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当尾で出会った地衣をまとった風化仏
奈良のまほろばの旅のひとつの課題。優婆塞や私度僧といった僧侶令による資格公認を得ずして僧侶となった人たちや貴良賤の律令的身分制度の中で米づくり以外の道で生計を立てた雑戸身分の人たちが無位無冠のままにどのようにして自身の心の平安を得て行ったかをつぶさに調べていて、そのルーツには修験の働きが無視できないものとして浮かびあがってきた。いわゆる穢れにつながる周縁の人たち。出版業界に「雲か山か」という出版物のあたりはずれを形容する言葉があるが、山に伏せて修行する彼らはよく行って神仏の代理人、しかしその多くは結局のところ異人でしかなく、山ではなく雲でしかないヤマ師、ペテン師的存在なのだ。僕が自身のことを意図的におなら(最近リニューアルした遷都くんのことではなく屁のこと)のような存在というのと似通っている。
本年のきのこ地蔵の旅は、野性のきのこたちの語りとともに、そうした無名のひとたちの精神活動の痕跡を辿ることも視野に入っている。 この浅春の当尾の旅と壷阪から高取山の旅はそのイントロだった。彼らのアイコンとしての聖徳太子は、そうした人たちの心のよりどころとなっていったところが僕を惹きつけてやまないだけのこと。
原始山岳信仰は葛城山の役小角とともに、良弁の春日奥山からはじまり笠置山へ至る原始修験のトポスを辿る旅は僕の中ではもうムックきのこの月1回の旅では収まりきれないほどのボリュームとなりつつある。「いのち短し、旅せよおっさん」ってところか?!。良弁の故郷の近江、そして愛知川流域の依知秦氏の本拠地の栗東から信楽。若草山ほとりの良弁の山房のあった三月堂から春日奥山の地獄谷。独立峰の笠置山頂の笠置寺と石窟、そして虚空蔵菩薩の磨崖仏など。
きのこは思うところあって、列島弧のみならず地球規模とりわけ古代アジア領域での探訪の手がかりをさぐりはじめている。
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