迷鴎亭 ★BAKERY FESTE★
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1
特急列車から降りたジャッキーは、双子の手を引いてホームを歩いていた。大きな乗り換え駅。ここでローカル列車に乗り換えるのだ。 ホームの傍に、小ぎれいなラウンジがある。一等車乗客専用、と明文化されてはいないが、イスに座っただけでファミレスのランチぐらいの料金を取られるので、庶民は利用しない。コーヒーなんか頼んだら、王室御用達のようなクッキーとチョコレート付きで、庶民のディナーぐらいの金がかかる。 「ブルジョワがいるんだねえ」ジャッキーは、ラウンジの周りに立っている黒スーツの男たちをちらっと見てつぶやいた。重要人物が来ているのだろうか。それにしても、男たちの兎相が悪い。カンシュコフといい勝負、というのは大きなお世話だが、獰猛そうな犬まで連れている。「カタギじゃないね」と、ジャッキーがまたつぶやいた時、カタギじゃないボディガードの一人が、いきなり走り寄って来て、「姐さん、ごきげんよう!」と言った。「だれ?」と言いながらジャッキーは、その声に聞き覚えがあることに気が付いていた。彼女は彼らの雇い主を目で探し、ラウンジのソファにどっしり座った男の方へ、娘の手を引いたまま(息子は瞬時に「この人たちママのお友だち」と認識して、犬と遊ぶことに決めて母親の手を振りほどいて走って行った)、ひとっ飛びに駆け寄ると、「ボス!!」と叫んでその男に抱きついた。 娘のミラも犬に興味はあったが、知らない人がいるところでは極端にシャイな子なので(内弁慶なのだ)、ジャッキーにぴったりくっついて、彼女の腰の横から桃色の「ボス」を見つめていた。写真ではよく見ているが、会うのは初めてだった。彼はジャッキーに抱きつかれても、猫が膝に飛び乗ってまたすぐどこかへ行った時ぐらいしか表情を変えず、持っていた雑誌を読み続けていた。 「ボス、何してるの?旅行?俺たちは研究所に行ってきたんだよ。子どもたちが小児科の先生やきょういくしんりがくの先生やげんごがくしゃに会って、旦那様とパーディはまだやることがあるから残ったの。ねえ、プ一チンは?いっしょなの?」 側にいる部下が「彼は家で車を改造しています」と言った。「家」は世界中にたくさんあり、今どこに住んでいるのかは秘密だ。 「そうかあ、ハッピーなんだね!」と、ジャッキーは言った。「子どもたち、この前送った写真の時より大きくなったでしょ。子どもってすごいよね、毎日ちがうんだよ!ボスは変わらないねえ、あはは!!」 桃色兎は、ほんの一瞬、目だけ動かしてジャッキーの方を見ると、「お前は相変わらずけたたましいな」と言った。 ジャッキーは、いきなり10段階上のギアが入ったかのように、ハイレベルの笑顔になった。キレネンコが10字以上のセンテンスを喋ってくれたのも嬉しかったし、その内容はジャッキー流に翻訳すると「お前が相変わらず元気で嬉しいよ!」だったからだ。 そこで娘のミラも、何かスイッチが切り替わったように、「このおじさんは知ってる人、おともだち!」という認識になり、次の瞬間、父親によくしているように、桃兎と雑誌の間にするりと入り込み、どんどん顔を近づけた。「おじちゃん、おいしいケーキとかくだものとか、ありがとう!おにんぎょうもありがとう!おねーちゃんがおようふくつくってくれて、まいにちきせかえしてるよ!おにーちゃんもおにんぎょうすきで、おとこのこのおにんぎょうもらったけど、リカちゃんのほうがいいんだって。こんどはおにーちゃんにもリカちゃんあげてね!」 表情を変えることの少ない桃兎が、明らかに迷惑そうな顔をし始めて、部下たちが心配していたが、ジャッキーはただニコニコして娘の様子を見ていた。どういう根拠があるのかわからないが、彼女は「ボスは子どもに優しい」と思っているのだ。 ミラは喋りつづけた。「おじちゃん、なんでみみにあんぜんピンつけてるの?みみとれちゃうの?」部下たちは死ぬ思いで(失敗したら死を覚悟と思っているから)ぷっと噴き出すのをガマンした。安全ピンはたぶん関係ないが、耳が取れるとは当たらずと言えど遠からずだったから…。 ジャッキーひとりが「あっはっは!!」と笑い、部下たちは自分が真っ白な灰になったような気分を味わった。「ミラ、そんなにいっぺんにいろいろ喋ったら、ボスがわけわかんなくなっちゃうよ!」「そう?でもおじちゃん、あたまいいからわかるよね?おねーちゃんとチェスやってるんだよね。おねーちゃんにチェスでかてるひと、もうボスしかいないっていってるよ?パパもチートしてもかてなくなったし!」ジャッキーはずっと笑い続けながら言った。「チェスでチートって何wwwwミラ、犬なでさせてもらいなよ」そしてミラを抱き上げて(キレネンコがほっとしたように見えたのは気のせいかもしれないが、部下たちは確かに明らかに絶対にほっとした)、パトが犬と遊んでいる方に向かせて下ろした。ミラはすぐそちらの方へ走って行った。 キレネンコはまた一瞬目を動かして、ミラが走って行くのを見ると、一言、「似てるな」と言った。「そうなんだよ!!」ジャッキーは、文字通り躍り上がり、ぴょんぴょん跳ねて、キレネンコにぎゅっと抱きついたり、肩をつかんでガクガク揺さぶったりしながら言った。「旦那様にそっくりで!すごい美人でしょ!!!!」 「いや、そっちじゃなくて…」と思ったけど言うのはめんどくさかったので、ボスは雑誌を読み続けた。 「ああ、でも、『テンペスト』でミランダ姫が言ってたね、」とジャッキーは言った。「ファーディナンドに”てめぇ、チートしやがって”ってwwwwあのミランダ、ボスがやったんだよね、ファーディナンドはハリーで!世紀の豪華キャストだったよねwwwwwwww」((*監獄でシェイクスピアの『テンペスト』を上演したことがあるのです。キレネンコはその時女性化していてミランダの役を演じ、ジャッキーはまだ男でエアリエルを演じました。ミランダにチートしたと言われたファーディナンドは「チェスぐらいで怒るなよ、ベイビー、お前には王国をやるよ(俺、王だし!)」と言います。あ、もちろん意訳です。王子様王女様はそんなお下品な言葉遣いをしませんから。)) そうこうするうちに、「客室の点検が終わりました」という報告が入り、一行は列車へ移動を始めた。ジャッキーはキレネンコに「ほんとに会えてよかった!プ一チンによろしくね!」と言った。最初に挨拶した若い部下がジャッキーに、「姐さんもお元気で。皆さんによろしく」と言った。 ジャッキーは子どもたちと一緒にローカル線のホームの方へ歩いていた。キオスクでおやつを買おうと思っていると、さっきの若い部下が小走りに追いかけてきていた。「姐さん、これ、ボスからです!」と、紙袋を手渡した。VIPラウンジでのみ売っている、味もお値段もリッチなサンドイッチと焼き菓子と紅茶が入っていた。「ワオ、ありがとう!」「あの、さっき、聞こえなかったと思いますが、お子さんたちがバイバイと言ってくれた時、ボスが『再見』と言ったんです」「ツァイチェン?中国語だね。ボス、中国行くのかな」部下は特に答は言わずに一礼した。 どこへ行くにせよ、きっとまた会えるだろう。あとでパーディに『再見』の意味を教えてもらって、ジャッキーはそう思った。おわり。余談ですが、パーディはキレネンコと電話またはメール(もしかすると手紙)でチェス対戦をしています。この物語当時1967年ぐらいですから、コンピュータのチェスプログラムは、わりと強い人間プレーヤーのレベルでした。世界トップレベルの人間と互角に戦えるようになるには、まだ時間がかかります。パーディのチェスに関しては、奇しくも(w)現実的な話になりました。パーディの存在そのものが荒唐無稽なので、まじめに考える必要はないのですが。
2024.03.05
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