サイド自由欄

僕が好きな音楽は、オフコースです、小田さんも好きですが、オフコースの演奏や
ハーモニーなどがいいんだね、稲垣潤一さんもすきです、安部恭弘さんもすきですね、同じレーベルでしたね、70年代のフォークから80年にかけての音楽がとてもすきです。谷山さんもすきですな、斉藤哲夫さんも最高。山本潤子さんもあのボーカルは日本一だとおもいます、まっさんもすきで、人間性が好きです。亡きひとでは、英五の「生きてりゃいいさ」がすきです、イルカさん、シュリークス時代からのファン、冬馬くんもすきです。ヤス、鈴木康弘さん、甘くていい声、巣晴らしギター。チューインガムもたまらなくいいんですね、海の見える放送局。
まだまだ、あります、洋楽も大好きです。千春も好きです。
馬場さんもすべてのCDもってます、ピース!
音楽は尽きない、ラジオ小僧でありました、つるべ、のファン、
一方、政治経済についてもぐたぐた、語ります。
それから、超常現象にも興味ありますが、ブラジルのあのおっさんには、
むかつく。
全て | カテゴリ未分類 | 行方不明 | 政治経済 | 弁当画像 | 馬場俊英 | 雑感・・・ | 少年犯罪 | 犯罪(児童被害) | 高齢化問題 | お勧め洋楽 | 音楽(すきな。。1980) | アリス | ユーミンブランド | 中島みゆき | 松山千春 | 小田和正 | オフコース | 教育問題 | 核保有問題 | 北朝鮮問題 | いじめ問題 | 体サイエンス教室 | 拓郎の世界 | 日本フォーク史 | 斉藤哲夫 | さだまさし | 鈴木康博 | 大津あきら | ぼくがいいたいこと | 不思議な体験 | 安部恭弘 | 地震 | 若い音楽家たち | ぼくが失ったものたち | 蒸気機関車 | 鉄道ネタ。。 | 戦争と平和 | 竹内まりあ | 深夜ブログ便 | fushion | イルカの歌 | 1970年代アイドルたち | 1980年アイドルたち | アイドル理論 | 英五 | 1970年代の話 | 懐かしの深夜ラジオを語ろう | 新・深夜風呂具便 | テレビ批判 | 谷山浩子ねこもりもりもり | 偽装。虚偽、うそつき | 落陽 | 北海道の旅 | 学生時代の思い出
2008.10.23
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
1819年(文政2年)尾張国知多郡小野浦(現愛知県知多郡美浜町)に生まれる。 天保3年(1832年)10月、宝順丸(船頭樋口重右衛門)が江戸に向けて鳥羽に出航(乗組員船頭以下13名)したが、途中遠州沖で暴風に遭い難破・漂流。14ヶ月の間、太平洋を彷徨った末、ようやく陸地に漂着したときには、生存者は音吉を含め岩吉(旧姓岩・松尾張国熱田出身)、久吉の3名のみであった。アメリカ太平洋岸のオリンピック半島・フラッタリー岬付近にたどり着いた彼らは現地のアメリカ・インディアン(マカー族)に救助される。インディアンは彼らをイギリス船に売り飛ばし、代わりに金物を得た。このイギリス船はハドソン湾会社の持船で、3人を救助した情報はただちにロンドンへ届けられる。会社は費用を負担して3人をマカオ行きのゼネラル・パーマー号に乗せることにした。途中、ロンドンに着いた彼らはテムズ川で10日間の船上にとどまっていたが、許されて1日ロンドン見学を行っている。彼らがロンドンの地に最初に上陸した日本人であった(ただし、日本人として最初に世界一周をした若宮丸の津太夫ら4人がロンドンに寄航しているが上陸は許されていなかったので、音吉ら3人が最初にイギリスへ上陸した日本人となる)。

1835年12月、パーマー号はマカオにつき、彼らはドイツ人宣教師チャールズ・ギュッラフに預けられる。そして音吉ら3人はチャールズ・ギュッラフと協力し世界で最初の邦訳聖書を完成させる。1837年3月、薩摩の漂流民である庄蔵、寿三郎、熊太郎、力松ら4人がマカオに届けられ異国で同胞たちと対面した。同年6月、7人を乗せたイギリス船ローリー号は、マカオを出発し那覇まで来る。ここで彼らはモリソン号に移乗し、あらためて日本へ向かう。

7月30日、同船が三浦半島の御崎の南方に達したとき予期せぬ砲撃にさらされる。これがモリソン号事件である。この事件に触発されて渡辺崋山、高野長英らが幕府の政策を批判する著書を記す。結局モリソン号は通商はもとより、漂流民たちの返還もできずマカオに戻った。彼らは再びチャールズ・ギュッラフの元に預けられる。1838年(天保9年)アメリカ合衆国へ行く。

その後、音吉は上海に渡り、デント商会に勤めた。その後1849年(嘉永2年)イギリスの軍艦マリナー号で浦賀へ行く。また、1854年9月にイギリス極東艦隊司令長官スターリングが長崎で日英交渉を開始したとき、再度来日し通訳を務めた。この頃にはジョン・マシュー・オトソンと名乗っていた。

その後マレー人と結婚。1862年(文久2年)はじめ音吉は上海を離れ、シンガポールへ移住し、その地で幕府の遣欧使節団の森山栄之助らに会っている。1867年(慶応3年)、息子に自分の代わりに日本へ帰って欲しいとの遺言を残し、シンガポールにて病死。享年49。

ちなみに、息子のジョン・W・オトソンは1879年(明治12年)に日本に帰り、横浜で入籍許可を得て名前は「山本音吉」となった。


すごいですね、音吉さん、これも映画にすればいいとおもうんですが、脚本でできるのか
現実のところすごい予算がかかりそうです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2008.10.23 23:11:01
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

カレンダー

コメント新着

あさ・がお @ 20241224クリスマスの約束 2009年の再放送と、 2024年の最新…
ありんこbatan @ おはようございます。 大雨も 大地震も 山火事も 怖いですね~ …
長七です@ Re:ごぶさたしています。(05/30) あさ・がおさんへ お元気ですか。地震雷火…
長七です@ Re:おひさしぶりです!(05/30) ありんこbatanさんへ こんばんわ、お元気…
あさ・がお@ ごぶさたしています。 こちらは、千葉房総沖、茨城県南西部など…

プロフィール

長七7614

長七7614

キーワードサーチ

▼キーワード検索

お気に入りブログ

峠は積雪の北海道・… New! 歩世亜さん

シラスの日 New! ありんこbatanさん

ごみの日だってねぇ… あさ・がおさん

空家実家で作業 kirakiraよっちんさん

『天を歩け、そして… @たれぱんだ@さん


© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: