全10件 (10件中 1-10件目)
1
本日の闘病記は繊細な方、立ち入り禁止です昨日の父の心臓カテーテル検査の結果が出ました。検査前には、大動弁狭窄症の疑いが強く、ひょっとしたら手術が必要かもしれないと循環器のドクターから言われていましたが、検査の結果、心臓の血管の詰まりもなく、大動弁も多少は弱っているけど手術が必要なレベルではなく、心臓自体ほぼ健康体で、現在時おり起きている胸痛は心臓からきているものではないので、心臓に関しては問題ないと言われました。では、なぜに胸痛が起こっているのかと言うと、これまた解らないらしいけど、私の感じるところでは、やはり少し心の病が関係しているのではないかと思われます。まあ兎にも角にも、とりたてて治療の必要はないので、ドクターの許しを得て早速今夜は外泊で自宅に連れ帰り、明日の朝一旦病院で預かってもらって、私の仕事帰り、病院で夕食をとってから退院する事にしましたさて緊急手術のその後ですが手術は朝7時半ごろに無事終わり、手術の後処理をしている間にドクターから手術の詳細の説明を受けました。まず開腹した時、父のお腹の中は膿だらけでかなり危険な状況だったそうで、市民病院からの転送は正解で、朝まで手術を伸ばしていたりしたら命が危なかったかもしれないと言われました穴が開いていた場所は、大腸からS字結腸へと続く憩室という所だそうで穴の大きさは1ミリぐらいで、その横っちょにも、少し気になるしこりのようなものがあったので、大事をとって掌ぐらい切除したそうです。大腸・摘出部分 (私がケータイで写真撮ろうとすると、ドクター「えっ写真撮るの」と、驚きながらも穴が見えやすいようにしてくれました)ちょっとグロですが、丸印を付けた中にちっこい穴があるのがわかるでしょうか?(写っているお手手はドクターで、黄色っぽいのはゴム手袋です。)ドクターの所見では、堅いしこりも癌などの悪性のものではなく恐らく良性だから問題はないだろうという事でした。手術自体はとてもうまくいったので何の問題もないけど、今からは、術後の敗血症と肺炎、化学療法の副作用から来る免疫力の低下など、まだまだ予断は許さないけど病院側としても細心の注意を払っていくので、安心して下さいと説明され、ほっとしてまだ麻酔から覚めない父とICUで束の間再会する事にでも術後なので早々に追い出され、午後の面会時間まで会えない言うので本当は仕事休むつもりやったけど、以外と顔色もよく、元気そうに麻酔で眠っている父の姿になんとなく、私もテンションあがって午前8時すぎそのまま一睡もせずに御出勤する事に決めました~~~ここで本日のお口直しちびくんです
2010.01.29
コメント(6)
みなさん、こんにちは。少し間が空いてしまいましたが、本日の父は少し心臓の調子がよくありません。術後は順調に回復していて、本来なら今日あたり退院できる予定だったのですが3日ほど前から少し心臓の調子が悪くなりドクターの勧めで、入院しているついでに心臓の検査を徹底的にしておいた方が今後の病気治療のためにも安心じゃないかという事で、今日はレントゲンと心エコー、明日はカテーテル検査をします。今日のエコーですでに心臓の弁に問題があると(以前から言われていた)指摘され今後の治療については明日のカテーテルの結果を待って、循環器のドクターと相談することになりそうです。それでは、この前の緊急手術【詳細】 その1 の続きです。再度救急車に乗り込み20分ほどで自宅からほど近い神鋼病院に到着しました。(入院後結構大変な問題が持ち上がるので、手術市民病院でしなくて良かったです)救急病棟に運び込まれてびっくり・・・とっても静か・・・・5床程ベッドが並んでいるけど、患者は父だけ・・ドクターも一人。看護師も一人。。。(一瞬、ほんまに手術大丈夫なんやろかと思ったけど、これは取り越し苦労でした)すぐに市民病院から預かっていたフィルム2枚と、薄っぺらい紹介状を渡すと「M先生から連絡は頂いています。こちらできちんと対応するので安心してくださいね」と、言いながら「えっと、市民病院から預かってるのはこれだけ???」(やっぱそうやんね。データ少なすぎるよね)で、看護師さんが「点滴漏れてるから射し直しますね」と言いながら採血してパジャマ脱がして手術着に着替えさせています。その頃私はいつもの如くドクターに病状の説明をしますが、ドクターが「治療はどこまで進んでいますか?」と、きかれて、何とも答えようがなく「う~~ん。わかりません。昨日5回目の化学療法をしたのですが、実際どこまで病気を抑え込んでいるのかはわかりません。」「化学療法はCHOP?CHOP-Sではないですね?」「治療はどんな薬を使っていますか?」とか、その他もろもろ・・結構詳しく聞かれました。ドクターは紹介状を見せて、「紹介状には病名しか書いてなくて、本来ほしい情報である治療経緯や使用薬剤が一切書かれていないので、使ってる薬剤によっては使うとショック症状等が出る場合があるので、知りたいんですけどね…。」で、私もはっと思いだして、ノートに外来化学療法の使用薬をメモっていたので「すいません字がキチャないですけど、入院中は説明を受けていないので、外来での使用役ならわかります。」と言って、メモ書きを見せる(やっぱ、文字はいついかなる時も丁寧に書いておかないとねでも、ドクターはこれだけ分かれば十分と言って、手術の説明をしてくれました。化学療法中の手術はとてもややこしく、リスクも大きいと・・・ましてや父は高齢で、緊急なのでお腹の中に食物が残っているし、普段血流を良くするお薬を服用しているので、出血が止まらない事もあるし、麻酔でのショック症状とかとにかく手術自体はそんなに難しいものではないけど、非常に危険な手術になると説明されました。父は腸のどこか、はっきり場所が確定できないけど、ドクターはおそらく大腸ではないかと考えているらしいが、とにかくCTだけでははっきりしないらしい。とにかく破れているか穴があいていることは間違いなく、その部分を見つけて切除して、また繋ぎ合わすけど、父の場合、化学療法と高齢で縫い合わせても、そのままくっつく能力が既にないかもしれないので、そうなると今度はお腹の中で腸管が真っ二つになってしまってそれこそ命が危ないという事で、安全策のために、70パーセントくらいは人工肛門になります。(これに関しては半年か1年たって体力が回復すればもう一度手術をして人工肛門を外すことはできると言われました) まあ、もう80歳で病気治療や感染症のリスクから外出もごく限られていて、人工肛門になっても本人にはそんなにリスクはないと思うので、人工肛門の設置(表現違ってるかな~)に承諾して、ついでにその他の承諾書8枚ぐらいにサインさせられて、午前3時半、ようやく父は手術室へと向かう事になりました。ちなみに手術室に入る父は笑顔で痛みもすでに感じないのか(この事はドクターも痛くないわけないねんけどな~?としきりに不思議がっていたけど)笑顔で「行ってきます~~~」と、手を振ってくれました。。。
2010.01.27
コメント(4)
2日前、北の大地北海道から南の楽園「バリ島」のおみやげが届きました 届いた荷物のふたを開けると懐かしい香りが飛び出してきましたいつも自分でも必ず買っているものもあるしお初なものもありますあっ・・・旭山動物園の白ヒョウ?いや・・白クマ???いやいや・・・白アザラシ(こんな動物おらんか)う~~~んやっぱ、無難にホワイトタイガーかな? (旭山にいるのかな??) もも姫ママさんテリマカシー大切に使うっチャほんで、入院闘病中のパパちゃんですがなんとか元気に頑張っています!!まあ、いまの病院でも、かな~~~り、色々あって大変でしたけど、とにかく、一応術後の危機は脱出しましたでも、ボチボチ化学療法後の副作用が出てくる時期に差し掛かるのでここからは気が抜けませんしかも、昨日より、咳をしていて今朝は食欲もなくパンを一切れと牛乳を1本飲んだだけでした。肺炎なんて事にならなければいいのですが・・・
2010.01.23
コメント(4)
2020年1月19日(火)本日おやじはICUを出て一般病棟へ移りました。おしっこのチューブも外され、今日からお水も飲めるようになって本人曰く、「ここの病院はお弁当も出してくれへん」と、憤慨していますが手術してまだ2日しか経ってないんやから、ご飯なんか食べれるわけないじゃん(術後で動けないので折角良くなっていたせん妄症が出てきていて、自分が手術を受けた事をすでに忘れてしまっているしぃ~) さて今回の父の病状の経緯ですが16日の夜10時半ごろ私が帰宅すると、ぶるぶると顔を真っ青にして「お腹が痛くて寒い」と訴える父に、ただならぬものを感じ「どこが痛いの?救急車呼ぶ?」と、私が言うと「いや、大丈夫や、もうちょっと我慢する」と、父。とりあえず私は血圧を測りながら体温計を父の耳に押し込む。血圧は上が198(下は忘れた)体温7度1分・・・その間も父は尋常じゃない震え方で、とても体温7度1分とは思えない。恐らく熱の出始めでこれからどんどん上がるに違いないと判断し、119をコールする。その間に近所の主治医も駆けつけてくれ(土曜の夜だというのに父がコールしていたらしく駆けつけてくれた。ありがと先生)で、先生に父のそばにいてもらい私は下に降りて救急車の誘導をする事に(これは消防署から、先生が付き添っているなら、近いので直ぐに行けるから出来るだけ余分な時間を取らないためにと指示されました)救急隊員の方々が到着して熱を計ると、僅かな時間の間に9度2分まで上がっていて、反対に血圧は140ほどに下がってきています。 (この処置の間に父は3度ほどおう吐しました。)そのまま直ぐに市民病院へ搬送され、処置室へ運び込まれると付き添いはいつもは外で待たされるのに、私もすぐに中へ入るように案内され、お決まりの血圧と検温。その時熱は9度9分。血圧はさらに下がって120ほど。救急の医師は簡単に診察しただけで「かなり危険な状態です。今から腹部CT撮影しますが、恐らく腸管のどこかが破れているか穴があいていると思います。たぶん緊急手術が必要になるかと思います。」「昨日化学療法をしたんですけど、副作用とかウイルス感染は考えられないですか?」と私。「可能性はあるので直ぐに血液検査もします」と医師は言いながら採血の準備をするも、すでに血管が収縮していてなかなか血管の確保ができなく、3度目でやっと採血成功!!そしてそのままそこから点滴注入開始です。(一応救急の先生の名誉の為に、父の採血や点滴の針さしはいつも大変で、これまでに挫折した先生も何人かいらっしゃいます)その後CT撮影して、胃の中の内容物が肺に入って肺炎を起こさないように鼻から管を通して胃の中のものがその管を通って出てくるような処置をされ(結局この管は昨日まで付けられたままでした)医師の説明を受けました。「ちょっと、検査結果からだけでは場所を確定しにくいのですが、やはり間違いなく腸管が破れているか穴があいていて、食べたものが腸から漏れて大変な事になっているので、緊急手術が必要です!」「早急にしないと命が危ないです!!」と、消化器内科専門の先生からの説明です「1分1秒を争うんですが、今うちのオペルームは満杯で、手術できる部屋もなければ麻酔医も手いっぱいで、うちで治療中の患者さんなんでうちで責任もって手術したいのですが、今やってる手術が終わるのを待っていたらお父さんの命が危ないので、今からすぐに手術のできる受け入れ先病院を探します。」・・・・・・お医者様の言ってることは理解できるけど・・・ ちょっと・・・びっくり・・・まあ、確かに手術室が満杯なら仕方ないし 同じ事を何度も説明され、その事を死にそうに苦しんでいる父にも説明するお医者様。(何の予防線を張っているんだと、思うのは考えすぎ??)結局、治療してもらえない病院にいくらいても時間の無駄なので早急に再搬送先の手術受け入れ病院を探してもらう事を了承しました。幸い程なくして父の手術を受け入れて頂ける病院が見つかりとりあえず何とか「たらいまわしにならずに済んだ」と、一安心して私「ちゃんと次の病院に申し送りはして頂けるんですね?」医師「もちろん検査データとお手紙もちゃんと添えておきます」私「父は特殊な病気治療中なのでその事は大丈夫ですか?」医師「大丈夫です。ちゃんとその事も伝えておきます。」まあ、父のATLの治療経過をちゃんと伝えてくれるなら、と、幾分安心してお会計へその時、フィルム2枚と薄っぺらい封筒を渡され「貸出フィルムと紹介状です。フィルムは後日返却してください。」えっ?こんな薄っぺらい封筒で父の治療経過がわかるのやろか???私はてっきりカルテほとんど貸してくれるのかと思ったよまま・・気を取り直して時間は日付が変わって、17日午前1時半すぎ。申し訳ないと見送る看護師さんに「仕方ないです。ありがとうございました。」と、再度救急車に乗り込む事に。。。。 疲れたので、続きはまたにします
2010.01.19
コメント(2)
本日はお日柄もよく・・・私の住む町神戸も穏やかな暖かい日となりました私たち仲良し親子はこんなふうに日差しの優しい時は狭いベランダでモーニングカフェしたり昼間っからでランチしたりしてなんとなくバリの雰囲気を感じながら楽しむのが好きでした今日、午前のICU面会から一旦自宅に戻ってきてお布団を干していると、あまりにも温かくて気持ちがよいので父のおやつのカステラで一人カフェしましたいや、足もとでかわいいにゃんズも日光浴してたっけ・・ICUに入ると父が看護師さんに何か文句を言っているところでしたまだ何も飲めないけど、元気そうです救急搬送後から術後もずっと通されていた鼻から胃のチューブもなくなっていました身体抑制も解除されていました 父は元気に頑張っています
2010.01.18
コメント(4)
昨日、夜の10時半ごろ、震災追悼前夜祭のライブから帰ると父がぶるぶる震えながらお腹が痛いと、全く血の気のない顔で訴えました。詳細は後日落ち着いたら書きますが1分1秒を争う中、午前3時半ごろより緊急開腹手術が行われました。大腸の一部を切除し手術は一応無事に終わりましたがまんの悪い事に、普通でも術後の感染症の危険性が高い中父は化学療法後で、これからどんどん免疫力が下がって行きます。すでにかなり貧血が起きているらしく、敗血症が非常に怖いです。 14時ころの父です。体中に何本もチューブを通され、無意識にチューブを抜いてしまわないよう抑制(体が動かに様固定されている)されています。痛々しいですが、チューブは父の命綱なので…ここは我慢(ナミダお腹中菌に侵され、術後も高熱が続き苦しいけどがんばっています!! みなさん少しでいいです父に力を貸してやってください
2010.01.17
コメント(6)
2010年1月15日(金曜日) その2本日の化学療法メニューですが・・・ドクターは元に戻してと言っていましたが、やっぱりアドリアシンは省かれていましたしかも、処方も当初の予定より少し軽くなっていました。父の病状はどうなんだ少し気になるところですが、これもプロのドクターがなんとなく治療をやり過ごすのではなくて、その日の父の体調に適した治療をしてくれているのだと、前向きに解釈することにまた、アドリアシンについては、その内ドクターに聞いてみようと思っていますいつも化学療法の最初は制吐剤のカイトリルパックからです。3mg/100ml ソルメドロール40mg 30min 点滴を開始すると、すぐにオンコピンを点滴静注します。オンコピン1mg 20ml 3min制吐剤と同時進行でソリターT3 200mlプリベラン0mg/20ml メイロンB4注 120minエンドキサン500mg 生食180ml 60minエンドキサンはカイトリルパック終了後注入開始です以上、昨日の化学療法自体はは2時間強で終了しました。で、昨日は朝自宅を出たのが8時20分、自宅に帰りついたのが2時半、都合6時間強、やっぱり結構時間かかりましたね~~でも、途中お弁当タイムやおやつタイムを取ったので(しかもお昼寝タイムも取ったし)なんとなくあっという間でしたがつかれた~~~帰宅後は二人でお茶して、再び二人してお昼寝タイム私は5時半頃まで父は夕御飯の支度が出来て起こすまでの7時ころまで爆睡でした夕食はもう買い物に出かけるのも面倒なので、ありあわせで焼き肉(肉食系の我が家ではお肉は結構たくさん常時冷凍保存してあります)お肉メインでしたが、おやじはものすごい食欲で「おいしいなあ~~」を、連呼しつつ食べてましたホントはダメなんやけどをミニグラスに半分ほど飲ませてあげました楽しく生きていくためには少々のご法度も必要ですよね~~
2010.01.16
コメント(0)
2010年1月15日(金曜日)今日は待ちに待った(?)5回目の化学療法の日です。予約は午前9時からドクターの診察、9時半から化学療法でしたがもらっていた予約表の血液検査が8時45分開始と書いてあったのであんまり待つのもいやだし(ほんとは朝起きるのがつらい、とはいえこれでも、朝6時半起きで軽くご飯食べて、治療中に食べるお昼用のおでん温めて、おにぎり作って、他におやつやジュースなど用意しなきゃなので、ねむ~~~いデス)なので、8時20分ころにタクシーを予約して病院へ・・・で、40分ごろに病院到着して3階の採血センターへ行ってみるといやはや、採血の受付が長蛇の列です列の横で、受付の番号札を配っていて、もらったのが68番時間は9時10分前・・・これじゃ診察時間の9時には検査結果どころか採血自体、まだジャンです番号札配ってる人に、9時から診察で9時半から化学療法なんやけど、間に合う?と、控えめに聞いてみるも、無理ですねと、ケンモホロロ・・まあ、これも初体験で勉強の内と、次回から朝一の化学療法の時には8時ころには病院に到着するようにしよう(と、心に誓ったけど、これ以上早起きするのはたぶん無理やわ~~)まあ、どうしようもないので、68番目に受付して採血ルームの部屋の前で待機する事に・・採血の順番は64番目やったんですけど、なぜだかまだ20番台のコールが流れているのに、採血室からおにーちゃんが出てきて「○○○さんですか?採血しますので中へどうぞ」ですって何だか知らないけど、こんなに順番飛ばしして頂いちゃって、ありがとうございますそれでも、結局検査結果出たのは10時半ごろ。この間の待ち時間も、待合室で例の如く横にならせていたら看護師さんが3人ほど来て「具合悪いですか?」と、天使のほほえみ「いえいえ、いつも待ち時間長くてその間に体調悪くなっちゃうんで、念のために休ませているだけなんです」と、私。それでも、今日は処置室に空きベッドが有りますので、検査結果出るまで中で横になっていて下さいと言われ処置室で検査結果出るまでゆっくり横になっている事に。。。ほんで、検査結果出てドクターが来てくれた時には、あまりに快適すぎたのか、おやじったら、爆睡中で「○○○さん、今日の体の具合はどう?」て、ドクターが言うと「モゴモゴモゴ」と、ボケボケ・・・驚くドクターに「寝ぼけてるだけです」と、説明する私ドクターは笑いながら、「うん、元気そうやねほんなら、今日は前回まで緩めていた治療をちょっともとに戻してガンバろね」ほんま、今日も治療延期にならないかとドキドキやったのでほっと一安心して、化学療法センターへ行ってきまぁ~っす
2010.01.15
コメント(0)
今日は父の病状も安定していて取り立てて書く事もないので、病気発症の経過を辿ってみたいと思います。そもそも父がATLを発症したことについてまずは、父にも私たち家族にも全く知りえなかったことですが父がHTLV-1というウイルスのキャリアであったという事が大前提となります。本来HTLV-1のキャリアであるという事が自分で認識できていれば、体調に異変が出てき来た時にこのウイルスから発症するであろう病気を疑う事が出来、それを念頭に置いてすべての病状を確認していくでしょうから、かなり早い時期に病気確定が出来て、ある程度健康な状態で治療を開始できたはずでした。HIVやC型肝炎・B型肝炎のように国レベルで広く国民に対して警鐘を鳴らしてくれていれば、せめて自分自身でHTLV-1のキャリアであるという事の自覚があれば、いやその前に、この世にHTLV-1というウイルスが存在するという事を知っていれば・・・と、本当にこのウイルスを発見以降、有識者たちが危険信号を発していたにも拘らず30年近くも放置していた国の責任は重いと思います。過去何件かの国の「臭いものには蓋をしろ!」的な政策は見てきましたが、本当に情けない話、このような事がまさか自分の身の上に降りかかってこようとは思いもせず、常に他人事で「かわいそうに」位の感情しか持たず生きてきた事を恥じ入るばかりです。ただ、今現在の父の状況においてはこのウイルスの存在など全く知らず、自分がとんでもないウイルスのキャリアである事も、もちろん成人T細胞白血病リンパ腫などという一度かかったが最後というような病気に侵されたことも全く知らず、能天気に闘病している父を見ていると、知らなかったという事もそれなりにラッキーではなかったかと思っているのも事実なんで・・・思うに、要は物は取りよう使いよう~病は気からなんて言うように、ポジティブにお気楽にという事はとっても大切な事なのかもしれないと、感じたりもしている今日この頃なのでありますとは言いながらも、厚労省のお偉い方々にはもう少し国の未来を考えて、目先の自分たちの保身だけに身を費やすのではなく、ながーい良識有る物差しで国民の幸せを考えて欲しいものです。で、父の病気の発症時期ですが色々ネット検索をしていて、平均潜伏期間が30~50年、120万人ほどのHTLV-1キャリアの内僅か5パーセントほどしか発症しないという事で、まだまだ未知の部分が多く確たる発症の原因はつかめていないみたいですが、とりあえずの要因としては、やはり極普通に体力が低下して免疫力が弱った時にウイルスがもぞもぞと動き出して発症するという事らしいので、父の場合の発症原因は、昨年3月29日に遭遇した交通事故が引き金になったように思うのです。事故自体は右胸骨1本と左足小指の下の細い骨の骨折に、軽い腎臓損傷と打撲で全治1カ月でした。幸いにも元々非常に頑丈な体を持っていた父は、80歳前だというのに何の後遺症もなく2か月ほどでほぼ完治しました。でも、怪我が治ってくるのと反比例して、父は何だか訳の解らない体調不安を訴えるようになり、精神的にも軽い鬱のような状態になってきました。で、以前からお世話になっているホームドクターや総合病院などでいろいろ検査してもらうも、全く異常はなく・・というか、むしろ年齢的にはかなり健康で内臓もいたってきれいという診断でした。その頃の事を思い返して、父にはとっても可哀そうだったなと思うのは私も休日の度に父を連れては病院巡りで、しかも検査の度にドクターはどこも異常なしというし、でも、家に帰ると「体が変や、どっかおかしい」と繰り返す父に、私も折角の休日を父の病院巡りの為に潰されたりで、腹が立って結構きつい事を言ったりもしたので、いくら知らなかった事とはいえ反省しきりな訳なのであります(これもこのウイルスを広く告知していなかった国の責任やね)(以下後日、暇な時に続きます) お正月の2日今年の父の仕事始めは「お散歩」です昨年の10月頃にはほぼ植物状態だったのが長年付き合ってきた娘でさえ全く気がつかなかった父の・・・ど根性脅威の頑張りで元気に一人で歩けるようになりました
2010.01.09
コメント(2)
あけましておめでとうございます今年もよろしくお願い申し上げます昨日の仕事帰り…「只今血液が不足しております~~」の呼び掛けに昨年は父がいっぱい輸血したなあ~~と、MINT KOBEの献血ルームに寄り道しましたもちろんオイラは父と違って健康隊なので無事400ml献血してきました~~ちょっと痛かったけどほんでお腹空いてたのでミニクロワッサン2個とオニオンスープにコーンスープにアイスコーヒーと駄菓子1個きっちり頂いて参りましたご馳走様でした 今年もぼちぼちマイペースやってこうと思っておりますブログも気ままにですが更新していきますんでお暇な時は覗いてくださいね~~~
2010.01.08
コメント(0)
全10件 (10件中 1-10件目)
1