メートル・ド・テル徒然草

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エルネスト1969

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Jun 8, 2006
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 料理店、レストランと一口に言っても、そこには数限り無いジャンルが存在しています。

 ざっと日本国内の料理を見渡しても、「日本料理」「中国料理」「フランス料理」「イタリア」「スペイン」…様々です。

 さて、ことフランス料理となると、

「日本人はどこまで行っても日本人だから『本当の』フランス料理は作れない」
「スタイルだけ取り入れても、フランス料理には成り得ない。」

といった言葉を耳にすることもあります。

果たしてそうなのでしょうか?

 もし仮に国境を全く越えた、余分な物を一切取り除いた「料理」があるとします。
 塩も胡椒も、何ら食材さえも使わない料理。



 さて、その「一杯の水」が供される際、「器」は何を用いますか?
 「掌」というのもありですね。たった一杯の水がリーデルのグラスを用いて供されたなら、それは「フランス料理」になるでしょうし、景徳鎮の磁器であるなら「中国料理」、さらには節から切られた竹を器にすれば、「日本料理」を想像させずにはいられません。

 となると、料理の背景にある「文化や歴史」を考える時、いかにその水の出自が何処であるかと言うことが初めて意味を持つことになります。たった「一杯の水」が何処から用いられたものか、を知ることがそれぞれの「料理」を深く知ることになるのです。

 中国料理なら5000年の歴史を持つと言われます。その深さは滾々と水を貯える湖に似ています。「日本料理」であるなら、そのキラキラとその姿を変えながら、しかし一点に集中して水が淵を打つ滝の様に。

 さて、フランス料理とはその歴史、感性は様々な要素を取り込んで現代に至っています。そもそも、塩・胡椒と言われるように古くから調味料に用いられる「胡椒」ははるか南方から。食器に用いられるフォークはイタリアから持たらされた道具です。順々に一皿々々料理を提供するスタイルは「ロシア式サーヴィス」と呼ばれ、日本料理の技法、例えば生魚を食す事、器を様々に変化させることなど。
 それは河に注ぐ支流のように、大河を成す要素となっているのです。

 行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。
(鴨長明 「方丈記」)

 料理を「フランス料理」中国料理」「日本料理」と分け隔てるもの。すべては提供する側の意図にあると言えます。提供する側が、「これはフランス料理である」と主張するなら、いかなる見目形を持とうともそれは「フランス料理」であると言えるのです。






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Last updated  Jun 9, 2006 02:43:59 AM
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Comments

背番号のないエースG @ チョコレート 「風の子サッちゃん」 ~ Tiny Poem ~…
坂東太郎G @ 「辛味調味料」そして考察(01/16) 「石垣の塩」に、上記の内容について記載…
エルネスト1969@ Re[1]:ホスピタリティは「人」ありき(10/04) はな。さんへ コメントありがとうございま…

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