10年と2ヶ月 ぶりに 九州に帰省 した。 四年間入院 していた 母を“ 見送る ” ために・・・・・・
新年が明けて間もなく。独りで家を守る弟から 「母の容態が悪化
した」という報せが。昨秋に 一度目の“余命宣告”
を受けていた。しかしその後 奇跡的
に持ち堪え、主治医の予測以上に生きながらえていた。 “事の始まり”は四年前
に遡る。
あれも 1月が始まって直ぐ
のことだ。
母は 長年の持病が悪化
し、 緊急手術
を受けた。その頃はまだ術後のリハビリにも励み、 再び“デイケア”に行ける
よう 退院を目指し
ていた。 大好きなカラオケも久々に唄った
と聞いた。けれど新型コロナをはじめとする 幾つかの病
に次々罹り、 入院2ヶ月目頃には“様子が違って”
きて、 会話ができなく
なっていたそうだ。
好奇心旺盛
で、
誰に対しても平等
に接する
世話好き。“おしゃべり大好き人間大好き”な母
が
もう喋れない
。様子を見に来た
弟には必ず反応
して、
何かを言おうと口を動かす
のに、
喋れない
。
そんな日々が長く長く続いた。
10年も帰れなかった
間、私は私で 姑の介護と見送り、自身の闘病、コロナ禍の制限された暮らし
のあれやこれやで余裕がなかった。無理してでも ひと目会いに行けば良かった
・・・・・・今さら 悔やんでも遅い
のだけれど。
四年前に連絡を受けてから私は、 「いつでも直ぐに飛んで帰れる」
ようスーツケースに荷造りをしては、季節が進む毎に中身を入れ替える作業を繰り返してきた。そのうち “余命時間“は次第に短く
なり、 遂に
先日、 私が帰る日
が決まった。
最期
の日。その数時間前。
夜遅く仕事を終えて駆けつけた 弟に気づき
、 目を開けて
彼を見て、 涙を流して口をパクパク動かした
そうだ。
「あん時、かあさんワシに何を言いよったんやろ・・・」
葬儀の終わった夜。
口数の少ない弟が ぽつんとひと言
呟いた。きっと最後の最後まで “親孝行で不器用な息子”のことを心配していた
に違いない。 “
親不孝な娘(=私)
”
のことは、 いつまで母の記憶
に在っただろうか?
晩年は随分痩せたらしい。
それでも最期に見た 母の寝顔
は、 いつものまま
だ。
ふっくらとして穏やかで、とても美しかった。
これでやっと
苦しい病や辛い治療から解放
される。
母が天に昇る
日。
朝から風が最高に冷たくて凍えそうだったけど・・・ 空
は一点の曇りもなく どこまでも青く高く澄んで
いた。 父を見送ったあの日と同じ
寒さ厳しくて 清らか
な青空。
美しいあの空を、私は一生忘れない。

母がいない最初の朝。
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今日のひとこと。「早咲きの🌸が、あちこちほころんで。」
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