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ここのところ水便の量が少し減り、ほぼ1時間ごとに便の処理をしていてなかなか熟睡できなかったけど、3日ほど前から夜中1~2回ほどの処理で済むようになったので、結構熟睡できるようになってきたので少し万年睡眠不足状態から少し解放されたような気がします。昨日4月19日月曜日の血液検査結果WBC 3,4L (3,9-9,8)RBC 279L (410-570)HB 8,1L (13,4-17,6)HT 24,2%L (39-52)LDH 340H (120-250)CRP 1,9H (0-0,5)CPK 5L (60-250)輸血と16~18日までの3日間・計3回の白血球を増やすグランシリンジの注射によって血液状態がかなり改善され、下痢の量も幾分減ってきていてほんのすこしだけですがとろみが出て少し濁った泥水程度になってきたので、本日お昼より3分流動食解禁です!!うれしい半面またまた前回のように食べ始めた途端下血なんて事になると、恐らく再度絶食という事になると思うので、少し冷や冷やですが、とにかく固形物を口からとらないと、体重の減少がどうにも止まらず、先程計ったら衣類全部着用で46,4キロ、脱ぐと45キロぐらいだと思うので、この状態でもし何か非常事態が起こると、とてもじゃないけど持ちこたえられないような体重になってきているので、早いとこ50キロくらいには戻してあげたいんですけどね。。。で、本日お昼から更に内服薬の追加ですクラビット500mg(抗生剤)フラジール250mgクラビットは抗炎症剤として時折処方されますがフラジールはネットで調べてみるとトリコモナスという原虫を死滅させる作用があります。トリコモナス症を治療するお薬です。胃潰瘍又は十二指腸潰瘍におけるヘリコバクター・ピロリの除菌の補助となっていました。これって、実際はどっちに感染しているんでしょうね?(後で聞いてみないとね・・・)まあ、免疫ないから何にでも感染するのは分かっているけど、原虫とは・・・また時間のあるときに「トリコモナス」も調べないとです。。。ほんと、何かを調べると、そこにわからない事が出てきて、更に調べると更に意味不明な事が出てきてほんで、最終的理解できればいいけど、最後までいっても結局なんのこっちゃ てなことが多いのが医学の世界・・・まあ、これも当たり前っちゃ当たり前なんやけどもっと簡単に素人にもイッパツで理解できるように解説するのは無理なんでしょうかね~~~
2010.04.20
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4月16日現在の父の採血データWBC 1,1 / 3,9-9,8RBC 239 /410-570HB 6,7 /13,4-17,6HT 21,1 /39-52LDH 350 /120-250CRP 4,2 /0-0,5貧血が進んでいるので輸血と白血球数も少ないので白血球を増やす注射とものすごい下痢なので下痢止めを処方されました。下痢は完全な水便で1日の総量が2000ml~3000ml相変わらず絶食で食事は中心静脈注用高カロリー点滴とジュース類だけなので、点滴の輸液がそのまま何も吸収されずに便となって出ているようです。この症状は昨年の病気発症時と同じで、当時は人工肛門ではなかったので身体に腸壁から漏れた水分が溜まって、全身ひどいむくみとなっていました。治療がうまくいってむくみが取れたときには10キロも体重が落ちたほどです。その事を思うと、人工肛門になっていたおかげで、水分が腸壁から染み出す前にストマに水分が溜まるので本当に良かったと思うと同時に、今回はほとんど動けないほどに強烈に副作用が出ているので、便が勝手に人工肛門に溜まってくれるというのは、頻繁に便意を急き立てられトイレに行く必要がないので体力的にかなり楽になるので、今更ながらに人工肛門の有り難さを痛感しています。さて、父の入院後の経過ですが4月1日に下血での救急外来からそのまま入院となり、そのまま止血剤と絶食なので栄養剤の投与を続け、出血がある程度収まるのを待って、一部ステロイドの先行投与から始まって8日の日に軽めの抗がん治療をしました。薬剤はいつものオンコビン、エンドキサンに今回はテラルビシンが使われたようです。9日の金曜日には、もう点滴の針が刺せないという事で、高カロリー点滴と今後の輸血や化学療法に備えて首の付け根あたり、肩口に中心静脈カテーテルをしました。前回の手術入院時にカテーテル引き抜いた経緯があるので、少し不安でしたが、今回は幸いな事に比較的せん妄症状も出ていないししっかりと3か所で縫いつけてくれているので、ぶらんぶらんして引っ張られる事もないので、異物だと感じる事もないのかちゃんと肩口の点滴の刺し口として認識してて今のところ無事です(^O^)/入院後は絶食続きに文句言いまくりなほど元気な父でしたが、11日の日曜日から少し言葉少なになり、待望の食事解禁の12日月曜日の夕食時にも左程喜ばず半分弱ほど食べただけで、13日火曜日の朝はほとんど手つかず、昼食と夕食はそれぞれ半分弱。体調の方も火曜日の夜にはかなり悪く、看護師さんともまだ副作用が出るには早すぎると思うけど、何でこんなにしんどそうなんやろ???と、話してはいたのですが・・・。結局この日の夜中に大量下血となり、翌朝にはとんでもない宣告を受けることとなったのでした。この事はまた明日にでも書きますね!
2010.04.19
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入院4日目の4日の日曜日の夜の事この夜は私の仕事が翌日お休みなので、いつも広い部屋にポツンと一人ぼっちではあまりにもかわいそうなのだし、ひどいせん妄症が出ても困るし、既に点滴の影響か頻尿で30分に一度くらいトイレに行くので看護師も結構大変そうなので、お泊まりしてあげる事にしました。その事を夜担当の看護師さんに伝えると、娘さんも病院での看護と仕事の両立で大変だし、主治医の先生が眠れないという事で眠剤を処方してくれたので、今夜は多分お休みになられると思いますから大丈夫ですよ!と言ってくれました。私は眠剤の服用には前回の入院中での事件以来結構神経質になっているので、何を処方されたか聞いてみました。すると、12月頃まで服用していて、その後せん妄状態もどんどん改善され今年に入って服用を中止したレンドルミンというお薬でした。ただ、このお薬最近少々問題があって、2月から3月にかけて少しパニック症状が出て眠れない時に使ったのですが、以前服用していた時には何の問題もなかったのに、なぜだか異常に効きすぎて、夢遊病者のようにふらつきろれつも回らなくなり、本人いわく8時間ほど経ってもまだ船に乗っているような感じで、お薬の効果が抜けるまでに半日以上かかったので、ちょっと不安なので看護師にその事を伝えると、看護師もそれなら危険だからやめておきましょうかと言ってくれましたが私もこの先ずっと毎晩付き添うわけにはいかないので、もしこの薬飲んでぐっすり眠れたならそれに越した事はないし、自宅での事もひょっとしたらたまたまだったかもしれないので、「今夜は私が付いているし、ひょっとしたらなんの副作用も出ないで静かに眠れるかもしれないので使ってみます」と言って、寝る前11時頃に飲ませたのですが・・・。お薬はすぐに効き目を見せ、父は30分もすると大いびきで眠りはじめたので、私も横の簡易ベッドに横になり眠りにつきました。それから1時間ほどして、「おしっこ!!」と言って起き上った父に、父が一人で立ち上がると危険なので私も大急ぎで起き上がり、父が立ち上がる前に身体を支えましたが、案の定、父はふらふらでモゴモゴと何を言っているのか分からない状態で、点滴もつながっているし危ないからトイレに行くのは止めて「しびんでして」と父に言うと「いやや、トイレに行く!!」と言うので、その時は何とかトイレに連れて行ったのですが1時間ほどのち再度トイレに起き上った時にはもっとふらふらの酩酊状態で、私も強引にでもその場でさせればよかったのですが、1回目はちゃんと行けたしと言う思い上がりから、結局ふらついて転倒する父の体を支え切れず、父は転倒し、運悪く右目がそばにあったパイプ椅子にまともに打ちつけものすごい事になってしまいました。幸い眼に異常はなかったけど、ボコボコに殴られたボクサーのような目になってしまい2日ほどははれて目がふさがって見るも無残な顔になっていました。その後も痛い目をアイスノンで冷やしながら、いつまでも立ち上がるたびに船に乗っているみたやと言い、そのふらつきがなくなったのは午後になってからでした。で、主治医にもちゃんと処方して頂いたレンドルミンが最近は父の体に合わなくて、過剰に効きすぎてしまうので、中止してもらう事にしました。その時主治医は「以前飲んでいたから大丈夫やともったんやけどね」と言いながら、半錠に減らそうかと言いましたが、夜は私が泊まって面倒みるし、薬が抜けるのに半日以上もかかると危険なのでもうレンドルミンは止めておきますと伝えました。でも、以前は何事もなく服用していて、しかもさほどきついお薬でもないのに、どうして急にこういう風になったのかは、病気のせいなのか何なのか解らないけど、やはり眠剤というのは病人にとってはとても危険で、ましてや高齢者で重篤な病人ともなると本当に命にかかわるので、夜寝なくて頻繁にナースコールするからと言って安易に処方されていたらとても怖い事になります。まあ、今回の事に関しては、私もある程度予測できていて、それでもなおかつ起きてしまった事故で、目の打撲だけで骨折などにはならずに済んで、本当によかったのですが、ひょっとして、私がこの日泊まると申し出ていなければ、看護師からレンドルミンの処方の説明も受ける事がなかったと思うので、夜中ふらふらと一人で起きだした父はもっと大きなけがを負っていたかもしれなかったかと思うと、ぞっとします。
2010.04.17
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病院と職場との生活の合間に自宅に戻りお風呂とニャンズのお世話。病院ではもちろんネット環境などなく、私のノートPCも役立たずで職場のほうは営業時間を極端に短くしたので、PC覗いている間なんてほとんど皆無なので、ブログ更新もままならなかったけどふと気付いたのが、ワード機能・・・昨年、父がATL発症当時もネットしている暇がなくて、とても大切なことを書きそびれてしまっているので今回も同じ轍を踏むのは余りにも勿体ないし、やはり症例数の少ない病気なので、どんなに偏った記録になろうときっと誰かの役には立つかもしれないし、父の頑張りを一人でも多くの人に知ってもらいたいので夜の病院でのおヒマタイムを利用してワードでブログの下書きをして、仕事の合間にでもコピペしてブログ更新することにしました。 父が入院してはや二週間・・・父は日に日に弱っていき体重も47キロにまで落ちました。入院当初は下血はあったものの比較的元気で、主治医も大きく勢力を盛り返した病魔をガツンと叩く体力が残っているのではないかと言っていたけど・・・。8日の木曜日に極ほんの軽い抗がん治療をして、その後少し病状を安定させ下血を止めて、強い抗がん治療に入る予定でしたが14日の水曜日の午前2時ころよりまたまた大量下血で、結局主治医から今後の治療法の再選択を考えた方が良いと言われました。8日に行った化学療法は本当に軽いもので、この程度の抗がん剤ですらすでに父の身体は耐える事が出来ず大量下血してしまうほど、病魔は父の内臓深くに浸潤し、その病魔を強い抗がん剤でたたくという事は、即ち父の内臓をたたくという事で、ATLという病気の恐ろしさはまさにそこにあり、病魔を叩ける薬はあるけど、 既に膨大な数で父の血となり肉となり体の一部と化した細胞を断ち切ることは不可能な作業となってしまっているのでした。という事で、主治医は私の希望している病気の封じ込めを狙った強い化学療法にはとてもじゃないけど、今の父の体では持ちこたえられなし、反対に命をもっていかれる確率の方がより高いので、方向転換して少しでも長い時間を穏便に過ごせる方向で行った方が、穏やかに人生を終える事ができて幸せじゃないかという事でした。ここ数日間の日を追うごとに弱っていく父を目にしていると、この事は主治医から言われるまでもなく私自身も感じていた事で、父との楽しかった人生も気がつけばいつの間にやらラストスパートに入っていたらしく、今私にできる事は父が少しでも楽に楽しく人生のゴールを迎える事が出来るよう、父の背中を優しく押しながらゴールのテープを切るまでしっかりと笑顔で支えて見届けてあげる事!なのでしょう。 ほんとにつらいけど、これが私の最後の親孝行になるからがんばります!!
2010.04.15
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いつもご心配いただいている皆々様ありがとうございます。 私の方は昨晩から夜は父と一緒にいてやる事になりましたので職場と病院、合間ににゃんこの世話としばらくはブログ更新も出来ないかもしれませんが父は今元気にしていますし私も元気です父の方はたぶんここ10日ほどが勝負どころとなりそうですので私も精一杯父を包み込んでフォローして良いご報告が出来るよう頑張ってきます
2010.04.05
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病院と言う所は比較的完全2日制が徹底していて、週末ともなると主治医はお休みなことが多く、本格的な治療や検査などはほとんど行われる事はありませんなので今日は21時過ぎまで父の病室で一緒にテレビを見て、のんびりと過ごしてきました父は今のところ、下血も順調におさまってきていて思いの外元気にしていますさて今回の父の入院については少々問題があって、それと言うのも、そもそもATLは免疫機能を司るT細胞が機能しなくなるため、日和見感染症という合併症に悩まされることになるのですが…。この日和見感染症が、読み方も漢字もなんとなくかわいいんですが、実はこれがとんでもないやつで事の始まりは昨年の入院時の事なんですが、父が3回目の化学療法を無事済ませて、3日目くらいにメタロ・・緑膿菌と言う日常的な環境に普通に存在する常在菌に感染しました。この緑膿菌は健常者なら感染する事はなく全く問題のない菌なのですが、免疫機能の低下した病人にはとても怖い菌となります。この菌は一旦感染すると根絶する事が非常に難しく、下手に抗菌剤などを使ったりすると却って薬剤耐性を持ってしまうので、どんどん手のつけられない菌へと成長していってしまうという、とんでもない菌なのです。特に病院などで感染した場合は既に強い薬剤耐性を持ってしまっているので、もはやこの菌を除去する事はほぼ完全に不可能と言う事になり、病院側としては二次感染を防ぐために父のように感染者となってしまった患者に対しては、超1級の危険患者として扱うようになります。ただ、この菌に感染していても、自分でしっかりコントロール出来ていればさほど問題はないのですが、昨年感染した時の父は、急激な病気進行ときつい化学療法によってせん妄状態でしたから、二次感染を阻止する為の病院側の言いつけが守れず、危険人物として扱われ、父が感染したのには病院側の衛生管理にも問題があったはずなのに、感染してしまった父こそ最大の被害者なのに、その対応に納得のいかなかった私は、強硬に父を退院させ自宅に連れ帰ったという経緯があり、故に今回の入院に関して素直に了承できない部分があったのですが・・・ほんとにこの時の事はいずれは詳しく書きたいとは思っているのですが、なかなか時間がなくて 感染病棟の入り口ですドアにはこんな表示があります で、今回の入院時に受けた説明で市民病院の規定では、1回緑膿菌の感染が確認されると、その後生涯に渡って前科者として扱われ、ブラックリストに載ってしまい、一般病棟での入院は出来ないという事らしく、隔離された感染病棟に入ることとなりました。 ただ、感染病棟と言っても、そんなに劣悪な環境ではなく別に伝染病患者がいるようでもなくて、空気感染や飛まつ感染などのリスクもなく、看護師さんも父の体に触れる時は、マスク・エプロン・手袋着用なので却って安心ですし他の患者とも接触する事がほぼないので、新たな感染症のリスクが確実に低くなると思います。また病棟全体が個室対応なので、極端に患者数が少ないので、一般病棟のように戦場さながらの光景はなく、なんとなくゆったりほんのりとしているように感じます。まあ、最初感染病棟と説明された時は度肝抜かれましたが、住めば都病気と真っ向勝負しなきゃならないんやから、とにかくなんでも、ポジティブにポジティブにと、言う事ですねちなみに病院側の名誉のために一言申し添えておくと、父の緑膿菌は、おしっこから出ているだけなので父が頭も体も健康体で自分がおしっこした後、便器の消毒と手洗いと手指消毒さえしっかり出来れば感染病棟に放り込まれる事はなかったと思います
2010.04.03
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救急で入院した4月1日の夕方、早々に仕事を切り上げ病院に行き改めて父の病状を聞きたいと看護師さんに言うと程なくして現れたのが、父が最初発病したときに主治医を担当して下さったN先生でした実はこのN先生はまだまだお若いので外来は担当していなかったので、退院後の外来治療はベテランのY先生が担当して下さっていたのでした。でも・・・ここで、本音を言うとN先生は、死の淵にいた父をこの世に引き戻してくれたドクターなので引き続き外来での治療も担当して欲しいと言う気持ちが強かったけど外来担当していないんだから仕方ないとあきらめていました。で、N先生から受けた父の病状の説明は、とても深刻なものでした。ATL/成人T細胞リンパ腫の病状のレベルの基準となるものにIL-2R(インターロイキン2レセプター)と言う腫瘍マーカーのようなものがありこの数値が、通常の健康体の人で1000前後くらいらしいんですが今現在の父の数値が780000位と、とんでもない数値になっているとの事でした。このIL-2R、昨年9月第1回目の化学療法に入る時ですら480000くらいだったそうなんですが12月頃には4000位までに下がり、今年の1月、腸に穴があいたときには380000くらい。その後も徐々に上昇を続け、3月に入ってどどーんとこの数値になったみたいです N先生曰く。もはや外来で治療できるレベルではなくて、このまま入院を継続して出来るだけ早急に治療に入りたいとの事でした。ただ、ATLは薬剤耐性が強いので再発すると寛解率が急激に低くなり、故に平均余命が半年から1年と短命なのだと、どこかのサイトで読んだ記憶があります。その事を、N先生に聞いてみると、やはりこの病気の治療は本当に難しくて、今回のこの数値も非常に厳しいけど幸いな事に、お父さんの体調が去年、治療に入る時とは比べ物にならないほど元気で今の体力があればきつい化学療法にも耐えられるんじゃないかと言う事でした。ここで、私は最も気になっていた今回の治療にあたって、N先生がまた父の主治医になってくれるのかがとても気になっていたので、その事を尋ねてみるとN先生は「もちろんです!また僕が主治医になります」と、力強く言ってくれました私は心の中で大きくガッツポーズをしながら父を最初の時から、良く知ってくれている先生に、また父の治療をしてもらえるのなら安心やし今回の治療はとても厳しいものになるとは思うけど、私も今の父の状態ならなんとか頑張って乗り越えてくれそうな気がするし、私自身も目一杯父を支えてサポートしていくので、宜しくお願いしますと頭を深々と下げました今回の治療は父の下血が完全に収まってから始める予定です。また、かなりきつい化学療法で、しっかり叩いていかないと治療効果は望めないらしいので副作用とかが心配ですが、父の体力と頑張りに賭けて、ついでに私も思いっきり頑張ってATLをたたきのめすつもりですんで、父の下血はどこからの下血かは不明やけど、とりあえず内臓の壁が全てもろくなっているので、24時間点滴の中に止血剤入れて、どこかからの出血を抑えるのと同時に新たな刺激で出血しないよう、またまた絶食です今はご飯粒のようなものでも胃や腸に傷をつけてしまう可能性があるらしく、そういったリスクを取り除くために、かわいそうやけど、水以外は口からは摂る事はしばらく我慢だそうです で、お話の最後に「実は5月に沖縄、既に予約しているんですが、キャンセルした方がいいですよね」と聞いてみました「う~~~ん」。。。。「日にちにもよるけど、うまくいけば全く問題なく行ってもらえるので、もうちょっとキャンセルするのは待って下さい」との事でした
2010.04.02
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最初に、いつもコメント下さる、もも姫ママさん、かなこさん中々お返事書けなくてごめんなさい。また当分お返事書けそうもないので、ここでまとめてお詫びしておきますでは早速本題に入りますが本日のブログタイトルの通り、父の成人T細胞白血病リンパ腫が再発しました。まあ、元々完全に治っていた訳ではないので、この表現が正しいかどうかは微妙なんですが…。昨日の3月31日、父の便がどうも血便ぽいので、最近の体調の悪さと合わせてとても気になったので、タクシーで救急外来に行きました。で、救急外来のドクターと消化器内科のドクターと相談の結果、多少便に血は混ざっているが、化学療法をしていると割とある事だし、貧血もそんなに進んでいないので、とりあえず、抗生剤を服用して様子見をしましょうと、点滴を1本打って夜の11時半ごろ自宅に辿り着きました。まあしっかり検査もしてもらって、「1月の時のように腸に穴が開くなんて事もないでしょう!」とドクターお二人が力説して下さったので、すっかり安心して、父に薬を飲ませるためにちっちゃなバナナとジョアを飲ませて、処方されたクラビットを飲ませました。その後、歯を磨くついでにストマー(人工肛門の便をためる袋の事)を見ると、病院にいる時とは全く違った赤黒い水状の便で、パンパンに膨れ上がっていました。たった今病院から帰ってきたとこやのに~と一瞬パニック状態になりそうでしたけどストマーの中の汚物をきれいに掃除して、父を椅子に座らせると、たった1~2分の間にまたまたストマーの中に半分ぐらい血便がたまっていたのでこのままでは朝まで持たないと、今度は救急車をお願いしました。日にちが変わって4月の1日エイプリルフール・・・午前12時半ごろ、再び同じ市民病院の救急外来のベッドに横たわる父を見つめながら、今日の仕事が頭をよぎり、今夜は果たして眠る事が出来るんやろか~などと、思っていたりすると先ほどのドクターお二人がまたもや父を診てくれます。多少出血もひどくなり、少し貧血も進んでいるけど、化学療法していると…云々。。。と、ほぼ先ほどの説明を繰り返してくれます「その説明は良く解りましたし、副作用としてそういう事があるという事も重々承知しているけど、そんなことを言っていて、この前は腸に穴があいて父は死にかけたんですよ!とにかく、今回もこの前と同じように内臓のどこかが破れたり穴があいたりしたら、今度こそ父は死んでしまいます。だから、これが単純な副作用で本当に父の体に大きな影響は与えないのかどうか、しっかりと確認してください!!」結局、他にもう一人ドクターが加わって相談して、その結果とにかく病気と化学療法で父の内臓の壁は非常にもろくなっているので今カメラを飲んで、傷口を探して止血に行くのは、とても危険なので一旦入院して、輸血しながら貧血の状態を改善し、一方で止血剤も投与して父の病状をしっかり見守ってくれることになりました。父の入院に関しては今までいろんなトラブル続きだったので本当は入院させたくはないんですがこのまま連れ帰って大量下血になったりしたら、それこそ今までの頑張りが全て無駄になってしまうのでいささか不服ではありましたが、入院に同意しました。 もう眠いです続きはまた明日の晩にでも書きます
2010.04.01
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2010年3月23日今年に入って3回目の化学療法です。昨年9月から始まった化学療法は1カ月に1度きっちりと行われます。繰り返される化学療法を良しとするか、否とするか・・・。想像ですが、きっちりと化学療法の効果が現れていればぼちぼち一休みを宣言されてもいいと思うけど・・・昨日の化学療法前にはきっちり1ヶ月後には8回目の化学療法を言い渡されました。つい、この前には「少し間隔をあけましょうね~」なんて言われたのに2週間ほど前は恐ろしいほど元気だった父は先週の感染症の発症以来、少し弱ったような気がします。ほんとに上げては落とされ、凹んでは喜ぶ。。。こういうのを、出口の見えない迷路と言うのでしょうか昨日の化学療法は朝8時に自宅を出て、帰宅したのが4時半ごろ8時間半の長丁場。。。健康な私でさえもどっぷりと疲れましたその影響かどうか、化学療法中、父は胸の痛みと苦しみを訴え治療は一旦中断。治療の副作用ではないだろうと、父の回復を待って再開一応最後までちゃんと受ける事は出来ましたが最近頻繁に心臓の痛みを訴える父を見ているともう、体が限界に来ているのではと感じ一体この化学療法はいつまで続くのか・・・父は病気に負けるのか、はたまた化学療法に負けてしまうのか行くも戻るもいばらの道なんか、昨日は私の心も雨模様でした でも、いつもの如く今日はすっかり元気回復のんびりハナちゃんに救われますお年頃の女の子やのになんでいっつもこう御開帳なんでしょ 本日の化学療法処方箋 メイン ソルデム3A 500ml (180min) プリベラン10mg/2ml 20ml メイロンB4(2)オンコピン1m/m2 生食20ml(側注)(3)カイトリルパック(制吐剤)3mg/100ml(30min) ソルメドロール40ml(4)エンドキサン500mg/生食100ml(120min)治療費用 2440円 処方箋ジェニナック 5日目より10日間服用(飲み切り止め)バリキサ 5日目より5日間服用(飲み切り止め)フルコナゾール・タケプロん・ムコスタ・バクタ(週2回)薬剤費 5420円
2010.03.24
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今日の神戸、布引辺りは桜のつぼみが大きく膨らみちらちらと可憐な花が咲き始めていたよ~~ 本日のサービスショットは・・・ 昨年のバリ、マンギスでの優雅なディナータイムです大好きなバリはまだまだ遠いけど・・・バリと同じようにムシムシとした南国リゾートO・KI・NA・WA5月に行っちゃいますまあ、飛行機乗るまでは行ける保証は何もないけどとりあえず・・・頑張った父娘にご褒美です で、最近のパパちゃんですがちょうど1週間前の土曜日から下痢・・・翌日の日曜日の夕食後から発熱・・・夜中には39度まで熱が上がり、救急車呼ぶかどうか迷ったけど高熱にも拘らず本人割と元気だったので冷蔵庫の中で眠っていた座薬「ボルタレンサポ25mg」を使う事に・・30分もすれば熱は7度3分と下がってきたので一応いつでも病院行ける用意だけして、体力温存の為に寝る事にしますとりあえず何とか無事に朝を迎えましたが、熱を計ると再び8度2分と上がってきているし水状の下痢も止まらないので、恐らく感染症だと思われるので9時になるのを待って病院にコールして、主治医と相談する事にしました。「今日はお休みでしたっけ?」「お薬取りに来てくれるだけでもいいけど、お父さんも来れるようなら一応安全の為に検査しておいた方がいいかな~」主治医のY先生、近頃はすっかり私のお休みを把握して頂いているみたいです検査の結果、CRP 2,6H 白血球13,5H炎症反応と、父にしては白血球の数値が高くやはり感染症と言う事でバリキサとジェニナックを1週間分追加服用して23日の化学療法に備える事になりました。ついでに、再び高熱が出た時の為に解熱剤として(ボルタレンはきついので)ロキソニン60mgと胃薬セルベックス50mgを処方して頂きました。いつもの事ながら、この2種類の抗ウイルス剤は感染症には効果てき面で月曜日の夕方には平熱に戻り、下痢も徐々に治まり今日までの1週間無事元気に過ごし夕食に焼肉食べて、ドクターヘリ観ていました明日は何とか無事、化学療法受けれそうです ちなみに頂き物のおいしいキムチも焼いてたくさん食べたので明日は恐ろしいほど臭い父娘になりそうです・・・マスクで臭い防げるかしら~~
2010.03.22
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今日の朝、放送は終了してしまいましたがNHKの生活ほっとモーニング「見過ごされたウイルス」が、オンエアされました。 父が闘っている病気、ATLはHTLV-1というウイルスのキャリアでないと発症しません またウイルスキャリアでもほとんどの人が発症せず一生を終えます。 ただ、ひとたび発症すると確固たる治療法もなくかなりの確率で人生を強制終了させられてしまいます。 こう書くととっても怖いウイルスのように感じるけどこのウイルスは世界で唯一撲滅できるウイルスなんです でも・・・ ウイルスを完全撲滅するためにはまず 皆さんに知ってもらわなければなりません 残念なことに今日の放送は終わってしまいましたが天下のNHKさんの事やからきっとすぐに再放送してくれると思うのでぜひ 生活ほっとモーニング「見過ごされたウイルス」 ご覧になってみてくださいね
2010.03.10
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今日は全国的に大荒れのお天気のようですね私のお仕事がお休みの日はお昼間ゆっくりお散歩できる日なのでこんな風に悪天候だと困っちゃいますね~この前、お散歩がてらにロイヤルホストに行って晩御飯食べてきましたピンボケ~~~親父が食べたのは何だっけか・・・ホタテのせピラフパパちゃんは生野菜はやしお腹の手術の後なので揚げ物や消化の悪いものもやからロイホで食べられるものがほとんどない・・・私はハンバーグセットとセットのスープはパパちゃんにあげちゃいましたさて昨日は先日の化学療法6回目の副作用の診察に行ってきました最近、父はぐんぐん元気になってきているので昨年の夏の入院以来初めてタクシーではなくでポートライナー乗って行ってきましたほんで、副作用の検査結果ですが・・・むっちゃ良好今回はお薬もお注射も何も必要ないとのことでおまけに今、が非常に良い状態で安定しているので今月、2週間後の化学療法は予定通りやけど今後は体調見ながら間隔をあけてお父さんの体に負担がかからないようにゆっくりやっていきましょうって、言われましたほんでついでに乗って暖かいとこに行っても大丈夫かと尋ねたら「いいですよ~ここだけの話やけど(ないしょね)僕もそのころお休み貰う予定なので丁度いいですね」「また詳しい事は次回の化学療法の時に決めましょう」なんか、ミョーに次の化学療法が楽しみになってきましたんで早速昨日は夜中まで沖縄のお宿検索しまくりました
2010.03.09
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気がつけばいつの間にやら3月・・・思い起こせば昨年の今頃は渡バリ1週間前でウキウキと旅支度の真っ最中でしたほんと人生って、どこでどうなるやら・・・やりたい事はやりたい時にやっとかないとですね~では早速、前回の「高齢者の入院生活とせん妄症」の続きです手術後2日目の夜。。。父は幻覚らしきもの見ていたり、異常なハイテンション状態で性格が180度変わってしまったような感じになっていて、ものすごく気になりながらも翌日は私も仕事なので、かなり後ろ髪をひかれつつ後は看護師さんにくれぐれもよろしくと、お願いして帰宅しました。でも、その夜は結局は私も父の様子が気になってあまり眠れないまま朝を迎え、なんか変な胸騒ぎを覚え出勤前の朝8時頃父の病室を覗いてみる事にしたのですが・・・。でも覗いてびっくり父がベッドごといなくなっているのです???一瞬病室変わったのかと思ったけど、荷物はそのままあったのでとりあえずナースステーションで聞いてみようと、ナースステーション覗いてまたまたビックリ何と父がベッドことナースステーションに運び込まれていて、しかもうちのかわいいパパちゃんベッドにぐるぐる巻きに縛り付けられていたのです私の声を聞いてそこにいた看護師さんたち大慌てで「あーー!、娘さん来たからほどきましょうね」と、居合わせた5~6人の看護師さんがワラワラと父に駆け寄りますが「○○○(私の名前)こんなとこにはおられへん!連れて帰ってくれ」と、父は大声で怒鳴り看護師さんたちを寄せ付けないよう、縛られた体で激しく抵抗しています。「これは一体どうなっているんですか」と、何がなんやらな私も少し声を荒げながらナースステーションに飛び込み、父のそばに行って「ちょっと静かにしておとなしくせえへんかったらずっとベッドに縛りつけられたままになるで」と、父に負けない大声で父を叱りつけると、父はピタッとおとなしくなり無事抑制は解除されたのですが・・・私も何とも可哀そうな姿でベッドに縛り付けられていた事には納得できず看護責任者に説明を求めました。父が落ち着きを取り戻したので、一旦病室に戻ってから受けた病院側の説明はこうでした。「昨日、お父様は全く眠らず看護師の指示にも全く従わないで歩きまわるので、2~3度眠剤を処方しましたが全く効果がなく明け方5時ころまでは看護師がずっと付き添っていましたが、5時から人手が足りなくなったので仕方なく抑制させて頂きました。」「ご高齢で入院や手術をされますと、せん妄症と言って、皆さんこのような症状になられる事が多いんですよ!」なるほど、抑制の経緯はわかりましたが、やはり釈然としないので「事情はよくわかりましたが、今の父の状態はせん妄症ではなくて、まるで薬物中毒患者のようではないですか?昨日から父の異常さは尋常ではなかったですよね」父は本来の病気の急激な進行で既にせん妄症を患っていて、今もその治療中ですし、今回の入院にあたっても、最も心配だったのはこのせん妄症には違いなかったのですが・・・。病院側はあくまで入院と手術による老人性のせん妄症だと同じ説明を何度も繰り返しますが、私はどうも納得できないので手術後から感じていた違和感を一応言わせて頂く事に。「そもそも、父は精神科の治療を受けていてほとんどせん妄症も改善されていたのですが、手術後、まだ麻酔が残っているのでは?と、思えるような状態の時から、昼寝ると夜眠れなくなるので・・と、眠ろうとする父を何度も揺り起こし、夜になって神経が逆立って眠れないとなると、薬を飲ませ、挙句にそれも効かないとなると抑制してベッドに縛り付ける!病院側の事情が分からない訳ではないですけど、父の異常な行動は寝たい時に寝かせてくれなかった事と眠剤の多用と抑制されてプライドを傷つけられた事からくるストレスも原因だと思うんですけど」まあ、私の意見と病院側の見解は平行線のまま、私があくまで納得しないので病院としてはどうしても夜は看護師が手薄になるので、夜泊って付き添ってほしいと言われました。私も病院側のこの申し出は仕方がないかと一応夜付き添う事に了解しましたが、よくよく考えると、我が家にはが居るので、職場と自宅と夜の病院での付き添いとなると私の方が先に参ってしまうと、父の治療は24時間体制なのか確認してみました。幸いにも父はまだ絶食中だけど22時ころには本日の点滴は終了しますとの事だったので「だったら、夜治療が終わってから父を連れて帰ります。もちろん治療は継続して頂かなければいけないので、明日の朝早くには連れもどってきますので、自宅に連れて帰らせて下さい!」と、無理を承知で看護師さんにお願いしてみました。看護師さんは「えそれはちょっと・・・」と、困惑している様子でしたが「夜中じゅう治療は何もしなくて、ただ寝ているだけだったら病院も自宅も同じでしょ?反対に自宅の方が父もきっと安心すると思うんで今のような状態も自宅に帰るとある程度改善されると思うんですけど・・」と、結構強気な私看護師さんも、私の必死さに同情してくれたのか、一応主治医に聞いてみますねと病室を出て行きました。結局主治医もとても父の事を心配して下さり・・と言うか私の「先生はご存じないでしょうけど、父は本当に死の淵から死に物狂いで、ここまで回復したんです。それが不幸にも腸に穴があいて、それも幸いにも先生方のお陰で助けて頂いたのに、本来の病気とは関係のない頭が変になってしまったのではあまりにもかわいそうやし、心と頭がおかしい状態で病気だけ治しても意味がないと思うんですぅ~~」と言う、お涙ちょうだいな私の話に根負けして外泊を許可してくれましたで、話が長くなってしまったけど結論は自宅に戻った父は薬を服用する必要もなく朝まで死んだように眠りたったの一晩で見事に元の状態に戻り朝には、目出度くお腹が痛くて満足に歩けない状態になったのですほんと、ヨロヨロと満足に歩けない状態の父を支えながら、うれしくて涙が出そうになりました
2010.03.02
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朝から雨でうっとしいですね雨とか曇りの日は、なんとなく父も気分が優れないみたいですなのでお天気が傾いてきた時などは、私はできるだけ大きな元気な声で父にたくさん話しかけるようにしています。今朝も、出勤時には「今日の晩御飯は外食にする?」と言うと、元気な声で「ロイヤルホストか」と、楽しそうにしていました。やっぱね・・・気分が重い時には楽しい事考えるのが一番やもんねまあ、これも父との闘病生活でなんとなく学んだことで病気の「病」の部分はお医者様に治療してもらうしかないけど残り半分の「気」の部分は私が頑張らなきゃと、思ったりしています さて、退院してボチボチ1カ月・・・日に日に元気になっていく父ですが入院中にはとんでもない問題が起こりました。これは高齢で入院すると起こりやすい問題で、特に手術などできつい麻酔を使ったり動けなかったりとなると、かなりの確率で出てくる問題・・・「老人性せん妄症」 (これは病名ではありません。私が勝手こう書いただけです)今回、父は手術に際してかなりな悪条件が重なっていて、担当外科医からも麻酔もきつめにするつもりですと、説明されていたのですが手術当日の日曜日はまだまだ麻酔が残っていて、ろれつもはっきりしない状態で、夜になってやっと(手術は早朝3時半→7時半)麻酔が抜けてきて、何とかまともに話せるようになってきました。手術翌日の月曜日は、頭ははっきりしているけど、本人いわく「やたらと眠たくて、目が開けていられない」状態らしく、会話の途中にもすぐ寝入ってしまうとうな状態でしたが、父が寝ようとすると、ICUの担当看護師さんが「起きて下さいね」と、父を揺り起こすのです。父は手術以前も体力がなくて、3時間に一度は仮眠取らないとだめだったので「寝たらいけないんですかね」と、私が質問すると「いま寝ると夜が眠れなくなりますから・・・」と、説明され「父の場合は睡眠が必要なので、いま寝ても多分夜も寝ると思うけど・・・」とは、一応言いましたが、あちらは専門家で、まあそうなんだろうと、やり過ごしましたが結局、昼間かわいそうなぐらい起こしまくった努力もむなしく、父はその夜ほとんど寝なかったそうです。そのいきさつは、火曜日の朝、ICUに面会に行くと、父のベッドの後ろの方にある台の上に抑制(体を縛り付ける道具)の為のミトンとベルトがしまい忘れられていたのです(これは本来患者家族面会時には仕舞われていると思い)「えっと、昨日の夜抑制したんですかね?」私はそばにいた看護師に尋ねました。看護師はちょっと驚いたように「夜寝なくて眠剤飲んでもらっても全く寝なくて、まだ動いてはいけないのにご自分で起き上がろうとして危なかったので、少しだけ抑制させて頂きました。」まあ、まだ尿道カテーテルや静脈カテーテルもついているので、寝なくて動き回ろうとしたのならほんまに危険やから、仕方がないと一応納得はしましたが・・・それでも父の術後の回復は驚くほどでこのまま寝たきりになってしまうんじゃ・・:てな、私の心配もどこ吹く風で午後にはICUを出て、一般病棟に移ることになりました。ICUは時間制限があってどんなに粘っても1時間で部屋から出されてしまうのですが(危険な状態の時は例がですが)一般病棟となると、制限時間はなく、1日中いても何の文句も言われません(一応面会時間は決まってはいるが)で、一般病棟でべったりと父のそばにいるとどーーも・・おやじの様子が変なのです。。。父はATLの発症時に急激な病気の進行で、極端に痩せたためから、脳の方に栄養が回らず、栄養失調から来るせん妄症と診断されていて、今現在もかなり良くはなっているけど、治療中なので、入院するに当たってやはりこのせん妄症が大きく手を広げてこないかと心配だったのですが・・・。とにかく、術後にもかかわらず、元気に歩き回り・・・20センチもお腹を切っていて、人工肛門になっているのにほとんど痛みも感じないらしく・・・おまけにどうやら、幻覚も見ているみたいで・・性格もものすごく攻撃的になっていて・・・私はなんか背筋に寒いものを感じて、主治医に「なんか父の様子おかしいですよね?」「手術して3日目やのに、お腹も痛くないみたいなんですけど、そんなもんなんですか?」と、きいてみたら、主治医は「いや、かなり痛いはずだと思うんですけどね・・・」「まあ、術後の経過は良いので大丈夫でしょう」って・・・ お腹は良くなっているでしょうけど・・・おやじの頭おかしくなってきてるやんいつもことやけどお医者様って、本当にご自分の畑違いの事には無頓着やわ~~~ 長くなるので続きはまた明日にします。。。
2010.02.26
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今日は小春日和と言おうかなんと言おうかめちゃ暑かった。。。昨日は市民病院で6回目の化学療法受けてきて今日は歯医者さんに治療の続きに行ってきました歯の治療はとりあえず完了ポチポチ車椅子押しながら、お散歩がてらに行く歯医者さんまでの所要時間は片道30分親父は道のりの3分の1ほどはリハビリ兼ねて歩きます途中のお好み焼屋さんの前にいた、我が家好みのかわいい子ケータイ向けても全く動じる様子もなく、カメラ目線ですんで、帰宅後あまりにもアウトドア陽気やったのっで約1年振りのバリモード・ランチしましたメニューは簡単にインスタント・ピザでも、食器類はしっかりとジェンガラですデザートの生菓子です雲中小学校の南向かいにある和菓子屋さんで買いました歯医者さんの帰りには毎回買うのですが、ここの和菓子はかなりおいしいですはっきり言って、有名どころの和菓子よりかなりうまうまなんですぅ~さて、話は昨日に戻って、親父の6回目の化学療法ですが血液検査のデータを見たドクターは「ちょうど化学療法のしどころやね体調も良さそうやし、あんまり間あけても良くないから今日は化学療法しとこね」実はワタクシ・・・何も考えないでのほほんと挑んだ初めての外来化学療法で延期宣告された事が未だにトラウマになっていて、化学療法当日はいつも延期って言われないかと、カワイイ心臓ちゃんがドキドキひやひやしっ放しなんです だから、化学療法センターのある11階に上がるのはちょっとウキウキなんですね~ほんで、父が点滴受けてる横で暇持て余して何気に本日の処方箋見てみると、バクタが30日分も処方されてるバクタは週2回しか服用しないので、30日分だと3カ月以上分になっちゃいますで、その事を看護師さんに言うと「ありゃりゃ~~~」と、ドクターにコールしてくれて、再処方となりました。通常は、化学療法の3時間ぐらいの間に時間の有効活用で会計とお薬もらってくるのですが新しい処方箋を2階の血液内科でもらわなきゃいけないので化学療法終了後に会計とお薬もらうことになるので、時間かかっちゃいますね~でも、なんか近くまで来たとかでYドクター自ら「申し訳ない」と、新しい処方箋持ってきてくれちゃいましたあまりのフットワークの軽さにちょっとびっくりしましたけどY先生、ほんとにお忙しい中ありがとうでございましたおかげさまで、30分早く自宅に戻る事が出来ます(^^)v【化学療法6回目処方】所要時間:3時間(1)ソルデム3A 500ml プリベラン10mg/2ml メイロン8420ml 180分(2)オンコピン1mg/mz 生食20ml 静注3分(3)カイロリルパック3mg/100ml ソルメドロール40ml(4)エンドキサン500mg 生食100ml 60分※術後と言う事もあり、今回も軽めの治療でアドリアシンは使われませんでした。本日の化学療法費 2,960円お薬代 5,360円所要時間:6時間30分(自宅8時出発、8時30分採血/点滴終了14時 自宅到着14時半)なんか、サイトがおかしいのか、PCのせいなのか、はたまた私が変なとこ押さえたのかブログの絵文字や文字レイアウトの変換ができない(^_^;)また明日にでも気が向いたら脚色しなおすか・・・(タメイキ
2010.02.23
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今日はかねてからの予定通り化学療法を受けるためにお仕事お休みして父を市民病院に連れていってきました神鋼病院退院後、初めての化学療法だったので一応、術後でも化学療法できるかどうか解らなかったので先週の月曜日、念のために市民病院に電話して聞いておきました。その時の電話での応対は「本人様の体調が良くて、特に問題ないようでしたら当日来て頂いて、そのまま診察受けて頂ければいいですよ」「じゃ、特に化学療法の予約日までに一度診察受けに行かなくてもよいのですね?」「はい、大丈夫です!そのまま化学療法の予約日に来て下さい」と、言われ父の体調もどういうわけか、人工肛門になってからすこぶる良いので今日意気揚々と6時起きしてお弁当作って、市民病院へ行きました予定通り8時45分にはチェックインを済ませ(ちょっと旅行気分)待合で待っていると、早々に看護師さんが出てきて「今、ドクターがオペに入ってしまったので、11時ころまで診察を待ってほしいと、連絡が入りました」「えっか、化学療法は・・・・」「どちらにしても、術後なので今日は化学療法無理なので・・・」「・・・・」「そ、そやから、前もって電話で確認したのに」「仕事も今日の為に休んだのにーーっ」看護師さん、事情聞いて一生懸命謝ってくれたけど・・・こればっかりはいくら文句言ってても、らちが明かないので2時間も待てないと駄々こねるおやじをなだめ処置室のベッドで本当は化学療法の合間に食べるはずやったお弁当つまみながら主治医のオペ終了を気長に待つ事に。。。でも、時間の有効活用で、待ち時間の間に精神科で診察してもらって今の状態なら今飲んでいるレスリンも中止しても大丈夫と診断されでも、まだちょっと不安なので一応お薬は処方しておいて貰って体調が良ければどんどん抜いていく方向で様子見ましょうという事になりましたで、結局11時半ごろ、主治医が息せき切ってオペ着のまま現れ、「大変やったね!」「どう?体調は良さそうやね」「ごめんね~。今回手術室が全部ふさがっていて手術できんかったね」(このドクターの謝罪の言葉の裏には少しちっちゃな事件がありましたがこれはまた後日日記にアップしますね)私はドクターに父がなぜだか手術をしてからめちゃめちゃ元気なんですが・・父の病状は一体どうなっているんでしょう?と、今後の為にも父の病状について質問する事に。ほいで、ドクターの見解は今回の腸に空いた穴は病状の進行ではなくて恐らく、化学療法が功を奏してきていて、元々腸に現れていた父の病巣をしっかり退治出来ていて、治療によって剥がれ落ちた腸壁の再生が間に合わず穴が空いたらしいという事でした。それに尚且つ、まだ残っていた病巣を手術によって取り去っているのでどんどん回復してきているらしいと・・・また、今回の手術の経緯によって、化学療法がしっかり効いてきていて、治療方針も間違いなく効果も上がってきていて、まだまだ治療は続けなきゃいけないけど今後は、あんまり急ぐ必要はなく体に無理がかからないように様子を見ながら少し速度を緩めてもう少し治療頑張りましょう!!と、言う事でしたなんか、長い時間待たされたのは腹が立ったけどとてもうれしい診断で昨年の夏以来、初めて心の中のモヤモヤガ晴れたような気がしましたほんと、まだまだ予断は許さないとは思うけど治療の効果をはっきりと宣告されるのは、当り前な事やけどとっても嬉しい事で今日は今もウキウキしてます余談ですが処置室で寝そべっていると、入院中の主治医Nドクターもお顔を見せてくれて父がとても元気だと言うと、とてもうれしそうに喜んで下さいました いつも、病院に対して文句の多いワタクシメですが今日は市民病院様、バンザイありがとうこれからもよろしくねデシタ・・・
2010.02.12
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今日は天気予報大ハズレで、春のような日差しやったので急遽、おうちでゴロゴロは中止してお散歩がてら父を歯医者さんに連れて行ってあげる事にしました昨年父が入院したころ、歯医者さんから電話がかかってきて治療途中で、仮歯が入っていてそのままだとすぐにダメになると思うのでお時間のある時に治療に来て下さいねという事だったのですが(でも、この仮歯結局今回の入院中までしっかり持っていたのですが)その時父は生死の境目で歯の治療どころではなく、その後も今の病気と闘うのが精一杯だったけど、なぜだか人工肛門になって以降、割と元気なのできっちり病気と闘うために、小さな事からコツコツではないけど少しでも治療できるところは治療して、万全の態勢を整えてあげようと思っています。父は80歳ですが、何本かさし歯はあるけどほとんどが自前の歯なんですがATLの治療で入院中に周りの入れ歯の患者さんを見ていて、大きな病気と闘う時に入れ歯でなく、自分の歯をもっているという事は結構大事な要素だと感じたので少し体力的にゆとりの出てきた今がチャンスなので、今の間にしっかりメンテナンス完了させたいと思って、行ってきました。歯医者さんに父の病状の説明して、免疫力のない事も伝え治療の続きをしてもらいました。今日はなんか土台の治療みたいでまだ義歯は入っていませんでしたが治療は2~3回で修了するみたいです(ヨカッタで、お会計の時に前回の治療費も請求されて驚いたのですが「すみませんねこの前お財布を忘れてこられて、次回一緒にもらう予定だったんですけどその次回が今日なので…」いや、そんな・・謝るのはこっちの方ですよね電話頂いた時にでも、未払いの治療費があると言ってくれればよかったのに・・なんか、ほのぼのとした歯医者さんでした。。。
2010.02.09
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今日は国民の義務、確定申告を済ませてきましたそのついでではないけど、父の証明写真を撮って区役所に行き障害者申請を提出してきました書類はそろっているので簡単に済むはずだったんですが障害認定の診断書作成代5250円もとっておきながら病院側のあり得ない初歩的ミスで出直しとなりましたというのも、診断書を作成したドクターが障害認定の資格医ではなかったのですほんま素人じゃあるまいし障害認定は認定医じゃないとしてはいけないと言う事ぐらいわかりそうなもんやけど・・・役所の窓口の人もあきれ顔で「これはあなたには何の責任もなく病院側のミスなんですけど認定医じゃないと障害認定出来ないので、申し訳ないけど受け付けられないんです!!」と、言いながら神鋼病院にクレームの電話をしてくれましたがまあ、結局のところはこちらがまた病院に行って診断書のドクター名を訂正してもらうしかないので再度、神鋼病院まで行って書き換えてもらいました数少ない休日にとんだ時間のロスでプンプンです 今日はブックマークの方に新しく父が発病後の貴重な情報源として色々相談させてもらったりしてお世話になっているHTLV-1関連のNPO「はむるの会」と人工肛門や人工膀胱保有者の障害者団体「日本オストミー協会」を追加しました。
2010.02.08
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今日は我が街神戸もとても寒く朝方はかなりたくさん雪が降りましたここは昨年の3月父と行ったバリ島のチャンディダサにあるアリラマンギスですこの時には父はまだまだ病気とは無縁で容姿も79歳とは思えないほど若く元気はつらつでした私がバリ島にはまってからは最近の父との海外旅行と言えばバリ島ばかり・・・父自身はハワイがイタクお気に入りでいつも「ハワイ行きたい行きたい」と、言っていたけど今思うとハワイもう1回行っておけばよかったと少し後悔してます。あ・・・別に父の病状が悪いってことではなくていくら回復しても諸々の事情から何時間もかけて乗っての旅行がもう無理だという事なんですでもハワイによく似た()沖縄とか食べ物がおいしい北海道とかはもうちょっと頑張れば行けるかなと・・・弾丸トラベラー見ながら思っちゃいました
2010.02.06
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本日の闘病記は繊細な方、立ち入り禁止です昨日の父の心臓カテーテル検査の結果が出ました。検査前には、大動弁狭窄症の疑いが強く、ひょっとしたら手術が必要かもしれないと循環器のドクターから言われていましたが、検査の結果、心臓の血管の詰まりもなく、大動弁も多少は弱っているけど手術が必要なレベルではなく、心臓自体ほぼ健康体で、現在時おり起きている胸痛は心臓からきているものではないので、心臓に関しては問題ないと言われました。では、なぜに胸痛が起こっているのかと言うと、これまた解らないらしいけど、私の感じるところでは、やはり少し心の病が関係しているのではないかと思われます。まあ兎にも角にも、とりたてて治療の必要はないので、ドクターの許しを得て早速今夜は外泊で自宅に連れ帰り、明日の朝一旦病院で預かってもらって、私の仕事帰り、病院で夕食をとってから退院する事にしましたさて緊急手術のその後ですが手術は朝7時半ごろに無事終わり、手術の後処理をしている間にドクターから手術の詳細の説明を受けました。まず開腹した時、父のお腹の中は膿だらけでかなり危険な状況だったそうで、市民病院からの転送は正解で、朝まで手術を伸ばしていたりしたら命が危なかったかもしれないと言われました穴が開いていた場所は、大腸からS字結腸へと続く憩室という所だそうで穴の大きさは1ミリぐらいで、その横っちょにも、少し気になるしこりのようなものがあったので、大事をとって掌ぐらい切除したそうです。大腸・摘出部分 (私がケータイで写真撮ろうとすると、ドクター「えっ写真撮るの」と、驚きながらも穴が見えやすいようにしてくれました)ちょっとグロですが、丸印を付けた中にちっこい穴があるのがわかるでしょうか?(写っているお手手はドクターで、黄色っぽいのはゴム手袋です。)ドクターの所見では、堅いしこりも癌などの悪性のものではなく恐らく良性だから問題はないだろうという事でした。手術自体はとてもうまくいったので何の問題もないけど、今からは、術後の敗血症と肺炎、化学療法の副作用から来る免疫力の低下など、まだまだ予断は許さないけど病院側としても細心の注意を払っていくので、安心して下さいと説明され、ほっとしてまだ麻酔から覚めない父とICUで束の間再会する事にでも術後なので早々に追い出され、午後の面会時間まで会えない言うので本当は仕事休むつもりやったけど、以外と顔色もよく、元気そうに麻酔で眠っている父の姿になんとなく、私もテンションあがって午前8時すぎそのまま一睡もせずに御出勤する事に決めました~~~ここで本日のお口直しちびくんです
2010.01.29
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みなさん、こんにちは。少し間が空いてしまいましたが、本日の父は少し心臓の調子がよくありません。術後は順調に回復していて、本来なら今日あたり退院できる予定だったのですが3日ほど前から少し心臓の調子が悪くなりドクターの勧めで、入院しているついでに心臓の検査を徹底的にしておいた方が今後の病気治療のためにも安心じゃないかという事で、今日はレントゲンと心エコー、明日はカテーテル検査をします。今日のエコーですでに心臓の弁に問題があると(以前から言われていた)指摘され今後の治療については明日のカテーテルの結果を待って、循環器のドクターと相談することになりそうです。それでは、この前の緊急手術【詳細】 その1 の続きです。再度救急車に乗り込み20分ほどで自宅からほど近い神鋼病院に到着しました。(入院後結構大変な問題が持ち上がるので、手術市民病院でしなくて良かったです)救急病棟に運び込まれてびっくり・・・とっても静か・・・・5床程ベッドが並んでいるけど、患者は父だけ・・ドクターも一人。看護師も一人。。。(一瞬、ほんまに手術大丈夫なんやろかと思ったけど、これは取り越し苦労でした)すぐに市民病院から預かっていたフィルム2枚と、薄っぺらい紹介状を渡すと「M先生から連絡は頂いています。こちらできちんと対応するので安心してくださいね」と、言いながら「えっと、市民病院から預かってるのはこれだけ???」(やっぱそうやんね。データ少なすぎるよね)で、看護師さんが「点滴漏れてるから射し直しますね」と言いながら採血してパジャマ脱がして手術着に着替えさせています。その頃私はいつもの如くドクターに病状の説明をしますが、ドクターが「治療はどこまで進んでいますか?」と、きかれて、何とも答えようがなく「う~~ん。わかりません。昨日5回目の化学療法をしたのですが、実際どこまで病気を抑え込んでいるのかはわかりません。」「化学療法はCHOP?CHOP-Sではないですね?」「治療はどんな薬を使っていますか?」とか、その他もろもろ・・結構詳しく聞かれました。ドクターは紹介状を見せて、「紹介状には病名しか書いてなくて、本来ほしい情報である治療経緯や使用薬剤が一切書かれていないので、使ってる薬剤によっては使うとショック症状等が出る場合があるので、知りたいんですけどね…。」で、私もはっと思いだして、ノートに外来化学療法の使用薬をメモっていたので「すいません字がキチャないですけど、入院中は説明を受けていないので、外来での使用役ならわかります。」と言って、メモ書きを見せる(やっぱ、文字はいついかなる時も丁寧に書いておかないとねでも、ドクターはこれだけ分かれば十分と言って、手術の説明をしてくれました。化学療法中の手術はとてもややこしく、リスクも大きいと・・・ましてや父は高齢で、緊急なのでお腹の中に食物が残っているし、普段血流を良くするお薬を服用しているので、出血が止まらない事もあるし、麻酔でのショック症状とかとにかく手術自体はそんなに難しいものではないけど、非常に危険な手術になると説明されました。父は腸のどこか、はっきり場所が確定できないけど、ドクターはおそらく大腸ではないかと考えているらしいが、とにかくCTだけでははっきりしないらしい。とにかく破れているか穴があいていることは間違いなく、その部分を見つけて切除して、また繋ぎ合わすけど、父の場合、化学療法と高齢で縫い合わせても、そのままくっつく能力が既にないかもしれないので、そうなると今度はお腹の中で腸管が真っ二つになってしまってそれこそ命が危ないという事で、安全策のために、70パーセントくらいは人工肛門になります。(これに関しては半年か1年たって体力が回復すればもう一度手術をして人工肛門を外すことはできると言われました) まあ、もう80歳で病気治療や感染症のリスクから外出もごく限られていて、人工肛門になっても本人にはそんなにリスクはないと思うので、人工肛門の設置(表現違ってるかな~)に承諾して、ついでにその他の承諾書8枚ぐらいにサインさせられて、午前3時半、ようやく父は手術室へと向かう事になりました。ちなみに手術室に入る父は笑顔で痛みもすでに感じないのか(この事はドクターも痛くないわけないねんけどな~?としきりに不思議がっていたけど)笑顔で「行ってきます~~~」と、手を振ってくれました。。。
2010.01.27
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2020年1月19日(火)本日おやじはICUを出て一般病棟へ移りました。おしっこのチューブも外され、今日からお水も飲めるようになって本人曰く、「ここの病院はお弁当も出してくれへん」と、憤慨していますが手術してまだ2日しか経ってないんやから、ご飯なんか食べれるわけないじゃん(術後で動けないので折角良くなっていたせん妄症が出てきていて、自分が手術を受けた事をすでに忘れてしまっているしぃ~) さて今回の父の病状の経緯ですが16日の夜10時半ごろ私が帰宅すると、ぶるぶると顔を真っ青にして「お腹が痛くて寒い」と訴える父に、ただならぬものを感じ「どこが痛いの?救急車呼ぶ?」と、私が言うと「いや、大丈夫や、もうちょっと我慢する」と、父。とりあえず私は血圧を測りながら体温計を父の耳に押し込む。血圧は上が198(下は忘れた)体温7度1分・・・その間も父は尋常じゃない震え方で、とても体温7度1分とは思えない。恐らく熱の出始めでこれからどんどん上がるに違いないと判断し、119をコールする。その間に近所の主治医も駆けつけてくれ(土曜の夜だというのに父がコールしていたらしく駆けつけてくれた。ありがと先生)で、先生に父のそばにいてもらい私は下に降りて救急車の誘導をする事に(これは消防署から、先生が付き添っているなら、近いので直ぐに行けるから出来るだけ余分な時間を取らないためにと指示されました)救急隊員の方々が到着して熱を計ると、僅かな時間の間に9度2分まで上がっていて、反対に血圧は140ほどに下がってきています。 (この処置の間に父は3度ほどおう吐しました。)そのまま直ぐに市民病院へ搬送され、処置室へ運び込まれると付き添いはいつもは外で待たされるのに、私もすぐに中へ入るように案内され、お決まりの血圧と検温。その時熱は9度9分。血圧はさらに下がって120ほど。救急の医師は簡単に診察しただけで「かなり危険な状態です。今から腹部CT撮影しますが、恐らく腸管のどこかが破れているか穴があいていると思います。たぶん緊急手術が必要になるかと思います。」「昨日化学療法をしたんですけど、副作用とかウイルス感染は考えられないですか?」と私。「可能性はあるので直ぐに血液検査もします」と医師は言いながら採血の準備をするも、すでに血管が収縮していてなかなか血管の確保ができなく、3度目でやっと採血成功!!そしてそのままそこから点滴注入開始です。(一応救急の先生の名誉の為に、父の採血や点滴の針さしはいつも大変で、これまでに挫折した先生も何人かいらっしゃいます)その後CT撮影して、胃の中の内容物が肺に入って肺炎を起こさないように鼻から管を通して胃の中のものがその管を通って出てくるような処置をされ(結局この管は昨日まで付けられたままでした)医師の説明を受けました。「ちょっと、検査結果からだけでは場所を確定しにくいのですが、やはり間違いなく腸管が破れているか穴があいていて、食べたものが腸から漏れて大変な事になっているので、緊急手術が必要です!」「早急にしないと命が危ないです!!」と、消化器内科専門の先生からの説明です「1分1秒を争うんですが、今うちのオペルームは満杯で、手術できる部屋もなければ麻酔医も手いっぱいで、うちで治療中の患者さんなんでうちで責任もって手術したいのですが、今やってる手術が終わるのを待っていたらお父さんの命が危ないので、今からすぐに手術のできる受け入れ先病院を探します。」・・・・・・お医者様の言ってることは理解できるけど・・・ ちょっと・・・びっくり・・・まあ、確かに手術室が満杯なら仕方ないし 同じ事を何度も説明され、その事を死にそうに苦しんでいる父にも説明するお医者様。(何の予防線を張っているんだと、思うのは考えすぎ??)結局、治療してもらえない病院にいくらいても時間の無駄なので早急に再搬送先の手術受け入れ病院を探してもらう事を了承しました。幸い程なくして父の手術を受け入れて頂ける病院が見つかりとりあえず何とか「たらいまわしにならずに済んだ」と、一安心して私「ちゃんと次の病院に申し送りはして頂けるんですね?」医師「もちろん検査データとお手紙もちゃんと添えておきます」私「父は特殊な病気治療中なのでその事は大丈夫ですか?」医師「大丈夫です。ちゃんとその事も伝えておきます。」まあ、父のATLの治療経過をちゃんと伝えてくれるなら、と、幾分安心してお会計へその時、フィルム2枚と薄っぺらい封筒を渡され「貸出フィルムと紹介状です。フィルムは後日返却してください。」えっ?こんな薄っぺらい封筒で父の治療経過がわかるのやろか???私はてっきりカルテほとんど貸してくれるのかと思ったよまま・・気を取り直して時間は日付が変わって、17日午前1時半すぎ。申し訳ないと見送る看護師さんに「仕方ないです。ありがとうございました。」と、再度救急車に乗り込む事に。。。。 疲れたので、続きはまたにします
2010.01.19
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本日はお日柄もよく・・・私の住む町神戸も穏やかな暖かい日となりました私たち仲良し親子はこんなふうに日差しの優しい時は狭いベランダでモーニングカフェしたり昼間っからでランチしたりしてなんとなくバリの雰囲気を感じながら楽しむのが好きでした今日、午前のICU面会から一旦自宅に戻ってきてお布団を干していると、あまりにも温かくて気持ちがよいので父のおやつのカステラで一人カフェしましたいや、足もとでかわいいにゃんズも日光浴してたっけ・・ICUに入ると父が看護師さんに何か文句を言っているところでしたまだ何も飲めないけど、元気そうです救急搬送後から術後もずっと通されていた鼻から胃のチューブもなくなっていました身体抑制も解除されていました 父は元気に頑張っています
2010.01.18
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昨日、夜の10時半ごろ、震災追悼前夜祭のライブから帰ると父がぶるぶる震えながらお腹が痛いと、全く血の気のない顔で訴えました。詳細は後日落ち着いたら書きますが1分1秒を争う中、午前3時半ごろより緊急開腹手術が行われました。大腸の一部を切除し手術は一応無事に終わりましたがまんの悪い事に、普通でも術後の感染症の危険性が高い中父は化学療法後で、これからどんどん免疫力が下がって行きます。すでにかなり貧血が起きているらしく、敗血症が非常に怖いです。 14時ころの父です。体中に何本もチューブを通され、無意識にチューブを抜いてしまわないよう抑制(体が動かに様固定されている)されています。痛々しいですが、チューブは父の命綱なので…ここは我慢(ナミダお腹中菌に侵され、術後も高熱が続き苦しいけどがんばっています!! みなさん少しでいいです父に力を貸してやってください
2010.01.17
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2010年1月15日(金曜日) その2本日の化学療法メニューですが・・・ドクターは元に戻してと言っていましたが、やっぱりアドリアシンは省かれていましたしかも、処方も当初の予定より少し軽くなっていました。父の病状はどうなんだ少し気になるところですが、これもプロのドクターがなんとなく治療をやり過ごすのではなくて、その日の父の体調に適した治療をしてくれているのだと、前向きに解釈することにまた、アドリアシンについては、その内ドクターに聞いてみようと思っていますいつも化学療法の最初は制吐剤のカイトリルパックからです。3mg/100ml ソルメドロール40mg 30min 点滴を開始すると、すぐにオンコピンを点滴静注します。オンコピン1mg 20ml 3min制吐剤と同時進行でソリターT3 200mlプリベラン0mg/20ml メイロンB4注 120minエンドキサン500mg 生食180ml 60minエンドキサンはカイトリルパック終了後注入開始です以上、昨日の化学療法自体はは2時間強で終了しました。で、昨日は朝自宅を出たのが8時20分、自宅に帰りついたのが2時半、都合6時間強、やっぱり結構時間かかりましたね~~でも、途中お弁当タイムやおやつタイムを取ったので(しかもお昼寝タイムも取ったし)なんとなくあっという間でしたがつかれた~~~帰宅後は二人でお茶して、再び二人してお昼寝タイム私は5時半頃まで父は夕御飯の支度が出来て起こすまでの7時ころまで爆睡でした夕食はもう買い物に出かけるのも面倒なので、ありあわせで焼き肉(肉食系の我が家ではお肉は結構たくさん常時冷凍保存してあります)お肉メインでしたが、おやじはものすごい食欲で「おいしいなあ~~」を、連呼しつつ食べてましたホントはダメなんやけどをミニグラスに半分ほど飲ませてあげました楽しく生きていくためには少々のご法度も必要ですよね~~
2010.01.16
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2010年1月15日(金曜日)今日は待ちに待った(?)5回目の化学療法の日です。予約は午前9時からドクターの診察、9時半から化学療法でしたがもらっていた予約表の血液検査が8時45分開始と書いてあったのであんまり待つのもいやだし(ほんとは朝起きるのがつらい、とはいえこれでも、朝6時半起きで軽くご飯食べて、治療中に食べるお昼用のおでん温めて、おにぎり作って、他におやつやジュースなど用意しなきゃなので、ねむ~~~いデス)なので、8時20分ころにタクシーを予約して病院へ・・・で、40分ごろに病院到着して3階の採血センターへ行ってみるといやはや、採血の受付が長蛇の列です列の横で、受付の番号札を配っていて、もらったのが68番時間は9時10分前・・・これじゃ診察時間の9時には検査結果どころか採血自体、まだジャンです番号札配ってる人に、9時から診察で9時半から化学療法なんやけど、間に合う?と、控えめに聞いてみるも、無理ですねと、ケンモホロロ・・まあ、これも初体験で勉強の内と、次回から朝一の化学療法の時には8時ころには病院に到着するようにしよう(と、心に誓ったけど、これ以上早起きするのはたぶん無理やわ~~)まあ、どうしようもないので、68番目に受付して採血ルームの部屋の前で待機する事に・・採血の順番は64番目やったんですけど、なぜだかまだ20番台のコールが流れているのに、採血室からおにーちゃんが出てきて「○○○さんですか?採血しますので中へどうぞ」ですって何だか知らないけど、こんなに順番飛ばしして頂いちゃって、ありがとうございますそれでも、結局検査結果出たのは10時半ごろ。この間の待ち時間も、待合室で例の如く横にならせていたら看護師さんが3人ほど来て「具合悪いですか?」と、天使のほほえみ「いえいえ、いつも待ち時間長くてその間に体調悪くなっちゃうんで、念のために休ませているだけなんです」と、私。それでも、今日は処置室に空きベッドが有りますので、検査結果出るまで中で横になっていて下さいと言われ処置室で検査結果出るまでゆっくり横になっている事に。。。ほんで、検査結果出てドクターが来てくれた時には、あまりに快適すぎたのか、おやじったら、爆睡中で「○○○さん、今日の体の具合はどう?」て、ドクターが言うと「モゴモゴモゴ」と、ボケボケ・・・驚くドクターに「寝ぼけてるだけです」と、説明する私ドクターは笑いながら、「うん、元気そうやねほんなら、今日は前回まで緩めていた治療をちょっともとに戻してガンバろね」ほんま、今日も治療延期にならないかとドキドキやったのでほっと一安心して、化学療法センターへ行ってきまぁ~っす
2010.01.15
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今日は父の病状も安定していて取り立てて書く事もないので、病気発症の経過を辿ってみたいと思います。そもそも父がATLを発症したことについてまずは、父にも私たち家族にも全く知りえなかったことですが父がHTLV-1というウイルスのキャリアであったという事が大前提となります。本来HTLV-1のキャリアであるという事が自分で認識できていれば、体調に異変が出てき来た時にこのウイルスから発症するであろう病気を疑う事が出来、それを念頭に置いてすべての病状を確認していくでしょうから、かなり早い時期に病気確定が出来て、ある程度健康な状態で治療を開始できたはずでした。HIVやC型肝炎・B型肝炎のように国レベルで広く国民に対して警鐘を鳴らしてくれていれば、せめて自分自身でHTLV-1のキャリアであるという事の自覚があれば、いやその前に、この世にHTLV-1というウイルスが存在するという事を知っていれば・・・と、本当にこのウイルスを発見以降、有識者たちが危険信号を発していたにも拘らず30年近くも放置していた国の責任は重いと思います。過去何件かの国の「臭いものには蓋をしろ!」的な政策は見てきましたが、本当に情けない話、このような事がまさか自分の身の上に降りかかってこようとは思いもせず、常に他人事で「かわいそうに」位の感情しか持たず生きてきた事を恥じ入るばかりです。ただ、今現在の父の状況においてはこのウイルスの存在など全く知らず、自分がとんでもないウイルスのキャリアである事も、もちろん成人T細胞白血病リンパ腫などという一度かかったが最後というような病気に侵されたことも全く知らず、能天気に闘病している父を見ていると、知らなかったという事もそれなりにラッキーではなかったかと思っているのも事実なんで・・・思うに、要は物は取りよう使いよう~病は気からなんて言うように、ポジティブにお気楽にという事はとっても大切な事なのかもしれないと、感じたりもしている今日この頃なのでありますとは言いながらも、厚労省のお偉い方々にはもう少し国の未来を考えて、目先の自分たちの保身だけに身を費やすのではなく、ながーい良識有る物差しで国民の幸せを考えて欲しいものです。で、父の病気の発症時期ですが色々ネット検索をしていて、平均潜伏期間が30~50年、120万人ほどのHTLV-1キャリアの内僅か5パーセントほどしか発症しないという事で、まだまだ未知の部分が多く確たる発症の原因はつかめていないみたいですが、とりあえずの要因としては、やはり極普通に体力が低下して免疫力が弱った時にウイルスがもぞもぞと動き出して発症するという事らしいので、父の場合の発症原因は、昨年3月29日に遭遇した交通事故が引き金になったように思うのです。事故自体は右胸骨1本と左足小指の下の細い骨の骨折に、軽い腎臓損傷と打撲で全治1カ月でした。幸いにも元々非常に頑丈な体を持っていた父は、80歳前だというのに何の後遺症もなく2か月ほどでほぼ完治しました。でも、怪我が治ってくるのと反比例して、父は何だか訳の解らない体調不安を訴えるようになり、精神的にも軽い鬱のような状態になってきました。で、以前からお世話になっているホームドクターや総合病院などでいろいろ検査してもらうも、全く異常はなく・・というか、むしろ年齢的にはかなり健康で内臓もいたってきれいという診断でした。その頃の事を思い返して、父にはとっても可哀そうだったなと思うのは私も休日の度に父を連れては病院巡りで、しかも検査の度にドクターはどこも異常なしというし、でも、家に帰ると「体が変や、どっかおかしい」と繰り返す父に、私も折角の休日を父の病院巡りの為に潰されたりで、腹が立って結構きつい事を言ったりもしたので、いくら知らなかった事とはいえ反省しきりな訳なのであります(これもこのウイルスを広く告知していなかった国の責任やね)(以下後日、暇な時に続きます) お正月の2日今年の父の仕事始めは「お散歩」です昨年の10月頃にはほぼ植物状態だったのが長年付き合ってきた娘でさえ全く気がつかなかった父の・・・ど根性脅威の頑張りで元気に一人で歩けるようになりました
2010.01.09
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今年もいよいよ50時間で終わっちゃいますね。。。みなさまお正月準備はバッチリですか~さて、私ですが・・・いつもだと、何の事のはない年の瀬ですが今年は思いもよらない事続きで今年はとってもお正月が待ち遠しいです明日から冷え込むそうです少しバリの写真で温まって下さいませ~~2009年12月28日(月曜日)今年最後のお休みは父の主治医から月曜日にもう一度来て下さいと言われていたので先日の下血と輸血の検査確認の為に市民病院へ行ってきました。予約外の検診なので免血内科の受付で名前を言ってその旨告げると「はい、先生から指示が出ていますので、今担当の看護師を呼んできますね」と、奥に行って、その後すぐにきれいな看護師さんが出てきて来て下さり父の具合を色々と聞いてくれて、先生の診察の前に採血してきて下さいと言われました。またその看護師さんとっても親切で「採血が済んだら、結果が出るまでに1時間以上かかりますので、それまで椅子に座っていると疲れると思いますので、処置室のベッドで休めるようにしておきます」と笑顔で言ってくれましたいつもは待合の椅子で横にならせているので(もちろん具合が悪いと申し出ればベッドで横にならせてくれるけど)向こうから気遣ってもらえると、うれしいもんですね~~で、ベッドでゆっくり待つこと1時間チョイドクターが 「よかった、よかった」 と、笑顔で診察に来てくれました。 輸血が効果てき面だったらしく、検査結果は良好ですでに下血も止まっているなら、心配ないけど「念のために、抗ウイルスのお薬あと4日ほど飲みましょうね」と言われ、後は年明けの15日に予定通り次の化学療法頑張ろうねで、無罪放免となりました大きな病院で外来化学療法を受けていて、一番心配だったのが病気の急変時の病院側の対応でしたが今回は最初の電話対応もスムーズに主治医につながりその後救急外来での輸血などの処置も、主治医と救急担当医が連携を取りながら適切な処置をしてもらえその後予約外での臨時検診なども、待ち時間無くとてもスムーズに対応してもらえて本当に大満足でした~~【本日の処方薬】バリキサ錠450ml 抗ウイルス剤(トータル7日間飲みます)薬価は1錠350円ほど、父は1割負担なので保険適用なしだと3500円いやはや、仮に3割負担でも1錠1000円ほど・・・ がん保険未加入のあなた備えあれば憂いなしまだ遅くはないですがん保険には入っておきましょうね
2009.12.29
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2009年12月25日(金曜日)つい今しがた市民病院の救急外来から戻ってきました。父が一昨日辺りから便に血が混ざって真っ赤やというので今朝確認したところ結構血が出ていたのでお昼頃、仕事の合間に主治医とコンタクトを取り色々相談の結果、主治医も検査結果診ないと電話だけでは何とも判断できかねるという事で、私が仕事終わってから、夜救急外来で検査を受ける事にしました。で、検査の結果、やはり痔などではなく、どこかから出血はしているがとりあえず今の量では内視鏡入れて止血するほどではないらしく。それでも、かなり貧血状態なのでとりあえず輸血して、感染症抑えるお薬飲んで安定しそうなら月曜日までこのまま経過観察とする事になり28日の月曜日にもう一度ちゃんと主治医に診断してもらう事になりました。もちろん、このまま大量下血となる可能性もあるのでその場合はもちろんもう一度救急外来でさらに処置してもらう事になります。 なるべくならもう、入院させたくないのでこのまま何とか安定してくれ!!と、祈るばかりです。。。
2009.12.25
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今日は珍しく2回目の更新です2009年12月22日(火曜日)今日の神戸は少し寒さも緩んで、少しだけ過ごしやすいです今日は久々に何の予定もない休日でしたので父を連れて近くの公園までお散歩に行ってきました最近はぐんぐん元気になってきている父ですが2か月ほど前までは生死の境を彷徨うような状態で、寝たきりでしたのでまだまだ一人で外出はできませんそれに感染症の危険は常に付きまとうのでお散歩は我が家的には、ちょっとした冒険でほとんど体力のない父にはかなりヘビーな運動になります。普通にゆっくり歩いているだけでも息が上がってゼイゼイ言ってるけど歩かないと体力も衰えるし、筋力もなくなるしそうなると当然抵抗力も衰え、認知のような症状も出てくるで、結局病気に負けちゃう事になってしまうので心臓の方も発作を起こさないように気をつけながら少しずつでも体力をつけるために、お天気が良くて気分の良い日はがんばってお散歩いくようにしてますさて、本日のお題のヤクルトの効能なんですが色々父の病気を調べているときにどこかでATLの発症を抑えるとか、遅らせる効果があるとかというような事を読んだような気がするので、今は毎日飲ませていますATL発症してしまってからでは手遅れなのかもしれないけどまあ、とりあえずは気は心で・・という事でかなりピンボケやけど、甘さ控えめのヤクルトのライトですかなり好みの味らしく、おいしいと言って毎日飲んでいます今日のちびくんと花子ちゃん・・・獣医さんへワクチン接種に行くつもりでリードつける用意したんやけど先日15000円も出して購入したキャリーをちびが大暴れして壊してしまいました ショックで 今日は獣医さんいけませんでした
2009.12.22
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2009年12月21日(月曜日)中央市民・免疫血液内科と精神科受診。今日は化学療法から10日目ちょうど副作用が出ている頃なので、その検診に行きました。と言っても検査は血液検査だけで、結果は白血球数が3900基準値よりほんのちょっぴり低いだけです前回は300まで下がったのでかなり好調ですもちろん副作用の治療は無ジェナニックという感染症のお薬を3日分追加だけでしたまあ、今回の治療はドクター曰く「舐めるような治療やったからね」と、言うことだったのでこれで大きな副作用が出るようでは今後の化学療法が大幅にカットされることになりかねないとも思えるけど・・精神科の方は自宅に帰ってきて以降かなり落ち着いているのでお薬は現状のままで様子見。せん妄症もかなり良くなってきていて、認知のような症状はほとんどなくなりました。鬱とパニックも今のところはなりを潜めています
2009.12.22
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昨日の夜、お客様から頂いた酒粕があったので父が大好きな粕汁を有り合わせの食材で作りました。具材は、豚肉・赤人参・かぶら・サトイモ・こんにゃく・小松菜 デスたくさん栄養が取れるようにかなり具だくさんに作ります。私は粕汁ってあんまり好きじゃないので、作るの初体験でしたで、出来上がりは、なんか粕汁やと思えんほど、クリーミーでおいしかったですもちろんパパちゃんにも大好評でたくさん食べてくれました私も今までおいしいと思った事なかったけどこの自作の粕汁はとってもおいしかった朝からほんのりお酒テイストのご飯食べてめちゃええ気分でお仕事に取り掛かれましたちなみのこの酒粕は菊正酒造の従業員にだけ割り当てられる今年もののフレッシュ酒粕です色も市販の分とは違っていて、もも色がかっています。ほら出来上がった粕汁もうっすらピンクでしょ
2009.12.20
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今日はほんとに寒かったです今年一番の寒さです2009年12月18日(金曜日)化学療法から丸1週間…パパちゃん、なんか取っても元気ですでも、そろそろ白血球も落ちてくるし、副作用も出てくるはずなのでなんか、ドキドキしています今から10日間・・・何事もなく元気で過ごしてくれますよーーに 昨日の仕事帰りドラッグストアでかわいい湯たんぽの見切りセールしてたので普通のと足用のと2個買いました中身はこんな感じこのままで使うと火傷しちゃうけど、かわいい色ですかわいいマトリューシカが大きいほうのカバーです足用の羊さん割れてる所から湯たんぽと足を入れます。あったかいです~~~~かわいいマトリューシカは体温の上がらない父の為に買ったのですがあったかいととても気に入ってくれました羊さんは私用に買ったのですがにゃんずが寄り添って使っていますこれ、どっちも950円だったんです(カバー付きね)とってもいいお買い物でしたね~~~
2009.12.18
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2009年12月16日(水曜日)今日は少し冷え込んでいます(雪は降ってないよ今日の父はそろそろ免疫力が下降していく時期なんですが口では相も変わらず調子悪いとか胸が苦しいとか言ってるけど元気です食欲もしっかりあって、果物もよく食べています。先日の化学療法の時に薬剤師さんに「白血球を増やす食べ物ってあるんですかね?」と、お尋ねしたところ「とにかく食べてください同じものを山ほどでも、大好きなもの集中的にでも栄養バランスも何も考えなくていいので、とにかくお父様が食べたいと仰るものなんでも食べさせてあげて下さい」という事でした。薬剤師さんのおっしゃる事とても簡単な事のようなんですが食欲がほとんどゼロの父にはとても大変なことです。とにかく空腹を感じて、自分から何か食べたいという欲がなくなっているので・・・でも、この2~3日は出したものほとんど完食するのでちょっと嬉しいけどこの先の免疫力の低下と共に、いつ食べなくなるのやろ??と、反動を考えるとちょっと不安ですが。。。さて、この写真なんか変やと思うけど、いちごですなんともまずそうですがグリーンのジェンガラが皮()を剥いたイチゴ黒いジェンガラが剥いたイチゴの皮です父の病気ATLには特に持病がなければ食事制限はありません。ただ、免疫力の関係で生ものや皮のない果物、野菜も加熱処理したものしか食べられません。いちごやサクランボ、ブドウは基本食べないで下さいと言われますがブドウは大粒のもので皮をむいて食べる分には構わないそうなのでドクターに確認したわけではないけど直接空気や土に触れる部分は洗って皮をむいちゃえばだろうと勝手に解釈してせっかく頂いたので、今夜のデザートに父と食べちゃいましたもちろん、父が中身で私がぐちゃぐちゃの皮の部分を食べたのですが…まあ、やっぱ、イチゴは皮をむいて食べるもんではないかと・・・(こんな食べ方する人はいないとは思うけど)でも、父に「なんか、まずいからミルク掛ける?」て、聞いたら「いや、このままでおいしいから、このまま食べる」と、おいしそうにむしゃむしゃ食べてましたさて、先ほどホームドクターのM先生が一昨日から昨日にかけて父が受けていた「24時間の心臓ホルダー検査」の結果と血液検査の結果を説明に来てくれました。血液検査は赤血球数が少し低い程度で他は白血球も血清総蛋白もアルブミンも標準値で見事に問題なしと褒められその見事な回復力に驚かれてましたM先生曰く「この回復力があったからこそハードな治療にも耐えて生還したんやろうね」という事でしたそして、肝心の24時間心ホルダーの結果ですがやはり、適度に頻脈発作が起きているらしく悪くすれば突然止まることもあり得るという事でした一応様子見の対策として心筋を弱める不整脈を抑えるメキシチールカプセルを止めて(メキシチールは不整脈を抑えると同時に心筋の働きも弱めてしまうので、心臓のポンプの働きが弱まってしまうので、結果、アドリアマイシンの毒性に耐えられなくなってしまうみたいです)朝のみ服用していた狭心症を抑えるヘルベッサーを朝夕の2回服用に増やします。ヘルベッサーは持続時間がそんなに長くないので、24時間カバーするには夜も服用した方が夜中や朝方の発作はある程度改善されるだろうという事です。これで少しは狭心症の方が改善されて、次回の化学療法はベストコンディションで受けられるといいんやけどなぁ~~
2009.12.16
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2009年12月15日(火曜日)今日は珍しく私が朝起きると、父がすでに起きてコタツに入ってテレビを見ていました。朝は気分が優れない事が多いのでちょっと驚きましたまあ、相変わらず頭が痛いとか、気分が悪いとかは言っていますがそんな事は化学療法後やし、病気治療中で決して健康体ではないので当り前な症状なんで、聞き流す事にしています今日は食事も比較的たくさん食べ、おやつや果物も適度につまんでいるし化学療法後としてはかなり体調は良い方です父が受けている化学療法はCHOP療法というものです。このCHOPとは単純に使用薬の頭文字を並べたものでCはCyclophosphamide - シクロフォスファミド。商品名:エンドキサン® HはHydroxydaunorubicin - ドキソルビシン、アドリアマイシンの別名。商品名:アドリアシン® OはOncovin®(商品名:オンコビン) - vincristine、ビンクリスチン Pは Prednisone または Prednisolone. - ステロイド(プレドニゾロンなど) 父は現在この化学療法を4クール終了したところです。1回目の治療に入る時点でほとんど瀕死の状態だった父ですが幸いにもこの化学療法が効いて今現在在宅で引き続き治療を受けれている訳なんですが脱毛や倦怠感、感染症などの副作用は当然ながら普通に現れています。でも、元々父は心疾患を患っているため通常6回目あたりから出てくるアドリアマイシンの副作用である心筋症が出ていてそのために化学療法が延期になったり、4回目の化学療法ではアドリアマシンを抜いて行われました。化学療法は健康体でもきついので心臓疾患などがあれば到底続ける事が出来なくなりかなりな確率で再発を繰り返すATLにおいて化学療法が続けられないと恐らく、確実に再発して簡単に天国の扉を開けてしまう事になってしまうでしょう。アドリアマイシンの毒素は体に蓄積されていくので、生涯を通して摂取できる量が決まっているそうです。完全完解が難しいATLですがわずかな望みをかけて治療に必要不可欠なアドリアマイシンは使い続けたい薬剤であるとは思われますが、心臓がアドリアマイシンの毒素に耐えられなければそれもままならず、本当に悩ましいです。で、父の心臓に関しては入院中より引き続いて市民病院で診てもらっていましたが、今後再入院する気は全くなく、最期の時は自宅より送り出してあげようと決めて前回治療終了後自宅に連れ帰ったので、心のケアもして頂けるホームドクターにお願いする事を選択しました。大きな病院は大きな病気には対応できるけど、細かい配慮や生活習慣病の延長みたいな症状には不向きなような気がするのと、大きな病院で長い時間待っている体力がない事や通院するにも遠くて体力的にきつい事や往診もしてくれる訳ではないので、やはり親身にいろいろ相談にも応じてもらえるご近所のクリニックが一番だと判断したのです。大きな病院での数々の経験を経て、改めて治療に於いてドクターと患者の信頼感と言うか安心感が大きなウエイトを占めると痛感したので、父の性格も健康だった時の父の事もよく知ってもらっているご近所の先生が一番だと思い知った故の決断ですまた、幸いにもこのクリニックのM先生が循環器の専門医なので色々な事を教えていただけるのも非常にありがたいですちなみに、今日からそろそろ免疫力が低下してくるので、免疫力低下からの感染症を防ぐお薬の服用が始まります。7日間飲みきりで合成抗菌剤ジェニナック錠200mg2錠を1日1度服用します。他に化学療法に関係なくカビ菌を抑えるフルコナゾールカプセル100g1日1カプセル細菌感染症を防ぐバクタ1錠を1週間に2回は常時服用しています。今回の化学療法はかなり軽めになっているので、感染症に関するお薬はいつもより少なめです。
2009.12.15
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2009年12月14日(月曜日)今日はお仕事お休みなので、にゃんず達をワクチン接種と健康診断に連れて行く予定でした。でも、目覚まし要らずの休日の早朝…起きる時間気にする事のない貴重な休日の朝なのに父に胸が苦しいと、たたき起こされる(私は父が退院して以降、急変に対応できるように父の部屋のベッドの横の床にお布団敷いて寝起きしています。)寝ぼけた状態でとりあえず血圧と熱を測る。血圧140/78 心拍102 体温36,7度血圧はやや高め程度やけど、心拍数が多いのでミオコールスプレーを1プッシュして、尚胸が苦しいという父に、15分程度待ってもらう。20分ほどして再度血圧と体温を測るも、改善は見られず、体温が7度1分に上昇。今度はニトロを服用させ、10分ほど経ってもかなり胸が苦しそうなので化学療法の副作用も考えられるので救急車を呼ぶことにしました。救急車に乗って、父の心電図を撮ってもらいながら病気の説明をし中央市民病院への搬送をお願いするも、病院側からベッド満床の為受け入れを全面拒否されているので他病院への搬送になりますと言われた。いつも緊急の時には必ず受け入れるので安心してくださいと言われていたので、ちょっとびっくりしたけど、そこは救急隊員さんにはっきりお断りして「金曜日に化学療法受けたとこで、副作用から来る胸痛かもしれないし、特殊な治療の最中にほかの病院に行っても意味がないので、市民病院に運んでください」と、お願いして、救急隊員さんが再度病院に掛け合ってくれて、やっとこ市民病院への搬送して頂きました。結局、いろいろ検査して乳酸リンゲル点滴しているうちに何とか治まり、おそらく化学療法からの副作用でもないという説明を受け、一安心あとはホームドクターに対処してもらうので、検査結果や症状のお手紙を書いて頂いて帰宅する事にしました。帰宅後は食事もしっかり取りのんびり過ごしています。ちなみに、父のことで救急コールするときは、私なりにできるだけ救急車を使わないようにと、父の狭心症の症状を和らげるよう(1)バイタル・体温・など素人なりに確認できることは確認しその症状によって(2)ミオコールスプレー(ニトロ)(3)決められたお薬の時間が近いときには、ラコール(処方栄養ドリンク)などを飲ませてお薬を服用させてみる。(4)不安時のパニックを抑える安定剤を飲ませる。(病気による、鬱とパニックと診断されている)以上をその時々の判断で対処してみて、収まらない場合はタクシーで行けるときはタクシーで、無理なような時には救急搬送をお願いすることにしています。今日は胸痛と共に7度1分と熱が出てきていたので、感染症引き起こしている恐れがあったので、救急車お願いする事にしました。ATL(成人T細胞白血病/リンパ腫)は化学療法がある程度快調に進んでいても、元々免疫をつかさどる細胞がウイルスに侵されて機能しないうえに、化学療法によってほとんど免疫機能のない状態になってしまうので、目に見えない敵「感染症」に簡単に命を奪われてしまうのです。感染症というのは、当然ながら全く目に見えないので自宅療養中での判断基準が体温しかないので1日に数度の検温は欠かせません。
2009.12.14
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今さなんですが頑張っている父の日々を自分なりに記録して行ってみようかと思っています。前回にもチラッと言いましたが父の病名「成人T細胞リンパ腫・ATL」はとても珍しい病気でまだまだ症例数が少なく宣告されたほとんどの患者や家族は情報の少なさと存命率の低さと、治療法が確立されていない事や普通の医療機関ではこの病気についての知識が風のうわさ・・程度の知識しかない事で途方に暮れると思います。なので、このブログをいきなし方向転換して患者家族からの視点で父の闘病記をしたためてみようかと思います。おそらくここに訪れてくる方たちには全く縁のない話だとは思うけどこれからこの病気を宣告された人の少しでもお役にたてれば・・と中々、初志貫徹という言葉が苦手な私ですが少し頑張ってみたいと思いますまずは最初に、かわいいクリスマスにゃん子で癒されてチョ 2009年12月11日(金曜日)晴れ化学療法4クール目(CHOP療法4回目)今日は初めての外来での化学療法の日です。本当は7日の月曜日の予定でしたが、化学療法前の血液検査と検査結果が出て化学療法前の診察までの1時間半ほどの間に、父が疲れてしまい、いざ診察の時になって心臓の調子が悪くなり不正脈が出たため、ドクターに延期を宣告され、泣く泣く無駄な1日を過ごしてしまったのでした父の治療には付き添いが必要なんですが、12月は私のお仕事も書き入れ時やからお仕事何日も休むのはつらいなので、今日は延期されてなるものかと万端の態勢で行こうと、病院内は車いす、検査結果待ってる間は産科の待合で(インフル患者が少ない)枕して毛布かぶせてアイアイマスクして寝かせておくことに市民病院の外来化学療法センターは11階東病棟があてられています。バス・トイレ、洗面・応接セット完備の個室対応なので、快適でした【点滴内容】ソルデム3A500ml(プリベラン2ml・メイロン8420ml)3時間オンコピン1mg 20mlカイトリル(制吐剤)3mg 100ml(ソルメドロール40mg)30分エンドキサン(生食100ml)1時間点滴はソルデムを静注しながら横からほかの薬剤を入れて行くので全部で3時間ほどで終了。準備時間入れて大体4時間くらい。でも、化学療法前の検査から入れると、6時間半・・・やっぱ、体力のない病人にはつらいよねえ~~化学療法自体はゆったりと落ち着いて受けられるのでこんな事なら3回目あたりから、通院での治療に切り替えれば3回目の後の感染症で父をつらい目にあわせずに済んだのにと後悔するもこれも全て経験してみて初めて分かることやから病気治療というのは、患者も家族も日々勉強と、納得することにとにかく、4回目の化学療法は無事完了後は1週間後からの免疫力低下までは少しのんびりできます んで、今日も今日とて「志村動物園」にかぶりつきのちびくんこの闘病記、いきなり化学療法4回目から始まってしまっているので何が何のことやらとは思いますが時間の有る時に、事の始まりから書いていこうとは思っているのでその内なんとなくデモ皆さんに理解して頂ければと思っておりますデス
2009.12.12
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