賢治と農

PR

×

プロフィール

馬場万磐

馬場万磐

カレンダー

バックナンバー

2026.08
2026.07
2026.06
2026.05
2026.04

コメント新着

健康を目的@ Re:ゴッホと宮沢賢治 その8 独身 AIイラスト(02/11) 健康を目的については、 0896240183 をど…
胸元コイルシステム@ Re:宮沢賢治「十月の末」 その14 兵隊さん? AIイラスト(01/21) 胸元コイルシステムは、0896241455 をど…
毎日をやさしく包む@ Re:宮沢賢治「十月の末」 その6 松と楢の林 AIイラスト(01/13) 毎日をやさしく包むは、0896236553 です…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2021.01.06
XML
1927(昭和2)年ごろ宮沢賢治が農産物の運搬に使って嫉妬されたというリヤカー。
それから13年後、賢治の死から7年後の1940(昭和15)年には、岩手県の農業用リヤカーは3万台を超えていました。
「昔、変わった先生がリヤカーを使っていて、不思議に思ったが、使ってみたら、こんなに便利なものはない」などと思っていた農家もいたかもしれません。またしても賢治は10年早すぎたのかもしれません。

急に農家にリヤカーが普及した背景を考えてみます。
この資料のまえがきには、「農業用生産諸資材は同時に各種軍需用資材に転用し得る性質を有する」とあります。列強にくらべてトラックの生産量の少ない日本にとって、人力で兵器や弾薬を運べるリヤカーは、期待の新兵器でした。しかし、軍用リヤカーを大量に準備する余裕もありませんでした。そこで、農家にリヤカーを普及して、いざというとき徴発して軍で使おうという考えがあったと思われます。

国立国会図書館のサイトより

農業用生産資材需要量調査第1報(1942(昭和17)年発行)帝国農会 編
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1124672



#宮沢賢治 #リアカー #リヤカー





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021.01.06 12:59:16
コメント(0) | コメントを書く
[(考察)宮沢賢治はリヤカーを捨てるべきだったか(農作業近代化の挫折)] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: