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あけましておめでとうございます\(^o^)/ことしもどうぞよろしくお願いしますいつもと同じお正月を迎えました。2011年は日本も含めて世界中激動の年でしたから、こうしておだやかに「変わらない」お正月を迎えられたこと、こころから感謝です。新年のカウントダウンと同時に三社参りにでかけたYHの宿泊客とうちの家族。わたしはお留守番。みんなが戻ってきて、「太く長く」のうどんをすすり……、明けて元旦の朝はYHのおせち。YHのおかあさん、大統領、みどりさんはじめスタッフのみなさんにも、感謝です。みなさんはどんなお正月をお迎えですか?-----「元日は釣り」しかすることがなかったので、毎年「興居島で釣り」が恒例でしたけど、一昨年エミフルという大きなショッピングモールができて、そこは元日から営業なので、「元日はお買い物」に変わりました。ものすごい人!! 地元商店街から人がいなくなるはずですね。娘達の服を探しました。なかなか普段はゆっくり揃って買い物はできないので。昨日は暗くて、そして朝は雨降りで行けなかった愛犬レディのお墓参りにも、夕方行きました。そのまま石手寺へ。石手寺の裏手への道が、ついにつながっていい道に変わりました。でも、ここはほんとに、何度来ても不思議(不気味?)なお寺です。平和祈願の鶴を折りました。坊ちゃんの湯、道後温泉本館に入浴。温まった~~。商店街でお土産を買いました。YHで新年パーティー。飲み放題食べ放題だけど、もうみんなそんなにガツガツしなくなりました。そのあと、これもここ数年の恒例になりつつある、「音楽会」。親子連弾でディアベリの曲を演奏してくれた方.お名前聞かなかったわ~。また来年、ぜひ聞かせてくださいね。L2のヴァイオリン。いくつか弾きました。踏めくりしてくれたL1が、「おかあさん、伴奏うまくなったね?」と言ったのには、笑えました!! どういう意味だろう~。「やっぱり、この人プロだわ…」と思ったそうです(笑)みんなで「うたごえ」タイム。そういえば、昔のYHは、こういう感じでしたね。すっかり忘れてたけど。-----こには、結婚以来毎年ほぼ欠かさず、お正月に通っています。家族で中国旅行した17年前の年末年始は来られませんでした(帰国した翌日、阪神大震災がおきたのでしたっけ……)。夫は、その年以外は皆勤です。私は、子どもたちの都合(出産直後だったり、コンクールや受験だったり)で数回来ない年もありました。来年以降は、長女の参加が微妙になりそうです。そう思うと、「家族揃って松山YHでお正月」の意味って、とても大きいですね。変わらないこと、変わったこと、いろいろありながらも……。-----「今年の目標」を毎年考えるのですが、昨年の「のんびり」は見事に、果たせなかったので、さて、今年はどうしましょうか…?(笑) 考え中……!
2012.01.01
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やった~!!日記、追いつきました\(^o^)/旅先でも、ネット環境があるおかげでこうしてストレスなくアップロードできます。宿のパソコンを、順番待ちでいらいらしながら待って、急いで書き込み…ってことも無くなりました!!おかげで、こうしてたまってた日記も書き込むことができました~\(^o^)/-----午前中、L1は病院で受け持ち患者さんの様子を見に。L2は、幼なじみのHiroくんとボーリングへ(結局時間が無くてゲーセンだったそうですけど)。わたしと夫は、ちょっと気になってた「竃神社」の探検。みかんばたけの上にあるちいさなちいさなお社を探して歩きました。とても大晦日とは思えないくらいにおだやかないいお天気。風もなくて、おじさんもおばさんも普通~に外で車洗ったり、農作業してました。日本は広いなぁ~。-----お昼、ひろめ市場で待ち合わせ。夫は、ナン付きのカレー。子どもたちはかつおどんぶり。私はまたまたかつおのたたき定食ですわ。せっかくの高知だもんね。そして、一路愛媛へ。L1と夫の車と、2台で移動です。高知と松山って、直線距離だと70キロくらいなんですって。それが道路では150キロにも~!! 山が間にあるので、こんなに遠回り。高速道路だと、距離はもっと遠くなります。が、時間的には早い。娘と夫は、どこを通るか無線機で相談しながらの道中でした。四国を甘くみたらいかんぜよ…ってかんじに、道路に雪が残っているところもありました。でも、山々は基本的に緑色。松山も今日は暖かです。昨年の大晦日は大荒れで、三社参りも短縮形でしたけど、今晩はきっと大丈夫。風もなく、穏やかな大晦日です。今年はいろいろありました。松山YHの大統領によれば、来年もまだしばらく、不安定な世相は続くようです。でも、みんな、それぞれの地で、まずは身近な人と幸せな日々を過ごせますように。そして、その幸せを、すこしでも広げていけますように。かなしみを癒す音楽が、みなさんのそばにありますように。今年は「少しのんびり」と年賀状に書いたけど、こんなに忙しい一年になっちゃいました。さあ、わたしの来年はどうなるでしょうか。充実の1年にしたいと思います!!また、来年も、どうぞよろしくおつきあいくださいね。れみどり
2011.12.31
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12月30日高知に通ってもうずいぶんになりますが、はじめて桂浜水族館に行きました。なんだか手作り感満載の楽しい水族館らしい…という噂を聞いたのです。大人料金1100円もするので、これまでは敬遠してました。小さな水族館なんだけど、イルカやアシカのショーはもちろん、ほかにもいろんな「しかけ」がありました。ザリガニ釣り、ウニやヒトデをタッチできたり、「解説」も、単に魚の紹介だけでなく、「いごっそう親父」による「釣りとお料理の勘所」みたいなのもあったり、切り絵による解説があったり。あちこちに「おばけ」が隠れていたり…。あっという間に時間が過ぎたよ~。L2も「楽しかったね~」と。他の人たちも口々に言ってましたよ。お昼は、家族で久礼に行きました。大正市場で、おかずをいろいろプラスかつおタタキやお刺身の定食\(^o^)/ おとーさん、娘達と一緒なので、ずいぶんハイですわ。太っ腹!!海辺の八幡神社あたりをお散歩。「厄抜け石」を夫がくぐってるとこ(娘のブログより借用)。窪川の水車亭ってお店でお土産を買い(試食いっぱい^^;)、途中豚まんまで食べてお腹いっぱい…!! でもYHの夕食もしっかり食べました。昨日は日本酒。今日はワイン\(^o^)/ 次々出て来て、「せっかくだから」と飲んでしまったL2は(弱いのに)、真っ赤っかになって「ぎぼぢばるぃ~」とひっくりかえりそう~。ひっくり返る前に、ヴァイオリン弾くんだ!!と、おとーさん命令で、チャルダッシュとガボットと……ほかにもいくつか、よろよろながら弾きました。えらい!! L1は、10時半過ぎに、「これからクラブイベントに行く~」と帰っていきました。はぁ~?!でも、わたしも家にいれば10時11時なんてまだまだ宵の口です。旅に出ると、早寝早起きになりますね。12時前に、オヤスミナサイ。
2011.12.30
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12月29日ボアザンのパンで朝食。午前中、L1のバイク修理。もう2年以上ずーっと学校の駐輪場に放ってあったミニバイク。久しぶりにエンジンかけようとしたら、マフラーの中に蜂が巣を作ったらしい…と。昨年来たとき、マフラーだけはずして持って帰って修理してきたわけです。1年ぶりの修理。エンジンかけたのは、3年ぶりくらいらしい…。ちゃんとかかってた!! すごーい。お昼は、みんなで「オムライス」というお店のオムライス。これがおいしかったの~。夫婦二人でやってる小さなお店だけど、お客さんが入れ替わり立ち代わり次々と。L1もときどき来る店らしいです。続いて、イオンモールでお買い物。高知まできてわざわざ、ヒートテックとかパンツとか、普段使いの衣類を買うわたしたち…^^;基本的に夫は「買い物嫌い」なので、あんまりゆっくりできませんでした~。もうちょっとのんびり見て歩きたかったけどな~。window shopping 大好き~。名古屋では地下街をぶらぶら…が楽しみでしたが、長野ではあんまりできるところがなくて、つまらない…。閑話休題お泊まりは、高知ユースホステル酒の国共和国。ここは、オーナーさんがもと酒造メーカー勤務で、その後酒屋さんをやっていらした方なのです。昔の「禁酒時代」のYHではあり得なかったYHです。食堂には大きな冷蔵庫があって、高知の新酒がずら~っと並んでいます。利き酒会もあったりして、酒好きにはたまらない~宿。夫が、ここの談話室の床暖房を手がけたということもあって、オープン以来毎年年末に来ています。L1が受験のときも、こちらにお世話になり安心でした。今は在住…ということもあって、ほんとに「ご縁」だなぁーと思いますしかし、高知はほーんとに暖か!! 車に乗ってると暑いくらい。こういうところに暮らしてると、性格ものーんびりしてきちゃいそうですね~
2011.12.29
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10月6日(木曜)高知の娘の大学祭は土日ですが、娘の出番を確実に見逃さないように行くために、長野←→高知の移動に丸1日ずつ。さらに、実家にもちょっと寄ってこようと(カルミナの話も聞きたいし)、さらに1日追加して、木曜~月曜の「小旅行」となりました。木曜夜に実家に着けばいいので、午後ゆっくり長野を発つことにしていましたが、スティーブ・ジョブズの亡くなったニュースが飛び交っていて、なかなかパソコンから離れられず、結局ぎりぎりまで片付けたり支度したり近所の店にお土産を買いに行ったり。それにしてもショックです。ジョン・レノンが亡くなったとき以来の、こころの空白感。まだ56歳だったと…。 58歳で亡くなったわたしの母と同じ、膵臓がんだったというのも……T_Tーーーーー余裕を持って家を出たつもりが、電車の時間をうっかり間違えていて(長野駅到着予定時刻を、最寄り駅出発時刻と、つい勘違い)、玄関から徒歩1分の駅出入り口で「ゴーーー」っと電車の来る音が聞こえたときには、さーっと青ざめました。うわー。自転車で行くしかないじゃん!!慌てて家に取って返したところが、チェーンがはずれている!? うっそー。慌てて近くにあったボロ布を掴んで、なんとかはめて、駅まで飛ばしました。まさに、「歯車」が少しずつずれてる…という感じのスタートでしたが、特急「しなの」はきっちり走って、実家でおいしく夕食にありつきました。父からはカルミナの話をたっぷり聞きました。先日、大谷研二さんの第一回の練習が終わったばかり。こんな田舎の素人合唱団が、これだけの超一流指揮者を頼んで公演できることには、改めてびっくりですわ。壮大な「夢」実現に向けて、80歳近くなっても生き生きがんばってる親の姿は、なかなか嬉しいものですね。昨年プレゼントしたパソコンも、メールのやりとりなどに活用してくれているようで、よかったよかった^^ 「おい、添付ファイルが開けんぞ」とか、ときどき質問がとんできますけどね。今回も1つ問題解決してあげました^^夜はまた遅くまでスティーブ追悼のにこにこ生放送を見て夜更かし。新宿のAppleショップにも、花束や一口かじったリンゴがお供えされているそうです。Appleのウェブショップも、トップページはスティーブの写真になっていました。ずーっとMacのパソコンを使ってきました。この美しさ、見やすさ、直感的に脳と結びついているかのような使い心地、これからもずっとわたしはMacです。アップルスティーブ。ありがとう。新しいiPhoneの「4S」は、「For Steve」って意味なのですね(持ってないけど)。2007年に買ったMacBookも重くて、iPadかAirMacが欲しい…。滅多に持ち出さないので家では気にならないけど、今日は切実に思いました~。
2011.10.06
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長野に戻ってきました。さんふらわあが大阪南港に着いたのは7:20。途中、大阪か名古屋で買い物でもしようかとも思いましたが、大阪では時間が早すぎ、名古屋では改札を出たものの、タカシマヤ前の入場制限の行列にぎょぎょ。福袋にはまったく興味がないし、ドーナッツとお茶だけ買って特急しなのに乗りました。実家最寄り駅の多治見も素通り。またあらためて来るわね~、今年も元気で!と、実家の方向に向かって念だけ送りました。写真は、フェリーデッキから6:30頃の撮影です。灰色からうすい桃色に明けていく海と陸。いろいろな船が停泊しています。どこから来てどこへ行く船でしょうか。こういう時だけ、船旅もいいかもねぇと思います♪京都辺りは、屋根も畑も真っ白でしたが、長野に近づいても雪は無いどころか、かすかに雨。駅から20分余り歩いて帰ってカロリー消費しようかと思ったけれど止めました^^; 駅前の本屋をぶらぶら。買った本を読みながら10分ほど並んだ福引きで出たのは白い玉T_T うまい棒ですかぁ~(笑)【送料無料】音楽の旅・絵の旅価格:1,365円(税込、送料別)音楽評論家草分けの吉田秀和氏。随筆家としても有名です。冒頭からすぐに引き込まれてしまい、まるで一緒に旅しているようです。帰ってきたのに旅気分! でも、電車の駅の階段を上がると、すぐ目に入る我が家。あぁ、ちゃんと帰りを待っててくれた~と、ほっとするこの瞬間が好きです^^ 旅の間ずーっと楽をしてきたためか、帰るなりいろいろ家事をしたくなりました。貧乏性(笑) 残っていた紅玉のプレザーブを煮て、夕食も自分の好物をちゃんと調理しました♪ やっぱり、「我が家」はいいな!
2011.01.02
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元日は、今年も松山でした。カウントダウンのあと、二年参り。(…私は寒いので留守番(笑))みんなが戻ってから「年明けうどん」をいただきました。松山YHの大統領曰く「太く長く生きるのじゃ!」 まったく同感です。今年も、YHの手打ちうどんのように、コシのある旨い一年にしたいものです!写真は、先日の桂浜。太平洋ぜよ! でっかく行こう!! ーーーーー朝は、YHのおせち。夫は、もしかして私の作るお節は食べたことがないかも。彼は、結婚生活25年間のうち、家族揃って海外に出た1回を除く24回は松山YHでのお正月。私は産後だったり娘達の受験だったりで数回抜けており、「家でのお正月」ではちゃんとお節も作るのですけどね。元日は例年、「興居島(ごごしま)で釣り」と決まってましたが、今年は娘の希望でショッピングモールへ。広いこと! 大晦日の昨日、市内一番の繁華街ががら~んとしていて、どうしたことかと思ったら、なるほどお客さんはみ~んなこっちに流れちゃったのか~。普段一緒にいない娘との買い物は、私にとっても楽しい! あーだこーだと好みや望みを聞くことで普段の様子もうかがい知れたりします。でも、L2はすぐ飽きちゃう^^; 着ること、飾ることに興味が薄く、「実用主義」なのは父親そっくり。選んでやっても「うーん。どっちでもいい」「よくわかんない」なんて返事ばかりではこっちもつまらない(-_-; …で、昼食後は、離散家族となりました。夫とL2は、内子観光。寒かったけど、なかなかよかった…とL2。帰りは雪で高速道路も止まったそうです!L1と私は買い物三昧。長女のもの「ばかり」買いましたけどね! L1は、夕方には大荷物で高知行きのバスの人となりました。4日にはOSCY(Objective Structured Clinical Examination 客観的臨床能力試験)の説明会。8日に試験。2月にCBT(Computer Based Test コンピュータによる試験)も控えており、帰省しないのです。問題集も持ってきてましたが、松山では勉強はしてませんでしたね~(T_T) 実は、2日からダンスのレッスンも始まるそうで。大丈夫かね~。ーーーーーYHでは、元日の飲み放題・食べ放題パーティー。だけど、私はもっぱら「食べる」のみで、22:55発のフェリーで、大阪に向けて、1人松山を後にしました…。今回の旅でもいろんな出会いがありました。旅は、やっぱり楽しいなぁ。すっかり楽をして、かなりカロリーオーバーが心配です^^;(桂浜)家族でこうして旅行できるのも、あと何回でしょうね~L2、夫、私の足跡……
2011.01.01
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大晦日ですね。今年1年、おつきあいありがとうございました。あと数時間で今年も終わります。大過なく一年を終えられそうなこと、感謝します。1年の初めに立てた目標…みなさんはかなえられたでしょうか? それとも、来年に繰り越し? 私は年々忙しくなる感がありますが、今年はまた一段と輪をけけて時間に追われていたような気がします。夫と二人の暮らしになった分、いろいろ楽になるかと思いきや、逆に増えたような!新たな一歩を踏み出せた一年でもありました。まだまだ来年も、どんどん貪欲に楽しむぞっ!でももうちょっと、落ち着いて過ごしたいw―――――さて、食後一番に、1999年12月31日に松山で死んだ愛犬レディのお墓参り。3年ぶりに家族そろってできました。こんな鬱蒼とした竹林を登っていきます。かなりきつい。厚く落ち葉が敷き詰もり、竹も毎年伸びて、愛犬の眠る場所を見失いそうになります目印のバケツ(なぜか最初からそこにあった)と愛用だった首輪が目印です。お線香を立てて、娘たちが般若心経をあげました。調子よく進んだものの、途中で「むにゃむにゃむにゃ…。以下、略!」「ちょっと待って、携帯で検索するよ」「あったあった♪」 ケータイ画面を読み上げながら、お線香の火が完全に消えるまで、ちゃんとした般若心経を2度上げてました。そういう時代!竹林に風がわたっていきました。11年も経つけれど、YHに集う旅の仲間たちも愛犬レディのことはよく覚えていてくれます。このお墓参りは、わたしたちが毎年松山にくる表向きの「口実」にもなってるかも。L2に「お母さん、実の母親の命日にお墓参りに行った事ないのに!」といわれちゃいました!(なんと、初めて気づいた!^^;)―――――街に買い物に出て、初めて夫も含めて4人でカラオケに行きました!長女は、ハードロック系。自分が軽音で演奏した曲中心に。次女は、ボカロ系。初音ミクとかのテクノミュージック。にこ動で仕込んでるらしいです。姉妹で全然傾向が違うのがおもしろい! まわりの友人の傾向も違うんでしょう。夫は、どちらの歌う曲にも、同じように目を白黒してました(笑) 考えてみたら、彼女たちくらいの年齢の頃、私自身はロックとアニメ、両方はまってたんだわ…。むむむ。やはり遺伝か!?―――――夜には三社参りイベントもありますけど、今日は、過去25年のなかでもダントツぐらい寒いです。私はおとなしく留守番して、ここの名物の年越しうどんだけいただくつもり(笑)年寄りの冷や水はやめておきます~みなさまも、どうぞよいお年をお迎えくださいね。来る年も、変わらずよろしくお願いします。
2010.12.31
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今日は午前中YHのお餅つき。アメリカからの学生さんたちへのサービスでもあります。お餅つき経験は豊富な夫が音頭を取って、次々学生さんたちに杵を持たせて、3臼のお餅をつきました。わたしは奥さんたちを手伝って、ちぎったり丸めたり。わたしも結構年季が入ってるので、YHのまかない手伝いのおばちゃんよりずっと上手です(笑) おばちゃんは、「お餅つきを見たのは、7年ぶり!」と言ってました~大根のおろしとあんこでつきたてお餅を食べました。アメリカ人学生さんは、おろし大根の味に「スパイシー!」と感想を言ってました。なるほど~。その後、課題の「日本語による日記」を書いていましたが、「YHのオーナーがけなげでした」と書いていたとL2。「けなげ」?? 「勇ましい=brave」が、なぜか「健気」に置き換わってたらしいです。ふーむ。日本語って難しい~!L1と合流して、お昼はまた須崎へ。別のお店でふたたびの「鍋焼きラーメン」豚肉キャベツ。お肉いっぱい。おなかもいっぱい! ごちそうさま~~。松山への道は、雪でした。積もるほどじゃなくて、よかったけれど。これで本格的に積もると、長野人の私たちは大丈夫ですけど、地元の人達がヨロヨロ走るので、大変危険! 明日以降はちょっと心配ですね。道後温泉にさっそく入りました。のんびり~。やっぱりここのお湯はいいなぁ~。さて、これから松山YHのお餅つきです。みなさまも、年末準備、順調でしょうか?こちらは7臼。みかんをつき込んだり、青海苔をつきこんだり。いろいろバリエーション餅をつきます。あ~さっそく第一弾がつきあがって来ましたよ。私もお手伝いに行かねば! いつもここのお餅をいただいて帰って、我が家のお正月のお餅にします^^ 松山YHは、なかなか怪しいYHとして有名です。松山YH 来るたびに改装されていて、迷路のよう! いろんなしかけがあって楽しいところです。ではまた明日!
2010.12.30
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高知2日目。L2の希望で桂浜へ。よく晴れてました。太平洋を望む雄大な風景は、なんど来ても心躍るものがあります。龍馬の像の前で、写真を撮る親子。息子は2歳くらい。「ほら、龍馬!龍馬こっち向いて!」あはは。息子に言ってるのね~(笑)像の前にはお約束の「アイスクリン」売りのおばちゃん。(撮影・L2 手モデルも)お昼には、B級グルメとして人気ある須崎の「鍋焼きラーメン」を食べに。高知からの高速料金も、社会実験で無料です。L1のオススメで、元祖のお店「橋本食堂」で食べました。さすがに混んでて、20分ほど待ちましたが、うわさにたがわず美味しかった!お天気はよくて、車の中だとぽかぽか眠くなるほどだけど、午後からは風が出てきて、外はかなり寒かった~~(といっても、「高知にしては」ですけど)イオンで買い物したり、娘たちとおしゃべりしたり肩もみしてもらったり、のんびり~~とすごしています。出てくる前にはひび割れて血がにじみかけていたわたしの左手親指の「クレバス」も、ふさがってきました。夜はユースでカツオのたたき。そして持ち込みの「ウツボの刺身」。食っちゃ寝~~。ああ、シュフには極楽♪
2010.12.29
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高知にやってきました。家を出たのは朝3:30。普段、3時に寝ることもあるのに! 実際、高知の娘から「私はこれから寝ます~気をつけて来てね」とジャストのタイミングでメールが来ました。でもまさにそのメールで、夫が「!!!!あ、携帯忘れた!!」と気づいて引き返したのです。うわ。深夜割引間に合うか??(汗)そんなこんなでばたばた出発でしたが、道中は順調。中央道~名神~途中は寝ててよくわかんないけど、明石海峡大橋を通って、四国入り。徳島~香川~愛媛、そして高知。午後1時過ぎには、L1の住まいに着きました。やっぱり遠いよね~。娘はまだ寝てたけど! お昼を一緒に食べました。ゆず庵という面白いお店。一度行きたいと思ってたの。うわさどおりの「変な」お店! 味はなかなかでした。おなかいっぱい~!いつもの高知YHに宿泊です。アメリカからの学生さん19人が同宿。にぎやかです。L2が歓迎(?)のヴァイオリン弾いたり、夫が歓待にど○○くをふるまったり、とっても盛り上がりました。今は、若者同士で、アニメや漫画、ゲームソフトやにこ動などの話題で、引き続き盛り上がってます。片言の英語でのコミュニケーション。でも、ちゃんと「共通の話題」があるってすごいわね。日本の文化はたいしたものだと思います。L1は、今夜はよさこいの忘年会だそうで、明日の晩再び合流して、その後、ほんとの家族旅行となります。にぎやか~な車内の会話が楽しみです^^
2010.12.28
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月曜日(海の日)スーパーの袋(中)いっぱいの「モロッコインゲン」と「サヤインゲン」を持って生協の荷物を取りにきたSさんが、「今、貰ってきたところなの。半分置いていくね」と分けてくれました。Sさん家も家族2人。食べきれない~って。わお! 野菜大好き。ありがとうございます~ 先週は、キュウリとナスでした~♪ インゲン系のヘタは、キッチン鋏でチョキチョキ。スーパーで買ったときは、きちんと向きを揃えて袋に入ってるから、全部まとめて包丁で切り落としますが。ーーーーー旅行中だった夫が、無事帰宅しました。利尻のコンブと、白い恋人と、そしてなぜか、豊島屋の鳩サブレをお土産に。北海道小樽利尻屋みのや湯どうふ昆布「七日食べたら鏡をごらん」というキャッチコピーで有名な、ホラ吹き昆布の「みのや」さん。ほーんとに、楽しいお店。小樽にあります。 昆布も柔らかくて、おいしいんですよ~♪ さすがにこの季節、湯豆腐はしませんが、この昆布、いろんなお料理に使えて、しかも柔らかくて全部食べることができちゃう。そして、「白い恋人」。定番中の定番です!白い恋人・24枚入り一時期、賞味期限の改ざんが問題になり、製造・販売を自粛しました。北海道のお土産といえば、「白い恋人」と「三方六」そして「マルセイ・バターサンド」と思ってただけに、ショックな事件でした。無事復活して、ほんと、よかったです。 缶入りは、後の缶が使いやすくて、有り難いのですが、今回は紙箱でした。なぜか「鳩サブレ」。これは、宿で一緒になった旅人が、知人への土産に持ってきたのに留守だったので……と、夫は持参した、我が家印・特製あんずジャムと交換したそうです。いよっ! わらしべ長者! これぞ、夫の得意技です。\(^O^)/ーーーーーそうそう。朝のうちに、義母のお見舞いに行ってきました。この頃すっかり「週イチ」のペースになってます。義母はとても元気そうでした。でも、足だけパンパン浮腫んで腫れているのは、どうしたことでしょう。ちょっと心配です。ちょうどお風呂から出て、ピカピカの義母と、ゆっくりおしゃべりしてきました^^
2010.07.19
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さて、一夜明けて。 頭の中には、まだショパンが時折波のように寄せては返し…。バラード、スケルツォ、ソナタ…♪ ♪ ♪ 幸せを反芻しつつ、今日のお楽しみは…今度は「見る」楽しみ^^帰り途、北浦和駅徒歩3分の埼玉県立近代美術館へ、山本容子さんの銅版画を見に行きました。女性から見ても魅力的な方で、とても好きなアーティストです。かつて、『TSUGUMI』の装丁で一躍有名になりましたね。今回は、1970年代以降の代表作から最近の作品まで約200点。池澤夏樹の新聞小説の挿絵のほか、「ふしぎの国のアリス」シリーズ、、平安の古典文学中の少女たちをテーマにした『himegimi』シリーズ、谷川俊太郎の詩とのシリーズ、そしてオペラやJazzの名曲をモチーフにした『Jazzing』シリーズなどの本の「原画」がずら~りふしぎの国のアリス新装版 【Disneyzone】山本容子の姫君たち山本容子の食物語りあのひとが来て山本さんの原点の作品がバンドエイドやカミソリなんかをモチーフにしているのを見て、独特のユーモアあるモチーフはずっと変わらないんだなと思いました。版画としての「黒い線」に、不透明水彩(グワッシュ)の柔らかな色合いが加わって、あの独特な世界が広がって…!やっぱり、印刷された「平面」の絵とは全然違う。「ホントのオリジナル」だけがもつ質感というか、輝きというか…、それは昨日の、ライブの演奏で感じた感覚とまったく同じです。ホンモノを見られて、よかった~!web美術館でよければ 山本容子美術館 (←←←コチラをクリック!)絵はがきを買って帰りましたが…。やっぱり「ホンモノ」が欲しいなぁ~^^ いつかは…ね。夢です。山本容子 メリエスー月世界旅行 銅版画・手彩色 凧 映画を題材に凧に乗って月まで
2010.05.05
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約14時間かけて帰ってきました。L1は前の晩遅く電話で「打ち上げで飲み過ぎて運転できないから先輩ん家に泊めてもらう。帰れない~。ごめん!」と連絡してきまして。朝、駅まで送ってもらう予定でしたが、多分そういうことになるんじゃないかと織り込み済みでしたから。最寄り駅まで約15分。昨日までの歩きを考えれば、「へ」みたいなモンよね^^;青春18切符に、高速バスと特急しなのを組み合わせた、基本ローカル列車の旅は、時間はかかるけど体が楽です。特急列車の部分だけはしんどい! 特にしなのは、食べられない&読めない。後々まで気分も悪いです。振り子の揺ればかりでなく、モーターの電磁波の影響もあるのかなぁと思いますが。長時間乗車は大変だけど、がんばらなくてもほぼ座ることができるし、地元民の観察も楽しく、途中多少接続時間のある駅では外に出て買い物したりも可能。今回はたまたま往復とも名古屋のタカシマヤの地下でお寿司などを買いました♪ さて、今回は極力荷物を減らしたので、映像記録はビデオ、写真はケータイのみ。旅の間はアップできなかったので、2~3、載せておきます。地方車(じかたしゃ)☆高知のよさこいは、これがないと踊れません。後ろに向けて大音量で音楽を流すスピーカーと踊り子を照らす照明が設置されています。上に歌い手とMCが乗り込みます。すべて学生の手作りで、1台で100万円くらいかかってるとか。前日の雨で配線関係や紙製の提灯など準備が完全に終わらず、とても苦労したようです。(手前の白地のカンバンと赤文字の提灯は、道側設置のもの)踊り子たち。ビシッと揃って決めボーズ。手の鳴子は、激しい振りに落としてしまっても、絶対に自分では拾いません。踊りが乱れるから!(後ろを付いて歩くスタッフが拾い集めます)みなの憧れ花メダルと、ちょっとレアな木のメダル。踊りの途中で、審査員が目立つ踊り子に声をかけ、メダルを授与してくれます。普通のコイン型メダルが一般的だけど、中にちょっと特別なこんなメダルも。首に下げたり腰に付けたり。帰りの高速バス車内には、関東地方から踊りに参加したと思われる団体も乗っていました。まだ興奮してて声が大きい!(苦笑)、賑やかなオバサンパワーを発揮してました^^;「地元の活性化に」と一昨日の日記に書きましたが、L1の言うには「地元商店は持ち出しだと思うよ。お金もいっぱい出してくれてるし、運営の手伝いのために店を休んだり、営業してる店は大きく開放してエアコンの冷気を外に流したり…。高知の人は、この祭りのために1年間働くんだな!」54回目という高知よさこい。台風の勢いを吹き飛ばすほどに元気な若者の踊りパワーと、それを支える地元の熱意、そして全国から集まるファンの応援で成り立っているのですね。娘も、代表という大役を無事務めました。お疲れさま~! お金集めに人集め、衣装や曲や踊りを製作し、数十人に踊りを教えて、この本番。貴重な経験でしたね。「全然相手できなくてごめん!」と何度もメールで謝ってきましたけど^^; 熱き青春の燃焼を見られただけで、母は満足でした(親ばか^^;)
2009.08.12
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四国高知のよさこい見物2日目。朝早くでかける娘を起こそうと6:30にケータイ目覚ましをかけ、すぐにワンセグをつけて驚きました。静岡で大きな地震!kokutanさんは大丈夫でしょうか? 昨日一緒に娘たちのおっかけをしたお母さんも、名古屋まで夜行バスで帰られる途上のはず(6:30ごろ名古屋着と話していましたから)。心配です。夫からも「中津川あたりで中央線が止まっている。すぐ復旧するだろうけど…」とメール連絡が入りました。長野でも震度3の揺れがあったそうです。しかし、午後になって踊りが始まってしまえば、目の前のことにすっかり一生懸命。今日も文字通り足が棒になくらい、歩き、走りまわりました。動いてるときはまだいいの。娘たちの踊りの順番を待ちながら人波の中でじーっと1時間近く立って待ってるのがつらいのです。まずジンジンしてきて、そのうち感覚がなくなり、動き出そうとしたら、足がつったようになり!でも、自分でもまだまだ足腰は大丈夫だわ、と自信をもちました。わはは。今日は台風一過のカンカン照りで、汗も1日中、全身あちこちからしたたり落ちてました。こんなに汗かいたのはどれだけぶりでしょう!?(冷や汗ならしょっちゅうかいてるけど~) これだけ汗をかいておけば、今年の夏も、夏ばてせずにすごせそうです!(ほんとかな?)元気なのは、踊り子さんたち。5~20分以上の踊りを、あっちこっち会場を換えて1日何度も踊るわけです。でも、どこで何回見ても、みんなすごい笑顔。どこの連の踊り子さんたちも、です。沿道を埋めるお客さんたちへ、こぼれんばかりの笑顔をふりまきながら、おもいっきり激しい踊りを力いっぱい踊るんです。おもわずうれしくなって笑顔を返しちゃいます。今年は171の連がエントリーしたようです。町内会、子ども会、会社や学校、そして県外の県人会や、よさこい大好きな人々が北陸、東京、神戸などなどあちこちからたくさん踊りにきていました。昨日一緒にまわったお母さんが半ばあきれたように話していました。お嬢さん、6年生。就職試験の真っ最中だそうです。1つ受けて、よさこいに戻り、またすぐ名古屋にとんぼ返りして2つ受けるのだとか。「来年は忙しいから今年くらいしかできないんだよ」と6年間いい続けて、結局ずーっと踊ってたという(笑)…まるでうちの娘のお手本のような…!)「さすがに研修医となる来年は無理でしょうね~」とおっしゃってましたが、さぁわかりませんわよ~(爆)娘も、代表を無事務め上げました。ご苦労さま! これは、やめられないね。気持ちがよくわかったわ~。わたしも、おもいきり熱くて暑い高知の夏を、堪能しました。気がついたら、お土産1つ買ってません。今回は、各方面に「勘弁」してもらいましょっと…。おばあちゃんには、たくさんとった映像が、一番のお土産でしょうし!
2009.08.11
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家族旅行…というテーマだけれど、一人旅。家族を訪ねる旅です。高知に来ています。L1のよさこいを見るために♪ 今年彼女はよさこい3年目。学校の連の「代表」を務めています。衣装、音楽、振り付け…とすべてにかかわっているのです。まったくねぇ、もじどおりの「お祭り娘」ですわ~^^;さて、わたしは節約のためもあり、基本的に「青春18切符」での移動でした。完全に各停だけだと、長野から高知まで1日ではつながらないので、朝6:09の「しなの」で中津川まで。そこから岡山までは各停を乗り継ぎ。岡山から高知は、コスパで高速バスを使いました。夜7時半ごろ高知駅着。娘は、準備でおおわらわ。家にもまともに帰れないという状況なんで、わたしも勝手に上がりこんで、勝手に食べて、勝手にネット…しようと思ったら、パソコンがない!(よさこいで使ってるんだって~泣)娘に尋ねて、ネカフェでこれを書いてます^^;なんだか台風も生まれそう…、前日にこんな雨模様なんてここ数年なかったことらしいです。よさこいって、地方車(じかたしゃ)というトラックにあれこれ飾り付けをし、音響機材を積んで、オリジナルの音楽をガンガン鳴らしながら、それにあわせて踊るんですって。雨が降ると、基本的に「紙製」の飾りつけは、ぐちゃぐちゃになる! 電飾の配線にも問題アリ! 音響機材も壊れるかも?? さっきちょっとだけ荷物取りに帰ってきた娘、あせってました。なんとか晴れてほしいものと思ってますが…。私の晴れ女パワーは、効くでしょうか?!初めてのよさこい、ビデオ片手に、おおいに楽しみたいと思います!!それにしても…、一日中乗り物にゆられて、まだふらふらする~ぅ @_@
2009.08.09
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昨晩のお客様は、れっきとした女性でした!(笑)「だって、書き込みの文体も内容も、男性っぽかったんだもん。でも、初めて声を聞いて、えって思って…」と夫。話を聞くうちだんだん納得。というのも、これまでの職業経験は、アメリカに10年以上住み、あちらではバイクショップにお務め。帰国後は木造建築の大工さん。その後、もっと物作りがしたくて溶接の学校へ行き資格をとったものの、どこでも「前例がない」と断られ、あげくに「女子更衣室がない」とまで言われて溶接工としての就職を諦め……。今は、バイク乗りの経験を生かして、バイク中心の記事を書き、ライターとして生計を立てているそうです。「親も、男がやるようなことばかりやって…と呆れてます」でも面と向かっていると、すごく女らしい方。意外性がおもしろい!「最初書いた記事は、真っ赤っかになって返ってきてました~」私が校正の仕事をしてるというと、笑って言ってました。話す内、夫の友人とも長いつきあいがあったことがわかり、互いに驚いていました。東京・大阪・長野の3人……世間は……否、日本は狭い!前日も一睡もしてないという彼女でしたが、夜中2時過ぎまでワインを飲んでしゃべり、今朝は7時に例の「御開帳目当て」という夫の別の旅友達と出かけていきまして。さっき一旦帰宅して、今度は近くの里山散策へ。午後には、今回の本来の目的地、静岡県富士市へ向かう予定。タフですね~。2人が飲んでたのは、こちら。一升瓶入りの長野産ワイン。素直な味だとか。井筒ワイン ヴェルジェ 赤1.8リットル イヅツワイン私は赤ワインを飲むと頭痛になるので、ビールでカンパイ\(^o^)/ーーーーー今日は次女の学校祭。午後イチで、わたしもクラスのパフォーマンスを見にいきます。L2は部活が忙しく、クラス関係は、練習しなくてもOKな役をもらい、瞬間芸のように数秒だけ「椅子の役」での舞台登場だそうですが。 椅子の役??? 見てのお楽しみですと。
2009.06.20
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居間の壁に飾られた、想い出の写真たち。土曜日の午後は、実は突然の来客で、校正の仕事は全然できなかったのです。お客様は、左下の写真のこの人。一緒に写ってる娘(当時3歳)は、17年後こうなりました^^ お客様は、旅のお友達「Iさん(通称かえるさん)」です。「イーっ!」の写真は、1992年夏、北海道行きフェリーの船室内で写しました。この年の5月連休に、生後約半年になった次女の初めての九州旅行で、出会っています。夏の北海道行きフェリーの船内で偶然の再会。以来17年の長いつきあいです。「あの時のL1ちゃん、もう日記書いてて。衝撃の出会いでした」と想い出を語りつつ、この写真の写真を写していきました。夫のmixiで、あの「焼きそば」(2月1日の日記)の記事を見て、「旅の途中に食べてきました。近くだから久しぶりにlemi家にも寄ってみたんです」というわけでした。最近、旅はどう?と聞くと、「世の中の若い人たちが動かなくなって、新しい出会いも少なくておもしろくないですねー」と言います。「ぼくもあんまり動かなくなりましたよ、近くばっかりです…」なんて寂しいことを。「お正月は関西。3連休は九州の温泉。あとは北海道に1度行っただけで、長野の○○(宿の名)に数回来ただけですからね…」^^;;;;;;額面通りに取るんじゃなかった~!まだ2月半ばなんですけど^^;夫とも「旅好きですっていいながら、日本全県泊まったことないなんて人、最近はざらにいますからねー。全市町村を通過したことのない県て、いくつぐらい残ってます?」「さぁ、もうほとんど残ってねぇと思うよ」なんて会話をしてました。濃い……。「こういう旅人は、日本中に今何人くらいいるんかなぁ」「さぁ、何千人、の単位より多くはないでしょうねぇ」(いないいないってそんなに!!)授業日だった次女の帰りをぎりぎりまで待っててくれましたが、残念ながら時間切れでした。またどうぞ~、なんて言ったら、すぐまた来週、来ちゃいそうですね^^;ちなみに、冒頭、壁の写真の額は、夫作です。うち1つは、幼稚園の庭木のプラタナスで作りました。木を伐ったことを園児達がとても悲しんだのを知って、卒園記念に制作しました。卒園児の数分しか用材が無かったのは残念でした。その後、園舎は建て替えられ、庭木はほとんど伐採されましたから、この額は、よけいにいい想い出となりました。
2009.02.14
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4日(日曜)の日記。朝、長女の車で高知インター近くのバスターミナルへ。高速バスで岡山へ。約2時間半だから案外近いのです。以前次女と18切符&土讃線各停で行ったときは、むちゃくちゃ長旅でしたけど。岡山からJR吉備線で3つめの駅で降り、地図を片手にえっちらおっちら歩くこと数十分。どこへ?高速道路の吉備サービスエリアまで!娘がプリントアウトしてくれた地図が見づらく歩き出し方角を間違えた(駅前の道のカーブを見間違えたT_T←地図を読めない女!?)のと、長女宅で荷物が増えて重くなったのとで、案外時間が掛かってしまいました。ふーぅ。疲れた~。でも、JR駅と高速サービスエリアとが歩ける距離(1.5kmほど?)にあるこの場所で合流する夫のアイデア、なかなかのハイテクです。吉備サービスエリアは、「高速に乗らなくても、お買い物やレストラン利用だけでもどうぞ」って看板が建ち、外に駐車場もあります。普段なら、無料の無線LAN「ホットスポット」も完備されて居心地よくのんびりゆったり休憩…なんでしょうけど、この日はさすがに大変混んでいました。夫や次女は、朝下関のYHを発ってここで合流。昼食を急いで食べて、ベーカリーショップで「もものパン(参考の画像はこちら」を買っていざ長野へ→→→先の渋滞も心配です。さて夫と次女は、別府で「 別府スパポート 」を手に、「温泉道」をきわめる湯遍路も始めたそうな。「表泉家(おもてせんけ)」の88湯を8湯入るごとに段位が上がり、7段以上は「湯名人」。全部巡ると金文字入りのタオルが授与され、「温泉道名人」として肖像入りで永年展示されるんですって。はぁ~。頭から湯気が出そうな…と素人は思うけれど、夫は今の温泉ブームが来るずーっと前から温泉好き。日本全国の湯仲間と情報交換をしながら、夢中なころは一日9湯でも10湯でも湯巡りしてました。中でも別府は大好きなところ。次女は幼稚園の頃からそんな夫について回っていて、しっかり血を受け継いだって感じ^^; 四国のお遍路とともに、いつか満願成就がんばって~。ETC割引(長距離ではとても重要!)の都合で途中のんびり仮眠を取りながら、夜中を少し回ったころに自宅着。…家が無事建ってるのを道の向こうから確認すると、ほんと安心します^^ さて。また日常だっ!
2009.01.04
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あけましておめでとうございます!今年もよろしくおねがいします。2009年1月1日に日付が変わる瞬間は、YHの前でカウントダウンで迎えました。夫や二女を含めたホステラーさんたちは三社詣りに。私は留守番。だって寒いんだもの。みなが戻ると、2時頃から、「太く長い」人生を目指して年越しのかま揚げうどんがふるまわれます(四国らしい、でしょ)。薬味には細かくきざんだみかんの皮も。なかなかいけます。元日の朝は、YHお手製のおせちのバイキング。みんなでまるめた紅白のお餅が入ったお雑煮も。もうここでのお正月を、何度迎えたことでしょう!例年と違うのは、このあと離散家族になること。10時過ぎの高速バスで、私は高知の長女宅へ戻りまして、夫と二女は、九州へ。ところが!バスに乗り込んだ直後、夫からメールが…。「川之江~南国間、高速通行止め。つけるのか~?」すぐ、バスの運転手さんからもアナウンス。「お乗りいただいてすぐでもうしわけありませんが、雪で除雪が間に合わないらしく、高速道路が途中不通となっています。高知到着は何時になるかわかりません。ご了承ください…」あらら。でも雪ならしょうがないT_T川之江で一般道に降りた後は、ところどころ大渋滞。かずら橋で有名な大歩危小歩危あたりかなりな降雪で、一寸ずりでした。「元旦だ~、ハリシに行くぞ~!」って気合い十分で出てきた風の幅広タイヤ&ハコ車のにいちゃんたち、対向車線に横向きに止まったまま困り果てて、車の外でたばこふかしてたのには笑えました。けど、後続対向車はそのまま大渋滞。お気の毒さま…。幸い豊岡で高速に復帰し、そこからはバンバン順調に走って、結局2時間遅れの2時すぎに着きました。お昼と長女と食べる予定にしてましたので、もうおなかペコペコ。ふー。大変でした~。午後は、夜8時すぎまで2人で買い物三昧。ほとんどすべて長女の服^^; Tシャツ、ジャケット、Gパン…。でも二人であれこれ選んで買いまわるのは、すごーい楽しいっ!女同士です~。食材を買い込んで帰って、二人でしゃぶしゃぶを食べました。実家では元旦の夜は「すき焼き」って決まってたけれど、長女があっさりしたものがいい」というのでね。夜は、長女お勧めのマンガ「昨日何食べた?」を読みました。忙しくてほとんど自炊してない長女がこの本を読んで「作ろっかな~」という気になったとか。たしかにおいしそう。でもゲイのお話ですけど。明日は、長女&彼氏と晩御飯食べることになってしまった~。どうしよう。ドキドキ。いや、こっちがドキドキすることないのか…、そうおもいながら、やっぱり何話そう~とか、やな奴だったら困るな~とか、心配であります!
2009.01.01
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大晦日ですね。今年一年、みなさまお世話になりました。忙しい中にも、楽しみたくさん。あっという間の1年間でした。お友達のみなさんも日々充実してるかたがたばかり。いい刺激をたくさんありがとうございました。さて、一年最後の一日。愛犬レディのお墓参りは欠かせません。毎年、暮れにはこうして松山に来るのは、それが理由のひとつでもあります。レディは17年飼った愛犬。1999年12月31日、年末年始の旅行中、ここ松山で亡くなりました。もう17歳。そろそろお迎えは近い…と思いながら旅に連れて出ましたが、ここで力尽きました。お墓は、YHからほど近い国有林の山中に作りました。ここならそう簡単には家が建ったり掘り返されたりしないでしょう…。ただ、お墓参りに行くのは大変^^;<かなりの斜度のある竹林の尾根あたりです…><赤い首輪と、近くにあった古いバケツが目印>いつまでお墓参りを続けられるでしょうか。こんな心配するとは、私も足腰に自信がなくなったってことね~。そのまま、すぐそばにある石手寺にお参り。やけに人懐こい野良猫がいて、ちょっと声を掛けたらわたしの足に上ってきた…!うぎゃ。午後は市電で街に出て、本物のインドカレーをはふはふひーひー言いながら食べました。辛い!ナンがおいしい!熱い!本物だっ!うまかった!街歩きの途中入ったお店で一目ぼれした石のネックレス…。さんざん迷って、やっぱり買ってしまった!今年最後のお買い物かも。どんな服に合うかな~と思い浮かべながら、楽しいお買い物でした。あわせて、同じ店でぐい飲みも一つ。旅の思い出です。夜は、昨年もここで会った声楽家の女性(私たちと会うことを予想して楽譜ご持参)や毎年ここで会う長年の次女のファンのご夫婦(幼稚園の頃から!)やさっき初めて会った大阪のご夫妻、ご家族連れたちと即席音楽会でした。クラシックの名曲から童謡唱歌まで、2時間以上歌っていたでしょうか。紅白そっちのけ^^; 楽しく夜は更けていきました…。さて。あと数分で「あたらしい年」。今年も歌って始まり歌って終わりました。来年も、楽しく過ごせますように。みなさまもどうぞよろしく!
2008.12.31
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昨日の少年がどうしても沢マンを見たいというので、一緒にでかけました。彼は持参の自転車で行こうとしたのです。あっという間にパタンパタンと小さく畳める自転車。すでにそれで数万キロは走ってるそうです。夫と似てるわぁ~。でもせっかくなのでわれわれの車に一緒に乗ってもらって。長女の部屋は、年末大掃除とやらで足の踏み場もない^^;年内に片付くんでしょうか~??大家さんに、長野からのりんごを持参してご挨拶。「本当にいいお嬢さんで…」とほめていただきましたが、夜中に出入りし、昼間で寝てるような娘をいい娘といえるのか!?ま、いっか…^^;さて、長女とはここでわかれてわたしたちは一路松山へ。スーパーで食料を買い込んで、お昼はピクニック。道中の神社境内で、狛犬とにらめっこしながら食べました。海鮮ちらしが、東京とも長野とも違う、貝やらシラス干しやら乗っていて、なかなかおいしいお弁当でした~。(ちょっと寒かったけど!)松山到着、すぐ道後温泉。温泉本館は、今日も混んでました。多分明日になったらもっと混むでしょう。真新しい木の湯桶…のほかに、青いプラスチックの桶も並んでいて、ちょっと驚き。時代の流れでしょうかね~。しっかりあったまりました!さて、松山YHでは30日夜はお餅搗きと決まってまして、夫は搗くお手伝い、わたしはまるめるお手伝い。お雑煮用、お鏡、あんこ入り、最後にはみかんを入れたり、子どもから大人までホステラーさんも次々参加して全部で8臼ほども搗きました!関西のお雑煮は丸餅なので、女ばかり7~8人の手で紅白の小さな丸いお餅に形づくっていきます。くるくるくるくる。作り手によってすこーしずつ形も大きさも違うのは面白い。最後のみかん餅はみかんを皮ごと搗きこみます。ほんのりオレンジ色で中にはあんこを入れてまるめて、外に黄な粉をまぶします。おいしいですよ~!夜も更けて、関係者だけになったところで、次女のヴァイオリンにリクエストが。「G線上のアリア」や「モンティのチャルダッシュ」、「ユーモレスク」を弾いて拍手を浴びていました。どこでもだれの前でも気軽に弾けるってうらやましい。旅行用にウン万円で買ったクライスラー(通販)の中国製ヴァイオリン、大活躍です。ケースが軽いのは、飛行機では心配ですが、車や鉄道移動でほかに荷物がある場合はとっても楽。旅の最初は、低音の鳴りがいまいちでしたが、やっと響きに深みが出てきました。次女も扱いに慣れたのかもしれません。一人の旅になったら、ケースを広げて、前に置いてバスキング旅ってもんだわね~♪夜はずいぶん冷えてました。おだやかな年の暮れを祈ります。
2008.12.30
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高知2日目。朝は雨が降ったようですが、おきたらもう晴れていました。うふふ。朝食食べて、のんびりコーヒーをいただいて、今日の目的地は「久礼(くれ)」。大正市場という小さな港町にある市場で、かつおを食べました。次女はかつおのたたき定食。夫はかつおの刺身定食。わたしはかつおどんぶり。うー。満腹!…といいながら、お向かいの店で、5センチくらいの小さなタイヤキを歩きながらぱくぱく。ちゃんと餡がしっかり入っているのには感動。小豆、うぐいす、栗餡の3種類。ついでに隣の店で「いも天」も買って、もぐもぐ。近所のお菓子やさんで「中菓子(ちゅうがし)」という高知のお菓子を買って、ぽりぽり。ちゅうがし・いもけんぴ・いもじゃないけんぴなど、高知のお菓子のサイトはこちらをクリック。お向かいにある小さな灯台のある島にも歩いて行ってみました。海がきれい!こういうところで獲れる魚だから、あんなにおいしいのでしょうね~。長女が「高知最高!」っていう気持ちもわかる気がします…(でも、卒業後はちゃんと帰ってきてほしい親心を、今回しっかりインプットしてきました!)四万十をさかのぼってみました。冬でもあり、いまいちな景色。ちょっと残念だったかな。増水時には水に沈んでしまうという「沈下橋」もわたってみました。欄干もなくてちょっと怖い~。四万十らしい風景でした。夜、談話室で話した社会人1年生の男の子。偶然にも、わたしが小学校時代をすごした愛知県の某市出身。現在は東京暮らしという、獣医1年生。初一人旅は、中学2年生。親の目を盗んでママチャリで自宅から大阪までの2泊3日の旅だったとか。中国の奥地やアフリカ先端、学生時代アルバイトのお金はすべて旅に注ぎ込んだのではと思うくらい、筋金入りの旅人でした。こういう息子がいたら面白そう~~!そんな彼に長女の住む「沢田マンション」の話をしたらすごーく興味を持っちゃって^^;彼の人生が変わってしまったらどうしよう~。ほほほ。旅では、新しい食べ物と、新しい人との出会いがあるからこそ面白い!!ユースホステル旅の醍醐味でもあります。さて明日は、高知を離れて松山に向かいます。そろそろ体重が心配です…!
2008.12.29
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日曜日の日記。せっかくなので…と、次女がお遍路さんをはじめると言い出しました。夫(お父さん)に納経帳とお札を買ってもらって、スタートです。1番龍山寺ここから2番の極楽寺まではわたしも一緒に歩きました。1キロちょっと…だったでしょうか。少し風は強かったけれど、日差しはとても暖か。足の長い^^;次女と歩調をあわせようと頑張ったら、汗がにじみました~。3番の金泉寺には立派な龍の像がありました。続きは、「一人でいつか来る~~」と次女。夫は10年ほど前に自転車遍路してますが、彼の場合は煩悩たっぷり残したままのお遍路さん。次女はちょっと「スタンプラリー」感覚。あるいは「オリエンテーリング」感覚?いつかね~~。夕方高知入り。高知YHでは、次女と同じ学年の息子がいて、友達も呼んで次女のヴァイオリンを楽しみにしていてくれました。B型同士、話が合うのよね~。ここは別名「酒の国ユースホステル」。オーナーがもともと酒造会社勤務でお酒屋さんだったんです。だからおいしいお酒がたくさん出てくる!ふっふっふ~。なかなか幸せです^^おいしくいただきながら、夜は更けていきました…。
2008.12.28
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土曜日の日記。雪の影響で、渋滞している箇所を迂回し、順調に関西圏を抜けました。夕方4時台の早い時間に明石海峡大橋通過。そして4時台の遅い時間に、大鳴門橋で徳島入りしました。今日はちゃんとおいていかれることもなく(笑)、通過できました!この日は、「道しるべ」という「とほ宿」泊まり。とほ宿というのは、男女別相部屋が基本の、たびびと宿です。ユースホステルのような…でももうすこしゆるいかんじのネットワークを組んでいます。ここはまだできて数年の若い宿ですが、八十八カ所霊場の1番から3番までが近くにあり、お遍路さんもよく利用するという宿です。この日も、すべて回り終えた満願の若い青年が来ていました。全部歩いて回るお遍路さんを「歩き遍路」といいます。標準40日といわれているそうです。この方は36日で回られたとか。定員20人ほどの小さな宿ですが、満室でした。さて、明日は高知で長女と合流です。北日本は雪で大変とニュースで言っていますけど、四国はさすがに暖かで、いい天気。クルマの中は暑いくらいでした。おだやかな年の暮れになりますように…。
2008.12.27
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昨日の日記の続きです…。朝9時。いよいよ出発の時刻が近づきました。ずしりと重い荷物を、玄関に運んで、さて自転車を取りに…と地下自転車置き場に行った彼女が、手ぶらで戻ってきました。「パ…パンクしてましたぁ~」トイレに入ってた夫も、思わず力が抜けてしまったような…^^;「でも、俺がまだ居る時でよかったな」と。昨夜、タイヤ交換したはずなのに(しかも昼間彼女自身が乗って、城山公園までひとっ走りしてたはず…)なぜパンクなど!?といぶかるわたしに、夫は…「パンクなんて、するときはするのさ~。それに、まさか『キミの体重が重いからパンクしたのさ~』なんて言えないダロ?」^^;;;;それに、昨晩交換したのはタイヤであって、チューブはそのままだから…と。あ、そっか…。何もわかってないワタシです。玄関先であっという間にパンク修理して、気を取り直して出発準備。ちなみに夫は、自転車クラブのツーリングで悪路を走ってた頃は、自転車店のGさんとのパンク修理競争に勝ってた…とか。荷物を装着した自転車です。前日のTVの箱には、この4つの袋が、きっちりはみ出しそうに詰められていたのです。我が家の前で記念写真を撮って、いざ出発!いいお天気ですが、ちょっと風は冷たくて、「早まったかなぁ~」なんて弱気なこと言ってます。彼女ちょっと風邪気味なんです。大丈夫かな…。いい旅になりますように!また元気に日焼けした顔で、戻ってきてちょうだい!!!行ってらっしゃ~~~い!!!!☆で、夫はこの直後に、反対方面に向かって出発しました。今日は、旅人宿で、タイヤキを焼くそうですっ☆夫がタイヤキマシーンを買ってきた時(3年前)の日記はこちらをクリック!
2008.04.12
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昨日、大きな荷物が届きました(スリッパのサイズと比べてね)。15kg以上の重さが。そして今日、この手の持ち主(昨年10月4日の日記)が、再び泊まりにやってきました。そう、春の旅立ちがやってきたのです~。冬にスキー場でバイトしてお金を貯め、いよいよ、日本一周自転車の旅、後半戦の南半分に、明日出発です。荷物の中身は、彼女の旅の荷物です。振り分けで、前に2つ後ろに2つ。衣類や自炊道具などなどが。冬の間に、例の腕時計の跡も、だいぶく目立たなくなっていました。夫がレクチャーしてタイヤ交換、旅程の相談、そのあとカタログをみながら次女の自転車の機種選びを…。値段は車体重量に反比例する…とか。10kgを切ると、どひゃーっとお高くなる。スピード重視だとほんとに軽いものがいいのでしょうが、夫はスピードはそんなにでなくてもいいけれど、「輪行りんこう」といって、自転車を分解して袋に詰め、列車などに持ち込んでの旅が好きなので、次女にもある程度軽いものを買ってやりたい…でもそれにはお値段が…と、悩ましく。結局11kg台の機種に落ち着きそうです。いくらするんでしょ…^^;ちなみに、彼女の自転車は、ずっしりしっかり17kgもあって頑丈~。重い荷物を付けても大丈夫。でもトータルで30kg以上。体力勝負ですね~!(坂道では、プラス自分の体重分も含めて、2本の足の力で上るのですから!)夕飯も、もりもり食べていました。にこにことおだやかな笑顔のすてきなお嬢さんです(自転車+スキーで真っ黒だけど^^;)。上越ー北陸ー山陰ー九州ー沖縄ー九州ー四国ー山陽ー関西ー東海…と走るのかな。自宅のある愛知県に戻るのは、いったいいつのことになるのでしょう。。。わたしもちょこっとだけ母親気分です。とともに、こういう旅人が家に来る度に、若いっていいな…と羨ましくもあります。自分とはあまりにも違う青春の姿です…。夫は、仕事を辞めたら「出たきり老人」になると宣言しています。反面、こういう若者のお世話をしたい思いもあるらしく。結局「人が好き」なんでしょうね~♪m
2008.04.11
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30日の日記 つづき…長女が最近沢マン内で引っ越したので、新らしい住まいを見たいわ…と、広島まで来たついでに(かなり遠いのだけれど)高知へ足を伸ばすことに。本州から四国へ橋を渡る直前のガソリンスタンドで、車に燃料を補給。あー。トイレも借りたいなぁと思いながらも、外は雨だし寒いし、も少しがまんしよう…と思い…。そしたらば、支払いを済ませた夫も、トイレに行きたかったらしく、車を少しトイレ前に移動させ車を降りたのです。「あ~。わたしも行く!」と後を追って、わたしは女子トイレへ。すっきりして出てきたら…。車がない!!ないないない!!!いない!!!!げげ~ぇ。ワタシを置いて、出発してしまったということ!?バッグも電話も何も持たずに車を降りたんですよ。どうするどうする!?まったくねぇ。前代未聞な出来事に、一瞬呆れて、笑い出しそうになったワタシですけど、笑ってる場合じゃありませんよ。。。スタンドで電話を借りて、夫に電話しましたとも。「もしもし」「はい、どなたさま?」「どなたじゃありません。わたしです」「は?」「いまどこ?」「どこって…?」「わたしはまだスタンドです」「……… えっっ、え~~~~~~~っっっっっっ!!!後ろで寝てたんじゃないのかっ!?」スタンドのお兄さんが、「僕も、子どもの頃、父親に置いて行かれたことがあるんです…。これで気持ちを慰めてください…」と、ホントはお客さんに配るはずのマーガレットの鉢植えをプレゼントしてくれました。や、やさしいぃぃ。ありがとうございます。親切が身にしみました。
2008.03.30
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30日の日記母方の伯父の一人は、早稲田大学在学中に学徒出陣で特攻隊に志願し、亡くなりました。今日は、その伯父の遺影と遺書が展示されている、江田島の元海軍兵学校を親族で訪ねました。ここは今は、海上自衛隊幹部候補生学校になっています。案内の方は、広島弁ならぬ佐賀弁全開で楽しく案内してくれました。幹部候補生の入学式が2日後に行われるという大講堂には緋毛氈が敷かれ、入学式準備が整えられていました。子どもたちだけはここで写真を撮って、優秀な幹部候補生にあやかってくださいといわれ、娘たちが壇上で敬礼姿を写してもらいました。「あー、違う違う。水平に手を挙げるのは陸軍ヨ。海軍は船の上で狭いから、肘は45度まで、手も縦ヨ」と、教わっていました。なるほど…。教室のある煉瓦造りの建物には、渡り廊下がまっすぐ続いているのが見えます。「ここでは、『廊下は歩くな、走れ!』というんヨ」とも。ほぉ~。所変われば…です。教育参考館という建物に海軍関係者の遺品や特攻隊員の遺品や遺書が保存されています。 伯父の写真と遺書も展示されていました。 直接伯父を知る親族たちは、涙で見入っていました。達筆です。伯父だけでなく、ほかの展示されている遺書もみな達筆で、死に向かう覚悟や両親に宛てた感謝がしたためられていました。こういう一途な若い命が、無駄に散っていったことは、ほんとうに残念でなりません。今のイスラム圏の若者による自爆テロもまったく同じだと思うのです。我が命を捨てても国を守りたいという思いは立派ですが、特攻や自爆テロでは決してだれも幸せにすることはできないのです。帰りはフェリーで広島に渡り、車窓から原爆ドームを見て、新幹線で帰る親戚たちと別れました。次回親族会はどこで開催になるでしょうか。「東京組、よろしく」という声や「おじいちゃんのふるさと、京都がいい」という声もあります。祖父の遺骨は大徳寺に分骨されていますし、ひいおじいさんも韓国の地に自費で西本願寺の別院を建てたほど熱心な信者だったそうですから、それもいいかもしれません。また会う日まで。みなさんお元気で…。我が家族は尾道へ戻って、自家用車に乗り換え、長女とともに高知へ向かいます。……が、途中でとんでもない事件が!(それは30日の2回目の日記に続く…としましょう…^^;)
2008.03.30
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3月29日の日記 (31日夜中に無事帰宅しました。1日分ずつ更新しま~す)今年は、母方のひいおじいさんの70回忌です。母方の宗派である浄土真宗では70回という年忌法要はないそうです。けれどもそれは、「していけない」わけではなく、そしてまたそれを口実(?)に親族が集まることは、亡くなった人たちも空の上で喜んでくれているだろうと、亡くなった祖父母や伯父伯母たちも含めて一族の合同法要の形で親族会が行われることになりました。生後3ヶ月の赤ちゃんから80歳を超す伯母まで、45名が尾道に集合しました。お寺でも宿でも驚かれました。ひいおじいさんから数えると、わたしがひ孫の世代。その子やさらには孫の世代まで。我が家も夫や娘たちもをつれての参加です。昨年韓国での親族会は17名参加でした。それだけでも十分すごかったけれど、45名は「壮観」でした。こうして子孫がつながっているって、すごいことです。亡母の9人の兄姉のうち、健在なのはたった一人ですが、その子(わたしを含めたいとこ世代→43~77歳)や孫の世代やそのまた子どもの世代…は、一人も欠けていないのです。ありがたいことです。みなさんのアドバイス通りに子どもの頃のアルバムを持っていって、とても喜ばれました!在りし日の母やおじいちゃんや伯父伯母の元気な姿も写っていて、みんな懐かしそうでした。わたしの母は、みんなの「アイドル」だったのです。年上の伯母たちからも、年下の従兄弟姉妹たちからも、母はほんとうにかわいがられ、慕われていました。「あんたは亡くなったお母さんにそっくりじゃ」と口々に言われて、くすぐったいながら嬉しかったりして^^(性格は、あの優しかった母とは全然似てないワタクシなもんですから…)夜遅くまで、語りました。あ~楽しかった。血縁というのは、不思議です。これまで数回しか会ったことのないような従兄の爪の形が、亡母とそっくりで驚いたり。生き別れで、2年前に60年ぶりに消息のわかった従姉妹の声がそっくりだったり…。みんなのDNAがどこかで繋がっているということに、感動しました。記念写真です。上の小窓には、祖父母と母を含め亡くなった8人の兄弟姉妹が若かりし日の笑顔で一緒に写っています。
2008.03.29
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1月4日ぎりぎりまで決まらなかった夫の予定。当初は、わたしと二女だけ先に帰長して、夫は離島へ旅を続ける…とずっと話していたのですが、結局「やっぱり一緒に帰る…」といい出しました。わお~。ラッキー!だって、夫が別行動ならわたしと二女は、・青春18切符「鈍行列車の旅」で、延々のんびりor・夫の車を、一人で長距離運転のどちらかで帰ることになりそうだったからです。どっちにころんでもしんどいな~と思ってはいましたが、案ずるより産むが易し? 結局、予想だにしなかった第三の「楽な道」に決まって、ほっとしました。でも、どうせならもっと早く決断してほしかったわ…(口にはしませんが!)そういうわけで、急遽実家にも寄れる事になりました。二女は「お年玉がゲットできる!」とニコニコ顔。8日からのテスト勉強のため一日も早く帰りたいという意気込みは、皆無なのね?下関YHを出て、開店早々の大丸デパートで父宅にお土産を買い、あとは高速をひたすら走りました。途中岡山の吉備S.A.で長女とお別れです。通用口?裏口?、とにかく歩いてのみ出られる場所があるのです。「お前はここから歩いてお行き。気をつけて行くんだよ…」吉備S.A.からは2kmほどでJRの駅が、さらに列車で駅3つ分で岡山です。長女は、旅の途中でやたら増えた荷物によろめきながらも、元気に歩いて行きました。お天気でよかった~(母ごころ)さて、われわれは、途中京都と一宮付近で事故渋滞などに巻き込まれながらも、予定より1時間半ほど遅れの8字半頃、無事父宅に着きました。暮れの第九での父の勇姿のビデオを見ながら、秋に予定している亡母の17回忌の相談などしました。久しぶりに寄れて、ほんとによかった…。父も嬉しそうでした^^さて。ほんとはばらしちゃいけないのかも…。長女の失態。彼女は、岡山には無事に着いたのに、高地行きの高速バス乗り場を勘違い。結局乗れずに、JR「南風」で帰ることになったという!予約したバスの切符はパー(T_T)夫はきっと、一生言うに違いありません…「ばっかだな~~^^;」(-_-;)可哀想な長女…。ま、無事に高知に戻れたんだから、いいか~~。
2008.01.04
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別府を出て、壁湯温泉「福本屋」に入りました。壁湯はとてもぬるい!この寒い時期に、ぬるい温泉は辛いものがあります。時間があればのんびり1時間くらい入っていればいいのでしょうけれど、さすがに旅の空ではそういうわけにもいかず…。実はここで、長野から福岡に転勤になった友人夫妻と落ち合いました。かれの勤め先で配っている某カレンダーを、受け渡してくださいました!例の「バザール」カレンダー。知る人ぞ知る…。持つべき物は友達です^^またまた手頃なバス停を見付けて、地元の牛肉を使ったすき焼き。地元名物のだんご汁(うどんの太いもの)を入れて、最後に松山でもらってきたおもちも入れて。うっまぁい。友人の奥さまは「こういうことを一度体験してみたかった!」と大感激。よかったよかった。今日は野犬は出ませんでしたが、道の向うのガソリンスタンドの方々が、いぶかしげに見ていましたわ。我が家にとっては、日常茶飯事なんですけど…^^」;その後、近くの川底温泉に。ここで、七福神に扮した一団が、回ってきました。軽トラックに宝船の飾りをして、子どもから大人までがかわいらしく神様の扮装をしています。竹筒に入れた濁り酒の御神酒をいただきました。それから友人と別れて、一路下関の火の国YHでは、お正月はフグのフルコース料理です。唐あげに鍋、焼物など、もう満腹!最後の雑炊までしっかりいただきましたよ。ごちそうさま。お風呂で長女に「お母さんのお腹、ちょっとやばいかも…」といわれてしましました。困ったわぁ。ここは公営ですが、とても気持のよいYHです。さぁて、日記も無事2日分アップできたし、これで寝ます。そろそろ消灯の時間です。みなさまへのコメントは、また次にネットできるときに。お休みなさい!
2008.01.03
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2日の日記。朝食も食べずに松山を出て、フェリーで大分に来ました。夫の大好きな別府温泉へ向かいます。明礬温泉の保養センターというところの泥湯が大のお勧めです。受付のお姉さんの愛想もとってもいいし、なによりお湯が最高。泥湯は、ものすごい効能だと思います。すっかり真っ白になりました。いやー。指先がしわしわになるくらいに浸かってしまいました。最高!少しは美人になれたかな。お泊りは、旅館の「貸し間」という、自炊の宿です。地中から噴き出す蒸気を利用して、蒸し料理をします。海老。鶏肉。さつまいも。ブロッコリー。アスパラ。。。。それと、長女のリクエストで夫の自慢のブイヤーベース。鯛のアラや鮭のアラでいいだしがでましたよ。お腹いっぱい!夜また宿の温泉に入ったら、もうふらふら。夜8時には眠くなりました。。。ふえぇぃ。おやすみなさい!
2008.01.02
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あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。YHの大統領の話によれば、「いのしし年は急激に変化する年。これまで積み重ねたことがガラガラ壊れる年だった。食品偽装の問題などその典型である。ねずみ年は、いのししの42倍くらいの速度で動く。今年はまた積み重ねの年になるでしょう…」と。ちなみに12年前のいのしし年には、阪神淡路大震災やオーム真理教の事件があった…といわれれば、なるほどとも思いますね。みなさまにとってもいい一年になりますように!元旦の朝、松山はとてもいい天気でした。YHで手作りのおせち料理をいただいて、四国最西端の佐田岬にでかけることになりました。わたしは実は、ちょっと迷ったんですよね。ファーストデー割引で、映画に行こうかな~なんて。でも一年の計は元旦にあり。家族そろって過ごした方がいいだろうなぁと、車に乗り込みました。ところが。近づくにつれて、空模様はどんどんあやしくなります。吹きつける風。舞い踊る雪。どっひゃー。岬の突端の灯台へ向かう駐車場のおばちゃんも吹き飛ばされそう。一瞬モーレツに後悔したわたしですが、歩き始めたら鳥はさえずりヤブツバキは咲いており、なかなかいい気分でした。でも相変わらず風はものすごく、何十メートルも下の海面から、潮がぱらぱらと音を立てて飛んできていました。でも家族で他愛ないことをおしゃべりしながら歩く道は、やはり一年の計にふさわしいひとときだったと思います。映画にしなくて、やっぱりよかった…^^買い込んできた材料で、夫がお昼に「ギョーザ入り肉うどん」を作ってくれました。バス停の建物を風よけにして調理していると、においをかぎつけた茶色い野犬が近づいてきました。みればやせこけて、ずいぶんお腹を空かせた様子。夫がうどんを投げてやると、ガツガツと喰らいつきました。みると、向こうからもう一匹白黒のが。顔がそっくりなので、きっと兄弟でしょう。でも明らかに茶色の方が優位です。どこに投げても、さささっと来て食べてしまう。白黒は食べられなくてかわいそう…。子どもたちと算段して、同時に2方向に投げてやって、やっと白黒もうどん+肉にありつくことができたのでした。彼らはきっと「今年は正月から縁起がいい。あの『白くて長いもの』は実にうまかった。。。。」と夢に見ることでしょう。帰り道、車の中に、1個あまっていたお饅頭があったことに気づきました。ああ、あれもやればよかった。そしたら彼らは『白くて長いもの』のほかに『丸くて甘いもの』の夢も見られたのにね。。。YHでは、昨晩は次女のヴァイオリンを中心に、みんなで楽しく歌う会。今晩は、新春パーティー。ここはほんとに居心地がいいなぁ。昨年ミシュランのガイドブック(海外編)に、日本の観光地の中のいくつかが選ばれその一つに道後温泉も入っていたそうです。その道後の宿として、このYHが唯一掲載されていたとか!本日元旦の地元新聞一面に大きく載っていました。すばらしいでしょう~!?ここも新年から縁起がいい。世界中の生きとし生けるものみんなにとって、よい一年になりますように…!おなかもこころも満たされて、幸せな気持ちで過ごせる年になることを、祈ります。
2008.01.01
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松山は寒い!いや、今年の大晦日は、日本全国どちらも寒いようですね。長野も雪が降ったとか。こちらはさすがに降ってませんが、風が強くて、ほっぺが冷たい~~。朝食後飼い犬だったレディーのお墓参りに。彼女は、1999年12月31日にここ松山で天国に召されました。わたしたちが毎年この時期、ここにくるのは、命日のお墓参りのためでもあります。竹林を少し登ったところにあるお墓近くの木には、まだ彼女の赤い首輪が目印に残っていました。来年もこられるでしょうか。ここに来る細い山道の脇は、もうすぐ道路が開かれるそうです。うーん。心配だなあ。竹林て、風が強いと上の方でカーンカーンと音がするんですね。幽玄でした。その後、51番札所の石手寺のミニお遍路道を歩きました。小さな山をハイキング気分で歩きながら、小一時間でつく山頂には、大きな弘法大師の像が。足元から見上げても、大きすぎてよく見えませんわ^^;拝めば字が上手になるでしょうか~。午後は市電に乗って街歩き。目的の無いぶらぶらショッピングなんて夫は普段なら大嫌いですが、こういう旅の空でならは、付き合ってくれます。長女と洋服を見たりね~。楽しい時間でした。のんびりたくさん歩きました。夕方にはお約束の道後温泉本館へ。大晦日のこの時間は、芋洗いタイムの直前。毎年のことなので慣れてますけど、いやはや、ほんとに大変な混みよう。道後温泉はやっぱり人気ですね~。子どもたちは紅白歌合戦を見ています。夫は昔からの旅の友達とおしゃべり。この後、11:55集合で午前0時の時報を待って、三社参りです。この寒さの中、何人参加するでしょうね~。ちなみにわたしはパスする予定^^; 帰ってくると、釜揚げうどんが待っているのですが。ここの宿では、「人生太く長くいきる」がテーマですから。ふふふふ。わたしもそれだけは食べようかな~ぁ!ではみなさま。今年もよいお付き合いをありがとうございました。来る年もどうぞたのしくお付き合いくださいね。よろしくお願いします。
2007.12.31
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いよいよ30日ですかぁ。2007年もあと2日…。日曜日ですから、高知名物日曜市。普通は朝市が多いのですが、ここ高知の市は、毎週日曜日終日やっています。とくに年末のこの日は、門松やお節用の野菜、お飾りやお花など、お正月用品を買う方がたくさん繰り出して、それはにぎやかでした。わたしたちも、土佐名物の刃物を見たり、夫はまたまた生姜を買い、ゆず餡入りの大判焼きを買い食いしながら、ぶらぶら歩きました。寒波襲来でさすがにコートは必要。通る子供たちも震えていましたよ。きっと長野では大雪…??長女が荷物をとりにいったん住まいに帰り、わたしも改めてこのマンションを眺めました。昨日、こんな本を買ってしまいました。沢田マンション超一級資料世界にも誇れる手作りマンション。一見香港の九龍城のような…^^;ここに暮らしたい!と、高知の大学を選んだ長女です。夢が叶い、生活を満喫してるようすに、親としても安心しています。午後から松山に移動です。峠では猛吹雪でした。松山も寒い~~。もう、こちらの宿で年末年始を過ごすようになって今年で22年目くらいです。当時の仲間はもうほとんどこなくなってしまったのがさびしいけれど、いつもとかわらぬ宿のお母さんや家族の皆さんの笑顔に、ほっとするわたしです。今夜これから恒例のお餅つき。搗いて搗いて搗いて。食べて食べて。丸める。こちらのお雑煮は、丸餅ですからね。がんばりま~す!
2007.12.30
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予定通り3:30出発。ETCの割引ができてから、夫には新たな標語ができました。「早起きは3割の得」深夜割引で、0時から4時までの間に高速上にいれば、全線通して3割引きになるのです。長距離の場合、これはひじょーに大きいです。日頃はものすごく寝坊な夫ですが、こと「金」になるとがらっと人が変わるからおかしい…。わたしはひたすら眠くて、ほぼずーっとうとうとしていましたが、でもトヨタプロボックスの後部座席は人を乗せるにはあまりやさしい設計ではなく、熟睡はできませんでした。夫と長女が交互に運転し、長野道~中央道~名神~あとはよくわかんないけど、島々の上を通って、四国入り。最初の目的地高知には午後1:30ごろ着きました。疲れた~!さすがにこちらは暖かく、コートは不要です。いやー、人間、こういうところで暮らすと、穏やかな人柄になりそうですわ。長女が暮れに仕送りをみんな飲んでしまったので(ウソ)、家族で大家さん宅(マンション最上階)に家賃の支払いに行きました。1月5日の探偵ナイトスクープで、沢マンがまた取り上げられるそうです。みなさまよかったらご覧下さい。そこが長女の住むマンションです。今夜は高知酒の国YH泊。ふた昔前のYHでは考えられませんでしたが、ここは「お酒」とくに日本酒がウリのユースホステルです。食堂に大きな「酒用冷蔵庫」が鎮座しています。夕食にもおいしいお酒を出していただきました。うふふふ。しかし…今夜は早寝しそうです^^;では、また明日!
2007.12.29
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お泊まりのお客さまは、30歳前後の大阪人男性Rくん。夫の、旅&ブログ友である。本人はネットカフェで夜を明かすつもりだったらしいが、それを知った夫が、不憫がって昨晩松本まで迎えに行った。「憧れていました…」という我が家のトマトソースをスクランブルエッグに添えて朝食に出したらご機嫌だった^^。トーストには夫が煮た「あんこ」をのせ、「男の方が甘い物好きだよなー」と男二人で幸せそうだった。夫はときどき衝動に駆られるように小豆を煮る。友人には「普通は一度に1kgも煮ませんよね…」と呆れられたとか。たくさん煮て、冷凍する。一度瓶詰めしたら、脱気滅菌がうまくいかなかった。どうせすぐ食べてしまうのだから、冷凍で十分である。見送る玄関先で…「今回のボクの旅のタイトルは『父をたずねて三千里』なんです。大阪の旅仲間内でL夫さんを密かに『父』と呼んでいるんです。でもまだ面と向かって「父さん」とは呼べてないんですよね。今日呼べるだろうか…。L夫さんて、ほんとにいい人ですねぇ。。。」しみじみ語る、Rくん。私は夫の妻だから「お母さん」?いや~ん。「お姉さん」にしておいて!といったら、「あ、そりゃもちろん…!!」とにっこり。へんな関係…^^;ははは!さて夕方、夫から電話。「実は、東京からKさんが来て、温泉案内した帰りなんだけど、夕飯は外に出よう!」やった~。提案してきた夫のおごりだぁ!夫は午後3時過ぎの電車の時間まで、JEEPでRくんの温泉案内人を務め、入れ替わりに4時頃東京からやってきたKさんを拾って再び温泉めぐりしてたんだって。。。実は「青春18切符」の期限が明日までなのだ。それで旅人がみんな、長野をうろうろしているのだぁ!!(笑)Kさんも、夫の旅&ブログ仲間。40歳ぐらいの独身男。こちらも筋金入りの旅人である。夫「北海道は、最高何週連続だっけ?」K「8週です」夫「飛行機?」K「はい全部」夫「東京在住者はいいなぁ…」K「家から羽田まで2時間。北海道まで90分ですね~。金曜の夕方飛べば、丸2日遊べます」夫「じゃあ、最高何週連続旅に出てた?」K「14週かな…」…それは夫もあんまり負けてないかも…^^;あちらは独身ですからねっ!マネしないで。夫「おれも、仕事辞めたら、ずーっと旅に出てるかもなぁ」あなたには定年がないんだから、ずーっっっとお仕事続けてくださいっ!でも、わたしもそのうち「亭主元気で旅がいい…」って言い出すかも?Kさんの旅は「食べる」ことが第一の目的(たしかにそういう体つき)。一緒に行った店は、昨日とは別のイタリアンで、我が家の長年のお気に入り。舌の肥えたKさんも大満足してくれた。旅で友達になった人は、たくさんいる。さらに15年間のネット生活で、夫婦それぞれに仲間はあちこちに増えた。長くおつきあいの続いている人、途切れてしまった人、いろいろだけど…。夫の場合最近は、旅で知り合ってブログでつながり続けている人が多いかな。ネットの仲間はみーんなハンドルで呼び合うから、ハタで聞けばおかしいかも。こうして日本全国にお友達がいてたずねてきてくれるって、しあわせなことだ(つくづく!)Rくんは、夫を「父」と呼べたんだろうか!?(笑)
2007.09.09
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早起きして、お盆前のお墓の掃除に行って来た。すっきり!昨夕、待ち人がお帰りになってから(慌てて帰って行った。旅行の支度とポケモンの成長が~と^^;)、義母宅へ届け物を持っていった。義母は勉強中だった。計算ドリルと、新聞の一面下のコラム(朝日でいうと『天声人語』)を書き写すことを、もう1年半以上続けているのだ。昨年具合を悪くしたときは、ごく簡単な計算も間違えたり混乱したりして、ものすごく心配したけれど、昨年夏のリハビリの甲斐あってずいぶんよくなった。ほんとうにほっとしている。「一族の中で、お義母さんが一番勉強家ですね~!」とほめたら、照れていた^^「明日朝、お墓のお掃除に行きますから」と話したら、すごーく喜んでいた。自分は行かれないけれど、高圧的に「行ってちょうだい」とは、実の息子にも、嫁であるわたしにも、決して言わない人なのである。さて。というわけで、お嫁の仕事もとりあえず果たしたし、ちょっと遊びに行ってこようかと思う。お盆期間中だし暑いし、うげげ…と思いながら、久しぶりの東京へ。都心は、帰省や勤めの人がいない分、すいてないかな~。買い物、してこようっと!^^行ってきます。
2007.08.11
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4月23日(月曜日) 第4日目ソウルはさすがに賑やかで、空調が暑かったので開けておいた窓の隙間から、ホテル21階の客室にも通りの車の音が響いてくる。朝食はみんなの希望ではじめて「韓式」でなく「洋式」の店に。スタバの韓国版といった店に繰り出した。最後くらいは各自が選んでも大丈夫かな…との夫の判断で、店員さんに一人ずつ希望のメニューを伝える。こういう店の常として英語メニュー併記だから、みんな気が楽。でも店員さんは大変そうだった~。ははは。何しろ17人!従姉は「あの店員、韓国ドラマにでてくる悪役みたいな顔やね~^^」と喜んでいた。みなさん、ご迷惑さまでした…。ベーグルやサンドウィッチ、マフィンなどを指差して指定し、飲み物各種を選ぶ。全員が頼み終わるまで、ほかのお客さんが少なかったのが幸いだった^^; 午前便で帰る福岡・名古屋組が乗った9時半のバスを見送って、関西・成田組は午後3時までフリータイム。わたしは、3歳年上の一番仲良しの従姉と、関西組のかなり年上の従姉たちという組み合わせで、南大門市場(ナンデムシジャン)へ繰り出した。直線距離ならわずかだけれど、こまかく入り組んだ市場の中の、またまた細かくわかれたひとつひとつの店を、興味のままにのぞいていったら、あっというまに時間が過ぎていく。ブランド品の「カンペキなニセモノ!」っていう呼び込みの声もいっぱい聞こえていたけれど、こういうものは危ない危ない。しかし、あれだけ取り締まりがあっても、堂々とこっちの腕をつかんで呼び込みやってるんだから、たいした根性である。途中ばったり行き会った別の従姉二人組は、目の色を変えて(笑)、バッグや眼鏡など目的のものを探していたみたい。眼鏡も日本の1/4くらいの値段で、あっというまに作れる。そういえば我が夫の眼鏡の数々(老眼鏡も含めて)は、すべて韓国製だったわ…。とくに「これだけは」という欲しいものもないので、ほとんど冷やかし。店員さん、ごめんなさい。それでもお土産品やステージでつかえそうなブラウスなどちょっと買って、数百円値切ったり、おまけをつけてもらったり。それなりに、韓国でのショッピングの「お約束」^^を果たして、満足満足。時間もあったので、ロッテデパートをのぞいたり、お天気がよいので、川辺をのんびり歩いたり。普段の何日分も歩いて、かなり疲れた。ホテルの前の石のベンチに座って食べたアイスクリームのおいしかったこと!帰りの飛行機では、窓際に座った夫が、途中で「あ!今長野の上空だ~」と一声。「運転手さん、わたしたちここで降ります!」と言いたいくらいだったが、機内に「次、止まります」のブザーは見当たらず(^_^;)、しかたなく終点成田に着いたのは、夜の9時だった。荷物をピックアップし、駐車場の車に着いたのが9:50。それから高速を飛ばして、家についたのは、夜中の2時過ぎだった。ふうううう。つっかれた~!しかも、わたしは飛行機が下降するときに右耳がおかしくなって、そのまま戻らない状態がずっと続いていた。こんなことははじめてだし、音がぶぉんぶぉん響いてとても気持ち悪い。耳が商売道具なだけに、これはこまるぞ…。ほかの親戚たちも無事に帰宅しただろうか。楽しい旅行になって、ほんとうによかった。平均年齢の高いツアーだったが、誰一人として具合の悪くなる人もなく、夫もお役目を無事果たせて、ほんとうにほっとしていた。亡き母にも、こころの中でちょっと報告しながら、眠りについた。
2007.04.23
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4月22日(日)旅の3日目あっという間に、群山を離れる日が来た。今は、ほんとうに小さな田舎の町。でもかつてはたくさんの日本人が住み、たくさんの日本家屋があった。今も、町の中心部を歩けば、明らかに当時の建物とわかる家がいくつもある。そんな日本の町並みを生かして「八月のクリスマス」という韓国映画の舞台にもなっている。(群山が舞台だとは知らずに見ていた。また見直さなくては…)引き揚げ当時のつらい思い出の一つを、昨日町歩きの途中、伯母が語ってくれた。「あ!この家!! 引き揚げが決まったとき、町で3人だけ日本人がこっちに残ったの。そのうちの一人がここの家の奥さんだったのよ。夫を戦争で亡くした後、韓国人と恋仲になったの。その人と離れがたくてどうしても残りたいって。うちのおかあさんがなんとか説得しようと何度も訪れたんだけど、決心を変えさせることはどうしても無理だった…」後に人づてで聞いたことには、一緒になった男は、間もなく別の若い女と仲良くなり、国を捨ててまで韓国に残ったその女性に暴力をふるうようになったらしい。それでも彼女にはすでに帰る場所はなかった。何年も経って、伯父(母の兄)がこの町を戦後初めて訪問した折、近くの写真を撮っていたら、二階の窓からこっそり伯父たちをのぞいていたのが、間違いなくその女性だったそうだ。「その後、どうなったんだろうね…。もう生きてる歳じゃないけどね…」その群山では、今大掛かりな干拓事業が進んでいる。セマングム干拓事業 反対運動により一時中断されていた工事は、最近再び進んでいるとも聞く。完成すれば、群山の町もすっかり変わってしまうのだろうか。韓国一おいしいといわれるキムチは、ここの魚介類で作る塩辛をふんだんに使うからとも言われている。魚のとれない群山なんて…!群山駅。右を歩くのは夫。左は二女。真ん中は私…ではない。赤の他人^^;駅を背中に右手にある市場。魚屋がずらっと並んでいた。さて。韓国のローカル線と高速鉄道KTXを利用して、お昼過ぎにはソウルに着いた。さすがにソウルでは高級ホテルに宿泊。でもお昼は、近所の庶民の食堂へ。その後、景福宮などを訪れた。しばらく前まで行われてさえいなかった「衛兵交代」の儀式?なんかのパフォーマンスもあって、伯母たちは喜んでいた。色がきれい。衛兵交代夜は、待望の焼き肉\(^o^)/ 牛を食べさせる店が見つからず(日曜定休というところも多かったのかな?)、豚の三枚肉の焼き肉の店。これがすごーくおいしいのだ。お皿に塩を盛りごま油をたらしておく。これがタレになる。葉っぱに包んで、コチュジャンをちょいと乗せ、パックリ!豪華な豪華な「最後の晩餐」であった。その後、ソウル駅前のメガマートで自由にお買い物タイム。気づいたら10時半までうろうろ買い回っていた。女ってこれだから~~。ふふふ^^韓国海苔にナツメのお茶、お菓子など、各自思う存分買い込んで、お土産OK!
2007.04.22
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4月21日(土曜日)旅の第2日目 大勢の旅行で苦労するのは時間の管理。一つ動きがあるたびに、次の予定を伝え、確認する。「朝食時間は、○時。ロビーに○時に集まってください。店に案内します。その後、○時にバスが来るので、再集合時間は○時とします。遅れたら置いて行きますからご心配なく…^^;」夫は、宿付近の食堂を事前に散策して座席を確保し、メニュー確認をして皆の口にあいそうな食事を注文しておいてくれる。ちなみに、この日の朝食は「ソルロンタン」。牛肉を長時間煮込んだ、塩味のスープ料理。ここにご飯を入れて、食べるとおいしい。親族にも大好評であった。テーブルには、韓国でのお約束^^で、たくさんのナムルやキムチ類が頼まなくても出てきて並ぶ。これがまたおいしい~!店によって味が違うのは当然だが、ここはアタリだった!この日は、チャーターバスで市内ゆかりの地を回った。生まれた病院跡(当時は自宅分娩の人が多かった中、病院出産は一つのステイタスだったらしい)、女学校、旧制中学校、公園など。引き揚げ船に乗るための桟橋跡なども見た。小学生以上の子どもたちは皆、できる限りの荷物を詰めたリュックを背負う練習を何日も続けてその日を迎えたそうだ。転びでもしたら二度と立ち上がれないほどの重さ。当時1歳だった従姉は、「わたしには記憶は全然ないけれど、6歳だった姉さんがここをおんぶして歩いてくれたって…」と遠い目をして感慨に耽っていた。ところで、今回の旅行を夫にかなり無理をしてもらってでも実現させたかったのには、ひとつには長老従兄の体調のことがあったが、もう一つは、彼の一番末の妹である従姉の存在であった。彼女は昭和19年秋、6人兄弟の末っ子として生まれたが、生後4ヶ月のとき母親(私から見れば伯母)が亡くなってしまった。伯父は、戦争末期で不安定な情勢の中、乳飲み子を養女に出す決心をしたのであった。生き別れとなったその従姉と兄弟たちが劇的な再会を果たしたのは、なんと、戦後60年以上も過ぎた昨年になってのことであった。今回、長老従兄は、ぜひその「妹」に、親族と一緒にほんとうの「ふるさと」を見せてやりたいという願いがあった。その想いは、涙が出るほどよくわかる。わたしも亡き母から「どこかで元気にしているらしいけれど、居場所は知らない…」と聞かされていただけに、これは是が非でも親族旅行を実現させたいと思ったのだった。ほんとうに、その意味では、今回の旅行は大成功だった。年齢も暮らす環境も今はばらばらだけれど、同じ血の一部が流れ、かつてはこの地で亡母と共に暮らしていた人たちなのだと思うと、それだけで、お互いが何の隔たりも感じないほどに近い存在となる。これまで法事などで数えるほどしか会ったことの無かった従姉たちとも、ほんとうに親しくはなせてよかった。亡き母の思い出話も次々と暴露(?)され、面白かった。親族一同が一番驚いたのは、亡母が子どもの頃から大好きで、「あの人と結婚するから○○ちゃん(歳が近い従姉…母から見れば姪)アナタ取っちゃだめよ」と宣言していた人の名前が、なんとなんと、我が夫と「字まで一緒」だったという事実。これは笑うでしょう?(^o^) その他にも、「あそこの店のお菓子を食べたいってダダをこねてね…」という伯母の話とか、「お母さん、学年で一番だったって聞いてた?」という、母と同学年の従姉の話とか、いろいろ聞けたのは大家族ならではの面白さであった。この日の食事は、お昼は全州の名物「ビビンバ」。夜はあんこう鍋。おなかいっぱい胸いっぱい。いろいろ気を使って大変ながら、先祖の過去に浸れて、よい一日だった。明日はソウルに移動。夫の大仕事も、8割は終わったかな。もうしばらくヨロシク!
2007.04.21
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4月20日~23日の3泊4日。実際は前泊したので4泊4日の韓国旅行。行ってきました。帰ってきました。疲れました。でも行ってよかった\(^o^)/何より夫が大変だったと思う…。よく、妻の親戚に孝行してくれて、これはもうほんとうに感謝感謝。…っというわけで、まずは初日の日記から。4月20日(金曜日)NARITAは晴れていたのに、仁川空港は滝のような大雨。ここに集合した親戚は、福岡、関西、名古屋、そして成田から総勢17名。最年長は76歳の伯母。そして最年少は二女15歳。男性5名と女性12名。どんな道中になるのか。大掛かりな親族旅行への期待と不安の割合は、さて、どのくらいだろう。。。ともかく、この雨のため、一番出発の遅かった成田組の到着が15分以上遅延。この時点で、バス~列車の接続が怪しくなった。夫は気をもむが、こればかりはじたばたしてもどうにもならない。17名が大荷物を持ってぞろぞろ人ごみをあるくには、どうしても旗が必要とばかりに夫が用意したのは、100円ショップで買ったというミニこいのぼりだった^^。韓国にはこいのぼりはないので、すれ違う人々から好奇のまなざし^^。ほんとによく目立って、親戚たちにも大好評。夫はバスの中で改造して、ふきながし部分を外し、緋鯉を真鯉の上に付け替えていた。「我が家はかかあ天下、ボクはいつも母ちゃんのお尻の下…」 ^^; はいはい…。大雨の影響で道も大渋滞。夫が切符手配を頼んだ韓国人の友人は、駅に張り付いていてくれた。予約してあった列車には間に合わないことが確定したのは「発車まであと3分」という時点。すぐ切符を払い戻して次の便に買い替えてくれた。その間、夫と彼女は携帯電話で息詰るやりとりを続けていた。駅で対面したわたしたちと彼女。「現地妻だってみんなには紹介してくれな^^。こんなに苦労するんだから、そのくらいの楽しみがないと…」という夫。あのですねぇ。そういう冗談、通じる人ばかりじゃないんだよ^^;。でも、親戚たち、だれも本気にしてなかった。当たり前か…。そんなこんなで予定より2時間近く遅れたものの、無事、目的地の宿に着いたのは、日も暮れかかった頃だった。一息つく間もなく、かつての屋敷のあった場所にみんなで歩いてでかけた。ここには門柱と塀の一部だけはそのまま残っている。当時を知る親族たちには、たまらなく懐かしい場所であろう。さて、今回の旅の目的地は、韓国全羅北道の小さな港町「群山クンサン」。ここはかつて戦前は、周囲の穀倉地帯から日本へ米を運び出すための重要拠点として、日本人街が栄えていた。韓国人側から見れば、それは「搾取」かもしれないが、当時はここは「日本の一部」だったのだ。日本人側にはそういう感覚はみじんもなかったことだろう。実際、日本人が道を整備し、鉄道を造り、米作りを指導し、町を興したことも(韓国人側は認めたくはないだろうけれど)、事実なのである。わたしの母方の親族は、まさにその、米を船で運ぶ商売で財を成していた。肝の座った曾祖父と、冷静で緻密な祖父の歯車がうまくかみ合っていたのだろう。日本庭園を配した広大な屋敷(年に2回、京都から庭師を呼んでいたという)には、乗馬用の馬まで飼っていたらしい。祖父は、韓国人労働者からの信望もとても厚かったというから、ちょっとわたしの気も楽になる。夕食は、当時料亭だった店がそのまま残っているところ。韓国風の刺身が並ぶ、豪華な料理だった。…が、韓国風の、ステンレスとプラスチック食器だとどうもいまいち高級感に欠けるんだな^^;。でもおいしかった!店を出た後も、当時を懐かしみながら夜遅くまで付近をそぞろ歩き。雨は群山ではすっかり止んでいた。よかった。。。では。明日は第2日目の様子を…。
2007.04.20
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F松さんと同じタイトルだわ^^出発です。たった数日のこと、そんなに大騒ぎすることじゃないんだけど、何しろ今回はいろいろ責任が…。さっきも、食事のことで長老から電話が…。わたしはレッスン中だったので夫が出たけど、「そんなことで電話してくるかぁ?」と切ってから愚痴っておった…。みんな年取ると、心配性になり、同じことをなんども繰り返すようになり、そして忘れっぽくなるのよ。あんなに偉大だと思ってた人でも、ね。さあ。無事な旅行を!行ってきます~~!
2007.04.19
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旅の支度はほぼできた。お金を下ろしに銀行へも行ってきた。着るものを詰め、タオルを詰め。書類も用意したし、あとは、当日着るものと化粧品くらいかな。忘れちゃいけないパスポート、航空バウチャー、そして旅行保険証。全部入れた。よし。冷蔵庫の中身を計画的に減らそうと思ったけれど、思いのほか残っている。スーパーでキャベツを買ったばかりだったのが、生協でも届いてしまったり、まあそういうちょっとしたアクシデント(?)のためなんだけど。そんなに痛むものじゃないし、大丈夫よね。車ででかけるときの荷物と、背負って出かけるときとでは、量が全然違う。当然といえば当然だけど、これはもうほんとに違う。あれば便利…というくらいのものは置いて行く。「無くては困る」ものしか持たないくらいのつもりでいないと、荷物はどんどん増えてしまう。初めて海外に行ったときは、知らなかったとはいえ、そして若かったとはいえ、ずいぶん無駄な荷物を持っていって後悔した。夫など、自転車で半年間海外をまわったときなど、荷物はフロントバッグ1個だったというから驚きである。でも、これが車でのお出かけとなると、ものすごい荷物の山^^; すごーくわかる気がする。今回、なるべく身軽にして、年取った伯母やいとこたちのめんどうをみられるようにしておきたいのだ。60代70代中心の親戚たちとの旅行だから。ツアコンを務める夫も「ふえ~。気が重い!」と渋い顔。ごめんなさいねっ。でもなるべく楽しい旅行にしましょうね~~!明日は、しっかりレッスンしてからでかけることになるから、まだまだ出発までは時間があるけれど、こうして荷物だけできてしまうとずいぶん気が楽。さー。残りの時間はお片づけ。当然。(こればっか~)
2007.04.18
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夫と二女は、信越線経由北陸線で、金沢に行ってきた。兼六園や忍者寺など一般的観光コースのほか、面白かったのは「21世紀美術館」だって。また変な写真も撮ってきたそうなので、使えそうなら次のネタにさせてもらおう…。お土産は、茶巾寿司と笹寿司。どちらも夫の好物。お菓子はないのかな~^^(ちゃんと長女には、彼女の好物の芝舟は買ってきてあるみたい…。また父の香りの荷物を送るのだろうか~)二人は今回、折りたたみ自転車持参の旅。北陸は杉花粉が少なかったとか。お天気もよく、快調に自転車を乗り回せたそうな。夫は二女の自転車のタイヤを行く前に交換していたが、金沢市内の自転車屋でブレーキも入手し、途中で交換したらしい。「このところ効きが悪かったんだけどさ、ついに坂道で止まらなくなったんだよ~^^;」あぶないあぶない。二女がこのDahonに乗り始めてもう何年?小学校上級生ころからかな…。20インチでスピードは出ないけれど、折りたたみできて丈夫で、よく乗っている。(こんな感じの自転車。)夫は、乗り物はなんでも好きだけど、特に自転車が大好き。自分で組んで世界一周旅行をした「あけぼの2号」は今も健在だけど、普段旅行に持って行くのは、もっと簡単な折りたたみ自転車のことが多くなった。これも、あれこれ、気になるものをちょこちょこ買うらしく、わたしの知らない間に、3台くらいはあるのでは…^^; 夜、帰ってくるなり、二女の小学校時代の友達(男の子)からメールで「自転車の鍵なくした~(T_T)」とSOS。「ちょっと行ってやらなくちゃ…」と出かけていった。「ゆくゆくは自分で整備できるようになってもらいたいんだけどな」でも、今の子は忙しくて、なかなかゆっくり自転車整備にかける時間もなさそう。で、最近はすっかりレスキューおじさんになっておる。こどもたちもそうだけど、「便利な父ちゃん」「便利なおじさん」が身近にいる限り、頼っちゃうわよね、やっぱり。(長女は、そろそろ自立できるかな)今日は、昼間、長女の小学校時代の恩師から電話が。長女が出した挨拶状をとても喜んでくださった。(長野を発つ前に作って、引っ越し先の消印で投函したもの)先生のクラスのとき、盲導犬育成パピーウォーカーのボランティア体験をした。このことも、今の娘の根底を形作っていると強く思う。この先、目標を実現させていくことが、先生への恩返しとなるだろう。がんばらなくちゃね~。室戸合宿はとっても楽しくて、昨夜は1時間しか寝ていないとか。10時過ぎのメールで「おやすみなさ~い☆」だって^^;ちなみに、二女は、各停列車で寝だめしたそうなので、今目の前で明日のために勉強させてる。(自室に行けば、またすぐぐーすかぴーzzzzzの人なので…-_-;)
2007.04.08
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やってまいりました。四国は南国です~ぅ。桜も満開。まさに入学式にはうってつけ^^朝5時台の私鉄でJR駅へ。長野駅での乗り継ぎは数分しかないので、大急ぎで切符を買って、無事しなのに乗り込んだのが0608頃。列車は0610出発。ふー。でも忙しかったのはここまで。あとは、鈍行列車ののんびりした…いや、時にハードな移動。乗り継ぎは、中津川(ここで有名な栗かのこをゲット)、名古屋(高島屋デパチカでお昼をゲット。次女:さんま寿司と飛騨牛メンチカツ、lemi:味噌カツ重←名古屋育ち、懐かしい~)、米原(京都まで立ちんぼ。疲れた~)、姫路、岡山、相生、坂出(瀬戸大橋線、眺めがよかった!お友達のことを思い出していた~~)、琴平(あんぱんまん列車と遭遇)、阿波池田阿波池田で、夫が迎えに来る予定だったのに、仕事に追われて時間を勘違いしていたらしく、「げ。まだ高知!次のに乗って。途中で落ち合って拾うから」結局、土讃線は大歩危まで乗りまして無事合流^^;(駅名、読めます?「おおぼけ」よ~ん。誰のことじゃ?ナイショ)これが、1920頃。高速利用で高知入りは、20時半ごろだった。YHの夕食がなんとも美味しかったこと!移動中、景色を楽しむというより、居眠り半分。あとは周りの人の会話を楽しんだり(方言がどんどん移り変わっていく…)、次女とはちゃめちゃな会話をしたり…。ひさびさの青春18切符だったが、楽しかった。日ごろ、時間に追われて生活しているけれど、こうして移動のためだけに時間を使うことは、ある意味贅沢でもある。しかし。娘の暮らす地までの距離感が、ほんとに実感できた~~^^;遠いわぁ~。夫と長女は、今朝は夜中の2時ごろ到着したらしい。洗濯機を設置し、組み立て式机や家具類、棚を設置し、お風呂にシャワーが出るよう分岐の金具を設置し…、「あとはエアコンだ」と。ご苦労様。なんて便利な父ちゃんでしょう~~!さあ。わたしは掃除と買い物。がんばるぞ~。次女曰く「ねえ、わたしって結局何しに来たんだろう?」…アナタは……、荷物持ちかな。がんばれ~。
2007.03.31
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家族がみーんな留守。一人で夕食は寂しいので、長女が10時近くに帰ってから一緒に食べようと、お皿を並べていたら(今日はビーフシチュー)、折しも「無事旅行から帰った」と実家の父からの電話が。長女には先に食べさせ、お腹ペコペコを我慢して話を聞いていて、ついついぶっきらぼうな受け応えになったかも。父は暮れから二日まで、夫と同じYH(ユースホステル)に泊まって、松山道後温泉を楽しんだ。帰りには広島へ回り、退院したばかりの長老従兄(父から言えば義理の甥)を見舞った。まだ多少は後遺症があるものの、かなり元気そうだったと報告してくれた。直接会った父がいうのだから本当だろう。安心した。「lemi夫はまだ帰ってないのか。いつ帰るんだ?」と父も電話で呆れていた。松山港で二日に別れたあと、夫は九州へ。さぁて、帰宅はまだしばらく先のようです(ー_ー;) 「帰る家があるから、また旅に出るのさ…」とは、随分前に夫が放った言葉だが、彼の旅好きは筋金入り。幼稚園の頃乗ったバス賃のこと、小学生の頃乗った電車の記憶や、母と行った小旅行の思い出など、克明に覚えている。中学では一人で5時間ほどかけて歩いて野尻湖まで行ったり、自転車で松本までも行ったこともあるらしい。高校でバイクの免許を取ってからはさらに行動半径が広がり、大学生の頃には海外にも進出。社会人になってからも、収入は、大好きな「道具」を買うことと「旅」にすべて使ったのだと思う。自転車で世界を巡ったが、日本国内も自転車でこまめに回った。その自転車旅行国内最後の「県」が、愛媛県であった。険しい峠道をやっとの思いで越えて、松山の町が遠くに見えた感激…それが彼には今でも忘れられないのかもしれない。松山には特別の愛着があるのだ。結婚して最初のお正月にも四国松山へ。その時出会った仲間たちと意気投合。以来毎年、年末年始はまるで実家に帰るように松山で過ごすのがわが家の習わしとなった。九州に渡るのも便利。魚はおいしく気候もよい。長野から遠いのが玉に瑕だが。当時の仲間達も、さすがに家族を持ち子どもができると、旅はやめてしまった。したくてもできない…と皆口を揃えて言う。そんな中、家族揃って…飼い犬まで連れて…大移動を続けたわが家。年末年始だけではない。夏休みは毎年北海道へ。そのほかの休みも旅たびタビ…、まさに日本全県巡ったものであった。あちこち連れて歩いた愛犬も、1999年大晦日に松山で大往生。お墓はYHのすぐそばの林にある。今回の旅行でも二女達はお墓参りをしてくれたことと思う。わたしは行けなくてごめんよ。子ども達が成長して、習い事や部活などで、家族旅行はしにくくなった。またそのうちできる日も来るかな…。わたしとしては、こうして家で一人の~んびりの時間も、捨てがたいものですけど…ね(^_^)
2007.01.04
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従兄が脳梗塞で倒れた。幸い、命に別状はないようだが、目の神経が詰まってしまったとか。病状が心配である。毎年この時期に、地元のみかんを送ってくれる(昨日の日記にも触れた)。お礼の電話をしても昨日はずーっと話し中でおかしいとは思っていたのだが、今朝改めて電話したら、そういうことだったのだ。わたしには、父方母方合わせて40人近いいとこがいる。彼は母方の30名近いいとこたちを束ねる長老で、体つきも実際の存在感もたっぷり。すでに70才を超し、若い方から3番目のわたしとは親子以上に年が離れているが、小さい頃からとても可愛がってもらった。来年早々にも、長野に来てくれることになっていた。韓国旅行の相談に、である。わたしの母は、現韓国生まれ。母たち9人のきょうだいすべてと、終戦前に生まれたいとこたちは、彼の地で誕生し、引き揚げるまでは、たいそう裕福にくらしていた。母の祖父(わたしの曾祖父)は、結婚式の日、「こんな田舎で埋もれるのはいやじゃ!」と紋付き袴の支度のまま故郷を逃げ出して、韓国へ渡ったそうである。苦労の末、貿易会社を興した。商売が軌道に乗ったころ、一人娘(祖母)に、婿養子(祖父)を迎える。豪放磊落、大胆な曾祖父と、緻密で堅実な祖父の二代の歯車が見事にかみ合って、商売はそれはそれは繁盛した。立ち並ぶ倉庫。何艘もの貿易船、何百人もの従業員。買付資金などを運ぶためだけに、当時まだ珍しかったシボレーを所有していた…とか、庭で乗馬用の馬を飼っていたとか、学校にさえなかったピアノが居間にあったとか、亡母から聞いた話は、まさに夢物語の数々であった。その詳細を、頭脳明晰な長老いとこが数年前本にした。さまざまな資料や人に当たり、記憶の糸をたぐって正確を期したという、貴重な記録である。わたしも改めて文字と写真で先祖の顔や歴史を見て、感慨深いものがあった。さて、母達が暮らした韓国の家が、今も旅館に形を変えて残っているらしいと、結婚したばかりのころわかって、すぐ訪れた。しばらくたって、わたしの両親も、どうしても一目みたいと、韓国語を一生懸命勉強してでかけた。亡母には、思い出の家のあまりの変わり様に胸が痛みながらも、そこここにかすかに残る往時のおもかげが、愛おしくもある旅行だったらしい。だが、観光地でもなく、日本人など普通はいかない港町。行ってみたくても行けない親族たちも多い。長老いとこには、自分が元気なうちに、ぜひ彼の地で親族会を開きたいというのが、たっての望みであった。前前から、韓国通の我が夫に「ぜひ企画してくれ」と頼んでいたが、夫も個人で事業を切り盛りしている身の上でもあり、なかなか実現しなかった。自分一人での韓国行きなら、突然の仕事が入ればキャンセルできるが、親族数十名を連れての旅となればそうもいくまい。でも、それがついに来年初夏頃実現しそうな運びになった。親戚たちもこのままだとどんどん年を取る。もう今しかチャンスはないだろう…と夫も重い腰を上げてくれることになったのだ。その旅行の相談に、長老いとこが、年明け早々、長野に来る予定になっていたのである。わが家には受験佳境の娘がいるが、それを押してもぜひと、なみなみならぬいとこの熱意を感じてのことである。なんとか、短期間での快癒を祈りたい!
2006.12.11
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熱い熱い甲子園決勝戦、引き分け再試合。歴史と記憶に残る名勝負となった。「近くまで行くので久し振りにお邪魔していいですか?」と来客があったため、競技スポーツ嫌いの夫も一緒にTV観戦。これはわが家の歴史と記憶に残る、特筆すべきできごとかもしれない。さっぱりルールを知らない家族に、お客のRさんがいろいろ解説してくれた。ありがたい。さて、このRさんは、実は「記憶を失う」経験をしている。もう10年も前、結婚を目前に控えた時だった。しばらく前から付き合っていた女性がいて、わたしたちも紹介されて一緒にご飯を食べたりしていた。いい雰囲気だな~、結婚するのかな~と密かに家族でささやきつつ見守っていた。二人は旅友達として知り合い、デートも山歩きや温泉巡りが中心。その残暑の一日も、白馬の大雪渓を二人で歩いていた。そこで、Rさん、ちょっといたずら心を起こす。危ないと思いながら、雪渓に足を踏み入れた。あっっっっ!彼女の目の前で、彼の姿が雪渓に消えた!慌てて大声で彼の名を呼ぶ。………。返事は無い。恐る恐る雪渓の縁まで行ってみるが、姿も見えない。どうしよう?どうしたらいい?すでにその頃時計は午後も遅くなっていて、周囲に人もいなかった。彼を助けなくては!という強い思い。…二人はなんと、その直前に愛を語り合い、彼はプロポーズの言葉を伝えたばかりだったのだ。彼女は、一見華奢な体つき。関西育ちで、話し方もおっとりのんびりの優しい笑顔の女性である。だが、ベーカリー・レストラン・サンマルク(パン食べ放題のレストラン)では13個は軽くお代わりするというくらいの大食感ぶりを見せる意外な強者で、一人旅の経験も豊富。とにかく誰か連れてこなければとのとっさの判断で、彼女は山を駈け下りた。山を掛け下った彼女は、救助の人たちも驚いたという勢いで救助隊を連れて再び現場に戻る。おかげで彼は無事助け出されたが、意識は無かった…。救急車に一緒に乗り込んだときも「婚約者です」と名乗り、祈る思いで付き添い看病を続けた数日間。どうか目を開けて…!彼女の祈りが天に届いたのだろう。彼は無事目を開けた…!ああ、神様ありがとうございます…!!だが、そんな彼女に、彼の発した一言は…。「あの……、僕たち、付き合ってましたっけ?」がーーーーーーーん。(T_T)関西人の彼女はここで思わず彼を「はり倒そうかと思った」というけれど、まあ、そこは抑えて「プロポーズの言葉もくれたのに…」と彼に訴えた。そんなこんなで、波瀾万丈を乗り越え、一件落着。無事結婚式の日も決まって、わが夫に主賓挨拶の依頼をしにきてくれた。もろもろの「事故」の様子を聞かされ、声もなく驚いていたわたしたちだが、彼女が席を立ったとき、ふとRさんがつぶやいた言葉……。「でも、ぼく、未だにあの日の前1週間の記憶が戻らないんですよね。山に行ったことももちろんですけど、ほんとに彼女にプロポーズしたのかも全く覚えていないんですf^_^; もしかして、彼女の作り話だったとしても、それは永遠にわからない。ま、いいんですけどね。はははは」ははははは…。わたしたちも声を合わせて笑ったことは言うまでもない。いいよねー、家族で出席した披露宴でも、二人はほーんとに幸せそうだった!\(^o^)/ そして10年経った今も、一粒種の娘と三人、とっても幸せなんだもの(^_^)。熱闘の甲子園。途中なんどか帰るつもりになったRさんだが、その度にTV画面とわたしたちにも引き留められ、結局最後まで一緒に見続けてしまったのだった…。すみませんね~。おかげで夫も最後まで一緒に観ることになって、ほんとによかったわ。(^_^)家族共通の話題が増えるのは嬉しいもんね。でも再試合は、子ども達も学校があるので観られない。私一人の応援か~。どっちもすごいし応援してあげたいけど、やっぱり早稲田がんばれ~!
2006.08.20
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