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2021.01.12
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宮沢賢治は1927(昭和2)年にリヤカーで野菜を売りに行く姿を、農民から嫉妬される詩を書きました。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202101030000/

リヤカーは、1921年ごろに登場したもので、当時はまだまだ珍しく高価なものでした。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202101040000/

価格そのものは、裕福な農家なら買えない値段ではありませんでしたが、新しすぎたのかもしれません。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202101070000/

ただ、賢治が嫉妬と思った視線は、むしろ羨望だったかもしれません。
詩から8年後、賢治の死の2年後の、昭和10年には、リヤカーの価格は半分となりました。

すると、昭和15年には、岩手県の農業用リヤカーは3万台を超えるほど普及しました。


賢治のリヤカーは、10年早かったのかもしれません。



#宮沢賢治 #リヤカー #リアカー





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最終更新日  2021.01.13 04:16:50
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[(考察)宮沢賢治はリヤカーを捨てるべきだったか(農作業近代化の挫折)] カテゴリの最新記事


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