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2021.06.28
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カテゴリ: 羅須地人協会時代
1928(昭和3)年6月、宮沢賢治は、友人伊藤七雄の招きで伊豆大島に向かいました。伊藤が計画していた農芸学校の相談のためです。伊藤には、妹チヱと賢治を結婚させたいという考えがあり「お見合い」を兼ねていた、という説もあります。

東京から伊豆大島に向かう船で、賢治は「三原 第一部」を書きました。
前半は東京の工業的、機械的な港の様子です。
最後の部分は、これから向かう伊豆大島を有機的、植物的に表現しています。

「……南の海の/南の海の/はげしい熱気とけむりのなかから/ひらかぬまゝにさえざえ芳り/つひにひらかず水にこぼれる/巨きな花の蕾がある」

残念ながら、伊藤の農芸学校は、伊藤の死により一年で廃校となります。また、賢治とチヱの「お見合い」も実らず二人は結婚しませんでした。

蕾がついに開かず、というこの詩の表現と、学校や「お見合い」の結果との奇妙な一致が気にかかります。賢治は学校にも、結婚にも、期待していたはずです。一方、どこかで上手く行かないのではないかとの不安もあり、それが詩の表現として現れたのかもしれません。

(本文開始)
     三原 第一部

ぼんやりこめた煙のなかで
澱んだ夏の雲のま下で
鉄の弧をした永代橋が
にぶい色した一つの電車を通したときに
もうこの船はうごいてゐた

     しゅんせつ船の黒い函
     赤く巨きな二つの煙突
     あちこちに吹く石油のけむり
     またなまめかしい岸の緑の草の氈

     この東京のけむりのなかに
     一すじあがる白金ののろし

     幾箇はたらくその水平な鉄の腕
うづまくけむりと雲の下
浜の離宮の黒い松の梢には
鶴もむれまた鵝もむれる
     きらきら光って

     へさきの上でほのほも見えずたかれる火

 西はいま黒鉛のそら
 いくすじひかる水脈のうね
 ガスの会社のタンクとやぐら
 しづかに降りる起重機の腕

中の台場に立つものは
低い燈台四本のポール
三角標にやなぎとくるみ
緑の草は絨たんになり
南面はひかる草穂なみ
 その石垣のふもとには
 川から棄てた折函や・・・

 向ふからいまひかって来るのは
 小く白いモーターボートと
 ひきづなにつゞく
        九隻の汽船

次の台場は草ばかり
またその次は草も剥ぎ
黄土あらはに楊も見えず
うしろはけぶる東京市
ことにも何か・・・の
その灰いろの建物と
同じいいろの煙突そらにけむりを吐けば
   そのしたからもくろけむり

早くも船は海にたちたる鉄さくと
鉄の門をば通り抜け
日光いろの泡をたて
アクチノライトの水脈をも引いて
砒素鏡などをつくりはじめる
   品川の海
   品川の海

甘ずっぱい雲の向ふに
船もうちくらむ品川の海
海気と甘ずっぱい雲の下
なまめかしく青い水平線に
日に蔭るほ船の列が
夢のやうにそのおのおののいとなみをする

   ……南の海の
     南の海の
     はげしい熱気とけむりのなかから
     ひらかぬまゝにさえざえ芳り
     つひにひらかず水にこぼれる
     巨きな花の蕾がある……

(本文終了)



#宮沢賢治 #伊藤七雄 #伊藤チヱ #伊藤ちえ #伊豆大島 #三原







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最終更新日  2021.06.28 04:41:57
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