サイド自由欄
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友人が交通事故でなくなった冬、
しばらくたち、交通事故を起こした運送屋が事故を起こした車で彼のバイクを突然運んできた、下宿のメンバーはおどろいて、外に出て、そのぼろぼろになったバイクを見た、周りの家のおばさんもでてきて、大家さんもでてきた。
何も、ここへもってこなくていいものを・・。
デリカシーのない会社だ、運んできたおっさんは、周りがパニックのなるのをみてばつがわるそうに、車にもたれ、無言でいた。どっちが被害者かわからない態度、
大家さんは怒っていたが、あわてて、知り合いのバイクやに電話し、呆然としているぼくたちを部屋にはいるように促した、すぐにバイクやがきて、バイクを引き上げていった、バイクの破片が入り口に落ちていて、僕は拾い上げようとした、
そのよこに、郵便物が落ちていた。
なんと、死んだ友人に送られてきた東京のペンフレンドの手紙だった。
東京のペンフレンドは高校生の女の子で、夏の合宿で出会い知り合い、文通がはじまったらしい。まだ、その女の子はまさか、文通相手がこうなっているとはしらず、手紙をいつものようにだしてきた。
僕と先輩と、後輩でコタツの上にあるその手紙を見て沈黙していた。
「生きてることにして返事かきましょうか?」ぼくがいう。
「字がばれるでしょ」確かにそうだった。
「このまま、返事出さずにおいておけば、あきらめるだろう」そのときの結論はそういうことになった。手紙は先輩が保管し仏前にもってゆくことのなった。
しかし、何通も何通も、手紙が来た。返事がないので心配したのか、
数通の手紙がたまり、ため息で手紙を受け取る。
春が来て、GWにもなり、また手紙がきた。ぼくらは既に新しいメンバーの下宿人はきて、小山コーポも変わりつつあった、その新しいメンバーにも前の部屋の持ち主が事故死したことを秘密にしていた、というか、どういえばいいいか、
悩んでいた。その手紙にも悩んでいた。
ぼくは、みんなにいった。
「こうなったら、僕が会いに行きます、会いにゆき、彼が死んだことを伝えます」
渡せなかった手紙は本人に返します。
そういって、ぼくは既に夜行の銀河51号に乗ってゆくはらずもりだった。
川崎のある町までゆき、電話帳で電話番号を探し電話した。電話でどういうか考えていない僕は、電話で呼び出そうとしたが、父親が出てきた、
混乱していた、どう伝えるべきか、
「どういうことなんですか?」
電話で伝えてしまった。これなら京都からでもできたことだったが、手紙をかえして直接伝えたかったのだ。
しかし、彼女は突然のことを受け入れられることができず、会いたくないと。
その夜は東京の大学に行く友人の下宿に泊めてもらい、翌日、その女の子の代理という友人二人が出てきて、手紙をかえすことができた。
わざわざ、東京に出てきたぼくを見物がてら、渋谷の町を案内してもらい、
京都に帰った、
鴨川の桜並木はすっかりと青葉になっていた。
ある日、ポストをみると見慣れたあの文字で僕宛に手紙が来ていた、
「彼の分までいきてゆこうとおもいます。」なんとか、受け入れたようであった、きっと、その女の子は心の中でずっと、手紙を書いている、いまもそうだろう、
もう28年も前の話だが昨日のことのように感じる、
心の中でずっと、文通しているんだとおもう。
もう、45歳になって、いい母親になっているだろう、どうしているのか、僕も彼女に手紙を書きたくなった、
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