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今日はとってもいいお天気です。仕事→ジムこれが最近板についてきています♪ビオラの花がどんどん咲いて、きれいです2階のベランダの手すりのところに飾っているので、門を入ってきたらそのキレイさが見えて気分がいいです。今日はお給料日でした。同行といって、最初に仕事内容を教えてもらうのに、主任さんについて行ってもらった分、お給料はでないと聞いてましたが、お給料袋を見るとその分も入ってる。入れ間違えたのかな~??と思って聞いてみると「受け取っておいてね!」とのこと。嬉しいですまじめにやってたらいいことあるね。久しぶりに友人に会いました。銀行の駐車場で、ばったり。今度お茶かランチの約束をしました。彼女は、前の職場で一緒だったのだけど、仕事をミスした私を助けてくれた事がありました。大切な友人家族がそれぞれ、会社、学校で頑張っている。有難いこと。私がありがたいを口癖のようにしていうので、6歳の娘も最近「ありがたい」と何かにつけていうようになりました。
2007.11.30
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今日は寒いです。どんより冬の空です。今日は家におこもりの日に決めました。化粧もせず、午前中はたまってたやりたいことをし、昼前からいなり寿司を作りました。といっても、あげは既に炊いたのを生協で購入してあったのでそれを使いましたので、酢飯をつくっただけ(汗)それからりんごをたくさんもらったので、りんごケーキを作ることにしました。ホットケーキミックスがあったので、それを利用して作りました。今オーブンで焼いてます♪手作りのおやつはなんとなくいいですね。おいしいお茶を入れて、ほっこりしましょう。
2007.11.28
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3連休が終わりましたね。これといってお出かけもしなかった我が家です。昨日は息子の野球の練習試合、ちょこっと顔をだしてきました。丁度、ヒットを打っているところを見れてよかった。ばんざーい♪久しぶりだったな~。あんないい音聞いたの。きっと今までの苦しい練習の成果がでてきたんだね。母はとっても嬉しいのだ。今日の晩御飯はおでんにしよう。ことことことことおでんを炊こう。
2007.11.26
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大根を葉つきでいただいた。大根の葉は栄養があるから、捨てるのはもったいない。というのはよく知っているのに、この間は、すっかり置きっ放しにしてしなびてしまった。今回は、早い目にお料理しようっとということで、大根葉をにんにくバター醤油でいためてみた。おいしい♪おにぎりに混ぜたり、ごはんにかけたり、子供たちには3色丼の一色にこれを使って食べさせた。なんとなく満たされた気分。幸せ~。
2007.11.25
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息子が先日から不機嫌だった理由がわかりました。昨日の駅伝のこと。早い選手からAチームから順に振り分けられるのに、息子はCチームだったことにがっかりしていたようです。小学校の時には勝っていた子がBチームに入ったようで、「俺だって、入院してなければ、Bチームに・・・」という気持ちがわいてきて悔しかったそうです。でも、その子はバスケットボール部で・・・「バスケットって、常に走っていないといけないから、練習もきついし、お母さんの時代でもバスケット部の子は持久走は強かったよ」と話をしたら、素直にそうか~と言ってました。結果は20チームほど走った中で6位だったそうで、Bチームより成績も良かったそうですが。「お母さんは、○○が、BチームであろうとCチームであろうと、走れたというだけで満足やで。すごいな。よかったな。」と褒めました。そういった後で、入院していた頃のことが頭に浮かんで。車椅子にのっていた時のこと、一階分を階段であがっただけで息があがってしんどがって・・・元気な頃は12階まででも階段をぴょんぴょんと飛んで上がれただろうにな~と涙したこととか思い出して、胸がいっぱいになりました。ここまで元気になれたことは、本当に有難いことです。感謝感謝の毎日です。今日は元気に野球に行きました。
2007.11.24
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今朝も起こしに行くと「今日はムリ。休む」と言うので、そうかといって、ドアをしめて様子を見ていた。いつもそんなこといいながらも不機嫌に起きてきたりするんだけど7時40分になってもおきてこない。いつも7時50分あたりに出るから、今日は本当に休むんかなと覚悟の上で「ねー、今日休んだら、明日の駅伝のこと、わからんのちゃうん?集合時間とかー」と声をかけたら「え??今何時?」「7時40分くらいかな」「えーーーー!もうそんな時間?着替えだして」と言って大慌てで支度して出て行きました。なんなんだ!!もう中学生だし、ある程度ほっとこう。というかそっと見守ろう。自分の足で乗り越えていかなきゃいけないことだしね。そうそう、明日は駅伝に出場するらしいです。選抜で選ばれたそうだから、嬉しいです。自信になればいいのにな。半年入院してたハンディ克服して、よく頑張ってるよ。キミは。だから、頑張れ!自信もって。さてさて、今日はなんだかえびピラフを食べたい気分。今日の夜はえびピラフをたこうっと。バターをたっぷりいれて♪
2007.11.22
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最近、息子の朝は超ご機嫌ななめ。さわやかに送り出したい母なのになー。「あー今日も学校かぁ。休みたい」とめっちゃうっとうしそうに言われるとねー。何か行きたくない理由があるのか・・・例えばいじめられてるとか??聞いてもなんでもないほっといてといわれるしね。こんなもの?中学二年生。そんなことを毎朝言いながらも制服に着替えて自転車乗って出て行く息子。足をとめたら・・・余計に行きにくくなることを知っているのかな。がんばれ。門を出て行く背中に小さく声かけて。手と手を合わせて神様にお祈りする。守ってください。
2007.11.21
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寒くなりましたね。11月といえば、こんなものかと思いますが、今朝も冷え込みました。昨日から毛布をだしました。あったかい毛布にくるまれていると布団からぬけだしにくいです。今日は仕事だったので、ジーンズの下にうすいスパッツと腰にはカイロをはりつけて重装備で行ったのに、だんだんとお日様がでてきて暑くなってきて、カイロをとりました~。今日のお宅は、いくら寒くたって窓を全開にされてるんですよね。さむ~って感じです。利用者さんは一人暮らしのさみしがりやです。先日柿をあげようか?と言われて、「あります。親戚が●●で作っているんで・・・」と言ったら「●●って・・・●●のなんていうおうち?」と聞かれて、姓だけいうと、名前は??と聞かれて・・・「さ~また聞いときます~」と言ったのに、電話帳を出してきて「○○?○○?・・・」と順に聞いてくるんですよね。しつこいからつい答えてしまったんですけど。今日は行ったら「こないだ○○さん(親戚)に夜、電話したよ」というのです。びっくり!!いつもよくしてくれると私のことを褒める電話をしてくれたらしいのですが、びっくりしただろうなぁ。親戚のおばさん。いきなりやもん。私がヘルパーしてるのも知らないかも。義母の兄のお嫁さんやから。でもまさか、電話するとは思ってなかったよ。個人情報を安易にしゃべるでないってことかしら。最初に、この利用者さんに行く前に主任さんから「自分の携帯の番号とか聞かれても教えてはだめよ。一回教えてしつこく電話されたヘルパーさんがいてるから」と言われてあったのに・・・。気をつけなきゃあ。
2007.11.19
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放射線治療に入る前に、放射線治療のリスクを聞きました。どうしても腫瘍にあてようと思ったら視床下部、脳下垂体という成長ホルモンを排出する場所に当たってしまうということです。「身長が伸びなくなるってことですか?」「そういう可能性もあります」命にはかえられません。幸い、息子は成長が早く、中学入学前で165センチありましたので160センチなかったら、ある年齢から成長ホルモンの注射を打って身長を伸ばす手もあるようでしたが、それに値しません。(結局、退院後少し伸びて今は167ちょいあります)放射線を当てるのはほんのわずか10分程度でしょうか。私は、操作する部屋の入り口でモニターを見ていましたが・・・。いつもお守りをにぎりしめていました。放射線技師さんが、あてる場所を間違えたり、放射線量を間違えたりされると命とりです。毎日、祈るような気持ちで見守りました。そういう日が25日続きました。その後、もう1クール、化学療法の点滴(抗がん剤)をしました。これはもうとどめのようなものですと説明を受けました。そして、これが終わると最初に聞いていた治療が一通り終わることになります。手術をするかどうか・・・これは最後の最後まで医師も悩まれたようです。退院の前日までカンファレンスが続けられました。退院の前日の夜、私と主人は、脳外科と小児科の医師に呼ばれて説明を受けることになっていました。私はその時の気持ちをよく覚えています。本当に医師、看護士、技師さん、全ての人が一生懸命息子のために頑張ってくれた。最初の気持ちは、どうにかして息子の病気を治したい!!どんなことをしてでも。という気持ちばかりだったけど、感謝の気持ちが先立ち、今、どんな結果がでようとも(手術をして腫瘍をとるか、一旦退院して経過をみるか)素直に受け止めよう。こんな気持ちでした。『無』になれたというか・・・『欲』がなくなったというか・・・不思議な感覚でした。そして、結果は、今の状態で手術をする方がリスクが大きい。今、頭に残っている腫瘍はカスみたいなものになっている。これからは定期的に検査をして経過をみていきたいということになりました。10月5日。無事退院することが出来ました。大学病院に入院したのが4月5日。丁度半年たっていました。そして、今、元気に毎日学校へ行けている。大好きな走ることが出来ている。復帰を願った野球にも復帰できた。もちろん、再発のおそれもあります。それでも、いや、それだからこそ、一日一日が貴重に思えて、やれる時にやりたいことをやらせてあげたいと思います。そして、自分も、誰だって、明日はどうなるかわからないものですから今日という日を大切にして、感謝していきなければならないと思います。長い間読んでいただいて有難うございました。おわり
2007.11.17
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毎日、行ったり来たり、せわしい生活でしたが、忙しく動いていた方が余計な事を考えずに済んだように思います。一週間に一度、木曜日は私の友達が娘二人を預かってくれる日でした。その日は、家に帰らず、病院で一日を過ごしました。夜、眠れなくて、デイルームに行くと同じく眠れない同室の子のお母さんがいて、よなよな・・日付がかわっても話続けました。その人の子供はネフローゼで今回が10回目の入院ということでした。自宅が病院から遠い彼女はうちと同じく3人子供がいて、下二人を家に残してきているという共通点がありました。私のように行ったり来たりできたのは幸いで、ほとんどの人が、幼い下の子をおいての入院生活。そして、患者である子供もうちのように大きくなく幼児や小学生なので、付き添いは必ずいりましたので、大変な想いをされてる人が多かったです。この頃になると私にも余裕が出てきて、長期入院仲間が出来ました。よく話をしたのが、内臓に腫瘍が出来た1歳の男の子のママとうちと種類は違ったけど同じく脳腫瘍の2歳の男の子のママでした。彼女たちも今は退院して、元気に毎日を過ごしています。同じ時期に入院した仲間、そして、今後も再発を恐れている・・・同じ病気をしたもの同士でないとわかりあえないことってありますから、大事な友達です。時々メール交換をしています。治療の方は順調で、抗がん剤がよく効き、腫瘍はだんだんと小さくなっていきました。そんな時、同居している義父が交通事故にあいました。こんな大事な時に・・・家族で二人も入院なんて最悪・・・。頭をかかえました。義母は身体が弱く、自分の病院でさえ自分でいけない人。もちろん買い物も、近くにスーパーがありませんから、義父の運転する車で行ってましたので、生活の足がなくなったわけです。結局義母はタクシー生活になりました。私の次女を幼稚園バスで帰ってくるのをむかえて、それからタクシーに乗り義父の病院へ(入院先は息子が最初に入院した近くの総合病院でした)行って自分の病院や買い物もタクシーで移動していたようです。義父は命には別状なかったのですが、腕、肩の手術をして、術後の状態が悪く再手術になったりで、2ヶ月程入院しました。神様はまた私たち家族にさらなる試練を与えられたのだなぁと思いました。ここでふんばらないと。誰も不平不満をいう人はなかったです。自分に与えられたこと、しなければならないことを頑張りました。私は義母は嫌いでしたが、いつも笑顔で「ありがとう」「がんばろうね」という言葉かけを大切にしました。家族が一つになって頑張れたと思います。治療も化学療法が3クール終わりました。そこで今度は放射線治療に入る事になりました。季節は春から夏になっていました。
2007.11.15
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その頃の生活といえば、大学病院から車で15分位に主人の会社があったので、主人はいつもより仕事を早めに終わらせてもらって、7時頃には病院へ帰りに寄ってくれたので、私は夕方病院をあとにして、家へ戻る生活でした。戻るといっても、車で40分。夕方は会社から家へ帰る車で道路は混み、約1時間かかりました。それでも私は家に残している二人の娘が気になって・・・帰りの道中で買い物をして、帰ってすぐに夕飯の支度でした。義母が次女の幼稚園のお迎えをしてくれて(バス停に迎えに行ってくれた)助かりました。ごはんを食べさせ、お風呂に入れて、寝させます。次女が寝ると、私はまた病院へ戻る。主人も夜になると家へ戻ってくる。というすれ違い生活でした。主人は毎日、夕飯は病院でコンビ二弁当や菓子パンで済ませていたようです。次女は朝になると私がいないので、いつも寝るのを嫌がりました。「また病院へいっちゃうんやろ」って。そして、なかなか寝ないし、寝ても眠りが浅くて、布団を私が抜け出すと敏感に反応してなかなか病院へ向かえなくて困りました。夜中、11時とか12時とかに車を走らせることが多くなりました。(この時間帯になると車がすいててよかったりしたのだけど)寝るのは病院の簡易ベッドといっても普通の長いすなんですけど。夜中に相部屋だし、ゴソゴソ寝る支度をするのは大変気をつかいました。息子は治療中、すぐに髪の毛が抜け始めました。最初に髪の毛が抜けるという説明はうけていましたが、実際に枕に髪の毛がいっぱいついているのを目の当たりにした時は、帰りの車で号泣し「絶対絶対治るから!」と1時間ずーっといい続けました。何も知らない人が見たら、おかしな人?に見えたかも。短い髪の毛の男の子でこうなんですから、長い髪の女の子だったらもっとショックだろうなと思いました。なんだかかわいそうで、帽子を買ってあげたりしましたが、本人は案外平気で帽子をかぶらず過ごす毎日でした。外泊を許される時だけ、周りの人がぎょっとするので(スキンヘッドなので)野球帽をかぶっていましたが。壮絶な闘病生活のようですが、息子はいつも前向きでした。治療と治療の間の調子のいい時は、よく歩きに行きました。外来が昼までで終わった静かな外来病棟の長い廊下を点滴をひきずりながら何往復もするのです。もっと調子の良い日は隣の医大のキャンパスまで散歩したり、軽くランニングをしたりしました。(点滴が外れている時です)寝ていると筋肉が落ちるのを、意識していました。毎日暇なので、私とオセロをしたり、医大の学食で安くてボリュームたっぷりのランチを食べたり・・・朝は病院の喫茶店でモーニングを食べたり。病院食に飽きていたので、「おいしいもの食べたい」ということで、おいしそうなものを作っていってやったり、買っていってやったりしました。看護士さんやお医者さんにニックネームをつけたり、漫画を読んだり、DSのゲームをしたり・・・落ち込むことなく笑顔で過ごしてくれたので助かりました。私の気持ちも、何故?うちの子がこんな目にあわないと・・・という考えから何事にも意味のないものはない。ということは、今回のこの試練もきっと私たち家族の魂を磨く試練なんだ。神様は乗り越えられない試練は与えられないのだから、きっと私たちは乗り越えてみせる。この子が病気になったという宿命はかえることは出来ないけれど、今後の運命は変えられるのだから、いい方向へ向かうように、世の中全てに感謝して、前向きに生きていこうと思えるようになりました。先々を考えずに、一日一日を大切に、朝を迎えられたことに感謝し、夜を迎えられたことに感謝する毎日でした。
2007.11.14
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脳外科病棟ではトイレつきの個室でしたので、マイペースでなんでも出来ていたのが、急に4人部屋になったので、最初はとまどいました。それも、小児科ですから、赤ちゃんや幼児が多いです。夜泣きやドタバタ・・こちらも抗がん剤の点滴が始まりますと時間関係なく吐きますので、周りに気をつかいます。お互い様とはいえ・・大変気をつかう毎日でした。個室にしてもらいたかったけれど、もっと重症の方優先ということでいつも空きはなく、仕方なく最後まで相部屋でのりきりました。救いは窓側だったこと。それも以前は海側で海が見えましたが、今度はお店や車がはしる道路が見えるだけ。ちょっとがっかりでした。今度の主治医は若くてきれいな女医さんでした。息子に病気の説明をする時に、『ガン』という言葉だけ使わないで欲しいといいました。脳腫瘍という病名、頭の中に腫瘍があってそれを退治しなければ退院できないということ。その治療には、吐き気や脱毛という副作用がある点滴や放射線をしなければならないということは納得させていましたが、やはり年頃の息子の年齢から考えてガンという言葉はなるべく使いたくありませんでした。やはり・・・いいイメージはありませんから。小児科に移ってすぐに、院内学級に入りました。病院内に学校があるのです。といっても、その当時、中学生は二人だけ。先生とマンツーマンで授業が行われます。調子のいい日は3階の教室へ行って授業をうけますが、体調が悪い日はベッドサイドでお勉強です。先生はベテランの女の先生でした。「脳腫瘍の子を何人も教えましたが、みんな、元気になって退院してるから●●くんも頑張って克服しようね。」と励ましてくれました。あと、私が教えた子は何故か罹患が中一というのが多いですね。それも、スポーツをやってる男の子がほとんど。何か関係あるのかしら?」ともおっしゃってました。小児科病棟は小さい子がほとんどで、話し相手になる子も友達になれそうな子もなかなかいませんでした。そんな中、院内学級の先生が紹介してくれたのがFくんのお母さんでした。Fくんは白血病で入院している中学二年生の男の子でした。Fくんは丁度入院半年でもうすぐ退院されるということでしたが・・しばらくの間は廊下で会うとお話をしたりさせてもらいました。Fくんと息子が交流できたらよかったのですが、Fくん自身には病名を告知していないということで、お母さんもあまりまわりの人と接触させるのを嫌っていましたのでなかなか難しかったです。告知という面では、私は正直に病名を告げてよかったと思っています。その子の性格とか色々その家庭ごとで方針はあるでしょうが、秘密なしで家族みんなで病気と向き合って闘えたことはよかったと思っています。もし、告知していなければ、病名に気づかれないようにしなければ・・・という余計な気苦労が増えてしんどいだろうから、息子には助けてもらったかもしれません。病気の原因は不明です。ただ、息子の腫瘍は私のおなかの中にいた頃にその要素ができていたと聞きました。細胞分裂する時に、例えば歯になるべきもの、髪の毛になるべきもの・・・が原因不明で頭に残ってしまったらしいです。後々、ここの大学病院の脳外科の教授がこのことを『神様の忘れ物』と言った表現をされていました。神様はむすこの頭にとんでもないものを忘れて行ってくれたのだな~と思いました。入院中はたくさん本を読みました。特に江原啓之さんの本は何冊も読み、勉強させてもらいました。一番最初に友達から頂いた「苦難の乗り越え方」という本には随分影響を受けました。つづく
2007.11.13
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息子が病気になったことで、今まで気づかなかったこと。私は周りの多くの人に助けられて生きているんだということがしみじみわかりました。霊感の強い友達は毎日メールで励ましてくれました。時には病院へ来て、私たちを笑わせてくれました。幼馴染の友達は、仕事が終わって自分の子供をお留守番させて、夕方によく病院へ来てくれました。車で1時間ほどかかるのに。来てくれると息子の話相手になってくれたり、私と晩御飯を一緒に食べてくれました。顔だけみて帰るからという日もありました。本当に勇気づけられました。長男の同級生の女の子。小学校6年の時の同じクラスの子に頑張れのメッセージを書いてもらってくれて、卒業した学校の恩師にまで一言書いてもらいに行ってくれて病院まで持ってきてくれました。この行動力にどんなに感謝したことか。長女の同級生のママ。1週間に一回。木曜日に長女と次女を預かってくれた。泊まらせてもらって、お弁当まで作ってやってくれた。洗濯も食事も自分の子供と同じようにしてくれた。同じ頃、お父さんを亡くされて大変だったのに、忙しくしていた方が気がまぎれるからって変わらず世話をしてくれて本当に助かった。ありがとう。他にも日ごろ付き合いのないいとこから涙のでるようなお手紙をもらったり、自分も大変な病気を克服して今があると教えてくれた息子の同級生のパパとか、近所の人がこんなえらい先生がいてるあの先生なら手術をしてもらえるのでは?とか情報をくれたり。本当に大勢の人に助けられました。シャント手術がうまくいったことで、水頭症は完治し、肝心の腫瘍に対する治療が始まろうとしていました。それに際し、7階の小児科病棟に移ることになりました。今度は4人部屋です。
2007.11.12
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転院した大学病院では11階の個室でした。見晴らしが良く、海が見えました。この景色に随分気持ちが癒されました。前の病院で髄液を外に出す手術を緊急にしてもらったのですがいつまでもこの状態にしておけない。感染症も心配ということで第三脳室に穴をあけてそこに髄液が流れるようにする手術をすることになりました。頭の手術なので、坊主頭になりました。それまで結構男の子にしては髪が長い方で、その髪型が気にいってたのでショックそうでしたが、そんなこといってられません。手術は無事終わったのですが、数日後、髄液がうまく流れていないということを知らされました。ちゃんと穴をあけて髄液が流れ出したことを確認して手術は終わったのですがその後、まだ穴が閉じてしまったようです。そういうことも稀にあるそうです。残念ながらまた手術です。今度はシャントといって、頭からおなか(腹腔)まで皮膚の下を管を通し髄液をおなか(腹腔)へ流すという手術です。前回の手術がうまくいっていれば管という異物を体内に入れなくて済んだのですが失敗したのでしょうがありません。そういうことで今も息子の身体にはその管がうめこまれています。1週間に2度も開頭手術を受けて、頭は傷だらけという感じでした。寝ながらの食事、口腔ケア、清拭・・・どれもヘルパーの講義でならったものが役にたちました。ヘルパーの資格をとりたい!!と思ったのも虫のしらせだったのかしら??ついに明日が入学式という日、友達から電話がかかってきました。それまで友達には誰にも打ち明けてなかったのです。それは、自分の口から告白するということはこの現実を認めることに繋がるからです。私はどうしてもまだこれが夢であって欲しいと願っていたのです。電話のむこうの友達は、そんなこととは露知らずですから、明るく明日の入学式には名札を忘れないようにね!ららみちゃんは忘れっぽいから教えといてあげなあかんと思って~といいます。私は「あのね、実はね、●●(むすこのなまえ)が入院しって・・」駄目です。言葉がつまってつまって・・・。でも打ち明けると、友達は必死で励ましてくれました。そして、11時くらいだったか?どうしても心配で・・・と家まで駆けつけてくれました。その友達は、霊感が強く、オーラも見えるといいます。そして、「●●は大丈夫。私、もうすぐ死ぬ人とかってわかるねん。でも・・・●●はそんなん見えへんから大丈夫矢で~。絶対治るから」と言ってくれました。私は退院までこの言葉に随分支えられてきました。その後、「わたし、予知夢もみるねんけど、●●が冬の制服着て学校を走り回ってる夢を見たから秋には退院できるで~」と言ってくれました。そして実際息子は10月に退院し、冬服を着て学校へ行ける様になりました。その友達はその日から毎日メールをくれました。本当に有難い友達です。つづく
2007.11.12
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朝起きて今起きてることが夢だったらなぁと思う毎日でした。でも人間ってどんなに辛くても悲しくても食べないといけないし、やっぱりおなかもすくのです。食べないと倒れてしまう、私が倒れていたらどうなるのっと砂をかむような気持ちでおにぎりを食べたことを思い出します。気持ちは手術に向いていたのに、病院長が来てこのように言われました。『息子さんの病状で、手術を先にする方法ともう一つ先に化学療法(抗がん剤)や放射線治療をして腫瘍を小さくしてから手術という二つの治療法があります。昔は先に手術をするのが100%でしたが、最近は五分五分です。色々脳外科のスタッフで話し合った結果、息子さんの腫瘍には化学療法がよく効く腫瘍ですので、ここはじっくり先に化学療法でたたいて悪いものをやっつけてから手術をされた方がいいという結論です。それにあたり、こちらの病院では小児科の化学療法を専門にしている医師がいないので、大学病院を紹介しますので、そちらで治療してください。』だいたいこのような内容だったかと思います。私たちは専門的なことはわかりません。とにかく息子の病気が少しでもよくなればどこにだっていきます。そういうことで、転院することになりました。入院して5日目のことでした。初めての救急車。息子と主治医が乗り込み、私はその後ろをついて大学病院まで走りました。大学病院までは家から40分から50分近くかかります。遠くなったなぁ。これからは頻繁にいったりきたりできなくなるかもしれないと不安もありました。ついた大学病院は今までお世話になっていた総合病院の2倍ほどの大きさです。建物の大きさ、新しさ、スタッフの多さにここへ移ってきてよかったかもしれない。きっとこんな大きな病院だったら最高の治療が受けれるはず。そう信じよう・・そう思いました。毎日、いろんなことがあって、何って自分はしてないのだけど、次から次へまわりがこうしましょう、明日はこんな検査をしましょうといった感じで周りに動かされてるような感じでした。仕事はもちろんしばらくお休みさせてもらうことにしました。最初にケアマネージャーさんに電話した時はさすがに途中で声がつまってしまいました。それで心配したのでしょう。すぐに病院へかけつけてくれて「若いから大丈夫。絶対治るから。私の子供もね、死にかけたことあるけどね。子供の生命力は強いよ。」と笑顔で励ましてくれました。その時は、正直素直に受け取れなくて、そんな簡単に言わないで!!うちは悪性なんだよ。だめかも知れないのに・・・といった気持ちだったような気がします。あの時・・・辛かったのが、息子にはしばらく入院しなければならないと説明するのですが「しばらくってどれくらい?入学式には間に合うよね?」「野球の新入部員歓迎会には行けるよね?」と言われることでした。あの頃、頭の手術をした後だったからか?説明してもすぐに同じ事を聞いてくるし主治医がゆっくりと落ち着いて「しばらくっていうのは半年くらい。だから悲しいけど入学式には行けない。でも、じっくり治さないとまた元気に学校へ行ったり運動をしたりすることができないから。一緒にがんばろう」と説明してくれて、なんとか納得しました。でも、『最初から休むなんて・・・友達ができにくくなるやん。最初が肝心やのに』と悔しそうに何度も言っていました。私も悲しくて情けなくて、下を向いて涙をこらえていました。
2007.11.09
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病院に着くと、息子は個室に横になっていましたが、まだ吐き気があるらしく時々、身体を少し起こしては吐くといった感じでした。吐き気止めをうってもらっているのに、辛そうでかわいそうに思いました。主治医の説明がありました。息子の病名は脳腫瘍で種類が胚細胞腫で、それも混合型であると言われました。色々な種類が入り混じっているといわれました。そして、まず最初にしなければいけないことは、腫瘍があるために、脳の髄液が流れなくなってしまっているため頭痛がしているので、滞る髄液を外へだす手術を緊急に行うといわれました。即、その日の夜に手術が行われました。下の子を実家に預けて、病院へ向かう車の中で涙がとまらなかったのを思い出します。とにかく、子供の前では泣けないので、あの当時は車の中が私の泣く場所でした。でも、落ち着くまでは、普通に歩いていても、買い物してても、涙が勝手にわいてきてたらたらたらたら流れ出るのが不思議でした。こんなに泣いてもまだ涙はでてくるのね。涙はかれないのねって感じでした。手術はうまくいって、息子の頭には穴があけられ、そこから髄液が外へ流れ袋にためられるという装置が枕元に設置されました。その頃、日に何度か説明室というところに、主治医に呼ばれるのですが、毎回恐ろしいことを聞かされて、生き地獄のようでした。血液検査の結果、腫瘍は悪性であると聞かされました。腫瘍をとる手術をする方向でいきます。でも、悪性なのでつつきにいってそれがなんらかで散らばって、脊髄に流れて脊髄に転移する恐れもあるので慎重にしないといけないといわれました。悪性度は中間群。、5年生存率は50%~70%と言われました。身内にガンの人がいない私は、ガン=死という公式が頭の中に浮かび上がりその上、生存率だとか、転移とか、聞きなれない言葉を次から次へとあびせられ今思うと、よく正気でいられたのだなぁと感心したりします。でも私の性格は、人目を気にするプライドの高いところがあるから、人前ではすごくしゃんとしていなくては・・・という気持ちがありました。私がしっかりしてないと、息子は不安に思うだろう。だから、私は絶対息子の前では普段の私でいようと思いました。病院が近かったので、夜に病院に泊まって早朝に義父が交代してくれて、下の二人を学校、幼稚園に送り出し、また病院へ戻るといった生活を数日送りました。家へ帰ると、息子の真新しい詰襟の制服がハンガーにつるされていました。数日後に控えた入学式に着ていくために、袖をみあげしようと片方だけやってもう片方を次の日に・・・とつってあったものでした。それを見るともう倒れるように泣き崩れました。息子の部屋で、もうあの子はこの部屋に戻ってはこれないのだろうかと暗い暗い気持ちに落ちて泣いてばかりいました。手術の日が決まり、とりあえず手術前の検査の準備も整いはじめていました。
2007.11.09
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何故私が病院へ連れて行かなかったかというと、その日は長女のお友達を数名預かる予定が入っていたからでした。お昼もごちそうして・・と前々から約束していたので・・・。病院は土曜日もあいている、脳神経外科に行ってもらいました。そこの脳神経外科のお医者さんの奥さんとは、長女が幼稚園に入る前からのお友達で、とても仲良くしてもらっています。実は昨日も、小児科に行くか、この知り合いの脳神経外科に行くか迷ったのですが。お昼近くになってもなかなか連絡がきません。どうなったんだろう。不安でたまりませんが、子供たちが大勢来てくれていたので、深く考え込んだりする余裕もなかったのでよかったのかもしれません。やっと、主人から電話があり、「水頭症やった」と言います。水頭症?名前は聞いたことがあるような気もするけど、一体どんな病気?それで一体どうなるの?話を聞くと、最初頭痛の痛み止めの点滴をしてもらっていたが一向によくならないので、CTをとると・・・そういう結果がでたということです。それでも、まだこの時はこれから始まる恐ろしい現実を知らなかったのです。ただ、不思議な事がありました。この日の一週間前に私は『難病患者等ホームヘルパー養成研修』というのをうけにわざわざ大阪まで出向いています。その時の講師が訪問看護をしていらっしゃる看護士さんで、その方の娘さんが難病だと研修中の講義の中でおっしゃった時に、なんともいえない変な気持ちになったのです。虫の知らせというのでしょうか?私も難病の子の母になるのでは・・・何故そんなことを感じたのか、不思議でしょうがありませんが。それが現実になるとは。あともう一つ不思議な出来事。それは息子の病気を見つけてくださったお医者さんの奥さんとの出会いです。二人ともいつも不思議な縁だねと言っていたのですが、お互いいつも行かない公園に行ったときに出会って、一瞬のことにすごく気があって・・・私もこの人とは友達になれるとぴぴぴと感じるものがあったのですが、むこうもそうらしいです。それで、すぐに家を行き来する仲になって、だんなさんが脳外科のお医者さんと聞いて、お世話になることはないかなと思っていたのですが、しっかり息子がお世話になることになりました。あの出会いは、神様がくれた出会いだったのではないかしらと思っています。「とりあえず、入院することになった。どこがいい?と聞かれたので 近くの●●病院(総合病院)にしてもらった。 それから、水頭症の原因は脳に腫瘍があるらしい」主人の言葉に、きつねにつままれたような私。腫瘍?うそ。入院?どれくらい?とりあえず、急を知った友達が子供たちをひきとってくれて、うちの子たちを預かってくれるというので、タオルや下着を手当たりしだいにかばんにつめて入院先の病院へ走りました。続く
2007.11.08
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長男が病気であることはちらっちらっと書いてるけど、なんの病気かってとこは書いてなかったんだけど。発病から1年半たって私も随分落ち着いてきたので、思いつくままに書いてみようと思いました。長男、小学校の卒業式を終えての春休みのことでした。私は、その年の前の年の11月からヘルパーのお仕事を始め、子供が春休み中も働いていました。そんなある日の月曜日、長男が頭が痛いと言い出しました。こたつにもぐって、ダラダラとしていた時でしたので、なんてことない、ただの風邪ひきだろうと思っていました。熱もないし、食欲もあるし、病院へいくまでもないだろうと思っていました。でも次の日も調子が悪そうです。野球の練習も休みました。そして、水曜日だったと思います。主人が春休みでダラダラした生活を送ってるからだろうと頑張って野球へ行ったら治るだろうと野球に行くようにいいました。そしたら、本当に、治ったと寒い中、3キロほど走ってきたと言い、一時は安心しました。でも、やっぱりすっきりせず、金曜日にお医者へ連れて行こうと決心しました。その時は頭が痛くてもどしたりしたと言っていましたが、それも普段から吐きやすい子でしたので、あまり気にもとめていなかったように思います。金曜日、小児科へ行きました。小児科の待合室でだらーんと長いすに横になっている姿を思い出します。小児科の先生に相談すると、たいしたことはないと言われました。「最近、塾とか習い事はじめたとかない?」と精神面で頭が痛いのでは?という言い方をされました。でもなんとなく、心配そうな私を見て、「お母さんが安心するように、念のために、大きい病院でCTとってみる?」と月曜日に予約を入れてくれて、月曜日に病院へ行くことになりました。その日の夜は、食欲がないと、大好きなミュージックステーションも見る気になれないと言い、録画を頼み早々に自室で寝ていました。そして、土曜日です。朝から、起きてこれないほど調子が悪いといい、「お母さん、目がおかしい。ものが二重に見える」と言い出しました。やっぱりおかしいよ。これ。月曜まで待ってられない。土曜日でゆっくり寝ていた主人を起こし、病院へ連れて行って欲しいといいました。続く
2007.11.08
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◎ユニクロのルームシューズ。 スリッパがへたってきたので購入したのね。 色は赤。 フリース生地であったかい 結構しっかりしてるし。 金額は千円だったかな。◎ブロッコリーのにんにくかけ ブロッコリーを軽くゆでてからフライパンで大量のみじんぎりした にんにくでいためるの。 最後にクレイジーソルトで味付け。 これでごはんがすすむくん ブロッコリーはビタミンC豊富だし、これからの季節、風引き予防にも。 もちろん、美容にもグーだよね◎グロス ここんとこ、メイクはほとんどナチュラルメイク。 アイシャドーもアイラインもマスカラもチークもなし。 でもなんとなくグロスが欲しくなって購入。 唇キラキラ・・うるおってます◎重曹 エコにもえてるわけでもないんだけど。 前々から気になってた重曹でおそうじにこってる。 これ一つでお風呂場もトイレもキッチンもリビングもお掃除できちゃう。 それに安心。安全。 今日はうすめて、パソコンのキーボードや画面を拭いたの。 キレイになって満足なり。
2007.11.08
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昨夜、冷蔵庫に賞味期限の切れたクリームチーズ発見。切れているといってもまだわずか。こういうところはアバウトな私は、捨てるのも勿体無いや。チーズケーキ作っちゃえとなって、急いで材料をフードプロセッサーにほおりこんでたら「あら?生クリームないぞ」どうしよう。車で5分の所にスーパーが10時まであいてるから行ってこようか。迷ったけど、冷蔵庫に牛乳が・・・。低温殺菌牛乳で、生乳100%使用と書いてある。えええーい!これでいっちゃえ~。ここのところも大雑把なO型がでてるな(汗)それでオーブンで50分焼いてでてきたらうん!おいしいチーズケーキじゃんかよぉ。わざわざ生クリーム買いに行かなくてよかったよ~となりました。
2007.11.07
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今日は次女の幼稚園では来年幼稚園に入園する予定の子の健康診断の日で、在園児はお昼までということでしたが・・・お弁当もちなら延長保育は許されるということで、お友達が延長するからする~ということで私も思いがけずゆっくりすることができました。朝からアイロンかけ。図書館で借りた本を読んで。お昼からはトレーニングジムへ出かけることにしました。というのも、先日、市の文化祭で以前一緒に働いていた人に久しぶりに会ったのです。立ち話の中、市の総合医療センター(健診とかうけにいくところ)の二階に無料で使えるジムがあるよと教えてもらったのです。最近、食べすぎ、運動不足の私はおなかぽっこり。体重こそ激増していませんが(酵素飲料のおかげかな?)おなかがねー。夜に歩こうと思うのですが、ついつい飲んでしまうと、歩く気がしなくて。(危ないですしね~)それで一度行ってみようと思っていたのです。ナイロンの上下のジャージで、運動靴。私は日ごろはかかとのある靴をはいているので、なんか変な気分。誰かに会ったら、どうしたの?ときかれそう~。(普段と違う雰囲気だから)ドキドキしながらついて、受付に名前を書いて、トレーニングルームに入ると先客が2人。ロッカーに荷物をおいて、まずは身近にあった自転車をこぐのをやってみました。結構楽しい。i-podを持っていったので、聞きながらいい感じでこいでいたら30分あっというまに過ぎました。身体もあたたまり、あせもじんわりかいてきたところで、今度はルームランナー。最初速さがわかりにくくて、とまどいましたが、慣れてくると快調。これも30分歩いたり、かるく走ったり。その頃になると、人も増えてきて8人くらいに。初日だし、そんなにいっぺんに頑張っても次の日の筋肉痛も怖いしな~ということでひきあげました。ルームにはシャワールームもついていて、清潔でいい感じです。いいところを教えてもらったな~。また利用したいと思います。
2007.11.06
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寒くなりました~。気がつくともう11月。今年も残り少ないのですねー。はやっ。今日はお仕事でした~。週に二回のお仕事は、今の所すごく順調。気分的にも適度な緊張感もありいい感じ♪終わってから、新聞広告に入っていた花屋さんへ行ってみました。最近、花ばかり買っています。パンジーにビオラ、ウインターコスモス・・・寄せ植えしたり、見ていると心がほっこりして楽しいです。今日はスノーボールという花苗を買いました。また土や植えるポットを買ってこないと~(汗)そうそう、昨日の夕方から冷え込んできたので、電気カーペットやこたつをだしました。早速家族が集まってくる集まってくる・・・。こたつの中は足がうじゃうじゃ。あー落ち着かん。ということで母は一抜け、家事にいそしみましたとさ。
2007.11.02
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今日は長男の定期検査の日。3ヶ月に一回のMRIの日です。発病から一年半、だいぶ慣れたけど、やっぱり不安です。検査の前にはお墓参りに行って、心を落ち着かせます。気分がブルーになりがちだけど、長男は学校が休めるので嬉しいらしいです。お昼はいつも長男が行きたい事ところでランチです。病院は市内なので、色んなお店が目白押し。長男も迷うみたいです。前回は、はしごをしました(カレーやとラーメン屋)今日は検査があるのであまり食べ過ぎてはいけないということで、カレーハウスに決定。長男はカニクリームコロッケカレーで私はパリパリチキンスープカレーを頼みました。おいしかったのですが、夕方むねやけしてきました~。病院で待っていると、ほどよく院内があたたかいので眠気が襲ってきます。いつも座ったまま眠っています。身体が少し揺れているのがわかっておきたりします(汗)長男はそんな私にあきれているようです。でも主婦は疲れてるのよォ!眠いのよォ~と叫びたい!!結果は変化なしということで、胸をなでおろし、帰ってきました。帰ってきたら、小学校へお迎えに行き、長女を車で習字に送っていき、次女の幼稚園のお迎え、買い物、晩御飯ごしらえ等々で、時間に追われ眠たくてぐずる次女にいつになく厳しく怒ってしまいました。次女も怒られたので、ビービー泣いて・・それも非常にしつこいそうすると私もますますきれる。悪循環の夜でした。
2007.11.01
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