所用があり、半年振りに電車に乗車した。久しぶりに見る人並みと地下鉄や電車内の臭いに、会社へ通勤していたころを思い出してしまった。
自宅は山端にあるため、街中、特に地下鉄の空気は呼吸が憚られるほどに悪いと感じた。京都市でこの状態なのだから、若いころに通勤していた東京や大阪は、マスクを着けても行きたくないなぁと思いながら電車に揺られた。
電車を降りてからも、足早に改札へと向かう人々の流れに合わせて歩くのがしんどかった。あぁ、もうこの速度では歩きたくないと思った。ついこの間までは、京都はゆっくりしているなぁと笑っていたことを思い出した。
私が子どもの頃、時間はもっとゆっくりと流れていたように記憶している。身の回りの事一つ一つを処理するのに、もっと時間がかかっていたと思う。どこかに行くのも、料理をするのも、掃除をするのも、遊ぶのも...
本当に便利にはなったが、時間的な余裕がなくなったなと切実に思った。
この便利さの代償に、心のゆとりを代償にしたのだなと思う。電車、自動車、電子レンジ、ケータイ、原発?...
もう少し足踏みする生活に戻った方が、人として幸せじゃないかなと感じた一日だった。
駅では、太陽と同じくらいにホームを照らす照明が眩しかった。
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