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相棒が退職したのは3年前。それまでも家事は色々してくれていたけれど、専業主夫になったことで、料理も彼がすることになった。とはいっても、朝はパン食だし、息子の弁当は私が作るので実際には自分の昼食と息子と2人分の夕食だけ。休みの時は私が夕食を作るのだが、「これはどうやって作るん?」などと、ひとつひとつ聞いてくる。しかし私は何でも目分量で作るのでいざどうやって作るのかと聞かれると大変困る。この間もポテトサラダの作り方を教えてくれと言われ、「じゃがいもをゆでて(私はふかすのだけど)つぶし、温かいうちにお酢と塩コショウで下味を付ける」と説明したら、「お酢はどれくらい?」「ちょっとじゃわからん」とまあ細かいとこまでツッコミが入る。息子の好物なので、何度も作ってはダメ出しされたようだ。失敗を繰り返すうちに自分なりの味付けを覚えたようで、最近では「卵焼き(だし巻き)はお父さんの作った方が好き」と息子に言われて鼻高々である。ここまで来るまでには、「まずい」「お母さんのと味が違う」などと息子に言われ、いつもケンカをしていた。その度に、「じゃあオレはもう飯はもう作らん! お母さんに作ってもらえ!」と大人気なくもスネる相棒(^^;そうなると、私は時間を気にしながら残業をしなければならず、息子に「お父さんの作ったご飯に文句を言わないで」と頼み込む始末。今までそんなやりとりが何度繰り返されたことか・・・。凝った料理は作れないが、みそ汁と卵焼き、サラダ…順調にレシピを増やしているようだ。しかし相棒は煮物が作れない。ひとつくらいは私の砦を残しておかなければね。でも、牛丼を『エバラすき焼のたれ』で作っていることはまだ内緒にしておこう。
2007.01.23
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兄は性格も体格も何もかも私と真逆だった。親や親戚からはよく「(性別が)入れ替わっていたら良かったのに」 と言われたもの。そんな兄が亡くなったのは、もう10年近く前。肺がんが体全体に転移していたのだ。妙に熱っぽく風邪のような症状が続いたため、受診し即入院を申し渡された。その時点で兄はすべての手術や積極的な治療を拒否。それから1年も経たずに兄は逝った。死後、かかりつけの医師からのたっての願いで解剖をして分かったことがある。それは肺がんがそもそもの原因ではなかったということ。最初は唾液腺にがんができたのだった。それが肺に、そして全身に転移したらしい。唾液腺のがんは珍しいと医師は両親に話した。最初にそちらに気づいていれば、後の展開は変わっていただろうか・・・・?今朝ワイドショーでアグネスさんの唾液腺腫瘍の話を聞いて色々考えさせられた1日だった。
2007.01.19
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