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2002年08月09日
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来年の2月1日、テレビが50歳のお誕生日を迎えるということです。折も折、広島原爆記念日につづき、長崎の原爆記念の式典がテレビに映し出されています。そして間もなく終戦記念日がきます。戦争が終わって57年です。テレビが生まれたのは、戦争が終わって7年しかたっていない時だったのかとびっくりします。

「我が家にテレビが来た日」に話題が集中しました。サロンにはいろんな年齢の方がいらっしゃるので、「その日」も千差万別です。さすがに「その日」が50年前だという上流階級の方はいらっしゃいませんが、40年ほど前、お座敷のテレビの前に正座したことを懐かしそうに話される方。ご近所のお友達の家でテレビを見せてもらうのが楽しみだったとおっしゃる方。そうかと思えば、生まれた日からテレビがあるのは当たり前の年代の方たち。

しばし、自分とテレビということをちょっと感慨深く考えていました。

その時一人の男性が口を切りました。
「最近、バーチャルということが言われますよね。パソコンやゲームなど生身の人間を介さない世界のことなんでしょうか。」

「世界のどんな隅っこで起きていることも、今はテレビでリアルタイムに報道されますよね。ニュースは確かに現実ですけど、テレビという画面の中に収められるものは、やっぱり一種のバーチャルなんじゃないかなあと、思うことあるんですよね。」

「事故や災害の報道、犯罪や戦争の報道。私たちはまゆをひそめて時には涙を流して見るけれど・・・どうなんだろう。それはあくまでもテレビの画面の中に切り取られた映像でしかないと感じることありませんか。」

「私ね。もしテレビに『におい』がついたら、この世から犯罪や戦争が少なくなるような気がするんですよ。ちょっと、突飛かな・・・。」

「もし、戦争の映像に倒れて死んで腐っていく死臭があったら、きっと誰一人としてその映像を見ることはできないんじゃないかって。コーヒーを片手に、スナック菓子をほおばりながら見ることはできないんじゃないかって・・・」



「つまり、テレビのニュースは現実を映し出しているようでありながら、決して現実ではないんじゃないかと、次から次へと起こる犯罪のニュースや事件の報道を見ていて思うんですよね。」

誰も意見を述べる人はいません。みんなその人の言った言葉を心の中で反芻し、そして、いろんな場面を想像しただけで気分が悪くなってしまいました。それは・・・不可能なことではあるけれど、なるほどと頷けるものでもあります。私たちは分かっているつもりでいて、まったく分かっていないことが多いのだと思ったのです。世界に存在している飢えや不純。その現場にあるものは確かに映像で伝えることの出来ないものだということを、知るべきなのでしょう。その限界を知った上で、私たちはテレビの50歳のお誕生日をお祝いしなくてはいけないのだと、みんなそう思いました。

来年2月、テレビの50歳のお誕生日には南極からの生中継の映像がながれるそうです。録画でしか見たことのない南極のオーロラが、まさにリアルタイムで放映されるというのです。その臨場感はバーチャルではない感動を与えてくれることでしょう。科学の進歩は人間の限界を次々に乗り越えるように感じるけれど、私たちはいろんなものが進歩すればするほど、不感症になっていくという人間の恐ろしい限界を常に自覚しなくてはいけないのでしょう。





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最終更新日  2002年08月09日 19時06分14秒
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