6月7日の朝にいきます

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2026年04月03日
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カテゴリ: 私の宗教観

その中で気になったのが「ちゃんとお寺さんでお位牌を供養しないとバチが当たる」というもの。

心配くださっているのは、とてもありがたい。心から気遣ってくださる方の存在はありがたい。
でも・・バチが当たる、って・・?
私は争いごとが大嫌いなので、穏やかにお窺いの文章を送ると、
「貴女が癌になるとか、交通事故に遭うとか、貴女の大事な人がそういう目に遭うとか…」
どうやら、そういうことらしい。

でもこういう考えって、社会的に問題になっている某新興宗教と、結果的には同じじゃないかな?
「先祖供養ができていないから、貴女の息子さんは難病にかかったのです」。
「先祖に水子がいますね。その供養がなされていないから、娘さんに子供が授からないのです」
などと言って、供養のための壺だの仏具だのを高額で買わせる‥。

もちろん、心配してメールをくだっさった方にはそういう下心はないと解かっている。
でもね、と反論したくなる。 私の祖母は私の幸せを常に祈ってくれていた人だ。
自分の命と引き換えに私の病いが治るなら、喜んで命さえ差し出すような愛し方をしてくれた人。
祖父は父が大学生の時に病気で亡くなったけれど、やはり家族愛の深い人だったと聞いている。

父に関しては、葬儀に住職を呼ばなかったので、位牌に魂を入れる儀式は行われていないし、母もまた同じ。
つまり位牌から魂を抜く必要があるのは、祖父母だけらしいが、
で、いったいどちらがどんなバチを孫の私に当てるというの?
それとも釈尊や大日如来がバチを・・? それこそバチ当たりな考えだと思う。


あの世にまでお金は持って行けない。そして、あの世にお金を送ることもできない。
お布施で数十万、もしくは百の単位のお金を支払うことが、供養になるとは思えない。

お金は現世限りのもの。
それだけのお金があれば、現世で今苦しんでいる人や動物に少しは援助ができるだろう。
そして祖父母はきっと、自分たちの供養よりもそちらを望むはず。

愛をもって私なりのお位牌供養をするということは、そういうことだ。
私を心から案じてくださるかた、どうか解ってほしい。

もしかしたら、今後、癌になったり、交通事故に遭ったり、何かしら悪いことが降りかかるかもしれない。
でも、それは「バチ」が当たったのではなく、そういう運命だったのだと思う。

そもそも(誰しも)が、常に温泉につかっているように、のほほんと穏やかに生きていかれる方が珍しいのだ。
もし何かしら思いがけない目に遭うことがあっても、それは甘んじて受け入れるしかない。





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最終更新日  2026年04月04日 14時20分02秒
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