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くまくま15 @ Re[1]:胃カメラは 楽になったと 信じたい(ヘボ川柳)(02/10) aki05247さん、こんばんは♪ご無沙汰してま…
2005年05月08日
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カテゴリ: 奈良時代
後で訂正を加えたので、もしよろしければそちらもご覧下さい。末尾に載せてあります。(5月18日)


740年末から恭仁(くに)京へ都を移した聖武天皇でしたが、 どーにもチョロチョロ癖がおさまりません 。今度はとなりの国(近江国になります★)、位置的にはちょうど北東にあたる紫香楽(しがらき)村に離宮をたてて、しょっちゅうそこへ足を運ぶようになりました。この離宮を 紫香楽宮(しがらきのみや) といいます。
腰のすわらない天皇というだけでも、ど~かな~?と首を傾げてしまうんですが、743年、聖武天皇はこの紫香楽宮で爆弾発言を行ってしまいます。それは、
「国中の銅を溶かして形をつくり、大きな山を崩してお堂をたて、大きな大きな金銅の盧舎那(るしゃな)仏を造るぞ~!!全国の者たちよ、自発的に協力してくれい!!」
という、ケタ外れの内容でした。
しかもみんな協力してね♪と言ってる割には、こんな偉そうなくだりがあって、有無を言わせぬ威圧感をプンプン匂わせてます。天上天下唯我独尊です(何か違うぞ…)。
「世の中の富は私のものであり、世の中の勢いも私のものである(=天下の富を有つは朕なり。天下の勢を有つも朕なり)。この富と勢いでもって、この尊い仏像をつくるのである」
オレのものはオレのもの、おまえのものもオレのもの……ふとジャイアンの名ぜりふを思い浮かべてしまいました。気が弱そうだった聖武天皇も、 やっぱり独裁者の資格十分 だったんですね~。だまされるトコロでしたわ。
この強気な発言 (大仏造立の詔といいます) まさに国力を挙げてのビッグ★プロジェクト になりました。 新都・恭仁京の工事も未完成のままストップしてしまった ほどでしたから、いかに天皇が夢中になって取り組んだか、想像にかたくないですよね……。


これからしばらく大仏作りをみていきたいなーと思うんですが、まずは ”盧舎那仏”とは何か 、少し触れておきますね♪
るしゃな、というのは 仏教の言葉vairocanaの中国語版当て字&省略形 で(インドで生まれた仏教は中国経由で日本に入ってきたため)、もともと本場のインドでは ”輝く太陽” に由来するそうです。日本の神さまもアマテラス(天照)さまですから、お仲間かもしれませんね★
vairocanaはさすが太陽がモトだけあって、 「光明遍照」 と訳されることが多く、 「煩悩の体をきよめ、衆徳を備えてあまねく及ぼすことあたかも日光のごとく、照らさないところはない」 という意味だそうです。誰にも平等にふりそそぐ太陽の光のように、人々の煩悩を洗い流してくれて、さとりへの道を開いてくれるありがたい仏様なんでしょうね~。
仏教とひとくちにいっても、実は色んな教えに分かれているのですが、vairocanaさまはその中のひとつ、華厳(けごん)経のエライ仏様……というか、 華厳経では全世界の中央にいますのがvairocanaであり、万物にvairocanaが宿っていると考えるみたい
華厳経の思想に強く関心をいだいた聖武天皇が、vairocanaを選んだのはしごく当然のことでした。世の中の嫌なこと、不安なことを、太陽の明るい光がすべて洗い流してくれたら……そう思うと、これはすごく切なる願いのような気がします。天皇になったからっていい事ばかりじゃなかったですもんね…。


ちょっとわき道にそれますが、仏教に関して私見をひとつ。
仏教ってお釈迦様が説いた教えだから、ひとつに決まってる!……はずなのですが、実際にはさまざまな教えに細分化されてます。そうはいってもモトは一緒なんだから、似たような内容のはず!……なんですが、大きくふたつに分類した時点ですでに色合いがかなり異なってます。

*大乗仏教(大きな乗り物なら定員オーバー心配なし!みんないっしょに乗り込んでさとりの道へ行こうぜ!)
*小乗仏教(じょーだんじゃない!さとりの道はキビシイのです。ちゃんと修行を積んだ者だけしか乗れない定員少の乗り物のよーなものなのです!)


でも最近こう思うんですよね。とてつもなく深い井戸があって、底にはさとりの水がある。そこに手をつけることが出来たのは、昔も今もお釈迦様ひとりだけで、その喜びや感動を言葉にしてみたけれども、だれもそれが本当には理解できなかった(体験したものと見聞きしただけのものって、やっぱり違いますもんねえ)。
その後も多くの偉い人々が底の水をすくおうとしたけれど、みんなどうしてもうまくいかない。だから水のくみ方や水そのものの表現が異なってくるのかな……それが教えの細分化につながるのかな~~なんて考えてみたりしました。
仏教に詳しい方からのご意見がいただければ助かります。すっかり門外漢のたわごとになってるので^ ^;


ちなみににvairocanaの正式名は毘盧舎那(びるしゃな)だそうです。当たり前ですが発音似てますね^-^
今のお経も中国語訳だから、日本語訳が出ればいいのになあ。ぎゃていぎゃていはらそわぎゃてい(漢字が分からん…)と唱えながら、つい舟をこいでいる私は切にお願いしたいところです。意味が分かればもう少し眠気もどこかに行ってくれるんじゃないかなあ……。


今日はわき道にそれまくってしまい、すみませんでした。次回は仏像作りの様子をご紹介しますね★



5月18日訂正
上の記事で、聖武天皇をジャイアンになぞらえて独裁者と断じましたが、当時の社会背景を考慮に入れていなかったので、天皇をとりまく環境も交えて簡単に訂正させていただきます。
当時は律令制がうまく機能していた頃にあたっていて、律令制=中央集権体制のため、権力は天皇および太政官に集中している(もちろん完全ではなかったと思いますが、ある程度成功していたと思います。だからこそ、大仏造立という超ビッグな事業も可能になったワケで…)状態でした。ですから、この聖武天皇の発言は、当時のものさしから見ればある意味、まっとうな内容とも言えます。
民主主義が根付いた現代では、”独裁者”にはどうしても悪いイメージがついてまわりますが、独裁者がいて、それを取り巻く人々らとともに政治を行うことが当たり前だったとすれば、「独裁者の存在イコール悪」という図式はなかなか出てこないかもしれませんね(もちろんその独裁者自身がロクでもなかったら、批判は出てくるでしょうけど^ ^;それが積もり積もれば、さきほどの図式に行き当たって、革命じゃー!みたいになるのかな?)。
なんかうまく説明できなくてすみません。昔の常識と今の常識の違いが何となく見えてきたら、いいのですが…。
(ぜひこの記事にコメントを寄せて下さっている、eba3515さんのご指摘も参考にして下さい!)





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最終更新日  2005年05月18日 16時17分42秒
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