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アレッサンドロ・フランチェスコ・トマソ・アントニオ・マンゾーニ
ギャラリーきのこの第90回不思議なお茶の会はイタリア語講師の菅野類さんの「イタリアの国民的作家 アレッサンドロ・マンゾーニ」をその小説『婚約者』を中心に語る会。この会までに読もうと思っていたが、岩波文庫版で3巻12~1300ページに及ぶ大作で、断念。しかし、当夜は完読した会員の方もちらほら居て菅野さんが私のような不謹慎なものにもその内容を簡潔に解説、そして近年成った同名オペラのダイジェストもDVDで鑑賞し、その後リーザさんのロシア料理と細谷さん持参のイタリアワインを楽しみながら、 イタリアのA to Zの会話で盛り上がりました。
マンゾーニは1785年3月7日ミラノ生まれ。保守的で田舎地主のピエトロ・マンゾーニを父とし、進歩的知識人のチェーザレ・べッカレーアの孫娘26才年下を母とした。しかし、父と母は全くそりが合わず諍いつづきで10年で離婚。マンゾーニはそんな母と愛人ジョヴァンニ・べェッレとの間の子と言われている。
家庭的な愛情生活に恵まれず育った彼は寄宿舎生活を続け、父ピエトロを嫌い、母親の招きに応じ自由主義と啓蒙思想の渦中のパリへ移住したことが転機となって、甚大な影響を受ける。パリへ移住して2年目の1807年父ピエトロが死去し莫大な遺産が残されるが、彼は父の葬儀にも行ってはいない。
1808年、カルヴァン主義者の当時17歳の銀行家の娘エンリケッタ・プロンデルと結婚、ともに穏やかな生活を求め、彼はそれまで無自覚だった信仰に目覚め、エンリケッタとともになぜか旧教のカソリック信者となった。啓蒙主義的理念やフランス革命の思想に疑問を抱くようになっていたこともその決断を後押ししていたかもしれない。
1815年、書きためていた詩を集成して『聖なる賛歌』を上梓。カトリックの儀式を通じた他者との連帯感がテーマだと言う。
1820年、悲劇『カルマニョ―ラ伯』、これは本来的な悲劇からはほど遠い作品だとされるが、アリストテレス以来の古典的悲劇の形式を壊したい欲求に貫かれていると菅野さんは語った。1822年歴史的題材への関心から『アデルキ』を上梓、虐げられるイタリア人民を描いた。マンゾーニの文学は彼自身、目的ではなく手段だと言っており、メッセージ重視で普遍的真理を探究するものとし詩から悲劇への移行、それに続く歴史小説もよりよい手段の探究の結果だとされた。
当夜のメインテーマ『婚約者』は文学史上最高の歴史小説と言われるらしいが、1821年頃構想し、1842年に決定版が出た。上品な文体と道徳的な内容でダンテの『神曲』とともにイタリア人は一家に1冊必ずあると言われているらしい。
この小説のプロットの詳細は読んでいただくとして、作品の特徴は菅野さんによれば、全てを描き切る野心的な構成と喜劇性、悲劇性を盛り込み群集心理と内面のドラマの精緻な描写、強い道徳的メッセージに満ちているという。
この作品以後、彼は真理探究のためにフィクションにたよるという矛盾に悩むようになり、文芸活動からは遠のき、教育担当大臣として言語教育に関与するようになる。現在では批判も多いが、14世紀にダンテが試みたと同様、トスカーナ語とりわけフィレンツェのそれを基準とするイタリア語の標準化に貢献したと言われる。
面白いことではあるが、彼も当時の多くの知識人と同じく、1800年頃はナポレオン崇拝者で、ナポレオンの没年には彼に詩をささげている。
1870年5月22日ミラノで死去。
菅野さんの研究テーマは「18世紀知識人の感情と幸福との関係」でこの母親の愛人の兄弟か父親か聞きもらしたがアレッサンドロ・べェッレが研究対象という。
僕の関心は青春の日々の心の葛藤が、深い内省と信仰体験を経て、超保守的で信仰生活に心の平安を求めるようになったマンゾーニの生涯もさりながら、菅野さん自身が、マンゾーニの描いた時代背景の中で生きた同時代の知識人たちの心の動きをつぶさに調べ上げ、「幸福」というテーマにアプローチしようと思うにいたったそもそもの動機が聞きたかったのだが、当夜のマンゾーニとその時代の多岐にわたる解説からは、このテーマに触れるような言説は伺えなかった。
僕の次の世代に属する仲間の一人である彼が、僕ら世代にとっては多分に気恥ずかしい「幸福」という言葉をストレートに用いることにもとても興味があり、 幸い、彼はムックきのこの旅にも参加してくれているので、その言わんとするところは何となく彼の人となりから立ち昇ってきているように思えるので、これから長い時間をかけてぼちぼち聞き出していきたいものだ。
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