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川柳は川柳でも、今週発表になったサラリーマン川柳は傑作ぞろいでしたね~。もっとも、痛々しくて笑うどころじゃないというのもありましたが……。記憶に残っているのはこんなトコロ。うろ覚えで書いているので、間違いがあったらすみません。「妻タンゴ 息子スノボで 俺メタボ」「家の中 あたたかいのは 便器だけ」「犬はいい 崖っぷちでも 助けられ(俺も崖っぷち)」毎年、サラリーマンの方々のユーモアセンスには感心しきりですが、自虐ネタが多いのは日本人のユーモアの特徴……というか、限界なのかな?とちょっと寂しくもなります。前回の続きということで、今日は胃カメラの話をば。胃の不調が昨年末から続いていたので、内視鏡検査をしておいた方がいいのかと思い、親切な看護婦さんに聞いたところ、「今は本当に楽になりましたよ~。寝ているうちに終わっちゃいますから」寝ているうちに終わる!なんと魅力的な言葉だと感動しつつ、小心者の私は再度質問しました。「前に1回飲んだ時は、喉が狭まってどうしても飲めなくて、先生に怒られたんですけど……そんな事はないですよね?」(80歳のおばあさんでも年に何回も飲んでいるよ!と怒られ、その時は自分が情けなく感じたものですが、今振り返ってみると、説得力があるかどうか甚だ疑問)「エーッ、それはひどいですねえ。今はそんな事ないですよ」その言葉に励まされ、思い切って内視鏡検査の予約を取り、翌日いよいよ飲むことになりました。しかし如何せん小心者のため、恐怖はぬぐえず、検査前の先生の話を聞くだけでも血の気がひいていくのがハッキリ分かるほど。隣の部屋では胃カメラが待ち構えていると思うと、それだけで気が気じゃなくなってきたのですが、ていねいな先生は、潰瘍やら胃ガンやらの写真を見せて説明してくれるワケです。「で、これが潰瘍ですね、潰瘍だとこう映って…」「……はい……」(蚊が鳴くような声とはまさにコレか)「まあ大丈夫だとは思いますけど、胃がんの場合はこういう風に見えますね」「………は………」(「はい」と返事するチカラもない)見れば見るほど気分が悪くなってくる悪循環。いい先生なのですが、写真はカンベンしてほしかったなあ。胃カメラ検査は次のように進みました。・撮影の邪魔になるので、胃の中の泡をとる薬を飲む。これは楽勝。・喉に麻酔をかけるため、ドロリとした液体を飲む。ただ、ごくごく飲んではダメで、喉の奥になるべくとどめておくようにする。飲むと次第に口の中から喉にかけてしびれてくる。苦しくはないがヘンな感じ。・緊張をほぐすため安定剤の注射をうつ。普通の人は1本で効くそうなのだが、効きにくい体質なのか、2本打ってもらい、それでも緊張がとけなかったので最後は大腸検査か何かで使う点滴まで打たれるハメに(注…もっとも、ここまで必要な人は多分そういないと思います^ ^;)。安定剤が効いてくると、テンションの低い酩酊状態、もしくは目は開いてる睡眠状態みたいな感じになるので、胃カメラに対する緊張や恐怖も感じなくなり、うまくいけば「寝ているうちに終わる」ワケですね。・いよいよ胃カメラを飲む。というより、喉は麻酔でしびれ意識はぼうっとしているので、先生が入れてくれているだけか。胃だけならラクラクだったのだが、最後胃の奥にぐっと入り込んだ時が苦しくなり、意識が目覚めてしまったのが無念(?)といったところ。おかげさまで胃は予想外にきれいな状態で、ただストレスか何かでうまく動いていないだけでしょうと診断されました。★結論…胃カメラは昔に比べれば楽になったはず!普通の方ならちゃんと安定剤が効くので、苦しくも吐きそうにもならず、検査が受けられると思います。でも今度は、鼻から入れる胃カメラを試してみたいなと(苦笑)。耳鼻科で喉の奥を見てもらったとき、この鼻から入れるタイプがかなり好印象だったのです。次回は胃つながりで「白い巨塔」の感想にいくかな?ではまた!
2007年02月10日
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あれこれ雑事に追われているうちに、年も明け、もう二月になってしまいました。年末の御礼も年始のご挨拶も出来ぬまま今更という感じですが^ ^;どうぞ今年もよろしくお願いします。さて、年末年始振り返ってみると、けっこう色々ありました…。中でも個人的にインパクト強かったのが以下の2つ。・パイプオルガン教室の突然の閉鎖。それに伴う新しい教室探し。・胃の調子がなかなか良くならず、ついに胃カメラを飲むはめに。オルガン教室の閉鎖は本当に寝耳に水で、ショックのあまりその日の夜は子どものようにうおんうおん泣いてしまいました(後から考えると大人になってこんなに泣けるというのは、ある意味スゴイなあと変な感心をしちゃいましたが^ ^;)。それは悲しいというのを超えて、無念といった感さえありました。何せ日本列島オルガンの数は多くとも、素人対象にレッスンを行っているところは5%未満……いやいや、下手したら1%あるかないかという位珍しいのです。しかしさんざん泣いて諦めがついたのか、案外前向きだったのか、次の日から早速ネットを使って探し回りました。オルガンのある大学やホールに電話して、「オルガンが大好きでぜひぜひ習いたいんです、そういう機会設けてくれませんか?!」と、かなり強引に売り込んだりもしました。その結果、祐天寺にある聖パウロ教会と、フェリス女学院緑園キャンパスの2つで受け入れてもらえることになり、ようやく落ち着いた次第です^-^今回得た教訓…ネットも確かにありがたい!しかし結局聖パウロ教会もフェリス女学院も、突撃電話をして初めて教室の存在を知ったワケで、やっぱり生の交渉が一番ですな!閑話休題。聖パウロ教会のオルガンは、制作元の辻オルガンのホームページによると、「我国で初めて歴史的制作法により建造された本格的教会オルガン」だそうで、確かに随所に歴史の重みを感じられる(鍵盤の高さが違ったり、ストップを引き出すのもコツが要ります^ ^;)、白と銀のオルガンです。そして弾くのがたいへん難しいです。有名なフランスのオルガニスト、マリー・クレール・アランでさえ演奏に手こずったそうで、ましてや入り口あたりでウロウロしている私は言わずもがなといった感じですが^ ^;ただ、このオルガンと何とかうまくやっていければ、他のオルガンを弾く時にうんと楽になるそうなので、やりがいがあるっつーもんです。何より、もう一度オルガンに接する幸運に恵まれたのですから、感謝しないとバチが当たりますね。聖パウロ教会のオルガン全景はこちら→辻オルガンのホームページ「聖パウロ教会」こんなに真っ白に統一されているオルガンって珍しいような。今回で二回目になる胃カメラ体験も、なかなか強烈だったんですけど、今日の本題は「新装開店」なのでとりあえず後回しにして。ブログを始めてしばらくは日本史一本だったのでブレがなかったのですが、どんどん手を広げた結果何かまとまりがつかなくなってきたので、日本史は別のブログに移し、こちらでは雑記を書いていこうと思っています。(日本史ブログの方は現在工事中でして、そのうちご紹介できれば…と考えてます)しかし雑記とはいえ、一本筋が通っていないと個人的に落ち着かない…というか、続かない予感がぎゅんぎゅんするので、その折々に興味をもったもの、はまっているものを記事にする!というセンでいくことにしました。ホントは歴史とか音楽とか読書とか、一つの軸を中心に出来ればいいなあと思っていたんですけど、何せ熱しやすく冷めやすい人間のため、「ハマリもの」というすっごく適当でおおざっぱなテーマが、実はピッタリのよーな気がします^ ^;近いうちに新装開店できればいいな~~。それではまた♪
2007年02月07日
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センセイも走る師走…ではないですが、うちの学校は11月末に定期テストがあり、採点などに追われてあっという間に12月も半ばになってしまいました。うかうかしていると、このまま新年に突入してしまいそうでコワイです^ ^;太極拳も習い始めてから、ちょうど一ヶ月がたちました。先生は、生徒の皆さんから言わせれば”容赦のない人”でして、決しておっかない人ではないのですが、初心者だからといって手をゆるめてくれる事もなく、練習前に行っているストレッチからしてしょっちゅう注意を受けている有様です(泣)ストレッチ自体、太極拳の下準備みたいなところもあるので、普通のと違ってやや難しいんですよねー。まあ、私の体がかたすぎるのが一番の問題なんですけど^ ^;以前ジムでやってみた太極拳は、手足がぶんぶん動いてちょっとエクササイズみたいな感じだったんですが、ここの教室ではまったく違って、少なくとも手は意識して「動かす」ものではないとよく言われます。体の動きとともに、自然に「動いていく」のだそうです。特に重要なのは腰、そして下半身です。腰を据えて(例えではなく、ホントに腰を据えて)体の軸を左右に動かせば、手はおのずからついてくる、そんな感じなのですね。だから動作に無理がなく、代わりに道理があります。さらにもともとは戦うための技であるので、ただ漠然と動きを覚えるよりも、先生から、「相手の腕を両手ではさみ、自分の方に引き寄せ、下に組み伏せる」「いったん攻撃をやわらかく吸収して、出鼻をくじいた後、両手で押す」など説明されるとイメージがわくし、何より合点がいきます。私にはこの”合点がいく”というのが重要みたいです(頭から入る人間なので^ ^;)。直線ではなく円の動き、柔らかさの中に強さあり、陰陽のバランス(足を例にとれば、重心がかかっている方が”実”、かかっていない方が”虚”といって、これをはっきりさせなくてはいけません。手のひらの向きにも陰陽のバランスがあり、右の手のひらが下向きなら左は上向きという風になっています)など、人生のヒントにもなりそうな極意がたくさんあって、興味はまだまだまだまだ尽きそうにありません。あとは、オルガンの先生もよく言われることなのですが、「スケールを大きくのびのびと」という大事なツボがあります。オルガンの場合、曲が弾ききれないままレッスンに行くと、一発で「今日の(演奏)は縮こまってますねー」と指摘されてしまいますし、太極拳でも手の動きなどに気を取られていると、「些細なところはいいですから、もっと大きくのびのびと」と注意を受けてしまいます。やはり流れ、しかもダイナミックな流れが大切なのかな、と感じさせられますね~。音楽や運動に限らず、すばらしいものにはストーリーがあり、理があり、よどみない流れがあり、均整がある……と柄にもなく考えてしまう今日この頃でございます。それにしても極めた方の動きって、あまりにも自然なので、カンタンそうに見えてしまうんですよねえ……それで一回失敗した私^ ^;(すばらしいギタリストの演奏を聴きにいった際、らくらくと弾きこなしているので何か自分でも出来そうと思い込んでしまい、早速習い始めたら、数年で挫折しました……)ガッコもそろそろ冬休みですから、もう少しブログもペースアップできればいいなあ。ではまた!
2006年12月15日
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いま時代は空前の?!クラシックブーム。『のだめカンタービレ』を読んでクラシックってもしかしてカッコいいかも!と興味を持ち、ドラマで生の音楽を聴いて思わず感動された方、遊びながらさらにクラシック度(今勝手に作りました^ ^;)を高めてみるのはいかがでしょうか?まずは、もういくつ寝たらクリスマス&お正月ということで、ご家族で楽しめるテレビゲームをば♪プレイステーション2ソフト『ブラボーミュージック』同『ブラボーミュージック クリスマスエディション』同『ブラボーミュージック 超名曲版』ゲームを通じて、主人公=プレイヤーは少年少女オーケストラの指揮者、タクトくん。遊び方はカンタンでして、オーケストラ(というには編成が少なすぎるんですが、まあそこらへんは大目にみてもらう事にして…^ ^;)をボタンで指揮し、クラシックの名曲を次々に演奏していきます。テンポ&強弱(強-普通-弱の3段階があります)、そして時にはある楽器に指示を出していき、いい演奏が出来るとお客さんから「ブラヴォー!!」の喝采が、レベルに達しない場合はブーイングが飛んできます。シリーズ最初の『ブラボーミュージック』だけでも、クラシックの名曲が34曲も入っているので、楽しみつつ時には苦労しつつ遊んでいるうちに、クラシック音楽がどんどん覚えられるかも?!今のシーズンだからこその一押しは、やはり『クリスマスエディション』。クリスマスにちなんだ12曲も可愛くて華やかなのですが、演奏の背後でくるくる変わる風景も、雪景色からそりに乗ったサンタクロースまで様々で、クリスマス気分を高めてくれること間違いなし★書いているうちにもう一度プレイしたくなってきたなあ……。ちなみに私はこのシリーズで、「カヴァレリア・ルスティカーナ~間奏曲」というのを覚えました。医者役の中居クン&看護婦役の竹内結子さんが出ていたドラマ「白い影」を、さらにドラマティックに盛り上げていたあの曲でございます。これはテンポが安定していなかったため、相当苦労した記憶がありますねえ。クラシック音楽もいいけれど、ビジュアル的にも楽しみたい♪という方にはこちら。マンガ、アニメにも世界を広げている、プレイステーション2ソフト・恋愛シミュレーションゲーム『金色のコルダ』です。オフィシャルサイト→『金色のコルダ』主人公=プレイヤーは、ひょんなことから魔法のヴァイオリン(?!)を手に入れた、平凡な女子高生。しかもなぜか校内の音楽コンクールに出るハメになり、ライバルたちとの戦いが始まります。ライバルは、ヴァイオリン、ピアノ、トランペット、クラリネット、チェロ、フルートと、何か異種格闘技のような趣がありますが、そんなコトはお構いなし!一に練習、二に練習、三・四がなくて五に練習、コンクール優勝を目指せ!!……という事をすると、私のように失敗しますので、恋もしくは友情の芽生えも大事にしなくてはなりません。仮想も現実も、高校生はタイヘンだ~~!こちらは『ブラボーミュージック』と違って自分で演奏できない代わりに、解釈練習といって、作曲者の生きざまやその曲が作られた背景などを知ることで、さらにその曲の理解度を深めるというちょっと面白いシステムがあります。曲を聴くだけでなく、知識も楽しく学びたいな~という方にはオススメです。ちなみにマンガはこちら。呉由姫『金色のコルダ』(花とゆめコミックス)。画面は最新刊みたいですね。呉さんはゲームのキャラクターデザインを手がけていました。ちなみに昔、専用指揮棒コントローラまでセットになっていたすごいゲームがあったので調べてみました。『ザ・マエストロムジーク』指揮者になってみたい、というのは誰もが一度は見る夢なのかも……特に男性?クラシックに限らず、音楽ゲームは色々面白いのがあるので、そのうちまたご紹介したいと思います。それにしても今回ゲーム以外に、クラシック音楽、とりわけオーケストラをメインにしたマンガや本などが思いつかなかったのですが、ご存知の方いらっしゃいますか?
2006年11月30日
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峰くんちの中華料理屋さんのメニューのようなタイトルですね…って、のっけから内輪ネタですみません!えー、それはともかく、先々週から太極拳の教室に通い始めました。キッカケはまるで「金持ちにはなってないわらしべ長者」のようだな~と勝手に思ってますが^ ^;まあ、こんな感じだったのです。(1)母に誘われて足ツボマッサージに行く。その最中、マッサージをしてくれていた女性から「私は疲れがピークに達したときは、この治療院に行くんですよ」と、ある鍼灸治療院を紹介してもらう。ちなみに私は足ツボが苦手で、弱くしてもらったにも関わらず気持ちよさより痛みが先行していたのだが、マッサージ師さんに聞いてみると、過去、まったく痛みを感じなかった大物(?)が二人だけいたらしい。一人は毎朝ヨガを1時間以上している男性、もう一人はジャズシンガーの女性だとか。ちょっと考えさせられるものがあったなあ。じっくり自分の体と向き合おうとする時間、自分の体をフルに使って解放する喜び。う~ん、今の私には縁遠い。ちなみにこの足ツボマッサージ屋さん、とてもお上手だと思います(痛かった私が言うのは何ですが^ ^;)。中華街に行かれた際はぜひ。ミライカナイという名前だったかな?ミナイカライだったかな?後で調べてみます。(2)寝つきが悪かったり、胃腸の調子が良くなかったりしていたので、紹介してもらった鍼灸治療院に行く。鍼は未経験だったため、ハリセンボンのようになるんだろうか、刺す時はやっぱり痛いんだろうかとビクビクしていたら、これまたお上手な先生で、まったく痛みを伴わず、本当に刺さっているのか分からないほど。しかも終わった後は心がとても落ち着いていて、体全体もすっきりするので、クセになりそうである。しかし先生自身は、鍼をうちながら自分の気も送っているそうで、数をこなすとやはりクタクタになるらしい。そういう時は先程の足ツボマッサージをお願いするというから、お互いもちつもたれつ、大変なご職業ではある。閑話休題、その先生から何か運動をした方がいいとすすめられ、「以前一回だけ参加した太極拳に興味がありますね~」と答えたところ、先生「どこに住んでいるの?」私「○○○です」先生「えっ、そこの近くの地区センターで、太極拳の日本チャンピオンの先生が教室やってるよ。ぼくの友達なんだけど」私「えーッ!そうなんですか!」といういきさつで、即通うことに。いや~、何てったってチャンピオンだもの!いちころですよ!(蛇足ながら先生が言うに、気を練る、気を集中させる、気の流れをよくするためにいいものは、1に座禅、2にヨガ、3に太極拳なんだそうです。しかしこれは難易度の高い順でもあるので、ヨガにもちょっと興味があったのですが、それを聞いてさらに太極拳に天秤が揺れちゃいました^ ^;ヨガは最近すごく人気を集めていて、気軽に始められるイメージがあったのですが、よく考えたらあのインドがルーツですから、本来はそんなカンタンなものではないはずなんですよね~。ただ、これは瞑想としてのヨガですから、体をほぐしたい、リラックスしたい、という目的ならば十分効用はありますよとの事でした)(3)そして先々週から太極拳の教室に参加。まずは基本の動き(二十四式)からマスターするのだが、もちろんそんな生易しいものでなく、行く手は果てしなく遠い……というワケで、今後もちょくちょくレポートしたいと思います!なんせ一つの事に通じている人、プロフェッショナルな人の話は皆さんどこか相通じて、本当に興味深いのです。それを聞くのも楽しみだったりします♪では今日はこのへんで。次回からは、そろそろ日本史を再開させたいなあ……色々な検索サイトに登録させてもらったし。よし頑張るぞー!追記足ツボマッサージのお店、ニライカナイと言いました。うーん、微妙な間違え具合がちと悲しいなあ。ホームページはこちら→横浜中華街の◆足つぼ ニライカナイ
2006年11月21日
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オケとベートーヴェンの話を書きかけていたのですが、先日本屋で面白いNHKのテキストを購入し、その放映が今日の夜だというので、ご紹介を兼ねて差し替えることにしました。その番組とは、教育テレビの月曜日午後10:25-10:50で放映されている「知るを楽しむ」というシリーズで、10月と11月のテーマは「ギョッとする江戸の絵画」になります。タイトルからしてユニークですね^-^ココで気付いた方もいらっしゃると思いますが、10月からスタートしていたので、実はもう残り3回しかないのです。テキストを読みながら、「あ~、もっと早く気がついていれば良かった~!」と後悔したものの、まだ3回は見れるので今日からはしっかり録画しておく予定。興味を持たれた方はぜひぜひごらん下さい。また、テキストも発売中ですので、まずは店頭で試し読み(または立ち読みとも言うですな^ ^;)されてはいかがでしょうか。テキストの表紙はコチラです。表紙からしておどろおどろしいですよねえ。先生は美術史家の辻惟雄という方で、以前から型破りでアバンギャルド(前衛)な芸術家に興味を持たれていたらしく、『奇想の系譜』(1669年)という本の中でもすでに伊藤若冲などを取り上げて、高く評価していたそうです。その時はあまり反応がなかったそうでしたが、今や若冲は大人気の画家ですから、時代が変わったのか先生に先見の明があったのか、その両方かもしれませんね。さて、辻さんは全8回のシリーズで、以下の江戸時代の画家をクローズアップしています。第1回 血染めの衝撃~岩佐又兵衛(1578~1650)スゴイです、のっけから”血染め”ときました。巻頭のカラーページの絵、「山中常盤物語絵巻」には確かに、地面を血に染めて絶命している侍女、白い胸からとめどなく血を流し(その血は着物に伝わり床にまであふれています)、苦悩にあえぐ常盤御前(源義経の母)。絵とはいえ、容赦のないその描写には確かに「ギョッ」と思考停止させられるものがあります。本物を目にした辻さんたちは、「弁当の握り飯にサケの切り身が入っていて、その赤い身が『山中常盤』の場面を連想させて、のどを通らなかったほど」だったそうですから、ナマの衝撃ははるかにすさまじいのでしょう。見たいような、見たくないような……。いや正直いって、見たくない気持ちの方が強いかなあ^ ^;牛若(義経のこと)が母の仇を取るシーンでは、もう残虐ゲームも真っ青の殺しっぷり。血のにおいまでただよってきそうな感じ……。しかしこの”血染めの衝撃”にはちゃんと土台があるのです。作者の岩佐又兵衛という人は、織田信長に仕えていた荒木村重の子として生まれましたが、のちにお父さんが信長に逆らったため、一族郎党や近親者など多くの者が見せしめとして殺されてしまいました。その中で、幼子の又兵衛は乳母に助けられて生き延びたと言いますから、人生のスタート地点ですでに彼は、血の記憶と結び付けられてしまった感があります。戦国時代の血なまぐさい強烈な記憶と、江戸時代の到来がもたらした絵画の新しい世界は、又兵衛の絵に多様性とリアリティーを与え、今も人々を「ギョッ」とさせる原動力になっているんでしょうね~。第2回 身もだえする巨木~狩野山雪(1590~1651)せっかくでかい樹を襖いっぱいに描いているのに、全然伸びやかじゃない……「老梅図襖絵」を一見して浮かんだ感想です。何せ木の曲がり方がハンパじゃない。直角、直角、また直角、細い枝になっても飽きずに直角。まさに「身もだえ」している感じ。家に飾れることになっても、そのあまりの窮屈さ、不自然さに気詰まりしてしまいそうです。あと、テキストをごらんになる際には、ぜひ37ページの「寒山拾得図(かんざんじつとくず」を開いていただきたいですね~。二人の男(?)の、これ以上ないという位の気味悪い笑顔は、忘れようたって忘れられません。かりに1億円もらって引き取ってくれと言われても(もちろん絶対に言われないけど^ ^;)、ダッシュして逃げますね、うん!第3回 「自己流」の迫力~白隠(1685~1768)本職禅僧、副業絵描き…というワケではありませんが、禅の道に日々まい進しつつ、自由奔放な楽しい絵をたくさん残している”禅の中興の祖”の白隠さんです。今風に言えば「ヘタウマ」ってところでしょうか?特に達磨さんの絵は、色んなバリエーションがありながらも、結局は目玉がぎょろりとしたオモロイ顔になっているのが何か微笑ましいです。頭でっかちの観音さんも、これまた可愛いんですよねえ。これは欲しいな。第4回 奇想天外の仙人たち~曾我蕭白(1730~1781)こちらの「群仙図屏風」、めでたく(?)「家にゼッタイ置いておきたくない絵」ナンバー1に輝きました。じゃあさっきの山雪の「寒山拾得図(かんざんじつとくず」はええんかい?と聞かれたら、言葉に詰まりますが……究極の選択をすれば、まだ「寒山~」の方がマシと答えておきます^ ^;何せグロいです。さらには悪趣味です。美女はいるものの、西王母にいたっては目が中央に寄っちゃって、どこ見てるのか分からない。うつろな目で怖いです。ご本人自体気持ち悪い蝦蟇(がま)仙人は、背後に白い爬虫類みたいな生き物を背負いながら、なぜか美女に耳かきしてもらってます。ワケが分かりません。子どもに囲まれている(しかもこの子どももビミョーに可愛くない…)隠者さんは、着物の胸元が破れたようにはだけているにも構いなし、すっごくアブナイ人にしか見えません。これは布団に入りながら読んでいましたが、そのまま枕元に置いていたらきっと悪夢を見そうだったので、仕方なく別室に片付けました。それ位整合性のまったくない、摩訶不思議な絵です。第5回 絵にしか描けない美しさ~伊藤若冲浦島太郎の歌に、「絵にも描けない美しさ♪」という一節がありましたが、若冲の場合は、絵にしか描けない美しさ、つまり写実するだけでは表現しきれない独特の美があふれているそうです。辻さんは、「実在の物以上に不思議な美しさをもって我々の目の前に迫ってくるこの世ならざる美の世界、いわば写実と幻想が織りなす不思議な世界」と述べられていて、その素晴らしさ、不思議さをあらためて実感しました。しかし一方で若冲は、洒脱でユーモアあふれる絵も残しておりまして、今回のテキストではそれが見れたのも嬉しかったです♪それにしても返す返す惜しいのは、テレビでこうした絵を見たかったなあ……テキストじゃ白黒なのも多いんですよね。ではココからが、今日以降の放送予定になります。第6回 猛獣戯画~長沢蘆雪(11月13日)第7回 天才は爆発する~葛飾北斎(11月20日)第8回 機知+滑稽・風刺の心~歌川国芳(11月27日)中でも葛飾北斎の爆発するような絵には笑えました。辻さんのおっしゃる通り、この爆発の感じってギャグマンガを連想させます。北斎サイコー!では今回はこれにて★
2006年11月13日
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遅ればせながら、月9ドラマ「のだめカンタービレ」の感想をば♪それに便乗して(?)、つらく苦しい……いやいや、古き良きオーケストラの日々を思い浮かべながら、久々にクラシック音楽(ベートーヴェンが主になるかな?)について気ままにつづってみたいと思います。その前に……「のだめカンタービレ」とは何ぞや?という方はこちらの記事を参考にして下さい。敷居を高くするのも低くするのも人間次第全体的には、原作の雰囲気を忠実に再現していて(個人的には忠実すぎる気もするんですけど、理由は後回しにします)、よく作られているドラマだと思います。エンディングなど、「ラプソディー・イン・ブルー」(アメリカ人作曲家、ジョージ=ガーシュウィンの名曲で、ジャズとクラシックの見事な融合として知られています)のテンポや曲調にうま~く乗っていて、見ているだけで楽しいんですよ~~♪キャラもおおむねマッチしている感じなんですが、とくに私が「拾い物だ!」と思ったのは、千秋真一を演じる玉木宏さんでして、何もなくても目がうるうるしていたり、とても美形なのにミョーに痛々しいところなど、千秋そのものとまでは言えなくても、”情けない系の美青年”としてはほぼカンペキなのでは…?だがしかーし!(あれ、逆説が重なっちゃった…こうなると逆説じゃなくなるのかな?)ひとつ許せんのは、世界的指揮者のシュトレーゼマンが竹中直人さんであること!!竹中さんが嫌いなのではないけれど、やっぱり外国人タレントを起用してほしかった……まあ確かに、日本語を巧みにあやつり、もちろん指揮は(ポーズだけでも)さまになってなくてはならず、セクハラじじいの一歩手前みたいなキャラ、演じてくれる外国人を探すだけでもタイヘンだと思いますが^ ^;というのも竹中シュトレーゼマンが出てくると、もともと虚構性が非常に高いこのドラマがさらにぶっとんでしまって、完全にウソくさくなっちゃうよーな気がするんですよね。だからこそ、わずかな現実性を頑張って保ち続けてほしかったです。ただでさえリアルな地上からふわふわ浮いている風船(ドラマ)は、一瞬でもその細い糸を離すと、どこか遠い空の果てに飛んでいっちゃうんですから…。あとはやっぱり、原作に忠実に沿いすぎて、ひねりがないところがちょっと残念でした。辛辣な物言いをしてしまえば、原作の面白さと生の音楽のチカラに100%頼り切っていて、ドラマとしての独自性を出そうという姿勢が皆無なのではないか、と。でもこれもねえ…ダンナに言われましたよ、「不当な評価」だって。原作を知らない人にとってはアレコレいじられるよりよっぽど良いし、何せファンの多い作品だから、下手にアレンジすると非難ゴウゴウの恐れもあるし……でも、「原作におんぶに抱っこでいいのか?!」と天邪鬼な私なんかはは納得いかんところもあるし……う~ん、評価するのってホント難しいッスね!まあ十人十色、様々な意見があるということで、聞き流してやって下さいませ^ ^;(その後、ダンナとはケンカしました。ヤレヤレ……)さて気分を変えて、「のだめカンタービレ」の魅力のひとつはやはりクラシック音楽、しかもオーケストラですよね。ドラマを見て、さらに私もオケに入りたい!と思った方は多いはず。千秋くんが最初に指揮をしたのは、ベートーヴェンの交響曲第7番でしたが、うちになかったので買って来ました。指揮はカルロス・クライバー、演奏はウィーンフィル。ドラマのオープニングで使われているのは、この第7番の第1楽章、序奏が終わったあとの(たぶん)主題なんですが、これがホントに面白い。いつもと違ってヤケっぱちのように明るいんですけど、何かあったんですか、ベートーヴェンさん!と思わず心配になるほど、喜び全開、明るさ爆発、リズムは跳ね馬のように落ち着かず、こっちまでムリヤリ元気になっちゃうような強引さがあります。しかしそこがベートーヴェンのツライところ。というのも、モーツァルトのように「なんとな~く流れてます、美しいトコ目白押しだけど別に聞き流しちゃっても構わないよ~ん♪」という脱力系(?)でなく、「皆の衆、俺の音楽を聴け!」と言わんばかりの迫力があって、端座して拝聴せねばならないような暑苦しさ……もとい、熱気がムンムン押し寄せてきます。だからあまりウチにはベトベンのCDが少ないのかしら?という次第で、ベートーヴェンの音楽は、ウチのコンポで聴くよりも車のBGMにするよりも、コンサートホールで全身これ聴覚という状態で浴びる方が、私には向いているみたいです。この第7番もそうですが、第九や「田園」など音楽に広がりがあって、好きなことは好きなんですよね(←一応フォローしときました…ってもう遅いか^ ^;)★交響曲第7番についての豆知識……リストは「リズムの神化だ」と言ってピアノ曲に編曲したし、また、ワーグナーは「舞踏の聖化だ」と叫んで、リストが編曲したピアノ版に合わせて楽しげに踊った(ライナーノーツから抜き出しました)……そうです。お二人とも、セリフが大仰すぎて意味がイマイチ分かりませんが、音楽を聴けばなんか分かるような気になるから、これ不思議。ちなみに、のだめちゃんがピアノで弾いた曲っていうのは、このリスト版なのかな?CDが出ているなら買いたいですね~。すっごく素敵でしたから。以上、つらつら感想を述べてみましたが、ベートーヴェンはあまり聴かない上、ご本人のこともほとんど知らないので、ご指摘、ご教授いただければ嬉しいです!ベートーヴェンといえば、思い出すのはオケでの緊張する日々……と始まって、「オーケストラ楽器別人間学」という愉快ツーカイな本をご紹介しようと考えていたんですが、長くなってしまったので今日はこのへんで。
2006年11月09日
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今日は「こち亀」の両さんに会いに、はるばる葛飾まで行ってきましたが、またの機会にアップすることにして(そう言ってると結局放りっぱなしになっちゃうんだよなあ^ ^;)、2007年の幕開けまでついに二ヵ月を切ったという事で、年初にたてた目標がどれだけ達成できたのか、そしてまだまだ悪あがきが出来るのか勝手に検証してみたいと思います!2006年の目標(なるべく原文ママにいきます)*物語を一本仕上げること、みじかいのでもよい。→のっけから×ブログを立ち上げたとき、最初に書いた記事が「歴史とファンタジー小説」というものでして、歴史を勉強する原動力の一つに、ファンタジー小説を書いてみたい、自分の世界を構築してみたいという長年の夢がありました。というのも、ファンタジーは”世界を作る”と同時に、その世界が積み上げてきたであろう歴史をも考えていかないといけないため(世に知られる名作は大なり小なり、ここがキチンとしているんですよね~)、世界の衣食住や民族衣装、神話や風習などを時折かじりつつ、まずは歴史を詳しく知りたいと思っていたのです。しかし実際物書きに手を着けてみると、自分は”無から有を生み出す”より、”有のものを自己流にアレンジする”方が向いているように思えて、なんか複雑な気分になりましたが、それならそれでとゆーことで、親友のアドバイスもあり別の目標をたてちゃいました(まあ、物書きもあきらめるつもりはないですが^ ^;)。ずばりそれは、高校生など学生に向けて、日本史の解説本を作ること。タイトルは「マンガ&イラストでイメージ膨らむ!横道脱線しながらいつのまに分かっちゃった日本史!」(絶対仮にすべきだろうな……)でもまあ、来年の目標というより、ライフワークに近いものがあるでしょうねえ……。*体脂肪25%を切る!→??女性は30%までOKと聞いていたので安心していた所、25~30%内は「隠れ肥満の恐れあり」と知って、ビックリしてたてた目標です^ ^;しかしこれがなかなか減らないもので、ずっと25%前後をウロウロしておりました。最近は体脂肪計そのものに乗っていないので、余計におっかないかも……。*品川教会のオルガン以外のパイプオルガンを1つひきたい→やっと◎これはたぶん毎年の目標になりそうです。今年は夏に、三つ演奏させてもらいました。★みなとみらいホールのオルガン(通称ルーシー)オルガンについての詳細はこちら……みなとみらいホールのホームページ(施設概要・パイプオルガン)体験レポートはこちら……「パイプオルガンに来て見て触って♪」★フェリス女学院大学のオルガン(小規模ですが音色に温かみがあり、姿も美しいです。バッハの作品を得意とするオルガンです。「音色の美しさと品格は、日本国内はもとより、欧米のオルガニストの間でも定評がある」(京急のまちマガジンなぎさ12月号より)らしいので、機会があればぜひ♪)オルガンについての説明は見つからなかったので、せめて姿かたちだけでも…………フェリス女学院大学のホームページ★松本記念音楽迎賓館のオルガン(ここは、予約してお金を払えば誰でもオルガンがひける隠れ家的なホールです。チェンバロやピアノの名器も演奏できるらしいです。内装も古風で贅沢なつくりなので、ここでミニコンサートなどはいかがでしょう?とにかくオススメです!)まずは時がゆっくり流れているような、全体の雰囲気を味わってみて下さい…………松本記念音楽迎賓館のホームページ*昔の友達3人のうち、どこか1つ訪問すること→×年賀状のやり取りだけで終わってしまっている友達のうち、3人をピックアップしていましたが、まったく実行に移しておりません…。年賀状を書いている時はかなり本気で、「今年こそは絶対会おうね!」とか「今年こそは遊びに行くね!」とか宣言しているんですけどねえ。来年に持ち越しになりそうです。*ミューザ川崎のパイプオルガンを聴く→○なんかオルガン関係以外は達成できてないですね^ ^;川崎に新しく出来たホールなので、これは要チェックだ~!と息巻いていた目標。しかし実際はオルガンより、ホールの斬新さが印象に残っています。ここのホールは面白いですよ~。オルガンの説明より、オルガンができるまでの方が楽しそうなのでコチラをクリック!………ミューザ川崎シンフォニーホールのホームページより「パイプオルガンができるまで」(ここまで巨大だと、楽器を作るというより土木工事以外の何ものでもないような^ ^;)*人の話を聞く!→う~ん、△?私は”ながら”行為があまり得意じゃないようで、パソコンで作業していたりゲームをしていたりすると、人の話をまったく聞いていないくせに生返事をして、相手を怒らせてしまう事がしばしばあります。でもこの判断って自分では出来ないですね。今気付きました。客観的に評価してもらわんことにはどうしようもない……ということであまり意味のない△。*やらないで文句(批判)を言う人でなく、実行する人になる!→??これは近年身にしみて感じていたので、目標に掲げました。今年に限らず、生涯の目標にしたいですね。それでは現時点の達成率は、というと………半分も達してないようです^ ^;あと二ヶ月で何か悪あがきできるかしら?たいへん個人的な内容に終始してしまいましたが、ブログだからいいのか!と勝手に納得して、それでは次回♪
2006年11月04日
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前回に引き続き、ゲルマン人が信じていた神様についてご紹介していきます。古代ローマの歴史家タキトゥスの記述によれば、下記の三柱の神様が特に重要だったようです。*メリクリウス(ローマ神話の商業の神様で、のちにギリシア神話のヘルメス神とごっちゃにされました)*ヘルクレス(怪力で知られる、もとはギリシア神話の英雄。巨大な水蛇を倒したり、ライオン退治に出かけたりと12の難題を成し遂げるものの、猛毒のぬられた服をうっかり着てしまい、もだえ苦しんだ末、みずから炎の中にとびこんで自殺。これじゃあんまりだという事で?後にゼウスのはからいにより、神様のメンバー入りを果たしました)*マルス(ローマ神話の軍神)今回はヘルクレス、マルスがゲルマンのどんな神様に該当するのか見てみましょう♪*ヘルクレス=トールトールがどのような神様だったのかヘルクレスの特徴から想起してみると、まずは怪力であること、そして北欧神話(ゲルマン神話を源流とする地域的神話)ではトールが行った戦いや冒険が色々残されている事から、両者とも「ファイトー!いっぱあつ!!」をほうふつとさせる(?)冒険野郎で共通していたのかもしれません。ちなみに、前回登場したオーディンとこのトール、どっちが偉かったのかというのは諸説分かれるようですが、トールの名前にちなんだ木曜日(Thursday)が、ゲルマン人の間ではもっとも神聖な曜日とされていた事などから、トールが一番!という意見もあるそうです(ただし北欧神話ではオーディンの下位に置かれてしまっています)。トールについてもっと詳しく知るには、やはり北欧神話しかないのですが、ここでは彼は怪力の戦神で、顔いちめんに赤いひげをはやしており、身体は山のように大きいとされています。同じ戦いの神でも、オーディンは策略でもって戦いを勝利に導く頭脳タイプ、トールはみずから先頭にたってガチンコ勝負をいどむ猛将タイプと、まったく対照的な二人だったりします。あとは雷の神様としても有名で、「かれが外へ出かける時は、よく二頭のたくましい山羊がひく車にのって行きますが、その車はすさまじい音をたてます。それがつまり雷鳴だとされ、いまでも北欧の人びとは、雷が鳴ると、トール神が車で出かけるのだ」(山室静『北欧の神話』より抜粋)というそうで、そう思えば、雷のとどろきにもいくばくかのロマンを感じられるかも??(でも果たしてそんな余裕があるだろーか^ ^;)。彼のもつ武器、<ミョルニルの槌>もまた雷と結び付けられました。青白い雷が空を切り裂いてバリバリと落ちる、それはトールがすさまじい破壊力を誇るミョルニルの槌を投げたからに他ならないと北欧の人々は考えていたのです。今を生きる私たちは、雷が鳴った、落ちた、怖かった~とただそれだけなので、どこまでもふくらんでいくその想像力が、うらやましくもあり、少し寂しかったりします(仮に何かを想像しても、私はもう純粋にそれを信じることができないのですから)。でもまあ別の考え方をしてみると、ただでさえ雷はコワイのに、おっかない神様がドカドカバリバリ!と武器を投げつけてると思うと、身がすくむどころの話ではなかったりして……^ ^;トールに関するデータは、ウィキペディアのトールの項目を参考にして下さい。では最後はマルスです。マルスに当たるゲルマンの神はテュールといいますが(この名前はTuesdayのもとにもなっています)、他の神話に出てくる天空の神(デイヤウス、ゼウス、ユピテル)と語源を同じにするらしく(すみません、ここらへんは言語学の分野なのでチンプンカンプンです)、ゆえにテュールも天空をつかさどる神様だったと考えられています。天空神といえば何とも壮大な感じだし、ゼウスやユピテルもいっちゃん偉い神様ですから、もしかしたらこのテュールが最高位についていたのかもしれませんが、タキトゥスはかれを軍神マルスにあてているので、その頃には属性も変わり、地位も転落していたのかもしれません。お気の毒です……。北欧神話ではさらに影が薄くなり、エピソードもほとんど残っていません。<片手の神>と呼ばれるようになったいきさつがかろうじて語られる程度で、浮き沈みは世の常とは言え、大富豪からいっきに大貧民まで落ちぶれたような感じですわ~~(って何か違いますね^ ^;)。ちなみに、<片手の神>のエピソードは、ウィキペディアのテュールの項目にありますので、興味をもたれた方は読んでみて下さい★北欧神話はこの後、オーディンもトールもテュールもはたまた他の神々も、巨人との最終戦争に巻き込まれ、次々に死んでいきます。神々と世界が滅びる運命の日、これをラグナロク(ワーグナーが「神々の黄昏」と訳したことでも有名ですね)と呼んでいます。神話としてはかなり異様で、悲惨な終わり方ですよね……もっとも最後には、希望が語られるんですが、だからと言ってショックが薄まるワケでなし。個人的には、富野アニメの「聖戦士ダンバイン」のラストを彷彿とさせますね~。北欧神話へのオマージュもあるのかな?(ラグナロクについてはこちら→ウィキペディアのラグナロクの項目)まだまだ書き足らないトコロもあるのですが、ゲルマン★レポートはいったんここで筆をおきたいと思います。ではまた!
2006年11月02日
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すっごく間が空きすぎて、本人しか覚えていないような企画ですが^ ^;えー、とにもかくにも「ゲルマン人の大移動」でおなじみ、ゲルマン人についてのレポート第3回目でございます。おもなネタ本は、古代ローマの歴史家タキトゥス(紀元後55年~120年ごろ)の書いた『ゲルマニア』になります……が、本そのものは弟に貸したきり返って来ず(弟は「返したよ!」と主張していますが、あんな汚い部屋ではまったくアテになりません)、ポイントを抜き出してまとめた自作のノートを頼りに書いています。なので何か間違いがございましたら、『ゲルマニア』をお持ちの方、どうぞご指摘お願いいたします。ゲルマン人の容貌や体質、服装などにつきましてはゲルマン★レポート(第1回目)を、地理や経済、結婚制度や適齢期につきましては、ゲルマン★レポート(第2回目)を参考にして下さい。今日はまず、彼らが信じていたであろう神様についてご紹介します。古代ローマといえばこの方、クレオパトラとのロマンスでもお馴染みのユリウス・カエサルは、「目で見える、そして恩恵を受けていることがはっきりしているもの(例えば太陽、月、火)を崇める」と書き記していますが、タキトゥスはもう少しすすんで、3柱の神様について述べています。*メリクリウス(ローマ神話の商業の神様で、のちにギリシア神話のヘルメス神とごっちゃにされました)*ヘルクレス(怪力で知られる、もとはギリシア神話の英雄。巨大な水蛇を倒したり、ライオン退治に出かけたりと12の難題を成し遂げるものの、猛毒のぬられた服をうっかり着てしまい、もだえ苦しんだ末、みずから炎の中にとびこんで自殺。これじゃあんまりだという事で?後にゼウスのはからいにより、神様のメンバー入りを果たしました)*マルス(ローマ神話の軍神)……これらを見たらソッコー、「どこがゲルマンの神様じゃ!!」と突っ込みをいれたくなりますが、全く聞いた事もないゲルマンの神々の名を羅列するより、似たような性質や特徴を持つローマの神々を代わりに据えた方が、読者もすぐイメージが喚起されてよかった……のかもしれないし、そうでなかったかもしれないし、実際の所どうなんでしょうかね~?(って、聞いてどうする!)もちろん現在では、それぞれに相当するゲルマンの神々が明らかにされていますので、以下、修正版を書いてみます。*メリクリウス=ヴォーダン、またはオーディン(日本人にはオーディンの方がなじみ深いかな?現に私が学生の頃プレイしたファイナルファンタジーシリーズでは、オーディンが召喚できたっけ……馬に乗って、敵を一刀両断するのがカッコ良かったなあ)オーディンとは、狂う、激怒するといった意味で、おそらく激しい気性の神様であることが推測されます。タキトゥスの記述によれば、ゲルマン人たちはオーディンに対して動物のみならず、人間までいけにえにしたとある事から(他の神々には動物をお供えしていました)、一番エライ神様だったのでは……という意見もありますが、確証がないためハッキリしていません。タキトゥスがなぜメリクリウスをあてたのかについては、両者がともに商業の守護神という性質をもつこと、しばしば英雄を死に至らしめ死後の世界に運ぶなど、死に深い関係をもつ神様であること等が挙げられます。(ちなみに北欧神話では、オーディンは地上で戦いのあるたびに、ヴァルキューレと呼ばれる武装した戦乙女を戦場に送り、勇敢な死者たちを自分の宮殿、ヴァルハラに迎え入れたと語られています。ヴァルキューレといえば、映画「地獄の黙示録」でおなじみ、高らかで不穏なファンファーレ、ワーグナーが作曲した「ヴァルキューレの騎行」を思い浮かべる方も多いのでは?あれはカッコイイですよねえ~~まさに音楽の勝利!!)また、ゲルマン人の間では週の第4日目が「オーディンの日」=「Wodan's day」とされており、現在英語の「Wednesday」、すなわち水曜日の語源となりました。(注)オーディンは北欧神話では最高位の神にあたりますが、北欧神話は「ゲルマン族としてはごく一部の、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、アイスランドなどで、それもだいぶ遅く、九~十二世紀ごろに書かれた詩や物語を中心にして」(山室静『北欧の神話』より抜粋)いるため、ゲルマンの神話として扱うにはやはり無理があるそうなので、ここでも詳しくは紹介しません。ただし、北欧神話でのオーディンには色んなエピソードがあって、興味の尽きない神様なので、それも知りたいという方は、ウィキペディアのオーディンの項目をご覧下さい。片目ゆえ、かえって凄みのあるダンディーなご老人が出迎えて下さります。神様ひとり紹介するだけでこんなに時間がかかってしまいました。でも、毎度こんなていたらくですから、イチイチ嘆くだけムダですかね~ってすっかり開き直る私^ ^;では次回は、残りのお二方にご登場を願いたいと思います。★今日の参考資料★いつもお世話になっています→「フリー百科事典ウィキペディア」現在は絶版のようですが、ぜひ全巻そろえたいのがこれ。たぶん子ども向けだと思いますが、じゅうぶん大人の鑑賞にも耐えます。装丁も地味にステキ♪→筑摩書房「世界の神話」シリーズから山室静『北欧の神話』1982年弟からもらった本。だからといって『ゲルマニア』の恨みはまた別ですが→『総解説 世界の神話伝説』自由国民社 1992年
2006年10月29日
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前回、予告しなくて正解でした^ ^;本当はゲルマン★レポートの3回目をやるつもりだったのですが、昨日買ったマンガがなかなか面白かったので、説明をチョコチョコ付け加えながら、ご紹介したいと思います。そのマンガは、総領冬実『チェーザレ 破壊の創造者』という歴史マンガです。総領冬実さんは少女マンガ畑の方だったのですが、最近青年誌に活動の場を広げたようで、このマンガも「モーニング」という青年誌に連載されています。総領さんの少女マンガは名作が多いですけど、私は「彼女がカフェにいる」という微笑ましい恋愛ものが一番好きでした。う~ん、青春は青いレモンの香り……って、ワケ分かりませんね。スミマセン。さて、タイトルになっているチェーザレというのは、イタリア史に今も(色んな意味で)さんぜんと輝く風雲児・チェーザレ・ボルジアの事でして、ウィキペディアからまず基本データを抜粋してみます。「チェーザレ・ボルジア(1475年9月14日? - 1507年3月12日)は、イタリアルネサンス期の軍人・政治家。ローマ教皇アレクサンデル6世の息子として当初枢機卿となったが後に俗界に戻り、ロマーニャ公爵・教会軍総司令官となった」世界史といえばルネサンス(?)、生徒にとっては人名やら作品やらとにかく覚えることが多すぎて、ちっともありがたくないルネサンス、そんな時期のイタリアは、教皇領、ミラノ公国、フィレンチェ共和国、シエナ共和国、ナポリ王国などなど、たくさんの小国が乱立するまさに戦国時代に当たっていました。(ちなみに、イタリアが統一されたのは何と19世紀半ばでして、けっこう最近のハナシだったりするのですね~)さてそんな戦乱の世、ローマ教皇の子として生を受けたチェーザレ・ボルジアは、そのすぐれた政治的・軍事的才能をいかんなく発揮し、どんどん領土を広げていきました。一方で、目的のためには手段を選ばずといった冷酷非情な面もあり、自分の邪魔になる者には容赦なく(実弟のフアンや、妹の夫アルフォンソなど、身内の殺害にも関与したとの黒いウワサもあります)、妹ルクレツィアにいたっては、その美貌ゆえに何度も政略結婚を強いられています。(その他、チェーザレとルクレツィアには近親相姦の疑いもかけられていますが、実のところはわかっていません。いずれにしても、あまり……どころか、ぜんっぜん関わりたくない一家ではあるなあ。カンタレラという毒を開発して政敵を次々に毒殺したと、ウィキペディアにも書いてあったし…。夕食のご招待なんてされたものなら、ソッコー断りますね!うん!)まあ、つらつら書き述べましたが、要は「イタリア版織田信長」と考えていただければイメージが浮かびやすいかもしれません。というのも、ふたりにはかなり共通点があるのです。*エキセントリック、かつ冷酷無情な天才肌のヒーロー(しかし正統派ではなく、見方によっては十分悪役になり得るところもソックリです)。*ほとんどゼロからのスタートだったのに、自分の力量を頼りにバンバン勢力を広げた点。*しかし全国統一を果たせぬまま無念の死を遂げちゃいました。*妹が美しいのをいいことに(信長の場合は言わずもがな、お市の方ですな。でもお市と違って、ルクレツィアは三度目の結婚でようやく穏やかな日々を得られたそうです)、政略結婚の道具としてさんざんこき使っているところとか。*おまけで、本人もなかなかハンサムだった点(チェーザレはちょっと面長かな~?って思うんですけど、黒っぽい髪や瞳はじゅうぶん魅力的かも)チェーザレの事にかまけていたら、マンガの紹介を忘れてました~~!すみません、今から急いで方向転換します!えー、とかく話題の尽きないチェーザレ君なので、本やマンガに取り上げられることも少なくなく、もう人物像が固まっちゃって面白くなさそう…な~んて勝手に決め付けていたら、このマンガの帯に以下のアオリが書かれていたのです。「本邦未訳『サチェルドーテ版チェーザレ・ボルジア伝』(イタリア語原書)を精査し総領冬実が描く、華麗なるルネッサンス絵巻」正直『サチェルドーテ版チェーザレ・ボルジア伝』がスゴイかどうかさっぱり分かりませんでしたが(笑)、よく見かける「なんちゃって歴史マンガ」とは何か一線を画しているような気がしたので、買ってみたところ……いや~、かなり興味深かったです。まだ1巻を読んだばかりなのでストーリーはまだ序章といったところですが、陰影に富んだ当時の大学や邸宅の様子、食事模様、時計(今風の12時までの時計でなく、1から24まですべて設定されていて、下から1時が始まり、左回りでまわって24時で終わるみたいです)、服装などなど目で楽しめるところが非常に多くて、値段は高かったですがオトク感がありました。チェーザレ自身も時折するどい才気を見せるものの、全体に物静かなムードで、そこもかなり意外でした。”静”のチェーザレがこれからどんな風に変わっていくのか、そして最後には新しいチェーザレ像が誕生するのか、アオリにもあった「新説チェーザレ・ボルジア伝」が現実のものになるよう、今は心待ちにしたいと思います。興味を持たれた方はぜひご一読してみてください♪帯がないと、一見文学書のようなシンプルな白い装丁で、カッコイイっすよ~~。追記さっそく今日2巻目を買ってきました^ ^;(現在2巻まで刊行しています)漫画家・監修のお二方から、新しいチェーザレ像を作ろうという熱い意気込みが感じられ、先が楽しみになってきました。作画も、相当準備をして取り掛かっているそうなので、このまま進めば、世界史を学ぶ上でも相当良い資料になりそうです。しかもマンガの中で、ダンテの「神曲」も取り上げているので、これは勉強になりますね~。読みたくともハードルが高すぎて、挫折しちゃったままでしたから、こちらも助かります^ ^;そして一番嬉しかったのは、ミケランジェロの「天地創造」が描かれる前の、システィーナ礼拝堂を復元しようという試みでした。しかもカラーで!天井は青い空に金の星が散りばめられていたそうで、これはこれで素敵だなあと見入ってしまいました。この復元想像図、興味のある方はぜひ見ていただきたいです♪追記2(10月31日記)お探しになっている方へ、この表紙を目印にして下さい☆
2006年10月25日
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ずいぶん久しぶりのブログです。最後の記事を確認すると、もう1年近く経過してしまっていて、いかに自分が怠けていたかを痛感してしまいました^ ^;そのついでに過去の記事を読み返してみると、途中で止まっている企画がけっこう多いのと、やはり自分の勉強になっていたメリットもあり、細々ながらもまた書いていこうと決めました。でも、まあ、毎日はきっとムリなので(のっけからこれかい!)、週に2回程度、雑記と日本史を織り交ぜていくつもりです。日本史は奈良時代で足踏みしていたので、少しずつでも進めていって、いずれ完成させたいな…と考えてます。とはいえ、楽天広場そのものからすっかり遠のいていたため、以前ご訪問下さっていた方々、リンクをして下さっている方々に、またよろしくお願いしますとはとても面目なくて言えないのですが、再開したのを機に、皆様のブログにお邪魔することも多くなると思いますので、その点はどうぞよろしくお願いします♪前置きの他、今日は何を書こうかな…とあれこれ考えましたが、なんか久しぶりのブログって緊張しちゃって、結局迷ったままで終わってしまいました。文章を書くのもかなり手間取ってしまい、ブランクの重さを身にしみて感じています。次こそは頑張るぞー!!でも次回予告はしないでおいた方が、きっと無難ですね^ ^;ではまた★
2006年10月18日
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いつもご訪問いただき、ありがとうございます。ちょっと思うところがあり、しばらくお休みすることにしました。時期をおいてまた開始するかもしれませんが、その時はどうぞよろしくお願いします。
2005年10月31日
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クリスマスが近いので、コンサート情報を。といいつつ、自分のためのメモです。【パイプオルガン】12/14(水)1回目12:10 2回目14:30オルガン・1ドルコンサート・クリスマス・スペシャル会場:みなとみらいホール入場料金:1ドルまたは100円12/17(土)12:15-12:50日本大学カザルスホール・アーレントオルガン・ランチタイムコンサート会場:日本大学カザルス・ホール(JR御茶ノ水下車)入場料金:100円以上12/17(土)17:00クリスマスオルガンコンサート会場:立教学院諸聖徒礼拝堂入場料金:無料12/23(祝)18:00クリスマスオルガンコンサート会場:サントリーホール(クラシカルなホールで雰囲気あります!)入場料金:1000円から4000円12/23(祝)18:00パイプオルガンクリスマスコンサート会場:ミューザ川崎シンフォニーホール(できたばかりの話題のホール♪)入場料金:3500円から4000円パイプオルガンは無料、もしくはタダ同然のコンサートがけっこう多いので、平日の昼間はねらい目です。あちこちのホールでやってます。料金が高いコンサートは、有名なオルガニストが出演しています。【その他クリスマスらしいラインナップ】以下、すべて会場は東京オペラシティです。12/8(木)19:00クリスマス・ガラ・コンサート 2005天満敦子(Vn)、小林英之(Org)、東京トルヴェール(Cho)、アンサンブル・ムジカ・ボヘミカ[第1部]天満敦子オルガンとともに・カタロニア民謡/カザルス編曲:鳥の歌・黒人霊歌/和田薫編曲:アメイジング・グレイス・ポルムベスク:望郷のバラード・カッチーニ/和田薫編曲:アヴェ・マリア 他[第2部]合唱団と楽しむ・J.S.バッハ/グノー編曲:アヴェ・マリア・J.S.バッハ:主よ人の望みの喜びよ・ヘンデル:「メサイヤ」よりハレルヤ 他S:\8,000 A:\6,000 B:\4,000ガラ・コンサートはいわば”良いとこ取り”なので、最初から最後まで楽しめること間違いなし!12/10(土)15:00クリスマス/アヴェ・マリア サンクトペテルブルグ室内合奏団・カッチーニ:アヴェ・マリア・J.S.バッハ/グノー編曲:アヴェ・マリア・シューベルト:アヴェ・マリア・パッヘルベル:カノン(3声のカノンとジークニ長調)・J.S.バッハ/ヴィルヘルミ編曲:G線上のアリア全指定:\4,000クリスマスの王道を行く!といった感じのプログラムですね。合唱もあるので、さらにおトクです★12/21(水)19:00天使のハーモニー ~ハンドベル in X'masソノス・ハンドベル・アンサンブル・J.S.バッハ/グノー編曲:アヴェ・マリア・ヘンデル:「メサイヤ」より・チャイコフスキー:「くるみ割り人形」より・クリスマスソング集 他S:\5,000 A:\4,000 B:\3,000素人さんのハンドベル合奏は聴く機会が多いのですが、案外本格的なものは珍しいかもしれません。たいへん美しいと思います。思いついたらチョコチョコ書き加えていきますので、参考にされる方は、お暇なときにチェックしてみてください♪追記12/6(火)18:30ヘンデル・オラトリオ「メサイア」会場:キリスト品川教会礼拝堂(品川駅から徒歩7分)よくご訪問くださっているTom-Mamaさんが、合唱隊に加わっていらっしゃいます。あとは私のオルガンの先生、筒井先生が伴奏をつとめていらっしゃいます。パイプオルガンが伴奏というのはたぶん珍しいです★
2005年10月19日
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突然ですが、バッハ「トッカータとフーガ ニ短調」という曲をご存知でしょうか?♪ラソラ~~・ソファミレド♯・レ~~パイプオルガンの名曲と言われたら、まずこの出だしを思い浮かべる方も多いことでしょう。悲劇的なシーンによく使われる、眉間にしわ寄せてそうな深刻な響きですよね。(もっともあまりに悲劇的すぎたのか、子供の頃とってもお下品な替え歌まで作られました……タララ~~・う○○がぼっとーん……どうもすみません!)さて楽譜では、最初の「ラソラ~~」の部分についてはキチンと書かれていません。正確には、ラの♪だけ出して、その上に装飾記号を付けているのです。この装飾記号は、山形のギザギザの真ん中に一本たて線をひいたもので、刺繍音(モルデント)と呼ばれています。このモルデントが出てきた場合は、もとの音(ここではラ)を弾いたあとすぐ下の音にすばやく進み、パパッともとの音に戻すという演奏をします。つまり、「ラソラ~~」ですね。この弾き方が、「布地に針を刺し、すぐまた表へ針を戻す行為」(池辺晋一郎『バッハの音符たち』より引用)に似ているため、刺繍音と呼ばれているワケなのです。言い得て妙ですね~!池辺さんは上記の著作の中で、この「ラソラ~~」のモルデントの効果について、面白いことを述べていらっしゃいます。以前記事にもしましたが、「音符たちはもともと落下する性質をもっている」ため、モルデントが出てきた場合、「ラソラ~~」の中で唯一落っこちている「ソ」は、なるべくもとの音(ラ)に戻りやすいよう、半音上がるのが普通なんだそうです。ボールを床へ落とし、はねあがる様子をご想像下さい。床が遠いよりは近い方が、確実に跳ね上がって手に戻ってきますよね。音符もこのボールと一緒で、「ラソラ」よりは「ラソ♯ラ」の方が、床が近くてすぐに帰ってこれるし、耳にも親しみやすい響きなんだそうです。が、あえて「ラソラ」にしているトコロに、この曲の強い意志が象徴されていると池辺さんはおっしゃっています。「しかしバッハのモルデントは「ラソラ」と全音の幅。刺繍されたソは落下してしまいそう。どっこい。それを持ち上げる。エイヤッと持ち上げる。力が要る。そう。その力こそ、この曲の意志。この曲の圧力感。この曲の豪放な世界。常識に従わなかった。そこがすごいところ」音符の生理にさからわず、自然に流していた感のあるモーツァルトと比べ、この曲でのバッハは音符たちに対して王者の風格すらただよわせています。バッハは音符たちにけっこうムリさせてるよーなトコロもあるんですが、それが緊迫感を生み、深遠の響きを生み出している……のかもしれません。と、ここらへんはあくまで私見ですので、適当に聞き流してくださいませ^ ^;と、ここまで延々と書いておいて何ですが、前述のとおり譜面上ではあくまで「ラと、その上に装飾記号」しかないため、絶対に「ラソラ~~」とひかなければならない道理はないんですね。となれば、解釈の余地があるワケで、オルガンの先生はコンサートでこのような出だしを聞いたそうです。「ラソ♯ラ~~」一瞬耳を疑うだろうなあ。間違えたのかしら?って見渡しちゃいそう^ ^;優しい雰囲気の曲ならボールもあまり力をいれて投げつけない方がいいですけど、最初から最後まで緊張感がはりつめる「トッカータとフーガ ニ短調」では、やはり気合いを入れてボールを投げた方が観客も身がひきしまると思いますけどね~。他にも「ラソラソラ~~」なんてバージョンもあるそうです。う~ん、ちょっとまのびしてるかな?オルガンの先生から面白い話を聞いたので、記事にしてみました。次回こそは「大航海時代」に入りたい…。希望になってきているのがつらいトコロです^ ^;
2005年10月18日
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昨日の記事の補足です。ハロウィンについて、カトリックの行事かそれとも土着信仰にもとづくものか、疑問を提示しておきましたところ、Tom-Mamaさんよりコメントをいただきましたので、引用させていただきます。「よく行くWikipediaの記事をコピーさせてもらいました。ご参考までに・・・・・ハロウィン(Halloween)は、キリスト教の諸聖人の日(万聖節)の前晩(10月31日)に行われる伝統行事。諸聖人の日の旧称"All Hallows"のeve(前夜祭)であることから、Halloweenと呼ばれるようになった。ケルト人の収穫感謝祭がキリスト教に取り入れられたものとされている。ケルト人の1年の終りは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていた。これらから身を守る為に仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた。家族の墓地にお参りし、そこで蝋燭をつけるという地方もある。墓地全体が、大きなランタンのように明々と輝く。日本のお盆の迎え火、送り火にも似ているかもしれない。ただ、これに合わせて欧米では、放火事件などが頻発する。これに因み、31日の夜、カボチャをくりぬいた中に蝋燭を立てて「ジャック・オー・ランタン」(お化けかぼちゃ)を作り、魔女やお化けに仮装した子供達が「トリック・オア・トリート(お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ)」と唱えて近くの家を1軒ずつ訪ねる。家庭では、カボチャの菓子を作り、子供達は貰ったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティーを開いたりする」Tom-Mamaさん、どうもありがとうございました。質問が質問を呼ぶ…というのも変ですが^ ^;プロテスタントの教会ではハロウィンの行事をなさらないそうです。カトリックの教会ではどうなのか、ご存知の方がいらしたら、どうぞお教え下さい♪もう一つはアンティーク屋さんの紹介です。アンティークがお好きな方がけっこういらっしゃるようなので、ホームページを出しておきます。照明や家具の一部も見れるみたいです。よろしかったらご訪問下さい。今回修理していただいたアンティーク屋さんはこちら。キヤアンティークス横浜本店照明については、ちゃんと日本の電気事情に合うよう、ソケットや配線を取り替えて販売しているそうです。この照明を購入したアンティーク屋さんの方は、店名を忘れてしまったため、検索できませんでした。東横線の反町(たんまち)駅から降りて5分ぐらいのところにあります。こじんまりとしていて、素敵なお店です。特に夕暮れ時、店内の照明がいっせいにともる時間がオススメです。横浜へお越しの際には、ぜひぜひお立ち寄りを♪(横浜観光案内みたいになってしまいました^ ^;)
2005年10月15日
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昨日の夜は、リビングの照明を見上げてはウフフフ…と頬をゆるませてばかりいました。というのも、ようやくお気に入りの照明が定位置に復帰して、優美な明かりをともしてくれたからなのです。働き始めた頃、大枚はたいて買ったアンティークの照明でした。シンプルさと優雅さがいい感じで調和していて、明かりをつけると、やや厚いすりガラスにほどこされた、アール・デコ様式の模様が光に浮かび上がり、見ているだけで心なごむものがありました。 しかし実家では出番がなく、5~6年ダンボールの中で不遇をかこっていた間に、もともとちょっと色のついているすりガラスは黒ずんでしまっていました。その上、新居をかまえてようやく明かりをともすも、停電が相次ぐようになり、どうやらこの古ぼけたアンティーク照明が原因との事で、泣く泣く外すしかありませんでした。またもや命を断たれてしまったのです。これを購入したアンティーク屋さんでは、電気系統の修理は扱ってないとのことで、なかばあきらめていた頃、別のお店でできるかもしれないという話を聞き、ダメもとで持っていってみました。すると配線やソケットなどを付け替えてくれ、黒ずんでいたすりガラスもきれいにしてくれて、昨日ようやく生まれ変わったワケなのです♪生まれ変わったこの照明に、あたたかい光がともっているのを見ると、何だかほっとします。 すりガラスの模様にピントを合わせてみました。わが家のインテリアの基本はモダン&シンプルですが(まあそれが一番手抜きできて、かつまあまあ良く見える、という長所があるものですからねえ^ ^;)、ところどころ、こうした手作りっぽい質感のあるモノを混ぜると、くつろぎやすい雰囲気が出るかな…と感じてます。写真を撮ったついでに、ずいぶん昔の企画の続きをやることにしました。9・10月のカレンダーの絵柄です。ハロウィンですね★(ところでハロウィンって、イースターのようにキリスト教関係の行事なんでしょうか?それとも土着の信仰に基づいているのかな?ご存知の方、教えていただければ嬉しいです) 玄関に飾っているこのカレンダーも、あと残り11月・12月しかありません。一年が終わるのはホント早いものです。昨日の嬉しさがまだずっと尾を引いていて、脱線してしまいました^ ^;次回はたぶん大航海時代の続きです。いよいよ冒険家たちの登場かな?アール・デコとは?(「モードの世紀」から引用させていただきました)第1次世界大戦後の1920~30年代に、フランスから欧米諸国に広がった生活デザインの様式。美術・建築・工芸・デザインなど幅広い分野にみられた。ウィーン工房、キュビスム、バレエ・リュス、古代エジプト美術などに着想をもとめ、直線と立体による構成や、抑制された幾何学的な図形が特徴で、合理的な装飾様式。(中略)アール・デコの簡潔さ・合理主義性は、1900年代に浸透したアール・ヌーボーのような、複雑で官能的な特徴とは対照的。アール・デコは、芸術と産業が結びついた新しい時代の美術様式として、後にドイツを中心に展開したバウハウスの思想へと発展した。戦後の近代主義が生んだ、20世紀の重要なスタイルの一つ。
2005年10月14日
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筑摩書房から出ているトーベ・ヤンソン&ラルス・ヤンソン著の「ムーミン・コミックス」(全14巻)を読んでます。トーベさんはお姉さん、ラルスさんはその弟で、二人の画風や物語の作り方の違いを読み比べるのも、なかなか興味深いです(ちなみにトーベさんは線がイキイキしていて、服やインテリアにもかなりこっていますし、ラルスさんはお姉さんの絵柄を一所懸命真似ているのか、ちょっとカクカクした線で、やや皮肉なスパイスが強いです)。ムーミンといえばアニメの影響が強くて、ほのぼのなムードを思い浮かべる方も多いと思いますが、キャラクターたちのほとんどがあまりに人間臭いため、個人的には読んでいて「ミョーに落ち着かない」作品だったりします。なぜなら、マヌケな彼らのやる事なす事に笑っていると、それは自分自身を笑っているからに他ならないような気がするからです^ ^;その証拠に、簡単にキャラクター紹介をしてみましょう。ムーミン…ちっぽけなお化けに怖がるほど臆病なのに(ちなみに他のみんなはまったく平気)、ヘンな所で行動的。マスコミなどに弱いところを見るとかなりのミーハー。そしてとっても流されやすい(これはムーミン谷の住民のほとんどに当てはまる…)。スノークの女の子…ムーミンのガールフレンドなのだが、浮気性。すぐに別の男の子に目移りしてしまう。そのくせムーミンの浮気は許せない。おしゃれや流行が気になってならず、時にヘンテコリンな格好をしてしまう。しかも見栄っぱり。ムーミンパパ…シルクハットが目印。いつもハンモックに寝て新聞を読むか、ミステリー小説を読んだりしている。肩書きや名誉にめっぽう弱く、そのために家族を振り回すこともしばしば。そして子どもっぽいので、ママも嘆いている。スナフキン…放浪の詩人のはずだが、コミック内では彼の詩を見たことがない。う~む。帽子に花輪を飾っていて、トーベさんの場合はしょっちゅうお花が変わっている。それがとてもキュート。俗っぽいコトが大嫌いで、ムーミン谷の騒動をいつも冷めた目で見つめるのだが、俗っぽいトコロがなさすぎるというのも、個人的にはどうかなあ…と思ったりする^ ^;スニフ…ムーミンの悪友。カンガルーみたいな風貌をしている。もうけ話にすぐに飛びつくちゃっかりモノだが、肝心のツメが甘いので、あまり成功したタメシなし。ちなみに金持ちのおばさんがいて、しょっちゅうお金の無心をしている。それどころかおばさんを突き落として溺れさせよう(訂正:追記2を参照にして下さい)とした前科あり。(こう書くと残酷な物語のようだなあ。実際にはおばさんがサラリと言ってのけるので、読み流しちゃうんですけど^ ^;)他にも挙げたらキリがありません。とにかく誰もが弱点を抱えて、それを隠すことなくさらけ出しているのです。そこは痛快!さて、ムーミンの物語は、良くも悪くもとっても人間くさい彼らが巻き起こす、もしくは巻き込まれる騒動を、ユーモアとパロディで調理して、小気味よく展開していきます。今回は「まよえる革命家」という作品から、忘れがたい余韻を残したムーミンママのセリフをご紹介します♪(あらすじ)ムーミンたちの前に現れた、長髪でナマケモノな青年、ルフス。彼は自分をインテリと称し、オトナ社会の矛盾にいきどおり、社会を改革することを夢見ています……が、口ばかり達者で実際には何もアクションを起こそうとはしない、青臭い若者でした。オトナを敵視するルフスにとって、ぐうたらな(ルフスも同類なんですが^ ^;)ムーミンパパは格好のターゲットでした。何かにつけてイチャモンをつけます。ルフス「あんたたちが作ったこの世界のザマを見てよ!」パパ「いや、しかし、わたしが作ったわけでは…」ルフス「あんたたちの世代はおいぼれで無能で無責任だ。さっさと引退してほしいね!」その問答を聞いていたムーミンママは、窓辺から鳥の行き交う空を見て、ひとりごとを呟きます。「世界はすばらしいと思うけど…わたしの勘ちがいなの?」世界はすばらしい。私もそう思っているし、そう信じたい気持ちが強いです。だから、ワイドショウなどで現代社会がさんざん叩かれているのを見ると、コメンテーターたちにちょっと意地悪くこう訊いてやりたくなるのです。「そんなにヒドイ社会なのに、どうして平気で暮らしていけるの?」むろん現代の日本社会の中に、どうしても許せない事や、すぐにでも改善しなければならない事が山積しているのも承知しています。ですが根本的には、「何やかんや言ってもいい人はたくさんいるし、日本ってまんざらでもないよなー」と思うんです。(というか、こう思わないと私はとても暮らしていけれません^ ^;)文句をつけるなら、それをどう直していけばいいのか前向きな提案も、同時に差し出してほしい。オトナ社会は間違っている、としたり顔で言う前に、自分がオトナであることを思い出してほしい。決して他人事ではないはずです。他人事ではなく、突き放すでなく、愛をもって批判できる人は、おそらくごくごく少数なのでは…という感じがしています。すみません、かなり脱線しました^ ^;ムーミン・コミックス読むと色々考えさせられちゃうんですよね~。初めて登場したのが1954年とのことですが、テーマやセリフなど今もほとんど色あせてなくて、ビックリです。次回は「ブックバトン」か「大航海時代」か、どっちかです。今の心情は大航海時代に傾いてますが、どうなるかなあ?(10月13日追記)追記1…コブレンツさんより公式サイトをご紹介していただいたので、載せておきます。どうもありがとうございました^-^http://www.moomin.co.jp/追記2…スニフの名誉のために、その後の展開もお話しておきます。おばさんをおぼれさせようとしたのは何も遺産相続目当てではなく(怖すぎ!)、水の中でアプアプしているのを助けて、恩を売ろうとしていた、ケチな話だったようです。それでもヒドイですけどねー。よくおばさん付き合いを断たないよなあ。肝っ玉太そうです。
2005年10月12日
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TOMTOMさんからミュージック・バトンを、ebaさんからブック・バトンをいただいていたのですが、すっかりそのままにしていました。すみませぬ~~。というワケで、今日はいっちょ頑張ってみたいと思います!ものぐさな私よ、さよ~なら~~~(今日限定)。まずはミュージック・バトンから。質問1;コンピューターに入っている音楽ファイルの容量はどのくらいですか?コンピュータに音楽を入れてないので…ゼロです。質問2;最後に買ったCDは何か? 最近全然買ってないので忘れてしまいました。もらったCDなら。オルガン曲集全5巻セットです。バッハ以前から近代の曲まで網羅されていて、今でもまだ聞き終えてないです。質問3;今聴いてる曲は何か?フレスコバルディ(1583~1643)のオルガン曲。すみません、さっきからオルガン曲ばかりで…でもすっごくカッコイイです。何で昔の曲なのに、モダンなのかなあ。(フレスコバルディ…イタリアのバロック音楽家。サン=ピエトロ大聖堂のオルガニストとしても活躍しました。就任おひろめの演奏会では何と彼の演奏聴きたさに3万人が集まったとか…超人気アイドルなみじゃん!かのバッハも、フレスコバルディの作品集でいろいろ研究していたそうです♪当たり前ですがバッハにもたくさんの先達がいるんですね~)★筆者注★フレスコバルディについては、山口美佐さんのサイト「Stock Book」から引用させていただきました。質問4;思い入れのある曲、もしくは好きな曲を5曲あげてください。 (1)バッハ:パッサカリア(BWV582)…オルガニストなら一度は弾きたいあこがれの曲。(と聞いたことがあるけどホントかな?)私は弾いてみたいですね~~。同じメロディをくり返しているのに、この盛り上げ方はスゴイ!ひょっとしたらラベルの「ボレロ」と並ぶかも。(2)バッハ:マタイ受難曲…イエスの受難をえがいた声楽曲。クラシック音楽の最高峰と呼ばれるけど、そうそう簡単に聞けないのが玉にキズ。全部聴いていたら3時間は軽く越えるんですよ…。(3)ボロディン:交響詩「中央アジアの草原にて」…小学校の授業で聞いて以来、ずっと好きな曲です。まさに初恋の曲。せめて曲の雰囲気でも味わっていただければ…と思い、作曲家本人の解説をひっぱってきました。「静かな荒涼たる中央アジアの草原に遠くからのどかなロシアの歌がきこえる。はるか彼方からラクダや馬の足音にまじって独特の東洋的な調べもきこえ、土民たちの隊商がロシアの兵士たちに護衛されて近づいてくる。彼らは長い旅を何の不安もなく続ける。やがて一行は遠ざかり、ロシアの歌と東洋の歌は結び合って1つのハーモニーをつくる。そのこだまは次第に草原の大気の中に消えさる。……」ホントこの通りなんですよねえ…。うっとり…。(4)モーツァルト:エクスルターテ・イウビラーテ(K.165)…前奏のあと、伸びやかなソプラノがこう歌いだします。「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」あふれんばかりの喜びを描かせれば、モーツァルトは天下一品!聴いているだけでウキウキしてくるから不思議です。(5)フォーレ:13のモテット…ストレスの多い現代世界、癒し系は大ブーム。そこで今回自信をもっておすすめしたい商品がガブリエル・フォーレ!これまた大穴なんですよ、ダンナ(だれに言ってるの?)。フォーレの曲にはどれも、根底に「絶対的な優しさ」が息づいている、と表現されたのは私の知り合いの方でした。求めない、拒まない、主張しない、そこにあるのは、どこまでも純粋な優しさだけ……。何回も聴くうちに、ほんとうにうまい表現だなあと実感しました。ガブリエル=フォーレ(1845~1924)…フランスの作曲家・オルガニスト。つい最近(?)の方なので写真も残っています。口ひげがご立派。クセはあるけど結構モテそうな感じ。というのも、結婚している身でありながら、愛人がゴロゴロいたのです。しかもちゃっかり旅行までしているし…いいのか、それで!!(「ウィキペディア」より適当に抜粋・改変しております)頭をひねって5曲ひねり出してみたもの…明日になったら変わっていそうでコワイです。好きな曲が多すぎるんだよなあ。バトンをお渡しする人を5人挙げるみたいなのですが、こんなに遅くなってしまって、だれか引き継いでくださる方がいるんだろうか…。と危惧しながらも、勝手に5人の方を指名してしまいます。お忙しい方、すでにミュージック・バトンを受け取った方、興味のない方はどうぞそのままにしておいて下さいね。Tom-Mamaさんjasmintea7さんコブレンツさん花より薩摩琵琶さんaki05247さんブック・バトンは次回にて★
2005年10月05日
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昨日は近くの高校(私の勤務先ではありませんが)で文化祭があったので、散歩がてら見に行きました。違う学校というのは何か勝手が分からず(当たり前か^ ^;)、しかも若いコがつくだ煮にできるほどウジャウジャいたので(こち亀より借用)、少々居心地悪し。お化け屋敷とかは入れませんでした。校舎に囲まれた中庭では、ちょうどジャズ部の演奏真っ最中。圧倒的に女の子が多いのは、映画「スイング・ガールズ」の影響か?(←この映画、朝ドラ「ファイト」で主演をつとめた本仮屋ユイカちゃんも出てます。なかなか面白いですよ♪)ソロパートをつとめるコたちはなかなか聞かせたのですが、トランペットあたりはあまり音が合っておらず、もちっと練習が必要だな~というところでした。というより、昨日は風が強かったから、制服の短いスカートの方に気を取られていたような気も、しないでもない…。ビックリさせられたのはドラマーの男の子。スティックを持つ両手が、動く動くよく動く~~!!ソロでは水を得た魚のよーに、叩いて叩いて迫力満点!!でした。私も含め、みんな急に身を乗り出して彼を見ていました。現金なモノですねえ、聴衆って^ ^;私が高校生だったら、一目ぼれしちゃったかも……それぐらい一芸に秀でた人の活躍ってカッコイイですよね♪え~、前置きが長くなりましたが、大航海時代編その3です。一体どこまで続くやら。前回は大航海時代がなぜ到来したか、その要因や背景を少しご紹介しただけですので、その続きに触れた後、いよいよ冒険家たちの活躍を見てみたいと思います。(しつこいよーですがちょっと復習♪)大航海時代とは→「ヨーロッパ人の海外探検=遠洋航海」のことで、時期は15世紀末から16世紀はじめの頃に当たります。前回と同じく、最初に、TOMTOM8008さんからいただいたコメントを引用させていただきます。今日は(2)から入ります。大航海時代到来の背景(新航路発見前)(1)経済:香辛料の需要増大、東方貿易の不安定によって、オスマン帝国が東地中海進出を企てる。(2)文学:東方への関心 (3)宗教:カトリックの拡大への情熱(聖ヨハネ伝説→彼が統治するキリスト教国がアジアにあるという伝説)さて、冒険の動機が一攫千金だけだと、あまりに即物的でつまらんですよね~。やっぱりロマンがなくっちゃ!ということでご紹介したいご本は、マルコ=ポーロ著の『東方見聞録(世界の記述)』。そうです、黄金の国シパングなど怪しげな情報満載(?)のロマンあふれる旅行記です。大航海時代の前夜、この旅行記はかなり多くの人に読まれていたようで、かのコロンブスも愛読していたそうです。何でも余白にたくさんの書き込みがあったとか。ジパングまであとどれくらい、という距離のカウントダウンもあったりして、いかにこの本にワクワクしていたかがうかがわれます。(でもジパングに愛着を持っていたあたり、やっぱり欲が優先したのかしら…)その他、遠洋航海に欠かせない学問(天文学や地理学)や技術(帆船、航海術、羅針盤など)がようやく整ったのも外せないポイントでしょう。特に羅針盤(コンパス)の実用化はターニングポイントになりました。今までの航海は、陸地とつかず離れずという感じで慎重にすすめられていたのですが、陸地と近いということは十分な水深を取れないワケでして、座礁などの危険が多く、かつ遠出が出来なかったのです。その点羅針盤があれば、北極星などの星を目印にして方向をキチンと確認していくだけで、(理論上は)どこまでもえんえんと航海可能です。こうして俯瞰してみると、時まさに熟せり!といったトコロですね。(3)については、イベリア半島(現在スペインとポルトガルがある半島)を占拠していたイスラーム勢力VS国土回復をもくろむキリスト教勢力の長い戦い=レコンキスタがおおいに関係します。*レコンキスタ(キリスト教勢力による国土回復運動、または再征服運動と訳されます。昔は国土回復運動と教わったのですが、これまたヨーロッパ側の見方ということで、最近ではもっぱら再征服運動が使われています)レコンキスタも語りだすと長くなるので省略するとして、結局、イベリア半島からイスラーム勢力は追い出され、その後新興国のポルトガルとスペインがこの地で着々と地盤を固めていきます。と同時に、新規参入組であるポルトガルとスペインが他のヨーロッパ諸国と肩を並べるためには、まだ未着手の分野、もしくは新しい分野を開拓して、カネと力をもぎ取る必要がありました。ベテランと同じコトしたって勝てませんものね~~。そこでスペインとポルトガルは、未知の航路を開拓する道を選びました。成功すれば待っているのは莫大な富。当時の心情を推し量ればそれは賭け同然だったかもしれませんが、人生ってけっこうギャンブラーなもの(ホント??)、時には後先考えず賭けてみるのも重要なのです。……たぶん。こうして「大航海時代」は、ニューフェイスのポルトガル&スペインが先鞭をつけました。根本的に間違っていそうな世界地図(次回ご紹介できるかな?)と、一攫千金へのユメと、キリスト教徒としての(ありがた迷惑な)責務=布教をあふれんばかりに抱えて、彼らは長い旅に出るのです。次回はよーやく大航海時代が幕を開けます。せめて更新を三日に一度ぐらいにペースアップしたいものですが、どうなることやら…。★追記1★前回&今回参考にさせていただいたサイト「世界史講義録」…世界史の先生のよるサイトです。語りがていねいで詳細なので、とっても重宝しています。★追記★レコンキスタに関連して…キリスト教勢力に追い出された最後のイスラーム王朝が、ナスル朝でした。「ナスル朝って聞いたことないんだけど…」という方でも、アルハンブラ宮殿は絶対ご存知のはず。精緻をきわめた美しいアルハンブラ宮殿は、このナスル朝の建造物なのです。聞きかじりで申し訳ないんですが、国を追われたナスル朝の王さまは、アルハンブラ宮殿を振り返り振り返り、涙で見つめた…といわれてます。akiさんの旅日記でアルハンブラ宮殿が紹介されているので、よかったらご覧下さい♪(akiさんリンクさせてもらってすみません)スペイン行き 5古典なのかなあ?「アルハンブラ物語」という作品もオススメです。読んだ後にこちらを観光すればよかったー!!と後悔したものでした。
2005年10月03日
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すっかりご無沙汰していました。お久しぶりです。パソコン自体から離れていたというのに、アクセスは一日約50前後あって、ちょっぴり申し訳ない気持ちになりました。今度からお休みするときは一言お断りした方がいいかなあ。無駄足ふませてしまいますものね。前回は「大航海時代」のコトバそのものにこだわりましたが、今日は「大航海時代」という荒ぶる熱狂がなぜ生まれたのか、その要因や背景をざっと見てみたいと思います。
2005年09月26日
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世界史の授業では、もうじき「大航海時代」をあつかいます。大航海時代とは、ヒジョーにおおざっぱに言えば、「ヨーロッパ人の海外探検=遠洋航海」のことで、時期は15世紀末から16世紀はじめの頃に当たります。意外に短いんですよね。むかしの教科書では、大航海時代は「地理上の発見」が多く成されたことになっていました。アジア方面の未知なる航路を切り開き、コロンブスにいたっては「新大陸」を発見した……な~んて大上段でカッコイイ感じがするんですが、これはあくまでヨーロッパ人だけの視点。ヨーロッパ-アジアを結ぶ航路はイスラーム商人の独壇場でしたし、遠くは中国でも、航海レベルはかなり高いものになっていました。という次第で、「地理上の発見」は今や世界史では死語となっているんですね。が、「大航海時代」というこの有名なコトバすら、実は見直しを迫られているようなのです。なぜならコチラも、ヨーロッパ人主体の言葉に変わりないからなんですね。この時代遠洋航海のベテランといえば、イスラーム、ついで中国であり、ヨーロッパはやっとこさ入ってこれた新参者にすぎませんでした。そのくせに「大航海」とはおこがましい!!ってな感じなんですね^ ^;まあ確かにねえ……お局様が頑張って成果をあげてきて、それを新入社員が我が物顔に横取りしちゃうよーなものだからなあ(ちょっと違う?)。しかしこうもコロコロ変わっちゃうと、「じゃあ一体何て呼べばいいんだ~~?!」って叫びたくなります。最近多いんですよ、こういうの。まあ、歴史に限らないかもしれませんが…。ある解説書によると、「商業の時代」というコトバで置き換えられるんだそうです。ヨーロッパ人の海外進出により、アジアや「新大陸」がヨーロッパと経済的に結び付けられ、世界レベルで商業のやり方やスタイルが変化していくから……なんだそうです。でもなあ……「商業の時代」ってぶっちゃけユメもロマンもないじゃないすか~。「大航海時代」の方が新しい風がいよいよ吹いてきた!って感じで、なんかワクワクしちゃうんですけど。学者さんに切にお願いしたい。見直しはぜひしていただきたいけど、どうせならロマンあふれる素敵な呼び方をつけてくれんものかなー。「大航海時代」のコトバ一つで、記事がけっこう書けてしまうものですが、その実情はもっと意外で、おもしろかったりするんですね。不定期になるかしばらく連載になるか分かりませんが、大航海時代の(私はこれを使うぞ!)冒険家たちの素顔にも、迫ってみたいなーと思います。テスト期間が今日で終了し、採点もほぼ終わりました。忙しかったー。(ウチの高校は2期制なので、1学期は9月末に終わり、10月から2学期になるのです)今回は評定(成績付け)もあるので、少々ヤッカイです。内情を記事するのはさすがにヤバイので、ここらへんにしときます^ ^;
2005年09月14日
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ジャズダンスを習っている友人から、モダンバレエのDVDをお借りしていたので、ラテラルという運動機器で足踏み運動しながら^ ^;さっきまで見ていました。そのDVDは、「モーリス・ベジャール(バレエ界ではきっと知らない人はいないはず!!というぐらい超有名な振付師)の夕べ」と銘打たれた日本公演の模様を撮影したもので、私のお目当てはそのうちの「ボレロ」という演目でした。というのも、大学時代に学んだ「演劇学」という講座で見せてもらった「ボレロ」の映像が、タイヘン印象に残っていたからだったのです。そして久しぶりに目にしてみたら…やっぱりホント感動的で、衝撃的でした!音楽は、ラヴェルの「ボレロ」。こわれたデッキのよーに、おんなじメロディーばかりがしつこいほど演奏される例の曲です。真っ暗闇の舞台。小太鼓のリズムとオーボエ(かな?)だけがひそやかに沈黙を破り始めます。踊り手はジョルジュ・ドンという男性(これまたタイヘン有名らしい)。しかし始めは、右手の動きだけがスポットライトに照らされ、暗闇に浮かび上がります。ぶらりと垂れ下がった手がゆっくり半円をえがいて真上にあがり、クッと手首が返されると、今度は手の甲の筋が一本一本張り詰めるほど力をこめて、手をからだの線にそって戻していきます。次に左手。そして両手。秘めやかな「ボレロ」の幕開けに、手だけが生き物のようにしなります。スポットライトが男性の全身を映し始めます。赤くまるい舞台に、男性がひとり。舞台の周辺には多くの踊り手が控えてますが、うすい闇になっていてあまり見えません。ジョルジュ・ドンの両腕が円をかくと、空間にその軌跡が残っては消えていきます。四肢をめいいっぱい伸ばして虚空をつかみ、ふっと押し出すしぐさで、彼のまわりの空気の濃淡さえ、違ってくるような気がします。そして、緩-急、緩-緊のみごとなバランス。それは動きの流れだけでなく、彼のからだの中で同時に両立していました。メロディーはエンドレスに再生されますが、加わる楽器はドンドン増えていきます。それに調子を合わせるように周りにいた踊り手たちがようやく参入します。一段高い、赤いまるい舞台で踊るジョルジュ=ドンと、舞台を取り囲む踊り手たち。ドンを崇拝しているかのように、あるいは舞踊の神にドンをいけにえとして捧げるかのように、彼らは踊りドンも踊ります。舞台は静かにヒートアップしていきます。「ボレロ」はいよいよ最終章へ。不協和音がいよいよ高まり、観客の興奮もかきたてられていきます。息詰まるクライマックスの一瞬、残りの踊り手がみんな加わり、そのうちの半数ぐらいが初めて神聖な赤い舞台に乗り上げます。中心のドンは、狂った炎のように何かを求め続けています。音楽が頂点に達します。ドンを取り囲む全員がバンザイという風に両手を上げ、からだを反らして……一瞬の後に音楽がいかずちのように轟き落ちると、激情がプッツリ切れて、全員が舞台の中心へひれ伏します。崩れ落ちるこのラストシーンが大好きで、つい何回も見ちゃいますね~。機会があればぜひ本物の「ボレロ」を見てみたいものです。しかし、コレを子どもが見たらきっと笑い転げるだろうな~。ヒゲダンスやハニワ(勝手に命名)など、ユニークな動きも多いんですよね^ ^;
2005年09月07日
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今日、「世界一受けたい授業」という番組で、日本史の最新事情が紹介されていました。というのも、最近の研究成果により通説がいろいろ見直されているため、教科書の記述も昔と今では少しずつ変わってきているんですね。例をあげれば…足利尊氏像とされていた絵は、現在では単なる騎馬武者像になっている。ペリー来航は突然のものではなかった(その前からアメリカの打診あり)。607年、最初の遣隋使(小野妹子)がつかわされたというのはバツ。実際はすでに600年に遣隋使が送られている。と、こんな具合なのですが(*注1)、司会の方のコメントが印象的でした。「歴史は変わらないと思ってましたけど、本当は変わるものなんですねー」過去は変えられないのに歴史は変わる。というのは何か矛盾した話ですが、実際にそうなんですよね。歴史は後世の人々が作り上げてきたものなのですから。過去を毛糸玉、人の手をへてできあがった歴史をセーターに例えてみると…大きくてゴチャゴチャの毛糸玉(混沌とした過去)を、多くの歴史家が解きほぐし、少しずつ編み上げて何とか巨大なセーター(通史)ができあがりました。しかしセーターは完成品ではありません。というより、完成する日はおそらく永遠に来ないでしょう。セーターにはあちこち穴(まだ研究が及ばず、手付かずになっている箇所)があいてますし、ほつれも目立ちます。穴を埋めるために、ある歴史家は毛糸玉を必死で探している最中かもしれません。あるいはもう、毛糸玉と格闘しているのかもしれません。ほつれた部分をほどいて、もう一度編みなおす研究者もいます。はたまた、出来上がったようにみえる箇所でも満足いかず、新しい断片を作ろうと試みている人もいたりします。このように歴史というのは、永遠に完成しないセーターのように思えるのです。つぎはぎだらけのセーターは、着やすいようにならされて、教科書というタイトルが貼られます。そしてさらに先生たちのアレンジが加わって、ようやく生徒たちのもとにセーターは届くわけです。生徒たちの大半は、セーターそのものを嫌ったり、嫌いじゃないけど用が済んだらすぐ捨てちゃったり、そこそこ満足し終わったらどこかにしまっておいたり(そして忘れちゃう^ ^;)……という感じで通り過ぎてしまうことでしょう。しかし中には、少数かもしれませんが、与えられたセーターだけでは満足できず、自分でも作ってみたい!と思う子どもが必ずあらわれるんですよね。そういう子が一人でも出てきてくれればいいな~というのが、私のささやかな望みです。なんかとりとめのない話でした。しかもたとえばっかり…どうもすみませんです^ ^;*注1…中世の肖像画に関しては諸説あるようでして、最初にご紹介したのはテレビ版ですが、別の資料では以下の通りになっていました(あとは面白かったので追加しちゃいました)。★馬に乗るヒゲヅラの足利尊氏像→高師直(こうのもろなお)という説が有力。主従逆転とはこれいかに。もしホントならアノ世で師直クンはさぞかし恐縮していることでしょう。★正装姿のカッコイイ源頼朝像→足利直義(あしかがただよし:尊氏の弟クン)の可能性大。あのー、時代がかなり違うんですけど……。一体どこをどーしたら、こんな間違いが生じるのでしょうか。教えておじいさん。教えてアルムの森の木よ。あ、でもくどいようですけど、ホントだったらのお話です。★ちなみに、同じような構図で描かれた(たぬき顔の)平重盛像が、実は足利尊氏であるという説も出ているそうです。もしそうなら、ちょっと幻滅です。私の中の尊氏は、あくまで真田広之さんだったりするので(ホントかい^ ^;)★威厳タップリ晩年の武田信玄像→さすがにこれには「うそー!!」と叫びたい。実は、能登国国守畠山義続(はたけやまよしつぐ)の可能性が指摘されているらしいのです。武田信玄といえば、このシブイ肖像画がすぐに思い浮かぶのに…あんまりだ!
2005年09月03日
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毎日出来れば取り組みたいもの……ラテラルという運動マシーン、脳を鍛える大人のDSトレーニング(ニンテンドーDSのソフトです。けっこう売れ線らしいです)、そしてブログのアップ(これはちょっと言い過ぎかな^ ^;)などが挙げられますが、どれもこれもすっかりペースダウンしている中、オルガンの練習だけは毎日何とかやっております。現在は4曲を同時進行で練習しています。その中の1つ、バッハのオルゲルビュッヒライン(オルガン小曲集)に収められている、BWV639「イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ」という曲がとっても魅力的なので、ちょっとご紹介してみます♪ 一番上が右手、真ん中が左手、一番下が両足(ペダル)という構成になっています。この曲はそれほどメジャーではないのですが、古典SFの名作「惑星ソラリス」の映画版で用いられたそうで、まさに宇宙の神秘にピッタリな、異質で美しい響きを聞かせてくれます。「惑星ソラリス」のあらすじ(私は見たことないんですが、内容がかなり難解で、しかも心理的にすっごく恐ろしいらしい……見たいような見たくないような……)以前ご紹介したバッハのネタ本(「のぼりつめたら大バッハ」)の作者、砂川しげひささんも大好きだそうで、このように表現されています。「とても深遠な響きで今でも好きな曲」「このコラール(BWV639のこと)はとても、奥深い。深遠。神秘。静寂。無限。」大昔に作られたに関わらずとってもモダンで、現代音楽のおもむきがありながら、切ない美しさをちゃんと保っているあたり(現代音楽は正直言ってサッパリ分からんのです)、さすがバッハだなあ…と思います。【ちと本題から離れますが、映画音楽とクラシック音楽はとっても相性がいいですよね。ベストな組み合わせはやっぱり映画「2001年宇宙の旅」と、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」でしょうか。ただただアゼンとするしかなかった、衝撃的なラストに、ダーーーン、ダーーーン、ダーーーーーン……ダ・ダーーーーン!!というイントロが重なって、決して忘れることの出来ない作品になりました。中学生だった私は、「きっとこの映画のために作ったんだろうな~」と思っていたんですけど(それぐらいピッタリだったのです)、あとでクラシックと知ってビックリ。選曲って作業はホントすばらしいですよね~!】さて、この曲ですが、もちろんこのまま弾くだけじゃつまりません。そこで調理法としてはこのよーになります。右手……この曲のメイン。歌うように叙情をこめて、なめらかに。左手……伴奏1。イメージするのはヴァイオリン。スラーの切れたところでは、ヴァイオリンの弓を返すように(ヴァイオリンの弓は当然ながら長さが決まっているので、たとえなめらかに弾いていても、端っこで折り返さないといけないんですね)、少しだけ息をつく。ペダル……伴奏2。イメージとしてはコントラバスかチェロ。ベース部分。三重奏をやっているようなイメージを持っていただければ、ピッタリじゃないかな~と思います。そしてこれをきちんと弾き分けられるのが先生であり、頭では分かっていても全部同じにしか弾けないのが、私のような初心者だったりします^ ^;道はまだまだまだまだ険しいのう…。もし聴く機会がございましたら、この美しくも不思議な小曲を、ぜひぜひ堪能してみて下さい♪★追記いつもご訪問いただきありがとうございます。いつの間にか2万ヒットを越えてまして(見逃してしまいました~~)、よく放り投げずに続けられたものだなあ…と自分でも感心(?)しております。今後も細々と続けていく予定ですので、どうぞよろしくお願いします。
2005年08月30日
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昨日、花火を見てきました。ざわついていた浜辺にどんどん夕闇がおちてきて、開始のアナウンスが入ると、ドーンと胸をうつ花火の音が響き始めました。まずはシンプルに。こんな風にいくつも重なった花火って、見ていてウキウキしてきますよね♪ 光に輝くすすきのような、金色で統一された花火は、ホント素敵です。大好きなバリエーションの1つ。 赤く咲き誇る花火の後ろに、ひかりの砂粒が散らばっていました。この花火は初めて見ました。 ドンドンドーンと、上へつながっていく花火たち。中盤は変り種の花火が紛れ込んできました。 暗くて見づらいですが、何のカタチか分かりますか?ドラえもんなのです。他にもハート型、スマイルくん、めがね、キティちゃんなどユニークなものがたくさんありました。花火がうまく開いて何のカタチか判別できると、子どもも大人もみんな大喜びでした。続いて、サービス精神おうせいな花火を2つ。これらは単独で打ち上げられ、ひゅ~~といったん消えた後、何ともアッパレな分裂・増殖を見せてくれます。…って言ったら、全然きれいじゃないですねえ。百聞は一見にしかず、ということで、さっさと写真へすすみましょう。 最後は大輪の花火を一発。花火の軌跡をずうっと見上げて、ついに目が真上を向いて、来るぞ~とワクワクした瞬間、ドーーーン!とすべての人の心をふるわす、夏の音が炸裂します。 あ~、夏っていいですねえ……って、もう来週から学校はじまるじゃん!みんなを心の底から楽しませてくれる花火師さんと、人ごみにもまれながら一所懸命頑張ってくれている交通整理のお巡りさん、その他スタッフの方々に感謝して。追記…「ラファエルとトビアの旅」が途中になっちゃっています。読んで下さっている方には申し訳ありません。実は記事におこすのが結構時間かかりまして、いつ仕上げられるか分からない状況です。そのため記事にはしないで、時間があるときにコツコツ書きためておき、完成したらフリーページに載せようと思っています。すみませんが、よろしくお願いします。
2005年08月28日
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先週の金曜日、NHKのBSで、「機動戦士ガンダム」の特集をやっていました。むかし弟といっしょにテレビシリーズを見ていたはずなんですが、どうも断片的な記憶しかなくて、これを見てようやく「あ~、こういう話だったのね!」と納得した次第です^ ^;それはともかく、文句なしに面白かったです、初代ガンダム!今でも絶大な人気を誇るのには、ちゃんと理由があったんですね。アムロやシャアなどメインキャラクターが魅力的なのもモチロンですが、オトナになって見てみたら、脇役がピリリと輝いているのがよく分かります。個人的に一番気になった…というか、共感したのが、カムランという男性でした。カムランくんは、メインキャラクターのひとり・ミライという女性のフィアンセで、戦火を逃れてサイド6という中立地帯(ここでは絶対戦争行為をするな!という厳しいルールまであります)に移住していたのですが、ミライとの再会早々、なじられてしまいます。戦争に巻き込まれたキミの行方を、今まで必死に捜していたんだ…とカムランくん。でも、あなた自身が捜してくれたワケではないでしょう?とミライさん。つまりお金をばらまいて捜索させていたのですな。ミライとしては、安全な場所に逃げ込んでそこから出てこないくせに、心配していたなど片腹痛いわ!!って感じなんですね(まあそこまで厳しくなないけれど^ ^;)。さて、この中立地帯に停留していたミライらが乗り込む戦艦・ホワイトベースは、敵のジオン軍に囲まれて、決死の突破作戦をとることになります。カムランくんはここでやっと彼なりの意地を見せました。領空ぎりぎりまで民間人である自分が水先案内をして盾となりましょう、とホワイトベース側に申し出るのです。カムランくんの乗る民間機とホワイトベースはサイド6を出発します。話が違うじゃないすかと渋るパイロットをなだめて、ぐんぐん飛翔する民間機。ホワイトベースのブライト艦長は、カムランくんに呼びかけます。「もうここまでで結構です。下がってください!」しかしカムランくんにとっても、引くに引けない状況でした。自分の意地を愛するミライに見せる、最後のチャンスだからです。飛べる限りまでついていく、というカムランくんに、ミライは優しく語りかけました。それはようやくわだかまりが解けた瞬間であり、同時に別れの時でもありました。「カムラン、ありがとう、お気持ちは十分にいただくわ。でも、でも。ありがとうカムラン、帰ってください。お父様お母様によろしく」 離脱する民間機。それを追い越していくホワイトベースのブリッジには、操舵するミライのすがたが…。彼女を見つめるカムランくんの頬には、涙が一筋つたうのでした…。情けない系のキャラが好きな私にとって、カムランくんはまさにツボ!でした。戦火を逃れたい気持ちもよ~く分かるし、でも最後の最後で、なけなしの勇気を見せてくれたことは、もっと嬉しいことでした。ガンダムの生みの親、富野由悠季監督の談話もたいへん興味深かったです。特に面白かったのは、気に食わないキャラの名前がけっこう多いこと。しかし気に食わないからこそ、キャラを昇華させる…と言うんでしょうか、その陳腐な名前を凌駕するくらい、中身をより良いものにしようとしたらしいのです。(でも今となっては、名前と性格にアンバランスさを感じることはまったくないんですけど^ ^;)このこだわりが、様々な名セリフ、名シーンを生み出したのでしょうね~。何でも好き勝手に作っていい、という環境は案外つまらないもので、思うようにならない色んな制約があるからこそ、人は想像以上のチカラを自分の中に見出そうとするのではないか……そんな逆説的なことまで考えさせられた、初代ガンダムでした★今回参考&引用させていただいたのは、次のサイトです。「機動戦士ガンダムポータル」テレビシリーズの全セリフが網羅されてます。スゴイ…。ガンダムシリーズは名セリフの宝庫!ゆえに日常生活にも使ってみたくなるのが人のサガ(らしい?)。多々ある名セリフの応用を日夜追及されているコチラのサイトは、私のよーな素人でもかなり笑えました。よかったらどうぞ♪「直撃を受けているのか!?~ガンダム名セリフ講座~」すみません、つい違う記事を割り込ませてしまいました。次回はラファエルとトビアの旅の三回目にすすみます。
2005年08月22日
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前回に引き続き、『天使のひきだし~美術館に住む天使たち~』(視覚デザイン研究所、1995)より、大天使ラファエルのエピソードをお送りします。★前回のあらすじ★「死んだ方がマシ…」そんな悲しい声が重なって、同時に天国に届きました。声の主は、男と女のふたり。女の方は、メディア地方のエクタバナという都市に住む、サラという若い娘さんでした。サラは初夜のベッドの中で男たちに次々としなれ、なんと7回も結婚に失敗していたのです。(今なら保険金殺人と間違われてしまいそう…^ ^;でもサラが悪いんじゃないんすよ)サラはそのせいで悪魔つきの娘とささやかれ、絶望的な状況に置かれていたのでした。 ★今回はここから★では男の方はというと、こちらはアッシリア帝国の首都ニネヴェに暮らす、トビトというオジサンでした。トビトはな~んにも悪いことをしてないのに関わらず、アッシリアの王に背いたとして財産を没収され、おまけにスズメのフンが両目に入って失明するという(ホンマかいな?)、まさに踏んだり蹴ったりの状態だったのです。失意の底でトビトが思い出したのは、むかしガバエルという人に貸したお金でした。何もかも失ってしまった今となっては、そのお金だけが頼りです。しかしトビトは目が見えません。そこで、息子のトビアを代わりにお使いに行かせることにしました。「トビア、トビア」「何?お父さん」「すまんがわしの代わりに、メディアに行ってくれんか。そこでガバエルという男に会って、金を受け取ってきてほしいのだ」お使いといっても、ちょっとそこのスーパーまでという具合にはいきません。メディアは遠いです。しかもトビア少年はガバエルさんなんて見たことも聞いたこともありません。ちっとも気が進まないトビアに、マイペースの父ちゃんは借用書の半分を見せました。残りの半分はガバエルが持っているので、確実にお金は返してもらえるというワケですね。口約束は昔も今もデンジャラス。「じゃトビアよ、頼んだぞ」「う……うん……」遠くへの旅を考えると、トビアは不安でたまりません。行きたくないよ…とぐずるトビアの前に、旅の若者が現れました。「どうしたの?なんか浮かない顔してるね」「あなたは…?」「越後のちりめん問屋…じゃなかった、気ままなその日暮らしの旅人さ。アザリアというんだ、よろしくな」「あ、よろしく……ぼくはトビア」アザリアは気の良い若者のようです。トビアがいきさつを語ると、何といっしょに行こうと言ってくれました。ここで会ったのも何かの縁、旅は道連れ世は情けです。トビアは喜び勇んで、アザリアと共に出発することにしました。(次回に続く!)★大天使とは?★天使にはランキングがあり、おおきく上級・中級・下級に分かれています。アークエンジェル(大天使)は何かお偉方のよーなイメージなのですが、実は下級天使に当たります。【上級天使】セラフィム(熾天使:天使の中のナンバー1)6枚の翼がはえた、顔だけのお姿。ちとコワイ。翼の内訳は、顔覆い用(2枚)、足カバー(2枚)、飛行用(2枚)となっております。一応足があるんですね。ケルビム(智天使:ナンバー2)セラフィムと同じような姿をしている…らしいのですが、エゼキエルという人が見たケルビムは、すさまじいモノでした。正面は人の顔、右には獅子の顔、左は牛の顔、後ろには鷲の顔がある4つの翼を持った……って、こんな複雑怪奇な天使、絵にするのもタイヘンだー!!トロウンズ(座天使:ナンバー3)別名、車輪天使……ごめんなさい、勝手に名付けました。神の玉座を運ぶお役目なので、燃えさかる車輪として描かれることが多いとか。分かりやすいですね♪【中級天使】ドミニオンズ(主天使)・ヴァーチューズ(力天使)・パワーズ(能天使)なぜかとっても影が薄く、絵画に登場してきません。中間管理職ってこんなもの?【下級天使】プリンシパリティーズ(権天使)・アークエンジェル(大天使)・エンジェルズ(ふつーの天使。平社員)大天使といえば、この3人が有名ですね♪ミカエル(名前の意味:神に似た者)ガブリエル(神のうちにわが力はあり)ラファエル(神は癒す)次回はこの3大天使の見分け方をご紹介。ではまた~~。
2005年08月17日
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前回楽器ネタをやってみたら、なぜか天使と楽器のイメージが湧いてきまして(天使たちは音楽が大好きなのです♪)、昔お気に入りだった「天使のひきだし」という本を引っ張り出して、つい読み返してしまいました。「天使のひきだし」は昔、ガッコーの司書の先生からすすめてもらった本でして、キリスト教に登場する天使たちの物語から、異郷の天使たちの紹介まで、まさに天使づくめと言ってもいいタイヘン楽しい本です★装丁はあわいピンク色、中身もあたたかい色合いのイラストがたくさんで、オススメの一作です……が、今でも売っているのかしら?あとで楽天市場などを見てみますね。視覚デザイン研究所編『天使のひきだし~美術館に住む天使たち~』1995 ちなみに、他のシリーズ本も挙げてみます。カッコ内は宣伝文句をそのまま写したものです。『マリアのウィンク~聖書の名シーン集~』(聖書の一場面が描かれた名画は多い。でも、それが聖書のどんな話かわからない人も多いはず。この一冊を読めば、その場面の話がわかり、絵がより身近に感じられるようになる)『ヴィーナスの片思い~神話の名シーン集~』(なじみ深いギリシャ神話に始まり、北欧神話、ケルト神話の世界を、名画を通してわかりやすく楽しく解説していく。この一冊で、ほんの少し絵と神話のツウになれるかも)『悪魔のダンス~絵の中から誘う悪魔~』(エピソードの事欠かない悪魔は、画家たちの想像力をかきたてる格好の題材。名画になった悪魔が西洋美術の奥深さ、文化の根深さまでも垣間見せてくれる、シリーズ4冊目)今回は「天使のひきだし」の中から、私の好きな「大天使ラファエルとトビアの旅」をご紹介します♪「死んだ方がマシ…」そんな悲しい声が重なって、同時に天国に届きました。声の主は、男と女のふたり。女の方は、メディア地方のエクタバナという都市に住む、サラという若い娘さんでした。サラは初夜のベッドの中で男たちに次々としなれ、なんと7回も結婚に失敗していたのです。(今なら保険金殺人と間違われてしまいそう…^ ^;でもサラが悪いんじゃないんすよ)サラはそのせいで悪魔つきの娘とささやかれ、絶望的な状況に置かれていたのでした。さて一方、男の方はというと……あ、もうすぐ12時ですね。すみません、就寝時間となりましたので、また次に回します。でも、ラファエルのラの字も、トビアのトの字も出てきてませんね…ヒドイっすね…。次回予告!旅立つ少年・トビアの前に、ひとりの旅の若者が現れる!ふたりの旅のゆくえは?!大天使とは何ぞや?という解説もちょっと入るかも??(あまり書かないほうがいいですね、たぶん^ ^;その通りにいかないコトが多いからなあ)追記『天使のひきだし』についての写真・説明などはこちらから。「色々マニア」nightさんのブログを発見し、リンクさせていただきました。楽天市場にもあったんですが、画像がなかった…画像はやっぱり欲しいですよねえ。今でも発売されているようなので、興味のある方はぜひ♪損はしないと思います。うおーーッ、12時までにあと1分だ~~!!(って、私はシンデレラ?)
2005年08月12日
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ちょっと前の朝日新聞から音楽ネタを2つ。<古代エジプト響き再現 紀元前の響き柔らか>2005年5月17日紀元前11世紀から紀元前4世紀にかけて、古代エジプトでハープが作られたそうで、ルーブル美術館に世界最古のエジプトハープが残されているそうです。エジプトハープは、直立した箱状の木枠に皮をはった「響鳴胴」と、これに直角に差し込まれた木製の「アーム」の間に、羊の腸でつくったガット弦を渡したL字形ハープ(これをアングルハープというそうです★)でした。ただこの最古のハープは損傷していたため、どのように復元すれば楽器としてよみがえるのか、分からなかったそうです。そこで登場したのがわれらが(?)正倉院でした。正倉院には貴重で珍しいお宝がたくさん眠っていますが、楽器も例にもれず、アングルハープの別バージョンがあったのです。それが「くご」(すみません、漢字が難しすぎて変換できない…)という、遠くは西アジアから、シルクロードを渡ってもちこまれた楽器でした。この「くご」の復元をヒントに、エジプトハープをよみがえらせる試みが行われました。復元されたエジプトハープの写真を見てみると、女性の背丈ほどもあるおおきな楽器で、「響鳴胴」と「アーム」がL字形を成しており、ななめに弦が渡されています。さだかではありませんが、「響鳴胴」を左手で抱きかかえるようにして、右手で弦をつまびくみたいでした。弦は21本。等間隔に張られています。やわらかくて温かい音色が出るようで、ぜひ一度聞いてみたいな~~と思いました。ただ、どんな曲が奏でられていたのか…までは、さすがに分からないんですよね。古代エジプトのファラオたちがどんな音楽で心安らかになっていたのでしょうか?想像するだけでも楽しいですねー!!それにしても正倉院の底力はスゴイ!記憶があいまいなんですけど(そんなのばっかや^ ^;)、中国の古代音楽の復元にも、正倉院の遺物がおおいに力を発揮したみたいですね。今回のエジプトハープが加わったことで、まさに「世界の古きよき宝箱」といっても過言じゃないよーな気がしました。もう一つはこちら。<バッハの「新」声楽曲発見 1713年の手書き楽譜 ドイツで>日付不明バッハの新たな声楽曲が見つかったのは、なんと70年ぶりの快挙だそうで、「丁寧に書かれ、曲の質も高い楽譜」なんだそうです。ワイマール公国のウィルヘルム・エルンスト大公のお誕生日に書いた作品。いいなあ、こんなすっごいプレゼント、私も欲しい…。音楽ネタはいろいろあるので、またやりたいですね~。では!追記:森野あかりさんからコメントをいただきました。記事の中では「くご」の漢字が分からなかったのですが、森野あかりさんが「箜篌(くご)」と変換してくださいました。この「箜篌(くご)」はアッシリアの楽器だそうです。森野あかりさん、コメントどうもありがとうございました!
2005年08月10日
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タイトルを変えてみました。実家の飼い猫、キキ(向かって左側)&モモ(右側)を両脇にはべらせた、ご機嫌のタイトルです★…と、ただこれだけの話です。失礼しました~~!
2005年08月07日
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戦後60年ということで、今年もアジア・太平洋戦争を振り返る番組が多くくまれていますね。先日はアニメ「火垂るの墓」と、女優・綾瀬はるかさんが出ていた原爆の特集を見てみました。といっても、前者はどうしても泣けてくるので、今回は前半部分をちょこっとだけ見ました。「せつこも、お金持ってんよー」と誇らしげにお財布を開ける節子ちゃん、「お母ちゃんには会えへんの?」と駄々をこねる節子ちゃん(いつものことながらセリフうろ覚えなので、間違っていたらごめんなさい)。可愛らしいぷっくりした顔もそうですが、あの小さなシルエットを見てるだけで切なくなってきました。スタジオジブリは本当にうまいですねえ。夕日が差し込んで、校庭に節子ちゃんの影が伸びるだけで、何かじんときちゃうのです。「火垂るの墓」をあまり見たくない要因は、もうひとつあります。幼い兄妹の末路がとっても悲しすぎるゆえに、それを何とか消化するため、ついつい親戚のおばちゃん(名前が分からん…って、名前ありましたっけ?)に怒りをぶつけてしまうからなのです^ ^;「おばちゃん冷たすぎ!こんなかわいそうな兄妹なのに、少しはいたわってくれや!!」(忠犬はち公の映画でも、同じようなことやってたなあ^ ^;)ですが冷静になると、私におばちゃんを責める資格はあるのかなあ…なんて思ってしまうんですね。平和で満たされた社会で生きている私は、ちゃんと余裕があるから、思いやりを持とうとさえすればそれが可能なワケで。でもおばちゃんはいつ終わるともしれない戦争の中、食べ物もロクに手に入らなかった極限状態の中、おばちゃんなりにけんめいに生きてきたワケで(たびたびすみません、ここらへんもあいまい…ちょっとおばちゃんを美化しているかも)。私がおばちゃんと同じような境遇に置かれたら、思いやりのこころを忘れずにいられるんだろうか?……答えは限りなくノーに近いような気がします。なぜなら、私は自分の人間性(これは善の方ですね。悪の方もあるけど今はパス)を絶対的に信用できないからなのです。戦争のような過酷な社会に放り込まれたとき、はたして善の人間性を持ち続けることができるのか、はなはだ自信がないからなのです。だから戦争はイヤだなあ、とつくづく思います。自分が死ぬのももちろんイヤだけど、自分を見失ってだれかを傷つけたり殺したりするのは絶対勘弁したい!と思います。かりにお上がどこぞの国をあしざまに罵って、その国民を鬼や悪魔のよーに扱いだして、国民の敵愾心をあおり始めたら…ソッコー日本から脱出しようと決意しています。少なくとも一緒になってヒートアップするのだけはゴメンこうむりたいですね。悪役を作って盛り上がるのはいともカンタンだからなー。歴史を動かしてきたエネルギーのひとつに戦争があるため(日本史でいえば壬申の乱、源平合戦、関が原の戦いなどなど…)、一概に戦争を忌避することができないのがイタイところですが、それでも戦争はこれから絶対にしちゃいかん!と思います。人間(子どもは除く)はまだマシな方なんですよね。言葉があり、理解もでき、アクションも起こせるから。だれもが本気になれば、戦争を食い止める力を持っているはずなんです(まあ、そうはいってもエラク難しいんだろうけど…)。でも動物たち(子どももそうですね)はなんにも分からないまま、戦争の惨禍にだけは巻き込まれてしまいます。それにはホント怒りをおぼえてしまうんですよ。あまりに理不尽すぎて。自分の人間性を失わないために、人間と同じように生きている動物たちを殺さないために、戦争のない世を切に願います。「火垂るの墓」のストーリー紹介と、くわしい解説がのっています。読み直したらようやく思い出した…。なかやまらいでんのひみつ基地「火垂るの墓」……でも、やっぱりおばちゃんってヒドイよね……イケズだわ……(ひとり言です、すみません^ ^;)。
2005年08月07日
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NHKの大河ドラマ「義経」は、佳境を迎えつつあります。…といっても、あまりマジメに見てないのですが^ ^;その理由は次の一言に尽きます。ズバリ、「義経クンにまったく魅力がない」…のですよ、悲しいことに。今から書くことはあくまで個人的感想なので、タッキー義経がお好きな方はこの先立ち入り禁止とさせていただきます。ごめんなさい^ ^;義経といえば二枚目(というのはかなりアヤシイのですが、今は割愛させていただきます)で、戦上手で、それでいて控えめで、心優しい悲劇のヒーローというイメージが定着しています。さらに主役ということで、だれからも愛されるようなアイドル☆義経を作っていかないといけないという、大河ドラマ裏側の事情もよ~く分かるんですけど、それらを差し引いても、タッキー義経クンには魅力がないんですよねえ…。これは演じる滝沢くんの責任というよりも、脚本家のそれが大きいような気がしてます。とにかく義経が万事において「いい人」すぎるのです。実際の義経がどんな人だったのか、今では想像するしかありません。が、自分で運命を切り開き、戦いにつぐ戦いを制していった義経という人は、たいへんパワフルで功名心が強かった天才肌の孤独な武将…みたいなイメージがあるんですね。少なくとも優しいだけの人ではけっしてなかったと思うのです(センが細いなんてもってのほか!)。その証拠に兄・頼朝から追われて逃走する際、愛人だった静御前をけっこうあっさり切り捨てちゃったりしていますし、戦いにしてもかなりの独断傾向が見られます。自分で作戦など何もかも決めちゃうワンマン・オトコだったのですね。ただ、それが悪いとは決して思いませんし、生死をかけた戦いをいくども切り抜けてきた義経には、当然ある種のしたたかさ、ふてぶてしさが不可欠だったはずです。その姿を見て、ある人は好感を抱き、ある人は嫌悪し、ある人は純粋に興味を抱くかもしれません。それは彼が「生きている」から。喜び笑い、苦しみ悩み、ときには人を傷つけて、それでもけんめいに生きていこうとする熱情があるから。去年の大河ドラマ「新撰組!」は評価が分かれ、批判されても仕方ないな~と思う部分もたくさんありましたけど、おのおののキャラがしっかり生きていたことで、視聴者からの助命嘆願という珍しい現象がおきました。私が「義経」に期待していたのは、まさにそこでした。良くも悪くも、いきいきと動き回っている武将・義経が見たかったのです。まあもっとも、主役ですから良い面ばかりが取り上げられるのは覚悟してましたけど、まさかここまでとはなあ……まさに想定の範囲外。タッキー義経クンは常に「情」で行動します。そしてその場限りのリアクションです。先々起こりそうなことをちっともシュミレーションせず、その場その場「いい人」でお茶を濁し、その結果悲劇が起こっても嘆き悲しんで終わっちゃう…という悪循環がグルグルグルグル、なんですよね。ニンニクだって無味無臭はツライのに、主役がこんな無味無臭でどーするよ!といった感じです^ ^;八方美人はほんとインパクト薄いよなあ……あとに何の感慨も起こさないよなあ……。何かさびしい。あ~、もっと血湧き肉おどるような義経クンが見てみたい!手塚治虫の義経をすこし削ってもらってきてよ~!!(手塚版・義経はとにかくスゴイです。平気で人を踏みつけるし、野心モリモリだし、かなりの残虐ぶりを発揮してるんですけど、今でも印象あざやかですね~~。まあ、あそこまでぶっ飛べとは口が裂けても言えませんが^ ^;)タッキー義経への期待がしぼむ一方、キイチ頼朝はやはり面白いなあと思いました。彼はひどいことをたくさんしているけど、一本まっすぐに通った信念があります。そして善悪入り混じった、人間のにおいがキチンとしています。これがケッコー私の中で重要なポイントなんですよね。あとは「身内を大事に」という義経クンの主張が(当時の常識と照らし合わせると)どうにもヘンテコなんですけど、長くなってきたのでこのへんで。「義経」ファンの方、いろいろ文句つけてすみませんでした^ ^;
2005年08月04日
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私の実家には2匹の猫がいます。名前はモモとキキと言います。どちらもメスです。モモ→濃い灰色一色のネコ。太めで、お腹がでぷっと垂れてしまってますが、なかなか優美なすがたをしています(単にひいき目?)。お散歩が大好き。キキ→茶色の地に黒のしましま。とってもよく見かける外見ですが、目が大きくてどこぞのアイドルのよーな顔をしています……って、具体的にどんなアイドルなのか言えないところが、親バカの親バカたるゆえんですな^ ^;2匹とも一番なついているのが、うちのお母さんです。そのお母さんが最近、キキちゃんに覚えさせたコトバがあります。「キキちゃん、ぺとっとして、ぺとっ」そうです、”ぺとっ”というコトバです。これは何かというと…甘えん坊のキキはお母さんのひざが大好きなんですが、照れくさいのか何なのか、膝に乗った後ミョーに四肢をつっぱって全然寝ようとしないんですね。そこでそのコトバを何回かかけてみたら、”ぺとっ”=膝で寝ると学習したようで、今ではそれを聞いたらちゃんと腹ばいになって眠るらしいのです(らしい、というのはまだ目にしてないからです。くやし~~)。そこで、彼女たちが判別しているらしいコトバをピックアップしてみました。「ごはん」…重要度ナンバー1。寝ていてもこのコトバに反応して、ごはんのお皿に近づいてくることもあり。「かっつー」…かつおぶしの(勝手な)略。うちではおやつにしています。モモの方が反応よいか。外でふらついていても、「かっつー食べるよ~~」と声をかけたら、帰ってきたことも何回かありました。「お散歩」…これも、面白いほど反応するのはモモちゃんですね。ぐ~たらオヤジのような格好で寝ていても、ぴくっとして起き出します。「かわいいね~」「いい子だね~」…あたたかい響きは人間もネコも大好きなようです。キキなんかはしっぽをクルクル回します(気持ち良いときのクセ)。植物も、ほめてあげるとよく成長するみたいですよね。「ぺとっ」…前述したとおり、キキちゃんに効くことば。ニューフェイス★そして私は、「日陰」という言葉を覚えさせようとたくらんでます。というのも、夏の日差しがたいへんキツイので、散歩の際には日陰に入るようにさせたいからなのです。ということで、今年の夏もせっせとモモ&キキに話しかけたいと思います^-^たわいもない話でした。追記大好きなユアン・マクレガー主演の映画「アイランド」と見てきました。あんまり期待しないで行ったのが良かったのか(?)2時間半という長丁場にも関わらず最後まで飽きることなく、なかなか面白かったです。とにかくテンポが良いので映画にそういうものを求める方には、おすすめできます。後味も良かったし……最近後味悪いものばかり読んでいたので、これが一番ありがたかったかな^ ^;
2005年08月03日
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川上弘美『センセイの鞄』という本を読みました。一時期はやったので、ご存知の方も多いと思います。かつての国語教師だった老いた「センセイ」に恋心をいだく、37歳女性のささやかな日常を描いた作品で、舞台は現代社会ながらもこのふたりの会話、呼吸、生活模様が何とも浮世離れしていて、ちょっとしたファンタジーにも思えるような、不思議な世界でした。ただ、「面白いの?」と聞かれたら「う~ん……」とコトバに詰まっちゃうんですよね、個人的には。日本の小説によく見られる、”ストーリーがあって無いような”展開なので、ミステリーやファンタジー好きの私にはちょっと物足りないようです。あっさり淡白すぎて一口で終わっちゃうんですよね。それならばこうして日記を書く必要がないんですけど、いくつか魅力的だった箇所があるので、少しご紹介してみます★センセイの自宅にて。主人公の女性ツキコさんに、センセイはたくさんの電池を取り出して見せる。ものが捨てられない性分のセンセイは、電池さえも後生大事に手元に置いているのである。「おのおのの電池の腹に、『ヒゲソリ』『掛時計』『ラヂオ』『懐中デントウ』などと黒マジックで書いてある。……」「せっせと自分のために働いてくれた電池があわれで捨てられない。今まで灯をともしたり音をならしたりモーターを動かしたりしてくれていた電池だのに、死んでしまったとたんに捨てるとは情のないことだ」私は切れた電池を取っておくなんて酔狂なマネはしませんし、それどころか案外パッパッと捨ててしまう、どちらかというと薄情なタチなのですが、ものをいとおしむ心というのに共感を覚えてしまいました。というのも、何かものを捨てるときは、ちょっとばかし(こういうところに私のズボラさが出ているな^ ^;)キレイにして、「今までありがとうな~~」とお礼を言うようにしてるんですね。誰か他のひとに譲り渡すときは、「これからも頑張ってや~~大事にしてもらうんやで~~」(なぜに大阪弁?)というエールを送りたくなる気持ちになります。それが今まで頑張ってくれたモノたちへの、最低限の礼儀だろうな…と思うんですね。な~んて偉そうですけど、それは自然と私のこころに生まれたのではなく、実はマンガから学んでいたりします^ ^;かなり前の作品ですが、樹(いつき)なつみさんの『OZ(オズ)』というマンガがありました(最近リニューアルされて本屋さんの店頭に並んでるそうです。とっても面白いので、未読の方はよかったらぜひ)。主人公のムトーという男性は少年だったころ、親代わりのおじいさんに育てられていました。おじいさんはオンボロのトラックをずっと愛用していましたが、とうとうそれが動かなくなってしまいます。おじいさんは愛情をこめてトラックをいたわりました。少年ムトーはそれが不思議でなりません。彼は言います。モノは単なるモノだろ、と。おじいさんはやわらかく否定して、どんなものにも命がやどっている…というようなことを言うんですね(すみません、ここらへん非常に記憶があいまいです。間違っているかも。でも確かこんな感じだったと思うのですが)。OZの中でそれは、枝の先についた小さな葉っぱみたいにささいなエピソードなんですけど、なぜかずっとこころの底に残っているんですよね~。フシギ。あとはとにかく出てくる食べ物がどれも美味しそうなのです~~!湯豆腐の描写は圧巻!すぐにでも食べたくなること間違いなし!「醤油を酒で割って削りたてのかつおぶしを散らしたものを、小さな湯のみに入れ、豆腐と一緒に土鍋の中で温める。じゅうぶんにあたたまった土鍋の蓋をあけると、湯気がほんわりとあがる。切らずに丸のまま温められた、ごつごつと目のつんだ木綿豆腐を、箸の先でくずす」ほんわりあがる、とか、箸の先でくずす、という表現にもうメロメロになりました。ほんとうに文章が上手いなあと思います。その他、美味しそうなものがたっくさん出てくるので、食いしん坊さんにはオススメかもしれません^-^次回予告は……やめておいた方が無難ですね^ ^;最近外していることが多いからなあ。なりゆきに任せることにして、ではまた★
2005年07月30日
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とても小さかった頃のお話です。いとこのお姉ちゃんは絵が上手で、かわいいイラストを描いてました。私もそばで絵を描いていたのですが、お姉ちゃんのようにスラスラ描けず、もどかしく思っていたようです(本人には記憶がない…)。そのうち私はお姉ちゃんのえんぴつを奪って、イラストを描き始めました。お姉ちゃんはびっくりしたものの、さすがそこは年長者、違うえんぴつを取ってまた作業に戻りました。ふたりともしばらく黙々とえんぴつを動かします。が、描き終わる前から差は歴然でした。当然ながらお姉ちゃんの絵はきれいで、私のそれは見るもムザンなシロモノです。私はまたまたお姉ちゃんのえんぴつを取ってしまいました。でも何度やってもお姉ちゃんのようにうまく描けないのです。幼心に、私はふしぎでしょうがなかったそうです。ワガママなやっちゃな~~と恥じ入りながらも、お姉ちゃんのえんぴつを「まほうのえんぴつ」と思い込んで、あれがあれば自分もうまく描けると考えた小さな私が、ちょっとおかしく思えるのも事実でした。友達が「五行歌」という創作活動に打ち込んでいて、感性をどんどん磨きつつあるので(情景がさあっと目に浮かんできて、その場の空気さえも立ち上ってくるような、素敵な歌を作っているんです。ご紹介できないのが残念)、私もそれに触発されて、ファンタジー小説をまた書き始めたいなあ…なんて思っちゃいました。で、とりあえずはリハビリを兼ねて、思い出話ときたワケです。これもちょっとしたファンタジーですよね♪あ~~、やっぱり寄り道してしまいました。次回はたぶんゲルマン★レポートです。皆さまのファンタジーな体験をもしよろしかったら、教えて下さい。ネタにしちゃうかもしれませんが^ ^;「五行歌の会」公式ホームページとりあえず入り口から。五行歌ってどういうもの?という方のために。「ほんとう」よりもほんとう(五行歌の新鋭・水源純さんのページ)友達がとても気に入っている歌詠みの方。私も素敵だなあと思いました。みずみずしく、力強さがあります。ブログも面白そうでした。
2005年07月27日
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先週末、長野へ避暑に出かけました。湖としらかばと高原の旅です。出発日はなかなか良いお天気で、ドライブ気分も盛り上がりました。 助手席から一枚。山の稜線がとてもきれいです。こういう日のドライブは気持ちいいですね♪(ちなみに私は助手席に座るとすぐ眠くなってしまいます。うちの家族がそうだったので、ぐーすか寝るのが当然だと思っていたのですが、助手席のひとはナビをやったり、運転手の眠気を覚ますためにおしゃべりしたりと、本来は忙しいものなのですね。あ、でも、さすがの私も運転席に座れば眠さも吹っ飛びますよ~~^ ^;)宿(ダンナの会社の保養所)が白樺湖の近くにあったので、まずは一直線に白樺湖に向かいました。人並みに(?)ボートこぎをし、時間が余ったのでそのあと近くの女神湖へ。女神湖のまわりはスポーツがさかんで、学生さんとおぼしき人たちがテニスをやっていました。私たちは長野県生まれのスポーツ!と書かれた、マレットゴルフとゆーのをやってみました。 マレットゴルフは、ゲートボールのパターゴルフ版と考えてもらえれば分かりやすいと思います。金属製のステッキで、かなり大きめのボールを力任せに転がして(あ、それは私だけでした…^ ^;)ホールにいれるというものです。暑い最中ふうふう言いながら18コースを回りましたが、勝敗の結果は聞かないで下さいね……。マレットゴルフから引き上げる帰り道、コスモスが咲いていました。高原には花が多くて、眼の保養になります★ 保養所はロッジ風の建物で、室内にいても木の香りがただよってきました。一泊二食付きで、ふたりで1万円ちょっと也。保養所さまさまといったトコロです。保養所の庭先にはたくさんの花が植えられていました。車をいつも見張ってくれている番ブタ・バムセも外に出て、高原の空気を嬉しそうに味わっていました。 バムセはぶたのカタチをしたティッシュカバーです。カワイイ!!と一目ぼれして買ってしまいましたが、私以外の人にはあまりウケなかったです……なぜ?(「バムセ」という名前は、児童文学の第一人者・リンドグレーンの著書「ロッタちゃんのひっこし」からもらいました。ちいさなロッタちゃんが大事にしているぶたのぬいぐるみが、「バムセ」なのです)「ロッタちゃん はじめてのおつかい」(映画版)本もオススメです。小さい頃大好きな本のひとつでした。今読んでもおもしろいですね~。長野の旅、まだ続くんですが……ゲルマン★レポートもあるしなあ。次回はどっちに転ぶかな。とか言って、全然違うものをアップさせてたりして^ ^;ではまた!
2005年07月25日
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前々回に引き続き、「ゲルマン民族の大移動」でおなじみゲルマンの人々についてのメモ書きです。おもなネタ本は、古代ローマの歴史家タキトゥス(紀元後55年~120年ごろ)の書いた『ゲルマニア』になります★ところでこの『ゲルマニア』、記述は正確なの?と聞かれたら……頭をかいてごまかすしかありません。おとなりの民族、ケルト人とゴッチャになっていたりと、けっこーいい加減な箇所もあるらしいのです^ ^;しかしここはタキトゥスさんに敬意を表して(?)あえてそこらへんは目をつぶりたいと思います!(って、オマエが一番いい加減だーー!!)前々回は外見などをご紹介したので、今回は地理や経済についてまとめてみますね。もしよろしかったら、ゲルマン★レポート(第1回目)を参照して下さい。戦時に裸になるという話についてコメントをいただいたので、そちらも追記しました。★地理……見渡す限りの森林、あとは沼地がつらなって荒涼な地となっています。ちなみに気候は大陸性気候(雨多く雪深く、冬寒く夏暑く……と、典型的な内陸の気候ですね。今のゲルマニア=ドイツもそうなのかな?)。農業は可能ですが、果樹を作るのは難しかったようです。ゲルマン人にとって果物は縁遠かったのかも?家畜のからだはおおむね小さく、牛たちが最も貴重な財産だったとか。そうですよね~、ミルクもお肉も取れますものね。一粒で二度オトク。ちなみに結婚するとき、夫から妻へ持参品が送られるのですが(むかしの日本では逆でしたっけ?)、持参品のひとつとして牛があったそうです。そして妻から夫へのお返しは、武器のうちの何かひとつでした。これは「平時も戦時もつねにあなたと一緒です…」という、妻のひたむきな愛がこめられているんですね♪ゲルマン人は婚姻をタイヘン強い結びつきと考えていたそうで、ほとんどの夫婦が一夫一妻制(もっとも、たま~に一夫多妻のケースもあったそうですが)を守り、さらには亡き夫に殉死する妻さえいたそうです。いや~、殉死はカンベンって感じですわ……。またまた結婚関係の話で恐縮ですが、ここまでくればゲルマン人たちの結婚適齢期が気になるトコロ(そうかなあ?)。貴重な情報源であるタキトゥスさんも、ローマの政治家&軍人のカエサルさんも、そこらへんは明らかにしていませんが、ヒントらしきものなら見つけることができます。カエサルの『ガリア戦記』によれば、男性の場合、「いちばん遅くまで童貞を守った者がほめそやされる。少なくとも20歳まではガマンしないと、恥のひとつになってしまう」とあります。あまたある我慢大会もこれには真っ青だ^ ^;昨今の日本では逆転現象が起きてますけどねえ……まあ時代も場所も変われば、ジョーシキもまた異なるという良い証拠になりますな。でも気になるのは、いちばん遅くまで童貞を守るのはいいんですけど、女性にモテるモテないというのは別問題だったら、どうすればいいんでしょうか……いいトシしたおっちゃんが、「だれか責任取ってくれ~~!!」って泣いていたら悲しいなあ^ ^;★経済…文明化されているローマの近くに住むゲルマン部族は、ローマの影響を受けて金銀好きですが、内奥では物々交換が行われていたそうです。やっぱり経済の基本は物々交換ね♪地理や経済を…なんていいながら、結局結婚話がいちばん多くなってしまいました。あいかわらずの計画性の無さでございます。またまた夜も更けてまいりました。今宵はここまでにいたしとうございまする。ゲルマン★レポート、では次回にて。
2005年07月23日
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ついに大きな円環がつながりました、エピソード3!スターウォーズファンの私としては、とても感慨深い作品になりましたので、いろいろ語ってみたいと思います。(ゲルマン★レポートは次回でがんばります^ ^;)すみませんが、相当ネタバレしちゃっているので、これから見に行くという方は避けて下さい。申し訳ありません。まずは「スターウォーズってよく分からん!」という方のために、豆知識を♪スターウォーズの舞台は、宇宙のかなた、高度に文明化されたとある世界におかれています(オープニングではおとぎ話風に、はるか昔の銀河系、遠い遠い場所で……といった感じで口火が切られます。宇宙船がビュンビュント飛んで、あげくの果てには宇宙戦争やってますけど、”はるか先の未来”ではないんですよね)監督のジョージ・ルーカスは、1作品ではとうてい収まりきらない壮大な物語を構想し、それがスターウォーズシリーズとなりました。なので、本来はエピソード9まで予定していたそうなのですが、映画化されたのはエピソード6までで(エピソード7・8・9はもう作る気がないみたい……)、下のような構造になっています。旧三部作(エピソード4・5・6)最後のジェダイの騎士と成長していく青年・ルーク=スカイウォーカーの物語。ド田舎な星で育った素朴な青年・ルークが、強大無比な帝国軍にたちむかう反乱軍に身を投じ、銀河に平和をもたらすまでが描かれています。新三部作(エピソード1・2・3)ルークのお父さん・アナキン=スカイウォーカー(これまたジェダイの騎士)の若かりし頃をえがいた作品。愛する人のために苦悩し、愛する人のためにチカラを欲したアナキン父ちゃんが、フォースの暗黒面(これをダークサイドといいます…そのまんまやね)にうっかり落ちてしまい、ついには悪の権化・ダースベーダーになってジ・エンド!!…って、なんかとんでもない終わり方してますよね。そーなんです、けっこうヒドイです。旧三部作に親しんでいる私は、「あ~、これでやっと物語のすべてがつながった…」と、感動のため息をついてしまったのですが、あまり思い入れのないダンナは、「救われない…スッキリしない…」とヘンな顔をしていました。なので新三部作から入った人は、かならず旧三部作にすすむことを強くオススメします。もっとも、いきなり画面が古くなるからビックリ仰天ですけど^ ^;(注…ジェダイの騎士とは?神秘的なチカラ・フォースをたくみにあやつり、世界の平和と安定に尽くす選ばれし騎士たち。ただこのフォースというのがクセモノで、暗黒面というのが存在しているのです(人のこころのように…)。しかもこの暗黒面のフォースの方がなんかハデで強いので、ついつい誘惑に負けちゃうジェダイたちもいるのですね~。そうなると恐怖の大魔王なみにはた迷惑な存在になります。フォースというのは善悪、表裏一体のおそろしいチカラともいえますね)さてこのように「父-息子」と二本立てになっているスターウォーズ作品なのですが、アナキン父ちゃんに視点をあわせると、じつはひとつの大きな円環になってつながっているのが分かります。というのも、アナキンという青年は「フォースに調和をもたらす者」と予言された特別な存在でした。この予言は、アナキン父ちゃんがダークサイドに落っこちた時点で「アレ?調和どころかどんどん悪い方向へ傾けちゃっているよーな…」という感じを受けるのですが、アナキンの愛した人が死の間際、双子(このかたわれがルーク)を産み落としたあとで「あの人にはまだ善のこころが残っています…」と言い残すのです。そして実際、帝国軍の皇帝(ダークなフォース満々の、諸悪の根源だ!)をの息の根をとめたのは、息子ルークによって善のこころに目覚めたダースベーダー(アナキン)だったのです。予言はエピソード6まで行き着いて、やっと成就されたのでした。そのため、ルーカス監督は「スターウォーズはアナキンの贖罪の物語」と語っています。贖罪かあ、なるほどね~!と眼からウロコが落ちたのですが、同時に「アナキンの帰還の物語」という感じもしたのでした。エピソード6のサブタイトルは「リターン・オブ・ジェダイ」でして、日本語のタイトルでは「ジェダイの復讐」となっていたんですけど、物語のおわりはやはり「帰還」であってほしいんですよね~。大好きなSF作家、アーシュラ・ル・グィンという方は、帰還というのを重要なモチーフにしています。全体であることは 部分であることだ真の旅は 帰還である(『所有せざる人々』早川書房 1986年)ロード・オブ・ザ・リングも最後の作品は「王の帰還」でしたし、主人公のひとり、サムがなつかしい家に帰るところで幕を閉じています。アナキンの旅は何ともつらく苦しく、人々にも多大な痛みをあたえたものでしたが、最後はジェダイとして帰ってきた、これが長い旅のおわりだったのでした。な~んて長々と語っちゃいましたが、結局は、「オビ・ワン=ケノービ(俳優さんはユアン・マクレガー)ちょーカッコよかったよ~~~~~~!!」の一言に尽きるんではないでしょうか…。 (じゃ、こんなに延々と書くことなかったって?ホントだわ……)では次回はゲルマン★レポートの二回目にいきます♪
2005年07月20日
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9月からの授業では、「ゲルマン人」が主役になります。「ゲルマン民族の大移動」でおなじみの彼らですが、名前ほどにその実像は知られていないので、自分の授業のためにもちょっとメモ書きしておくことにしました。前々回のを引きずって、文化人類学っぽい話になりそうです。よかったらお付き合い下さいませ♪ゲルマン人は北方のバルト海沿岸を原住地としていたが、ケルト人を追いながら南下し、紀元前後には、ローマ帝国と境を接するライン・ドナウの両河まで進出した。(宮崎正勝『早分かり世界史』より)古代の覇者・ローマ帝国を悩ませたのが、勇猛なゲルマン民族の人々でした。ローマ人たちとはあまりに違う彼らの生態に、やはり相当好奇心がくすぐられたようでして、ローマ人の手によるゲルマン・レポートがいくつか残されています。カンタンに入手できるのがこちらの二冊です。ユリウス・カエサル(紀元前100年ころ~紀元前44年)『ガリア戦記』講談社 1994年(本屋さんでこれを探してもらおうとしたら、「ゲーム本ですか?」と言われた思い出があります。分からんでもないなあ^ ^;)「賽は投げられた」「ブルータス、お前もか!」など名台詞を多く残している、ローマを代表する軍人&政治家のカエサルですが(昔はシーザ-って言いましたよね~)、文章家としての才幹も相当なもので、これほど簡潔かつ的確に表現できる作家は少ないのでは…と思います。タキトゥス(紀元後55年~120年ごろ)『ゲルマニア』岩波文庫ローマの歴史家タキトゥスのゲルマン人レポート。退廃した同胞に嫌気がさしていた彼は、ゲルマン人を「高貴な野蛮人」ととらえていたらしく、この『ゲルマニア』にもローマ社会への批判が多分に入っていたのではないか…と思われます。といっても、実際に彼自身がゲルマン社会に直撃取材したワケではないよーで、したがって記述もあんまり正確ではないらしいです。ちょっと悲しい……。まずゲルマン人の外見をピックアップしてみましょう♪『ゲルマニア』によれば、彼らは「ただ自分みずからだけに似る」種族、つまり身体の特徴がすべて同一ということになります。日本人みたいなものですかね~?(ひっくり返せば、ローマ人はいろんな外見の集まりだったのかな…って気もしますよね。今で言う多民族国家だったのかなあ?)タキトゥスはこのコトバのあと、くわしく容貌や体質を語ります。鋭い空色の眼、髪はブロンド、長大にして、強襲のみに力を発揮する(つまり持久力にとぼしく、戦闘になるとがぜん強くなるタイプだったようです。短距離走者向き?)。寒気・飢餓にはよく慣れているが、逆に乾きと暑さはてんでダメ。皮膚は白い。男女ともにあらい毛織の布または獣皮を外套の代わりにする。裕福な者は内側に衣を着て、下半身も覆うようなズボン?みたいなのもはく。ただし男の場合は、戦時となると裸になるのがフツーだったらしい(そんなんじゃケガしちゃうよ~!!と心配になっちゃいますが、それだけ戦闘に自信があったのかもしれませんね)。夜も更けてまいりました。ゲルマン人レポートはまた次回。(7月23日追記)artaxerxesさんから戦時についてのコメントをいただきました。こちらに引用させていただきます。どうもありがとうございました。「戦いのときに裸になるのは、ゲルマン人とローマ軍の挟み撃ちにあったケルト人もそうでした。彼らにとっては自分の勇気を誇示するための行為だったようで、中には素っ裸で長剣一本を振るって敵陣に躍り込む者もいたようです。 戦争をビジネスのように考えていたローマ人(カエサルなどはそうでしょうけど)に、あくまで個人的武勇の発露と考えていたケルト人が敗れたのも仕方ないようです。ゲルマン人は森に潜んでいてローマ軍が得意の戦術を発揮できなかったので撃退できたようです」
2005年07月17日
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前回予告したゲルマン人の実像を書こうとしたら、思いのほか時間がかかりそうで、仕切り直しすることにしました。というワケで、何だかまったり気分になってしまったので、今日はお気に入りのカレンダーのご紹介をば★「カレンダーは元旦明けてから買え」という格言が……あるわけありませんね、今作りました。すみません^ ^;とはいえ年明けてからカレンダーを探しに行くと、割引されているものも結構あるので、この楽しみを知ってしまった昨今では、師走ごろにあらかじめ準備しておくなんて事が出来なくなってしまいました。あ~、安売りってハマッちゃいますよねえ。今からご紹介するカレンダーはぐうぜん店先で見つけた品物で、半額で売っていたのを即購入しました。ふつうのイラストが立体的になり、しかもキュートなのでとってもお気に入りの一品です。ためしに7・8月のページを載せてみますね。これがはじめの状態です。 下に小さく印刷されている注意書きのとおり、魚の口元のハニカム(立体部分)を起こします。 ハニカムをぐるっと360度回転させて(正確にいうと340度ぐらい?)切り込みをさしこんだら出来上がりです。このページはかなりこっています★ 9・10月はハロウィンにちなんでカボチャ、11・12月はサンタクロースなので、まだまだお楽しみはこれからだ~~♪文房具屋さんをウロチョロするのが大好きなので、また何か面白いものをゲットしたらそのつどアップしたいな~と思います。「ちょっと楽しい文房具の旅」ということで勝手に連載予定。ただしひっそりと不定期に…。次回こそはゲルマン人にいくといいなー。ではまた!
2005年07月16日
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世界にはいろんな家族のカタチがあるということで、文化人類学の本にのっていた興味深いネタをご紹介します★まずは育児の担当から。★パターン1…お父さんとお母さんが全く平等で育児をおこなう。(ニューギニアのマウンテン・アラペッシュ族のやり方でして、不思議なことに、こういう風にしているとお父さんも”母性的”になるんだそうです。優しくて細やかな心づかいができるとか……母性って女性だけに備わったものかと思っていたんですが、違うんですねえ)★パターン2…両親と縁者が育児をおこなう。(サモア島のお話。縁者というのは主に6~7歳の少女でして、弟妹の世話をまかされるそうです。戦前の日本もそんな感じでしたよね~)他にも縁者&非縁者、個人&集団というサンプルがあったのですが、忘れてしまったので以下省略。次に、いろんなタイプのお父さんをば。★パターン1…トダ族(南インド)の一妻多夫制女性はひとりの男性と結婚するのでなく、兄弟ぜんたいに嫁ぎます。そして第1子の出生前にある儀礼を執り行った男がお父さんになります。次々に子が生まれても、お父さんはその一人きりになります。しかし、他の兄弟はどうするんでしょうね~?なんかヒマそうだなあ。★パターン2…ヌーア族(東アフリカ)のゴースト・ファーザー男と女が結婚します。女が妊娠しますが、男は出産を待たずに亡くなってしまいます。すると女は、その男の兄もしくは弟と結婚します。女と結婚した兄(弟)は、亡くなった者の名前をもらって、生まれてきた子のお父さんになります。つまり、故人のゴーストとなったわけですね。ロマンチックな感じですよね~~♪昨今騒がれているテーマ・少子化にちなんで、育児のバリエーションを調べてみたかったのですが、まだまだ資料不足でした。しかも文化人類学って面白いので、すぐわき道それちゃうし…^ ^;よー分からん記事になってしまってすみません。次回はゲルマン人の実像にせまる!というネタでいくかも。これまたナゾのテーマですなあ^ ^;
2005年07月13日
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座右の銘、といえばカッコイイのですが、まあ要は「困ったときだけ思い出す」ピンチヒッター的なコトバがありまして、その現物を見るためになつかしい本をあさっていました。高校生のときにハマり、大学生になってまたハマッたその本は……田中芳樹『銀河英雄伝説』(ちなみに全10巻)といいます。有名なシリーズなので、ご存知の方もきっと多いはず★(ここで太宰治とか夏目漱石を出せばサマになりそうだけど……しょせん私はミーハーに出来ているみたいです^ ^;)舞台こそは未来の宇宙とはいえ、異なる勢力が火花を散らしてぶつかり合い、その下で個性豊かな知将・勇将・名将が縦横無尽に駆け回るさまは、不朽のベストセラー『三国志』をほうふつとさせます。さながら、スペースオペラ風『三国志』と言ってもいいかな?もっとも文体は窮屈で、分かりづらい比喩が多くて、個人的にはそこが引っかかるんですけど、冒頭から繰り広げられる二人の天才の駆け引きに、ハマッてしまえばも~~あとは一直線!寝るのも惜しんで読み通してしまうの間違いなし。すぐれた独裁政治VS腐敗した民主主義というイデオロギー対立もあるので、政治の面からとらえてみても興味深いかもしれません。ただひとつ、このシリーズには大いなる落とし穴があります。『三国志』と同じく魅力的なキャラクターが多数登場するため、だれを好きになるかはまさに十人十色なのですが、イチに戦争、ニに戦争、サン・シがなくてゴに戦争という有様なので、不慮の死というのはどのキャラにも訪れる可能性があるワケです。つまり、物語半ばにして倒れるキャラがいるということで、その人がお気に入りであればあるほど、いなくなってからの展開はもう「どーでもよくなる」恐れが出てくるんですよね~~。ぶじに"完"を見れたひとは、案外少なかったりして……^ ^;(かくいう私も高校生のときは、途中でやめたクチでした)内輪ネタになっちゃいますが、私の好きなキャラはこの2人です★威厳のカケラもなくて、軍人をさっさとやめたいけど年金がほしさに嫌々がんばっている(といいつつ、ネはけっこう勤勉だったりする…)、主人公のひとり、ヤン・ウェンリー提督。天才的な戦略家。用兵のスピードはピカイチ、やや小柄で少年っぽい顔つきながら勇猛な名将でしられる、ミッターマイヤー元帥。でも奥さんにラブラブ。きっと初恋の女の子が奥さんだったにちがいない。30歳になろうとも純情一直線。その他、チョッピリしか出てこない地味で渋いキャラもいい味出しているので、そういうところから発掘(?)してくるのも醍醐味だったりします。探していたコトバは結局見つからなかったので、記憶をもとに書き付けておきます。今では自分の好きなよーに解釈して、おおいに励ましてもらってます。ヤン・ウェンリーが庇護している少年に言ったことば。年若くして大役をになった少年は、苦境のさなかにこれを思い出します。「半分が味方になってくれたらたいしたものさ」
2005年07月11日
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昨日はジメジメした記事になってしまい、申し訳ありませんでした。うっとうしいのは梅雨のお天気だけで十分ですな^ ^;今日ちょっと話をしてみて、想像したよりは悪い方向に行かなかったんですけど、それでもまだまだヘコミ中なので、この話題から離れておいた方が無難かな~と思いました。気が向いたら後日談みたいなのを書くかもしれません。しかし仮にそうするとしても、当分寝かせておいて、冷却期間を置いてから…にしておきますね。色々お言葉をかけていただき、ありがとうございました。いつも長ったらしい記事を書いているので、今日はコンパクトに。現在、近所の友達と早朝にウォーキングしているのですが、その途中で彼女がだしぬけに言ったのが……「一千万当たったら、ふとん乾燥機が欲しいんだよね~~」なぜにふとん乾燥機??デカイ金額の割にはあまりにささやかな願いで、そのアンバランスさに私とダンナはつい笑ってしまいました。私は彼女より金遣いあらいかも。一千万円当たったら、防音をほどこした部屋を作って、名だたるパイプオルガン工房に、世界で一つだけのパイプオルガンを注文するのです~~♪♪な~んて妄想がふくらんでいたら、言いだしっぺの当人が冷静に一刀両断。「でもさ~、取らぬ狸の皮算用やってるようじゃ当たらないんだよね~」いっきに夢がしぼみました……。皆さんが夢みる使い道は、どんなものですか?もしよかったら教えて下さい☆(ふとん乾燥機とパイプオルガンは絶対ないだろうなあ^ ^;)
2005年07月07日
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最近の学校の流れとして、先生が生徒を一方的に評価するだけでなく、生徒側から先生の授業や姿勢を点数化したり、コメントしたりする動きが挙げられます。ウチの高校では学年末にそれをやると聞いていたのですが、なぜか夏休み直前の今週に、授業評価のノルマが課せられてきました。で、内心ドキドキしながら、世界史Aという授業でそれをお願いしてみました。評価の仕方はカンタンで、14ほどの項目にそれぞれ次の点数を入れていくものです。4(とてもあてはまる)3(ややあてはまる)2(あまりあてはまらない)1(まったくあてはまらない)授業後に回収して、おそるおそる集計したのですが(集計は本人がやらないといけないので、精神衛生上かなりよろしくないような気がします^ ^;)……全項目で平均3点以上はクリアーし、コメントもおおむね好意的だったので、小心者の私はとりあえず一安心しました。しかし中には、本質を突いた手厳しい意見もチラホラ…。「授業は楽しいけど一方的というイメージ」そうなんですよね~。私は生徒に質問したり、考えさせたりするのが苦手で、つい自分で説明するのに終始してしまいます。もう少し双方向のコミュニケーションができればいいな…と常に思っているんですが、結局「思うだけ」で、いつも一年が終わってしまうんですよね。「良薬耳に痛し、だもんな~。よく書いてくれたよなあ」と、批判をありがたく頂戴しつつも、やっぱりそれなりにヘコむので、人間ってほんとヤッカイな生き物です。しかしそんな良薬が吹き飛ぶほどの、キツイ言葉がありました。私は黒板の内容をノートに書き写すスタイルをとっていまして、字だけでなくイラストも多用しています。カンタンな人物(てるてる坊主に似てるので、友達は「てるてるくん」と名づけてくれました♪)を書いて、漫画風に吹き出しでセリフをいれるだけで、ややこしい関係などもスッキリ分かりやすくなるからなのです。これは毎年やっていて、とても好評でした。イラストがあるとノートがぐっと親しみやすくなるし、ビジュアル世代ですからその方がスッと頭に入ってくるみたいなんですね。もちろん中には「何で絵を描かなくちゃいけないの?」とか、「面倒くさいよ」という苦情もあったのですが、聞き流せる程度でした。しかし今回は、プリントをめくっていた手が止まってしまいました。「人を書いて吹き出しを入れたり、!マークを使うのはやめてほしい。黒板がすごく見づらいし、何か不快な感じだから、絶対やめてほしい」黒板が見づらい…というのまでは納得できました。でも不快という言葉は、まったくの異物でした。人に不快な思いをさせるのはとっても嫌なことです。一生を通じて人畜無害ではいられないでしょうが、なるべく人様に嫌な思いをさせないよう、気を使っているつもりでした。だからこそ、この言葉は胃にズシンと落っこちてきて、離れられなくなりました。何ともキツイ言葉です。しかも原因がよく分からないのですから、モヤモヤが募ります。改めるべきところは改めないといけないですが、イラストや!のどこがそんなに嫌だったのか……正直見当がつきません。明日本人に聞いてみた方がいいな、と思いつつ、このスタイルをやめる気はないので、話し合ってみても平行線かもしれません。それにしても言葉というのは、使うのはいともカンタンなのに、人に与える打撃の方ははかりしれないものがありますから、やっぱり注意せないかんな~~と痛感しました。オトナだって傷つくんですよね。もちろん、自分のことを信じるようにはしてますけど。こういう時はいいことの方をたくさん考えるべき。悪いことってなぜか体重が重くて、たった1つだけでシーソーをバコンと下げてしまいますから。長々とどうもすみません。たぶん時間がたてばおさまるでしょうから、いずれこの記事も消すかと思います。追記(こんなのに追記もどうかと思うんだけど…^ ^;)このコトバの裏を私なりに色々考えてみたところ、彼はもっとマジメな授業を求めているんじゃないかな~という気がしてきました(男の子って歴史好きが多いですから…)。ユーモアをからめたり、イラスト多用したり…というのは、彼の目には「ふざけてる」と写ったのかもしれません。だからといって、私はマジメな歴史をやる気はないんですが^ ^;なぜって人を驚かせたり、楽しませるのが大好きだからです♪
2005年07月06日
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突然ですが、もうすぐスターウォーズエピソード3「シスの復讐」が公開されますね。もっとも、個人的には旧3部作(その中でも第1作と第2作がサイコー!)がお気に入りなので、話があちこちに飛ぶかもしれませんが、ご容赦下さい^ ^;ということで、落書きくまくま見参!さて、落書きの犠牲……いえ、題材としておもしろいのはやっぱり惑星ナブーの女王・アミダラ様ですね~。エピソード1「ファントム・メナス」のパンフから2ショット書いてみました。パンフには設定がハッキリ定まっていない頃の初期デザインもあって、見ているだけでもとっても楽しいです。図の左側は、映画では採用されなかったよーな気がしますね(それにしてもこの髪はどうやって巻いてるんだろ?)。右側は映画の中で、一番インパクト強かったお姿です。どーにも忘れられなかったので、ついでに加えてみました。色もつけたのでハデハデです。しかしアミダラ様、さすが女王陛下だけあってものすごい数の衣装をお持ちです。何といっても出てくるシーンごとにお色直し。星間を移動することも多い方ですから、衣装ケース用に宇宙船がまるごと一隻用意されているんじゃないでしょうか。おそろしや…。そして最大の疑問は、一体ナブーという星はどういう民族衣装をしているのか?という点に尽きます。というのは、アミダラ様のコスチュームを見比べてみると、中国風あり、日本風あり(文鎮高島田みたいな髪型してるし…)、欧米のドレス風あり、とかなりひどいチャンポン状態になっているからです。フツー民族衣装というのは、その地の風土・民族的特徴・生活習慣などから徐々にかたちづくられて……もちろん外国からの影響は受けますけれど、それすらも時の流れの中で消化されて……ある一つのしっかりとしたモデルが出来上がる、そんなイメージがあるんですよね。そう考えると、アミダラ様のファッションには統一性がありません。もっと言えばその地独特の雰囲気がありません。もっとも「別にコレ、民族衣装じゃないんですのよ」と言われたらおしまいですけど^ ^;ただ、女王は外交のカナメですから、公式の場には民族衣装を着てこられるような気もするし。まあいずれにしても、民族衣装大好きな私としては、既存のファッションに頼るのではなく、デザイナーさんの独創あふれる(そしてある程度一本化された)ファッションが見たかったですね~~。残念!!スターウォーズの監督ジョージ・ルーカスが黒澤明監督の影響を多分に受けた、という話は有名でして、記念すべき第一作目は、黒澤明の映画「隠し砦の三悪人」とかなり似通った部分があります。冒頭でロボット二体が漫才の掛け合いのよーなことをしながら、砂漠を歩くシーンは、「隠し砦~」のオープニング(にわか兵士となった情けない農民2人のボヤキ合い)とソックリですし、思い切ったテンポの良さも両者ともに共通しています。「隠し砦~」は他の監督の名作に隠れて、あまり知られていない作品なのですが、なかなかユカイツーカイな映画だったりします。豆粒のよーなショットでもインパクトありすぎな三船敏郎!!色気の無さはおそらく史上ピカ一、気が強いだけで演技超ドヘタなお姫様!!武士道なんてどこへやら、「裏切り、御免!」のひとことですべてを済ませるオヤジサムライ!!(この映画を見たあと、「裏切り、御免!」が一時期口ぐせのようになりました。何かクセになるんですよ、コレ^ ^;)そして何よりも傑作なのは……一体三悪人ってだれのことなんだ?!最後まで分からんではないか!!……などなど、見どころ満載です(ホントかよ!)。機会があればぜひどうぞ。民族衣装がチラっと出てきたから、次回はこのネタでいくかな?ではでは♪
2005年07月04日
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逃れられない宿命に、真っ向から立ち向かう人々ということで、前回は「砂の器」を取り上げました。今回はギリシア古典劇「オイディプス王」です★ソフォクレス(紀元前496年頃~紀元前406年)作「オイディプス王」物語はギリシアのテーバイという場所から始まります。テーバイの王ライオスは、「わが子に殺される」という予言を恐れて、誕生したばかりの赤ちゃんを羊飼いに命じて山に捨てさせます。しかし羊飼いはこの子を見殺しにするのもしのびなく、めぐりめぐってコリントス王夫妻のもとへ預けられることになりました。赤ん坊はコリントス王夫妻の実の子として育てられます。名はオイディプス(腫れ足)。赤ん坊の時分から、くるぶしのあたりが腫れ上がっていたので、こう名付けられました。成長したオイディプスはある日、父と母が実の両親ではないといううわさを聞きます。それを確かめに神殿におもむくと、さらに過酷な予言が彼を待ち受けていました。神アポロンは冷徹にこう宣言したのです。「おまえは父を殺し、母と交わるだろう」神託のあまりの恐ろしさにおののくオイディプス。彼はコリントス夫妻のもとを離れることにし(彼にとって実の父母は彼らですものね)、テーバイへと向かうことにしました(いや、だから何でそっちに行くのよ……って突っ込みいれるなって?)。途中、道が三叉路になっているところで、オイディプスは老人に出くわします。道を譲る譲らないと言い争いになっているうち(う~ん、どっちも大人気ない…)、頭に血が上ったオイディプスは老人を殺害してしまいます。まさに短絡的殺人ですね。ワイドショーとかで相当たたかれそう。オイディプスはその後もてくてくと進んで、ついにテーバイにやって来ました。テーバイはその頃、ナゾナゾ大好き怪物・スフィンクスによって苦しめられていましたが(このときスフィンクスがもちかけていた謎というのが、有名な、「あるときは二本足、あるときは四本足、またまたあるときは三本足、でも声は一つの生き物はな~んだ?」というヤツです。正解は最後で♪)、みごとオイディプスによって撃退され、その手柄を認められて未亡人だったテーバイ王妃と結婚することになりました。オイディプスは今や、おしもおされぬテーバイ王です。愛する妻との間にも4人の子どもが生まれました。威厳があり、善政をしき、多くの民の尊敬を集めています。まさに人生絶好調!!ヨサコイダンスだろーとマツケンサンバだろーと、何でも踊っちゃうね!!(なぜ…?)……が、そんな花盛りのテーバイに暗い影が落ち始めたのです。きっかけは悪疫の流行でした。色々手を尽くすも猛威は一向におとろえません。困ったオイディプスは再びアポロンの神託をうかがいました。アポロンはこう告げます。「このわざわいの原因は、先王ライオスを殺した者が罰も受けず、のうのうとこの国で暮らしていることから発している。その者を捕まえて国外追放すればこのわざわいは収まるであろう」あー、もうオイディプス、これ以上足を突っ込んだら危険だよ!とそろそろ叫びたくなるあたりです。しかし名君たるオイディプスは、まさか自分が張本人だとは思いもよりません。今こうしてテーバイ王におさまっているが、先王はわたしの父も同然である、なんとしても犯人を捕らえてみせよう!とますます気負いだってしまいます。そこで連れてこられたのが盲目の予言者でした(何でもかんでも予言や神託に頼っちゃうのね…まあ仕方ないですけど^ ^;)。予言者は犯人を、つまりオイディプスが何者であるかを、そして彼の犯した罪の大きさを知っています。だからこそかたく口を閉ざすのです。「ああ、知るとは何と恐ろしいことだろう」世の中には知らない方がいいこともあるのだ…という皮肉な真実を、見ている私たちにも突きつける、まさに息詰まる瞬間です。真相をきびしく問い詰めるオイディプス。王としての責務ももちろんあったと思いますが、「自分だけは絶対に違う」「自分は正しい」というおごりがあった事も否めません。結局予言者は口を割らず、その代わり何も知らない妻からオイディプスは先王の死の様子を聞かされます。神託なんてあてになりませんわ。なぜって、あのひとは実の子に殺されると告げられましたけど、子どもはとっくに死んでしまい、あのひと自身は三叉路で殺されましたのよ。オイディプスの顔色が一変します。まさか……まさか、あの老人がライオス王その人でなかったか。万が一そうだとしたら、この妻は、わたしの母親にあたるのか?!暗い予兆にふるえながらも、なお真相を求めようとするオイディプス。飛び込んでくる風評に一喜一憂しながらも、ついには恐るべき事実をつかんでしまうのです。それは、すべてが予言どおりに成就した瞬間でした。殺してはいけない人を殺し、愛してはいけない人を愛した自分は、目が見えていながら何も知っていなかった。彼はこう叫ぶと妻の衣のピンを引き抜き、何度も何度も自分の眼を突き刺します。盲目となることで、自分の過酷な運命を今度こそ直視しようとしたのです。こうして、テーバイの良き王だったオイディプスは、一転してもっとも唾棄すべき犯罪者として国を追われることになりました。……かなり長くなりましたが、物語の大筋になります。どんなにあがいても宿命から逃れられない……というのは「砂の器」と似ているのですが、非常に興味深いのは、これほどの大罪を犯しながらもオイディプスが生き延びる道を選択したことです(妻であり、母であった女性は自殺しています)。そして自分自身の手でみずからを罰した(眼をつぶした)ことで、ささやかではありますが、無情な宿命=神々に反抗してみせた……という風にも思えるのです。さんざん宿命にもてあそばれたが、これもまた自分の人生である、後始末ぐらい自分の手でつけてみせる…!という彼の意地が感じられるんですね。「砂の器」の主人公は、その後どのような道を選択するのでしょうか?オイディプス王を見ていくと、そこにとっても興味が湧いてきます。およそ2600年というときを越えて、作品同士がつながり合う面白さ、そして神秘……だから歴史はやめられないのかな??次回は久々に、落書きくまくま参上かも。ではまた♪追記1:スフィンクスの謎の答え「人間」小さいときは四本足(はいはい)、成長するにしたがって二足歩行、そして晩年はもう一つの足=杖をついて歩くので、三本足になります。追記2:今回の記事はこちらをもとに書かせていただきました。入門編としてベストだと思います。丹羽隆子『はじめてのギリシア悲劇』講談社現代文庫 1998年
2005年06月28日
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土曜日放送の「王様のブランチ」という番組で、映画ランキングというのをやっているのですが、ミニシアターランキングで松本清張原作の「砂の器」がみごと1位に輝いたそうです。「砂の器」は最近スマップの中居クン主演でドラマ化されましたが、こちらはかなり昔の映画でして、若い頃からシブかった加藤剛さんが演じていらっしゃる作品です。あらすじをカンタンに紹介しますと…地方から出てきた男性が殺害されるという事件が発生。刑事たちはその男の話していた方言を頼りに、身元と犯人を探り出そうとします。苦労の末、捜査線上に浮かんできたのは、若き新進気鋭のピアニスト(これが中居クンであり、加藤剛さんであります☆)でした。被害者の男性は、ピアニストがどうしても秘密にしておきたかった少年期の彼を知っていたがゆえに、殺害されたのです。ピアニストの父は(すみません、ここらへん記憶があいまいなのですが、たぶんこの病気だったと思います)ハンセン氏病をわずらっていたため、一箇所に定住することができず、各地を転々とする日々を送っていました。そして少年だったピアニストも、父とともにみじめで苦しい放浪を強いられていたのです。過去と決別し、自力で輝かしい未来を手に入れたピアニスト。しかし宿命の前では、彼の努力も悪あがきも、しょせんはもろく崩れ落ちる「砂の器」に過ぎませんでした。終盤、自分が逮捕されるのを知ってか知らずか、コンサートホールで自作の曲「宿命」を朗々と演奏するピアニストの脳裏には、ずっと封印してきたあのつらい日々が何度も何度も押し寄せてきます。美しく悲しい旋律をバックに、各地をさまよい歩く父と少年……(ここがとにかく圧巻です!)……そしてコンサートホールの末尾には刑事のすがたが認められ、やるせないうちに幕を閉じます。原作を読んでいないので、ドラマ版と映画版とどちらがより忠実なのか分かりませんが、犯人(ピアニスト)がひたすら苦悩しまくるドラマ版よりも、前半は推理でハラハラし、後半にピアニストの苦しみがいっきにあふれ返る映画版の方が私は好きでした。中居クンはなんか往生際悪いッ!って思っちゃうんですよね~。というより、中途半端に善人かな?最初から「人を殺しちゃったよ、オレ…どうするよ、オレ…」と後悔しちゃっているので。その点加藤剛さんは(表面的には)落ち着き払っていて、どんな手を使ってでも宿命に立ち向かうという悲愴な決意をしているためか、人を殺したことに対する動揺とか、後悔とかがあんまり感じられません(それもニンゲンとしてはどうよ?という問題はありますけど^ ^;)。そもそも何の罪も無い男性を殺すと決めた時点で、いやもっと前かな、過去を完全に葬り去ると決めた時点で、ピアニストは最大最強の敵=宿命と戦う覚悟をしていたような気がするのです。ニンゲンがどんなに頑張っても、どんなにあがいても、打ち破ることのできない宿命。私は運命論者ではありませんが、それでもやはり、無情な宿命の存在を感じざる得ない出来事って確かにあるんですよね…。「砂の器」が今だに多くの人々の感動をさそうのは、宿命から逃れられないことに薄々気付いていながら、それでも力の限り立ち向かおうとする人間の強さ、哀しさをまざまざと見せてくれるからではないか…と思います。「砂の器」第1位!という話を聞く前に、世界史の授業で、ギリシア古典劇「オイディプス王」の内容をちょっぴり紹介していました。こちらも宿命に翻弄される人々の悲しくも壮絶な物語です。ギリシア古典劇とは??(紀元前5世紀ころもっとも盛んになりました★)主に悲劇と喜劇に分かれています(悲劇の方が作品数多いかな?)。劇場は斜面を利用した半円形の観客席(テアトロン…シアターの語源)&すり鉢型の底にあたる円形のオルケストラ(ここで合唱隊が歌います♪)&その後ろに舞台と楽屋というつくりになっていました。舞台では仮面をつけた役者が演じて、その合間にオルケストラで合唱隊(コロス…コーラスのコトバのもとになりました)が歌う、という風に劇は進行していったそうです。悲劇・喜劇ともに競演形式で、上演は数日に及び(古代ギリシア人は演劇が大好きだったんですね~~!)、市民の審判員が投票して順位を決定していました。(参考…「最新世界史図表」第一学習社)ホントは「オイディプス王」のあらすじにも触れて、宿命のお話をもう少しふくらませたかったんですけど、実はすでに一回消してしまって、泣く泣くまた書きました(何回やってもこりないヤツだ…)。記事が長くなってる事もあるので、次回に続けます★(追伸:映画版「砂の器」のストーリー、大筋では合っていると思うんですが、記憶をもとに書いているので、細かい部分で間違いが発生しているかもしれません。ご指摘いただけたら幸いです)
2005年06月26日
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仕事などであわただしくなってしまい、すっかりパソコンから遠ざかっていました。長い留守中にご訪問いただいた方、無駄足になってしまってすみません。ということで、えらく間が空いてしまいましたが、ミステリーな(先々)週末の後編です。謎解きリベンジなるか?!土曜日、これまた夕方。ドライブの帰りにブックオフに寄り、目当ての本を無事に発見する。が、中古の文庫というのに400円。普段の私なら買うのをためらう値段だが(ショボイね~~)、背に腹はかえられない。即ゲット。今回は容疑者が3人。男がふたりに女がひとりという内訳だ。前回は3人称で語られたが、今回は容疑者それぞれの独白というカタチをとり、代わる代わるバトンを引き継いでいって、ひとつの物語を作り上げている。よっしゃー、今度こそ真犯人を当ててやる!!と息巻いて読み始めると……のっけからいや~な予感がする。これはひょっとして、もしかして……禁断の近親相姦ですか…?美しい兄と美しい妹。これはマズイです、ヤバイです、そしてもう予感じゃなくなってるです。アンタら、既成事実だったんかー!!刺激の強すぎる幕開けに本来の目的を忘れて目を血走らせていると、アヤシゲな女性の登場。やっと我に返る。そんなヒマあるなら、手がかりを探せー!!(仕切り直しで、手がかり探索中)しかし今回の被害者はとにかくひどい男だ。これじゃあ殺されても仕方ない。同情の余地なし、というコトで一刀両断し、ひたすら数合わせに熱中する。足し算に引き算、算数はあまり好きじゃないけれど、計算がどうやらネックのように思われるので頑張るしかない。禁断の恋に引っ張られそうになりながらも、計算計算また計算(そんなにはしてませんが^ ^;)。自分、かなり気合いいれました。それなのに、それなのに…またまたさっぱり目星がつかない。しかも終盤に入るとドンドン新事実が出てきて、そのたびに数字も二転三転、したがって今までやってきた数合わせがほとんどムダになってしまっている……。ページはあと残りわずか、めくってめくって、ついに恐怖のラストシーンを迎える。探偵役の刑事が真犯人を指差す。きっぱり断じる。「あなたが犯人です」だから、何で名前を言ってくれないのよ…(涙目)……ということで、何ともムザンな結果に終わった私のミステリーな週末でした^ ^;☆今回の推理小説☆東野圭吾「私が彼を殺した」講談社文庫
2005年06月24日
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金曜日&土曜日は推理小説にいいように振り回されて、終わってしまいました…ということで、ちと情けない私のミステリーな週末。まずは金曜日。夕方。時間があいたので借りていた推理小説を読むことにする。当代きっての売れっ子作家の作品(ネタばれにはならないと思うんですけど、念のため最後にタイトルを書きます)。分かりづらい表現や余分な修飾があるとつっかえる事がしばしばなのだけれど、この人の文章はスラスラ読めてありがたい。それをいいことに斜め読み。作家さん、ごめんなさい。とにかく犯人が知りたい一念なのだ。探偵役は妹を失った警察官。妹は自殺に見せかけて殺されたと確信し、復讐のため、犯人探しに血眼になる。執念の捜査でしだいに容疑者がしぼられていく。男と女、ふたりきりだ。警察官は策をこうじて男と女を殺人現場におびき寄せる。男と女が供述する「真相」に応じて、二転三転する推理。こちらの頭は七転八倒。しかし最後まで読めば、必ず真犯人が判明するはず。そのお約束をちっとも疑わず、混乱する頭のままいっきに読み通したところ……「犯人、一体だれ…??」正確に言えば、犯人は突き止められている。ただ、今まで容疑者ふたりの名前がちゃんと出てきていたのに、肝心カナメのラストで、「犯人」と「犯人ではない方」という呼び方になっちゃっていたのだ。つまり自分で推理するしかないのである。今までに出された手がかりと推理をもとに。ラストシーン、探偵役のにーちゃんはちょっと清々しそうだ。頼むから犯人教えてくれよー!「どちらかが犯人だと分かれば、良かったんです」みたいなセリフを吐くにーちゃん。こっちはそれじゃ済まないわい!どっちかが犯人じゃないと終わらんわい!…ということで、あとは袋とじ(ヒントが書いてあるためだと思う)になっていた解説に頼るしかなかった。うう、情けない。しかもヒントがあるとはいえ、作品の醍醐味を損ねないようにするためか、かなりアイマイでボヤ~ンとした指摘になってしまっている。本文を読み直しては解説、解説見ては本文へという必死の反復行動をくり返したあと……「何となく…こっちが犯人?」というメドはたった。しかしあくまでメドはメド。正解がどこかに書いてあるワケではないので、欲求不満はちっともおさまらない。キーッ、このモヤモヤどうにかならんのかー!!と思っていたら、さらに難しい「容疑者が3人バージョン」があるという。毒を食らわば皿まで。ふたりでも分からなかったのに、ヤケッパチというのは恐ろしい。さっそく「容疑者三人バージョン」にチャレンジすることに決めたのだった。無謀なチャレンジの模様は次回にて。☆今回の推理小説☆東野圭吾「どちらかが彼女を殺した」講談社文庫 1997
2005年06月12日
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