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父逝きて 夕餉摂りたる母と我 どこから来たかひとひらの蝶 別れ難きか 長く飛びたるいつもなら、外へ追い出すのに、その時、母と僕は何も言わずにじっと蝶が飛ぶのを見つめていた。
2013年09月22日
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天気が良かったので、少し気になっていた「三登山」という里山に行ってみた。神社のところから登り始める。結構、急登で汗を拭き、水分を取りながら登り続けた。林が結構密で見晴らしが利かないところがこの山の欠点か。ブログや案内で見たよりも汚い林で、気持ちも晴れない。案内板が「トレッキングコース」と書いて方向を示しているだけで、自分が今どの地点に来ているのか判然としないのもいまいち。長野市がトレッキングコースとして推奨しているのだから、地元と協議してもっと分かりやすい道標を設置したほうがよい。城跡を見て、「坂中口」という鉄塔の立つ地点まで来たがここには大きな看板地図が欲しいところ。山頂はやめて「白岩峰」という場所を見たかったので、舗装道路をそちらに歩き始めたのだが、ここから今日の悲劇が始まった。狭い舗装道路(多分鉄塔従事者のために造られた道路)を西へ西へと歩いても、「白岩峰」へと通じる道路と出会わない。長野市の発行している「トレッキングマップ」には確かに鉄塔道路を西へ向かうと交差する道が描かれていて、そこから南へ下れば「白岩峰」という場所へ通じるはずなのに。坂道を下ると、大きな舗装道路に出た。 ここはどこじゃい?山の中の小さな集落の道路だ。 ここでまた頭にくることにこの部落は自分たちの地名を名乗りたくないみたいに、どこにも住所名が書かれていない!てくてく下ってくると、「坂中公民館」と書かれた建物があり、やっと「坂中」という集落だと判明。なんだか知らないが、自分たちが住んでる所にほこりを持っているんだったら地名ぐらい、そこらにはっきり、記しておいて欲しい。途中で停めてあったヤクルト配達の女の人に、訊いてみると、ここを下っていってだいぶ歩かないと、僕が出発した地点には戻れそうにないことがわかった。それにしても、この部落、林檎畑に通じるだけのためにコンクリート舗装した道の入り口には、「私用道路」とか「いきどまり」とか示しておけよ。おかげで無駄な距離を、歩く歩く。仕方なく、元来た道を引き返すのがベストといく結論になり、とぼとぼと元の方向に歩き始めた。しばらくすると、さきほどのヤクルトの車が僕の横を知らん顔で通り過ぎていった。「乗せてくれないかなあ」という希望がちょっとあったんだけど、男一人だから警戒されてそれは無理かと、棒になってきた足をひきづりながら無情な坂を登っていった。戦争中に「死の行進」ってのがあって、歩いていくうちにばたばたと何人も倒れて死んでいった、なんてことを考えながら、やっとの思いで山の中の鉄塔の地点まで戻った。そこから、林の中の急な下り坂を、疲労と苦痛を感じながら降りて行った。下に帰り着いたときには、足は本当の棒状になってしまっていたのは言うまでもない。教訓、ガイド誌やマップを全面的に信用してはいけない。ブログや案内写真も、全面的に信用してはいけない。自然(この場合は山)は常に流動的に変化しているのだ。今日は、教訓を学ぶために一日を費やした日だった。
2013年09月18日
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死んだ後、どうなるか? これは永遠の問題だ。「宇宙はどうなってるのか?」という問題と似ている。現在の人間の知っている宇宙はほんのわずかに過ぎない。宇宙から見た地球はとても美しい星だ。地球の地平線から黎明が出現する瞬間は、とても神々しい。神や魂を信じることの出来る瞬間といえる。魂は天に行くのではなく、我々の現実世界と重なり合って存在しているのだろう。ちょうど、2次元の世界の存在は3次元の世界に気付かないが、2次元と3次元は同じ空間にあることと同様だ。我々、3次元の人間にはそれ以上の次元、4次元や5次元の世界が認識できないのと同じだ。魂は4次元以上の世界の存在だから、3次元に来ることも出来るし、それがときどき3次元の人間をびっくりさせるのだろう。魂の存在する次元のことは、魂になってからでないと解らない。だから、3次元の世界の人間は知っている限りのことで魂についてコンタクトするしかないのだ。ただ、魂について、畏敬の念を持って探求し、認識を深め、語り合おうとすることは善い事だろう。魂はわれわれ3次元の人間も、肉体の中に間違いなく所有しているものであるし、それによってわれわれは人間として尊厳と満足感を持って生きていけるからである。
2013年09月16日
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お母さん、あなたは本当に家族に苦労をかけませんでしたね。世間では介護地獄とか介護心中、介護倒れ、など珍しくないのにあなたは骨折して、一級身体障害者というお墨付き(笑)をお役所からもらっても家族の手を全然煩わせませんでしたよ。食事はほとんど自分の手で食べてくれたし、排泄はポータブルトイレに座らせてあげて、後始末をするだけだったから、とても楽でした。小用はカテーテルを朝一回、始末するだけでしたしね。認知症のお墨付きももらっていたけど、ときどき、妄想を言って家族を楽しませてくれる程度で、困らせたり、叫んだりなんか全然なかったから、認知症なんてことも普段は忘れてるほどでした。あなたといることが、苦労どころか、とても楽しく幸せであったことが不思議なほどです。お母さん、あなたは年齢よりずっと若かったし、誰よりもやさしい人柄で、みんなあなたが好きでしたね。家族みんなのことをいつも愛情を持って心配してくれたし、家族はあなたのやさしい笑顔を見るのがとても好きでした。お母さん、あなたに、僕から精一杯の感謝状と勲章を贈ります。この勲章は既成の勲章より、ずっとずっとすぐれたものです。あなたという素晴らしい母親から生まれたことを、とても誇りに思っています。あなたの魂は僕たち家族と永遠に一緒に居てくださると固く信じています。あなたを想い、こころを込めて250首の短歌を作りました。いずれ、歌集にして出すつもりです。お母さん、あなたは素晴らしい人でした。 とてもとてもとても感謝しています。永遠に、永遠に、永遠に......
2013年09月14日
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