1

ウドンタニーに昨年行って以来、現地で食べたカイガタの味が忘れられなくなってしまいました。特段美味しいわけではないんですが、あの素朴さと家庭料理っぽさに惹かれるんですよね。その後、プラカノンのワット・マハーブット境内の屋台でカイガタを偶然見かけて狂喜乱舞したのですが、今年7月に再訪した際には跡形もなく消え去っていたんですよ。こうなるとどうしても食べたくなってしまい、ネットで検索したところ…、ありましたありました!そこで喜び勇んで向かうことにしたのでありました。センセープ運河の水上バスで行くのが便利そうなので、BTSラーチャテーウィー駅から数分歩いてフアチャーン橋船着場へ。プラトゥーナムと反対方向の船に乗り、終点のパーンファー・リーラート橋で下船します。船着場を出てラーチャダムヌーン・クラーン通りを左へ進み、最初の交差点を右のプラスメン通りに入ります。するとほどなくして左手に見えてきました。古風な白い長屋ビルの右端にある、コーピー・ヒアタイキー(โกปี๊ เฮี้ยะไถ่กี่)がその店です。ヒアタイキーは漢字だと邢泰記と書くみたい。バンコクのプラナコーン地区で60年やっている店で、支店が3つあるうち、ここはもっとも新しい店なんだそうです。店内は、古風な中華っぽい円卓とファストフード店のようなカウンターとが共存する独特な雰囲気。単品でも注文できるのですが、私は「セット1」を注文してみました。するとカイガタにベーコンとチーズもトッピングしますか?と聞かれたのでお願いすることに。それとチャーフェー・ローンという飲み物も注文。席でしばらく待っているとまず飲み物が、次にセット1ができたと呼ばれたのでその都度カウンターに取りに行きました。ここはそういうセルフサービスのシステムなのです。揃いましたよ~♪セット1は、カイガタ(鍋焼き玉子)とパン・ファランセート(フランスパン)のセット。まさしくカイガタですよ!嬉しいな~。早速食べてみると…、トッピングされているクンチアン(ソーセージみたいなもの)の甘さがかなり控えめなため、ウドンタニーで食べたカイガタほど甘くないですね。でも追加トッピングしたチーズとベーコンのお陰で全体としては味に深みが出ています。美味しさで言うと、ここヒアタイキーのほうに軍配かな。一方のパン・ファランセートはというと、フランスパン(?)にバターが塗られていて、カイガタと同じクンチアンが乗っかっています。ウドンタニーで食べた、パンに挟んであるかたちのイメージがあったので、ちょっと意外でした…。味は、やはりクンチアンの甘さが控えめなのが個人的には物足りませんね。でもアツアツのうちに食べたので、美味しく感じましたよ。そして最後に飲み物の…チャーフェー・ローン。チャー・ローン(ホットティー)とカーフェー・ローン(ホットコーヒー)を混ぜた飲み物だからこの名前なのです(笑)キワモノだと思うでしょう?ところがどっこい、これが美味しいんですよ!コーヒーの味がベースなのですが、紅茶の渋さが後味に残って、クセになるいい塩梅なんです。下に沈んだコンデンスミルクと混ぜて飲むとミルクコーヒーとミルクティーのまさに中間の味に。不思議と調和が取れているんですよね~。ちなみに右に見えるおちょこはと言うと、口直しに、無料のお茶(たしかジャスミンティー)を入れて飲むためのもの。コーヒーを飲んだ後に、お茶やお湯を飲むのは南タイ式と聞いたことがあるんですが、本当でしょうかね?いずれにしてもなかなかオツな習慣じゃないですか。お値段は、セット1(カイガタ、パン・ファランセート)のカイガタにベーコン&チーズをプラスして135バーツ、チャーフェー・ローンが35バーツとなかなか強気な設定。でもバンコクのこんな便利な場所でゆったりとカイガタを味わえるんだから幸せです。ぜひまたふらっと来たい店ですね。<店の情報>店名 コーピー・ヒアタイキー(โกปี๊ เฮี้ยะไถ่กี่)facebook場所 グーグルマップ営業時間 月~日曜 7:00~20:00※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語学習書です★★★ ◇ 初 級 ◇ 『あなただけのタイ語家庭教師』国際語学社 ◇ 中 級 ◇ 『中級タイ語総合読本』白水社 ◇ 上 級 ◇ 『タイ語上級講座読解と作文』めこん
2015/12/03
閲覧総数 1272
2

今日、日比谷のタイ国際航空オフィスに立ち寄った時のこと。立て看板にあの三角枕のイラストが踊ってました。なんだろ? 近寄って読んでみると、近年、タイからのおみやげとして図のような「三角形状のマクラ」が持ち帰られることがあります(別送や販売店からの郵送等も含む)。しかし、このマクラには、輸入を禁止している「イネワラ」を内部に詰めているものがあります。「イネワラ」を使用しているマクラは日本には持ち帰ることが出来ません。十分にご注意ください。購入する場合は、「イネワラ」を使用していないものを選ぶようにして下さい。農林水産省植物防疫所(詳しくはここにも出ています→タイ王国へ渡航される方へ(PDF))あ、たしかに最近成田空港で三角枕を没収された友人がチラホラと…イネワラに害虫がついてるからなんでしょうね。そう言えば10年ほど前。一緒にタイ旅行に行った友人が持ち帰った三角枕からある日、虫が大量に湧いてきたんだそうで。実際にそういう例があるんで規制も仕方ないのかも。でも、詰め物が「イネワラ」でなければOK。タイの↓こんなお店で三角枕を購入なさる方は、その点のチェックをお忘れなく!
2006/05/10
閲覧総数 3804
3
![]()
ワット・プラーンマニー、別名ワット・ルアンポー・パークデーン本堂での参拝を済ませた私は、お参りセット売店のところへ戻ります。売り子のおばさんはニコニコしながら早速私を案内してくれます。ここに日本人は来たりしますか?「沢山来るわよ。日本の軍人だと思う」まるで自分だけが知っている秘密を明かすんだとでも言いたげな顔つきで私の目を凝視しながら教えてくれました。自衛隊に違いない。自衛隊の人達が連れ立って、今でも慰霊に訪れているんでしょう。土産物店の連なる道を右にはずれたところで「ここよ」とおばさん。あ、本当だ!「これをお供えしてね」と花を差した花瓶を渡してくれました。ありがとうございます。花代と案内してくれたお礼も兼ねて100バーツ札を手渡そうとすると断るではないですか。感謝の気持ちですと伝えてようやく受け取ってもらえました。「じゃ、私は戻るね。サヨナラ」さよなら ^^最後は日本語で嬉しいじゃないですか~。受け取った花をお供えし手を合わせます。ここはというと、第三十七師團慰霊碑。白い祠の中に建っています。なんでこんなところに? と思うかもしれませんね。太平洋戦争の末期、インドの英印軍に打撃を与えるはずが逆に英印軍のビルマ進攻を許し退却することになったインパール作戦の大失敗の後、日本陸軍はタイで英印軍を迎え撃つ作戦に変更を余儀なくされました。バンコクでは連合国軍の爆撃が激しくなっていたこともあり、陸軍は最終決戦の地をこのナコンナーヨックに定めたのです。理由は、山があるから。山間部に洞窟を掘るなどして要塞化を図ろうとしました。タイ国内やビルマに展開していた部隊が続々とナコンナーヨックに集結します。その中に第37師団もいました。第37師団はなんと中国の山西省西南部普南からはるばる南進してきたのです。途中ベトナムでは、フランス領インドシナからフランス軍を駆逐し、ベトナム、カンボジア、ラオスを独立させる「明号作戦」(1945年3月9日)に参加、成功に導きます。勇猛な師団だったそうで。ナコンナーヨック入りした時の兵力は約1万。軍馬を3,100頭携えていました。しかし英印軍との戦闘になる前に終戦。この地に駐屯していた各部隊はそのままこの地で抑留されます。と言っても大多数の兵は塀の中に囚われるでもなく、畑仕事などをしながらのんびり暮らし、翌46年日本へ復員したのでした。この碑は、第37師団の戦友会が、命を落とした兵と軍馬を慰霊するために1989年3月25日に建立されました。立派な慰霊碑です。ふとなぜか天井が気になったので見上げると…うわぁっ! 思わず声が出てしまいました!右手に建っている碑誌を文字起こししてみます。改行位置は原文どおりにましたが、読み易くするため段分けをしてあります。日本旧陸軍 第三十七師團碑誌 第三十七師団(冬)は 一九三九年(昭和十四年)三月二十五日九州で編成 中国山西省普南へ出征して警備に任じ 次いで一九四四年春 中国縦断の大陸打通作戦に参加して南進した すなわち中国運城から南へ征旅一万四百余粁 千山万岳を踏破し仏印を経てタイに入り一九四五年夏 英印軍との最後の決戦に備えてこのナコンナヨックに進出した 図らずも同年八月十五日終戦点を仰いで長恨極まりなく武器を捨ててこの地に駐留し力尽きて倒れし多くの兵馬をこの地に埋めて 一九四六年 故山に復員した先の大戦において昔しくも戦没せし殉国の師団将兵七九二〇柱と師団軍馬四三七六頭の精霊を祭り わずか七歳で消滅した歴戦の師団と軍旗三旗を偲び 併せて大戦間失われし彼我幾多の犠牲を悼むと共に 永遠なる平和への思いをこめて この碑を建てる このナコンナヨックは 師団終焉の記念すべき地であり 師団がここに駐留間 タイ王国官民から賜わりし温かい友情と この碑建設に尽力下されしナコンナヨック郡役所及びプランマニー寺のご厚意に対し 深く感謝の意を表する そしてこの碑が 末永く日本とタイ王国との親善の礎石となることを祈る 一九八九年三月二十五日(第三十七師団創立五十周年記念日) 第三十七師團慰霊碑建設奉賛会師団創立50周年にあわせて建立したんですね。ちなみに「冬」とは、第37師団の兵団文字符です。兵団文字符は、師団や独立混成旅団などの大きな部隊に名付けられました。元々は部隊名を秘匿するためのものだったのが、愛称的に用いられたりもしたようです。ちなみに第37師団には「冬」兵団のほかに、大陸打通作戦時に付けられた臨時の略号「光」兵団という呼称もあります。慰霊碑の裏面には、一九八九年(平成元年)三月二十五日 建立 第三十七師団創立五十周年記念日) 第三十七師團慰霊碑建設奉賛会 会長 山中 貞則とありました。背後には仏像も鎮座しています。そうそう、碑誌にある「軍馬」については機会があればちょっと綴りたいと思います。ワット・プラーンマニーに来た目的を済ますことができたので、次の目的地に向かうとしますか。来た時とは違う門から出てみます。目の前にはだだっ広い無料駐車場を備えた土産物店群がそこかしこに。衣服が目立ちますが、わざわざここまで来て買うんですかねぇ?もうちょっとこの地ならではのものを売ったほうがいいようにも思えるんですけど…。表の国道3049号線を目指しててくてく歩いているとまたもや牛さん模型が~。遠くに山並みも見えて、なんとものどかな景色です。こっちの参道沿いにも入口まで延々と連なっています ^_^;)途中でこんなものも発見!これってシロアリの巣ですよね?初めて実物を見ましたよ。入口近くまで歩いてきたところで、でっかい観光バスが通過。しかも2台も。「バスを連ねて参拝に来る」ほどの人気ってにわかに信じられなかったんですが、この光景を見て信じざるを得ませんでした。凄い人気ですね、ワット・プラーンマニー。寺の門から歩いて5分で国道3049号線に出ました!「お帰りの道中どうぞお気を付けて」と。時刻は、11:36。次の目的地は、目と鼻の先です(笑)<交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:130バーツ※旅は2013年8月16日(金)に行いました。<参考>『瀬戸正夫の人生(下)』瀬戸正夫著、東京堂書店、2001年「長い旅路」『平和の礎』第3巻、独立行政法人平和祈念事業特別基金(PDF)つづく
2013/08/26
閲覧総数 2080
4
![]()
パークナムから乗車した36番ソンテオは、スクンビット通りに出て南東方向へと広い通りをかっ飛ばします。行き過ぎないように気をつけなければ。iPhoneのマップで現在地を逐一確認…。そろそろだ!ブザーを押して停めます。うん、ドンピシャリ!運転席で運賃8バーツを支払い、ソンテオを見送ります。時刻は、14:23。パークナムから40分弱ですね~。歩道橋に上ります。あそこですよ。看板の立っているところ!反対側に渡って入口へ。右の看板には「サターン・タークアーカート・バンプー」と。「バンプー保養地」って感じですかね。ここが入口で、南に向かって道が真っ直ぐ伸びています。歩いて行くか~。途中の門に「陸軍補給部」と記されているとおり、ここはタイ陸軍の施設なんです。でも一般向けに開放されてますけどね。延々と歩きます…。途中でカートとすれ違いました。あれ? 無料送迎なのかな?まぁいいや、帰りは乗るとしても取り敢えず歩いて行きましょう~。ここももちろん、ほとんどの人は車で訪れるようで、広大な駐車場が右手に広がっています。おっ、着いたぞ、目的地に!!時刻は14:32。詳しくは次回お伝えします!! ^_^;)<交通費>ソンテオ:8バーツここまでの合計:74バーツ※旅は2012年12月28日(金)に行いました。つづく
2013/03/04
閲覧総数 67
5

ソンテオは冠水したラートクラバン通りを西へと走ります。停車する度にお客さんはバシャバシャと水の中を歩いて乗り降り。ありゃ、女子中学生? 高校生? までも、まーったく臆せずというか普通に涼しい顔で冠水した道を進んで行きます。慣れっこなのかもしれませんね… -_-;)右折してロムクラオ通りに入ったところでおじいさんがブザーを押したんですが、停車できるような道路のつくりではないためか、ソンテオは止まる気配が全く無し。で、そのまま終点ラートクラバン駅に到着…。時刻は、10:44。運賃8バーツを運転手に払って去ろうとした時、背後で「なんでブザー鳴らしたのに止まらないんだよ!」とくだんのおじいさんの怒りの声が聞こえてきました。運転手が何やら返答しています。「あそこには止まれないんだよ」といったところでしょうかね。おじいさん、まだ揉めるのかと思いきや、そのまま立ち去って行きました。うーん、ちょっぴり可哀相。さてさて、今回は急ぎなので国鉄には目もくれずエアポートリンクのほうのラートクラバン駅へ。前回は階段を上ろうとしたのですが、奥にエスカレーターがあることを発見。ちょっぴり学習しました(笑)ホームに着いたものの、どうやら行ったばかりのようでしばらくボーッと待つ羽目に。うぅ、約束に間に合うのか??15分ほどしてようやくパヤタイ行きのシティー・ラインが入線。えっ、こんなに乗客がいるんだ!?ってぐらいドワッと大勢が乗り込みます。時刻は11:06。<交通費>ソンテオ:8バーツエアポート・リンク:40バーツここまでの合計:96バーツつづく
2011/12/14
閲覧総数 242
6
![]()
バンプー保養地(サターン・タークアーカート・バンプー)の入口からとぼとぼ歩いて行くと、正面に記念碑が見えてきました。今回の旅の目的は、実はコレを見ることなんです。こちら側は英語表記です。反対側に回ると・・・やっぱりタイ語表記!どちらかと言うと得意なこちらを翻訳してみます。太平洋戦争歴史記念碑 ここスックター橋において、1941年12月8日未明、大日本帝国軍のおよそ1大隊が上陸した。同時にプラジュアップキリカン、チュムポン、ナコンシータマラート、ソンクラー、パッタニー各県にも上陸し、また陸上部隊がアランヤプラテート方面から進入した。 タイ側部隊は、地方警察1小隊、少年義勇兵、サムットプラーカーン県からの住民で構成され、この地点の北西約2kmで道路を封鎖した。双方がまだ交戦をしないうちにタイ政府と日本政府の間で大日本帝国軍のタイ国内通過を認める合意が成立した。 サムットプラーカーン県全集落の住民が一致団結して、勇敢に、身と命を捧げて国家の独立を守ったことは明らかである。よって模範として称賛し、全タイ国民に語り継いでいくべきである。真珠湾攻撃と同日の1941年12月8日(月)未明、日本軍は、まさにこの先の海に突き出た橋に上陸したのです。上陸した部隊は、陸軍第15軍に配属の近衛師団近衛歩兵第4聯隊第3大隊を基幹とする部隊(吉田支隊)。吉田支隊は、12月3日にサイゴンから白馬山丸(三井の商船?)に乗船し、ベトナムのフーコック島付近で3日間待機の後、7日に出発。8日の午前3~4時の間にタイ側から抵抗を受けることなくこの先のスックター橋に上陸しました。同部隊の任務は、上陸後すみやかにバンコクへ移動し、チャオプラヤー川に架かる国鉄南線の鉄道橋、ラマ6世橋を占領すること。同部隊を誘導するために、在タイの「軍人を中心とする屈強なもの」が別働隊を組織し、7日夜に納涼と称してこのバンプー海岸へ赴く手はずになっていました。で、別働隊と同部隊は合流したものの、上記記念碑の文面のとおり、タイ側とにらみ合いこう着状態に。タイ側とは極力戦火を交えず平和裏に駐留する方針だったからでしょう。実はこの風雲急を告げる事態の際に、タイのピブーン首相はバンコクに不在で連絡が取れない状態でした。カンボジア国境付近から車を飛ばして帰って来たピブーン首相との間で協議が開始したのは朝7時半。ピブーン首相の態度が判明(のち、午後3時頃に日本軍通過協定正式調印)したのを受けてようやく吉田支隊は自動車で前進し、13:40頃バンコクに到着しました。なお、フランス領インドシナ(カンボジア)に駐留していた近衛師団も先遣隊が8日朝にタイへ陸上から侵入開始、9日未明にドンムアン飛行場に到着した後、ルンピニー公園へ前進。主力も9日午後バンコクに入り、ルンピニー公園で合流。その後チュラロンコン大学に司令部を設けたようです。…という驚くべき歴史の一場面が71年余り前、この場所で起きたんですね。暑いにもかかわらず、思わず身震いしてしまいました。さらに歩を進めます。門のような建物が。プミポン国王の大きな写真の下には「スックター橋」と書かれています。この先が、その、日本軍が上陸した橋ですね。いざ!<交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:74バーツ※旅は2012年12月28日(金)に行いました。※時刻を修正しました。(2013年3月11日)<参考>『マレー進攻作戦』防衛庁防衛研究所戦史室、朝雲新聞社、1966年つづく
2013/03/07
閲覧総数 335
7
![]()
ラマ9世公園を出たところのバス停で待っていると最初に現れたのはバスではなく、ソンテオでした。 ラマ9世公園ラムカムヘン大学2 ロータスと書かれています。あ、このソンテオ見たことあるぞ!以前訪れたラムカムヘン大学バンナー・キャンパスの前を走っていました。よしっ、じゃぁこれに乗ってラムカムヘン大学バンナー・キャンパスでランチとしますか!時刻は、11:04。シーコンスクエア前から乗って来たソンテオが曲がって入ったチャルームプラキアット・ラマ9世通り・ソイ30にこのソンテオも左折。景色はすぐに単なる住宅街に。細い生活道路を進んで行きます。ところどころ道路が冠水している箇所が。昨日の雨がまだ残っているようですね。この辺りは水はけが悪いのかも。くねくねと生活道路を進み方向感覚が無くなった頃にようやくまっすぐな2車線道路に出て公園の横を走ります。それからまた何度か角を曲がり、いくつめかの角でビックリ。怖ぇぇぇぇぇっ!!夜、前を通る勇気が私にはありませんよ!立ち上がって捕食されそうです、『進撃の巨人』みたいに。バチ当たりなこと言ってすみません。でも本当にオソロシイです m(_ _)mこの角を曲がったところから急に風景が賑やかに。商店街が続き、大きめの市場も見えます。ようやくラムカムヘン大学前の通りに出たようですね。左側に大学の門が見えたところで下車。運転席で運賃8バーツ支払い。時刻は、11:21。ラムカムヘン大学バンナー・キャンパスに足を踏み入れます。一番奥に食堂があるのは、以前来て知っています。あれ?ガラーン。学生の姿が一人として見えないんですが。あっ!!まだ休み期間中なのか!!迂闊だったー! ってことは食堂も休み!?ここまで来たんだから取り敢えず行ってみるか。ぐえっ -_-;)でも一店だけ開いている店発見。せっかくなのでクイッティアオを食べることにしますか。大学生で賑やかな食堂を期待していたのに、淋しすぎる・・・。早々に食べ終え、肩を落としながら門まで戻ります。するとちょうど、アソーク通りでお馴染みの38番バスが。慌てて飛び乗ります。11:43。バンナー・トラート通りに出たバスは左折してからUターン専用高架橋で反対側へ。その途中…あっ、メガ・バンナーってこんなところにあったのか!!2012年5月にオープンしたばかりの巨大ショッピングモールで、「IKEA」も入店しています。今回は立ち寄りませんが、そのうち来てみますか。最初のバス停で下車。シーコンスクエア方面へ行くバスに乗り換えです。何番バスが行くのかな…。133番バスが登場、お、これが行きそうな雰囲気。時刻は、11:52。バスはバンナー・トラート通りからインターチェンジでシーナカリン通りへと。北上していくと車窓に、ショッピングセンターのパラダイス・パーク(PARADISE PARK)が。入ったこと無いから寄ってみるかな。<交通費>ソンテオ:8バーツ38番バス:8バーツ133番バス:8バーツここまでの合計:58.5バーツ※旅は2013年10月29日(火)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめた新ブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。新ブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。
2013/12/09
閲覧総数 471
8
![]()
ふたたび現れた泰緬鉄道線路跡に上陸し、東へと歩いていってみます。下の方の「泰緬鉄道線路推定図」の(4)の場所になります。すると、左にももう一本の線路跡が。あちらは退避線かな。しばらく二本のこんもりした盛り土が並行して続いていたんですが、この辺りは不鮮明ではっきり分からないものの、どうやらこの先で交わっているようですね。さらに歩いていくんですが、段々と線路跡がはっきりしなくなった上に立ち枯れた木々の茂みが鬱蒼とし出したので諦めることに ^_^;)引き返しましょう。ここから見ると二本の線路跡がよく分かりますね。あれ、ちょっと待ってくださいよ。ここって4月1日に訪れた際のここ(写真再掲)とほぼ同じ場所に違いありません!実は今回こそニーケ駅の場所を特定してやるぞと意気込んでいたのですが、これといった手掛かりが掴めませんでした。でも待避線があり、ほぼ直線の線路がしばらく続くこの辺りがニーケ駅のあった場所の候補として濃厚なように思います。ニーケ駅の写真も再掲しておきましょう。 (出典:Coördinatiepunt Netwerk Oorlogsbronnen オランダ)駅名板からは、右がビルマ方面、左がカンチャナブリー方面であることが分かります。後ろに広がっている森が今は湖の中心の辺りということになりますね。さらに歩いて戻ると、ようやく船が見えてきました。左へ湾曲している線路跡を伝って船に乗り込み再び出発。西へと進路をとっていると、「今、線路跡の上を通ったよ」と船頭さん。えっ、濁っていて全然見えませんでした。北西へと向きを変えた時、ズズズズと今度は線路跡に乗り上げてしまいました。船頭さんは苦笑しながらオールで押して脱出。そして…、なんと!こんなところにも線路跡があったのか!!図の(5)です。待っててくださいね。ちょっと歩いてきます!歩きつつ振り返ってみました。前方はというと、ここから線路はほぼ真北に延びビルマへと繋がっていたようです。またもや行けるところまで行ってやると思ったのも束の間。こんな草原になってしまい、どこが線路跡なのか判別が付かない状態に。たぶん真っ直ぐ続いているのだとは思いますが。それよりも足元が見えないのでヘビが心配なんですよ。4月に来た時は2匹も見かけたのでかなり心配症になってます ^_^;)ここまででもう十分でしょう。戻りますか。これにてサンクラブリーでの泰緬鉄道線路跡探しは終了です。船頭さんありがとうございました。船に乗り込んでモン橋へ。16分でモン橋へ帰って来ました。時刻は、18:12。子供たちがまだスワンで遊んでいるし!(笑)船頭さんにお礼を言いつつ船賃を渡します。実は600バーツで話がついていたんですが、危険を冒して線路跡に近付いてくれたり、何も言わなくても行ける限りの線路跡に全て連れて行ってくれたので感謝の気持ちを込めて700バーツを手渡しました。ついでに聞いておきますか。この辺りに食事のできる店はありますか?「ありますよ。連れていくので船に乗ってください」へ? 船で行くの?<旅費交通費>船賃:700バーツここまでの合計:1,059バーツ※旅は2014年5月12日(月)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。 『あなただけのタイ語家庭教師』小野健一著、国際語学社
2014/10/20
閲覧総数 623
9

ラーチャブリー病院前の時計塔から右へ曲がり、カタートーン通りをメークローン川方面へと戻って行きます。おっ、看板には「SHINZEN」と。日本食レストランですね~。でも「新鮮」なのか「親善」なのか、ナゾ ^_^;)店前に広げられたメニューを覗き込むとなんと日本語併記じゃないですか。右のページは普通のネタなんですが、左のページには、カツロール 199アボカドウナギロール 185エビ天ぷらロール 225アボカドエビコ&ウナギロール 235そしてスタンドに差してキャンドルのように突っ立っている手巻き寿司 89と、どうやらフュージョン系のようですね。ラーチャブリーにまで日本食ブームどころか、こんな系統の日本食も到達していて正直オドロキです!なおも歩き続けると、ずっと曇っていたのが、ようやく晴れ間が出てきました。この辺りは右手は商店街、左手は女子高のようです。さらに歩くと左手には広大な駐車場を備えたテスコロータスが。その向かい、右手には、ロイヤルパーク・ITサニー なるショッピングモールが出現。サニー(Sunny)はタイ語風に発音すると「サンニー」のため、地元では短く「サンニー」と呼ばれているみたいです ^^ラーチャブリーのローカルなショッピングモールってどんなもんなんでしょう。ちょっと寄ってみますか。1階入って正面、書店の左隣には、おおっ、ここにも寿司店が!なんと全種15バーツ。やすいやすいやすいやすいやすいやすいやすいがクドイです(笑)それより美味しさをアピールしたほうがいいような気も~。とまあ、インパクトがあるのは入口付近のみであとは上の階も閑古鳥が鳴いています。テナントも全ては埋まってないですね。数年前まで映画館が入っていたようですが、気付かなかったので今はないんじゃないでしょうか?吹き抜けの下から元気な声が聞こえてきたので覗き込むと、テコンドー教室かあ。予想以上に寂れていてあまり見るところがないのですぐに建物を出ちゃいました。すると外に、竜の図柄の巨大水瓶がここにも!そろそろ解説をしましょう。竜柄の水瓶は、かつてラーチャブリーの特産品だったんです。そもそもは戦前に現在の中国広東省潮州市楓渓区から陶芸職人の2人の男性がバンコクへ渡ってきたことに始まります。2人は焼き物に適した土を発見したラーチャブリーに焼き物工場を設立し、水瓶(みずがめ)や植木鉢の生産を開始。1933年のことです。ラーチャブリー初の工場であり、かつ初のタイ国内産水瓶となったのでした。その後1943年に2人は新たな工場「タオセータイ」を設立。当時タイでは水道が普及していないため、各家庭には水を貯めておく水瓶が必須でした。太平洋戦争が勃発すると、今まで中国から輸入していた水瓶が届きにくくなります。そんな状況下でタイ国内産の水瓶が取って代わって普及。大きくて重い水瓶は、距離が遠いほど輸送費がかさみました。また縁起の良い竜の図柄をあしらったこともあいまって、地方の裕福な家の庭先には、まるで現代のベンツかBMWのようにラーチャブリー産の水瓶がステータスを誇示するシンボルとして置かれていたそうです。1954年に2人のうち1人が別れて自らの工場「タオホンタイ」(陶豊泰)を設立してからは、こちらのブランドのほうが人気だったようです。しかし水道の普及とプラスチック製品の席巻で衰退。ドイツの大学に留学経験のある3代目が継ぐ現在のタオホンタイでは残念ながら水瓶をもう生産していません。代わりに利益率の良い盆栽鉢や、韓国向けにキムチの壺などの他、カラフルな前衛的セラミック製品を意欲的に生産しているようで。郊外にあるタオホンタイの工場はカフェ併設のミュージアムっぽい造りになっていて、生産の工程を見学できる観光地となっています。一方のタオセータイも事業継続中。工場内の様子らしい写真(4年前ですが)を見ると、こちらでは竜柄の水瓶を今でも生産しているようです。さて、次なる目的地へ向かうか、と歩を進めようとすると右手に呂祖仙師廟なる中国廟が。呂?…もしやと思い帰ってから調べたら、以前「宝くじに当たる5大願掛けスポット巡り」をした時にバンコクの中華街で訪れた「呂帝廟」に祀られた呂 洞賓(りょ どうひん)と同一人物でした。道教の八仙(七福神みたいなもの)の一人で唐代に実在した仙人。中国の民間信仰では、関帝廟の関羽と並んで人気の神様のようですよ。お参りすると、恋愛と子宝にご利益があるとのこと。しまった。この時知っていればちゃんとお参りしたのに(笑)<旅費交通費>歩いただけなので:0バーツここまでの合計:105バーツ<参考>"โอ่งมังกร ราชบุรี"Thailand Creative & Design Center "เถ้าฮงไถ่:ต่อยอด DNA แห่งตำนานด้วย“จินตนาการ”และ“ความสนุก”"※旅は2016年5月28日(土)に行いました。つづく※当ブログから1日旅の記事だけを抜粋し見やすくまとめたブログ『タイ~バンコク周辺バス日帰り旅~』 もぜひご覧ください。そちらのブログは左側の「旅ごとに見る」欄で旅名を選ぶと順を追ってお読みいただけます。旅の参考になれば幸いです。★★★お薦めのタイ語入門書です★★★ ◇入門書◇ 『らくらく話せる!タイ語レッスン』ナツメ社 ◇単語集◇ 『キクタン タイ語【入門編】』アルク
2017/01/23
閲覧総数 711


