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捜し物をしていたら 懐かしいものを見つけました「北海道周遊乗車券」しかも いまはなき日本国有鉄道の発券です古いものは 昭和45年(1970)12月新しいものでも 昭和49年3月の発行ですからいまから 30年以上も むかしのものです東京から北海道までの往復乗車券に16日間の北海道内の国鉄全線乗り放題がついてお値段 なんと 学割で9300円!道南地方に限った「道南周遊乗車券」でも 7200円でしたいまとは物価が異なるとはいえ 格安の運賃ですいまなら「ぐるり北海道フリーきっぷ」が同じ種類の切符になりますがわずか5日間の利用で 35700円夏休みなら 45200円もしますそのころの まこべえ少年は 学校が休みになると 家を出るのが日課でした目的は 蒸気機関車カメラとフィルムを ジュラルミンのバックにつめて重たい三脚を持ち生活用具のはいったショイコを背負って北の大地をめざしましたいつも気ままなひとり旅ですとはいえ 昭和45年12月といえばまこべえ少年は まだ中学3年生よくぞ 両親は ひとりで旅を許してくれたものだと思いますそのおかげで 楽しい少年時代をすごすことができましたでも お金がありませんこのため 宿は いつも駅の待合室にある木のベンチむかしは 駅長さんの許可を得れば たいていの駅で寝かしてくれました一時は家出少年と間違われ おまわりさんに尋問されたこともありました急行「大雪」や「利尻」といった 夜行列車も定宿でしたしかし 寝台を利用するなど 贅沢の極みリクライニングもない 直角座席での睡眠ですそれでも いつも周遊乗車券の期限がきれる16日間めいっぱい使って 撮影を続けていましたまともな食事もとらず よく体力が続いたものです若さゆえにできる 特権だったのでしょうそのころ撮影した北海道の蒸気機関車たちをきょうは少しだけ 紹介しましょう1970年(昭和45)12月28日 石北本線 常紋信号所 D51(後補機9600)1970年(昭和45)12月28日 石北本線 常紋信号所 9600(49634)+D511971年(昭和46)3月25日 函館本線 上目名 103レ急行「ニセコ」 C622+C621972年(昭和47)12月24日 釧網本線 斜里 C581972年(昭和47)3月26日 釧網本線 北浜 C581974年(昭和49)3月21日 瀬棚線 国縫 C11 昭和62年3月廃線1974年(昭和49)3月24日 宗谷本線 塩狩 C57871974年(昭和49)3月28日 勇網線 計呂地 9600(69620) 昭和62年3月廃線1974年(昭和49)3月29日 室蘭本線 志文 D51+D51+D51(原版はモノクロ)蒸気機関車の時代が去って、今年でちょうど30年北海道では 多くの鉄路が廃止となりました高齢者や学生たちの大切な足であった鉄道を中央の利益と効率だけで切り捨てていった政策は地方の過疎化をいっそう推し進めましたこの30年は 地方にとって どのような時代だったのでしょうかいま一度 地方の視点から見直すことも大切でしょう蒸気機関車たちが活躍していた時代をふりかえりながら
Jan 28, 2006

毎晩、お邪魔する 駿河の次郎DE愛カタログ感性ゆたかなかたなご主人に お料理じょうずな奥さま先日も 厚揚げの肉味噌がけを紹介されていました画面に手をのばして 食べたくなるほどのおいしさです食べたい 食べたい そう言っていたら我が家の奥さんが 少しアレンジしてつくってくれました厚揚げとじゃがいも餅の肉味噌とろみがけあわせ味噌を使い とろみをつけたところが まこべえレストラン風写真的には いまひとつですがお味は 次郎さんの奥さまのレベルに 達したかなまこべえレストランでは厚揚げの横に じゃがいも餅を添えていますじゃがいもに 小麦粉と片栗粉 白玉粉などをまぜて作ったそうですもちもち感が たまりませんしかもこのじゃがいも ただのじゃがいもではありません瀬戸内海に面した 広島県竹原市の吉名という町の生まれです竹原市の吉名と聞いても どこだかわからないかもしれませんが山陽新幹線の三原駅で 呉線に乗り換えて波光きらめく瀬戸内海をながめながら およそ34分そこが吉名駅ですじゃがいも畑は この吉名から となりの安芸津にかけて広がっていますじゃがいも といえば 東京の人は 北海道を思いうかべますが吉名のじゃがいもも 負けてはいません赤レンガのような肥沃な赤土で育ったじゃがいもは皮が薄く 甘みがあって 絶品です昨年末 地元のかたから 一箱いただきましたこのため 我が家の夕食は じゃがいも尽くしポテトサラダに ポテトハンバーグ ポテトグラタンに じゃがいも餅なかでも 一番シンプルな食べ方は じゃがバターよく洗って 皮ごとラップに包んで 電子レンジでチン今度は ラップをはずして トースターで焦げ目がつくまで焼きますバターをかけて できあがりホクホクのおいしさ たまりません皆さんも どこかでみつけたら 一度お試しください
Jan 23, 2006

私の教え子のひとりに 沖縄出身の女性がいます彼女は いま 大学院の博士課程に在籍し沖縄の中世(古琉球時代)の研究を続けています先日 彼女から 久米島のお土産をいただきましたひとつは 久米島の海洋深層水100%でつくった「球美(くみ)塩」硬海洋深層水を加熱 凝縮して 天日干しにしたもので塩分控え目(塩分濃度84%)の天然塩だそうですhttp://www.kuminomizu.com/product/kuminosio.htmそしていまひつとが 「みそクッキー」久米島で味噌なんか作っていたっけ思わず 問いかけてしまいましたが彼女曰く 久米島は沖縄の味噌どころなのだそうです島では 味噌を 味噌(みす)と呼びいまでは島の特産品として いろいろな商品も開発されているようですhttp://www.churashima.net/shima/kume/m_20010501/「みそクッキー」もそのひとつ島唯一のケーキ屋さんという お菓子のしまふくが販売しているもので「離島フェア2000」の優良特産品特別賞にも輝いた一品だそうです日本トランスオーシャン航空のHPでも「ほのかな味噌の香りと 風味まろやかな 懐かしのクッキー」と紹介されていますどんな味なのか 興味津々で 開封すると期待した「みその香り」は ほとんどしませんしかし そのお味はというと 甘さがひかえめで おいしさは感動もの!こんなおいしいクッキーが 久米島にあったのかまさに 驚きの一品ですおいしい 軽い 量もある おまけに安いまさに お土産には 最適な一品ではないでしょうか素朴な箱に描かれる おばあちゃの絵も むかし懐かしさを感じます那覇空港でも販売しているそうですからクッキーをお好きなかたは ぜひ一度そのおいしさを ご自身で確かめてみてください我が家の奥さんも 「みそクッキー」ファンとなり沖縄出身の彼女に 早くも2箱も 注文してしまいましたその久米島では いま桜が満開だそうですhttp://kumehealing.ti-da.net/東京地方は あすから雪が降ると予想されていますが島では 桜が見頃というのですから 驚きですあすからはじまる センター試験受験生は 雪のなか たいへんですががんばったみんなに 桜が咲くといいですね
Jan 20, 2006

実家から カステラをいただいてきましたしかも 私の好きな 福砂屋のカステラです カステラのルーツは船乗りたちの保存食だった スペインの「ビスコチヨ」という説のほかポルトガルのお菓子だった 「パン・デ・ロー」とする説があるそうです「ビスコチヨ」は 焼き方をかえて 宗教行事のお菓子となり「パン・デ・ロー」も 修道院で作られていましたどちらも 庶民には 高価なお菓子でクリスマスなどの特別な日(ハレの日)にしか食べられなかったそうです日本に誰が伝えたのか 名前まではわかりませんが16世紀に来日したキリスト教の宣教師たちが その製法を伝えたのでしょうその後 江戸時代に改良され 和菓子としてのカステラが誕生しましたこのカステラ みなさんは どの部分がお好きですか私は カステラのなかでも ザラメ糖が残る下の部分福砂屋のカステラは このザラメ糖の独特の感触がたまりません下地の紙に残ったザラメの部分も ナイフで削って おいしくいただきますこんなところまで食べる人は 私ぐらいでしょうかさあ それでは さくらんぼの紅茶と一緒にいただきましょう
Jan 15, 2006

きょう11日は 鏡開き神さまにお供えをした鏡餅を食べることで新しい活力を得て 魂の再生をはかるという行事ですみんなで一緒にお供えを食べることでお互いの結びつきを強め仕事始めを祝うという意味もこめられています古くは お正月の行事の終わる20日が鏡開きだったようですが江戸時代から11日を鏡開きとする風習が広まったようです地方によっては 3日や4日 15日に鏡開きをする土地もありますさっそく わたしも 夕食後 お汁粉をいただきましたなんと栗入りです
Jan 11, 2006

商売繁盛を願って本覚寺の夷堂(えびすどう)にいらっしゃる エビスさまにもお詣りです八幡さまのついでと言っては ご利益はうすいかもしれませんがそこは心の広いエビスさま きっと願いをかなえてくれるでしょうおみくじをひいたらエビスさまではなく なかから 小さな小さな 福禄寿がでてきました福禄寿は 長寿の神さまですから それも良しとしましょう夷堂(夷三郎社)は いま本覚寺の境内の一角にありますが永享8年(1436)に創建された伝えられる本覚寺より歴史は古く鎌倉時代から続く 由緒あるお堂です流刑地の佐渡から戻った日蓮が しばらく滞在したとも伝えられていますもともと どのあたりにあったのか はっきりしませんが15世紀末頃のものと思われる「善宝寺寺地図」には本覚寺(法華堂)の南側 夷堂橋付近に 夷堂らしき建物が描かれていますいま 本覚寺の仁王門が建つ 南側あたりでしょうか本覚寺の門前にある橋を「夷堂橋」と呼ぶのも このあたりに夷堂があったことに由来しています1685年に成立した『新編鎌倉志』も 「夷堂橋」について「昔は此辺に夷三郎社ありしとなり。今はなし。」と記していますこの記述によると 江戸時代の前半に 一時 夷堂は途絶えてしまったようですその後 19世紀前半までに本覚寺の境内に再建されました商売の神さまとして信仰されるエビスさまが この土地に祀られていたようにこのあたりから 南の大町の四つ角にかけての一帯は 鎌倉随一の繁華街でした四つ角から若宮大路方面は 「米町」と呼ばれ 米を扱う商家が軒を連ねていましたまた 四つ角のすぐ南には いまも「魚町橋」という名前の橋が残りますここには 魚を取り扱った商店が多く軒を連ねていたのでしょう現在の夷堂は 1981年(昭和56)に建てられた新しいお堂ですが鎌倉七福神のひとつとして いまも多くのかたの信仰を集めていますとくにきょうは エビスさまのお祭りの日境内は お正月と同じように 賑わっていたことでしょう
Jan 10, 2006

今日は 久しぶりの青空八幡さまに 新年のご挨拶とお願いごとをするには 絶好の日和ですさっそく 鎌倉におでかけです初詣ですから きちんと 若宮大路から拝殿に向かいましょう三ノ鳥居をくぐると 正面に「太鼓橋」があります昭和2年(1927)につくられた反り橋です3~40年ほど前は 渡れましたが いまは渡れません中世は 「赤橋」(あかはし)と呼ばれていました赤橋から見ると 7日というのに 境内は たくさんの人で賑わっています舞殿(神楽所)では 新春の神代神楽が奉納されていました鶴岡八幡宮の公式HPは この舞殿を「静御前が義経を慕い、心を込めて舞ったところ」と紹介していますこのため 舞殿といえば 静を連想されるかたも多いようですしかし 舞殿は 鎌倉時代はおろか 秀吉の時代にも ありませんでした静の舞は 『吾妻鏡』の文治2年4月8日条に「静女を廻廊に召出さる これ舞曲を施さしむべきによりてなり」と記されているように舞殿の周囲を大きく囲っていた 若宮の廻廊で奉納されたものだったのです鶴岡八幡宮が こんな初歩的な誤りをなぜ直さないのか 不思議ですなお 大河ドラマの『義経』では静は 義経の子供を出産したあと舞を奉納していましたが静の舞は 4月8日 出産は 閏7月29日舞の奉納から 5ヶ月近くもたったあとのことでした頼朝は 静の子供が男の子か女の子か それがはっきりするまで静を鎌倉に留めていたのですさあ 上宮(うえのみや)の拝殿に 今年最初のお詣りです今年も 良い年でありますようにおみくじも ひいてみました大階段の下にある 若宮(下宮)も忘れずにお詣りです鶴岡八幡宮は この若宮からはじまりましたしたがって こちらのほうが 上宮より先輩です建物も 上宮は 徳川家斉が 文政11年(1828)に建立したもの若宮は 徳川秀忠が 寛永3年(1626)に建立したものです若宮のほうが 200年も古い建物なのですですから 若宮も 忘れずに お詣りです八幡さまの境内には たくさんの鳩がいます旗上弁財社の近くでは 白鳩たちがひなたぼっこをしていました鳩は 八幡さまのお使いといわれていますところが お詣りのあとその神様のお使いから 直撃弾をうけてしまいましたしかも 3発です背中とはいえ 直撃弾を受けたのは はじめての経験ですこんなにたくさんの人がお詣りしているのによりによって私たち家族を それも初詣のあとに狙い打ちするとはなんという神様のお使いでしょうやはり 昨年末のモデム故障から ついていませんいや 八幡さまのお使いからの直撃弾ですからウンがついた と思うべきなのかもしれませんウンのついた今年が よき一年になるよう授かった神符(おふだ)に あらためてお祈りです
Jan 7, 2006

あけましておめでとうございます昨年の大晦日、無線LANのモデム故障という突然のアクシデントにみまわれ、新年のご挨拶が遅れてしまいました。ようやく復旧しましたので、今日から、2006年のブログを再開します。インターネットの世界は、便利な反面、ちょっとしたアクシデントで、すべての機能が止まってしまう怖さがありますね。現代社会がもつ大きな弱点のようです。遅ればせながら、我が家のお節料理の紹介です。私は、お節料理の甘ったるさが嫌いなため、我が家は、甘さをひかえた手作り料理が中心です。数は、それほど多くはありませんが、切り込みを入れて組みあげた蒲鉾や、うずらの玉子が入ったのしどりなど、毎年、目も楽しませてくれるお料理がならびます。ごまめ(田作り)は、彼女のお母さまが作ってくださるもの。市販のものとは違って、ぱりぱり感があり、魚特有の苦みもあって、なかなかの美味です。食後の一品は、栗きんとんの黒豆添えに、花びら餅。いずれも、甘さは控えめです。花びら餅は、白玉粉に小麦粉などをブレンドして使ってつくったそうです。わたくし、この白玉が大好物でして、花びら餅は、3個も食べてしまいました。お雑煮は、かつお節で出汁をとったすまし汁に、鶏肉、花びら人参、小松菜、三つ葉、なると、油揚げ、柚、そして、四角い切餅がはいります。みなさんのご家庭のお雑煮は、どんなお料理ですか。実は、このお雑煮、たいへん個性のあるお料理です。土地土地によって、すまし汁だったり、白味噌仕立てだったり、また、だしの取りかたや具の種類もさまざまです。まさに、雑多な食品を一緒に煮る「雑煮」なのです。そのなかで、もっともよく地域差がでるのが、お餅の形。お餅の形は、全国共通と思われているかたも多いのですが、東日本は切餅、西日本は丸餅と、きれいにわかれます。もっとも古くから丸餅・切餅に分かれていたわけではなく、もともとのお餅の形は、お供え用の丸餅だったと言われています。それが、江戸時代になって、江戸をはじめ、東日本を中心に切餅が使われるようになって、地域差が生まれたようです。このため、今でも、滋賀県と岐阜県あたりで、大きく東西に丸餅文化圏と切餅文化圏にわかれます。お雑煮のお餅は、日本の社会が、大きく東の文化と西の文化から成り立っていることを示すシンボルのひとつなのです。お節料理に続いて、我が家の奥さんがアレンジした、お正月のお花も紹介しましょう。光にムラがあるため、壁の色が綺麗ではありませんが、ここでは、花器に注目してください。この器は、お豆腐がはいっていた竹筒を再利用しています。そのままでも味わいがあるのですが、さらに100円ショップで購入した手巻寿司用のすだれを巻きつけています。さらに、すだれの白い紐を隠すため、組紐を重ねて巻いています。ちょっとしたアイデアで、ただの竹筒も華やかに見えませんか。今年もさまざまな写真を通して、日々の記録を綴っていきます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
Jan 5, 2006
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