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2021.08.27
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カテゴリ: 羅須地人協会時代
1927(昭和2)年、宮沢賢治は、岩手県岩崎村(現 北上市)の杉山式農法の見学の際に、隣村の藤根村(現 北上市)の禁酒会をみて、感激し、詩を作りました。

宮沢賢治 作 「藤根禁酒会へ贈る」
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202108220000/

「しかも鉄道が通ったためか/みちは両側草と露とで埋められ/残った分は野みちのやうにもう美しくうねってゐる」

鉄道が通ったためか、道の両側に草が生え、美しくなった、と書いています。
鉄道開通前は、馬の背中に荷物を乗せ(駄載)たり、馬車で運んだりしていました。馬は道草を食う(文字通りの意味で)ので、道の両側は土がむき出しになっていたのでしょう。それが鉄道開通で、馬の交通が減ったために、草が生え、農村景観まで変えたようです。

「これらの運輸の便宜によって/殆んど無価値の林や森が/俄かに多くの収入を挙げたので/そこには南からまで多くの酒がはいって」

これも鉄道開通の影響です。交通が便利になる光の部分と、影の部分を対比させるために、前半に草の生えた美しい農村景観を描写したのかもしれません。




#宮沢賢治 #藤根禁酒会に贈る #鉄道 #禁酒





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最終更新日  2021.08.27 05:39:30
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