今日は、土曜公開があったので振替休日で学校は休みでした。
休みなんていらないのに・・・・・
「サウンド・オブ・ミュ-ジック」のビデオを子供に見せたくて、だいぶ前に購入して、最初のうちはよく観てたけど、その後は全然見なくなったのですが、最近また観るようになりました。
ドレミの歌を真似て英語で歌ったりして、子供の耳ってすごいですね![]()
発音がいいです
娘は、やはり「ドレミの歌」とマリアと子供たちが男爵夫人の為にやった人形劇のときに歌った場面が大好きです。
息子はなぜか、シスタ-たちが歌っているところが好きで、その場面になると大笑い![]()
「サウンド・オブ・ミュ-ジックのあらすじ」
モーツァルトの故郷、オーストリアのザルツブルグ。今まさにナチスドイツに侵略されようとしている、第二次世界大戦の直前のお話です。
修道女見習いのマリアはお転婆で、先輩シスター達も手を焼くほど。ある日、修道長に呼ばれたマリアは家庭教師の口を紹介されます。
「ここに置いてください!」
という懇願も空しく、期限付きで外の世界に出る事になりました。
着いた先は海軍退役大佐トラップ家の屋敷。
大佐は妻を数年前に亡くし、残された子供達7人につく家庭教師が長続きせず困っていました。
子供達に制服を着せ、軍隊のようにしつけ、笛で号令をかけ、屋敷の中で歌うことを禁じていました。
大佐とマリアは方針の違いから衝突します。
しかしマリアはものともせずカーテン生地で遊び着を作り、外で自由に遊ばせました。
心を閉ざしていた子供達も次第に心を開き、嵐の夜にはみんながマリアの寝室に逃げ込むほどまでに。
みんなでピクニックに出かけ・・・
マリアはそこで子供達に歌を教えるのです。ここで流れるのが有名な 「ドレミの歌」
。
私達が知っている「ドはドーナツのド・・・」は直訳ではなく、ペギー葉山がたまたま飛行機で聞いて感動し、すぐに詞をつけたものだそうです。
子供達の歌はめきめきと上達します。
大佐は子供達の歌う 「エーデルワイス」
を聞いて感動します。そしてマリアに対しても 「当家に歌を甦らせてくれた!」
と感謝します。
家の中に笑顔と歌が甦り、一家は明るくなりました。
そして、大佐はその頃交際中だった男爵夫人との婚約を決意し、お披露目の舞踏会を開く事になりました。
ぞくぞくと集まる客人達(この中に原作者本人のマリアが映ってます!)
広間ではオーケストラの音楽にのせて舞踏会が催されています。
その様子をテラスから眺める子供達とマリア。女の子達は自分も大人のように踊りたくてウズウズしています。マリアが男の子の手をとって踊りのお手本を見せています。
そこへ大佐がやってきて・・・
男の子に代わり、大佐がマリアの手をとって2人のダンスが始まりました。
くるくる・・・と廻ったところで2人の視線が合います。
マリアは自分に何が起こったのか、どうしてよいのかも判らず、大佐の手を離し逃げるようにその場から立ち去りました。そして手紙を置いて修道院に帰ってってしまいました。その様子を見ていた男爵夫人・・・。
子供達はどうしてマリアが自分達を置いて帰ってしまったのか判らず修道院まで会いに行きます。でも、誰とも会おうとしないマリア。
修道長はマリアを自室に呼び、何が起きたのか問いただします。自分でも判らず混乱しているマリアの様子をみて事を悟った修道長は
「ここに居ることだけが神にお仕えするということではない」
と促します。
屋敷に戻ったマリアでしたが、大佐と男爵夫人の婚約が正式に調ったと聞いてガッカリします。
しかし、2人の気持ちに気がついていた男爵夫人は婚約を破棄して帰っていったのでした。
晴れて気持ちを伝え合う2人。
一度は修道女を目指して入った教会で、白いウェディングドレスを纏いバージンロードを歩くマリアと、それを慈しみの目で見つめる修道長と先輩シスター達。
幸せな時が続くかと思われたが、新婚旅行から帰ると町中に鉤十字が掲げられ・・・そして大佐には第三帝国からの出頭命令が下ります。
オーストリアへの愛国心を貫くために 一家は亡命を決意
します。
最後に山を登っている場面で、私が「このあとアメリカに渡るんだよね」と言ったら、旦那が「この場面はスイスだろ」と言うの。
昔、アメリカに渡ったと聞いたような気がしたのだけど・・・・
それで、実際のトラップ一家の事を調べてみました。
「トラップ一家の運命」
海軍将校で1880年生まれのリッター・フォン・トラップは、第一次大戦における海軍での功績により、貴族の称号を得た。1924年に前妻が亡くなり、ノンベルク修道院を訪れ、子どもたちの世話役を依頼する。 世話役として派遣されることになったマリア・フォン・クッチャラは、1905年に生まれた。間もなく両親が亡くなったので、父の従姉に育てられた。20歳の時に信仰に目覚め、修道院にやって来ていた。
子どもたちはマリアを引き止めるために、父親に彼女との結婚を提案した。こうして2人は婚約させられ、結婚式は1927年にノンベルク修道院で挙げた。さらに祖国で2人の娘が生まれ、一家は幸せに暮らしていた。1935年のザルツブルク音楽祭におけるコラールのコンクールでは優勝した。 しかしトラップ大佐は、ナチスによるオーストリアの強制的合併で自分の意志に反してナチスに従うよりも、自由を求めてアメリカへ渡ることを決意。山登りの服装とナップサックを持って、家の真裏のアイゲン駅からイタリア行きの列車に乗った。
映画で描かれているのは、お転婆娘のマリアが修道院から家庭教師として派遣される場面で始まり、伯爵夫人との三角関係を清算して結婚。音楽祭で優勝した直後に会場から抜け出し、山を越えてザルツブルクからは距離があるスイスに逃げる場面までとなっている。しかし実際には列車に乗って、追われることなくイタリアから出国したことになる。また映画では結婚直後に併合されたような描かれ方になっているが、実際には併合の10年以上前に結婚していることになる。
その後のトラップ一家について。ニューヨークに1938年9月に到着し、アメリカ国内で8ヶ月間演奏旅行を行った。しかしビザが切れ、強制退去を余儀なくされた。しかし、スカンジナビア諸国から演奏旅行の依頼を受け、この契約で各国から滞在ビザが発給された。 第二次大戦が始まると、再びアメリカに戻ったが、係官の「滞在期間は」の質問にマリアが願望を込めて「永遠に」と答えたため、疑いを招きニューヨーク沖エリス島にある移民収容所に収容された。友人らの尽力でようやく出所できた。 やがてオーストリアに気候や風土が似たカナダ国境に近いバーモント州ストウの牧場を購入した。ゲオルグは1947年に亡くなった。コンサートで家を空けることが多かったため、1950年から家族でロッジの経営を始めた。6年後には合唱団としての活動も停止した。そしてマリアは、1987年3月28日に世を去った。 記事では、マリアが「サウンド...」ばかりでなく、その前身ともなったドイツ映画「菩提樹」でもトラップ大佐の性格が大袈裟に描かれているのが不満だった。ただ「サウンド...」では、昔自分が見ていた風景が登場していたので、気に入っていた。本来クラシックの歌い手である合唱団にとって、映画の中で歌われる曲をリクエストされることへの困惑など、興味深いエピソードも紹介されている。ちなみに「サウンド...」の中で大佐が子どもたちを笛で呼ぶ場面があるが、実際に大佐はあのように笛で呼んでいたそうだ。 番組では、マリアがカフェに入ったら隣でヒトラーが好物のイチゴジュースを飲んでいた、という眉唾なエピソードから、トラップ合唱団がヒトラーの誕生日に本人の前で歌うように求められた、「聖しこの夜」を世界中に広めた、リコーダー(たて笛)をアメリカに広めた、好奇心旺盛なマリア本人が映画に出演しているなどのエピソードも紹介している。 マリア本人が登場する場面は、彼女役のジュリー・アンドリュースが修道院からトラップ家に向かう途中、「自信を持って」を歌いながら広場を通る場面の後方に通行人として、ほんの一瞬だけ出演しています。

マリア・フォン・トラップ。この人は「サウンド・オブ・ミュ-ジック」のトラップファミリ-の次女です。
現在はバーモントのトラップファミリーのロッジの近くにお住まいだそうです。バーモントの気候は祖国オーストリーによく似ているからとか。
93歳になってもアコ-ディオンを達者に弾く可愛い、素敵なおばあちゃんだそうです。
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