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今日は父は放射線を10回終わり、弟の長男と病院で検査と今後の相談をしてるはずです。放射線の照射で少しでもがん細胞の痛みも緩和され、あわよくば腰の錐体主要も職掌されてるといいんだけど。。レベル4の肺がんは16ミリ、腰に転移した錐体収容は50ミリ欠ける50ミリの大きさ。この肺がんの中でも一部の人しか出ないタイプ〔小細胞がん〕はとにかく進行が速くて肺がんの中でも困ったタイプだそうです。高齢だから普通の肺がんなら寿命とともにもっていけるんだけど余命8か月から10か月とは年を越せないわけだし。。最近の先端医療がここ鹿児島にもあるし、佐賀にもありますが、病気などにより向き不向きがあるようです。福岡から近い佐賀は重粒子線をあてるようですが、なんと予約半年待ち。。もちろん保険適用外で300万くらい。。皆病気になると、何とかしたいと考えるから。。で、父は九大先端医療イノベーションセンターで免疫療法をうけることになりました。最初は面談などもあり、化学療法などの副作用の心配はないけど、そこももちろん保険適用外。200万くらいですが、面談とはべつに採血、血液加工、そしてそれを輸血して戻すことを6回くりかえしますが、その都度、大金を持参して清算します。その免疫療法もいろいろ種類があるようで父にときまったのは、γδT細胞療法(ガンマー ベータ ティー)難しい医学のことはわからないけど、長男である弟は最善のことをしてあげようと必死で駆けずり回ってる。父は生”そのものには執着してないけど、病気でもう重度の介護が必要なレベルになってる母のことが心配でたまらないみたい。自分で最後まで命を賭してでも介護をすると腹をくくってたから。。その父が先にとは、本人も悔しいし、心残りでどんなにか苦しんでることだろうか。。父の波乱の人生、最後まで大波乱です。。暗い話ばかりですので、昔の写真の中にプリンがまだ我が家に来たばかりのころにかわいい写真があったのでちょっとアップしてみました。昨日はそれまでの寒さが嘘のように暖かい一日となり久々に庭に出ると沈丁花の香りがしてて季節が来てたのを思い出しました。また私の大好きなクリスマスローズもだいぶ留守が多いのでダメにしましたが、生き延びた株からはかわいい花がたくさん咲いていました。あとで久々に写メでもとりましょう。。
2015年03月09日
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またあれから北九州まで介護旅に行き、二週間、ほとんど寝ずにすごして、意識朦朧状態で新幹線に乗り帰宅してやっと全身の筋肉痛が少しわかりだして、病院に行く元気が出てきました。来週は点滴を打ってもらわないとまだ体が思うように動かず、だらだらしています。来週いっぱい休んだらまた出かけて三月末までいる予定です。何とか嫌がる母を三月から週二回のデイサービスにプランくんだり、お試しで二泊三日のショートステイもケアマネたちと相談して組んできましたが、やはり帰宅したばかりの昨夜はなじめなかったことをぶつぶつ言っていました。とても家で見れるレベルではないし、施設でも手がかかるほうでしょうに、家でわがままに女王様のように皆が世話をしていたので、困った状態になっています。弟二人と私の三人の子供ですが、現実子供三人とも同居もできないし。末期の父にはこんなひどい状況の介護は無理なのに、なぜか私とケアマネだけが悪役の鬼のようにデイサービスやショートステイを母に行くようにプランを進めてる状況。。私も体力あれば丸ごとかかえるけど、自分が持病で半介護状態で娘たちに迷惑かけてるのにかなしいです。弟の長男も治療法を必死で模索して、病院関係には同伴していますし、二男家族もみな共稼ぎだから泊まれないので食料を持ってきて様子を見に来ます。で、長期の泊まりは私がひとり。。とても手のかかる母でクタクタで、父まで手を貸してあげられなくて。。介護というのは本当にそれぞれの病気や家庭ですべて同じものはないし長引くと本当に大変です。私も介護のために自分の体は痛みどめなどをどんどん増やして10年くらい。。満身創痍状態ですので、たぶんこれ以上は無理だし、また娘たちにこれ以上の迷惑をかけられないし。。。今日は愚痴がたくさん出ました。ごめんなさい。さて、免疫療法を延べ6回自己血液で免疫力増やしたものを自分に戻していく療法ですが、個人の差があるようで父は二週間で予想したより増えていないようですので、今回6日に戻す血液も、あとギリギリ先に延ばして10日になったようです。せっかくの免疫療法も、やはり腰の転移した骨のところが痛いと言い出したので、いったんは最後の切り札にととっておいた放射線もあてることにしました。総量のマックスがあるので、それ以内で今回は二月最後の週から三月初めの週まで合計10回あてることになりました。私は副作用のこともあるし、ドキドキしながら途中5回までを見届けてきました。少し痛みは和らいだということのようですが、何かだるそうだし、やはり腰の骨がぐしゃりとなるくらいに溶けかかってるからくしゃみなどをうっかりと構えずにしたときなどは一瞬、顔をしかめたりしています。一日に何度も「絶対に痛みは我慢せずにいうように!」と繰り返していってきましたが、我慢強いから、どこまで言うか。。そんな放射線をあてた初日、顔面蒼白で悶えました。人生で一番痛かったらしいです。ガンが、攻撃に対して意思表示したのかも。。毎日、しかめるたびに、「今の痛みのレベルは?」と初日をマックス10として返事をしてもらうようにしています。放射線の先生は進行の早いガンだったから「わかってから少しでも早くあてればよかったのに。。」と言われました。検査などで二か月近く無駄にしたような感じで。。まあ、済んだことよりこれからのこと。。放射線でうまく痛みを取り、少しでも小さくできたらラッキーだし、他にこれ以上の転移がなければ、原発の肺がんにも放射線をあてれるといわれています。でも。放射線。。高額な免疫療法をしてても、白血球は少し減ってしまいます。もったいないことです。放射線をあてるために、おわるまでこうしてマークをつけられています。この姿、見るに忍びない姿、たまらないです。そんな父が日記帳に遺書と一緒に挟んでる写真です。自分の人生で一番輝いていた時だと。。その時は何も怖いものはなかったそうです。隊員の中でもえりすぐられてひたすら≪その時≫を待ちいよいよ地上戦で出番が来るはずだったのが、予定より早く沖縄が落ちてしまい本土決戦は夢と消えたそうです。。。それから何を考えて生きてきたんでしょうか。。いつもは家族も加わりにぎやかなあつまりですが、この日は偶然に40~50年ぶり?の親子水入らず。。親も子も年が分からなくなってしまいました。
2015年03月08日
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