雨の日は音楽を

雨の日は音楽を

2022年12月26日
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カテゴリ: 歌曲
若者は町外れの墓地にたどり着く。死への恐怖と羨望がない混ぜとなった心には、寒く気味の悪い墓地を見て、安住の地と思えたのだろう。先頭のピアニシモは、3小節目のクレシェンドでピアノ指示の4小節まで緩やかに大きくなって、次第に墓地に近づく若者の心に、ある種の諦観と絶望感を懐かせる。

初めの4小節は葬送の鐘の音を暗示して、町の住人に不幸があり、埋葬するのだろうか。少なくとも一つは、新しい墓とかけられた糸杉のリースが若者を招く。墓地に近づく若者の足は疲労で重く引きづっている。だから先程まで聞こえていた鐘の音の速度は極めて遅い。餓えと寒さでよたよたと歩くということで、先頭の Sehr langsm という速度指示が生きてくるのであろう。どれくらいゆっくりかは、歌い手がどの程度に若者を「疲れさせる」かにかかっている。

この歌は、この若者のヨタヨタ歩きの度合いが曲想を決定するのだろう。こう考えると、この「宿」にも宿泊はできないのかと、見えない宿の主人を詰る22小節からの、少なからず怒気を含んだ諦めの嘆きの部分からは少しテンポを速め、旅杖とともにまた旅を続ける決心の部分に、そのままつなげることも試してみたいものだ。シューベルトは速度については冒頭の「極めてゆっくり」以外は示してはいない。

歌い出しもGで低く物憂げな様子である。「自分の旅はある墓地に行き着いた」から始まる、不気味な歌であるが、若者の落ち着いた声音から、聴き手はじっと様子を見る事となり、若者の反応を待つのだ。「ああ、ここだよ。ここにこそ泊まりたいんだ、と心の中で呟く。」私達聴き手はハッとしてしまう。墓地で宿泊ってことは、墓に入るってことか?と唖然としてしまう。

更に若者は墓地の中に入り込む。まだ新しい「緑の(糸杉の?)葬儀の輪は、宿屋の看板に見えてきて、疲れた旅人を冷たい宿に誘う」聴き手は「おいおい、本気じゃあるまいな」とやはり心配になる。
やはり幽冥の境の墓地にいることで、聞き手も心配になるのだが、この第3連で、一渡り墓地を歩いた若者は、一つも部屋(墓穴)が空いていないので、少し高めの旋律で憤りを示す。すこし強めの発声で憤ることで良いだろう。「この宿の部屋は全部埋まっているだと?こんなに死ぬほど疲れているのに!」この「死ぬほど」tödlich は、歌詞だけ読めばシャレのようだが、若者の心情としては笑えないものだろう。疲れ切って寒くて多分ひもじい体はを抱えて、もうどうとでもなれ!という気持ちにもなろう。

第1連〜3連は2小節の間奏があるのだが、第3〜4連の間奏は1小節分で、若者の苛ついた気持ちが表現されている。第4連の開始時には「ああ無情な亭主め。私を追い出すのか?」とつい音量が上がる。この連の3~4行目つまり曲の最後の部分の歌詞が、注意を引く。「ではまた歩こうではないか、また。わたしの旅杖よ」”Nun weiter denn, nur weiter, Mein treuer Wanderstab"楽譜では上記の歌詞が繰り返されるのだが、"nur"に毎回クレシェンドがついている。一度目の"nur"と二度目の"nur"は、後の方が高く、まるで自らの体と心に言い聞かせている様に思える。一度目の「わたしの旅杖よ」にはピアノの指示があるが、二度目にはついていないことにも注目して歌いたい。

閑話休題
「旅杖」が出てきたが、私達には馴染みがない代物だろう。舗装された道路のない時代には、道路の状態を確認、蛇などを払う、小川を飛び越えるときの支え、野宿するときの簡易テントの支柱、山賊と戦うときの武器などと用途は沢山あったようだ。でもミュラーの描く『冬の旅』では、この若者はどんな使い方をしたのだろうか?筆者なら野宿するにしても、旅杖があれば、低木の木の股杖を指掛けて屋根の芯材してから、枝を斜めに指掛け、その上から木の葉を並べて屋根を作るだろう。しかし冬の北ドイツの林には、灌木や葉を繁らせる樹木などあるのだろうか?

私事であるが、恩師のロゲンドルフ神父様は、今はフランス領のシェルブールのご出身だったが、もう心は日本人になっていて、私達日本人はなんて講義の時に口にしていた。でも一つだけドイツが恋しい点は、ドイツの森だ。とにかく2・26事件のときには大学の屋上から、反乱軍部隊を眺めていた程の在日経験を持つ先生なのだが、恋しいのはドイツの森を歩いた日々なのだと。日本にも森はあるでしょうにと申し上げると、

「いや君!違うのは下生えのことだ。日本の森は下生えの植物が多すぎて、まっすぐ歩けないじゃないか。ドイツの森は下生えの植物がとても少ないから、森の中へどこまでも歩いていけるんだ。幼い子供が森の奥へ奥へと簡単に進めるんだ。だからヘンゼルとグレーテルの話は、日本が舞台だったらありえないだろうね。だから森の中を彷徨い歩くワンダーフォーゲルなんて活動が起きたんだよ。」

とのお言葉。四ツ谷からほとんど毎日、晴海まで散歩をなさっていた健脚の恩師が懐かしい。

というわけで、若者は野宿ではなく、岩陰や炭焼小屋に宿泊していたのだろう。筆者もドイツの雪の森で、野宿はできそうにない。まあ猛獣がいないけれど狼がいそうだから、当時は命がけだったのかな。






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Last updated  2022年12月26日 21時15分33秒
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