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今日で北京ともお別れです。フライトは昼過ぎなので午前中ゆっくりできます。エアポートまではリリーの義父が送ってくれます。ホテルのレストランでゆっくりと朝ごはんを食べる事にしました。バッフェ・スタイルですが、ものすごい種類の中国風朝食、そして反対側には洋風の朝食が並んでいます。赤い重い鍋の中には実においしそうないろいろなご馳走が入っていて、中国語と英語で内容の説明があります。 頼めばその場でヌードルもクックしてくれます。姉曰く今までかなり高級なホテルに泊まったが, こんな豪華な朝食は初めてだと喜んでくれました。 朝食後、もう一度ゆっくりと天安門を見てみることにしました。 まず、天安門への車道、歩道もその幅の広さ。 天安門広場、いつもニュースで良く見る風景ですが、この広大さはやはり実際来て見ないと実感できません。中国の国内旅行者がたくさん来て記念写真を撮っていました。彼等のなんとも言えない素朴な笑顔が素敵です。リリーが言っていましたが、以前に比べて随分自由にはなったが、まだまだ政府の厳しい規制があるとのこと。本当に早くみんなが真の自由を感じる日が訪れてほしいですね。
2012.04.28
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いよいよ万里の長城です。Mutianyu Great Wall へ行きました。北京の街から90km離れていて、少々遠くて不便なのですが, ここは北京近郊の万里の長城に比べ元の形で残っていて、比較的観光客が少ないです。今まで写真で何度も見ていたイメージよりも、実際に行くと全くインパクトが違いますね。よくもこれほどのものをあの時代に機械も使わず作ったものだと感心せざるを得ません。階段を登りながら、昔この同じ道を兵士達が歩いたのだと思うと感動感が湧いてきます。そして、長城のかなたを見て、モンゴル兵が攻めてきた様子を想像しました。姉が遠くの塔を見て、またもやあそこまで行ってみようとクレージーなことを言い出したのですが、前日の黄砂で私のアズマが出始めたので断念。その後、北京に戻り連日の歩きつかれを癒すためにマッサージへ行きました。90分の丁寧なマッサージに気持ちが良く途中で寝てしまいました。なんと値段がわずか$20という安さ。私達はよほど珍しく目に引くものがあれば別としてお土産は買いません。唯一の例外は留守宅の世話をしてくれている甥にティーシャツを買うだけです。と言うことでお土産物屋に行きました。リリーから30元以上払ってはいけない、バーゲンするのよと言われ、案の定、まず120元から始まり反応を示さないと、すぐに100元に値引き。ワイフが一言、高すぎると言えば、85元。首を振ると60元にまた値下げ。店に入って2分もしないうちに元の言い値の半分になります。店を去ろうとすると、「いくらなら買うの」と聞かれ「30元」、そしたら40元ならとの答え、「ありがとう、結構です」と言えばすぐに30元になりました。今夜はリリーの義母の誕生日というので、夕方でお別れ、我々だけでホテルのすぐ近くのWangfujingにあるsnack streetへ行きました。 スゴイ人でいろいろなエクゾティックな食べ物が並んでいます。もちろん我々は見るだけです。
2012.04.28
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朝、隣の部屋からやって来た姉の第一声,「このホテル、まるでフートンのよう、昨夜ベッドルームからトイレに行くのが遠かった」大げさな彼女のコメントに大笑い。 さて、今朝は夜明けとともに行われる天安門でのflag raising ceremonyを見る予 定です。昨夜ホテルのフロントでチェックしたら、今朝は6時に始まるとの事。天安門はホテルから歩いて7~8分の所です。ものすごい数の見物客がいて、少し遠くから式典を見ました。7時にリリーが迎えに来てくれて、私が頼んだ典型的な中国風の朝ごはんを食べさせるレストランに連れて行ってもらいました。今おおはやりのチェーン店でリリー曰くマクドナルドのようなものだそうです。三種類のおかゆ、通常の白米、穀物そしてとうもろこしがあり、珍しいので黄色のきれいな色をしたとうもろこしのおかゆをオーダー。数々のおかずもあります。そしてここはすべてがセルフサービスになっています。とても安くて一人$1でお腹がいっぱいになりました。隣に座っていたかわいい女の子、珍しそうに我々を見つめていました。朝食後は故宮(Forbidden City)の観光です。もともと古くは北京の中心に壁で囲われた街としてデザインされ、500年間の間、皇居として使われました。とにかく、ものすごく広い。映画Last Emperorで見たシーンが思い出されます。みんなゆっくり見ようとしたら一日中かかります。
2012.04.27
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フートン観光に続き次はサマーパレスです。 現在中国で一番大きく、そして一番良く保存されている王宮だと言われています。もともとは豪華な王宮で、後に皇帝一族の主要住居になりました。湖に沿って長い廊下があり、その天井は美しいペインティングが描かれています。国内観光客でたいへん賑わっています。75%が人口の湖で(Kunming Lake)この湖を作るときに掘った土で作られた丘(Longevity Hill)の上にパビリオンがあり、サマーパレスが一望できます。クレージな姉が「あそこに登ろう」と言いだしたのですが、途中200段以上の急な階段を登らなければならないこと、夕方で日が暮れだし閉館寸前だったので、諦めました。Marble Boatと呼ばれる船、実は木で作られていますが、ペンキを塗って大理石に見せかけています。夜はリリーに頼んで有名な北京ダックレストランへ行きました。ダックは特別に育てられていて、オーガニックとのこと。通常食べる北京ダックのように油っぽくなく、また、ダックを包むパンケーキもすごく薄くてたいへんおいしい。小食の我々なので到底食べきれず、リリーの家族に持ち帰る事にしました。中国ではどのレストランでもアメリカ同様にドギィーバッグがOKです。
2012.04.26
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北京到着は大連と書きましたが、実は天津の間違いでした。送られてきた旅程表は英語で北京はTianjin の港に到着、と書いてあったため、かなり後になるまで、天津であることを知りませんでした。ブロッグを書いている途中何故か今度は大連に変わってしまった。(>_<)
2012.04.25
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ランチの後、北京の中心近くにあるフートンへ行きました。狭い道を自転車タクシーに乗り、観光します。ガイドしてくれる女の子がたまたま大学で日本語を少し勉強したことがあり、しゃべれるので姉と自転車タクシーに同乗、楽しそうにしゃべっていました。ただいろいろな説明になると英語でトレーニングを受けたので、日本語では説明できませんと謝っていました。フートンはもともとコートヤード家屋で北京の近代化に伴いそのほとんどが壊されましたが、今は政府が管理していて、現在も実際に人々が住んで生活しています。門に付いている六角形の印の数で、家族の位の高さが分かるようになっています。面白いのは家の中には、お風呂やトイレが無いので、住人は歩いて近所の共同施設に行かねばなりません。一時間のツアーが終わり、彼女が何か質問ありませんかというので、ボーイフレンドいますかと聞いたら、恥ずかしそうに、いません、と笑っていました。近くに、ベル・タワーと呼ばれる建物があり、昔はここで鐘を鳴らして時を告げたそうです。
2012.04.24
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北京ではプライベイト・ガイドによる私達だけのツアーをすることにしました。旅行に行く前にいつも参考にするTripAdvisorで調べると、数人のガイドの名前が推薦されていて、中でも評判の良いリリーという女性にさっそくメールを出すとすぐに返事がきて、彼女にお願いする事にしました。大連の港は埋立地に北京オリンピックのために造られた大きな規模のポートですが、北京まで遠すぎるために結局オリンピックでは使われなかったそうです。周りに何にも無いので、すごく強い風が吹いて、とても寒いです。リリーは義父の運転する日産のSUVで迎えに来てくれました。やや早口で話すリリー、英語はインターネット等を使って独学で覚えたそうでアクセントも無くとても聞きやすい。北京までの道中、彼女は中国のいろいろな情勢を説明してくれました。特に一人っ子政策の話は興味深かった。1978年から始まったこのポリシー、実はリリーは二人目の子供であったため、祖父母、両親が高額のお金を罰金(?)として支払ったそうで、彼女は 「I am an expensive girl」 と笑っていました。この一人っ子政策の結果、女の子よりも男の子が好まれ、近い将来は男女の比率が男性が70パーセントになると予測されているそうです。2時間近いフリーウエィーのドライブで北京の街に近づき、オリンピックで有名になったバードネストと呼ばれるスタディアムも見えてきた。 まず銀行で換金して、ランチを食べようということになり、彼女の薦めるレストランへ。ガイドのお陰で、ランチのオーダーもとてもスムーズです。ランチの後は、フートンとサマーパレスの観光をします。
2012.04.24
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釜山を出た夜は最後のフォーマルナイト、お別れパーティーです。普通であれば、この夜のディザートの時に部屋を薄暗くして、ウエイター、ウエイトレス全員で大きなお皿に乗ったアイスクリーム・ケーキ( Baked Alaska)に炎を灯して全員にサーブするのですが、我々のanytime diningでは食事時間がまちまちなのでそれはできません。プリンセスは部屋の代金のなんパーセントかを自動的にティップとしてチャージされますが、それでも、親しくなったウエイター、ウエイトレス、キャビン・アテンダントにティップをあげる人もいます。 そして、荷作りです。それぞれのキャビンごと、もしくは個人の希望に基づいて、下船順序が決められ、荷物は色分けして部屋から港まで運び出されます。船は北京、実際は北京から車で2時間離れた大連の港に朝4時に到着、乗客は7時から順番に降りて、最後のお客さんは10時に降りなければなりません。なぜなら、この船は来た航路をもう一度同じようにシンガポールまで戻るので、我々の降りた後、大急ぎで掃除して、昼の1 時から乗船を始める次のお客さんの準備をして、夕方6時には再び出港するのです。
2012.04.22
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釜山の停泊時間は7時間と短く、観光案内書を読んでもあまり興味を引くようなところがないので、船を降りるかどうか迷っていました。唯一目を引いたのは、東京の築地に次ぐ世界第二の魚市場があるらしい。どうせ、魚のにおいいっぱいのマーケットだろうぐらいに考えていたのです。船が着いたとたん、驚くような大きな音で、コリィアン・ミュージックと踊りのパーフォーマンスが我々を迎えてくれました。街の中心まであまり遠くないので降りることに決定。船の提供してくれたシャトルバスにはチマチョゴリ姿の学生のボランティアが乗っていて、以前サンディエゴに短期留学していたと懐かしそうに話していました。さて、フィッシュマーケット、驚きました。 その規模、魚貝類の種類の多いこと、その場でクックして販売もしています。そして、嫌な臭いがほとんど無い。来てみて良かった。 船が出港する時も、再びカラフルな民族衣装を着たパワフルなコリィアン・ダンスと音楽が見送ってくれました。
2012.04.21
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上海を出て一日の航海のあと長崎港入港です。到着前夜、長崎で船を降りて観光するしないに関わらず全員、日本の移民局の検査のために,一度上陸して手続きを受けなければならないとの指示がありました。 大きな岸壁のある、松が枝国際ターミナル、今回のクルーズで長崎港だけが街の真ん中の港に停泊するので、たいへん便利です。船を降りて移民局での手続きの列に並んでいて気がついたのは、望遠鏡のような器械が我々の 方に向いていて、この器械はあなたの体温をモニターしていますと書いてあります。みんなの不快感は隠せません。共産国中国よりもずっと厳しい官僚的な日本のCIQ(custom,immigration,quarantine)に唖然としました。長崎は以前にも来た事があるので、ほとんどの観光地はスキップして、以前雨のため行かなかった稲佐山にケーブルカーで登りました。 朝もやではあるが、美しい長崎港、そしてダイアモンド・プリンセスが見えます。向かい側の、三菱造船所で8年前にこの船が建造されたのです。長崎の観光案内を調べていて、創業以来150年の元祖茶碗蒸レストラン、「吉宗」の記事を読み、ランチをここで食べることを楽しみにしていました。 たくさんの具が入っていた大きな器に入った茶碗蒸し、私の個人見解では茶碗蒸しはやはり、小さな器で少しの量を上品に食べるものではないかと思います。 一緒についてきた蒸し寿司も、少々期待はずれ。ランチのあと、グラバー邸を訪れ、ここで地元のボランティアーの方と話をして楽しいひと時を過ごし、坂道を降りるとそこは波止場。 高校生のブラスバンドの演奏で船は長崎港をあとに。 またまた、批判コメントになりますが、7~8名の着物姿の琴プレイヤーが 日本的な歌「浜辺の歌」、「赤とんぼ」 「ふるさと」もしくは、かの有名なマダム・バタフライの曲を奏でたら、より印象的ではないのかな思いました。
2012.04.20
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香港を出て、二日間、台湾海峡を通り北上し続けます。この頃になると、気温も随分下がってきて、タイランド、ベトナムの暑さが嘘のようです。いよいよ、私にとって始めての中国本土ということで、好奇心で胸が高まります。上海入港、港はつい最近開港したばかりと言うとても大きくて素晴らしい設備の港です。船で前もって中国入国手続きが行われていたらしく、何のチェックも無く入国。中国の官僚的な入国手続きを想像していたので、あまりにも簡単すぎて拍子抜けです。すごく好感の持てる何名かの若いオフィサーが次々と「ウエルカム・ツー・チャイナ」と笑顔で迎えてくれます。この雰囲気も予想もしていなかったため、驚きました。 大きなポートビイルディングを出ると、ブラスバンドのお出迎えです。今日はバスで郊外の蘇州に行きます。バスガイドの女性はとても流暢な英語で説明してくれます。約2時間で東洋のベニスと呼ばれる、運河があちらこちらに走っている蘇州に到着。ここは昔から絹の織物でも有名だそうです。この日はちょうど日曜日でその上、先祖の墓を清掃する日とのことで、どこへ行っても、人、人、人です。運河に沿って柳の木が植わっていて、のんびりと船で観光。 両側が人家で人々の日常生活をの様子がうかがえます。興味深く見入る我々ツーリスト、そして我々を珍しげに見る土地の人。洗濯物がいたるところに干してあるのがちょっといただけない。帰りのフリーウェイーはものすごい車の混雑。その上、みんなのドライビング・マナーが非常に悪く、我々のバスに何度も接触しそうになる。後ろ席の女性は、私の上海の思いではバスの中で事故が起こりませんようにと祈り続けたことになるに違いないと言っていました。
2012.04.19
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シンガポールを出発して、8日目に香港に到着。波止場でにぎやかな歓迎のライオン・ダンスに迎えられました。香港は随分前だが、何度か来た懐かしい街です。さっそく、オクトパス・カードを買ってまず、カゥルーンから香港島へ。1880年から始まったと言われる昔ながらのスターフェリーでヴィクトリア・ハーバーを渡ると、高くそそり立つビルディングの数は増えたが、なんだか時の流れを忘れて古い香港を思いだします。フェリーの発着はセーラー服を着たおじさんがヘルプします。香港島で調べておいた飲茶レストランに行ったところ、すごく混んでいて、仕方なく違うレストランに急きょ変更。ここも混んでいたが、しばらくして席が空き、とてもおいしいチャイニーズのランチに大満足。ランチの後、ケーブル・カーに乗ってヴィクトリア・ピィークへ。1926年から始まったという古い歴史を持つケーブルカーに乗り頂上に向かう。ピィークからの眺めは、少しもやがかかってはいるが、実に素晴らしい。 しばらく時の経つのを忘れて景色を楽しみました。ここからの夜景は有名です。買い物客で賑わうネーサン・ロードを散策して、船に戻ると、大劇場で香港の民族ダンスをやっていました。
2012.04.18
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ホーチーミンの翌日は同じくベトナム、きれいなビーチのある街です。ここは船が沖合いに停泊して、テンダーと呼ばれる約40名乗りの船で、波止場まで行きます。 混雑を避けるため、まずティケットを受け取り、その番号順に呼ばれるまでラウンジで待ちます。 思ったよりもスムーズで、待ち時間も短く、約20分のテンダーに乗って波止場に到着。いろいろなトロピカル・フルーツのマーケット等を散策してビーチにでました。ビーチを歩いていたら、テレサ先生とハズバンドに出会い、「いつも講義を聴きに行っているよ。でも、もしテストされたら、多分パスはしないと思うけれど」 と大笑い。 街のホテルでベトナム料理を食べて再びテンダーで船に戻りました。毎晩のディナーは高級レストランへ出かけて食べる感じです。街のレストランとの違いはメニューに値段が無いことです。アパタイザーから始まり、サラダ、スープそしてメイン・コースともちろんディザート。料理もたくさんのチョイスがあり、何をたべようか迷います。とにかく分量が多いので、アパタイザーやスープはよくスキップしました。乗船してすぐに姉がプリンセスには日本語ノメニューがあるはずだから聞いてみてと言われ、やはりありました。姉が日本語、ワイフが英語、ウエイターが私に何語?と聞いたので冗談でロシア語と言ったら、「ウムゥー、ロシア語のメニューはありません」との答え。 姉はディナーの時に毎晩ビールを飲むので、ワイフもワインをオーダーしました。ウエイターが私にどうして飲まないのと聞くので、「運転しなければならないので」と答えたら笑っていました。
2012.04.17
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私達はクルーズでは通常船の提供するツアーには参加しません。理由は、かなり割高で必ずしも自分達の見たい所が含まれていないので、自分達でツアーをアレンジします。でも今回は街の中心までかなり遠いのと、交通事情が予測できないので、万が一を考えて3ヶ所で船のツアーを申し込みました。 (バンコック、ホーチーミン、上海)船のツアーであれば道が混んでいて船に帰ってくるのが遅れても、船は我々を置いて出発してしまう心配がありません。 聞いてはいたものの、ものすごいモーターバイクの数。 中には4名、運転手の父親の前後にちいちゃな子供、そして一番後部に母親。彼等は平気で信号を無視。 完全に車優先社会です。 歩行者は命がけです。誰かが冗談で、道をうまく横切る方法、それは目をとじてわたる事といっていました。ホーチーミン・シティーで一番印象深かった所は、Reunification Palace(統一会堂)と呼ばれる、もともと南ベトナムの大統領の住まいであり、大統領のオフィスであった建物です。ここで南北ベトナムの休戦会議が行われました。サイゴン陥落の日にはここへ北ベトナムの戦車が侵入してニュースになった所。ベトナム風のランチを食べながらベトナムの珍しい民族楽器の演奏やダンスを楽しみました。バスでホーチーミン・シティーを去る直前、バスの近くに両手を失くした男性が近寄ってきて、前に座っていたアメリカ人の男性が隣に座っている奥さんに「彼はきっとベトナム戦争の時米軍が使った科学兵器のエージェント・オレンジの犠牲者に違いない」と急いでバスを降りて彼にお金をあげに行った出来事、すごく胸をうたれる光景でした。
2012.04.16
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この船には屋外、屋内、大小5っのスイミングプールがあります。ジャクジーもついています。7階のデックが運動用で、2周半歩くと一マイル(1.6KM)です。船のあちこちにはラウンジがあり、図書館、カシノ、ショッピング・ストアー、インターネット・カフェー、ヘルス・フィットネス・センター、スパー・ビユティーサロン、小さなチャペルもあります。とにかくこの船は馬鹿でかい。乗り降りは船の前方、後方の2ヶ所で行われます。キャビンをはさんだ廊下。姉から我々サイドのカーペットの淵が赤、、船の左は青なので、これを目印にすると良いと教わりました。スゴイことを知っていると驚いたら、以前乗ったときに添乗員の人から聞いたそうです。アイスクリーム・ショップもあって、これはフリーサービスです。大きな劇場でいろいろな催し物がされ、ポピュラーなショウーの時には満員になります。
2012.04.15
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最初の寄港地バンコック。船は街の中心からかなり離れたカーゴー・コンティーナ・ポートに到着です。幸いにして今日は土曜日のため、トラフィックが軽く、それでもバスで2時間近くかかってバンコックの街に着きました。 湿度が異常に高く、まるでサウナに入っているような感じ。通常の観光地、ゴールデンブッダ、グランド・パレス、チャオプラヤ・リバー等を見学。パレス・ガード。あれほどなんども、バンコックのお寺には、肌をやたらに見せた服装は駄目だと注意されたのにもかかわらず、ショーツやタンク・トップの人がいて、ツアー・ガイドの用意したパジャマのような服を借りて着ていました。 ツアー・ガイドがちゃんと用意しているということは、常にこのようにルールを守らない人がいつもいるわけですね。 あまり暑いので、お坊さんも居眠りしていました。 街のいたるところで見かけたとても複雑な電線。修理する時はたいへんでしょうね。 一日の観光を終えて船に帰ってきたら、船の劇場でタイ・ダンスのショーが始まっていました。
2012.04.14
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今回のクルーズでは3回のフォーマルー・ディナーがあります。そして今夜はキャプテン主催ということで、シャンペンが配られ、メイン・コースはロブスター・ディナーです。最近はクルーズがたいへんポピュラーになり、フォーマルといっても男性はダーク・スーツー、時々タキシードの人もちらほら見かけますが。女性の服装も結婚式のリィセプションの服装程度です。お茶の先生をしている姉はフォーマルはいつも着物です。ヨーロッパ路線だと、乗客のほとんどが白人で珍しがって一緒に写真を撮るのに誘われたと言っていました。ウエイター、ウエイトレスも今夜はちょっとおしゃれな制服です。昨夜レストランで隣に座ったハワイからの人はフォーマルは嫌いなので、明日の夜はキャフェテリアで食事すると笑っていました。さぁ、明日はいよいよバンコック到着です。
2012.04.13
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船が大きいので揺れをほとんど感じず、快適に暖かい南シナ海を巡航。お客さんの大半は、朝食と昼食は14階にあるキャフェテリアで食べます。中には朝、昼、夜全部レストランで食べる人もいるようですが。特に昼食は毎日違ったバラエティーの食べ物が用意されています。私達は朝食はいつも気軽なキャフェテリアで、ランチは上陸して街の観光に出かけない時にはその日の気分でキャフェテリアで食べたり、プール・サイドでハンバーガーやピッザを食べました。世界各国からの2,670名見知らぬ乗客の中で実は一人だけ会ったことは無いが間接的に知っている人がこの船に乗っているのです。クルーズ旅行の一ヶ月前に歯の定期検査で一本の歯が治療を必要とすることが分かり、デンティストにバケーション後に治療すると言ったのですが、旅行途中に痛むと困るので急遽治療する事に決まりました。いろいろ旅行の話が出て、実は彼の患者さんで元大学の講師がどうやら同じ船で講義をすることが分かりました。テーマは中国の歴史、文化そして東南アジアへの中国の影響等を中国系アメリカ人のテレサ先生が数回に分けて話すようです。彼女の講義を聴きに行き、彼女もデンティストから私のことを聞いていて、会えるのを楽しみにしていたとしばらく歓談。寄港地と訪れる国々についての詳しい情報説明会もあります。船では数々の催し物が計画されていて、毎晩キャビンに翌日の詳しいスケジュールが届くのでそれをもとに自分達の興味あるものを選び、翌日の計画をたてます。ディナーの後は、数々のショウー、映画、コンサート、ダンス等も楽しめます。写真はコーテット(quartet), とディキシーランド・ジャズ・バンド、屋上でのビッグ・スクリーンで映画があり、ポップコーンのサービスもあります。
2012.04.12
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シンガポールの街をあとに、クルーズ・センターへ向かう。今回の船、ダイアモンド・プリンセスは2004年に長崎の三菱重工で建造された乗客2,670名、クルー1,100名が乗る18階の巨大船で、そのため通常の港には入港できず、街から遠く離れたカーゴ・ターミナルで船の乗り降りをします。 乗船手続きもスムーズにいって、これから17日間を過ごすキャビンへ。タイ人の若いボーイ・キャビンアテンダントが笑顔で迎えてくれました。バゲッジも既にキャビンに届いていて、さっそく洋服類を取り出して、クロセットのハンガーに移す。ワイフに言わせるとクルーズの一番の利点は一度アンパックすると船を降りるまで一々出し入れする必要が無いので楽との事。キャビン・アテンダントに隣部屋の女性は私達の姉で英語がしゃべれないので、バルコニーのドアーをアンロックして簡単に行き来できるように頼む。ライフ・ジャケットを着て、エマージェンシー・ドリルに参加してキャビンに戻ると既に夕食の始まる時間。私達の選んだのはanytime diningと呼ばれる好きな時間帯に4っのレストランの中から自分達で気に入ったレストランが選べる自由な方。メニューはどのレストランも同じだけれども、それぞれのレストランの雰囲気が少しづつ違うように工夫してある。Traditional diningはいつも決まった時間帯に決まった席で同じ人達と食べるもともとのクルーズ・スタイルだが今ではグループ旅行者の人達の利用が多いようだ。乗船日は荷物をアンパックし終えていない人も多いので、服装はカジュアルでOK。ウエイターやウエイトレスも愛嬌を振りまいて我々を迎えてくれます。
2012.04.11
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私には日本に住んでいるたいへん旅行好きの姉がいます。日本へ行くたびにいつもいろいろな温泉地に連れてもらっています。私達同様、子供のいない姉夫婦は旅行が趣味で、10年前に4人でいっしょにアラスカ・クルーズをして以来、彼等はクルーズがすっかり気に入り、毎年クルーズにも出かけていたのですが、1年半前に夫が急病で亡くなり、一人で寂しい思いをしている姉を誘って,今回3人一緒に南アジア・クルーズをする事に決めたのです。まず、日本で姉と落ち会い、クルーズの出発地シンガポールまで。体にぴったりのケバヤを着たシンガポール・ガールの素晴らしい笑顔でのサービスを楽しみながら。 私のオーダーしたシンガポール風よりもズーットおいしそうなワイフの和風の機内食を横目でう らやましく見ながら。 シンガポール空港からダウンタウンへ。フリーウェイーの中央ディバイダーに色とりどりのブーゲンベリアの花が鉢植えで見事に咲いていて、以前に訪問した時にタキシーのドライバーから地から直接ではなく鉢植えしてある理由は緊急事態の場合には鉢を移動することで、道路が即、軍のジェット機の離着陸ができる滑走路に使えるように工夫されているという話を思い出しました。今夜泊まるシンガポールのパン・パシフィック・ホテルの部屋のバルコニーからは屋上が船の形のプールになっている巨大なマリナ・サンズ・ホテルやオリエンタル・ホテルなどがが見えます。
2012.04.10
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たくさんの楽しい、思いでいっぱいの旅行を終えて、暖かなロスアンジェルスに帰ってきました。東京を出るときは12度ぐらいで寒さに震えていたのに、ロスアンジェルスの気温はなんと24度と言うとても快適な暖かさです。ウエルカム・ホームと微笑みながらの移民局検査官のあいさつに迎えられ、検査場に。10年前に発行されたUSパスポートの写真とワイフの顔をしげしげとチェックしている検査官にワイフは「随分、実物と違うでしょう」と微笑んだら、検査官は「そんな事はない。まったく変わらないよ」ワイフは検査官に向かって、「うそつき」と言って、三人で大笑い。ああ、アメリカに帰って来たのだと実感がする一瞬です。写真と頭の整理をして、少しづつ旅行記を書くつもりです。
2012.04.09
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