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2020.12.31
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大正後期から昭和初期(1920年代)に宮沢賢治は岩手県で白菜の普及に挫折しました。
いっぽう、政府は明治後期(1900年代)から岩手県でキャベツの生産を推進し「南部甘藍」として産地化をはかっていたそうです。
政府は、食の西洋化による日本人の体格向上、富国強兵に取り組んでいました。そのため、西洋野菜であるキャベツの普及に力を入れるいっぽう、中国野菜の白菜には無関心でした。
しかし、昭和前期までは、キャベツの需要は一部の西洋料理店などに限られていて、農家の所得を広く引き上げることには、つながりませんでした。
いっぽう日本料理や漬物にあう白菜は当時既に東京で一般家庭用や業務用に需要が高まっていました。
賢治の死(1933(昭和8)年)後、政府は方針を転換し、中国野菜である白菜の生産を追認し、岩手県でも白菜の生産が増えました。

賢治は、夢想家だとか、空想的社会主義者だとか、現実ばなれしているとか、批判されることがあります。
しかし、葉もの野菜の選択をみると、政府より現実的です。10年早すぎて周辺の農家の理解が得られなかったことが、残念です。

明治から昭和前期の白菜とキャベツの普及については、下記論文が参考になります。


(論文)近代日本における外来野菜普及の史的展開-キャベツ・ハクサイを中心に(清水克志)
https://scholar.google.co.jp/scholar?hl=ja&as_sdt=0%2C5&q=%E7%99%BD%E8%8F%9C+%E5%B2%A9%E6%89%8B%E7%9C%8C+%E6%98%AD%E5%92%8C&btnG=#d=gs_qabs&u=%23p%3DeC-vJ9x9YRYJ


#宮沢賢治 #白菜 #キャベツ #南部甘藍 #食の洋風化 #西洋野菜 #中国野菜





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最終更新日  2020.12.31 07:04:22
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