」賢者は言います。「大王よ、ゆっくり休むのが目的であれば、なぜ今、そうしないのですか。多大な労苦を払い、多くの血を流し、危険を冒す必要はないではありませんか」モンテーニュ(フランス・ルネサンス期の哲学者)が『随想録』(「エセー」)で紹介している話です。もとは、ブルターク英雄伝にあります。後世のパスカルも言及している逸話です。人は、自分自身の生命を見つめ、生死をみつめるのがいやなあまり、他に熱中できることを次々と考え出すというのです。どんなに所領が惜しいと思われても、(あなたが)死ねば他人の物になってしまいます・・・。惜しんではならない、と。
2003.05.29
生と死。これくらい万人が真剣に考えない問題もまた少ない。「人がじっと見つめられないものが二つある。太陽と死だ」という言葉があります。(ペルシャ、トルコのことわざ。セルバンテス、ラ=ロシュフコーも同じことを言っている)このことについて、パスカル(フランスの哲学者)は嘆きました。「自分自身に・自分の永遠の生命に、自分の全存在にかかわる問題について、これほどまでに怠慢な態度は、あわれと思わせるより、むしろわたしを腹立たしい気持ちにさせる。本当に驚いて、あいた口もふさがらぬところだ」(『パンセ』)田辺保訳、角川文庫)こんな激しい言葉を使わざるを得ないはど、死への無関心という、”理性に反する態度”が許せなかったのでしょう。死とは何か。死後はどうなるのか。それらを探求せずして人生を生きるのは、譬えていえば、学生が、「卒業後、自分はどうするのか」を考えずに学生生活を送るようなものです。生活の方針が定まるはずがありません。
2003.05.28
■他者評価■≪他人が見ているところでは頑張る、他人がオッケイと言うところまでやる≫ ■自己評価■≪他人が見ていなくても頑張る、自分の納得できるところまでとことんやる≫
2003.05.27
生まれてきたのは、めぐり逢うため
2003.05.26
ブラシーボ効果とは思いとイメージの力によってもたらされるものでその効き目も信念の強さによって変わってきます 同じような努力をしているのに 物事に成功する人と失敗する人がいる 世の中にはよくあることですが、これを運のあるなしで片付けてしまうのは間違いです 自分がそれをどれだけ信念をもって望んだかどうか それが成否を分けるのです したがって運の強い人、思いを叶える人 こうした人は、信念の力が人一倍強く人生におけるブラシーボ効果をよく知っている人といえます 塩谷信男(医学博士)
2003.05.25
それは、自分次第 自分自身に降りかかる問題の全ての答えは 自分自身が持っているのです つまり、自分次第なのです
2003.05.24
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