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昨日は仕事で都心へ行き、帰りがちょうど電車のラッシュアワーと重なりました。私が利用する私鉄も節電で本数が減っていたために、以前から混んでいる時間帯の電車が帰宅する人でメチャ混み、まるでワンコのトイレ用シートの袋を開けたときみたい、隙間もなくギュウギュウに詰まった人で息もできないくらいでした。節電のためにお互いが我慢したり助け合うのは当然だけど、そんな時でも、人の迷惑を考えない自己中心的な人がいるとなんだかがっかりです。大きなショルダーバッグを大きなお腹の前にかかえゲームに夢中になっていた男性がいました。電車の中だけじゃない、他の公共の場所などでも、周りの状況を把握してないんじゃないかと思う人を見かけたり、意識的に見て見ぬふりをしている人がいたり、悪気はないのかな、ルールを無視する人がいたり...ときどきそんな人を見かけると他人事なのに、とてもがっかりで怒る気にもならない。なんだか疲れた一日でした...
2011.03.31
私の半分はワンコおばさんになってるのかな?公園のベンチで、買い物をしにスーパーへ行く途中で、向こうから飼い主の方とワンコがやって来ると、ワンコが尻尾を振りながら近寄ってきて挨拶をしてくれる。人と動物、何か心通じるところがあるのは確かなようです。ましてや私の家族ショーンは私の気持ちの鏡です。いつも私や家族の気持ちの落ち込みを共に感じ、慰めてくれるショーンです。自分にとって大切な人や家族が、嬉しいとき、悲しいとき、憂鬱なときなど、いつでも一緒に喜んだり、涙したり、励ましたり共感を伝えることができたらいいけれど...黙っていても分かり合える夫婦の関係や、私とワンコのような関係があればいいけれど...そうできないときだってある。そんなときはどうやって、いつも傍にいるよ、いつもあなたの味方よって伝えますか...そんなときはどうやって、大丈夫だから安心してって伝えますか...あなたの想いを伝えるために...
2011.03.30
東北関東大震災の被災者、被災地の様子が連日TVで放送されています。地元やボランティアの方々、その陰で支えたり頑張っている多くの人たちを見て、人は誰かのために頑張れるんだ、お互いが感謝し支え合って生きているんだなと思います。助けたい誰かがいるから強くなれる、頑張っている誰かがいるからやさしくなれる。それはきっと大昔から人々が生きてきた原点のような気がする。家庭でも社会でも、どんな仕事をしていても、誰かの、何かの役に立っているということが嬉しい。誰かにありがとうと言い、誰かがありがとうと言ってくれる、これからそんな人生を送れたらいいな。
2011.03.29
何故春が人を元気にするの...?枯れてると思っていた木々が芽吹いたから?道ばたに咲く小さな花を見つけたから?小鳥たちが嬉しそうに枝から枝へ飛び交うから?それは心の叫びに似ているから。できないと思っていたこときっとできるよ。叶わないと思っていたこときっと叶うよ。やりたいと思っていたこときっとやろうよ。ほら春がそこまでやってきた!春だから元気にな~れ!いったいいつになったら心配事がなくなって心が晴れるんだろう、ときどき疲れたなーと感じるけれど、こんなことでめげない私。だって私は私だから...今日はお日様が暖かそうです。いつもの休日のようにピアノに向かい、ワンコとお散歩して、春を見つけてきます。P.S. 近くの公園の早咲きの桜満開でした。桜並木綺麗でした。
2011.03.27
福島第一原発の事故、作業員の被曝、連日のニュースに不安な毎日を送るのは私だけではないと思います。被災者の方々が生き延びる不安と被曝するかも知れない不安を抱えて、どんなに困難な状況にいらっしゃるか、私の想像を超えていますが、いっこうに成功しているかに見えない現状では日本中が不安の中に落とされた感じがします。何故こんなに地震が多い国にこんなにたくさん原子力発電所が必要なのか?地震大国日本で安全に電気を供給する他の方法が選択肢になかったのか? 今度別の場所で大地震が起きたらそこにある原発はどうなるのか? 何かあって日本中が汚染されたら私たちはどうなってしまうのか?安易に不安を与えない、パニックを起こさせない意図が感じられる政府の発表に余計不安になるのです。Youtubeのクリップで、広瀬隆さんが今回の事故について語っています。とんでもないことが起きそうです!ゾッとします! こちらです。
2011.03.26
嬉しそうな誰かがいたら、私も嬉しい。楽しそうな誰かがいたら、私も楽しい。でも、悲しそうな誰かがいたら、「悲しいね」と。辛そうな誰かがいたら、「辛いね」と。声をかけるだけでいい。心にそっと触れたら...春の雪解けのように涙になって流れて行きますように...
2011.03.25
贅沢すぎるくらいの物が溢れていた。贅沢すぎるくらいの安心の中にいた。いつも時間に追われていた。いつも人と競り合っていた。でも...捨てるほどの物、なんて必要なかった。安心は、あって当たりまえではなかった。私の時間は私だけに与えられた生だから追われる必要なんてなかった。私の心は私だけの大切な物だから競り合う必要なんてなかった。そして...人は小さなことに苦悩し小さな幸せに気づかないことを思い出した。人は大きなことに立ち向かい小さな幸せを手に入れることに気づいた。だから...今あるものは私の宝物だ。
2011.03.24
Post-Traumatic Stress Disorder を略したものです。心的外傷を受けた後のストレスからくる障害です。もう60年以上も昔に原爆被害を受けた人たち、オーム真理教の毒ガス被害に遭った人たち、福知山線の脱線事故で家族を失った人たち、今回の大地震と津波など自然災害で命を落とした人々の身内の人たち、辛いのは、そういった人たち誰もがPTSDをかかえ生きて行かなければならない。今までも、そしてこれからも。心に受けた傷は決して消えることがなく、何年、何十年という年月を経ても薄まるどころかそこにあり続ける。だから辛かったこと、苦しかったこと、頑張ったことなどを話すとき涙が溢れだすのですね。どんな状況でも生きている以上の喜びはないけれど、生きるためにいろんな気持ちを抑えなければならない。心の傷を受けても自分では我慢して頑張ってしまうから、誰かがわかってくれて代わりに気持ちを言ってくれたら、誰かが、辛かったね、苦しい思いをしたんだね、頑張ったね、と代わりに言葉にしてくれたらいい。そうしたら、時々思い出したように牙をむくトラウマもおとなしくなってくれるかも知れない。そうしたら、誰もががそうしているように、トラウマがあっても笑って今日を生きることができますね。今回の大災害ではあまりに被害が大きく被災者も多い。被災者の今受けている苦痛、困難が、年月が経った後でも緩和されるために、政府や自治体の支援が続くことを望んで止みません。
2011.03.22
アップルコンピューターのCEO,スティーブジョブズが以前に米スタンフォード大学で、卒業生を前に行ったスピーチを読んでみた。癌におかされて手術をした彼の言葉は重い。 "If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right." 17歳のときにどこかでこの言葉を読んだ彼は以来、毎朝鏡に映る自分に問いかけるそうです。 もし今日が私の人生最後の一日だとしたら、 今日しようとしていることは本当に私がしたいことだろうか? NOという日が続くのなら、それは何かを変えなさいということだ。 死というものに直面すると、成功、失敗、プライド、恐れなど、自身の外側にある 予期できる全ては意味のないもので、自分にとって本当に大切なものが見えてくる筈だ。 あなた自身はもう既に裸だから失うものなど何もない。後は自分の心に従えば良い。今日が最後と思えば、なんでもできるかな...大切な家族や必要としている人のためなら...本当にしたいことは何だろう...本当に残したいことは何だろう...
2011.03.20
「こころはだれにも見えないけれど、心遣いはみえる」「思いは見えないけれど、思いやりはだれにもみえる」AC...先週金曜日の大地震からTV局はコマーシャルを自粛しているみたいですね。その代わり、上の2つのフレーズばかり流れます。ふと思ったこと、どんなに愛情を持っていても、どんなに気持ちがあっても、それを誰かに言葉や行動にして表さないと伝わらないということですね。こころが傷ついても、心が病んでも、なかなか人に言えない。こころはとても繊細で脆いから、誰かに伝えられたらきっと壊れない。先日の地震と津波に被災して避難所にいる方々の、お互いが支えになって頑張る姿を見ると、一日も早く安心して暮らせる日々がきますように願わずにいられない。
2011.03.18
TVの緊急地震情報が画面に出るとドキッとする。とっさにストープやキッチンの火を消し、ワンコを抱っこしてテーブルの下に身を屈める。先週の金曜日から何度そうしたかわからないほど、別の場所で地震が起きて、また余震が続く。停電したらその情報が断たれるのでラジオやモバイル端末に頼るしかない。計画停電の第5グループに入っている私の地域はまだ実際に停電にはなっていない。節電しなくちゃいけないと思いつつも不安でTVを一日中つけ、iPhoneも充電をかかさない。計画停電が実施されるとスーパーやコンビニも営業できないから閉まるんじゃないか?そんな不安が不安を呼び、連日スーパーの開店時刻には列ができ、パンや水やミルク、野菜や肉などに人が殺到する。電気がなくても生命に危機が迫るわけではないのに、ライフラインが断たれる不安が怪物のようにのしかかってくる。昼間の停電なら数時間TVが見られなくたって、電子レンジがつかえなくたって、どうってことない。夜間の停電なら懐中電灯やロウソクに明かりを点せばいい、地震警報ならiPhoneや携帯電話を使えばどうってことない。愛する家族や家を失っても尚、一日一日を生きるだけで精一杯の被災者の方々にとってそれどころではない筈。生命が脅かされる事態でない限りパニックになる必要なんて何もない..と思うのだけれど...
2011.03.16
東北地方太平洋沖地震で被災者の方々がTVの映像で映し出される度にその方たちの苦痛は計り知れないし、全てを一瞬に失った悲しみや不安は想像を遥かに越えるものでしょう。でもお互いが助け合って頑張ってらっしゃる姿に、人は強いと感じずにいられない。一人では生きて行くことさえできない私たちが傍に必要とする誰かがいるだけで明日を生きる力が10倍、100倍にもなって乗り越えることができる。人は生死を分けるできごとに対面するとき、ほんとに力強いものですね。それに比べて日常小さなことでくよくよしたり思い悩んだりすることの多いこと。今日できることは今日やってみなくちゃ、明日何が起きるかわからないから。それでも、地震と津波の残した爪痕と凄まじい惨事を私には想像することすらできず、テレビの信じられない映像を見るたびに今はただ恐ろしいばかりです。
2011.03.15
私はよく山へ行きます。木々や花に囲まれているととても癒されるから山歩きが大好きです。必ずしもいつも頂上へ行くわけではないけれど、殆ど高い山のてっぺんへ到達します。山歩きを通して、ちょっと大げさかもしれないけど、学んだことは大きく私の財産になっているくらい、それは:大自然を相手にするとき、人はほんとにちっぽけな存在だということ。その小さな生命は他の植物や動物と共に生かされているということ。だから高山に咲く小さな花たちが、雪解けを待って初夏に一斉に咲くさまに生命の力強さを感じ感動するのです。歩き始めて途中で休んだり、寄り道したりしながらも、何時間もの苦しい登りの後山頂にたてばそれはそれは感動です。いつも思うことなのですが、山登りはまるで私の人生みたいです。歩き始めてからすぐに引き返そうかと思ったり、後悔したり、息苦しくなったり、背中の荷物が重たかったリ...それなのに、登山道脇に咲く小さな花を見つけると嬉しくなったり、大きな空やどこまでも続く雲海、その彼方に沈む夕日を眺めたり、岩から湧き出る水に喉をうるおしたり、数百年も生きている大木に寄り添ったり、小さな幸せをいっぱい感じることができる.だからまた山に登ってしまう。人生も、嫌なこと、辛いこと、苦しいことが多いけれど、後で考えると楽しかったこと、嬉しかったことなど小さな幸せばかり覚えていて、だからまた今日一日頑張れるのかな。山の春は遅い、これから雪解けの時期を迎え5月になると眩いばかりに一斉に芽吹くのです。その生命力にまた元気をもらって私も元気になれる。その前に...私の住む平地に春よこい、早くこい...
2011.03.11
時間は皆に平等に与えられているから、時間は過ぎて行くものだから、その苦しみもその悲しみも立ち止まらない。あるのは今の自分と明日の自分だけ。だから過去は捨てればいい。今日の自分が愛おしくてたまらない。今まで頑張ってきたんだから、今の自分が一番輝いている。長い時の流れの中にいろんなことがあった。良いことばかりじゃなくて辛いことや苦しいことも。でもそれはいつか過去のものになり、今こうして書留めていることも明日になれば昨日のできごと。だから失敗したり間違ったりしたこと悔やんでも仕方ない。きっぱりと開き直ればいい。それ以上落ちるところがないくらい、本当のどん底まで落ちたら明日が見えてくる。生きて行くためにそこから這い上がればいい、過ぎて行く時間と一緒に。今日はまだ気温は低いけれど窓の外のお日様が春らしく暖かそうです。こんな日に外に行かないなんて勿体ないから公園に出かけよーっと。そういえば若い頃よくそんなことをしたな...学校をさぼって近所の大きな公園の大きな木の下の私の場所にいたっけ。人ってあまり変わらないものなのかな? 今日もまた良い日でありますように。p.s. 北風が冷たくて寒かったー まだ春は遠いのかな...
2011.03.10
はじめまして、「女性でいること」いい年して図々しい名前のブログ始めました。一度だけ与えられた人生を思いっきり楽しむために、いくつになっても女性に生まれた幸せを感じていたいから、年齢相応の美しさを見つけるために、毎朝鏡に映る自分が輝いていたいから、日々思うこと、心がけていること、楽しんでいることなどをここに綴って行けたらいいな、そう思います。今日私がすること、春なので久石譲さんの「Spring」という曲をピアノで練習しようと思う。一つ一つの♪を指で辿りメロディーになり、音に強弱をつけると心の中でイメージが膨らんで、まるで桜の花びらが舞い散る淡い春色の道を歩いている自分がいて、枝から枝へ飛び交う小鳥たちが春を喜んでいる、そんな春がいっぱいの風景を想像する。まだまだ寒い日が続いているけれど陽射しに3月の暖かさを感じる今朝でした。今日も一日幸せでいられますように。
2011.03.08
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