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ミクシィのブログを開いたらぽんぽこさんのメッセージがありました。読んで…ただ涙でした。昨日ぽんぽこさんにコミュニティを作っていただき、6人のメンバーで始まっています。「ひとりでも多くの参加を!」http://mixi.jp/view_community.pl?id=763808本当に急いでいます。以下ぽんぽこさんのメッセージです。(勝手に掲載おゆるしください)☆………☆………☆………☆………☆約束します。 この本が売れるように仕掛けます。 もし売れなかったら、ミクシィを退会して表から消え去ることにします。 本づくりについて語ることもやめます。 くすかさんが、本にしたいと考えられていて楽天のブログが開設されたのが、10ヶ月ほど前です。 なのに現時点で本になっていません。 内容から考えれば、昨年の9月には出版になっていてもおかしくありませんでした。 私自身、もっと早く着手できるように働きかけるべきでした。 障害者だから仕方がない、障害者だからできなくても当たり前。そのように普通は思ってしまう。 でも、障害者だから何もできないのではないのです。 私がびっくりすることもあります。 私ができないことをやってのけるのです。 障害者の自立が必要です。 障害ゆえに少しの助けは必要かもしれませんが。 生きることが大切なのです。 明るい陽が見えていることが大切なのです。 そんな内容の文章が、そのままになっていたことに力不足を感じます。 障害者自身、その周りの人間、関係者、みんな待っているはずなんです。 これを読むと、なにか希望がでてくるのです。 どのようにしたら良いかを考えていけるはずなんです。 今日も希望が持てずに、一日が始まっている障害を持つかたがあるのです。不安を持つ家族があるのです。 一日でも早く、とても小さくてもいいから、お陽さまのひかりを見つけて欲しい。 私自身の挑戦でもあり戦いでもあります。 この本を待っている方があるのです。 みなさんに、この本が手元にお届けできないなら、出版がどうのとか偉そうなことを言う資格はありません。 命かけます。
2006年03月31日
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読者のみなさんにお願いです。ぽんぽこさんに追い込まれました。いよいよ販売作戦が始まります。楽天ブログでは小刻みな報告が難しいと感じていました。それでミクシィの新しいコミュニティに参加いただきたいのです。そう、どんな方も参加できます。いろんな意見も小刻みに見ることができます。本作り、絵本作り、写真集作りなんか考えていらっしゃる方。是非ご参加ください。きっとお役に立つことでしょう。こちらへおいでください。http://mixi.jp/view_community.pl?id=763808
2006年03月30日
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キューボの余韻が邪魔をしました。子どもたちの演技の素敵だったこと。おかげさまで3日間ボーッ。時間あったのに、何も手につかず。これから追い上げます。
2006年03月29日
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明日の「みまた座」本公演のために文化会館に終日詰めております。カーニバルもすごいが、みまた座もすごい!う~ん。いいもの、見させてもらっています。明日が終われば またねじり鉢巻です。
2006年03月25日
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春風が春の風邪を運んできてしまいました。強靭さを誇っていた声帯がやられてしまいました。声が出ません。あしたのカーニバル練習までには何としてでも治しますよ~!ちょうど読売新聞の取材申し込みがありました。本の出版時期に合わせて、記事内容もあわせてもらえるよう、お願いするつもりです。ぽんぽこさんが送り込んでくれたミミズたちはたいへん良く働いてくれています。細かな修正が終わったら、大きな部分にメスを入れることになります。私はすごいものをもらってしまいました。本を作ることは、こういうことなのか!と感動しております。それから同郷の(静岡県)のmonozukiaさんがミクシィのブログで紹介文を書いてくださいました。ミクシィは誰でもは、見ることができないのでここに掲載させていただきます。私の風邪にはこれが一番の薬となるかもです。私のミクシィにリンクしたい方は、私のメールアドレスにご連絡ください。紹介制の安心なブログです。登録して閲覧することも出来ますし、本作りを目指すこともできます。本作りを支援することもできます。いろんな可能性が広がります。★~★~★~★~★~★~★~★~★~★~★~★~★~★~★~★~★『ひとりひとりのお陽さま』をお薦めします この本は、現在最終的な推敲や編集作業がなされていて、近々刊行される予定です。 わたしは、この本の著者「くすか」さんと直接顔を合わせたことはありません。楽天ブログに連載の形をとってアップされていたときに、偶然アクセスして最初から最後までお付き合いさせられるハメになりました。 その理由は、おもしろいとしかいいようがありません。といっても、そのおもしろさがフィクションの持つ奇想天外なおもしろさでないことは、もちろんのことです。 ひとりの女性がボランティアという入口をくぐってみたら、どんな人間にもひとりひとり確実にお陽さまの光が降りそそいでいる光景を眼のあたりにした。 そしてそれがおとぎ話などではなく、現実のものであるという感動を記したのがこの著書です。 随所にみられる著者の、ドンキホーテにも似た「猪突猛進」がいろんな難関を乗り越えて現実が変化してゆく様は、けっして器用ではないけれど小気味の好さがあふれている。 また、知的障害者とか健常者とかを括弧書きで接する理由などどこにもないことをも、この本は理屈抜きで指し示してくれています。 人が人と接してそれぞれが変わってゆく経過は、わたしにはなにより人間的な行為におもわれます。 そして、わたしもあなたがたもそれを追体験することが、いま可能なのです。 このミクシィにてダイジェスト版を公開中です。発刊までの間、ぜひご賞味ください。
2006年03月21日
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ぽんぽこさんの手直しに感動しながら作業を進めております。まだまだ大変なところもあります。大きな変更のところ、出来ましたらアップいたします。今日はボランティア祭り。カーニバル出場です。もうすぐみんなが集まります。にぎやかな一日になります。
2006年03月19日
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ぽんぽこさんから大量のミミズが送られてきました。これから、その一匹一匹が何を意味するのか解読です。原稿完成目指して、がんばります。えっ?まだなのって?そう。息切れするくらいたいへんです。くすかの初めての本作り、やっと本番です。うまく、すべてのピースが揃いますように。
2006年03月17日
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3月19日は「ボランティアまつり」。カーニバル出演です。私も若い人たちに混じって違和感なくいるってことがすごいでしょ。がんばります。めちゃくちゃ若くしてやる!
2006年03月16日
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宮崎県北諸県郡三股町で活動するみまた座の公演お知らせです“表現すること、創造すること…”三股町の小中学生が演劇を通してそんな楽しみを体験し、感性を磨き心豊かな人間に成長することを目的とした、演劇ワークショップ「みまた座」。2年目を迎えパワーアップしたこどもたちがkuska(ここ重要!わたしです!くすかです!)の書き下ろし新作「キューボ」に挑みますカーニバルの記録にありました演劇との出会い。こんなふうに発展した形となってご報告できることがとてもうれしい春です。お近くの方は是非おいでください。________________________________演劇ワークショップみまた座本公演「キューボ」 作・kuska 演出・永山智行日時/2006年 3月26日(日) 開演・15:00、19:00(2回公演)料金/高校生以上300円、中学生以下100円場所/三股町文化会館お問い合わせ・チケット販売三股町立文化会館・TEL 0986-51-3462…「今、ガード下のおでんがうまい!」 こんなチラシに誘われて、ガード下へとやってきたおでん好きの少女、アキ。 けれど、そこはおでん屋ではなかった…。
2006年03月14日
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今朝は、スーパーだぬき様も足跡と置手紙だけ置いて帰られました。この方もスーパーなのに、たいへん謙虚な方です。本作りには欠かせないキャラクターです。今度はきっと私が一番欲しがっている「文章変身の術」を持って来てくださるはずです。私はこれから大きな袋を縫うことにします。
2006年03月12日
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写真家の方。めっぽうパソコンに強い!私はめっちゃめっちゃうれしい!!!!スーパーマンだあ!
2006年03月11日
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本に写真を挿入するため、写真選びをしました。プロの写真家に聞きながら選ぶ・・・なんて贅沢なことでしょう!遠・中・近のセットで説明することや、いい写真の見分け方もちょっぴりわかって・・・へえ~はあ~ほう~!の連続でした。トリミングも習って、編集の方への指示の仕方も教わりました。とっても有意義な時間でした。写真選び。もう少しです。写真の世界もなかなかの魅力です。カーニバルの写真展やメンバーが撮る写真も勧められました。またまた夢がふくらみました。プロってすばらしい!こういう方が近くにいて、本当にうれしいです。
2006年03月10日
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知り合いに写真家さんがいました。報道写真家です。世界を回って危ないところまで入り込んだとか・・・こんな方↓http://234.teacup.com/7k2kmc/bbs?M=JU&JUR=http%3A%2F%2Fblogs.yahoo.co.jp%2Ffbin2000すごい人がいるものです。教室の近くにお住まいです。その方がお手伝いくださると返事いただきました。どんな展開になるのでしょうか?わくわくです。
2006年03月08日
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う~ん。写真選び・・・難航しそうです。金曜日に持ち越しました。センスのいい人いないかな。こうゆうのがイイんだよって言ってくれる人!こ~のゆ~びと~まれ!
2006年03月08日
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BOOMのファンクラブムーブメントクラブから掲載許可が出ました。ただ、テープ起こしを私がしましたので、漢字ひらがな表記が宮沢さんの意に反していたら・・ということで、検討していただいています。なんか、とってもしあわせ!あの、宮沢さんに見ていただいているのです。ミーハーの血が騒いでおります。わあい!わあい!ほっとしました。他の方々の確認も進んでいます。
2006年03月08日
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ぽんぽこさんに見ていただいている間に確認作業を進めます。●写真掲載の許可願い これは、三股町の広報取材の時、撮影していただいてものを 使用したいためです。 OKとりました。 今日、晴れて保護者の方と「写真選び」です。●登場してくれた人たちに掲載許可のお願い THE BOOM 昨夜メールでお願いしまして、返事待ちです。 衣装デザイナーの先生がまだでした。 あと、数名。 ハラハラです。 でもきっと問題ないと思います。
2006年03月07日
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今、ぽんぽこさんが全体を見てくださっています。もう5回も読んでくださったそうです。たくさんの手直しが入ったら、また読みやすくなります。一気に読めて、何度でも読みたくなる本にならないかなあ。ぽんぽこさん、えいやあっと魔法かけてください。
2006年03月06日
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ご意見ありがとうございます。書き直しました。■障害者と「共に在ること」が、社会を豊かにする知的障害者は社会的には確かに弱者の立場だ。しかし、彼らの全てを弱いもの、利用価値のないもの、生産性のないもの、すべて保護されるべきもの、と考えるのは間違いである。反対に知的障害者は「共に在ること」で社会を豊かにする存在であることを、カーニバルの活動を通して私は大きく主張したい。カーニバルは初め、資金も何もない団体だった。助成金だけが頼りだった。CDを売って活動費の一部を作れる団体に成長した。コンサートも実現した。映画もできた。東京での上映会には、カーニバルのみんなが家族と共に上京し、出席した。私たちの夢はどんどん大きくなり、元気の種を撒き散らす団体になった。映画は反響を呼び、上映会場で知り合った県外の方が練習に参加したり、三股町の商工会の青年部の方が楽器を寄贈してくださったりした。こうした思いもよらなかった人の動きに、私はまた新たな夢を温めている。私が彼らと共に活動をすることで得たものは計り知れない。やらなかったことを考えるとおそろしいほどの差。「共に在ること」で、私の人生はこんなにも有意義になるのだ。集まったサポートメンバーだって、どちらが助けているのか助けられているのか、お互いさまのような関係にとっくに移行している。「ありがとね」の映画も興行成績は上々。社会的な経済活動に貢献した。世にも不思議な歌声が入ったCDは、多くの人に元気を運んだ。これが豊かでなくて何が豊かというのだろうか?たとえCDが1枚も売れなかったとしても、障害のある人もない人も、一緒に助け合っている関係があることが大切なのだ。目には見えにくいかもしれないが、それは国家の福祉にかかるお金を確実に減らす。カーニバルの活動では助成金をたびたびもらうことができ、それを元手に自分たちが利益を生み出すものを購入した。楽器を買ってコンサートを開いた。録音器材はCD販売につなげた。それは、障害者だけでは難しかったし、逆もまたありえなかった。まさに、両者が助け合って経済効果までも産み出したのだ。在り得ないことだが、ボランティアの部分を公の人件費で賄うとしたら、カーニバルはもうとっくに一千万円以上の人件費を使っていることだろう。共に支え合う環境がなければ、福祉予算をいくら獲得しても、焼け石に水なのだ。私は楽しいカーニバルの活動をこれまで書き綴ってきた。だが、カーニバルを自慢気に物語ろうとして、本を書こうとしたわけではない。「共にあること」は確かに両者に公平に利をもたらす。だが、逆に支え合う環境がないことが、障害者にとってどんなに不利なことか!そして、現実はそれがほとんどなのだということに気づき、その事実を重く受け止めたからだ。それは昨年のこと、メンバーの一人がカーニバルを去っていった。同居の家族が亡くなった為に、引越しをせざるをえない状況になったのだ。彼女と「雪の降る町を」のソロの練習をした頃から、私はこの三股町で彼女の自立を応援したいと思っていた。町内での仕事探し。その職場に近い家探し。サポートする人探し。彼女は自立をしながら、楽しいカーニバルの活動もできる。買い物や家事をこなす彼女なら、きっとうまくいく。モデルケースとなるかもしれない。そう夢見ていた。しかし、間に合わなかった。もし、障害者が地域の人達に見守られながら、一緒に暮らしていける社会であったら、彼女は行かなくてもよかったかもしれない。そうでないために、今まで暮らしていた家族と離れなくてはならなくなる障害者の人生を、私はその時初めて知った。メンバーを守れなかったことを本当に残念に思っている。彼女は、今までやってきたことが、一瞬のうちになくなってしまった。私たちが引越しして環境が変わるのとは、全く意味合いが違うのだ。「支える」という言葉の優しさと共に、その重み。私は彼女の何を支えてきたと言えるのだろうか。まるで足元をすくわれるような感覚に襲われた。これまで大躍進に見えたカーニバルは、危なっかしいつり橋の上にあったことに、その時気づいた。急がなければ!今いる個々のメンバーも、楽しさと同時に、それがいつこわれるかもしれない不安を抱えているのだ。「親なきあとも活動が継続できるか」という不安は、彼女だけでなく、みんなが抱えている現実でもある。この点を抜きにしてカーニバルを守ることはありえない。今、私ができることは、カーニバルを広く知ってもらうこと。障害のある人もない人も一緒に同じ活動をしていくことの意義を知ってもらうことだ。あちこちでカーニバルのような活動が展開していったら、どんなにか住みよい町になると思う。多くの人たちが「たくさんの心と技術」とで「障害者と共に暮らせるやさしい町づくり」をしてくれる。そのたくさんの人が出会いを求めて待っているのだ。確実に。だから、そのためにも、まず上映会がたくさんの会場でできるように進めて行きたい。と同時に、継続的にコンサートやライブもできるように、また準備をしていこうと考えている。とびっきり楽しい活動がまた始まる。これまでは私を助けてもらおうとして、たくさんの人の手を借りた。だが、「ここが喜びを次から次へと生産する場所である」と、私は今自信を持って言える。「輝きたいのなら、まずここへおいで」と。決してメンバーだけで小さくまとまったりしない。いつまでも、たくさんの人が参加して、参加したみんなが輝く場所でありたい。それがカーニバルだからだ。カーニバルを知って参加してもらうこと、みんなが輝くカーニバルであることは、親なきあとも、地域でずっと暮らしていける障害者が多くなるということ、それが社会を豊かにすることだと私は強く信じている。私を支えてくれた存在、サルサ・ガムテープ。サルサはライブを重ねることにより、ますます進化を遂げている。福祉的な感動があった初期と比べて、音楽の楽しさをまったくひるむことなく表現して見事な演奏だ。私たちカーニバルもそうありたいと思う。今私たちに向けられている感動も、サルサがそうだったように、きっと変化していくことだろう。そして特殊になりがちな障害者の問題も、普通に親友を心配するほどの感覚で、皆が考えている社会になっているかもしれない。
2006年03月05日
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書き直しました。少しは説得力 増したような。しかし、後半へのつながり悪いですねえ。■障害者と「共に在ること」が、社会を豊かにする知的障害者は社会的には確かに弱者の立場だ。しかし、彼らの全てを弱いもの、利用価値のないもの、生産性のないもの、すべて保護されるべきもの、と考えるのは間違いである。反対に知的障害者は「共に在ること」で社会を豊かにする存在であることを、カーニバルの活動を通して私は大きく主張したい。カーニバルは初め、資金も何もない団体だった。助成金だけが頼りだった。CDを売って活動費の一部を作れる団体に成長した。コンサートも実現した。映画もできた。東京での上映会には、カーニバルのみんなが家族と共に上京し、出席した。私たちの夢はどんどん大きくなり、元気の種を撒き散らす団体になった。映画は反響を呼び、上映会場で知り合った県外の方が練習に参加したり、三股町の商工会の青年部の方が楽器を寄贈してくださったりした。こうした思いもよらなかった人の動きに、私はまた新たな夢を温めている。私が彼らと共に活動をすることで得たものは計り知れない。やらなかったことを考えるとおそろしいほどの差。「共に在ること」で、私の人生はこんなにも有意義になるのだ。集まったサポートメンバーだって、どちらが助けているのか助けられているのか、お互いさまのような関係にとっくに移行している。「ありがとね」の映画も興行成績は上々。社会的な経済活動に貢献した。世にも不思議な歌声が入ったCDは、多くの人に元気を運んだ。これが豊かでなくて何が豊かというのだろうか?たとえCDが1枚も売れなかったとしても、障害のある人もない人も、一緒に助け合っている関係があることが大切なのだ。目には見えにくいかもしれないが、それは国家の福祉にかかるお金を確実に減らす。カーニバルの活動では助成金をたびたびもらうことができ、それを元手に自分たちが利益を生み出すものを購入した。楽器を買ってコンサートを開いた。録音器材はCD販売につなげた。それは、障害者だけでは難しかったし、逆もまたありえなかった。まさに、両者が助け合って経済効果までも産み出したのだ。在り得ないことだが、ボランティアの部分を公の人件費で賄うとしたら、カーニバルはもうとっくに一千万円以上の人件費を使っていることだろう。共に支え合う環境がなければ、福祉予算をいくら獲得しても、焼け石に水なのだ。私がこれからできることは、カーニバルを広く知ってもらうこと。障害のある人もない人も一緒に同じ活動をしていくことの楽しさを知ってもらうこと。あちこちでカーニバルのような活動が展開していったら、どんなにか住みよい町になると思うからだ。そのためにも、今は上映会がたくさんの会場でできるように進めて行きたい。上映会が各地で展開されるようになってきたら、継続的にコンサートやライブもできるように、また準備をしていこうと考えている。急いでいるのには理由がある。実は昨年メンバーの一人が同居の家族が亡くなった為に、引越しをせざるをえない状況になり、カーニバルを去っていった。彼女と「雪の降る町を」のソロの練習をした頃から、私はこの三股町で彼女の自立を応援したいと思っていた。町内での仕事探し。その職場に近い家探し。サポートする人探し。彼女は自立をしながら、楽しいカーニバルの活動もできる。買い物や家事をこなす彼女ならきっとうまくいく。モデルケースとなるかもしれない。そう夢見ていた。しかし、間に合わなかった。もし、障害者が地域の人達に見守られながら、一緒に暮らしていける社会であったら、彼女は行かなくてもよかったかもしれない。そうでないために、今まで暮らしていた家族と離れなくてはならなくなる障害者の人生を、私はその時初めて知った。メンバーを守れなかったことを本当に残念に思っている。私は楽しいカーニバルの活動をこれまで書き綴ってきた。多くの人の夢を巻き込んで、カーニバルはこれからも続いていくだろう。しかし、今いる個々のメンバーも、楽しさと同時に、それがいつこわれるかもしれない不安を抱えている。「親なきあと」も活動が継続できるか、という不安である。彼女の例は特別ではなく、みんなが抱えている現実でもある。この点を抜きにしてカーニバルを守ることはありえない。だからこそ、決してメンバーだけで小さくまとまったりしない。いつまでも、たくさんの人が参加して、参加したみんなが輝く場所でありたい。それがカーニバルだからだ。カーニバルを知って参加してもらうこと、みんなが輝くカーニバルであることは、親なきあとも、地域でずっと暮らしていける障害者が多くなるということだと私は強く信じている。私を支えてくれた存在、サルサ・ガムテープ。サルサはライブを重ねることにより、ますます進化を遂げている。福祉的な感動があった初期と比べて、音楽の楽しさをまったくひるむことなく表現して見事な演奏だ。私たちカーニバルもそうありたいと思う。今私たちに向けられている感動も、サルサがそうだったように、きっと変化していくことだろう。そして特殊になりがちな障害者の問題も、普通に親友を心配するほどの感覚で、皆が考えている社会になっているかもしれない。
2006年03月04日
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カバー及び帯デザインの土井さんがお仕事モードになってくれそうです。やっぱ芸術は取り掛かりがむずかしいよね。うれしいで~す。映画監督からも連絡いただきました。私の勘違いシーンを訂正いたしました。それから、自主上映会のご案内も送ってくれるそうです。明日、熊本市の上映会でお忙しい中、急がせてしまっています。それから頑張れと拍手もいただいてます。ありがとうございます。楽天の絵文字に挑戦してみました。この余裕・・・
2006年03月04日
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読み返して・・・障害者と「共に在ること」が、社会を豊かにするこの稿。論点が弱いと思います。書き直します。
2006年03月04日
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この「あとがき」を以って、原稿が全部できました。あとは、●この本に出てくる登場人物名を書かせていただきます。●本作りの協力者名 (カバーデザインなど)●そして、カーニバルの略歴●映画上映会運営のためのご案内このあたりは準備だけ整え、両国からの指示を待ちたいと思います。 よくがんばりました。「自分で自分を褒めてやりたい」言いふるされた表現が・・今はとても優しい・・です。なんて言っている場合ではありません。これから 何が私を待ち受けているのでしょう?乞うご期待!きっとこれからが本作り?初めての本作りブログは、まだまだ続きます。《あとがき》朝倉啓子さんへ私がすることにいつも大喜びしてくれてありがとう。カーニバルが始まってから、ずっとそうでしたね。今度もカーニバルの本が出来たことを一番に喜んでくれることでしょう。私のカーニバルへの愛を私は今回ちょっと喋りすぎかもしれません。あなたが今までかけてこられた緑さんへの愛はこんなものではないのにね。でも許してください。今の私の表現力では、これが精一杯。ステージでも、映像でも伝えられない何かを形に残しておきたかったのです。携帯電話だって持たないあなただけれど軽トラックで、エプロンがけで、そのまま東京まで行ってしまいそうなほど元気。私たちって両極端ね。それでいて、どこか似た者同士。これからもカーニバルの両輪は私たちです。たくさんの仲間でボコボコと行くのも、楽しいものだって、この頃は思います。いつも焦り気味だった私も、彼らと交わることで、少し変化したかも知れません。スペアータイヤもない危ない私たちですが、お互いに一息つけるまで、もう少し頑張りましょう。あなたも、私も、みんなが輝くように。私はカーニバルのプロデューサー、あなたは緑さんの、人生のプロデューサーなのですから。 くすか
2006年03月03日
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■障害者と「共に在ること」が、社会を豊かにする知的障害者は社会的には確かに弱者の立場だ。しかし、彼らの全てを弱いもの、利用価値のないもの、生産性のないもの、すべて保護されるべきもの、と考えるのは間違いである。反対に知的障害者は「共に在ること」で社会を豊かにする存在であることを、カーニバルの活動を通して私は大きく主張したい。カーニバルは初め、資金も何もない団体だった。助成金だけが頼りだった。CDを売って活動費の一部を作れる団体に成長した。コンサートも実現した。映画もできた。東京での上映会には、カーニバルのみんなが家族と共に上京し、出席した。私たちの夢はどんどん大きくなり、元気の種を撒き散らす団体になった。映画は反響を呼び、上映会場で知り合った県外の方が練習に参加したり、三股町の商工会の青年部の方が楽器を寄贈してくださったりした。こうした思いもよらなかった人の動きに、私はまた新たな夢を温めている。私が彼らと共に活動をすることで得たものは計り知れない。やらなかったことを考えるとおそろしいほどの差。「共に在ること」で、私の人生はこんなにも有意義になるのだ。集まったサポートメンバーだって、どちらが助けているのか助けられているのか、お互いさまのような関係にとっくに移行している。「ありがとね」の映画も興行成績は上々。社会的な経済活動に貢献した。世にも不思議な歌声が入ったCDは、多くの人に元気を運んだ。これが豊かでなくて何が豊かというのだろうか?私がこれからできることは、カーニバルを広く知ってもらうこと。障害のある人もない人も一緒に同じ活動をしていくことの楽しさを知ってもらうこと。あちこちでカーニバルのような活動が展開していったら、どんなにか住みよい町になると思うからだ。そのためにも、今は上映会がたくさんの会場でできるように進めて行きたい。上映会が各地で展開されるようになってきたら、継続的にコンサートやライブもできるように、また準備をしていこうと考えている。急いでいるのには理由がある。実は昨年メンバーの一人が同居の家族が亡くなった為に、引越しをせざるをえない状況になり、カーニバルを去っていった。彼女と「雪の降る町を」のソロの練習をした頃から、私はこの三股町で彼女の自立を応援したいと思っていた。町内での仕事探し。その職場に近い家探し。サポートする人探し。彼女は自立をしながら、楽しいカーニバルの活動もできる。買い物や家事をこなす彼女ならきっとうまくいく。モデルケースとなるかもしれない。そう夢見ていた。しかし、間に合わなかった。もし、障害者が地域の人達に見守られながら、一緒に暮らしていける社会であったら、彼女は行かなくてもよかったかもしれない。そうでないために、今まで暮らしていた家族と離れなくてはならなくなる障害者の人生を、私はその時初めて知った。メンバーを守れなかったことを本当に残念に思っている。私は楽しいカーニバルの活動をこれまで書き綴ってきた。多くの人の夢を巻き込んで、カーニバルはこれからも続いていくだろう。しかし、今いる個々のメンバーも、楽しさと同時に、それがいつこわれるかもしれない不安を抱えている。「親なきあと」も活動が継続できるか、という不安である。彼女の例は特別ではなく、みんなが抱えている現実でもある。この点を抜きにしてカーニバルを守ることはありえない。だからこそ、決してメンバーだけで小さくまとまったりしない。いつまでも、たくさんの人が参加して、参加したみんなが輝く場所でありたい。それがカーニバルだからだ。カーニバルを知って参加してもらうこと、みんなが輝くカーニバルであることは、親なきあとも、地域でずっと暮らしていける障害者が多くなるということだと私は強く信じている。私を支えてくれた存在、サルサ・ガムテープ。サルサはライブを重ねることにより、ますます進化を遂げている。福祉的な感動があった初期と比べて、音楽の楽しさをまったくひるむことなく表現して見事な演奏だ。私たちカーニバルもそうありたいと思う。今私たちに向けられている感動も、サルサがそうだったように、きっと変化していくことだろう。そして特殊になりがちな障害者の問題も、普通に親友を心配するほどの感覚で、皆が考えている社会になっているかもしれない。■ブログで本ができたカーニバルの活動を大きく支えているのは、たくさんの人である。その人とのつながりを大きく強くしてくれたのは、インターネットの存在が大きい。2004年3月、赤い羽根共同募金で録音器材の他に1台のパソコンを購入することができた。パソコン選びは詳しい板谷さんにお任せした。秋葉原の電器店から配送されてきたパソコンは、企業向け、デスクトップ型。さて、その立ち上げや設定にはやはり板谷さんの紹介で、温水さんというパソコンのプロが協力してくださった。選び抜かれたパソコンとプロの設定のおかげで最初からスムースに使用することができた。格段に進歩した環境が私の仕事を助けてくれた。一昔前だったら、私が3人くらいいないとひょっとしたらカーニバルはやっていけなかったかもしれない。企画・事務・ネットワーク。すぐに連絡がつく携帯電話と経費がかからないメールはカーニバルの活動を助け、インターネットはたくさんの情報を収集したり、発信したりするのに役立った。2005年春にはカーニバルのホームページやブログが板谷さんの手でできあがり、このネットで知り合った人たちが関わってくれるようになった。茨城県牛久市のNPO法人「おおぞら」。ここには直接訪問し、秦洋一さん・靖枝さんご夫妻にお世話になった。素晴らしい事業展開の手腕に感動。私のビジョンを大きく広げてくれた。熊本県の「ザ☆スクランブルーズ」という福祉作業施設のバンドともネットで交流。熊本市の「ありがとね」上映会で演奏をして盛り上げてくださった。福岡市の「まんま・みーあ」という自閉症児のお母さんたちで結成されたアカペラコーラス。閉じ込められがちな障害児の家族を解放するがごとく、先陣を切って音楽活動。胸のすくような活躍ぶりだ。たくさんの方々がホームページを通じて、今を伝えてくれている。私たちは、カーニバルを多くの人に知ってもらう手段として、映画という媒体まで手に入れるという幸運を持った。大画面での映像は、彼らの笑顔を遠くまで届け、彼らの存在を知らしめる最高の手段となった。だがそれもまた、カーニバルのある部分を描いたに過ぎない。どうしても伝えられない部分がまだある。それは「本」という形でしか伝えられないと思うようになった。2005年5月のある日、1枚の見積書が届いた。カーニバルの記録を自費出版するのにいくらかかるのか、地元の出版会社に見積もりをお願いしていたのだ。目を疑うような大きな数字がそこに書かれてあった。今まで不可能だったことはなかった。カーニバルに関しては、すべて不可能を可能にしてきた。だから、そういう道のりを描くはずだった。それはきっとみんなに勇気を届けることになる。でもここへ来て、不可能の文字が浮かぶ。売れ残り。失敗。赤字。いやなキーワードが何度も頭をよぎった。ようし、検索だ!「本の出版」と入力。だめだ。たくさんありすぎる。「本作り」と絞り込む。「ブログ仲間のボランティアで本ができた」ん?何?私は吸い込まれるように、そのまま「りぼんりぼんさんの本作りの広場」へと入っていった。そして「38万円で本ができた」というタイトルの本を発見した。その本こそ、「両国の隠居」さんというハンドルネームの方が出された本なのだ。すぐに全文をパソコンの画面で通読した。出版業界の裏事情。目からウロコの内容だった。そのあとは両国からの指示を受けて「くすかの初めての本作り」というブログを立ち上げ、公開しながらカーニバルの記録を綴っていった。実際に連載をしていくと、本当にリアルタイムに起こっている日記かと勘違いされるというような、うれしい誤解も生まれた。障害者に絵を指導して個展を一緒に開いた方、障害児が家族にいらっしゃる方、家族がボランティアをされている方、などなどが常にブログを読んでくださっていることがわかった。ほとんど休むことなく続けられたのは、まったく読者のおかげだと思う。また、本を出版したいと考えている人がたくさんいることもわかった。その方たちのブログを覗くにつけ、自分の文章の拙さが非常に恥ずかしくも感じた。しかし、それでもカーニバルを伝えたい気持ちは変わることなく、記録が進むに従ってむしろ大きくなっていった。そして、上映会までの記録が終わり、本作りに向けていよいよ推敲や編集段階となると、行方を心配して見守ってくれる人がいる幸せが、きっちり私を後押ししてくれた。本作りをネットで公開してよかったとつくづく思った。この本作りの経験がまたカーニバルの活動に活かされる…そんな予感でいっぱいだ。カーニバル・ファンクラブ会員ナンバー001、堂領さん。三股町社会福祉協議会を離れた今も、バリバリのカーニバル・サポートメンバーである。彼女は、練習日での保護者会議に参加し、保護者とのかかわりが私よりずっと多い。お母さんたちの努力を最もよく知るメンバーである。カーニバルは、朝倉さんの「こうなったらねえ」というつぶやきを聞き、行動に移したこの人から始まった。かかわった誰もがこんな大きな活動になるなんて、初めは思ってもみなかった。すべては、一つの行動から。たった一本の電話から始まった。
2006年03月03日
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最終稿ではありません。まだつづきます。■地域ボランティアの「ちから」は、まだまだ掘り起こせる私は勘が鈍い。ジャンケンなど勝ったためしがない。小さい幼児にも負けてしまうほど。そんな私が、カーニバルの活動では、どうしてたくさんの不思議な縁を結ぶことができたのか?どうして、活動を応援してくれる素晴らしい人々と出会うことが出来たのか?この謎に迫ってみたい。行くところ、選ぶところ、全てが大当たりするこの強運に、自分でも驚く日々だった。それは今でも続いている。だが、これを神がかりなことと考えるより、もっと冷静に思いを巡らせると、こういうことではないだろうか?一つは、「出来そうにもないことに挑戦した」こと。シロウトが知的障害者のバンドを結成。そして1年半で自主コンサート。しかもオリジナル曲を作ることからの完全手作りコンサートだ。考えただけでも無理な条件が揃っている。これが素晴らしい人と出会うためには必要だ。出来そうなことだったら、誰も助けを呼ばないし、助けにも来てくれない。二つ目は、「みんな自分が発揮できる場所を探している」ということ。土井さんと出会った時の彼女の言葉は、私たちに大きな勇気と希望をくれる。「何か役に立ちたいと思っても、何をしたら役に立つのかがわからない」そう、だれだって良かれと思ってしたのに、それが余計なことだったら、しかも迷惑をかけただけだったら、ボランティアすることが怖くなるかもしれない…それで二の足を踏んでいる人がどれだけいるだろうか。また、誰に「手伝って」と声をかけるかも重要だ。今まで直接何のかかわりもないところでボランティアをするというのは、勇気がいることだ。こんなことを求めている人がいる、と聞いてもすぐに動けないのが普通だ。それは「いつ、どこで、誰が、どんな助けを求めているのか、どういう思いでしているのか」が伝わらないからではないだろうか。具体的なことが必要なのだ。もし、きちんと伝える人がいたら、きっとたくさんの力が集まると私は思う。「たくさんの不特定多数の人」に呼びかけるのではなく、「あなたの知っているあの人に、それができそうな技術を持ったあの人」に、話せばいいのだと私は思う。本当に真剣に助けを求める時には、誰だってそういう言い方をすることを思い出してほしい。私は第1章で、カーニバルを引き受けるまでの私の心の動きを書いた。必要以上にこと細かく書いている、と思われた方もいるかもしれない。人は持って生まれた資質、育ち方、生きてきた時代環境で、ひとりずつ違っている。人の頭の中はなかなか判るものではない。長年の付き合いでも同じだ。だから、協力を貰おうと考えたら、その人の琴線に触れるまでには、たくさんの言葉を浴びせかけなくてはならない。そう、堂領さんが私にしたように。通り一遍の言葉かけでは、なかなか人は動かないものなのだ。そして、土井さんはこう続けた。「私ができることで役に立てばうれしい」何らかの技術を持っている人。この人たちは特にそういう気持ちを持っている。私は確信を持った。しかも、これまでボランティアとはあまり縁がなかった人たちも多い。自分磨きに忙しすぎて、その機会にめぐり合わなかったのだ。私たち「カーニバル」はいい人材を発掘し、ボランティア人口を増やすことに貢献したのではないだろうか?そう考えれば、地域のボランティアの「ちから」は眠っていて、まだまだ出会いを待っているのだとも言える。その出会いを結びつけたのが、堂領さんであり、私であったのだ。だれも損得で動いたわけではないから、純粋に手を貸すことができた。そして、その結果、大きな夢を実現するというおまけまで付いてきてしまった。こんなことがボランティアの世界ではよく起こるのかもしれない。それは、大きな富ではない。だが、お金では絶対に実現できなかった大きな大きな夢の実現。ひょっとしたら、社会はこんな「ちから」が動かしているのかもしれない。人のつながりは、とても不思議なものだ。このカーニバルの活動を通して、私は今なぜここに居るのだろう?という体験を何度もしている。今までの人脈のその先に、新しい誰かが居て、その人が私を励ましてくれたりする。またその先の人が私を支えてくれる。ボランティアの「ちから」が集まると、ボランティアした人の家族にまで喜びの輪が広がる。私たちの活動は、たくさんの人を巻き込むことで、喜びの種を更に播くことにもつながっている。そしてますます広がっていく。この不思議な感動は、「ボランティアだからこそ」のものと言えるかもしれない。「人のつながり」の神秘…これこそ、ボランティアが持っている大きな可能性ではないだろうか。
2006年03月02日
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次からは いよいよまとめの稿となります。私が一番悩んだところであります。本をなぜ出そうと考えたのか、誰に向かって書こうと思ったのか、曖昧だと書けない・・・という両国の隠居さんの言葉が身にしみました。編集と宣伝コピーを考える中でだんだんと最終稿が書けそうになってきました。自分を追い詰めること・・・ぽんぽこさん、やっとわかりましたよ。
2006年03月02日
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映画に関する記述は坂元監督に目を通していただいているところです。■上映会への取組み堀プロデューサー率いるm20から上映会の企画の筋道が提案され、私たちは早速「ありがとね上映実行委員会」を立ち上げた。そして全国に先がけ県内での実施、先ずは三股町・都城市での上映会(昼夜2回上映)を成功させることを目標にした。この実行委員会には、カーニバル関係者以外の新たなメンバーが協力参加し、新たなネットワークの広がりを感じた。自主コンサートを成功に導いた経験を持つお母さん方が主体の実行委員会だ。メンバーの動きには、めざましいものがあった。「上映実行委員会」の名札を全員分つくり、どこへ行くのにもこの名札をつけて行動した。特に力を入れたのが企業からの協賛だ。寄付ではなく、チケットの企業への前売りという形で、動員への協力をお願いし、協力してくれた企業の名前を当日配布するチラシの中に掲載した。もちろん掲載料は無料である。この方法はすばらしい成果を上げた。多くの店舗や企業や団体が賛同してくださった。ここでも朝倉さんの手腕が発揮された。どこへでも乗り込んで行く姿勢は他のお母さんたちにも乗り移った。初めは「企業回りなんて」と言っていたお母さんも、「この子を連れて行くと、言えちゃったのよね」「いろんなところに頭を下げて生きてきたけど、この子たちもこんなに胸張って生きていて、それが周りに勇気をあげられるんだからね」という変化。まさに、「母は強し」と言える。この協賛をお願いする中で、活動に共鳴してくれたある団体から、多額の寄付をいただくというような嬉しいハプニングも起きた。また、新たにカーニバル・グッズを考案し、メンバーが手作りできる缶バッチを制作した。デザインはもちろん土井さんだ。「このカーニバル・マークは本当に元気が出るわ!」とお母さんたち。張り切って販売の作戦を練った。 結成当初、朝倉さんはこんなことを言っていた。「親ゆえの我がままを言わないということを徹底したい。わが子かわいさのために、指導者に口出しをして、会をこわすことだけは避けたい」と。私は初めそれがどういうことなのか、正直なところ理解できなかった。だが、私は今、それをやっと理解し、あらためて朝倉さんの賢明さに気づいた。私は「カーニバル全体が良くなるために」を優先しているが、親はやはり、わが子がかわいい。だから親レベルではけっこう不満もあったのだろうと想像する。だが、私にそれを感じさせまいとして、たくさんの細かい配慮をしてくれていたのだ。親に気を使うことなく、私がカーニバルだけに思いを集中させ、のびのびと活動することができたのは、全く彼女を初めとするお母さん方のおかげなのだ。5月18日の「ありがとね」封切に向けて、新聞やテレビなどマスコミの取材が入り、坂元監督やカーニバルの映像や記事が多くの人の目に留まるほどになった。新人映画監督が宮崎県に誕生したということで、監督は取材で特に忙しい日々を送った。朝倉さんも私もラジオ出演して、それぞれが「ありがとね」をアピールした。初めての経験だった。ポスターもあちこちに貼った。チケットもたくさんの人が預かってくれ、販売数を伸ばした。チケット予約の電話が入ると、その度にたくさんの人に支えられた活動となったことへの感謝の気持ちが大きくなった。私の知らないところで、私の知らない人たちが、この映画を私たちの活動を伝えてくれているのだ。そして、いよいよ三股町での上映会。開場前から長蛇の列ができた。私たちは、カーニバルのロゴ入りのTシャツで観客をお迎えした。オリジナル缶バッチもCDも私たちと一緒に並んだ。65分の映画は三股町の人々を喜ばせるに十分だった。映画のあとのエントランスホールは、まるでコンサートと同窓会が一緒になったような熱気にあふれかえっていた。「がんばったんやねえ。みんなすごいよ」「またコンサートしてね」メンバーたちは、たくさんの人に声をかけられ、またコンサートの時のような感動がよみがえったようだった。コンサートに来られなかった人たちにも、映像で観てもらうことができ、映画という手法のすばらしさを感じた。同じ時間、同じ空間の中で同じ作品を鑑賞し、共通の思いを抱く…しかも手軽に何度も行なうことができるのだ。この三股町上映会を皮切りに、都城市、宮崎市、佐土原町、山田町、小林市で上映会が行われた。昼夜2回上映の三股町や都城市。映画としては異例の動員数を記録した。どの会場でも感動のメッセージが寄せられた。映画会社m20は、作品を作るだけでなく、独自のネットワークでこれまで多くの上映会を企画してきた。m20とカーニバルを結んでくれた「風といのちの詩」は今も全国各地で上映されている。「ありがとね」は県内では50箇所での上映を目指している。数々の上映会の中で、私たちが大喜びしたのは「東京上映会」だ。8月27日、東京文京区にある文京シビックホール。これにはメンバー・m20・サポートメンバー・保護者たち全員で上京した。初めての「カーニバル・ツァー」は、空の便、劇団「四季」のミュージカル、上映会、ホテル一泊・ジブリの森、それにバイキングという豪勢な企画。この遠征費用は上映会での利益から捻出した。私たちの笑顔は東京まではじけ飛んだ。こうして夢の東京進出は、映画が先行した形となった。奇しくも、私が坂元さんと「風といのちの詩」を通じて出会ってちょうど1年、夏の終わりだった。1年前、だれがここまでの展開を予想できただろうか。
2006年03月02日
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映画に関する記述は坂元監督に目を通していただいているところです。■映画「ありがとね」ができたさて。コンサートが終わって翌年2005年4月。カーニバルの自主コンサートまでの3ヶ月を追ったドキュメンタリー記録映画が、宮崎市の映画会社m20によって完成し、三股町文化会館事務室で初めての試写会が行なわれた。タイトルは「ありがとね」。この映画のテーマは「支え合い」。小山さんと浩臣さんが音楽を作るカットから始まった。そして浩臣さんが歌う「桜が咲く頃に」(作詞・作曲/板谷浩臣)のオープニングのあと、午後の三股町の風景。語らいながら下校する児童。何気なく「カーニバル」の練習場に足を運んだカメラマンが、メンバーたちが楽しそうに歌を歌い、演奏する姿を見て、突き動かされて映画を撮ることになった…というタッチで記録が始まる。練習風景、作業所で働くメンバー、コンサート当日の様子が映し出される。自然体で柔らかな彼らの表情、ユーモラスな動きがよく収録できている。私も知らない自然な笑顔と涙もそこにはあった。私がステージで観客に見せたかった彼らの笑顔を、それも、とびっきり一番自然ないい笑顔だけを、ズームアップして、編集して、これでもかと見せ付ける。羨ましいこと、この上ない。ああ、これこれ。いくら彼らだって、この顔、絶対ステージではありえないよ!そんなカットがてんこ盛りだ。そして、それは何回でもリピート可能なのだ。完敗だ。「いやあ、映画ってずるいですねえ」そして、テーマを美しくまとめているのは、三股町の美しい風景だ。見慣れたはずの景色も、映画で観ると違って見えた。私たちはこんな素敵な風景の中に生きていたのだ。たくさんの風景のカットの中でほっとするのは、人のいる風景だ。人のいない風景より、ずっと温もりがある。私たちはこの風景の中にしっかりと融けている。根を張って生きるということは、こういう温かい風景を作っているということなのだ。そして映画が終わった時、「ありがとう」という感情が自然に湧いてきた。映画を作ってくれてありがとう、かもしれないし、こんな素敵な仲間に出会えたことへの感謝かもしれない。私たちは出演者だから冷静にこの作品を観ることは、もしかしたら永遠にできないのかもしれない。が、映画ができたこと、私たちの取組みが一つの作品となって残ることに素直に大喜びした。そして同時に、カーニバルの強運を強く感じたのだった。この作品はm20がこれまで同様に、自作の映画を届けるという形で、全国に向かって発信していくことになった。三股町での試写会に続き、宮崎市でもマスコミや福祉関係者ら100人を招待しての試写会が行なわれた。この宮崎市での試写会には代表として朝倉さんが出席し、親の思いを伝えた。以下の内容だ。「カーニバルの朝倉啓子です。知的障害者と何人の人が出会い、ふれあった人がいらっしゃるでしょうか?一生のうちで一回も出合ったことのない人が結構いらっしゃると思います。諸先輩のおかげで昔より知的障害者も外で活動するようになってきましたが、まだまだ家の中で息をひそめて暮らしています。昨今の様々な自然災害の中でも、又障害者施策の大改革の中でも障害者は懸命に生きています。さて、カーニバルは11人の都城盆地に在住する知的障害者のバンドです。昼間はそれぞれの作業所で仲間と一緒に仕事をし、近辺の方々の協力を得て、自分磨きに励んでいます。でも夜や休日はテレビを見ているか、寝ているか、何か食べているかです。他の兄弟はやれ部活や塾だと自分の好きな事をし、自分のネットをひろげ豊かになろうと励んでいます。この子らも、その機会があってもおかしくないと思います。さて、じゃ何が出来るのだろう。何をさせたらいいんだろう。うちの子はカラオケで言葉が出だし、歌も好きだし。歌で何か出来ないだろうか。でも親一人で考えてもどうにもなりません。そこで三股町の社協に「ダメでもともと」と思いつつ小声で相談したところ、すぐさま2~3週間で指導員の先生を紹介していただき、平成15年6月に4人で歌を唄う「カーニバル」がスタートしました。第1回目の童謡カルタとりが好評で親子で楽しみました。その後は友達を誘い11人になり、またサポートメンバーより楽器を借りて「バンドカーニバル」が誕生しました。現在サポートメンバーは20人以上になりました。サポートメンバーとの出会いは、以前から知り合いでもあったかのように自然に、一方親達は「どこの人だろう」「いくつやろうか」など興味津々。でもいつの間にか、親達も子供達に巻き込まれて、一緒に「スマイル」「スマイル」と声高に応援していました。最も驚いたのは、カーニバルにオリジナル曲が出来た事です。曲を提供してくれた人達は「子供が気に入ってくれるだろうか」が不安だったそうですが、子供達は一度聞いただけで気に入り、作業所の行き帰りや自宅で何回も何回も聞いて覚えていきます。親も必死で覚えましたが、子供の倍以上時間がかかり、脱帽でした。「知的障害者は歌が好きだよ」とよく子供が小さい時に聞いていましたが、本当です。字が読めないので、体と耳でリズムも歌詞も覚えます。はっきり言葉が言えないのに、大きな声で唄うんです。そして体も動くんです。練習を重ねる事で仲間意識もでき、互いを励ます場面を出て来たり、好青年になっています。「カーニバル自主コンサート」当日、今までも家族は応援はしていたのですけれど、どこか一歩引いていたお父さん達も、目に涙をいっぱい浮かべ応援してくれました。そして「感動した」「見世物にするなと言っていたお父さんがすごく良かった、感動した」「仲間の中で安心している様子が見えて良かった」「ボランティアさんが大勢いたのに驚いた」などの声が聞かれました。当日、高校ボランティアさんが「これからも大変な事があるかも知れないが今日のことを思い出して頑張ります」と涙ながらに言ってくれました。子供達はニコニコ顔で当日終わりましたが、次の日はまる一日寝ていた子もいた程、子供達は緊張しながら楽しんだと思います。ある有名人が重度心身障害者の施設を訪問した時に「この子ら考える事ができるのか?」と言ったという逸話を聞いたことがあります。確かにこの社会で生活する事は大変厳しいです。ゆっくりゆっくり歩いていますが、納得できた事は先に進みます。納得できない事はしません。実に人間らしいです。この映画を通して障害者も健常者と言われる人たちも一緒に共同して出来る事の素晴らしさと、障害者が胸をはって生き生き出来る事があるんだと確信して欲しいと思います。皆様の益々の応援よろしくお願いします。」坂元監督は、「ありがとね」がデビュー作品となった。初めての映像編集作業はとても苦労が多かったと聞いた。しかし、デビュー作が世に出るという幸運を、この24歳の青年は手にしたのだ。私たちは、家族のように手放しで喜んだ。一人の若者や映画会社の夢までもカーニバルが巻き込んだことに、誰もが、とても誇らしいものを感じた。撮った本人である坂元さんが映画を届け、生の反応をまた伝えてくれるのだ。わたしたちの映画とこんな理想的なつながりが持てたことも、うれしい。「ありがとね」というタイトルについて、監督は言った。「僕の気持ちもありますし、僕らから『カーニバル』に対してもありますし、『カーニバル』から皆さんに込めた気持ちからつけたものです」コンサートで歌う「あなたが教えてくれたもの」は、この映画の中でも特に耳に残る。この曲を作った時のことを私は前に書いた。この曲は感謝の気持ちを「ありがとう」という言葉を使わないで表現したい…と。映画のタイトルが「ありがとね」であることを知った時、私がこの言葉を呼び込んだような気さえした。鼻っ柱の強い私にとっては、非常にうれしいタイトル。だが実のところは、純子さんのお母さんが、コンサート会場を去る時に誰かに向かって発した「ありがとね」という言葉が偶然収録されていたから…ということらしい。どちらにしても、うれしい。今年の流行語大賞は「ありがとね」だと、気炎を上げる私たちだった。また、監督は映画広報のチラシの中で、この映画に関して正式にこのようなコメントを書いている。「この映画を通して、障害という枠を超え、福祉という大きな枠組みを意識させられたように感じています。一番身近な問題で言えば、親の介護。そして、そう遠くはないであろう自分自身が介護される側に立つこと。年齢だけの問題ではなく、病気や事故による障害は現実的に存在するものです。『カーニバル』というコーラスグループを取り巻く環境、すなわち周囲の人々とのつながりは、僕に素晴らしい手本を示してくれたように思います。彼らは様々な形で支え合いながら生きています。障害を持つ人、健常者にもたれかからなければ生きていけないのでしょうか。決してそうではないことを、『カーニバル』に関わる人々は証明しています。互いの距離を最大限にまで縮め、出来ることを分かち合いながら生活していく。歌を歌うことで僕らにやさしさを訴えかけてくる『カーニバル』を、この映画を通して感じていただけたらと願っています。」
2006年03月02日
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ご意見伺いながら更新中です。第5章 映画「ありがとね」そして…■映画会社m20との出会い自主コンサートの第2ステージの構成は「風といのちの詩」という映画を観たことで出来た。そのことは第4章の冒頭でお話した。これは、その映画に関するもう一つの話。「風といのちの詩」は宮崎県で作られた作品だ。遠い外国の海や山の物語ではない。「カーニバル」がある宮崎の自然のあるがままのドラマ。アカウミガメや岬馬やニホンザルが持っている、なんと愛情に満ちたゆったりとした時間。だが自然界の生と死は厳しい。それだけに厳かで美しい。風化した骨の横で新しい命は生まれる。人間もやはり同じ自然のサイクルの中に生きている。急いだ者にも、穏やかに過ごした者にも平等にやってくる死。自然がいつでもそれを問いかけていることを忘れるな、と静かに訴えていた。映画の最後に流れるテロップ。動物や小さな虫や雑草と言われる小さき出演者たちが、ひとつひとつ名前をあげて丁寧に紹介されていった。このテロップを見ているだけでも、いのちの一つ一つを大切にしていくという作り手の姿勢が感じられた。 映画の中、時折登場するサルたちを見ながら考えていた。カーニバルが映画になったらいいなあ、彼らなら自然ないい表情で撮れるのではないかなあ、と。自主コンサート開催が近づけば、必ずやまたテレビや新聞などの取材申し込みがあることだろう。この時にカーニバルをきちんと伝える映像があれば、どんなにかいいだろう。今ちょうど助成金を申請しようとしている。申請内容を「映画製作費」としてもいい、などと考えながら、会場をあとにした。いったん帰りかけたが、車をもう一度、Uターンさせて、文化会館にもどってきた。会館の内村さんに「今日の映画はフィルムですか?DVDですか?こんな映画作れませんか?」と聞いてみた。すると内村さんは「DVDですね。映画を製作した人が来ていますよ。紹介しましょう」「風といのちの詩」を制作したのは宮崎市のm20という映画会社。映画を企画・製作したり、全国各地へと配給して上映会をしているという。私は壱岐容子さんという広報担当の方と坂元敏志さんという映画技師の方を紹介していただいた。私は開口一番、坂元さんに「映画を作って欲しいんですけど、いくらかかるか見積もりを出してもらえませんか?」なあんて言ってしまった。本当なら吹き出すところかもしれない。でも坂元さんは、「はい、プロデューサーと相談の上、連絡します」と言ってくれた。2,3日して、坂元さんから、「バリアフリーの音楽祭」という仙台市の取組みに関する資料と手紙が届いた。彼はその音楽祭に実際に行ってきたという。あのサルサ・ガムテープの演奏も映像を撮ったとのこと。私の方からは、広報や練習のビデオなどを送った。だがしばらくは連絡がなかった。たぶん助成金だけでは、予算上無理があるだろうなあと想像していた。こんなボランティア団体なんてお金がないことは知れている。きっと気の毒で見積もりが出せないのだろう…と。9月の、カーニバルの練習日。坂元さんから見学に来たいというメールが来た。「見学はいつでもどうぞ」と返信した。撮るに値するかどうかを見て判断したり、見積もりをするのに必要なのだろうと思っていた。練習時刻よりも早く、坂元さん到着。堀有三さんというプロデューサーも一緒だった。それらしき雰囲気のある方だ。わっ本物のプロデューサー!出会いから浮き足立ってしまう私だった。しかし、それだけではない。堀プロデューサーが話す内容に驚いた。「コンサートまでのドキュメントとして、カーニバルの映画を私たちが撮ります。お金はまったく要りません。この坂元が命かけます」その日は、CDの録音のために浩臣さんが早く来て録音器材などの準備をしていた。楽器店の下村さんもボランティアで駆けつけてくれた。レコーディングなのに小山さんは体調不良で欠席。どうなることやらと思っていたら中井さんが来てくれる。そこへ、この映画の話。何かもう、ぐちゃぐちゃの滑り出し。お母さんたちはこの展開に目を丸くし、わあわあ、きゃあきゃあだ。私も一緒にわあわあ言いたい。いや、言ったかもしれない。さて、すぐにクランク・インした映画の撮影。練習日にはいつもカメラが入った。大型のカメラではなく、ハンディタイプの小型カメラで、練習には支障はなかった。撮影は坂元さん。高い位置から撮ったり、時には蛇のように床を這って撮ったりで、その格好がみんなに受けていた。メンバーは撮影に慣れているのか、気にしない。というより、むしろ喜んでいた。時にはメンバーの仕事場でもある福祉作業所へ撮影に出向いたり、あるメンバーの地区の運動会のシーンを撮ったり、小さい時の写真を集めるなど、構成も同時に進んでいる様子。私は映画を作るのをこんなに間近に感じたのは初めてのこと。おそらく最初で最後かもしれない。こんな幸運がカーニバルに舞い込んだことを本当に喜んでいる。ただどのようにすれば、ドキュメント性の高い作品に仕上がるのか、私にはよくわからない。どんな映像が撮れているのか、どのように構成していくのか、できあがるまでわからないというのが楽しみでもあり、不安だ。やっぱり作品になりませんでした…なんてことにならないよう祈るばかりだった。
2006年03月01日
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これで第4章が終わりました。盛りだくさんの内容をあちこちにはめ込むのにとても苦労しました。つながりが悪いところもまだあると思います。で、第4章 プロの支援となっていましたが、変更します。第4章 地域ボランティアの「ちから」「ちから」としたのは、漢字の力がカタカナのカのようでちからがないため。ちから でも 弱い感じがします。さて、いよいよ最終章です。第5章 映画「ありがとね」そして…このタイトルもしっくり来ませんが~ちょっと緊張します。ここは、第1章と同じくらいの長さになるかと思います。少々お待ちください。
2006年03月01日
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■かがやいたお陽さまたち《集合~開演前》みんなが元気で来てくれたら…もうそれで大成功。この寒い季節。それぞれ風邪も早めにひいて準備してくれた。練習はけっして無理させない。とにかく本番に向かって体調を整える。3回目のリハーサルは、千春さんの司会進行が入って本番通りにやってみることができた。全員がステージに立つことができれば、それだけでうまく行く。みんなにいい思いをさせてあげたい。今日はみんなが主役になれる、そんな日だ。関先生は第2ステージの映像を最後の最後まで粘ってやり直しをしてくださった。本番の今日届いた1枚のDVDが最終のもの。この1枚にひとりひとりの輝きがつなぎ合わされて入っている。心のこもったお手紙までが添えられてあった。今日はみんなは午後2時に文化会館に集合する。最後のリハをしたあと、食事をとり、身支度を整えて本番。お客様を迎えるスタッフが夕方には集合し、打ち合わせ。6時半開場。そして、7時から開演となる。駐車場に車が集まってくるのが6時過ぎからだろう。全ての準備が整っている。たった一つの不安は、一昨日前からの小山さんの体調不良。みんなの声をリードしてくれる小山さんがいなかったら…。そう、誰一人欠けても、今日のステージは成功しない。今日顔を見せてくれたら…。あっ来た!思ったより元気そうだ。「僕はもう来れないかと思ったけど、ここで頑張らないとって思ったんだ。来てよかった」と大きな声が通路に響く。みんなが笑顔で迎える。「そうよ。わたしもそんな時あるよ。でも、みんながんばっているんだからね」ゆかりさんから小山さんが励まされている。教育実習から帰ってきた二川さんも、疲れが気になっていた恵さんも、ソロボーカルで緊張気味のはずの康子さんも、みんな元気な顔だ。リハーサルも時間を長めに取った。ゆったりと確認をしていくことが主で、本当の力は本番に残しておく。今日の日をとにかくみんなで楽しもう。みんなで過ごす時間が長ければ長いほど、チームワークができてくる。ずいぶん馴れた文化会館だが、何かいつもと違う感じがする。楽屋にはステージ衣装がスタンバイ。拓也君のお母さんのアイデアで、大きく名前を書いた一人ずつの紙袋が準備され、楽屋がゴタつく心配がないようにしてあった。私が知らないところでも、そんなうれしい気配りが段取りされていた。受付も早めに準備が進んだ。すべてのエネルギーが結集して、本番へと向かっているのを感じる。いい緊張感がみなぎっている。リハが終わった夕刻、おにぎり弁当とあたたかい豚汁が用意されていた。ホールへとお客様が入っていくホワイエには、1年前のデビュー時の広報に掲載された写真が、さらに畳大に引き伸ばされ、目を引く。また、メンバー11人の笑顔の写真が11本の楽譜スタンドに飾られ、お客様をホールへと誘導する準備ができている。6時頃には紘子さんが手配してくれた若い美容スタッフさん3人が仕事道具を持ってやってきてくれた。楽屋の大きな鏡の前、希望者一人ずつ丁寧にステージ用のヘアーデザインが始まる。完成すると共にみんなから「お~!」と声が上がる。いつのまにか紘子さんも来てくれていた。みんながだんだん華やいでいく。ボランティアの学生たちも楽屋に顔を出す。「すごいよね。みんなすごいよね」高校生の原田さんは始まる前から感激して涙を流している。開場時刻前から長蛇の列ができているらしい、うれしい知らせだ。ステージ前だからといって、それほど緊張はしていないようだ。私も。すでに今日のリハで、すべての準備が整っている。会館の技術スタッフ、千春さん、上手と下手にはそれぞれ中井さん、土井さんがついている。みんながそれぞれの役割をきちんと責任もってくれている。私たちは見守られながら、今までで最高の環境で演奏をするのだ。もうすぐ開演。リハの時と同じように緞帳の下りたステージへと闊歩し、臆することもなく全員が定位置についた。《第1ステージ》これからは、千春さんのアナウンスに従ってすべてが進行していく。私のカスタネットでSMILEが始まった。緞帳があがる。キーボードと拓也君のハーモニカ。客席はいっぱい。前の方には車椅子のお客様。子どもたちや介助をする人たちの笑顔が見える。純子さん緑さんがうれしくて手を振る。客席からも手を振る様子が見える。それを見て、また満面の笑みを浮かべる彼ら。第1ステージは、観客のあたたかさをいっぱい受けて歌い進んだ。反応も上々だ。そして4曲目「素晴らしい日々」。この曲は浩臣さんの生ギターが入る。力強い!そのギターに合わせて、なんと貞雄君がタンバリンを叩きながら前に出てきたのだ。全く予測になかったこと。そして、ギターに合わせてタンバリンで会場を盛り上げるというパフォーマンスを見せてくれたのだ。練習やリハでは「イヤ!」と言って隠れたり、いなくなったりする彼が、本番で変身したのだ。この堂々としたステージマナーには皆が驚いた。第1ステージはここで最高潮に盛り上がった。そして、第1ステージ最後の曲。バラード「あなたが教えてくれたもの」。一番の歌詞からすすり泣きがマイクに入る。広大君だ。まるでオブリガードのように私には聞こえた。なくてはならない音楽のよう。歌いながら感動する彼の姿が、また会場を不思議な感動で包んでいた。そして、拓也君の安定したソロで、静かに感動的に第1ステージの幕がおりた。《第2ステージ》第1ステージの華やかさから一転。映像を使いながら、カーニバルの日頃の活動やメンバーの一人一人を紹介する。私たちが最も時間をかけて作り上げてきたものだ。客席は静かに映像を観ている様子。ソロの3人の度胸が試される、期待の瞬間がもうすぐやってくる。幕の影に貞雄君がスタンバイした。ナレーションが「貞雄君の即興演奏をお楽しみください」というと、彼は颯爽とステージ上へ。キーボード前に行き、ミュージシャンらしい構え。黒鍵を両手の指が激しく行ったり来たりする。今日の演奏はいつもより速い。張り切っている。客席の反応を見ながらどういう終わり方をしようかと考えているように見える。「やあ!」フィニッシュもかっこよく決まった。会場からどよめきと大きな拍手。続いて、ゆかりさんのキーボード演奏。小山さんとのアンサンブル「さとうきび畑」だ。一瞬も迷うことなく演奏開始。時々、会場を見る余裕さえある。今までの演奏の中で最高の出来だ。そして康子さん。もう私が励ます必要もなく、順番を待つ姿勢もきりっとしている。いつものように歌声に一点の曇りもない「赤とんぼ」。2番の歌詞を間違えて、おでこをピシャリ。そしてすぐ立ち直る。この余裕は私の想像をはるか越えたものだった。彼らは凄い。そして、もう一度、ゆかりさんのソロ「オリオン」。堂々と歌いきった。バックの映像ともマッチして会場を魅了する歌声だった。《第3ステージ》第3ステージはダンスから始まる。すでに着替えを終えたメンバーが第2ステージを務めた3人を迎えた。デザイナーの笠野さんもみんなの着替えを心配して来てくださっていた。はじめて見た彼らとその演奏をとても褒めてくださって、みんなを激励してくれた。「みんなスゴイ」って。私たちは私たちで、一人ずつに合わせてこんな素敵な衣装をデザインしてくださって…「スゴイ方だ」と思っている。ステージの合間のちょっとした時間に、こんないい出会いができたことがとてもうれしい。観客があるということは、私たちにこんな大きなパワーをくれる。パワーを引き出す力が観客にあるのかもしれない。だからステージと客席は相互関係で成り立っている。さて、いよいよ最後のステージだ。これこそ、会場全体が一体になることをイメージしていた。これまでの歩みもカーニバルのメンバーも理解してくださった観客と、カーニバルとのコラボレートだ。女性・男性がそれぞれスタンバイした。「マイ・セレナーデ」が始まった。私たちは、みんなうれしくて笑っている。だって客席の笑顔や手拍子が見えるから。照明があたってきっと楽しいステージに見えているのだろう。私たちは決して自分で観ることはできないが、逆に楽しんでいる観客の表情は、きっとこちらからしか見えない。目に映るものはみんなちがっているが、間違いなく同じ空間の中に私たちはいて、それをみんなで共感している。素敵な時を分かち合っている。このダンスを何回練習したことだろう。最後の作品が今繰り広げられている。貞雄君のダンスソロに会場が沸く。そのあとの男性による覚えたはずのダンスは、この日の勝手な振り付けになっている。それでもいい。みんなにこにこで自信を持った動きだ。フィニッシュもうまく決まった。「世界に一つだけの花」や「SMILE」のレクチャーが終わり、いよいよこのステージの目玉。それは何といっても宮沢さんからのメッセージだ。メンバーにもサポートメンバーにも内緒の企画。その時、千春さんがこれまでリハではなかった言葉を言った。「ここでみなさんにある方からのメッセージが届いています。さあ、だれでしょうね?」「えっ!」とみんなが口々につぶやいた時、ステージの照明が落ち、後ろのスクリーンに大きくTHE BOOMの4人が映し出された。そして宮沢さんのメッセージが流れた。会場からどよめきが起こった。そして拍手。これは宮沢さん、そしてTHE BOOMに対する拍手。カーニバルによかったねという拍手。関わったものに対するねぎらいの拍手。喜びの拍手。いろんなものが交じり合ったものに違いなかった。会場に温かい気持ちがあふれきったところで最後のプログラム「風になりたい」の演奏が始まった。自信と笑顔に満ちた顔、顔、顔。歌う喜びを十分表現できるカーニバルに成長していることを、一緒に歌いながら感じていた。《終演後》コンサート会場を出た観客が集うロビーは、いまだかつて経験したことの無い興奮と熱気であふれかえった。いたるところで顔をくしゃくしゃにするほどの笑顔が見られた。もう一歩で泣きそうになるほど。もう泣いている人もいる。もらい泣きする人。だれもが予測していたものと違う感情に襲われて、お互いに周囲を見てしまう。何か言わなければこの場を立ち去れない、そんなロビーの人だかり。その中央で、この人が声を上げて泣いていた。今まで一度も涙を見せなかった緑さん。努力を惜しまなかった彼女が初めて人前で見せた涙。心ゆくまで泣いてほしい。その美しい姿に…たくさんの人が立ち止まり…見守った。(コンサートの写真挿入)たくさんのお陽さまがかがやいていた。お陽さまは、もう数え切れない。
2006年03月01日
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