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恋ぷに。第4話。ヤバい。とんでもない。もはや見るだけで目の保養!!倫太郎の恋人疑惑はあっさり解消して、ひたすら恋する男女のジタバタとオロオロを楽しめました。ドア開けてバッタリ出くわしただけの、あのオープニングのキラキラとドキドキは何?TBSのラブコメなんかとは比べものにならない、もっともっとハイセンスなトキメキに満ちている。菅野祐悟のロマンティック路線もサイコー。演出は今週から岩本仁志です。石原さとみがすばらしい!なんだか全盛期が戻ってきた感じ!演技が瑞々しくて、とっても生き生きしてます。この作品にアンチがいるなんて、節穴にもほどがあるでしょ(笑)。このドラマをリアルタイムで楽しめる幸せ!それにしても、岩塩!(笑)ソルティドッグ!(笑)素敵すぎるオープニングタイトル。潮騒の音とコーヒーの香り。キスした後の花火の夜…。ウツボ怖すぎ。
2021.05.06
恋ぷに第3話。…とんでもなく美しい。第3話にして、クオリティが落ちるどころか、ますます高まってる。今週までの演出は鈴木勇馬でした。来週以降が見もの。ハイレベルな演出合戦になる可能性もある。今後もこのレベルの神回が続くなら、これはもう、奇跡的な傑作になるかも。坂元裕二の作品さえかすむような手応えを感じます。◇脚本の出来もいい。思った以上に複層的な物語ですね。3兄弟の母の海辺の記憶。倫太郎の罪を許せない光太郎。光太郎には別居中の息子がいて、倫太郎には恋人がいるようです。大学と蓮田トラストのあいだには、なにやら癒着があるみたいです。光太郎と鴨教授の関係にも、榮太郎と椎木の関係にも、ちょっと謎があります。誰が本当の敵なのか、まだ分からない。リゾート用地買収問題。山と海の関係、地権者の借金の話も出てきました。◇予告を見ると、やっぱり主人公は人間ではないのですね。海藻ばかり食べているし、体温も冷たい。>わたし、>流れてくるものに、みんなと一緒に乗っていくのが好きなんです。…ってことは、なんだろう?サンゴの卵とか?タツノオトシゴとか?>え、海の広さ分かってます?↑このセリフも面白い(笑)。そうとう広くて深いんだろうねえ、海って。車の後部座席に座っている倫太郎。仁子が「Lover's Concerto」を聴いていたことを思い出す。
2021.04.29
日テレ「恋ぷに」第2話。めちゃめちゃ面白い。徳尾浩司の脚本が驚くほど上手い。演出もふくめて、ひさびさに満足のいく日テレらしいドラマ。菅野祐悟のロマンチック路線もステキ。◇第2話にして、まだほとんどが謎のままです。主人公が何者なのか分からないし、だれがリゾート開発の推進者かもよく分からない。長男の光太郎が海音を会社に招いたのは、弟への妨害作戦だったのか、事業への取り込み作戦だったのか。そして、倫太郎の秘密と苦悩とは何のか。ストーカーみたいなYouTuberの存在もいまいち不明。さまざまな謎が物語を牽引しています。◇登場人物のキャラ立ちも見事。石原さとみはいままでになく可愛いし、今田美桜と渡邊圭祐の組み合わせも楽しい。高橋努のお約束も笑えたし、デイヴィッド小手も最高でしたw◇主人公は、高い所は苦手だけど、深い所は平気とのこと。Deepってそういう意味ですね。たぶん海音も、倫太郎も、Deepな場所に秘密があるんだろうなと思う。それにしても、あのウツボ、まじで喋ってるよね…あくまでジーンとの関連を考察します…
2021.04.22
石原さとみ×綾野剛。日テレ「恋はDeepに」第1話です。なにやら変人どうしの恋愛かしら??ドラマ全体の情緒も何となくおかしいし、けっこう変なドラマです。面白いか、面白くないかでいうと…なんとなく面白いww現在の日テレとしては、けっこう攻めている路線のように見受けられる。映像のセンスも良い。ひさしぶりに可愛い石原さとみを見た気もします。お魚とお話しできる主人公は、ちょっとモコミ的な設定?◇海の環境問題が絡んでいて、思わず「不機嫌なジーン」のことを思い出したけど、いわゆるSDGsを齧っただけなのかもしれない。…と思いつつ、参加してるスタッフを確認してみたら、なんと番組のプロデューサーが、かつてフジテレビにいた山口雅俊だった!!!つまりは「不機嫌なジーン」の張本人です。ちなみに「不機嫌なジーン」は、ロンドンに始まってロンドンに終わるのですが、今回の物語は、倫太郎がロンドンから帰国するところに始まる。…ってことで、この作品に込められた「思想」の部分も、にわかに気になってきました。そもそも「Deep」とはどういう意味?
2021.04.15
「虚勢」「虚栄」「虚飾」といった言葉がありますが、それ以外にも、つとめて朗らかに振る舞ったり、つとめて華やかに振る舞ったりすることがあります。さしずめ「虚朗」とか「虚華」とでも書くべきでしょうか。芸能人なら、なおさらのことですよね。◇日本は、ホンネとタテマエの社会なので、そういう振る舞いを強いられることが多いのですが、三浦春馬も、竹内結子も、そういう要素の強いタレントだったと思います。いわば「虚像」を演じるのが仕事ですから、それによって充実感を得る面もあるでしょうけれど、とてつもなく虚しく思えてしまう瞬間もあると思う。わたしが見てきた竹内結子は、役柄のうえでも、嘘の笑顔を浮かべていました。『不機嫌なジーン』でも、『QUEEN』や『ミスシャーロック』でも、もちろん『コンフィデンスマン』もそうですよね。そして、彼女自身も、なかなか本当の姿が見えにくい人でした。そういう点は、三浦春馬も共通していたと思いますが、それは、生きることの「疲労」や「孤独」が、気づかぬうちに蓄積しやすいタイプだろうとも思います。本来、演劇には、そういう虚飾を剥ぎ取る力もあると思いますが、いまの日本のドラマや映画には、そういう側面は期待できないのかもしれません。◇生と死を天秤にかけている人が、世の中には、けっこう存在するはずですが、そういう人にとって、自殺への引き金になるパターンが2つある。ひとつは、いつも以上に辛いことや悲しいことがあって、天秤が死のほうへ大きく振れたときです。もうひとつは、いつも以上に、死ぬのが楽なように思えてしまったときです。そして、いまの芸能界には、まさに、この気分が広がっているように見えます。あの人も死んでいるし、この人も死んでいるから、いまなら自分が死んでも大丈夫かもしれない。いつもより楽に死ねるかもしれない、という気分です。◇日本に特有の心の問題に、有効に対処するためのシステムは確立されていません。周囲に相談しても相手にされないし、精神科や心療内科に行っても、まったく相手にされません。病気のカテゴリーにはないからです。集団的な病というのは、けっして「個別的な病」として認識されません。「みんな同じ」「誰だってそうだ」と言われて終わりです。あまりにも集団的な病であるために、当たり前すぎて、かえって可視化されないのです。学界においても、福祉行政においても、医療業界においても、このような集団的な心の問題を、客体化することに消極的です。厚労省は、せいぜいのところ、統計を取って、電話相談に応じているだけです。まずは、医学会が、これを「病」として認識する必要があります。そして薬学的にではなく、行動学的に対処する方法論を確立しなければならない。◇去年、フジテレビの『ボクらの時代』で竹内結子が、水川あさみや斉藤由貴と鼎談したとき、彼女が、水川あさみとのバディコンビが解消したのを寂しがって、涙を流していました。それを見て、斉藤由貴は、「竹内さんがそういう姿を見せるのは珍しい」と言って驚いていました。それを思い出します。
2020.09.28
惨憺たる視聴率で、これまでボロクソに叩かれていた『スキャンダル弁護士QUEEN』ですが、後半になって、かなり面白くなってきている。このような展開に、多くの人が「見続けてよかった」と感じているはずです。とくに主人公の女性2人が決裂していく展開は、かなりスリリングなものになっています。◇『スキャンダル弁護士QUEEN』は、ミュージックビデオの演出家である関和亮が手掛ける作品ということで、もともと注目を集めていました。たしかに、音楽の使い方にはこだわりが感じられるし、スタイリッシュな映像も、独特な編集の手法も、かなり凝ったものでした。しかし、断片的なシーンをバラバラに繋いで、伏線を暗示的に散りばめていくような編集スタイルは、(もしかするとミュージックビデオの手法を応用したのかもしれませんが)一般のテレビ視聴者には、かなり分かりにくいものであり、そのとっつきにくさが、視聴率を下げる一因になったかもしれない。とはいえ、関和亮が演出を担当したのは、いまのところ2話だけで、脚本も、演出も、実際には複数のスタッフが分担しているわけなので、このドラマを「特定のクリエーターの作品」と見なすことはできません。また、後半になって、脚本が倉光泰子から三浦駿斗に代わってからは、ドラマの話法が、だいぶ分かりやすい形に修正されて、内容的にも、ぐっと面白さが増しました。◇バディであったはずの女性2人が決裂していくさまは、かつてのドラマには見られないほどスリリングなものになっています。男どうしが仲間割れをして、シビアな戦いに転じてしまうというパターンはあっても、女性どうしのバディが決裂して、昨日までの友人に一転して戦いを挑んでいくという展開は、かなり斬新なものであり、いかにも現代的という感じがします。結局のところ、このドラマがいちばん新しかったのは、「スタイリッシュな映像」とか「既成手法によらない編集」とかじゃなく、こうした女性ドラマとしての革新的なストーリー展開だったといっていい。何事にも動じない氷見の落ち着きっぷりも不気味ですけど、氷見への愛憎がいりまじって苛立ちを募らせる与田がものすごくリアル。そして鈴木と真野は、氷見の過去について何か知っているのでしょうか?◇さて、第9話では、主人公の背後に≪国会議事堂≫の姿が、2度映し出されました。これは、死亡事件の背後に≪巨悪の存在≫があることをうかがわせるものです。じつは、この点において、フジテレビの『スキャンダル弁護士』のコンセプトは、日テレで放送している『3年A組』のコンセプトによく似ています。『3年A組』の物語の中心になっている少女の死は、たんに教室のいじめなどの問題だけでなく、その背後に、やっぱり≪巨悪の存在≫があるらしいのです。そのようにうかがわせる展開になってきています。奇しくも、フジテレビと日テレが、同じような物語の構造を生みだした背景には、やはり現実社会における「森友問題」が意識されているのでしょう。事実、死亡事件の真相はいまだ明らかになっていません。『3年A組』で教師役をしている菅田将暉は、毎回毎回、視聴者にむけて「Let's Think !」と呼びかけます。報道やネットで流される情報は、世間的なイメージを作りあげるべく操作されたものであり、そこからは、けっして真相が見えない構造になっています。まさに現在の日本が、そのような社会になってしまっているのですね。
2019.03.09
『グッジョブ』は、満足できる快作だった。(*~~*)やっぱり、大森美香ちゃんは、ドラマ全体の構成力で勝負するというよりも、ディテールの細やかさで攻めるタイプ。だから、長い作品より、短いもののほうが、数段冴えますね。‥とはいえ、全5話は短すぎるよっっ!!!(T_T)せめて倍、2週間で10話くらいやってほしかった!課長、とっとと退職しすぎだし!課長が退職するまでもう5話ぐらいあれば、上ちゃんの寂しさを、もうちょっと共有できたのにナ。でも、ま、こんなふうにサラッと終わっちゃう感じが大森ドラマかな‥。◇『グッジョブ』はすごく「前向き」なドラマだったけど、それは“夢”や“希望”に満ちているってことじゃない。むしろ、その種の“夢”や“希望”は、このドラマにはまったく出てこない。「何かを成し遂げたい」とか、「好きな人と結ばれたい」とか、登場人物のだれひとり、そういうことを語らない。言ってみりゃ“夢も希望もないドラマ”。たんに、「人間関係を円滑に」とか、「コミュニケーションで良い仕事を」とか、そんな、従来の感覚からしたら、とても地味でつまらないことを問題にしただけのドラマなんだけど、そんな日常の何気ないことでも、その機微をキラキラと魅力的に描けるのが、大森脚本の特長。いまから思えば、『ニコニコ日記』や『風のハルカ』も、そういう系統の作品だったんですよね。NHKは、そういう大森脚本の特質をとてもよく分かったうえで、今回のドラマを作ってるなあと思います。この作品は、今まで以上に、大森脚本にふさわしい、ピッタリの素材でした。今回は、ドラマ自体に対する評価としては、(短かかったこともあって)「佳作」ぐらいかもしれないけど、企画そのものに対する評価としては、もう、100点満点でいいです。(~o~)☆ ☆ところで、大森ドラマで満足したついでに、ひさびさに、『ニコニコ』だの『ジーン』だのを、ネット上で検索して遊んでたんですけど、そんな中、新たな発見をしてしまいました。あの『不機嫌なジーン』の例の最終回で、トラウマを残してしまった人たちが、自分たちで「その後のジーン」を書き続けていたんですね‥。今になって、はじめてそのことを知りました。様々な「その後のジーン」がネット上にあるみたいですけど、その分量たるや、すごい膨大で、すでに本編をはるかに越えてると思います。あれから2年以上もたつのに、トラウマの力って、すごい‥。(~~;;そういえば、わたしもあのころ、いつしか仁子ちゃんと教授の結ばれる可能性はありやなしや‥と、必死で考えたりしていたわけです。‥というわけで、幾つか「その後のジーン」をチラチラと覗き見してたんですが、そのなかのひとつに、『のだめカンタービレ』を『ジーン』にシンクロさせてたものがありました。これは、ちょっと嬉しかった。わたしも、同じような感じをもってたから。のだめは、福岡出身なんですが、ドラマの中に、千秋くんが彼女の故郷を訪ねて、そこで有明海に出くわす、というシーンがあります。あのシーンを見たとき、わたしも、『のだめカンタービレ』が、月9の過去の系譜をちゃんと意識していて、『不機嫌なジーン』の風景と地続きになってるなぁ、と感じました。じっさい、あのときは、千秋くんが堤防の上で神宮寺教授に遭遇したりしても、何の違和感もないほどのデジャヴを感じさせた。(*~~*)だから、『ジーン』と『のだめ』をシンクロさせたくなる感覚が、わたしにも何となく分かるんです。ドラマ製作者側の人たちも、こういう視聴者のマニアックな感覚に、どんどん反応してほしいですッッ。(*~~*)
2007.03.31
愛し合ってるのに結ばれない男女の物語というのは、昔からいろいろあります。たとえば『ロミオとジュリエット』とか、『君の名は』とか『冬ソナ』なんかもそうですが、本人どうしは愛し合ってるのに、外的な障害がいろいろあって、なかなか結ばれないって話。でも、『ジーン』の場合はそれとは違ってた。この2人には“外的な障害”というのは何もありません。むしろ、周りはみんな、2人が結ばれて欲しいと思ってる。家族も、友人たちも。『ジーン』の2人が結ばれなかったのは、外的な障害のためではなく、むしろ“内なる理由”のためです。そのために、愛し合っていても結ばれなかった。というよりも、本人たち自身が、結ばれない道を決断しなきゃならなかった。自分と、愛する人に対して真摯であればあるほど、そうしなきゃならなかった。それは、潔いことなのかもしれないけど、外的な障害で結ばれない運命よりも、そのほうがもっと悲しい気がする。◇すでに他の人も書いてたけど、仁子ちゃんの決断は、「仕事か、結婚か」という選択ではありませんでした。じっさい、仁子ちゃんは南原教授に「仕事をやめて俺のところへ来い」と言われたのではありません。むしろ、「俺のところで研究を続ければいい。 そのほうが思う存分研究を続けられるんだから。」というように言われたんです。仁子ちゃんは、それにもかかわらず、 いつか、あなたのもとから飛び立ちたくなってしまう。と言ってしまう。「飛び立つ」というのは、たんに“研究者になる”ということではなくて、同じ研究者であったとしても、“教授とは異なる道を選んでしまう”ということだろうと思います。◇南原教授は、「愛するものを守るためなら、地球が滅んでも構わない」と考えるような人だし、彼は、そういう意味で、強い「男気」をもっている人です。普通の女の子だったら、むしろそういう男の人を選ぶ。そのぐらい、総てを賭けて自分を守ってくれるような人を選ぶと思う。でも、仁子ちゃんはちがう。そうやって「自分が守られること」に疑問をもたずにはいられないから。自分たちのために地球が滅んでしまったりするのは、我慢できない。だから、「いつか自分は、あなたのもとを飛び立ちたくなってしまうだろう」と予感せざるを得なかったんだという気がします。◇じつは、教授も、そのことを完全に分かっていました。2人は、お互いに愛し合って、お互いのことを理解しつくしているがゆえに、それぞれの“内なる理由”にしたがって、別れを選ばなければなりませんでした。仁子ちゃんは、その後、社会の問題にも深く関与しながら、研究者としての信念を実現するための、仕事を続けていきます。彼女は幼いころから生きものが大好きだったし、そういう意味では、南原教授以上に「天性の生物学者」だった。だから研究者としては、妥協がなかったと思う。それは、「研究者としての倫理」とかいう以前に、それこそが彼女にとって最大の幸福で、生きる道だったんだと思う。でも、ラジオからあのメロディが聞こえてきたとき、ふいに仁子ちゃんはうなだれて、後悔と悲しみに頭をかかえます。そして、そこでドラマは唐突に終わってしまう。わたしは、このラストが、とても美しいと思います。悲しいけど・・。繰り返し見るたびに、美しいラストだと思ってしまいます。◇さて、話は変わりますけど、今日は「神宮司教授」のことをとりあげたいんです。でも、その前に、まずは「勝田」の話。南原教授とは対照的な人物として、このドラマにはオダギリくんが演じた「勝田」という人物が存在します。もともとこのドラマは、そんなに「善悪」とかがはっきりしたドラマなわけじゃないけど、オダギリくんは、いわば「闘う人間」の象徴で、南原教授のほうは、「闘わない人間」の象徴だったと言えるかもしれません。そして仁子ちゃんは、2つの立場のあいだを揺れる存在でした。で、そこに、もうひとり重要な人物がいて、それが神宮寺教授。彼女のセリフに、こんなのがある。 わたしは、数学とダンナのこと以外は考えないようにしてるの。 あとは、ちょっと友人の心配をするだけ。このセリフは、彼女のポジションをよく表してると思う。「数学とダンナのことしか考えない」というのは、たぶん、“人間社会の面倒なことにはなるべく首を突っ込まない”ってこと。そして、「面倒には巻き込まれたくない」って考え方は、南原教授が日本を離れてオーストラリアへ戻るときの考え方と同じです。神宮司教授と、南原教授は、とても近い立場にあると思う。面倒なことにまで首を突っ込んで、国を敵に回したりして自分の身を危うくするのは避けたいし、そのことで家族を犠牲にしたりしたくもない、という考え方です。けれど、いっぽうで、神宮司教授は「ちょっとだけ友人の心配もする」と言ってます。ここが、じつは彼女のアンビバレントなところです。ここで彼女が言っている「友人」というのは、もちろん南原教授や仁子ちゃんのことでもあるんだけど、なんといっても、オダギリくん(勝田)のことなのです。闘争しつづけるオダギリくん。彼のことを、神宮司教授は目を離すことができずに見守りつづけています。彼のことをいちばん気にかけているのが、じつは彼女です。まったく正反対なキャラクターなのに、オダギリくんと神宮司教授がもっとも親しい友情関係にあるってことは、ドラマのなかでも大きな「謎」でした。彼女は、ふだんは数学の世界に没入してるけど、じつは、「闘う人間」と「闘わない人間」の真ん中に立ってる人。そして、両方の人たちのことをよく見てる人。世の中のことに深く関与して闘ってる人たちの、その激しさや怖さのこともよく知ってて、闘う人たちに対して強いシンパシーも寄せてる人。※だから、小学校のなかの平和すぎる世界の話を聞いたときなんかには、 「健全すぎるっ!」と目を背けたりもしています。 彼女は、ほんとうはドロドロした人間社会のほうが好きなのかも。。そして、その闘うことの厳しさや痛みを知ってるからこそ、仁子ちゃんが「闘う研究者」になることには反対したのかもしれません。でも、仁子ちゃんが「闘う研究者」になることを選べば、やっぱり彼女は、仁子ちゃんに対しても強いシンパシーを寄せることになると思う。そして、彼女を見守ってると思います。◇ここで、ふたたび、仁子ちゃんと南原教授のことに話を戻します。二人が、この先どうなるか。もういちど、結ばれることって可能なのか。わたしは、南原教授だって「研究者としての倫理」が無いわけじゃなかったし、きっと2人が同じ道を歩むことも可能じゃないか、とも考えました。でも、あらためてドラマを見返してみて、、やっぱり難しいのかなぁという気がしています。その大きな理由のひとつは、やっぱり「有明海」です。たとえ2人が「研究者の倫理」を貫いて、同じ道を歩むことができるようになったとしても、「有明海」の問題を放置したまま、というわけにはいかないんだと思う。かならず、この問題は2人の中に残ってしまうし、そこをクリアできないかぎり、2人は同じ道を歩めない気がします。そして、こればっかりは、「ドラマ」のなかで勝手に始末をつけられる問題じゃありません。もちろん、物語そのものはフィクションですけど、ドラマの中で勝手に「有明海」のことに決着をつけるのは不可能だから。現実の「有明海」に希望が見出せないかぎり、このドラマにも、幸福な「続編」は望めないのかなと思っています。
2005.09.29
テレビでYUIが歌ってるのを見た。本物です。『ジーン』の主題歌で聞いてたときは、ちょっと、声とか作ってるのかなと思ってたんだけど、今日見たら、全然そういうんじゃなかった。ありゃ本物。ぜんぜんウソがないです。・・すごい子がいるもんだなー。すごい声してる。まず、あんなに若いんだ・・と、それにびっくり。あんなに若くて、ぜんぜん作為的なところがなくて、詞も曲も自分で書いてるのに、なんであんなに完成されちゃってるんだろう・・あまりに理解をこえてて、あ然としました・・。◆ ◇その反面、つまんないビデオ映像をつかってプロモーションをしてる、従来の音楽業界の慣習というのは、いっこうに変わらないですね・・。才能のない映像作家のプロモビデオなんかに出すんなら、ライブの映像をそのままプロモーションに使ったほうが、よっぽど映像に力が出ると思います。せっかく素材が本物なのに、ヘタくそな映像のせいで本物までウソになる。そういうのだけは、いいかげんにやめてほしい。
2005.04.08
仁子ちゃんが負った肩の傷をのぞきこんで、南原教授はゆっくりと、こう言いました。「お前は、・・アホだ」このセリフ、すごく印象に残ってます。あまりに傷が些細なものだったので、呆れて言ったのかもしれないけど、でも、その反面、すごく仁子ちゃんをいとおしむような、いろんな気持ちのこもった言い方でした。それは、些細な傷ぐらいで死にそうになってる仁子ちゃんが「アホ」だ、という意味もあるけど、仁子ちゃんが政治に首をつっこんだことが「アホ」だ、という意味でもあるし、自分の立場を危うくしてまで国を敵に回したことが「アホ」だ、という意味でもあります。でも、本当は、有明海の事実を仁子ちゃんが明らかにしたことで立場が危うくなったのは、仁子ちゃんよりも、南原教授自身だったはずです。事実、彼はそのことでマスコミに追われ、日本にいられなくなってしまうから。南原教授は、そのことを当然、予測できていたと思う。でも、彼は、「自分の立場が危うくなる」みたいなことを、ひとことも言わなかったし、そのことで、仁子ちゃんを責めたりもしませんでした。むしろ自分のことよりも、仁子ちゃんのことを心配していました。あの病院のシーンというのは、2人の立場のズレがいちばん先鋭になってしまったときのシーンです。にもかかわらず、あのとき2人は、お互いの立場や主張をぶつけ合うこともせず、また、相手を責めあったりすることもしませんでした。ただ、「怖かったよう・・」と泣き出した仁子ちゃんを、教授がしずかに抱き締めるだけだった。お互いのことを責めあったりしないところが、あのときの二人の優しさでもあると同時に、悲しさでもあったような気がする。お互いに、わかりすぎてたんだと思う。2人が結婚の約束をしたのが、お互いのズレがいちばんハッキリしてしまった時だったというのが、このドラマの、皮肉で悲しいところだと思います。2人は、オーストラリアと日本に引き裂かれることになるけど、ある意味、教授をオーストラリアへ追いやったのは、仁子ちゃん本人です。彼女が有明の真実を明かさなければ、南原教授は日本を追われることもなかった。仁子ちゃんは、それでも、あえて恋人を告発するようなことをしたんだと思う。最終回、南原教授は、オーストラリア行きをためらっている仁子ちゃんを、みずから突き放して、日本での研究を続けるように言いました。・・けっきょく、2人は自分たち自身で、相手のことを突き放したように見える。お互いに何もかも分かりすぎていたから、たがいに自分の意見や自分の思いをぶつけあうこともなく、ただ、それぞれに、じぶんで決断を下したんだと思います。◇ ◇ところで、2人のあいだを引き裂いた、もうひとりの当事者がいます。言うまでもなく、それは、オダギリくんが扮する「勝田」。彼は、最初のうちは、仁子ちゃんにとって「キケンなオス」という設定で登場しました。でも、彼が「男性」として仁子ちゃんを惑わすことはできなかったし、そういう意味で、彼は「危険な存在」になることができませんでした。仁子ちゃんの、南原教授に対する気持ちは変わらなかったから。でも、べつの意味で、彼はやっぱり「危険な存在」だった。それは、知らせてはいけない真実を、仁子ちゃんに教えてしまったという意味で。有明問題の事実を彼女に教えたことが、仁子ちゃんと南原教授のズレを浮き上がらせることになり、その結果、2人のことを修復不能なぐらいに引き裂いてしまいました。そう意味で、やっぱり彼は、このドラマの中で「危険な存在」だったんですね。◇ ◇ただ、ドラマが終わってしばらくたって思うことだけど、南原教授は、本当に仁子ちゃんと相容れない考え方をもった研究者だったのか、そのことについての考えが、わたしの中ですこし変わってきました。ほんとうは南原教授の心の中にも、仁子ちゃんと同じように、研究者としての倫理的な意志をつらぬきたいという気持ちもあったんじゃないか、そんなふうな気がしてきたからです。教授が、しばしば長崎を訪れていたのは、たんに科学者として、堤防締切後の干潟に、クールな関心をもっていたからだけでしょうか。わたしは、ほんとうは彼のなかに、データの改ざんに関わったことへの後ろめたさがあったんじゃないかと思う。前日の日記のスレッドにも書きましたけど、南原教授が、仁子ちゃんの書き上げた論文を読んだ直後に、研究室の事務長(陣内孝則)のところへ直訴しにいくシーンがあります。彼は、それまでの大学の研究のあり方をはげしく批判してまでしながら、仁子ちゃんの論文を取り上げるべきだと強く主張しました。あれは、学会や大学への批判であったと同時に、研究者としての、それまでの自分自身の姿勢に対する批判でもあったと思う。たぶん、あのとき、教授は、自分自身を否定してでも、彼女を守ろうとしたんだと思います。あのときの教授のなかには、高ぶった、そして複雑な心境があった気がする。そのあと、研究室を出た教授は、外ですれ違った仁子ちゃんに目も合わせずに立ち去ってしまうんですが、あのときの彼の感情が、ただならぬものだったことが分かります。きっと彼にとって、あの行動は、意を決したものだったんだと思う。おもてむき、仁子ちゃんと南原教授は、たしかにタイプのちがう研究者だったかもしれないけど、でも、仁子ちゃんのような考え方や姿勢をいちばん理解していたのは、ほんとうは南原教授だったんじゃないかという気がします。◇ドラマの中で、仁子ちゃんがすごく楽しそうだったシーンがあります。わたしが思い出すのは、ズバリ、このふたつのシーン。◎南原教授と2人でハリスホークを捕まえようとしてたとき。◎南原教授と2人でフクロモモンガを捕まえようとしてたとき。ああいうときの仁子ちゃんが、いちばん幸せそうでした。やっぱり、動物にかかわってるときの彼女が、いちばん輝いてたと思う。そして、そういう仁子ちゃんのいちばんそばにいることができたのは、やはり南原教授でした。白石くんじゃダメだった。(※白石くんって、それを理解させるだけのために登場した気がする(~~;)もし、このドラマの続編があるんだとしたら、わたしは、教授と仁子ちゃんがやりなおす道も、あるんじゃないかと思います。もちろん、たがいに考えが喰い違ったりすることはあるかもしれないけど、でも、2人のズレは、けっして本質的な違いじゃないと思うようになったから。◇ ◇ ◇最後に、神宮寺教授(小林聡美)のことについても触れておきます。正直、わたしは、いまいち、あの役柄の意味を、うまく理解できていません。(汗)たぶん、すごく重要な役ではあったんだと思うんだけど・・。仁子ちゃんと、南原教授と、オダギリくんと、この3人のことをいちばん見渡せる場所にいたのが、神宮寺教授。数学の世界に引きこもっているように見えて、じつはいちばん人間のことをよく見ていたのも、彼女だったと思います。・・なんだけど、彼女が、物語の展開のなかで結局どういう役割を果たしたのかが、いまいち見えません。もうちょっと考えてみます・・。
2005.04.05
ほとぼりも冷めてきましたが、ひそかに、このドラマネタで引っぱりたいと思います。こういうドラマが好きで、放っておけなくて。(~~;◇ ◇ ◇南原教授と仁子ちゃんは一緒になりませんでした。2人のズレが決定的になったのは、けっきょく有明の「干拓問題」でした。このドラマ、やっぱり“エコ=ドラマ”だったから。南原教授が、データの改ざんにかかわっていたことを知ったとき、仁子ちゃんの気持ちは激しく揺れました。もちろん、そのことで、南原教授を責めようとしたわけでもないし、彼を許せないと思ったわけでもないんだけど、ただ、それを知って以来、心のどこかで、言葉にならない「不安」みたいなものが、仁子ちゃんの中にとどこおってしまったんだと思う。前日の日記に、>地球が滅んでも「小さな幸せ」を選ぼうとする男と、>「地球が滅ぶのは困る」とつぶやきながら、>女の幸せに充足して終わってしまうのをためらう女。と書いたら、何人かのひとが共感してくれました。このズレをはっきりさせてしまったのが、まさしく、有明干拓のデータ改ざんの問題でした。この事実を知って以来、仁子ちゃんは、自分をいちばん理解し、守ってくれる人が、南原教授の他にはいないんだとわかっていながら、そのいっぽうで、そんな彼に守られて生きていくことを、単純には信じられなくなってしまったのかもしれません。それは、極端かもしれないけど、「彼に守られて生きることが地球を壊すことなのかもしれない」みたいな、不安とか疑念。あるいは、それが言いすぎだとすれば、それは、教授個人に対する疑念というよりも、「人間の幸福」に充足しきって生きてしまうことへの、言いようのない不安や疑念だったといってもいいかもしれない。「人間は何をやっているの・・?」そこに、仁子ちゃんの迷いが生まれてしまったんだと思う。そして、それは結局、最後まで消せないものだったと思います。だって、それが、このドラマのテーマだったし。どう考えても仁子ちゃんが干拓のデータ問題を知ってしまったことが、ドラマの上で、決定的なことでした。そして、そのとき以来、南原教授自身も、2人のあいだに拭えない「隔たり」ができていることを、どこかで悟っているように見えました。だから、もうその時点で、ドラマの中で2人が結ばれることはありえなかった。◇ ◇当初、南原教授は、ものごとのすべてを「遺伝子」で考えようとしてました。それに対して、仁子ちゃんのほうは、「遺伝子では説明できないものが人間にある」と言ってた。ところが、途中から立場が逆転してしまいました。南原教授のほうが、遺伝子じゃ説明できない「人間の幸福」を求めるようになっていく。でも、皮肉なことに、すでにそのときには、むしろ仁子ちゃんのほうが、先へ行ってしまってました。というより、仁子ちゃんのほうが「遺伝子」のほうに戻ってしまったのかも。このあたりが、ドラマの構成上のダイナミズムを感じるところでもあるんですが、あんまり明示的じゃなかった。いずれにしろ、人間的な幸福のなかで充足してしまうことが、いっぽうで生命や自然を傷つけてしまうことかもしれない。そういう現実を、他人事じゃないような場所で見てしまったあとで、仁子ちゃんは、教授に守られて生きていくことや、人間としての幸せのなかで生きていくことを、単純には信じきれなくなってしまったと思います。どうしようもない不安や疑いをもってしまった。◇ ◇ドラマの最後は、もちろんスッキリしないんだけど、それは、仁子ちゃん自身が、最後まで揺れていたから。自分はそれでもやっぱり人間で、のみならず、ひとりの女の子で、だから、どうしようもなく人恋しくて、自分を理解し守ってくれる男の人が、教授しかいないということも分かっているのに、それでも、彼を選ぶことができない。そういう悲しみの中で、タクシーのラジオを聞きながら、教授を想って流したのが、最後の涙だったと思います。もちろん、泣いたのは、その一瞬だけなんだけど、ちょっと悲しい話だったかもしれません。◇ ◇ ◇脚本の構成上のダイナミズムとかもふくめて、わたしは、ごく個人的には、このドラマが「傑作」だったと思ってるんだけど、でも正直、ちょっと不満なところもありました。それは、ラストがどうこうってことじゃありません。(むしろ、ラストはあれでよかったと思う。)放送終了後、終わり方に賛否両論あって、一部では物議をかもしたみたいだけど、むしろ、わたしから見ると、物議のかもしかたが、まだまだ足りなかったと思う。せっかく、人間ドラマとしても、社会派ドラマとしても、こんなに意欲的で斬新な内容だったんだから、もっともっと物議をかもしてもよかったんじゃないかと思う。そのためには、やっぱり、最低25%くらい必要でした。視聴率、低すぎ。現実の有明の訴訟と、ドラマの放送が、同時進行ですすんでたりしてたときは、わたし自身は、けっこうハラハラして見てましたけど、一般的にはそういう反応も薄かったと思います。もちろん、べつに政治的に物申すとかいうのが、このドラマの目的ではなかったと思いますけど、それでも、せっかく、これだけ社会的に重いテーマも背負ってたんだから、もっと注目を浴びるような工夫をしてもよかったんじゃないかと思う。日本中が騒然とするぐらいに。具体的にいうと、ドラマの中盤を支えていたエピソードが、あまりにもたわいなさすぎでした。視聴者をひっぱるだけのドラマ力(⇒どらまりょく)に欠けてた。視聴者をひっぱるには、途中のエピソードが、あまりにも「小さな物語」すぎでした。ま、そこが大森ドラマらしいとこでもあるんだけど・・。「人間ドラマ」の部分にしろ、「社会派ドラマ」の部分にしろ、もうちょっと序盤からドラマティックな展開があってもよかった。せめて初回の20数%の視聴率をひっぱり続けるぐらいの、序盤からのドラマの展開がほしかったです。まー、どっちにしても、わたしは、大森美香ちゃんのことを、とても「作家性」のある脚本家だと思ってるし、期待はぜんぜん失ってないんだけど。
2005.03.30
当初から、これって普通じゃないドラマだと思って見てたけど、なんか予想以上の意欲作でした。月9でこれをやっちゃうのって、フジが果敢なのか、それとも、大森美香ちゃんがこわいもの知らずなんでしょうか。ぎゃくに、月9だからこそ、こういうのもやれちゃうってことかもしれませんが。※ ※このドラマの面白さって、なかなか説明するのもむずかしいけど、ときどき、ドラマの筋とはまったく無関係に、いまの人たちが抱えてる「いいようのない不安」みたいのが出てくるところが、スゴかった。しかも、そういうのを感じてるのは、男じゃなくて、むしろ女のほうだってところがスゴい。いちばん驚いたのは、干潟問題の政治的な衝突に巻き込まれた仁子ちゃんが、転倒して肩に傷を負ったときに、「血が止まらないよぅ・・」と泣きながら、つぶやくシーン。自分が、大きな力の渦に巻き込まれて、踏み潰されていくときみたいな、言いようのない「不安」みたいなものを感じさせるセリフ。最終回、結局、南原教授と一緒にならなかったけど、そこにも、理由らしい理由はありませんでした。そこが、すごい。たぶんそれは「結婚より仕事」みたいな選択じゃなく、もっとなにか根本的なところに原因があったみたいでした。地球が滅んでも「小さな幸せ」を選ぼうとする男と、「地球が滅ぶのは困る」とつぶやきながら、女の幸せに充足して終わってしまうのをためらう女。昔だったら逆なのに。男じゃなくて、むしろ女のほうが、抽象的で、すごくいいようのない不安を抱えてる。ある意味、地球規模の不安を抱えてるのは、今は、男じゃなくて、女のほうかもしんない。そういうところに、このドラマの斬新さがあったと思います。
2005.03.28
面白い!意外なことに、これっていわゆる「月9」なんですね。こんなに面白いの作るんだ・・。第2話になって方向性も見えてきた。不真面目にどんどん話をズラしながらも、全体としては、ちゃんと一貫したテイストになってるし、それじたいが、ちゃんと、時代にたいしてうったえるものになってると思います。この、大森美香ちゃん究極の“エコ = ドラマ”は、もしかしたら、もうひとつの代表作に化けそうです。※ひさしぶりに自分のページに来ました。 管理人というより、もはやゲスト気分です(莫)。 ほっぽっててスミマセン。。
2005.01.24
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