雨の日は音楽を

雨の日は音楽を

2022年05月16日
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カテゴリ: 歌曲
​ ようやく鴉に追われなくなった(もしかしたら追跡されるのを気にしなくなった??)若者は、気がつくと道は雑木林を抜けようとしていた。曲頭から、よろめいている若者の足取りを表すかのような旋律をピアノが提供している。

 歌曲の作曲者が歌詞を変更することがあるのは事実だが、ここでシューベルトは、一見するとおかしな修正を加えてしまった。第1連の歌詞は
    Hie und da ist an den B ä umen
            Manches bunte Blatt
zu sehn,

​​     あちこちで 木々に色とりどりの葉 がいくつも 見える。​​
で始まる。でもおかしい!絶対におかしい!と昔から筆者は思っていた。だって「冬の旅」ですよ。冬!そんなことあるわけない。雪の積もった雑木林の中に紅葉した葉がいっぱいの樹木があるなんて!とても不思議に思っていたのだが、原詩の作者 M ü ller の書いたのは
  Noch ein bunte Blatt  zu sehn,
​       木々に色づいた一葉 が見える。
だったようだ。まあこれなら理解できる。「まばらに」という程度なのだろう。生物学的な理由は分からないが、「たまに」寒さの中で震えるように色づいた枯れ葉が散りもせずに、枝についたままというのは読者も目にしたことがあるだろう。この元の歌詞をなぜ変更したのだろうか。歌ってみると、現詩のままでも原詩のままでも、不自然に感ぜず歌えるのだが、どうなっているんだろう。思うにシューベルトは、葉が落ちて見通しが良くなった雑木林を見ると、「あちこちに」時々枯れ葉になっても枝にしがみついている葉があること、若者は近くの一葉の枯葉「だけ」を見ながら物思いに耽っている、と言いたかったのだ。

 歌の始まる5小節目から伴奏が1小節目からの旋律を繰り返して、正気と狂気の境界を彷徨ってているように歌う。終始 mp で続けているが、動きがあるのは18小節目の3拍目 "spielt der Wind..." とそれまでの、枯葉を見つめての思惟「この枯葉が落ちれば自分の希望も落ちるのか」が、吹き抜ける風に正気に返って、風が吹く中で立ち尽くす自分に気がつき、正気に戻って少し驚きながら、クレシェンドしながら、この枯葉も自分も風に吹かれていることに驚く。

 驚きつつも枯葉を見つめているという間が22ー25小節まで続き、その間に枯葉は無情にも雪の上に落ちてゆく、筆者の勝手な解釈だと25小節目の3拍目の裏拍のピアノがクレシェンドからアクツェント付き fになったところで枯葉は落ちてしまったというところか。ここは若者にとって絶叫するに値する大事件と言えるだろう。そしてすぐに etwas langsam ちょっとゆっくり となって、落胆して「枯葉とともに希望も落ちた」とういう 28-9小節目のかすれたような p とともに歌が入る。気を取り直して、希望の失せたことの意味を再確認しての f が32-33小節であろう。物語的には、この部分が短編小説のクライマックスである。故にこの後の部分は後奏という役割を果たしている。35小節目から始まる "Wein' ” の嘆き("weinen" は声を上げて哭く) は 9小節の間に4回も「哭く」のだが34小節目のデクレシェンドに注目したい。35小節目の「哭く」の部分からは p 指定の伴奏であることに。

 すでに若者はずっと心に抱いていた不安。恋しい女と歩いた距離が増えるほど、再び逢えることなどありはしない事。このこの先自分を待っているのは、凍死か餓死しかないこと。手持ちの資金も限りがあること。流れ者の職人を雇う親方なぞいるはずもないこと。見つめていた枯れ葉がハラハラと落ちたときに、それらの恐怖の現実が若者に襲いかかってきた。もう心の赴く先は狂気か?








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Last updated  2022年05月20日 17時24分03秒
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