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本書は、光速を超える波「重力波(=気・念波)」や「グラヴィトン」について、関英男さんの、高次元科学ベースにした最先端科学の理論での説明から始まり、植芝盛平さんや、中村天風さんに師事した、武道の達人、佐々木の将人さんの半生や、神道観を鮮やかに描きつつ、後半は、「心」の重要性が、ふたりの口から語られています。結局、行き着くところは「心」であると。自分自身、本書に載っていたことで、感銘を受け、実践していきたいなと感じた、考え方などを、最後に、まとめて取り上げて見ます。★関英男さんのすすめる「洗心」★以下引用。●常の心強く、正しく、明るく、我を折り、宜しからぬ欲を捨て、皆仲良く相和して、感謝の生活をなせ●ご法度の心憎しみ、妬み、嫉み、恨み、呪い、怒り、不平、不満、疑い、迷い、心配心、咎めの心、いらいらする心、せかせかする心を起こしてはならぬ「この洗心を実行することによって、その人の霊性が高められ神に通じる心が培われ、グラヴィトンを有効的に使うことができるのです。洗心をすれば、体にも心にも良く、人生が開けます。」★佐々木の将人さんがすすめる「プラナヤマ法の誦句」★以下引用。「呼吸法は本当に重要です。合気道に技の原点でもある「呼吸法」という技にして技ではない技がありますが、これが案外簡単な要で難しい。(中略)私の道場では、稽古の前に天風先生に教わった呼吸法をやっています。これはシンプルなものですが、その人の思いによって成功率は変わってきます。呼吸法の前に「プラヤマナ法のしょう句」というのを唱えるのですが、難しい文句を、子どもたちも、皆そらで覚えています。この呼吸法をやると人格が変わります。」「プラナヤマ法の誦句」「神韻縹渺(しんいんひょうびょう)たる大宇宙の精気の中には我ら人間の生命エネルギーを力づける活力なるものが隈なく遍満存在している。今わたくしは、プラナヤマ法と称する特殊なる密法を行い、この活力を五臓六腑はもちろん四肢の末端に至るまで深甚なる感謝をもって思う存分吸収しよう。」●呼吸法のやり方1.姿勢を正しくし、丹田を意識します。2.そして、息を吐ききります。吐くときに心身がきれいになった、悪いものが出ていったとイメージします。3.最後に、もうこれ以上息が出せないと思ったところで、もう一度息を吐き出し、肛門をきゅっと締めます。息を吸うときは、感謝しながら腹いっぱい吸い、その空気を止め役10秒間丹田に押し込め、五臓六腑から、髪の毛の一本一本にまで活力がいきわたったと思い吐きだすことです。★み鏡御拝(かがみぎょはい)の儀★以下引用。「夜の寝際というのは、無条件に暗示にかかる重要なときで、潜在意識に皆入ってしまう。(中略)テレビの前で赤ん坊を寝かせると、暴力的な言葉が全部入ってしまってそれが実現するのです。自霊拝では、夜の寝際に鏡に向かって「お前は信念が強くなる」と言い、朝起きた時は鏡に向かって「お前は信念が強くなった」と言います。洗心もこの密法を使って潜在意識に入れておくといいですね。そうすれば明るい人生が開けるでしょう。神理は簡単であるが真理は深い。」★そらで覚え唱和する★以下引用。「「叶う」という字は、口でプラスのことを言うことです。口に出していくことが大事です。このことは、意外に皆知らないですね。知っていても馬鹿にしてやらない。毎日唱えていたら、変わります。天風先生もよく誦句を皆に大きな声ではっきりと、格調高く、そらで言わせていました。その誦句の1つは、わたしの道場で子供クラスの最後にやっています。子供でもちゃんとそらんじています。そのときは、よく意味がわからなくても、そらんじたものと言うのは、ずっと心の中に残りますからね。」「今日一日、怒らず、怖れず、悲しまず、正直、親切に、愉快に力と 勇気と 信念とを持って自己の人生に対する責務を果たし恒に平和と愛とを失わざる立派な人間として生きることを厳かにちかいます」と、いうことで、引用ばかり担ってしまいましたが、自分なりに実践していきたな、と思いました。
March 31, 2005
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「ニュートン力学」では、矛盾が生じてきて、そこで、登場したのが、ニュートン力学をも包み込む法則、「アインシュタインの法則」。では、アインシュタインの法則は、完全かというと、どうもそうではなく、この法則を包み込む、もっと大きな法則があるのではないか、といわれ、その法則が、形を見せ始めたのが、「今の時代」に当たるのかもしれません。この本で出てくる耳慣れない言葉「グラヴィトン」とは、いわば、「気」や「念波」のことであり、この「グラヴィトン」が、どうやら「光速」を超える速さを持つらしい、というのが、本書に記されています。グラヴィトンは「重力波」ともいい、宇宙の果てまで、一瞬で達するスピードを持っているようです。第2章では、「神々の世界を科学の目で見る」と題されて、関英男さんと佐々木の将人さんの対談が載せられています。佐々木さんのジョークを交えた柔らかいなかにも、鋭さのある語り口が、絶妙です。関英男さんが、「佐々木先生はジョークがお上手と聞いています。今日はどうかお手柔らかに。」と言えば、佐々木さんは「私の場合は、ジョーダンなんです(剣道の上段の構えをする)。」と、切り返したりしています。佐々木の将人さんが、よく本のサインに書くという言葉が素敵です。「心は、光よりも速く宇宙よりも大きい。また心より小さなものはない」★渦と回転★前編で紹介したように、「グラヴィトン」が波になると「重力波」になり、空間に無数に存在する「クォーク」の粒子を引っかきまわすといいます。そして、だんだん集まって渦を巻き、最終的には「物質化」する、と。非常に素人的なイメージでは、人間も、周囲のものも、植物も、動物も鉱物もすべて、細分化していくと、クォークに行き着き、同じ粒子からできているということになるのでしょうか。となると、よく、植物や動物とテレパシーで会話する人がいると言われますが、これも何となく分かるような気がします。この宇宙に偏在するすべてのものは、その時の集まり方や周波数の違いによって、顕れてきた「形」がそれぞれ違うだけで、元をたどっていけば、すべて同じ粒子であると。で、あれば、すべては繋がっている、ともいえるのでしょうし、この世は「シンクロニシティ」の連続である、という考えも、真実味を帯びてきます。また、物質化する、ということは、無数のクォークが、「渦を巻いている」状態である、というのも、非常に興味深いものがあります。★気は渦である★佐々木さんは言います。「宇宙の根本は気である」と。また、こうも言っています。「気は渦である」とも。そして、「古事記」を紐解くと、冒頭に登場する神道でいう創造神「天御中主神(あめのみなかのぬしのかみ)」。この創造神の別名は、「うずうずしやつなぎのおおかみ」と言うそうです。「渦(うず)」という言葉が入っています。そして、佐々木さんの「渦」についての話が引き込まれました。以下、引用してみます。「私は、若いころ、滝行をやっているときに、自分のへそのところを中心に渦がまわっているのがわかりました。それは、まるで独楽が回っているようでもありました。「何もないこととある事が同時にある」といった感じです。フル回転している独楽は、動中静、静中動。それと同じで、そのとき、宇宙を感じましたね。宇宙は、神のような大きな力によって一糸乱れず規則正しく、中心に沿って運行していると……。すべては中心があっての実在です。原子も核を中心に回っている。地球も太陽を中心に回っている。銀河は、銀河の中心の周りを渦になって回っている。」ミクロの世界から、マクロの世界まで「渦」が関わっているのは、非常におもしろいと思いました。また、改めて、この宇宙というのは、何か大いなる意思を持った存在によって、秩序ある世界が、つくられているのではないか、と思わせてくれます。★「の」は過去と現在と未来をつなぐ渦巻き★そして、佐々木さんは、この体験から、ひらがなの「の」に思い当たったといいます。引用ばかりで申し訳ないですが、以下書き出して見ます。「つまり、人間の体ではへそを中心とし、そのへそは渦巻きであり「の」の形をしている。そのへそには過去がすべて入っている。なぜなら、わたしは、わたしの母とへその緒でつながっているが、母も祖母とへその緒でつながっている。遠い祖先までへその緒でつながっているんですね。そして、一人の先祖が欠けても現在の自分は存在しない。「の」は先祖と自分をつなぐ役割をし、過去と現在と未来をつなぐ渦巻きをあらわしているのです。(中略)「の」は永遠の過去と未来と現実とのつなぎもあらわします。「の」は「まるちょん」なのです。まるちょんとは、天の御中主を形に表したもので、これは創造のことを表現しています。創造とは無から起こってくる。また、まるちょんはもっとも大きいものと小さいものは相等しいということも言っています。一人の人間にすべてが入っているということですね。点即天(てんすなわちてん)、天即点(てんすなわちてん)。我即宇宙、宇宙即我です。この世の中は、同時存在ですね。あってない。ないけどある。有無の空です。「の」はこのように深くて重要です。」ちょっと、長くなりましたが、とても深い言葉であり、「の」というひらがな一字の持つ、とてつもなく深い意味に、正直驚きました。ちなみに、「まるちょん」とは、○の中心に「・」が入った形です。この「まるちょん」は、ミクロの世界と、マクロの世界の構造が同じである「フラクタル理論」をも、表しています。「の」は、確かに「渦」の形に見えます。遺伝子も螺旋状であり、渦巻きであることも、指摘されていますが、これなど、シンクロ現象であり、興味深いものがあります。先程、佐々木さんは、滝行で、へそのところに「渦」を感じた、と紹介しましたが、へその下には「丹田」があります。「「の」を丹田のところに描くことを意識すると、肝が坐るのです。(略)人間の中心はへそ、つまり丹田のあたりですが、…(以下略)」(引用)丹田呼吸法という呼吸法もありますし、呼吸をするときは、よく「丹田」を意識するといいと言われたりします。「丹田」の漢字に「田」が入っているのもおもしろいです。「田」から「米」ができるように、「田」とは日本人にとって、なくてはならないものです。そのなくてはならない大切な部分が、人間の体で言えば、「丹田」になります。人間の一番大事な部分に「田」という字を含んだ「丹田」という言葉がつけられているのは、興味深く感じられます。「思う」とは、「田」+「心」から成り立ちます。丹「田」で「心」する。そうすれば、肝が坐る。そのことが「思う」という字につながっていった、という事が記されていて、これまた、興味深く拝見しました。ひらがなにしろ、漢字にしろ、日本の文字、日本語は奥が深いと改めて感じました。
March 30, 2005
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個人的に、けっこう興味深い内容だったので、内容の紹介をかねて、3回に分割して、本書を紹介してみます。★予想外の収穫をいただいた本★本書は、第一章で、やや難しい内容だったので、挫折しかけましたが、そこをクリアすると、予想以上にぐいぐい引き込まれて、関英男さんの科学と宗教の融合に行き着く柔軟な考え方や、佐々木の将人さんの生き様、神道観などが、すばらしいと感じました。ブックオフで、見つけた本ですが、こう言っては失礼ですが、非常に拾い物の本でした。おそらく、そんなに出回ってない本だと思いますが、とても感銘を受けました。良い本です。古本だと、こういう意外な出会いがあるから、うれしい。★関英男さんと佐々木の将人さんについて★著者の「関英男」さんは、『高次元科学1・2』など、何冊か本を読んだ事があります。現代物理学では解明できない超常現象を、科学の視点から研究する「サイ科学」の第一人者と言ってよく、少し前に亡くなりましたが、多くの業績を残された方です。本書は、2000年に出版された本です。一方の「佐々木の将人」さんは、これまたすごい人で、合気道の開祖である、植芝盛平に師事した人であり、心身統一道創始の中村天風の直弟子でもあり、合気道師範という武道の達人であり、神官でもあります。中村天風という人は、いろいろな書物も出ているので、有名ですが、原敬、山本五十六、松下幸之助など、多くの政経界人、文化人に影響を与えた人です。★「グラヴィトン」は「気」であり「念波」★副題は「いま見えてきた「グラヴィトン」の時代」「グラヴィトン」とは、何か?ということなのですが、一言でいえば、「気」や「念波」のようなもの、と言えば分かりやすいでしょうか。アインシュタインの法則は、「光速を超えるものはない」「光を伝える触媒はない」「光の速度は一定である」という大前提があります。しかし、関英男さんは、その法則に、真っ向から挑みます。「挑む」というより、アインシュタインの相対性理論を超えた、それをも包み込む、もっと大きな理論を構築している、といってもいいのかもしれません。科学というのは、既成の理論、事実が破られてこそ、進化していくものでしょうし、今の科学で説明できないからといって、それを「ありえないこと」と切り捨ててしまうのは、非常にもったいないな、と思います。特に、「気」「意識」「波動」「想い」といった世界は、見えないけれど現実に存在する世界です。今後の科学が触れていかざるをえない世界だと思います。話がそれました。戻します。「光の速度は変化しない」が今の常識ですが、関英男さんは、「光」の速度は実は、「変化」する、と言います。しかも、その変化する原因は、驚くべきことに、「心」ではないか、と言います。たとえば、戦争などによって人々に悲しみや恐れの心をが生じると、光の速度が「遅くなる」ということが、研究から分かってきたそうです。★光の速度を超える「グラヴィトン」★また、アインシュタインの法則では、「光速を超えるものはない」となりますが、関英男さんは、「ある」、と言います。それが、「グラヴィトン」である、と。正確にいうと、「グラヴィトン」は「粒子」で、それが壊れて「波」になると「重力波」になり、この「重力波」が「光速」を超える速さをもっている、といいます。「グラヴィトン」が変化した「重力波」は、いわゆる「気」であり「念波」。いわば、「意識」と言えるようです。そして、この「重力波(気・意識)」は、「光速」を超えるスピードをもっているようです。関さんは、「テレパシー」「虫の知らせ」なども、瞬時に伝わる事から、光を超えるものである、と言っています。その何よりの象徴であり、シンクロ現象が、新幹線のネーミングでしょう。「こだま(音速)」→「ひかり(光速)」→「のぞみ(意識・気)」というネーミングには、「光速」を超えるものは「意識」や「気」しかない、ということを見事に表しています。詳しく書くとキリがないのですが、関英男さんの研究によると、この「グラヴィトン・重力波」は、「宇宙の中心」から発せられているそうです。そして、そこには、宇宙を創造した神のような存在がいる、と。なかなか、壮大な仮説です。★重力波は、すべての生命の源である★最後に、重力波についての、解説を引用してみます(「」の部分)。「宇宙の中心から発信された重力波は、現在考えられているクォークよりもさらに疎密なクォークという目に見えない無数の粒子をひっかき回すことにより、寄せ集められ、渦を巻き始めます。それが、集まり方やそのときの周波数によって、電子になり、中性子になり、陽子になり、分子になり、そして物質になります。それを物質化現象=マテリアルゼーションといいます。ですから、重力波は、いろいろなエネルギー源にもなり、生命の源にもなっているのです。」確かに、この部分を読むと、重力波は、すべての源になっていることが分かります。興味深いのは、「渦」を巻いているということ。人間の体も、周囲にある机やコップやテレビといった物質も、無数の細かい細かい粒子が「重力波」によって、いわば、寄せ集められて、渦を舞いた結果できたものと、いうことなのでしょうか。と、いうことは、こういう言い方が正しいのかどうか、「重力波」=「気・意識」は、「物質」、つまり、物質を形成している「無数の粒子(クォーク)」に影響を与えることができる、ということになります。これは、「意識」が、人間の体をも、「変化させる」、という事になります。「病気」の大半の原因は「ストレス(=意識の一形態)」である、とする説も、「病は気から」という言葉も、こうなってくると、あながち嘘ではないという事になります。むしろ、こちらの原因が、真の原因である可能性のほうが、大きいと思います。たとえば、分かりやすく言えば、良くない「意識」が、内臓のある部分を変化(傷つける)させて、やがて「病気」として、現れてくるようになる、ということでしょうか。いづれにせよ、個人的には、「意識・気」の影響はかなり、大きいと思います。体に、周囲に、いい影響を与える「意識・気」を持っていたい、と思います。何か、収拾がつかなくなってきたので、この辺で、いい加減に、終えます。要は、「意識・気」は、非常に重要である、と。(^^;
March 29, 2005
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春のぬくもりに誘われて薄紅色に染まり始めた 桜のつぼみ古(いにしえ)から 連綿と続いてきた 生命の結晶は 風に震えて 古色蒼然とした可憐な花びらを今まさに 開こうとしている遥かな記憶が 刻み込まれた 幹ため息のような風に ざわめく 梢濃密な薫りを 詰め込んだ 花びら静かに息づく この「地」に 激しくうごめく 「血」が絡みあい風のうねりとあいまって 桜の木々は 魂の音色を 厳かに奏でだす悠久の流れの ほんの まばたきの季節燃え立つように 花開いた ひとはな ひとはなは数限りない 出会いや 別れの情景を 刻みつけていくその時に生じた 喜びや 悲しみもやがては散りゆく 花びらのように いつかは消えてしまうのだろうか…一陣の風が 押しよせて ふわっ…と 浮き上がった 花びらは魂が 乗り移ったかのように 空を 桜色に染めあげる振り仰いだ蒼穹からは 驚いたように 降り落ちてくる 天の滴雲間から 差し込む光に色のなかった雨粒は 桜色に ほんのりと彩られさまよう魂を 幻想の異空間へと 導いていく古(いにしえ)からの 途切れない音色が 聞こえてくる降り注ぐ雨と 風に舞う桜の花びらの 邂逅はとめどない 想いとなって この空を 駆け巡るたとえ 先の見えない旅路に 不安や恐れを 感じたとしても散りゆく花びらは やがては 地に敷きつめられて希望の道標となって 点々と灯っていくだから 何も迷うことなく 前を向いて 歩き続ければいい花は散っても 命は枯れることなく 土に還り 次への糧となりすぐに 枝から 緑の若葉が 顔を出すすべての生命は流転する…まぶしい光 澄んだ空 喜びの滴 桜の花びらそう… 桜雨奏でられる旋律は 綾となり 交差して この空に この胸に 音もなく 織り込まれていく透明な滴に 光が透けて ふわり…と重なった 桜の花びらその一瞬 滴を通して見据えた 果てしない空は 薄紅色にきらめいた…※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※【散文詩『桜雨』について】このタイトルは、坂東眞砂子さんの小説『桜雨』をそのまま拝借した、というのがほんとのところ。『桜雨』という小説は、女の情念が色濃く描かれていて、非常に印象に残る作品ですが、そのイメージに重なるかのように「桜」の持つ、ある種の「情念」をイメージしました。それと、古代から受け継がれてきたものを 次の時代へ受け継いでいく力、「循環」、「巡り」といったことをイメージしました。
March 28, 2005
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少し前まで、寒いな、と思っていたら、今日は一転、春の陽気が一気にやってきたように暖かい日となりました。写真は、玄関から、透萌(ともえ)を撮ってみました。春の光のあたたかさが感じられて、いいかな、と。★春の日は過ぎゆく★毎回、手書き通信「光透波の泉」に、紹介している映画、最近は、邦画と洋画を交互に紹介していっています。3月は市川準監督の『東京兄妹』を紹介したので、次回4月の分は洋画。妻に、何がいいかな?と聞いたら、「春らしいものは?」と言うので、思いついた、というか、そのまんまなのですが、映画「『春の日は過ぎゆく』はどう?」と言いました。「そのまんまじゃない…」と妻。「シンプルイズベストだよ。分かりやすいし、ま、それでいいじゃない。」と、訳の分からない事を、妻に言って、あっさ決定しました。(^^;ひねくれている私としては、今回は、タイトルに「春」という言葉が入っているというだけの、非常に単純な理由ですが、たまには、ストレートなのもいいかな、と。何せ、この映画紹介で、以前12月だというのに、松たか子にはまっていたので、『四月物語』を強引に紹介してしまい、お客様から、相当ひんしゅくをかった(であろう)という、前科を犯していますので、今回は、非常に妥当な選択なわけです。その時は、12月という寒い時期だからこそ、『四月物語』という心があったまる映画を見なくちゃいけないんですよ、といったような、これまた訳の分からない論理を持ち出して必死に言いつくろったのですが、かなり苦しい言い訳です。(^^;と、いうことで、今回は、ストレートに行こうと、その映画を再度鑑賞するため、『春の日は過ぎゆく』を、借りてきました。今日、その映画を妻に借りるとは言ってなかったのですが、妻は、タイミングよく『春の日は過ぎゆく』のオリジナルサウンドトラックのCDを借りてきていました。ちょっとした「偶然の一致」で、思わず「おお。タイミングいいね!」と言いました。以前、『黄泉がえり』という映画を私が借りた時、妻がちょうど、映画の主題歌を歌っている柴咲コウのCDを借りてきて、しかもそのアルバムに『黄泉がえり』のテーマ曲が入っていた、という「偶然の一致」がありました。それとシチュエーションとしては似ているかな、と。★自意識過剰?の「透萌」と奇声を発する「葵」★今日のお風呂では、透萌は、湯船のふちに、足を乗っけて、手でさすりながら、足を見せつけるかのように、「どう?」と聞いてきました。要は、足が伸びたのを自慢したいらしく、最近は、足が伸びたのと、髪をのばすことをかなり意識しているようなのです。「え? ……どうって言われてもねえ……」と、返答に詰まってしまいました。4歳の娘の足を「きれいだね。」と言うのも、変だし、もちろん娘は素っ裸なわけで、どういったものか、としばし考えているうちに、何も言えませんでした…。7ヶ月の葵(あおい)は、最近はものをやたら触りたがったりします。顔を近づけると、髪をよく引っ張られますし、眼鏡をしていると、眼鏡を触りたがります。そして、奇声をよく発します。「あちゃあぁぁぁ~、あきゃあぁぁぁ~」とか、訳の分からない奇声を連発しています。何か言っているのでしょうが、赤ちゃん語(?)をよくしゃべりだしてきました。おもしろいです。★映画『春の日は過ぎゆく』★韓国映画『春の日は過ぎゆく』は、今週再鑑賞する予定ですが、その前に、予習ではないのですが、今、妻がタイミングよく借りてきてくれたサントラCDを聴きながら、ブログを書いています。春の物憂い感じ、春の穏やかなひととき、春のゆったりと過ぎゆく時の流れを感じる事ができる音楽で、映画の情景が甦ってくるようです。映画は、大きな波があるわけではなく、非常に淡々としているのですが、見終わって、日常の何気ない一時が、とても大切に感じられる作品です。見た時は、正直、そんなに良い作品とも思えなくて、むしろ期待しすぎた分、肩すかしを食らったような気分だったのですが、鑑賞後時間が経つにつれて、じわじわとその良さが心に染み込んでくるような気になり、不思議な感覚でした。監督のホ・ジノは、『八月のクリスマス』という秀作を撮った監督なのですが、日常の何気ないひとこまひとこまを、丁寧に優しいまなざしですくいとっていく手腕がすばらしい。両作とも派手さはないのですが、好きな作品です。ちなみに主題歌「春の日は過ぎゆく」の作曲は、松任谷由実さんが担当しているのも、特筆に価するかなと。
March 27, 2005
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何億光年彼方から降り注ぐ 光の粒子は美しい地球に存在している 無数の命を 育んでいる風の精は 木々の葉を 優しく撫でて流れいく雲は 空の青さに 溶け込んでゆく僕は 夢で見た 虹のかかる丘に 一人座って草原のざわめきや 大地の息吹を じかに 聞く胸の奥に隠した やりきれなさをこの透明な空に さらけ出したなら変幻自在の雲が すべてを 包み込んで穏やかな 希望に満ちた形に 変えていってくれるだろうか見つめる空は 黄昏色に変化して夕暮れのざわめきと 静けさが 交差するなかやがて 夜の衣を まとい始めるあなたへの想いも 闇に絡み取られて 朧げに 霞んでいく月の細やかな光が 胸の内まで 差し込む露になってくる 淡い 恋心闇が深まるにつれて 次々と浮かびあがる 星屑のようにあなたへの想いが とめどなく あふれてくるなぜ 惹きつけられていくのだろう… 分からない…それでもいい…もしかしたら 真昼の星のように 元々この胸に存在していた想い?これからどのように あなたの想いは 育まれていくのだろうか今はただ 孤独も 不安も 寂しさもなくそこはかとなく漂う 時の旋律に 歩調をあわせていたいいつの日も いつの時も 変わることなく …そしてその隣に あなたが 寄り添っていてくれたのなら…夜空を仰ぎ見ると 満点の星音もなく 精妙に奏でられる いくつもの時の旋律は天空を 縦横無尽に 駆け巡るふたつの旋律が ある一点で 共鳴音を響かせた 縁(えにし)の不思議この宇宙(そら)の果てまで 途切れることなく 届いてほしいと願った…
March 26, 2005
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今日は、また、季節が少し逆戻りしたように、朝から雪が舞っていました。地面はうっすらと雪が積もっていました。★雪化粧した近江富士★車で会社に行く途中、いつも目にする、近江富士といわれるピラミッド形の美しい形をした「三上山」も、うっすらと雪化粧。きれいでした。そして、神々しささえ感じました。寒かったけれでも、朝から、心に「元気」をいただきました。毎日、違った表情を見せてくれる三上山に、感謝です。車の中からであっても、間近に見ることができる「しあわせ。」ありがたいことです。★ちょっとしたシンクロニシティ★偶然の一致、シンクロニシティ。3月21日に紹介した、『幸せがむこうからやって来る!』の佳川奈未さんが書かれていましたが、ある意味、シンクロニシティとは、その人本人にしか分からないメッセージというのが、頻繁に起こっているのかもしれないな、と思います。佳川さんの本から少し引用してみます。「シンクロ現象は、他の人にとっては何の意味もないことですが、当の本人にとっては”そのときの生き方”や”その人の人生の意味””未来への暗示”をくれる天からの愛にあふれたメッセージとなるので、不思議で感動的なのです!」なるほど、と思いました。ただ、私の場合、偶然の一致が起こっても、自分にとっても「え?何それ?」と意味があるのかないのか、分からないこともけっこうあります。これはシンクロ現象といわないのかな…。(^^;あるいは、その時は分からなくても、後で分かることもあるのではないか、と思いますし、一連の流れの中のひとつのシンクロ、という場合もあるのでしょう。シンクロ現象を意識しだすと、シンクロ現象が増える感じがするのは、確かです。でも、これは、シンクロ現象が、実際に増えた、というよりは、今までもずっと起こっていたけれども、意識する事によって、今まで見過ごしていた「シンクロ現象」を感知する事ができるようになった、というのがほんとのところでしょう。同じように「しあわせ」も本来は、日常のそこかしこにあるのかもしれないな、と思いますし、ちょっとした気づきや感性を高めれば、その無数の「しあわせ」も自分の心に、すくい上げることができるのかもしれない、と思いました。★「波紋」の「波紋」★今日、ほんとにちょっとしたシンクロ現象が、起こりました。ブックオフに寄った時の事。これも、何気なく、興味を持ち、手に取った本を、パラパラッと見ていたら、文章の合間に「詩」がいくつか載っていました。そして、目に付いたのが「波紋」というタイトルの詩。「あ、きのう、ブログにアップした自分の散文詩のタイトルと一緒だ!」と内心思いました。また、「波紋」のコメントに書いていただいた、スマイル様の、「いい波紋を広げたいなあ」と思っていたときに、散文の「波紋」を目にした、というのも、スマイル様にとっての、シンクロニシティと言えるのでしょう。※ ※ ※話は変わりますが、初めて借りてみた「新居昭乃」という人のCDを、つい先日、聴いていましたら、声優でもあり、歌手でもある「坂本真綾」という人に、声が似ているなあ、と思いました。ちなみに、「坂本真綾」の「真綾(まあや)」は、7ヶ月の娘、葵(あおい)の名付けの時、最終候補にまで残っていた名前で、けっこう愛着のある名前です。と…そんなことは、どうでもよくて、ですね!話を戻します。「新居昭乃」という歌手の声から、「坂本真綾」を連想しました。その時、新聞を何気なく見てまして、テレビ欄にふと、目を落としたら、パッと目に付いたのが、何と、「坂本真綾」という文字。「え? 何でここに?」と思いました。何かのアニメで、アニメの声優として、名前が載っていました。しかし、タイミングよく目に付いたなあ、とちょっと不思議な気持ちになりました。一種のシンクロではないか、と。「だから、何?」と切り返されたら、答えようがないのですが…。……と、今、新居昭乃さんのネットの日記を見ていたら、最新の3月21日の日記に、何と、坂本真綾さんの名前が、新居さんによって、書かれていました。シンクロの連鎖、でしょうか。違反なのかな、ほんの一部、転載させていただきます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「三重野瞳ちゃん、坂本真綾ちゃんと続けてきたラジオ『バーチャルアドベンチャーイースト』が3月いっぱいで終わることになりました。 突然のことで私もびっくりしています。」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「だから、何なのって!」と言われても、やっぱり答えようもなく、深い意味もないと思いますが。★満月のしめくくり★今日は一日中の配達でした。夜は、ふと見上げると、ほぼ満月のきれいな月がくっきりと見えて、心が癒されました。4歳の娘、透萌(ともえ)は、お月さんが、大好きなようです。私は、「お月さんにも、人が住んではるんやで。」と半ば本気で、娘に言ってますが、妻からは、「ちょっと、変なこと言わないでよ!」と。透萌は、こう言うと、たいてい「お山にはなぁ、”トトロ”が住んでいるんやでぇ!」と、私に対抗してか、いきなり、話題を、「月」から「山」へ飛ばします。「ふーん、そうなんだ!」と、娘の意外な切り返しに、動揺を隠しつつ、応えています。しかし、考えてみれば、月は不思議な衛星です。クレーターがある一面に集中していたり、いつも地球に同じ面を向けていたり、月の振動がいつまでも続いていたり、人口建造物のようなものがいくつも指摘されていたり、地表の成分に、核にしかない成分が含まれていたり、見ていくと、いくつもの疑問点が浮かび上がってくるのも事実。それらを考え合わせると、先の「月には人(?)か、少なくとも人と同じような生物が住んでいるのかもしれない」、となりますが、機会があれば、月についても、また、紹介してみます。★(^^)今日のしあわせ(^^)★雪化粧した神々しい三上山が見れたこと。きれいな満月が見れたこと。ありがとうございました。
March 25, 2005
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音もなく 水面の波紋が 広がってゆくひとつの想いが さまざまな現象を 創りだしてひとつの出会いが さまざまな出会いを 生んでいく小さな輪は広がり さらに新しい輪が 広がっていく歪んだ形は 歪んだ現象を 生みだして澄んだ思いは まっすぐ心に 響いてくる微かな風でも 水面に さざなみが 起こるように日々の何気ない営みや ほんの一呼吸でさえ欠けてはいけない ひとつひとつの 宇宙のドラマ心の奥に 大切に 大切に 刻んでいきたいその当たり前の繰り返しが やがては 波紋となり形なき未来へと 確かに伝播していくはずだから…同じ水面の世界に 生れ落ちた 僕たち一人一人たくさんの波紋が あちこちで生じて波紋と波紋が重なり 交わって この世界で せめぎあいを始めるこの不安定に揺れる 水面の世界で 生きていくには一人で 生きていこうとしても 一人では 生きられない必ず誰かに 影響を与えて 必ず誰かから 影響を受けてしまう人と人との交わりの中新たな出会いは 新たな世界を 増やしてくれる未知の世界は ときめきや喜びだけでなく時に とまどいや 苦しみも 生みだすけれども その過程をへて 成長し波紋は さらに未来へ 広がっていく自分の素顔の奥底を 見ようとして空の色を映した水面に 顔を 近づけてみると心の不安が 水面に伝わったように素顔は 頼りなく 揺らめいていたてのひらを差し出すと 波紋が生じて水面の僕は 深みのない人間みたいに あっという間に 歪んで 消え失せた…時の経過とともに やがて波紋も 大いなる宇宙に 呑み込まれて水面の鏡は 僕の素顔を 再びくっきりと 映し出していくその時に見える素顔は 笑顔でいたいと 心から思った…水面は 留まることなく さざめいている僕たちは この不安定な… でも 光がきらめく 水面の世界を 生きていく※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※【散文詩『波紋』について】手書き通信「光透波の泉」【アナログ版】に掲載した時のタイトルは『水面(みなも)』。今回、ここに載せるにあたって、ブログのタイトルに「しあわせの波紋」とつけたので、それに合わせたわけでもないのですが、『波紋』と改題しました。水面の波紋が広がり、さまざまな影響を与えていくイメージとしては、やはり『波紋』の方が、しっくりくる感じがします。「波紋」のイメージひとつの水面の世界があるとすれば、そこにある水は、無数の滴から成り立っています。その無数の滴は、水面の世界全体に関わっていて、一つの滴が欠けても成り立ちません。それは、人間の世界でも同じような気がします。人と人との繋がりは、縁が縁を呼んで、無数に広がっていく。どこの縁の繋がりが欠けても、今の自分はなかったと思います。そんなイメージを散文にしてみました。
March 24, 2005
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君を 初めて見た時 心に灯った あたたかい炎言葉を交わすことなく 別れてしまったけれども懐かしい胸の痛みと 「気品」に満ちた 残り香がいつまでも 粘りつくような甘さとなって 心に染み入ったいつも こんな出会いをしていたら 苦しくてしょうがないまた 会えるだろうかまた 会いたい君は君でしかなく 取替えのきく 電池でもない今 君と 同じ時代を 生きているという 不思議そのあたたかい想いが もうしばらく続くといいあの空を見上げる遠くへ 遠くへ 目を凝らす君がいる彼方を 見据えるようにまぶしすぎて 哀しすぎて 遠すぎて 涙あふれてますます ぼやけたいつか君と 巡り逢う日が 来るだろうか気持ちだけでは 届かない事もあるたくさん… 本当に たくさん あるあの日の 一瞬の面影が いつまでも 尾を引く透きとおるほどの 「白色」の頬や少し興奮ぎみに 喜びを伝える 「紅色」に染まった頬誰かに笑いかけている 健康的な 「桃色」の頬残り香が ふわっ…と 風で 広がっていくように僕の脳裏に さまざまな妄想が 浮かんでは 消えていく…いつか偶然 ばったりと 君が目の前に 現れるような気がしたまるで 「忠実」に尽くした 飛梅伝説のように…そんな ありえないことを 半ば本気で考えさせられる 香りの魔力君は姿を消しても 残り香は 確かに多くのものを 連れてきてくれた手を伸ばせば 触れられる いくつもの春の きざしを…※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※【散文詩『梅の残り香に包まれて』について】元は、『ひとときの炎』というタイトルの散文詩。ただ、たんに、一瞬すれ違った「君」への想い、みたいなのを書いた散文だったのですが、そこに「梅」のことを、やや強引に組み込んでつくった、というのが本当のところ。「梅」といえば、個人的には、北野天満宮で見た「梅」や京都御所の「梅」が印象に残っています。そして、菅原道真にまつわる「飛梅伝説」を知り、散文に組み込みました。大宰府に流されることになった、道真が歌を詠みます。「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」その頃、書斎の庭に植えてあった梅の枝が、一夜にして道真の行く九州に飛び移って、そこで根付いたといいます。この故事から「忠実」という花言葉が生まれたそうです。この故事が、ひとつのヒントになったような気がします。散文詩は、一瞬、すれ違った「君」が、飛梅伝説のように、目の前にまた現れてくれないだろうか、という微かな望みとも、妄想ともいえる「想い」を描いたものになりました。梅の「香り」は、さらりとした、甘ったるい望みを抱かせると同時に、粘りつくような「情念」も滲み出てきて、それらが相まって、容易に忘れられない「香り」を漂わせるのかもしれません。【梅の花言葉:忠実、気品】
March 23, 2005
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あちこちで 春の訪れを 告げる声歩道の脇には 萌えいづる緑 鮮やかな花々植物たちが放つ あふれんばかりの生命力喜びを歌う鳥や 光をめざして 土からはい上がる虫たち赤子の肌のように すべての景色が 艶やかに輝いている繰り返し巡りくる 萌の季節をこの星に生きる存在たちが 称え合う内から湧き上がる 数限りない 想いを吐息とともに 大きく ゆっくりと 吐き出してみるそして…新しい息吹を この胸一杯に 吸い込む物事は 日常に埋もれてしまいそうな ありふれた風景から 動き出す君との出逢いもそんなない気ない ひとコマの風景から始まった振り返れば 遥か昔のことのように 記憶はあいまいになり何度も巡る季節のように出逢いのきっかけは 春の光にかすんでいく芳しい空気の香りに 導かれるままあてどなく 春の小道を進みゆく春に咲く野の花に 再び出逢った 喜びのように君との出逢いは ほのかな懐かしさを 含んでいた何気ない風景の中に 君は本当に控えめにでも そこになくてはならない風景として 存在していたかわいらしい君の はかなげな姿その中に 強い意志を滲ませた 君の色何者にも消す事のできない 君の「純潔な香り」風に折れそうな 細い茎小さな君は「誠実」な詩を 小さな世界で 誰にともなく奏でていた君の世界には 大きな夢だけでは見過ごしてしまう細やかな優しさが 含まれている誰にも真似できない君の世界君のまっすぐなまなざし 君の柔らかな素顔君は小さな「愛」で 小さな世界をひとつひとつ「誠実」に 積み重ねていくひとつひとつに 連なりがなくてはならない 道程神の「意図」が 張り巡らされている 見えない「糸」が そこにある薄墨を流し込んだような 昨日を変えていく力を 与えてくれた君すみれの花は ただあるがままの姿で 光に向かって 微笑んでいた…※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※【散文詩『春を奏でるすみれ』について】手書き通信「光透波の泉」【アナログ版】に載せている散文詩は、基本的に32行なのですが、この散文は、その枠内に収めるには、かなり、きついものがあり、ぎゅうぎゅう詰めになってしまいました。これは悪い癖で、書き込みすぎてしまうと言う事です。そこで、今回、こちらへの掲載時点で、32行というのは無視して、体裁をもう少し読みやすい形にするため、散文はそのままで、一行を短くして、段落を増やしました。その結果、48行とかなり長くなってしまいました。もっと短いシンプルな散文も書いていきたいと思います。すみれの花言葉:「純潔な香り」「誠実」「愛」
March 22, 2005
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一気に読んでしまえる本です。元気になりたい時、落ち込んだ時は、今後何度でも読んでしまいそうです。読みやすく30分くらいあれば、読めてしまいます。でも、これは、すごい本かもしれないです。★著者の超前向きセルフイメージ★何と言っても、著者のノリノリの文章に、圧倒されて、勢いで説得されてしまうみたいな、そういうパワーがあります。副題は「奇跡を呼び込む最強ハッピールール」「まえがき」も、ただのまえがきではなく、「いいことが起こるまえがき」。まえがきの最後には、単に作者の名前があるだけでなく、「ミラクル・ハッピー作家」佳川奈未、と。いやーすごいです。このネーミングや肩書き。超前向きな姿勢。いいですね。自分の枠組みって、けっこう自分で決めてしまって、ともすれば、可能性を自分自身で狭めてしまっている事ってあるように思います。そこで、「セルフイメージ」「肩書き」を、こういう風につけるのって、ものすごく大切な事じゃないかなと、最近感じます。私も大きなセルフイメージつけてみよう。★手に取ったきっかけ★この本は、平積みされていたので、目に付きやすかったのですが、その中でも、特に目に付いて、手にとって見ました。タイトルに目がいったのでしょうが、やっぱり、自分に必要な本というのは、引きつける波動というか、オーラのようなものがでているような気がします。だから、無意識に手に取ってしまう。「シンクロニシティ」という言葉が、目次に出てきた時点で、買おうと思いました。今の自分が興味ある言葉だったので。★圧倒的パワーの連続★佳川さんのパワーは冒頭から終わりまで、ハイテンションの連続。パワーが落ちません。これがすごい。始めは、ちょっと、このハイテンションに、ひきかけましたが、しかし、作者の体験に裏打ちされた経験からくる、真の自信であることがわかり、納得するとともに、作者の言うことを信じて読むことができました。少し引用してみると、「あなたの大きなその夢は、必ず叶うことになっています! 大きければ大きいほど叶いやすくもなっています!考えただけでもわくわくするような1番の夢ほど、叶うしくみになっているのです!」「まぁ、どちらにしても、あなたが心の内で抱えていたことが、むこうからやって来ます!幸運が 奇跡が むこうからやって来る!という、この愛にあふれた宇宙のあり方に私は大きな感謝を贈りたいです!あなたにもやって来ますよ!幸運な奇跡がいっぱいいっぱい!待っててね!」とにかく、「!」の連続で、こんなに「!」を使っている文章には、初めて出会いました。これもある意味、すごいです。「幸せになるための”宇宙のしくみは”こんなにシンプル」カバーの見開きのところに書かれていますが、ほんと、そうなんだろうな、と思います。そんなノリノリの佳川さんですが、途中、さまざまなトラブルから、最悪の事態へと向かわざるをえず、どうしようもなくなってしまいます。しかし、そこで起こった偶然を装った、必然の奇跡は、読んでいて、胸を打ちました。佳川さんの本以外にも、「潜在意識」、「シンクロニシティ」、「想い」、といった内容を取り扱った本は、最近多くなってきているように感じます。若い女性作家が、感性をフルに生かして書かれているものが多く、読んでいて、非常に勉強になります。これからも、くり返し読みたい本の一冊になりました。
March 21, 2005
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★ゆったりとした時の中で★今日は、良く言えば、のんびりと、悪く言えば、だらけた一日でした…。昼から少し横になったら、そのまま3時間くらい、寝てしまいました。それもだらだらと、ちょっと目が覚めては、また寝てはという感じで、余計に疲れてしまったような気もしないでもないですが、たまには、こういう一日もいいや、と前向きに考えましょう!疲れも取れた感じがしますし。葵は、私が寝ている間、妻と上の娘の透萌と散歩に行ってきました。(上の写真)★潜在意識の浄化が「しあわせ」を呼ぶ★3月18日の日記で、2冊買った本を書き出しました。『幸せをつかむ「気」の活かし方』(村上幸徳・たま出版)『幸せがむこうからやって来る!』(佳川奈未・ゴマブックス)2冊とも「幸せ」の文字が入っていて、後から、この「偶然の一致」に気がついて、ちょっとびっくりした事は、書きました。2冊とも読みましたが、タイトルだけじゃなくて、内容も、共通するものがあり、これもシンクロニシティだ、と思いつつ、自分の今、特に興味ある事柄が、書かれていて、収穫でした。やっぱり思うのは、「幸せ」ならぬ、『「本」がむこうからやって来る!』ということ。自分の中にある「想い」は、「想い」に関する事や情報などを、現実に、確実に引き寄せてくれる、と。だから、自分の中の「感覚」を信じていい、と思いました。両方の本ともに共通する「キーワード」をあげてみると、「シンクロニシティ」「潜在意識」という言葉でしょうか。「潜在意識」は、特に重要であるなと、最近感じています。表面的な意識を「顕在意識」というならば、その奥に広がっている、「無意識」とも言われる「潜在意識」。この「潜在意識」に、マイナスイメージがしみこんでいると、「顕在意識」では、プラスのイメージを持っていても、「潜在意識」が邪魔をして、なかなか「願い」や「想い」は叶わないようになっているようです。これには、頷けるものがありました。そういう意味では、潜在意識をまずは、クリアにすることが大事である、と。どちらの本にも、そのことが書かれていて、改めてそう思いました。えっと、娘の成長期と関係ない話になってしまいました…。
March 20, 2005
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楽天HPでの、写真の載せ方が、ようやく、分かってきたので、今後少しずつ、画像も利用しながら、やっていきたいな、と思います。★幼稚園デビュー「透萌」★透萌は、今年からいよいよ、幼稚園。今、妻に聞いたら、4月11日が入園式だとか。考えてみれば、もうすぐです。何だか、あっという間に、幼稚園、という感じです。早いものです。透萌は、幼稚園行くのを、非常に楽しみにしていて、はりきっています。友達もいっぱいできて、元気に通ってくれたら、いうことなしです。★坊ちゃん「葵」★一方の葵は、うっすらと髪の毛が生えてきましたが、まだまだ薄いです。なので、どうひいき目に見ても、「坊ちゃん」にしか見えず、案の定、通りがかりの人などから、「女の子?」と聞かれたことは、ほぼ100%ないということですが、おおいに頷けるものがあります。(^^;たいていは、「坊ちゃん?」「男の子?」と聞かれるとのこと。以前は「失礼な!」と思うこともありましたが、私が見ても、女の子に見えないという事で、最近は、「うーん、そりゃ、間違っても、しょうがないわ。」という感じです…。先日、新聞の悩み相談に、ちょうど葵と同じ、7ヶ月の娘さんを持つ、お父さんが投書されていました。どんな「悩み」かというと、お風呂を入れたりして、十分に面倒を見てあげているつもりだけど、自分の顔を見ると、娘が泣き出して、母親を探そうとします。自分は嫌われているようです。どうすればいいのでしょうか?というもの。昔の自分に重なるものがあり、ちょっと微笑ましい気持ちになりました。私も、現在、葵と目をあわせると、泣き出される事が多いです。しかし、私の場合、透萌の時に経験済みで、一時的な症状であることを知っているので、傷つくことなく、「ああ、こういう時期だからしょうがない」と、余裕しゃくしゃくなわけです。しかし、透萌の時は、私も確かに、ショックでした。仕事から帰ってきて、娘の顔を見れた、と思ったとたん、大声で泣き出され、「え? 自分の存在が認められてないってこと? 自分は、いったい何なの?」と、途方に暮れた事を思い出します。ですから、この投書したお父さんの気持ちは、よーく分かります。こうやって、父親も、娘に泣かれて、傷つき、乗り越えて、成長するのだな、と感じ入った次第です。(^^;
March 19, 2005
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★「卒業」のシンクロニシティ?★今日は会社の人と、昼、レストランに入りました。しばらくしたら、中学生の制服を着た子どもたちが、わあっ…とたくさん来て、その親と思われる人も、来て、レストランはあっという間に満員になりました。今は、卒業式のシーズンだったなあと、思った次第です。そして、ふと、自分のブログのことに気がつきました。前日、前々日と「卒業」の映画と散文詩を載せましたが、「卒業シーズン」である、ということは、正直なところ、全く意図していませんでした。理由は、ただ、ただ、「内山理名」が頭から離れてくれなくて、好きな映画を取り上げようと思ったときに、「卒業」いう彼女主演の作品が思い浮かんだだけでした…。でも、結果的には、たまたま映画と散文詩「卒業」を取り上げた時期と、「卒業シーズン」が重なって、これは、偶然の一致、「シンクロニシティ」じゃないのか?などと、思っています。(^^;というより、「卒業」の映画を取り上げた時点で、今が、「卒業シーズン」だということに気がつかないのが、相当鈍い!と言われそう…。その後の配達中、ある高校の前を通ると、ちょうど、卒業生や親がたくさん校庭に出ていました。こういう時期もあったなあと、ちょっと懐かしくなりました。★南野陽子と「卒業」?★最近ずっと、配達中の車の中でのBGMは、非常に恥ずかしくもありますが「南野陽子……」妻には「私も昔はよく聴いたけど、何で今頃南野陽子なの?」と完全に呆れられています。彼女の歌は、自分ではどうもクセになってしょうがないんですよね…。あの「おセンチ」なメロディラインと彼女の甘ったるい歌い方。うーん、はまってます…。今は、卒業の時期だなあ、と思い、何気なく曲を聴いていると、流れてきたのは、「春景色」という曲。「郷愁」や「甘酸っぱさ」を感じさせてくれる曲で、けっこう好きだったりします。それは、いいのですが、この曲、「卒業」がテーマの曲なんですよ。「卒業式が おわあ~って 春休みが 過ぎて~け~ば」と…。(^^;今日はやけに、「卒業」の連鎖が起こるなあと感じました。★余談:今気がついた、買った2冊の本のシンクロ?★今日書店に寄った時、購入した2冊。目についたので、手にとって、パラパラッと、目次や内容を、少しみてみると、自分に興味あるフレーズが目に入り、本が、「買って頂戴よ」と言っているような気がして、断れない私は、ハッ…と、気がついたら2冊を手にして、レジに持っていってました。いや~参りました…。(と自己正当化しておきます。(^^; はい。)『幸せをつかむ「気」の活かし方』(村上幸徳・たま出版)『幸せがむこうからやって来る!』(佳川奈未・ゴマブックス)たったいま、この2冊を並べてみて、気がつきました。買うときは、もちろん気がつきませんでしたが、タイトルに「幸せ」の言葉が入っています。このブログのタイトルにも「しあわせの波紋」とつけていますし、よっぽど「しあわせ」に飢えているのか?という気もしましたが(^^;、これは、「しあわせ」のシンクロニシティかな、などと思っています。『幸せがむこうからやって来る!』は、早速一気に読んでしまいましたが、すごい本です!また紹介します。
March 18, 2005
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優しく降り注ぐ雨音は「永遠」の時を数えるかのように二人の空間を静かに刻むさしだした赤い傘は「永遠」の約束を与えてくれるかのように二人の空間を鮮やかに彩る傘の中の小さな宇宙に ふたり包まれて雨音を ひとつ ひとつ 確かめるように五感すべてを この一時に捧げる雨が恵んでくれた予期せぬ出会いは長年待ち焦がれてきた想いを 空に解き放ってくれたずっと 会いたかった…ずっと 想い続けてきました…でも 言葉にできない… 言葉にならない…言葉は雨粒のように はかなく消えてしまいそうたとえそうだとしても 涙の跡が光を浴びて くっきりとするように言葉や想いは 記憶に刻まれ 思い出となって残るはずどこからともなく舞い落ちてくる 優しい雨もう少し続いてほしい降りしきる雨は 木々や花をしとやかに 潤していくやがてくる「卒業」は人生に幾度か生じる 終わりと同時に始まりの時雨の中を駆け抜けていけば雲の向こうに光があるように「卒業」の先に「永遠」に至る道が続いているあなたの面影を大切に胸にしまう忘れない…永遠だよ…空は今まさに 雨が雪に変わっていく自然の神秘を 映していた※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※前日に、『卒業』の映画を取り上げたので、その映画をイメージして書いた散文を、ヤプログのブログから、引っ張ってきました。 【散文詩「卒業」について】実はこの散文詩は、映画『卒業』を、イメージして書いてみました。自分にとっては、最近観た、映画『卒業』は、いまだ余韻に残っていて、なかなか忘れられそうにない作品となりました。この映画はタイトルにもなっている「卒業」と、「永遠」という言葉が、重要な要素を占めています。このふたつの言葉を、特にイメージしました。内山理名の「先生、手をつなごうか。この手はね…、永遠に離れないの。」といったセリフや、「永遠だよ…。」という言葉が、いまだ頭の中でリフレインするような気がします。映画を観て、そのイメージを言葉にしてみる、というのは、おもしろいなと思いますし、また印象に残った映画があれば、書いてみようかな、と思います。
March 17, 2005
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「先生、手をつなごうか。この手はね…永遠に離れないの。」この作品を観たことが、その後の私の運命を変えることになろうとは、予想だにしませんでした。…と、かなりオーバーな書き出しですが、しかし、あながち嘘でもありません。この作品で、「内山理名」にのめり込んだからこそ、彼女主演の『樋口一葉物語』を観て、「樋口一葉」にのめりこむようになったし、そういう意味でも、思い入れの深い作品になりました。少しずつ、自分の好きな映画を、紹介していこうと思います。記念すべき初回は、『卒業』。(どこまで続くか分かりませんが)★これで、内山理名にはまる★私の場合、映画というのは、女優の存在が非常に大きな比重を占めていて、ともすると、出ている女優がよければ、後はどんなに内容が悪くても「許す」という傾向がなきにしもあらず、といったところがあります。はい。すみません…。逆に言えば、どんなに内容が、良くても、出ている女優が好みでなければ、意味がない、という傾向がある、ということです。のっけから、差別的な発言をしてしまったかもしれませんが、これは、「事実」でもあるので、あえてはっきりと書かせていただきます。要は、とんでもなく、わがままで自分勝手で、偏った、思い入れたっぷりの見方をしてしまうということです。『卒業』は、ストーリーも知らなければ、内山理名も知らない、いわば、ほとんど白紙の状態で見ました。そして、映画というのは、予備知識なしで観るのが一番である、とつくづく思いました。内山理名という女優は、ほとんど知りませんでしたが、この映画で、一気に惹かれてしまいました。引きつけられるときというのは、明確な理由というのは、分からない時が多く、とにかく村上春樹流に言えば、強烈な「吸引力」が、働いてしまう、としか言えません。もうこれは、「運命」としかいいようがない?わけです。はい。★2度3度見ることでより深く味わえる映画★この作品、一言でいえば、「もどかしい!!」。登場人物の心情を思うと、「もどかしい」気持ちになってきます。それと同時に、登場人物や場面、状況の説明が、ほとんどなされない。はっきり言って、かなり不親切です。初めは、「え?」「何?」「どういうこと?」と「鈍い」私は、自問しながら観ていました。しかし、そこに「余韻」が生まれます。観ながらあれこれ想像しながら観ていくしかないわけで、そういう意味では、「想像力」や「感性」が鍛えられる映画かもしれません。私は、恥ずかしい事に、内山理名演じた麻美が何者であるか、終わってからも理解できませんでした(^^; 自慢じゃないですが、そうとう「鈍い」です。物語はストーリー、登場人物ともに、非常にシンプル。大学に通う短大生、麻美(内山理名)と、そこで心理学の臨時講師をしている真山(堤真一)、真一の恋人(夏川結衣)、この3人が中心です。シンプルで、台詞も少ないですが、その分かえって、登場人物の奥に秘めた想いが、あふれ出てくるようで、観ていて胸がいっぱいになりました。「言わないこと」が、お互いのためになる。そういうこともあるのかもしれない、と思いました。1回目で、分からなかった部分が、2度目の鑑賞では理解できるので、ああ、この場面は、彼女こういう気持ちでいたんだ、とより深く味わえるものがあり、2度、3度と見ると味わいが増す作品だと思いました。決して派手さはないけれども、それぞれの胸に秘めた想いが、せつなくて、心に染み入ってくる、静かな感動をいただきました。ラストの内山理名の表情は、すばらしいの一言。ぞくぞくするほどの素敵なシーンでした。卒業 ~メモリアルディスク~卒業~メモリアルディスク~
March 16, 2005
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さんさんと 降り注ぐ光君の瞳はいつも まっすぐひたむきな 君の瞳が 好き雲間から 一筋の光君の笑顔が ひとつ こぼれた飾らない 君の笑顔が 好き君を見つめていると心が いっぱいになっていくありのままの君で いてほしい僕は 君に 何もしてあげられないけれど君のことを ただ 想い続ける雨の日も 曇りの日も 雪の日も 風の日も君の姿が たとえ見えなくても君は いつもすぐ側にいるどこにいても どんな時も君の笑顔を 心の中に くっきりと描くことができるありふれた一日 でも少しずつ違う一日螺旋を描くように 日々成長していきたい朝一番 窓を開ける君は 変わらぬ笑顔で 迎えてくれたただそれだけで うれしい思いのままに 日を仰ぐ 「葵」のように真っすぐに 君を 見つめていたい天から舞い落ちてくる 光の粒子は見えない軌跡となって 天と地を結ぶありふれた一日が かけがえのない奇跡に思えた君の笑顔に 手を合わせ 感謝した
March 15, 2005
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手で触れた瞬間 あっけなく弾けて 消えた しゃぼん玉永遠に つかむ事ができない 「想い」たち大きく息を吸い込んで心に浮かんだ 純粋な想いを ふうっ…と吐けばぽこん…と この世界に生まれ出た しゃぼん玉ふわふわと 危なっかしく 飛びたっていく 穢れなき魂たち吹きすさぶ風に乗り 少しでも遠くへいってほしい降りかかる光を 体全体で受け止めれば七色の光が 玉の中を乱反射して 夢や希望を 空にふりまくいつかは ぱちん…と 聞こえない音がして弾ける見えない小さな飛沫が 空に溶けたそれは 夢が弾けた音ではなく夢と現実が融け合って想いが この世界で現実化していく 希望の音色見えない風の流れは どこまでも気まぐれでしゃぼん玉はいずこへ 心は 遠くへ遠くへ 流れていくいつまでもたどり着けない 遥かな道のりどこへ向かえばいいのか 時に迷い 時に見失うさまよう果ては風まかせ 次々にあふれてくる 「想い」の数々それは まるで空の頬を伝う 大粒の涙のよう弾けて散った ほんの一滴でもいい… 心に響く音が 聞こえたのなら涙が消えた空の果てに 光射して 天が微笑んだ気がした次々に生まれては消えてゆく 透き通った玉は新しい瞬間を重ねるように 「今」を生きている言葉にならない想いを 拾い集めては また言葉にするように途切れぬように 今この瞬間の輝きを 玉の中に解き放つ手で触れた瞬間 あっけなく 弾けて 消えたしゃぼん玉。夢の軌跡が 空の彼方に かすかに 見えた気がした
March 14, 2005
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今日は、また冬に逆戻りしたような、肌寒い一日でした。夕方は、雪が舞っていたので、びっくりしました。★動き出した葵(あおい)と髪を伸ばしたい透萌(ともえ)★7ヶ月の葵(あおい)は、最近は、暖かくなるのに合わせるかのように、むくむくと動くようになってきました。少し前までは、どてん…と仰向けに寝て、あまり寝返りもしなかったので、寝返りしないまま、はいはい、ってするんだろうか?と妻が心配していました。今は、いろいろなアクションも、徐々にするようになり、こちらが声をかけたりすると、期待通りの動きをわざとしたりするようです。うつぶせになって、「ばたばた~」と言ったら、ばたばたっと手足を動かしたり。4歳10ヵ月の透萌(ともえ)は、あいかわらず、近くのあゆみちゃん(私は知らない…)の髪の長いのに影響されて、髪を伸ばしたいようです。以前のブログにも書きましたが、今日も案の定、「ともちゃん、髪伸びたでしょう!」と3,4回は言われました。お風呂では、濡れた髪を、つまんで、目の前に持ってきて、「ほら!」と見せつけてくれました。また、最近は「かわいいね!」と言うと、なぜか怒り出して、「ともちゃん、かわいくないの!」と言います。「あおいちゃんは、かわいんだけどぉ。ともちゃんは、お姉ちゃんだから、かわいくないんだぁ。」と、よく分からない論理を持ち出して、認めようとしません。乙女心、というか、幼心(?)は、複雑で、理解するのが難しい。★手書き通信「光透波の泉【アナログ版】」★今日は、店のお客様に、セールの案内とともに入れている、手書き通信を、いい加減、書かないと間に合わない、ということで、昼過ぎの2時間くらいでしょうか、抜け出して、喫茶店で、書いていました。ブログを書くようになって、こちらで書いたことを、もとにしたり、少し加筆したりして、書くことができるので、書くスピードは、以前に比べると速くなったと思います。つい先日、東京で会った友人が、とにかく書いて書きまくって、アウトプットする事も大事。そうすれば情報も集まってくる、といったことを言っていましたが、「なるほど」と共感するものがありました。知識もため込んでいるだけでは、身につかないでしょうし、書くことで自分の考えをまとめる事ができるし、外に向かって表明することで、実践していくきっかけにもなるはずです。自分としても、今年は、「書くこと」と「実践する」ことに重きを置いて、やっていきたいと思いました。この場を、「アウトプット」の場として、毎日書くくらいの意気込みで、かといって肩肘張ることなく、書いていきたいな、と思います。★映画『東京兄妹』★先の、手書き通信では、毎回自分の好きな映画を、取り上げてB5用紙1枚分の紹介&感想文を書いています。ホームページのCinema Scape(映画批評空間)に、見た映画はメモ代わりに残していっているので、当分ネタに困る事はないでしょうし、助かってます。今回で39本目になり、紹介するのは、『東京兄妹』。監督は市川準。この監督は好きな監督の一人で、東京下町での、兄と妹の二人暮しの何気ない日常生活を、淡々と綴った味わいのある名品です。少し前の日本の日常生活を彷彿とさせるような兄妹の生活は、見ているだけで郷愁を呼び起こされるような、そんな気持ちにさせてくれます。兄を演じた、緒方直人の、一人静かに、冷奴を食べる悟りきったような姿が、印象に残ります。また、妹役の粟田麗の、きりりとした立ち居振る舞い、掃除をする姿の美しさ、ふすまを閉める丁寧な所作、こんな18歳って、いたらすごい、と思えるほどの礼儀正しさです。台詞が少なくても溢れるほど伝わってくるものがあり、緩やかな時の流れの中で、密度は驚くほど濃い作品に仕上がっています。
March 13, 2005
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お客様との「シンクロニシティ」★新聞記事で目にしたふたつのシンクロ★朝は、仕事の前に、会社で新聞をざっと読むのが、習慣になっています。今日は、ちょっとしたシンクロニシティがありました。そういえば、シンクロニシティをブログに書き始めたきっかけが、新聞記事を目にした事による、シンクロニシティでした。(episode1記載)今日は、地方版に乗っていた、滋賀県の記事に、ちょっと目がとまりました。その記事とは、信楽焼きで有名な信楽町でのこと。180年前の古民家を、あるNPO法人が、拠点にして活動するために、改築したそうです。そこで、農薬や化学肥料を使わない米や野菜作りなどを通じて、食育を実践しているといいます。その古民家で、きのう3月11日に、滋賀県の小学校の児童、約90人が訪れて、かまどで炊き立てのご飯を、自作の茶碗で食べたというもの。この記事の中に、自分にとって、ふたつのシンクロがありました。ひとつは、地元の○○小学校が、私の母校ではないものの、地元のすぐ近くの小学校であったこと。私は、中学校から、滋賀県に来たので、滋賀の○○中学校は、この地元の中学校でした。もし、小学校から来てたら、この小学校に通っていたでしょう。小学校と中学校の違いこそあれ、○○は同じ名前であり、「お!」と、記事に目がいったのは事実です。そして、もうひとつは、NPO法人が、うちの店を、時々利用してくださっている団体様であったということ。「ほお~。いろいろ活動されているのだなあ。」と思いながら見ていました。★新聞記事が呼び水となったシンクロ現象★今日は、スタッフが休みだったので、自分ひとりで、いわゆる店番をしていました。いつもは、配達で、スタッフに任せっきりで、店にいない事が多いので、週に一回くらいは、店にいて、お客様の応対をしたり、店の業務をしたり、まあ、腰をすえて(?)いろいろとする事も、必要なわけです。昼過ぎだったでしょうか、あるお客様が来ました。「あ・・・」と思いました。朝の記事にあった、NPO法人の方でした。信楽町は、店からはおそらく車で、一時間くらいでしょうか、遠いので、そこの方は、1ヶ月か、2ヶ月に1回くらい、来てくださいます。今日の朝、NPO法人の記事を見た、ちょうど、その日、うちの店に買いに来てくださったという「偶然の一致」。確率的には、そんなに高くないと思うのですが。レジを打っているとき、よっぽど、「今日の朝、記事見ましたよ。」と言おうと思ったのですが、言えませんでした。それが唯一の後悔です。★目にした事からの連想★ある事を目にして、全く別のある事を、思い出したってこと、よくあるのではないでしょうか。今日の夕方、お客様から電話がありました。そのお客様、金子様という名前の方なのですが、お話をする中で、そのお客様に、ある情報でコピーを送ってあげたら役に立つのではないかなと思って、そうするつもりでした。しかし、その事は、半分忘れかかっていました。今日の、車での帰り道、ふと目に入ってきた葬儀の看板がありました。そこで、目に飛び込んできたのが「金子家」という文字。「あ・・・」と、その名前を見て、お客様の「金子」様にコピーをとらなくては、と思い出した次第です。忘れずに帰り際、コピーをとる事ができました。そのことに気がつかせるために、何か目に入った様な気がしました。★蛇足に変えて★この記事を書きながら、さっきまで「プレミアムステージ」というダビンチ最大の謎と秘密の暗号というTVを見ていました。途中からだったのですが、けっこう引き込まれました。TV見るのは、久しぶりです。内山理名のドラマ以来ですね。(^^;ダヴィンチは、かなり謎の多い人物ですね。ダヴィンチとイエスキリストの関係も、興味深かった。マグダラのマリアは、イエスキリストの妻であった可能性がある、と紹介されていましたが、可能性はかなり高いのではないかと思いました。ダヴィンチの「最後の晩餐」に秘められた謎は、ドキドキしながら見てました。ダヴィンチについて、機会があれば、また本など読んでみたいなと思いました。
March 12, 2005
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「光透波」のシンクロニシティ ★ペンネームとハンドルネイム「光透波」★「言葉」は、「光透波」である。これは、まさに言葉は、目には見えないけれども、光の波となり、伝わっていく事を、象徴していると感じました。この言葉をみたとき、強烈な衝撃を感じましたし、その後、頭の中にずっと引っかかっていました。一時期、散文などをつらつらと書いている時がありました。それをワープロで散文を打ち込んでいって、プリントアウトして、冊子みたいなのを作ってみたことがありました。その時に、何か、ペンネームでも付けておこうか、ということになり、思いついたのが、ずっとひっかかっていた、この「光透波」でした。大そうな名前だし、どうしようかとも思ったのですが、「光透波」や「ことは」と、ペンネーム、ハンドルネイムで使うようになりました。★95%確定していた娘の名前「光透波」★自分にとっては、「光透波」は、よっぽど思い入れが深いのでしょうか、ペンネームに使うだけでなく、生まれてくる娘の名前にも、「光透波(ことは)」にするつもりでした。95%以上の確率で、決定していました。しかし…。幸か不幸か、この名前には、なりませんでした。運命は、気まぐれです。妻も、はじめは、凝りすぎ、と言ってましたが、私の熱意に押されてか、「光透波(ことは)」に賛成してくれて、ほぼ、決定の運びと成りました。親にも、名前を決定した事を告げました。かなり、びっくりされました。「何その名前は?本気?ちょっと凝りすぎじゃない?」という感じの反応でした。そんななか、娘はこの世に無事誕生しました。名前が急遽変更になったのは、この娘が生まれる前後であったと思います。今となっては正確には思い出せません。土壇場の時期になって、「やっぱり、ちょっと大げさかなあ」という気もしてきていたのは確かです。そして、候補に上げていた名前のひとつ、「透萌(ともえ)」が、いいんじゃない?と妻が言いました。ちょうど、5月で、草木が芽吹く「萌え」の季節。と、いうことで「透萌(ともえ)」に決定。結局、「光透波」は、立ち消えになってしまいました。ただ、今はこれが必然であったと、そう思っています。★インターネットでの「光透波」との出会いとシンクロ★パソコンを使うようになって、「光透波」を検索した時に、あるHPが「光透波」検索されました。そして、訪れたのが、題名は忘れましたが、「光透波(ことば)」というブログを書いておられるhikari様の、以前、運営されていたHPでした。以前のHPを、拝見させてもらった時の、衝撃は、忘れられません。内容の奥深さに、半分も理解できなかったように思います。ただ、神道や日本、仏教や精神世界のことなどが、深い知識をもって書かれていて、すごい、と感じました。それと同時に、自分の興味あることと、非常に共通するものがあったので、「光透波」に導かれた、シンクロニシティだ、とその時強く感じました。それから、ちょこちょこ拝見していたのですが、近くHPを閉鎖する、という事で、残念に思ったのを覚えています。それから、しばらくの期間を経て、再び、「光透波」の検索でしたら、「光透波(ことば)」というブログに、出会え、もしかしたら同じ方では?、と思って拝見したら、やっぱりそうでした。2度目の「シンクロニシティ」に、うれしかったのを覚えています。「光透波(言葉)」は、結局は「波動」であり、人やものに伝わり、この世のすべてのものに影響を与える力があるのだな、と思います。特に日本人は、言霊を重視してきた民族でもあり、言霊のパワーを潜在的には、十分理解しているはずです。そして、前回のべた、聖書のなかにも、「はじめに言があった。」と言葉(光透波)の重要性が、記されています。日本人と聖書の内容にも、シンクロニシティが感じられます。このことは、日本の歴史、ルーツを探る上でも、ひとつの重要なポイントになってくるはずです。
March 11, 2005
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「光透波」のシンクロニシティ ★「光透波(ことば)」との出会い★「光透波」という言葉を目にしたのは、何の本だったのか、いまだに思い出せないのですが、神道や神社や、日本という国について、興味を持ち出していた頃だったと思います。ですから、そういった関連の本だと思うのですが。ともかく、「言葉」というのは、「光透波(ことば)」である、というのをみて、頭をガツンと殴られたような、衝撃を受けたことは覚えています。★光透波(ことば)と水の結晶写真★「言葉」というのは、「言霊(ことだま)」といわれたりしますが、昔から、言った事は、現実になる、言葉には力がある、と信じられてきました。現代科学からみれば、そんな事は迷信である、と言いたくもなりますが、言葉は想像以上に力があるようです。少し前には、江本勝さんの水の結晶写真が、有名になりましたが、水の結晶が、言葉によって、変わってしまうという、ある意味、衝撃的な写真集も発売されています。この写真集は、本当に感動的です。また、『水は答えを知っている』など、いくつも関連書籍が出版されています。↓水の結晶写真などは下記から見れます。http://www.hado.com/1番分かりやすい例でいえば、「ありがとう」という言葉を見せると、水の結晶は、きれいな六角形になり、「ばかやろう」という言葉を見せると、水の結晶は崩れてしまって、形にならないということ。ただ、この結晶は、何十枚もの写真の中から、選ばれた1枚であるので、どれもが同じ形をしているわけではありません。と、いうか、同じ言葉を見せても、どれひとつとして同じ結晶はない、といったほうがいいのかもしれません。それでもだいたいの傾向はあるようです。しかも、水の結晶写真は、凍らせた氷が溶ける過程での撮影なので、水の結晶写真も一瞬一瞬溶けながら「変化」していくという、まさにほんの一瞬の結晶を撮っているということになります。そういう意味でも、感動的です。水に音楽を聞かせても、もちろん、水の結晶は、変化します。音は、「振動」ですから、これが伝わって、結晶を変化させる、というのは比較的イメージしやすいです。また、言葉を発する、というのも、振動があり、音として伝わって行くので、イメージできます。しかし、言葉というものを、水に見せるだけで、水の結晶が変化してしまうというのは、「常識」では考えられません。「言葉」というのは、まさに「波動」であり、水に伝わるのでしょうか。「言葉」が「光透波」である、ということから見れば、言葉、文字自体が、目に見えない波動をもっていて、「光」の粒子となって、「透」けて「波」となって、水に伝わるということなのかもしれません。★光透波(ことば)と聖書★興味深いことに、聖書の「ヨハネによる福音書」の冒頭には、こうあります。「初めに言(ことば)があった。言(ことば)は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」言=神=命=光となり、言(ことば)は光であることが書かれています。言(ことば)は、光。ここからも、「光透波」と呼ばれる由縁が感じられますし、そうなってくると、漢字と聖書との関連も示唆されます。また、「光」とは、厳密にいえば、内側から、紫、藍、青、緑、黄、橙、赤、の「7色」です。「七」は、数字で言えば、完全数、神の数字に当たるそうです。「光」=「七」=「神」と繋がります。光=言からみて、「言」は、画数が「七画」。言(ことば)も、神の数を含み、「神」を象徴しているということでしょうか。たまたまでしょうが、おもしろいと思いました。また、光は、漢字自体良く見れば、上の三つのチョンが、三方へと、光が放出されている感じです。日本では、神道的に「三」という数字が重要視されていることを思えば、象徴的な字ともいえるでしょう。「古事記」には、冒頭に顕れる神が三柱の神である「造化三神」です。さらに言えば、聖書にも「三」との重要性が感じられます。「絶対三神」「三位一体」などというように。もう一歩踏み込んで言うと、「古事記」と「聖書」も、シンクロで繋がっているのかもしれません。後編、インターネット上での「光透波」のシンクロニシティに触れたいと思います。
March 10, 2005
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「シンクロニシティ」とは、心理学者ユングの造語ですが、いわゆる「偶然の一致」とか「共時性」と言われる現象をいいます。シンクロニシティは、個人個人の日常のちょっとした出来事から、それこそ地球、果ては宇宙全体にまで及ぶ出来事としてとらえる事ができると思います。この事を意識していくと、ささいなことにも、シンクロニシティは起こっている事に気がつくようになります。ともすれば、この世界は、シンクロニシティの連続で成り立っているのではないか、という気もします。自分に起こった、シンクロニシティ現象を、とりあえずは記録しておけば、その時には、なぜその偶然の一致が起こったのか分からなくても,後で理解できる時がくるかもしれません。別に理解できなくても、エピソードを書きためていったら、おもしろいのではないかと思ったのが、ブログでのシンクロニシティの記録をはじめたきっかけです。ヤプログの方では、シンクロニシティ(なかには、ほんとに、これ、シンクロニシティ?というepisodeもありますが…)をepisode21まで、書きましたので、継続していきたいと思います。よって、エピドードは22からとなります。いずれ、機会があれば、過去のエピソードは、こちらへ移すかもしれません。前置きが長くなりました。では、エピドード22、本題です。★インターネットと現実での時空を繋ぐ「シンクロニシティ」★シンクロニシティが起こったのは、東京へ行く前日の夜ですから、3月6日、ちょうど、この楽天のブログを夕方立ち上げた日。夜、パソコンに向かって、インターネットをしていた時でした。楽天のHPを立ち上げたばかりで、まだ、よく分からずに、いろいろと楽天の設定などを見ていました。そして、数日前に、楽天のHPからHPを、リンクなどを通じて、渡り歩くなかで巡りあったのが、「古代史のロマンをたずねて」というHP。書いておられるのは、「レーナマリア」様。大神神社や箸墓古墳の事に触れられていたので、非常に興味を持って拝見して、お気に入りにも登録させていただきました。3月6日の夜、その日、その時、レーナマリア様のHP「古代史のロマンをたずねて」をみていました。すると、妻が、インターネットで、CD注文できるの?と聞いてきました。ちなみに妻は、インターネットはおろか、パソコンのキーボードも触った事がない、機械にはめっぽう弱い人です。それは良いのですが、「え?できるけど、何か注文してほしいCDでもあるの?」と聞き返しました。「うん。○○のCDを注文してほしいの。」と、図書館で借りていたCDを差し出しました。母親のプレゼントにいいかな、と思って、との事。「○○…」何か聞いた名前だなあ…今さっき聞いたような……え? と一瞬頭が混乱しかけて、「ねえ、だれのCDって?」ともう1度、妻に、聞きなおしました。妻が答えます。「レーナマリアのCDと。」「え?うそでしょ?」と、思わず耳を疑いました。整理してみます。つまり、インターネットで「レーナマリア」様の楽天HP「古代史のロマンをたずねて」をみている、その時、妻が後ろから頼んできた事が、「レーナ・マリアのCDを注文して」という事。ひょんなことから「レーナマリア」という言葉の「偶然の一致」が起こりました。第1の「偶然の一致」は、ちょうど、「レーナマリア」様のHPの存在を知った時に、「レーナ・マリア」のCDを妻が、借りてきていたこと。私は、「レーナ・マリア」というシンガーがいる事など、全く知りませんでした。「レーナマリア」様のハンドルネイムの由来が、このシンガーにあるのかは、分かりませんが、とにかく、「レーナマリア」という言葉で、繋がりました。そして第2の「偶然の一致」は、インターネットで「レーナマリア」様のHPを見ているちょうどその時、妻が、「レーナ・マリア」のCDを、インターネットで注文して、と言ってきた事。妻は、私が、「レーナマリア」様のHPを見ているなどという事は、パッとみただけで分かるはずもないです。正直、今回の「偶然の一致」には、少なからずびっくりしました。ただ、この偶然の一致に、どういう意味があるのかは、よく分かりません。この記事を書いている今、かけているアルバム曲は、もちろん……そのCD「アメイジング・グレイス」レーナ・マリア ベスト・セレクション。今、4曲目「この素晴らしき世界」が終わって、5曲目「旅立ちの時」という曲が流れています。シンクロニシティの意味は分からなくても、この世界は「素晴らしき世界」である事には間違いないでしょう。そして、「旅立ちの時」は、歌詞の一節「君だけの花を咲かせよう」というフレーズが、印象的です。「この素晴らしき世界」で、「君だけの花を咲かせよう」3月6日「ミロクの日」に、楽天ブログ開始時に起こった、ちょっと自分では印象に残った「シンクロニシティ」でした。★追記:ゴスペル・シンガー「レーナ・マリア」について★1968年生まれ。両腕がなく、左脚が右脚の半分の長さしかないという生涯を持って生まれたが、両親はレーナ・マリアを普通の子として育てた。3歳で水泳教室の通い始め、10代後半からスウェーデン代表として障害者の国際水泳大会に出場し、数々のメダルを獲得した。音楽でも5歳で教会の聖歌隊メンバーになったときから秀でていた。高校の音楽専攻科を経て、名門のストックホルム音楽大学に入学。91年からゴスペル・シンガーとして本格的に活動を始め、92年には日本での初めてのコンサートをおこなった。以来ほぼ毎年コンサート・ツアーのために来日しており、多くの人々に愛と希望のメッセージを伝え、感動を与え続けている。(歌詞カードより引用)
March 9, 2005
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まずはじめに断っておくと、タイトルに関連はありません。意味なしです。1年に1度、東京で会議があるのですが、今回は、3月7日、8日の一泊二日行ってきました。★読書の楽しみ★旅行、あ、旅行というか、出張なんですが…、まあ、旅行でも出張でもどっちにしろ、1番の楽しみは、私の場合、移動中の時間を利用した「読書」。とにかく、本が好きで、本があれば、一人で、何時間でも過ごせるという「忍耐力」を持っています。あ、これは「忍耐力」とは言わないか…。今回は、読みきれないのは分かってはいるけれど、7冊カバンに詰め込んで、「重いなあ」と思いつつ、持って行きました。新幹線「のぞみ」の車中、片道2時間少し。気合入れて、本を読もう、と思っていましたが、今回は、どうしたわけか行き帰りとも、眠くてしょうがない時があって、結局半分近く寝てしまいました。一冊だけきちんと読めただけで、後は、読みかけばっかりになってしまいました。いつも4,5冊は同時並行で読みすすめるクセがあります。こういう読み方は、「右脳的」な読み方である、という事を、以前、本で読んだ事があって、「ああ、それはいいじゃないの。」と思ったものです。でも、本当は、ただ単に、飽きっぽい性格だから、というのが、一番的を得ているように思います。ちょっと読んでは、次の本、それも少し読んで、また別の本、という読み方をする事が多いですね。★友人との再会★7日は、京都を7時15分初の「のぞみ」に乗り、9時半頃、品川に着きました。会議は昼過ぎなので、約束していた横浜の友人と品川駅で待ち合わせて、会いました。実に7,8年ぶり。懐かしかったです。しかし、友人は、外見は全然、変わっていなかったので、何となくホッとしました。品川駅を出て、大通りを渡った正面の2Fにカフェがあったので、そこへ。友人に言わせると、かわいらしい制服で有名なカフェだとか。ここのウエイトレスの派手な赤のミニスカート、見覚えがあるなあ、と思ったら、そういえば、2年前だったか、会議の時、この駅を降りて、ここに入った記憶があります。友人は、「いやあ、懐かしいなあ。」とウエイトレスの制服に、興奮して…あ、いや、(たぶん)そうではなくて、この店を懐かしがっていました。コーヒーのおかわりが自由という事で、ラッキーと思ったのですが、2時間半近くいたなかで、4,5杯、いや6杯は飲んだでしょうか。まだ半分くらい入っているのに、「コーヒーのおかわりいかがでしょうか?」と頻繁に来るものだから、「あ、はい。」とついつい、何度も入れてもらい、飲みすぎました。こっちは座っているので、コーヒーをすぐそばで入れてもらっている間、ちょうどウエイトレスの女の子のミニスカートと足が「自然と」目に入ってしまい、目のやり場に困るというか、目がいってしまう、というのがあり、うれしい…あ、いや、というか、困りました…。はい。(^^;★免疫学の権威 安保徹教授★えっと。すみません。話が変な方向にいきそうなので、方向修正です。会議のなかでは、いろいろな講演が聴けて良かったのですが、個人的には、安保徹教授の講演が聴けたのはうれしかったです。当日行って、初めて、この方の講演があることを知りました。実は、3月13日に兵庫で、講演があるという事を、だいぶ前に聞いていて、参加したいけど、無理かなあ、と思っていたところだったので、今回東京で、しかも会議の一環で、「無料」で聴けてしまったので、本当にタイミングが良かったです。この方は、今、「免疫革命」はじめ出す本が、どれも医学書としては異例のベストセラーになっています。自律神経と白血球の関係など、従来とは全くといっていいほど新しい「免疫学」を打ち立てた方でもあり、自律神経免疫療法の「爪もみ療法」などでも有名な方です。今まで西洋医学では、分からなかった病気の原因が、本当にするすると解けていくような、そんな感動を、今回の講演からいただきました。ガンの原因も、ほぼ明確にわかるので、ガンにならない方法や、たとえガンになったとしても、薬なしで治すことも可能だ、と思えてきます。つまりは、自分の「自然治癒力」さえしっかりしていれば、大丈夫、と思えてきます。安保徹先生の講演、あるいは、免疫学については、また少しずつでも紹介してみたいと思います。
March 8, 2005
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明日から、2日間、東京へ行く事になりました。これは、遊びで…あ、いや、違います、違います。仕事です!毎年、一年に一回、仕事柄、東京での集まりがあるのですが、普段は田舎に住んでいるので、ちょっと緊張しています。(^^;東京行きにあたって、ふと思いついたのが、この正月からよく連絡を取り合うようになった友人の事。年賀状のやり取りくらいはしていたのですが、ここ7、8年くらい会っていませんでした。彼は横浜に住んでいるので、東京に行くのなら、ついでに会えないだろうか?とふと思って、メールを2日ほど前、急にしたら、会いましょうとのこと。会議は昼からなので、午前中早めに東京に行って、少し会う予定。楽しみです。今日、切符を買ってきましたが、京都に7時代に出発の「のぞみ」。起きれるだろうかと、いや、そもそも、もう寝ないといけない時間なので、早く寝ないと、と思いつつ書いているのですが、がんばって早く起きます。それにしても、新幹線も、どんどん形が変わっていきますね。今日の朝、TVでニュースを見ていたら、寝台特急の「あさかぜ」と「さくら」が、廃止になった、と放送されていました。こういうのは、また、ひとつの時代が終わったという感もあり、乗ったことはありませんが、寂しい気もします。寝台特急と新幹線で、思い出したことがあります。かなり前に読んだ本に書いていた事なのですが、電車のネーミングの妙について。戦後、国鉄の特急で「はと」というのが、ありましたが、これは戦後の復興を日本全体がめざすなか、「平和」の象徴の願いを込めてつけられた、というのがあったようです。その後、「かもめ」など鳥の名称がいくつかつけられたりして、戦前の復活として国鉄の切り札的特急「つばめ」が出てきました。「つばめ」は鳥のなかで、一番早い鳥とされていて、そういう意味でも、「超特急」のネーミングにふさわしい名前です。そして、次にようやく、新幹線の登場で、新幹線の名称はまず、「こだま」があります。鳥の「つばめ」より速いものは?となったとき、鳥では、もういない、ということで、「音」の伝わるスピードが非常に速いということで、音を表す「こだま」がつけられます。そして、音よりも速いものは?となると、これはもう「光」しかないわけで、「こだま」より速い新幹線で、「ひかり」。これは、意図してつけられたのかは、正直分からないけれど、と書かれていました。そして、「ひかり」が出てきたら、もうこれ以上はっきり言って速いものはありません。「光速」は、物質世界では、これを超える速さというのは、でてきていません。しかし、実際に新幹線では、「ひかり」の速さを上回るものが出てきてしまいました。そこで名付けられたのは…「のぞみ」「のぞみ」とは「望み」、つまりこれ、物質ではなく、人間の「意識」。この名付けは、本にも書いてあったように、ある意味名付けた人は、すごい、と思いました。「光」を超える速さがあるとすれば、それはもう人間の「意識」であり「望み」しかない、と。「意識」とは、科学的にはまだまだ、解明されていないといっていいと思いますが、「意識」を突き詰めていくと、細かい粒子のまたその先には、振動というか波動というか、「波」の世界であるようです。そして、物質でさえも、細かい細かい粒子をさらに細かくしていくと、そこには、波動にいきつくようです。「意識」というのは、不思議です。「意識」「想い」が振動であり、伝わっていくものであるならば、「意識」が現実に影響を与えるというのも頷けますし、もっと言えば、意識が現実を作っている可能性だってある、ということになるのでしょう。ちょっと今回は、テーマが逸れてしまうのでここで留めておきますが、「はと」→「つばめ」→「こだま」(音速)→「ひかり」(光速)→「望み」(意識)という電車のネーミングの変遷は、非常に興味深いなと改めて思いました。これは意図したにしろ、意図しないにせよ、やはり必然の名付けであると。
March 6, 2005
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ヤプログでブログを展開してきましたが、半ば思いつきと、勢いで、こちらのHPをつくりました。今後は、こちらをメインで、日記を綴っていこうと思います。まだ、今後の展開をあまり考えていないのですが、ヤプログはヤプログで、テーマを「樋口一葉」とか厳選して、続けていきたいな、とも考えています。どうなるか、分かりませんが、「流れ」に任せて、やっていきます。ヤプログの時と同様、基本的には、自分の興味あることを中心に綴っていきたいな、と考えています。ヤプログを始めた日は、2004年7月17日でしたが、この7月17日は、聖書でいう、大洪水をくぐり抜けたノアの箱舟が、アララト山に漂着した日であり、京都の八坂神社で祇園祭のクライマックス、山鉾巡行を迎える日でもあります。そういう象徴的な日に始めたので、ちょっと嬉しく感じました。楽天での日記は、というと、今日は3月6日。2005年3月6日を、新たなスタートと位置づけて、心新たに、はじめます。この3月6日は、「36」で「ミロク」とも読め、「弥勒の世」「弥勒菩薩」などと繋がるものがあり、そういう意味では、区切りをつけて始めるには、良い日である、などと、こじつけてみたりしています。本がとにかく大好きで、先日読んだ本に、著者が自分のことを、活字中毒症候群重症患者、と言ってましたが、まさに、自分のことだ、と膝を打ったものです。本が大好き、そして映画を観るのも好き。基本的に心地よく癒されるようなものが好きです。日々、心穏やかに、ちょっとしたことに幸せを感じて、周りの人と調和のとれたなかで、生活していきたいな、と思います。少しずつ、自分のこと、自分の興味あることを書いていきたいです。今後ともよろしくお願いします。
March 6, 2005
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