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Break Time(一休み)一休みどころか、かなり空けてしまいました m(_ _)mいろいろ忙しかったのはあります。大阪にも行っていました。そして、あちらでマッサージに行き逆に体を壊してしまいました。、もう1週間近く、まだ動くのも座るのも辛い状況です。さらに前にも言いましたように楽天ブログが大幅にサービスを減らした為にブログ上のアバターが消えてしまったのです。今はその対応途中でやりとりが続いています。楽天いろいろ腹立たしいです。さんざんお金を遣わせていたアバターの突然中止。別の運営会社に移行すれば続けられる・・と言われ新契約をしたにもかかわらず消えてしまった・・。フタをあければアバターは使えるけど従来のようにブログに載せる事はもうできない・・との事。騙されたようです。それでも新アバター会社の方の方が何とか載せられるよういろいろ策を凝らしてくれて、今指示の元に頑張っている所ですが、絵が出ていないのです。なかなかうまくいかないので、もうめんどくさくなってしまいました (v_v`)はぁ・・・。さて、ビショップの続きと行きたい所ですが、簡単ネタで1クッションおく事にしました。実は明日、ネットのブロバイダーを変更する為の工事が入ります。その後、パソコンを設定しなおさないと接続できなくなるような事態もあるので・・。そんなこんなと細々忙しいのです。大阪 お初天神 美人絵馬近松門左衛門 曽根崎心中先週、大阪の北区、曾根崎警察署の近くにあるイタリアンに石窯ピザのランチ・ブッフェを食べに行きました。野菜も豊富で焼きたてのピザが食べられて何より安いのです。(1200円)店の紹介・・と思ったのですが、肝心のピザの写真が無いので今回止めました。その代わり、その店のすぐ裏がお初天神だったので、ピザのついでに天神様参拝。面白いものを見つけたのです。曽根崎のお初天神お初天神は通称で、この神社の正式名は露天神社(つゆのてんじんじゃ)。実は近松門左衛門の「曽根崎心中」の舞台として知られる場所なのです。現在の姿からは想像さえできませんが、1300年以上前に創建された古社だそうです難波八十島祭旧跡の一社として数えられると言うこの神社は、かつて大阪湾に浮かぶ小島の一つ(曽根洲)であったそうです。正式名称、露天神社(つゆのてんじんじゃ)は、菅原道真公が筑紫へ左遷配流される途中に参詣の道すがら詠まれた詩「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば」に因む・・と伝えられているそうです。しかし、元禄時代からは違う意味でこの神社は有名になってしまい、「お初天神」と呼ばれるようになったのです。近松門左衛門 曽根崎心中学生時代に国語の時間に一度は聞いた名前だと思いますが、近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)は、江戸、元禄期に活躍した人形浄瑠璃や歌舞伎の作者です。その彼の作品の1つが「曽根崎心中」なのですが、これがなんと実話をモデルにしたノンフィクション(non-fiction)戯曲だったのだそうです。事件は元禄16年(1703年)4月、大阪堂島新地天満屋の遊女(はつ21歳)と内本町醤油商平野屋の手代、徳兵衛(25歳)二人の心中事件です。この悲劇を近松は戯曲にして翌月5月には道頓堀の竹本座で発表。すでに歌舞伎の向上でも使われるほど人々の関心を集めていた心中事件は、この演目で、より広く皆の知る所となり、事件のあった件の露天神の森には二人を偲ぶ参拝者が続出したそうです。このブロンズ像は平成16年4月地元曾根崎商店街からの寄付などでできたようです。因みに近松はこの反響を契機として、心中作品を次々発表。(「心中天網島」も有名。)ところが心中を真似する者が続出した為に、幕府は享保8年(1723年)心中物の一切の上演禁止したと言います。いつの時代もすぐに乗っかる人がいるものですね。お初天神の名は遊女はつの名に因んだ呼び名だったわけです。さて、面白い物・・とは、美人祈願の絵馬があるのです。どうもお初と徳兵衛の悲しい恋物語に、いつしか? 近年? 最近? お初天神は「恋愛成就のパワースポット」と呼ばれるようになったとか・・。たぶん雑誌か何かで誰かが持ち上げたのかもしれないが、恋愛成就を願う女性の参拝者がにわかに増えたのだそうです。そこで商魂? これも正確な確認はしてませんが、「昨年夏から500枚の絵馬が奉納されている。」と言う書き込みから見て、昨年夏に美人絵馬が作られ、さらにその絵馬目当てに美しくなり、恋愛を成就させたい女性がたくさん集まって来ている・・との事です。顔の部分は自分で描くようになっています。だからいろんな顔が・・。「14日のバレンタインデー前に女性が殺到している。」らしい・・。これも誰かが乗せたのか? ニュースでも取り上げられてさらに美人祈願の絵馬の人気が急上昇?でも、但し書きにありました。間違えてはいけません。容姿美しきは一時の花。心根美しきは一生の宝。心美人になれますように。心美人になって恋愛を成就させましょう・・・と言う事のようです。それにしてもお初と徳兵衛の物語とは関係ないような・・。でも儲かればいいのか・・
2012年02月29日
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前にアメリカ・インディアンの神様はコワイ・・と言う事を書きましたが、実はハワイの神様もハンパなくコワイのです。前にも少しふれた「ヘイアウ」はハワイの神様との交信の場所です。その「ヘイアウ」は大量の生け贄が捧げられた神殿でもあり今でも一般人は決して近づいてはいけない所とされています。むやみに近づく者には原因不明の高熱など後に災いが起きていると言われています。またハワイにある石をハワイの外に持ち出す事も禁止事項です。女神ペレの怒りをかい、災いが起こる・・と言われ、実際、ハワイの郵便局当てに災が起きた人達から大量の石が国際郵便で返却されて来ているのです。古代、ハワイアンの人は自然の中に住む見えない神? を崇めつつ、交信してその意思の元に事をなして来ていました。彼らの崇めた神様は今もハワイにいるのです。因みにハワイの神様Tiki(ティキ)像を土産にする方がいますが、これも日本の神様と相性が悪いので「神様は1家に1神」でカブるなら置かない方がいいようです。さて、博物館で本を探しても博物間自体の展示物について書かれた小誌も無い。まして日本語解説の本も無く、ポリネシアン関係の資料が無いのです。そんなわけで調べていたら載せるのが遅くなってしまいました。困ったねバーニス・パウアヒ・ビショップ博物館 2 (鳥の羽のマント) Bernice Pauahi Bishop Museumカメハメハ1世と羽のマントハワイと言えばアメリカ合衆国の中で唯一王朝のあった所です。カメハメハ大王の名は、誰でも一度は耳にした事があると思いますが、ハワイ諸島に移民した多数のポリネシアン達の部族を統一し、初めて王朝を築いたのがカメハメハ1世なのです。Kamehameha I(カメハメハ1世) (1758年?~1819年)カヒリ・ルームにて撮影したカメハメハ1世(大王)の肖像画。これが本当の大王の顔です。イオラニ宮殿前の大王像は、欧州から運ぶ途中船が沈んだ為に急遽適当にしつらえられた全くの別人ブロンズ像なのです。(欧州系の姿をしているのはモデルがあちらの人がベースだからです。)オアフ島の最後の激戦地がコオラウ山脈の切れ目にあるヌアヌ・パリです。1795年、この戦いを制してカメハメハは建国。(ヌアヌ・パリはオアフ島の観光で皆さん一度は行く風の強い名所。古戦場だったと知る人は少ないのでは?)その後もカメハメハ1世はイギリスから武器や軍事顧問に援助を受け、マウイ島やオアフ島など周辺の島々を征服して1810年に全島を統一。カメハメハには強いマナがあり、かつ軍神クー(K?)が加護を与えたと信じられています。また戦闘のみならず、統一後も西洋諸国との友好関係を維持するなど外交でも政治手腕を発揮。「Kamehameha the Great(カメハメハ大王)」彼は絶対的なカリスマ性でハワイを統治したハワイの英雄なのです。ハワイアン・ホールに飾られていた絵画から。昔の部族闘争はこのようなスタイルで行われたようです。新兵器を導入しての勝利ですから、カメハメハ1世の戦いは、例えれば長篠の戦いで戦勝した織田信長の立場だったように 思います。戦いの神、クー K? (K?-ka-ili-moku)を表現している鳥の羽でできたオブジェ?カメハメハ家に代々伝わった赤い羽根でコーティングされたこのおブジェは戦いの神、クー K? (K?-ka-ili-moku)を祀ったもので、カメハメハ家に最強の力を与えてくれたようです。解説には「先祖代々の崇められる軍神(the coveted ancestral war god)」とありましたが、このクー K? (K?-ka-ili-moku)像はカメハメハ1世の伯父が所有し、その息子に継承され、従兄弟であったカメハメハの手に来たものだそうです。強いチーフのみが所有し、統一を果たす事ができると信じられ、カメハメハは彼のカフナ(kahuna)のアドバイスによりハワイ島にプコフラ・ヘイアウ(Pu`ukohola Heiaw)を建造し、これをKuka`ilimokuに捧げたそうです。因みにハワイ島のNational Historical Park(国立歴史公園)にはそのカメハメハの神殿遺跡が残っているようです。戦闘や、儀式の時に身につけられる首長の正装用マントとても希少な鳥の羽毛で作られているのが特徴。クー Ku (K?-ka-ili-moku)には鳥のように飛ぶ神のイメージがあるようで、クーを示すのにはしばしば鳥の羽が使われたようです。同時に鳥の羽毛は最高のチーフの装飾となり王族が好んでまとったようで、鳥の羽や羽毛を使ったマントや髪飾りが多数展示されています。実は黄色の鳥の羽ではなく、黒い鳥の羽の下にある数枚の黄色の羽根だけを抜き取って集められて作られたマントです。何万羽の鳥からかき集められた当時としても非常に希少価値のある品だそうです。Kamehameha II(カメハメハ2世) (1797年~1824年)本名LiholihoKamehameha III(カメハメハ3世) (1813年~1854年)本名Kauikeaouliカメハメハ2世とカメハメハ3世は同母兄弟ですが、共に子供が無く、しかも短命です。それは続く4世、5世にも言えるのですが、総じてハワイ国の王家は短命の者が多いのです。長くなったので続きとその理由は次回に。ところで2010年5月に「 ハワイ統一王朝 1 (ハワイアンのカプ、マナ、フラ) 」の所でカメハメハ像なども紹介しているのでよかったらバックナンバーを見てね Back numberリンク バーニス・パウアヒ・ビショップ博物館 1 (ホノルル)リンク ハワイ統一王朝 1 (ハワイアンのカプ、マナ、フラ)リンク ハワイ統一王朝 2 (ハワイ王国とイオラニ宮殿)リンク ハワイ王国歴代の君主 1 (カメハメハ朝)リンク ハワイ王国歴代の君主 2 (カラカウア朝)
2012年02月15日
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1年半くらい前にパソコンの方のネットゲームを始めました。まだその頃はのんびりほんわかゲームを楽しんでいて気楽で良かった・・。ところが、昨年頃からスポンサー・サイトが次々無くなり、自力で集金しなければならなくなったのでしょうか? 課金をしなければイベントが楽しめないようなゲームに流れが変わってきたのです。しかも昔は数ヶ月に1回くらいのイベントが、今は一日もおかずイベント、イベントと新たにお金を遣わせるゲームへと変化。今は他のどこのゲームも最初は無料でも課金するのはあたりまえの風潮ですが、当初からそのゲームをのんびり楽しんでいた人達から見ると方向性が変わって面白くなくなりました。ただ、当初からのお友達がいます。みなさんそれぞれゲームの中でゲームの事や世間話をして楽しんでいたので簡単にサヨナラもできないから困るのです。さて、今回はまたまたハワイの物件ですバーニス・パウアヒ・ビショップ博物館 1 (ホノルル)バーニス・パウアヒ・ビショップ博物館(Bernice Pauahi Bishop Museum)バーニス・パウアヒ・ビショップ(Bernice Pauahi Bishop)ホノルルにあるビショップ博物館はハワイやポリネシア文化を記録した何百万点もの伝統工芸品、史料、写真を収蔵する今やポリネシアの歴史研究には欠かせない重要な資料博物館です。特にカメハメハ王家の遺品は見所の1つで、歴代の王達の肖像やコレクションなどもたくさん展示されています。入口になるジャポルカ・パビリオンと右が天文台とプラネタリウム。写真右端にミュージアム・カフェ (カフェ・プラマ)がある。実はこの博物館はカメハメハ王家の末裔であるバーニス・パウアヒ王女の為にその夫が妻亡き後、妻の設立したカメハメハ・スクールの敷地跡に1889年に建設したものです。バーニス・パウアヒ・ビショップ(Bernice Pauahi Bishop) 1831年~1884年カメハメハ大王のひ孫にあたり、王家の最後の一人として王家の遺品を受け継いだ人なのです。彼女自身は本来ならカメハメハ5世の求婚を受けて王妃となる予定でしたが、それを断り、1850年にアメリカ人のチャールズ・リード・ビショップ(Charles Reed Bishop)と結婚。因みにカメハメハ5世はそれがショックで生涯独身でした。彼女は両親や従姉妹達から王家の所領を次々相続。その所領はハワイ全土の1割近くとも・・。その莫大な財産を彼女はカメハメハ・スクールの設立や王家の支援の為に使ったと言います。写真はガラス越しに博物館の中の展示写真を撮影したのものです。1850年の結婚式の時のポートレートです。彼女亡き後、その財産を相続した夫チャールズ・リード・ビショップが財団を築き、カメハメハ王家の遺品や彼女のコレクションを含めて残すべく設立したのが彼女の名を冠した「バーニス・パウアヒ・ビショップ博物館」です。サイエンス・アドベンチャー館からミュージアム本館を撮影。敷地は結構あるのです。ツアーとイベントサイエンス・アドベンチャー館ではハワイの火山の話や火山から流れる溶岩の実演実験などサイエンス教室がもよおされていて子供達向けです。日本人がいる時は日本語通訳がつきますが、専門用語が多いので通訳になっていなかったです。同じくプラネタリウムも日本人向けの回があります。博物館自体の方も日本人向けの館内ツアーがあり、他と同様日本人のボランティアの方が交代で王家の歴史や収蔵品の解説をしてくれます。ただ、マニュアルがあるわけではなく、担当の方個人の知識の上になっているツアーなので、担当の方が変わると説明を受ける内容も異なっていました。もともとここは王女の設立したカメハメハ・スクールの敷地だった所です。今スクール自体は1960年代に近くの丘の上に移転。近代化の中で失われつつあったハワイ独自の文化の保存とハワイにおける原住民としてのアイデンティティーを失わないようにとバーニス・パウアヒ王女が設立した学校だったのです。膨大なハワイの美術工芸品のコレクションが゜展示されている本館。正面入り口左手に歴代王の肖像画などが飾られたカヒリ・ルームがあり、右手に大きな吹き抜けのハワイアンホールがあります。カヒリ・ルームハワイアンホール1階・・「カイ・アケア 」 ハワイの神々、伝説、神話に触れることの出来るコーナー。2階・・ 「ワオ・カナカ」 人々の生活と仕事、自然と共存した昔のハワイアンの生活を知ることができるコーナー。3階・・ 「ワオ・ラニ 」 神々の移住、ハワイの王族達の歴史。TIKI(ティキ)像次回コレクションを少し紹介予定。リンク バーニス・パウアヒ・ビショップ博物館 1 (鳥の羽のマント)
2012年02月09日
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