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上下水道局のマスコットキャラクターホタルのすみと君ホタルのひかりちゃん椿が咲くその先に次の藤棚藤棚の周りに過去には芝桜が咲いていたのですが見る影もないような株で咲いていました。マンホールの蓋は他に5点あります。なが~~く続く藤棚は動画でご覧ください。
2024/05/08
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市バスでも行けますが期間中はシャトルバス(無料)が京都北区のわら天神前から出ています。入苑料は必要です。4月10日の原谷苑です。一度行ってみたいと思いながらも延び延びになっていた場所枝垂れ桜と花々を楽しんでください。御室の桜と表示花は2~3輪この時期は蕾でした木瓜もしっかり仲間入り黄色の花は黄梅(オウバイ)「利休梅」表示は吉野つつじこの花の名前?木の実の花とは出ますが…お花のシャワーを浴びたような楽しい時間でした。春の一般公開は3月23日~4月25日秋は紅葉の11月頃のようです。苑内の様子は動画でご覧ください。
2024/04/23
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立本寺(りゅうほんじ)以前に拝見した時は建物の修復工事中境内の建物が工事ネットでおおわれていました。今回、リベンジです。山門の左横の道から境内へ正式名称:本山・立本寺日蓮宗の本山通称:北野の鬼子母神さま京都市上京区にあるお寺です。鬼子母神堂お天気は花曇りで桜も墨絵のようです。続いて桜を撮りに・・・歩きました・過日、清凉寺の大松明の折にお隣におられた方と「ブログをこれで最後に…」と話していましたがなんとなく続いています。(^▽^)写真を撮って来るとアップして・・・。桜を見ればカメラを持って出かけます。これからも気ままにやってゆきます。
2024/04/10
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開花宣言は3月28 →29日の昼頃でした。今年は遅かったです。テレビ局の取材班です。数輪どころではなく満開の日が早いかも。同じころ、一足早く咲く枝垂れ桜は6,7分咲きです。京都・初代の標本木です。京都気象台の庭に元気に・・こちらも開花していました。若い枝まで芽吹いて…今回の出会いは・・・お二人仲良くプライベートで・・・。周りの方も以外に気が付かないようで、堂々と散策され、海外の観光客の写真に納まって後ろ姿なら載せちゃっても・・・。(^_-)-☆4月1日の桜はエイプリルフールですがうそではありません。当日に撮りました。本丸の櫓門と桜枝垂れ桜も満開に近く標本木は・・・。下のほうが咲いています。桜の園はちらほらと・・・、これからです。京都の桜でした。
2024/04/02
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京都・八瀬からケーブルとロープウエイを乗り継いで848mの山頂へ比叡山全域を境内とする天台宗総本山「比叡山延暦寺」へ帰りは滋賀県坂本へ下りる行程で秋を楽しんできました。標高840mにあるガーデンミュージアム比叡墨絵のような景色です近江大橋が眼下にスイレンの時期ではありませんが・・・シャトルバスで東塔地域へ大講堂平成28年から約10年かけて根本中堂大改修この石段を下りて参拝するのが道順だそうですが・・・とても下りるのが怖そうです。へシャトルバスで横川地域横川中堂元三大師堂元三大師(がんざんだいし)良源の住居跡元三大師が73歳の折、疫病が流行り難局を救うため大きな鏡に自分を写し疫病退散を願ったら鬼の姿が写し出されたその姿を版木に刻み配ったところあらゆる災厄から身を守ることができ厄除けの元三大師と信仰されている 来た道を戻り坂本ケーブルへ爽やかな秋の一日でした。動画も編集しましたご覧ください
2023/12/29
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京都駅から天橋立インターへ丹後海陸交通のバスで10月25日出発OB会の一泊旅行は伊根の舟屋めぐりです。宿泊先はホテル&リゾーツ京都 宮津各部屋から海が見えるオーシャンビュー日没が美しかったです次の日は日出湊から遊覧船に乗船先に出て行く船を追って海鳥が追いかけています。我々が乗った船にも海鳥が追いかけてきますちょこんと遊覧船に乗ってました。幼鳥かなぁでも可愛いでしょ!甲板ではカルビーを手に江戸時代からの舟屋があるそうです。梁が低いと言うことです。また昔は鯨もとられようで舟屋で解体したと言われています。宮津から京都へJRで帰ってきました。公共交通を使った旅行でしんどい面もありますが遠足を思い出した旅行でした
2023/12/12
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中離宮を拝見した後松並木道を戻って上離宮へ小高い山へ登るような山道が続き趣が違う箇所です。見えてきたのが麟雲亭(りんうんてい)特に装飾はなく眼下に浴龍池や洛北の山々左手に洛中の街並みを眺め自然の中で風を楽しむ。その様な感じの庵です。いっきに庭園を回ってここで一息小休止眼下に浴龍池、遠くに洛北の山々の峰京都市内や遠くあべのハルカスも・・・この日は霞の中に見えました。中央少し右です。千歳橋19世紀前半に京都所司代から献上され浴龍池の中の二つの島を結んでいます。楓(かえで)橋を渡って浴龍池の中の島へ窮邃亭(きゅうすいてい)創建当時の建物です。後水尾上皇の宸筆による額です。 舟遊びができる浴龍池は 船溜まりや乗り場など 3回に分けて投稿したので動画にまとめました。ご覧ください。
2023/11/12
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中離宮への門です。楽只軒(らくしけん)光子内親王のための建物祇園祭の鉾が描かれています互い違いに配された5枚の棚板が霞がたなびいている様子に見えることから霞棚と呼ばれています。和歌や詩歌の色紙を張るなど雅です。また飾り金具は葵の紋がついています。地袋の引手は羽子板の形いたるところに女性の住まいらしさが見られます。両面に鯉が描かれています。濡れ縁の欄干は「網干の欄干」漁村の網を干した形を表している来た道を戻って上離宮へ・・・。
2023/11/09
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比叡山のふもと、東山連峰の山裾に造られた「修学院離宮」宮内庁の管轄です。下離宮、中離宮、上離宮と回遊式庭園に舟遊びができる広い池にで構成されています。修学院の歴史は10世紀後半に修学院と言う寺が建立され南北朝時代以降に廃絶したが修学院村として地名が残り1655~1656年にかけて後水尾上皇によって造営工事を起こし1659年頃に完成した山荘です。離宮の造営より前に上皇の第一皇女梅宮が得度して中離宮付近に草庵(円照寺)を創建されていたが別荘地を探していた上皇は円照寺を大和に移し上と下の二つの離宮を建設されたのが修学院離宮です。御幸門からはいりますが後水尾上皇が好んだ花菱紋です。木戸をくぐり日本の美を堪能で~す。後水尾上皇の宸筆の扁額です。東側の門を出ると8万㎡におよぶ水田畑地が目前に広がります。水田の中ほどに鷹を模した凧が舞っていました。稲穂の時期の9月上旬今は・・・右側道を進みます左側は上離宮への道です中離宮を拝見した後ここへ戻ってきます。松並木を通って中離宮へ
2023/11/06
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昼食後、残りの4か所を回ります。ゼスト御池の西の端から地上へ御池通(東西の通)を西へ、柳馬場通(南北の通)へ目印は角の京都御池中学校を北へ400mほど歩いた所に【7】「京都ハリストス正教会」1903年(明治36年)に正教会の京都聖堂として建設された。設計は松室重光氏正面が京都御苑右手に裁判所丸太町通南側に裁判所北側は京都御苑です。山は東山です。【8】「新島旧邸」新島襄とその妻・八重の私邸1878年(明治11年)設計者は不明NHKの「八重の桜」でご存知ですね。付属屋展示室京都御苑の中を抜けて西側へ【9】「大丸ヴィラ」1932年(昭和7年)設計はヴォーリズ建築事務所バラが美しく咲く中に静かに立っていました。見学はツアーのみ御所に沿って北へ【10】「京都府庁舎旧本館」1904年(明治37年)設計は松室茂光氏、久留正道氏、一井九平氏旧知事室2階の南東角部屋です。建設当初の1905年(明治38年)大森鐘一知事から1971年(昭和46年)の蜷川虎三知事まで24人の知事さんが使用されていました。旧食堂知事さんや特別な来朝者用かな!?一階へ下りて、旧議場へ旧議場1905年(明治38年)から1969年(昭和44年)まで府議会の議場として使われていました。旧議場は閣議が開かれた正庁や旧知事室、旧議場を映画やドラマなどの撮影、結婚式などなどに貸出をされているそうです。ただし有料です。京都モダン建築を終わります。
2023/06/14
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【1】「京都芸術センター」京都の町衆たちの力で開校された番組小学校(後の明愉小学校)1931年(昭和6年)に鉄筋コンクリート造りに改築1993年に閉校になった後「芸術文化交流センター」として活用する計画が策定アーティスト、その他芸術に関する活動を行う者が連携して2000年に開設され現在に至る【2】「旧北国銀行京都支店」(旧山口銀行京都支店)1916年(大正5年)赤レンガと白いラインが特徴烏丸四条の交差点から北へ行ったところの烏丸通に面して建っています。設計は後で行く京都文化博物館別館も同じ辰野片岡建築事務所です。【3】「中京郵便局」郵便制度発足(1871年)に東京と大阪に設けられた郵便役所の前身で1902年(明治35年)に建設された日本で最も歴史のある郵便局の一つです。設計は吉井茂則氏と三橋四郎氏【4】「京都文化博物館別館」1906年(明治39年)に竣工設計は辰野金吾氏19世紀後半のイギリスで流行ったデザインを応用窓枠は木製で上部ははめ殺しで開きませんが下二段は上下に動き西洋風でおしゃれです。【5】「1928ビル」1928年(昭和3年)に竣工設計は武田吾一氏建設当初は大阪毎日新聞京都支局ビル「京都大毎会館」として建設された。同支局が移転後の現在はギャラリー・レストラン・フリースペースなどに利用されています。建設の年がビル名とは思いませんでした。三条通を歩いてきました三条通と寺町通の辻です。寺町通りを北へ【6】「京都市役所本館」武田吾一氏が意匠設計を監修した建物東半分は1927年(昭和2年)に、西半分は1031年(昭和6年)に完成京都市役所と地下街のゼスト御池を結んだ新しい地下道です。地下鉄東西線から市役所へ地下道を通って便利になりました。ゼスト御池(地下街)で昼食休憩。午後はあと4ヶ所です。
2023/06/12
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「蹴上げのツツジ」や「鳥羽の藤」は行政改革計画のイベント見直しの方針で開催見送りにより中止です。ツツジを求めて4月29日青蓮院門跡(しょうれんいんもんせき)へ長屋門ツツジが目的ですが新緑が美しい!宸殿や車寄せの令和の大改修中です。右の建物が社務所で受け付け庭園への下り口ですが先に建物を順路に沿って…建物から庭園を拝見します。ツツジが美しく見える場所ですが時期を過ぎたツツジも…。庭へ下りて行きます。好文亭創建当初は「御学問所」明治以降はお茶室として使用、平成5年に放火により全焼、平成7年に建設当初のように完全復元。日吉社日吉山王の神は天台宗の守護神として祀られているそうです。(吉の地は土に口です)日吉社の前から俯瞰七五三の祝いかなおめでとうさん。元気に育ってね!・・・完・・・門跡
2023/05/17
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彦根藩4代藩主・井伊直興(いいなおおき)が整備したと言われている玄宮園(げんきゅうえん)です。江戸時代後期に第11代藩主井伊直中の隠居屋敷として再整備された左側が「書院」で右側が耐震構造された「地震の間」現在、歴史的建造物保存整理中です。池を一巡します魚躍沼(ぎょやくしょう)七間橋臨池閣(りんちかく)と彦根城天守さざ波で写り込みが綺麗に見られなかった鶴鳴渚(かくめいなぎさ)茶室満開の桜と彦根城が拝見できた散策でした。長くなりましたがお付き合い有難うございました。
2023/04/17
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青い空に桜が映える彦根城は彦根市金亀町の彦根山に築かれた平山城標高50mに建つお城です曲がりくねった坂道をあがってやっと天守閣に…。天守閣の内部はどこも同じような造りでここも急な階段を上がります。(過去に行った時の写真です)当日は桜の時期、天守内も人で満員ほぼ南西の方角です。びわ湖が見える方角は北西びわ湖やグランド、街が見える方角は北東難儀な急な階段を無事に下りて《ホッ》遠いですが目立つ黒い建物は何かな?野球場とグランドのスポーツ施設が並んでいます。天守の北側をまわって下りて行きます。眺めはいいのですが急な坂道です。転げ落ちそうな坂道名勝玄宮楽々園(げんきゅうらくらくえん)へ続きます
2023/04/14
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彦根城の続き(その2)初代藩主は井伊直政城は堅固な造りですが内堀に囲まれた部分では上の写真のように這いあがるのが困難な状態だけの部分など築城経費を考えたのでしょうか・・・。下の写真も這い上がることがやっとできる斜面、ひとつ間違ったら滑り落ちそうです。這い上がっていても上から槍や鉄砲でやられそうです。岩盤を垂直に近い状態に削り落とした切岸(きりぎし)敵の侵入を防ぐ構造です。曲がりくねっただらだらした坂道は表参道本丸の場所へ天秤櫓に架かる「廊下橋」右の白い建物が天秤櫓です。この橋を渡らなければ本丸に行けません。敵がこの橋を渡るようなら橋を落としてしまう仕掛けになっているそうです。現在、橋脚はコンクリートの上にありますが、元は石垣のところで支えていたようです。橋の左右で石組みに違いが右側が築城時の石組み左側が江戸後期に改修された石組みだそうです上の写真が築城時の石垣ハギ積下の写真が江戸後期の石垣落とし積ぐるっと回って廊下橋へ正面が天秤櫓左右に隅櫓があるのが名前の由来です。櫓は左右で向きが違いますが警備のため見下ろす方向を変えているそうです。廊下橋から見下ろすと高さがあります。曲がりくねる道も外敵の侵入を防ぐためです。門扉の入り口にも仕掛けが・・・・。扉を敷居の内側に取り付けて外からこじ開けることやはずすことができない構図です。太鼓櫓場内合図の太鼓が置かれていた天守閣はまだこの上です。やっと本丸に到着~。守りの城ですね。城主気分で天守閣に入ってみましょう。・・・・・・似たような造りや写真で名称を間違いましたので再度訂正しました。
2023/04/12
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OB会の散策で久しぶりに彦根城へJR彦根駅前です。お出迎えは・彦根初代藩主井伊直政公之像滋賀縣護国神社桜は満開です。外堀、中堀、内堀の三重の堀に囲まれた彦根城井伊氏の拠点として彦根山に築かれた平山城は標高50mです。大津城から移築されたとも言われています。築城1607年、慶長12年です。城の構造が軍事面でも優れていることで、昭和27年(1952)に国宝に指定されました。中堀の向こうに桜多聞櫓(たもんやぐら)多聞櫓(たもんやぐら)の向こうに本丸中堀を渡って「佐和口」現在はありませんが佐和口に頑丈な門があったそうです。佐和口には敵の行く手を阻む頑丈な門城壁から外敵の侵入を防ぐため「鉄砲や槍狭間」から鉄砲や槍が狙っています守り重視の城構えです。中堀の内側です。「馬屋」21頭の馬がいたそうです。赤い服は案内いただいた観光ボランティアさん途中、赤い帽子に井伊直政の兜の「立てもの」を付けて案内されていました。目立っていました~^^丁寧な案内で良かったよ!内堀に架かる「表閣橋」を渡って本丸へ向かいますが本丸へは坂道です。ちょっとした山上り~頑張ります~。(^▽^)
2023/04/10
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京都伏見と言えば寺田屋や坂本竜馬、酒蔵が思い浮かぶと思います。現在の寺田屋ですが鳥羽伏見の戦いで焼失し再建されたことがわかったきたようです。東横の一角が元の寺田屋があった場所だそうです。寺田屋に滞在していた尊王攘夷(そんのうじょうい)の過激派志士が弾圧された事件が寺田屋事件のその1寺田屋事件 その22年後に起きた坂本竜馬狙撃事件、竜馬の妻・お龍さんが察知して竜馬に知らせて難を逃れた事件です。二人の門出なのか・・・。濠川の船溜まりの伏見の港に立つ坂本竜馬とお龍さん歴史の舞台の伏見です。さて、濠川の桜は・・・。濠川の十石舟の運行は3月までは月曜日が運休と表示されたいたが桜の開花が早く月曜日も運行されていました。船溜まりで向きを変えて一週間目に長建寺に来た時濠川に係留されている舟が桜の枝の向こうに写っていたが桜が満開で舟が見えません。川岸へ下りて・・・。≪カシャ≫川岸の遊歩道を歩いてさかのぼって行きます。観光客をの乗せた行きの舟が川を上ってきました折り返してきた戻り舟上り舟と戻り舟が行き交います。真ん中の舟は景観用に係留された舟京都府道115へ濠川に架かる橋から満開の桜下を舟が抜けてきます。上り舟戻りの舟バックは月桂冠の建物長建寺の桜も満開でした。3月27日のこと京都伏見の桜を終わります。
2023/03/31
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京都・伏見区の酒蔵が並ぶ中書島にある「長建寺」真言宗醍醐寺派の寺院です。ご本尊が弁財天長建寺には歴史が・・・秀吉時代に伏見城があった時期は大いに賑わっていたそうですが、伏見城が廃城になり町は衰退当時に奉行・建部政宇(たけべまさのき)が豪川を開拓して伏見を復興させようと京都・深草にあった即成就院の塔頭・多間院の建物を移転して建立、建の字と長寿を願って「長建寺」と名付けたそうです。創建は元禄12年(1699)地域や多くの方が今も「島の弁天さん」と親しまれて崇拝されている。京都で最も開花が早い枝垂れ桜「糸桜」が2本植えられています。大きな木ではありませんが存在感は”大”です。長建寺で参拝者を迎えるのは椿垣根に沿って咲く椿花の種類も多く、人目を惹くのは「乙女椿」としぼがある大輪の椿長建寺の前には伏見の十石舟が運航を待っています。運航は3月18日~12月3日まで月曜日は運休。ただし、4、5,10,11月は月曜日も運航されるそうです。写真は桜が満開の3月中の月曜日が狙い目かな。(^▽^)
2023/03/24
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京都・山科区小野小町ゆかりの随心院小野小町の元へ通った深草少将の百夜通いのお話でおなじみの随心院です。ここの梅は京都で一番遅く咲く薄紅色の八重咲きの花です。桜も同時に見られるのが随心院です。随心院の梅園、入園料が必要です。3月26日は恒例の「はねず踊り」舞台で地域の小学生から中学生の少女が踊ります。過去の写真です。「はねず」とは梅の花の薄紅色のことで衣装が「はねず色」です。・・・記・・・WBC:日本優勝!\(^0^)/バンザーイ!!今日はブログどころではありませんでした。
2023/03/22
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梅は天満宮でしょう!と3月12日は梅花祭と言うことで長岡天満宮へ阪急電車の長岡天神で下車後は徒歩菅原道真公が生前に在原業平とともに詩歌管弦を楽しんだ場所八条が池池の周りは桜です。キリシマツツジが咲く径は通行止め神様が通る道らしいです。両側に道がありますので人は池を眺めながら社殿のほうへ反対側の池は・・・。池を渡他処の梅はほぼ終わりかけていました。この石段は新しくできたのかも・・・三つ目の鳥居です古い石造彫刻でもろくなっているので手を触れないでください。とのことです。こちらは撫で牛でしょう。延暦3年(903)菅原道真公と牛の関係は丑年生まれと言うこと。長岡天満宮の立札によると茸狩りの宴の際いずこからともなく子牛が宴席の近くに来て頭を垂れ、いかにも道真公を敬う如くの様子に大層喜び館に連れ帰り可愛がった。大宰府に左遷の道中刺客に襲われた際、荒れ狂った白牛が駆けてきて刺客から道真公を守った。よく見ると都で愛育した牛だった。牛が「臥牛」の訳は「人に曳かせず牛の行くところにとどめよ」との遺言で牛車で運び途中で”牛がひれ伏して動かなくなった”場所に埋葬されたのが安楽寺、今の大宰府天満宮です。子牛も並んでいます。社殿は京都平安神宮の社殿を昭和16年に移築したものだそうです。梅園へ古木ではなく木が若いようです。5月頃にアヤメが咲きます梅に始まって桜、キリシマツツジ、アヤメ、新緑から秋は紅葉へ楽しめる場所です。・・・おわり・・・
2023/03/17
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北野天満宮へ出かけた目的は梅苑のライトアップ!楼門を入ったらお目にかかる丑さん斜陽がまぶしそうです。日没間際の空をバックに梅を撮りたかったのですが少し早いので境内を廻って…道真公の心に寄り添い飛樹した各地の「飛梅伝説」の原種であることが明白になった「飛梅」接ぎ木の様子から樹齢400年以上と記載されています。2月28日でしたがまだ蕾の状態でした。時間をつぶしをして受付へ行ったら平日は16時で閉苑とのことライトアップは金曜から日曜日の三日間のみがっくり調べるのをおろそかにした罰仕方がありません。撫で丑にもアルコールが置かれています。丑さんはアルコールまみれでピッカピカ夕日に輝く白梅出直す気力がなくなり北野天満宮のライトアップは来年に・・・。鬼さん笑わんでねぇつまらない記事ですが終わります。・・記・・・梅園のライトアップは3月19日まで、時間は日没後~20時受付終了19時梅園は現在も拝見できます。
2023/03/13
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京都・淀水路の河津桜京阪電車淀駅で下車路線に沿って歩けば間違いなく行きつきます。沿線近くから≪カシャ≫次の橋から≪カシャ≫この間の河津桜が年数がたっているので開花が早いようです。逆光ですが・・・。3月7日の時は7分~8分咲きの感じでした。地域の方が植えて管理されている桜です。木の根元には水仙や菜の花、パンジーなど春の花が植えられています。ちょっと気取って桜をバックに水仙や菜の花メジロに出会えないと思ったら出会ったぁ~~!河津桜ではなく蔦です。逆光でシルエット状態でしたので明るく画像処理しています。河津桜さんが《咲いたころにまた来てね!》うさぎさん「うん また来るね!」《きっとだよ!》と言ったかどうか・・・。楽しい某ブログのパクリです。カクジイさんへパクッテごめんなさい。<m(_ _)m>126号線をはさんで西は木がやや古木で開花が早いようです。東側の木は若く開花が遅いようで、ちらほら咲きです。来週あたりから楽しめそうです。・・・おわり・・・
2023/03/10
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今朝、起きたら・・・”あら~また…”雪景色京都府立植物園です。京都府立植物園も人影も少なく独り占め!?チューリップがよく植えられる場所もすっぽり雪に隠れてカワセミがやって来る池も寒々しく「ジョウビタキ」と思いますが違うかなぁ…。日本へは越冬のため渡ってくる鳥さんは寒くないようですがうさぎさんは寒くて温室へ逃げ込みました。(^▽^)以下は温室の花「ハイドゥンツバキ」ベトナムのグエン王朝では愛され門外不出の「幻の名花」と呼ばれていたそうです。ベトナム語では「海裳」「ハイドン」日本語では「ハイドォン/ハイドン」と呼ばれているようです。ベトナムの旧正月はこの花がつかわれるようです。次の写真の準備が思うように進まず植物園の雪の日の写真で代替えです。<m(_ _)m>お
2023/02/15
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京都・淀の疎水沿いに2月中ごろ過ぎから開花する京都・淀の河津桜は知名度が上がっていますが、その河津桜桜より一足早く咲くのが「正月桜」または「元日桜」といわれています。寒緋桜(かんひざくら)の一種1月下旬ころから開花のようです。地元の方は「今年は遅かった」と言っておられました。花が下向きに垂れるように咲く様子は寒緋桜の特徴でしょうね。午後3時を過ぎて鳥たちのお食事に時間やっとメジロがやってきました。しかし喜んだのもつかの間ヒヨドリが・・・メジロは慌てて飛び去りましたヒヨドリの独断場身体が柔らかいのですね。蜜の曲吸い!? です。(^▽^)この後は待てどもメジロはやってきませんでした。河津桜が咲くころに出かけましょう。・・・おわり・・・
2023/02/13
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京都市左京区にある神社。叡電の元田中駅の近くです。社伝によると1280年ころの創建とされているようです。ご祭神は縁結びと厄除けの大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)末社は「稲田姫大神」夫婦円満・子宝・縁結び「事代主大神」豊漁・商売繁盛・五穀豊穣「倉稲魂大神」五穀豊穣・商売繁盛・金運「猿田彦大神」交通安全・開運・災難と方位除”田中姓”発祥日と言われています。かっては田中村と言われる地域でびわ湖疎水ができる以前は灌漑用水に恵まれずひんぱんに干害に見舞われ用水路上流の一乗寺や高野と水争いを起こすほど窮していたそうです。干ばつになると農民は天の恵みを求めて雨乞い唄♪ 雨降れ 十五夜♪ 雲にかかれ ひっかかれと雨乞いの唄を口に蓑(みの)を着け菅笠(すげがさ)姿でカエルのように飛び跳ねて雨乞いをしたということです。一心不乱に雨乞いをした境内の一部は周辺住民の需要にこたえて駐車場になっています。寛永5年(1628)に下鴨神社の造替に際し旧殿を寄附されたそうですが、宝永3年(1706)の田中村の火災で焼失したそうです。その後再建され社殿や拝殿には三つ葉丸葵の紋がついています。境内の遊具がある小さな公園に二宮金次郎!珍しいのは境内に孔雀(くじゃく)ある方が孔雀が羽根を広げてくれた喜んでおられましたが男性だから・・人間でもオス、威嚇したのでしょうね。(^▽^)おみくじと孔雀のお守りおみくじは卵の中に折った孔雀と一緒に折った孔雀は他の色もあるようですよ。 村の鎮守の神様の今日は目出度い御祭日ドンドンヒャララ ドンヒャララドンドンヒャララ ドンヒャララ朝から聞える笛太鼓歌が聞えてきそうな田中神社でした。(写真は昨年の11月中半の頃です)
2023/01/16
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初詣と初日の出を京都の四神の中心平安神宮へ日の出を待つ人の姿も増えてきましたが写真の通り厚い雲に覆われて残念ながら初日の出は拝めませんでした。今年の運勢は暗黒かなぁ運試しにおみくじを・・・くじは良かったぁ!\(^0^)/寶船縁起が良いのは一富士 二鷹 三茄子貴方の初夢は・・・。平安神宮の大鳥居から楼門近くまで参道の両側に露店がずらりコロナは大丈夫なのかなぁ。
2023/01/02
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開山は初代住職の禅僧であり作庭家夢窓疎石(むそう そせき)多くの作庭をされている中に天龍寺の庭園の作庭も列記されていますが確実かどうか・・・。亀山を借景にして作られた庭園です。開山堂人が絶えることがなく写り込んでしまいました平和観音と愛の泉天龍寺の開山・初代住職の無窓礎石は観音菩薩を信仰し、祈り、霊夢をこうむって国師の称号を賜り南北両朝の和平につくされた。この観音像は第七代管長の関精拙(せき せいせつ)老師の時代に南方よりもたらされたそうです。百花苑四季の花が楽しめますが後にして望京の丘へ上がります。望京の丘からの眺めです。京都市内は大方丈の屋根で見えませんが京都タワーのみ庭内の花日月椿ツワブキ寒牡丹勅使門の前の放生池のハスは鷺を寄せ付けないほどに密生してます。松の木は春のミドリ摘みと秋に透かし選定されます。庭園の松の木の手入中これぞ日本の姿!と思われたのか海外の観光客は珍しいのかカメラが取り囲んでいました。時間があった割には雑な見学だったと反省。<m(_ _)m>
2022/11/30
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京都の屈指の観光地嵯峨嵐山で歴史も長く風格のある四季それぞれに名があがる世界遺産の天龍寺庫裏を上がると目前の衝立に達磨大師の顔怖い顔でなく見方によっては寂しげな達磨大師に見えましたが…。天龍寺の沿革によると天龍寺創建以前この場所に嵯峨天皇の后、檀林皇后が開創した 壇林寺があった跡地です。壇林寺が廃絶した後、後嵯峨上皇が仙洞御所を造営し、亀玉上皇が仮の御所を営んだ。と、記載されています。足利尊氏を開基として夢窓疎石を開山として資金調達など苦労して開かれた天龍寺も火災や兵火に見舞われること八回。歴代の管長により復興と再建をくりかえし上知令により(上地令と表記される場合も)現在の境内は以前の10分の1がそうです。曹源池(そうげんち)大方丈の障壁画ガラス張りになって広縁にいる方や景色が写り込んでいました。下の写真は以前の障壁画の龍です。絵が変わっていました。ガラスが入っていないのではっきりと見えました。以前の龍は指が四本で中国の龍(4~5本)の表現今回の障壁画は指が三本に見えました。日本の龍の表現のようです。書院のほうから見た庭園かわりばえがしないようで…。(苦笑)大方丈・書院から多宝殿へ行く途中の奥に茶室のような建物、横を流れるせせらぎは大堰川多宝殿へ行く回廊以前はは板張りでガタガタと歩きましたがゴザが敷かれています。戻りは「名月」手水の写り込みも素敵。天龍寺は四季折々の花が目られます。庭のほうへ回ってみます。邸内と庭園の拝観料は庫裏に受付があります。庭園のみの拝観もできます。
2022/11/28
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嵯峨嵐山へぶらりと・・。人が多いです。久しぶりの天竜寺!天龍寺は臨済宗天龍寺派の総本山、山号:霊亀山(れいぎざん)ご本尊は釈迦三尊、創建は1343年、足利尊氏が五醍醐天皇の菩提を弔うため離宮の亀山殿を寺に改めたのが天龍寺だそうです。人が少なくった時を狙って≪カシャ≫紅葉を求めて大勢の方です。放生池の紅葉とススキに魅了されて・・・。逆光に輝くススキを撮りたかったが、どれもイマイチかなぁ。紅葉をバックにサザンカ今年は花の開花が早いような気がします。八幡宮の紅葉記念撮影で長蛇の列でした。若い人は鳥居の前でポーズ!海外からの観光客に大うけです。久しぶりに方丈へ・・・。方丈からの眺めは次回に。
2022/11/25
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名も幸せの文字の幸神社(さいのかみのやしろ)は京都御所の北になります。過去は御所の鬼門(北東)の方角鴨川の畔にあったそうで、京都の鬼門の方角にある京都の鬼門の神社です。ご利益は縁結びに芸能上達、鬼門除け、交通安全です。出かけた目的は萩ですが…。河原町今出川交差点から西へ約230mほど行けば京都御所の東北の角、北へ道を行けば正面が幸神社です。阿吽の狛犬もハギに埋もれています。猨田彦大神幸神社のご祭神です。「古事記」によると猨田彦命とは・・・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高天原から天下る際男が道をふさいでいる。問うと、「私は国つ神の猨田彦、天つ神の御子が天下ると聞いて、道案内に来ました。」猨田彦神のお陰で無事に高千穂へ降臨された。と、いう神話があります。この話から交通安全の神、言われています。京都の鬼門の方角を守るおサルさんです。本殿の社屋の中、東北の角に鎮座しています。御所の「猿が辻」修学院の「赤山禅寺」ここ「幸神社」です。お猿さんの姿は歌舞伎や能の「三番叟」です。多くの神々を祀る社ちなみに天之御中主神、天照大神、瓊瓊杵尊、少名毘古那神、大国主命などなど8柱が相殿神です。京都の鬼門の神社と言われている神社の境内の鬼門(北東)に地元では「おせきさん」と呼ばれている陽石です。平安時代からご神体と伝えられているそうです。萩は少し早かったようですが幸せな社名の神社にお参り出来て幸せ!・・・おわり・・・
2022/10/07
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閻魔大王がご本尊の「引接寺」(いんじょうじ)人々は(別名)「千本えんま堂」と呼びます。引接とは仏が衆生(しゅじょう=生きとし生けるもの)を浄土に往生させることです。この地は昔、京都の三大墓地の一つで引接寺はその一つの入り口に建っています。創建は小野 篁(おの の たかむら)が現世と冥土を行き来して、閻魔法王とも交流したいと自らえんま法王の姿を刻んで祠をたてて祀ったのが始まりと言われています。小野 篁さんは物好きな方ですね。(風祭りの時の写真です)今回、撮り忘れたました。(苦笑)お堂の奥にお地蔵様が並び崇めるように彼岸花が咲きます。水塔婆のおこなわれる場所に彼岸花が綺麗に写り込んでいました。写真を逆さにしたのではありません。念のため・・・。蝶々もやってきました。引接寺のえんま様は風祭りの時と思いますが拝見しました。怖いお顔のえんま様です。怖すぎて描けません。絵は足利市のえんま様と深川のえんま様を参考にうさぎさん流のえんま様です。<m(_ _)m>えんま法王は冥界の王!生前の罪を裁く神様とされていますが日本では「地蔵菩薩」の化身といわれています。えんま法王の顔が怖いのは再び罪を起こさせないためだそうです。亡き人は毎週裁かれる裁判官。えんま法王の姿は中国の裁判官の姿を模しているそうです。引接寺を終わります。
2022/10/05
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京都・上京区にある日蓮宗の本山 本満寺山号:廣布山十界曼荼羅をご本尊とする寺院です。創建は1410年で古いですが、戦乱での消失などや幾たびかの焼失にあい現在の本堂は1927年(昭和2年)に再建されたものです。春は西門(寺町通)を入ると大きく枝を伸ばした枝垂れ桜に始まり牡丹へ、秋は酔芙蓉が本堂前を彩ります。気持ちよさそうにお昼寝中《ウ~~ン》 とは言っていませんが気持ちよさそうに伸びをしてよく寝たかな・・・。起こしてしまったのかも…。カメラ目線をいただきました。陽が傾けがピンクに祖なった酔芙蓉です。綺麗なピンクに染まっていました。ハスの鉢の陰からもう一匹首輪をしています。お寺の飼い猫かも・・・。お行儀よく上品な姿うさぎさんに興味がなくなったのか帰ってゆきました。(^▽^)南門です。いつも利用するが裏門かな。ネズミ歳ではありませんが猫は苦手です。猫と目があえば鳥肌~^^でもここの猫たちには不思議に抵抗がなかったよ。(^▽^)
2022/10/03
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京都で萩の花といえばここ出町柳の近く常林寺、梨木神社、迎称寺、真如堂などが定番と言われています。常林寺の近くを通りましたので寄りました。開創が1591年(天正19年)ですから古いお寺ですが創建当時は寺町通荒神口にあったそうですが焼失のより現在地へ移転本堂は1698年に建立されたそうです。阿弥陀三尊をご本尊とする浄土宗です。いつも本堂の戸が閉まっていますので拝見したことがありません。中から見た山門です。ここはススキも主役と思うのはうさぎさんだけかも・・・。(^▽^)通路が狭いので萩とススキが絡んでます~。蝶々も遊びに来ていました。ツマグロヒョウモンかな。常林寺を終わります。
2022/09/30
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花の寺ともいわれる妙蓮寺へ彼岸花にあえるかなぁ・・・と出かけました。妙蓮寺は・・・日蓮上人から京都の布教の遺言を託された日像上人が草履を脱いで日蓮上人の教えを京都に広められた。脱履(だつり)の道場草履を脱ぐとは=旅を終えるまたは旅の途中で宿泊する堀川通り西側、堀川寺之内のバス停に近いです。山門前にも芙蓉があふれんばかりに咲いています。芙蓉の根元に彼岸花例年なら見られる本堂前の芙蓉の根元に沿って咲く彼岸花の姿が見られません。どうしたのかなぁ。妙蓮寺の芙蓉は酔芙蓉が少ないようですが本堂の周りも芙蓉が彩ります。陽が西に傾いたのでちょっと気取って”陽の光”を撮りたくなりました。酔芙蓉は酔っていないようでした。花芯の影が目的で撮りました。ハスの種を見つけていただいてきました。来年に芽が出るかも・・・。つやつやして綺麗でした。彼岸花と芙蓉が見られて気取った写真もとれて満足でした。(^▽^)/
2022/09/28
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京都御苑の近くにある行願寺は西国三十三所第19番札所洛陽三十三所観音霊場代第4番1004年に行円上人によって一条小川に復興された寺院です。行円上人が仏門に入るきっかけは狩猟を生業にしていて身ごもっていた雌鹿を射て殺生の非をさとり仏門に入られたそうです。生涯、自分が射た雌鹿の皮を常に身に付けていたことから皮聖・皮聖人とよばれたのが「革堂」と呼ばれる所以です。近くで見られる鉢植えのハスの様子つたない画像ですがご覧ください。三世代!?もう一代並んでいたら良いのに残念(^▽^)小首をかしげた様子も可愛げがあった良いなぁ。雲の切れ間に見せたハス鉢植えだからいろんな表情が見られて遊んでしまいました。今年のハスは終わりです。
2022/08/26
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ハスの花を見たくて出かけた先は「行願寺」6月下旬です。山号:霊麀山(れいゆうざん)行願寺天台宗の寺院です。行願寺は西国三十三所第19番札所洛陽三十三所観音霊場代第4番1004年に行円上人によって一条小川に復興され行願寺と名付けられたそうです。「革堂」と呼ばれて親しまれているのは・・・、行円上人が仏門に入る前は狩猟を生業にしていて雌鹿を射たところ身ごもっていたため殺生の非をさとり仏門に入られたそうです。行円上人は自分が射た雌鹿の皮を常に身に付けていたことから皮聖・皮聖人とよばれたのが「革堂」と呼ばれる所以です。大きく立派な香炉です。境内に「寿老人堂」「愛染堂」「鎮宅霊符神堂」などがあります下記の写真目指すハスは鉢植えです。びっしりと並んでいます。池に咲くハスは同じ角度になりますが、鉢植えのハスは様々な角度で撮れて飽きることがありません。写真が多すぎて整理に時間がかかりました。(苦笑)次回へ・・・。
2022/08/15
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祇園祭の前祭(さきのまつり)の船鉾は「出陣の鉾」と言われています。後祭(あとのまつり)の大船鉾は「凱旋の鉾」または「凱旋船鉾」です。ご神体はともに神功皇后(じんぐうこうごう)の説話を題材にされています。曳き鉾の車輪は直径が約1.9m前後あります。船鉾の直径は約2m。横を歩いて要り方と比べたらお分かりと思います。可愛い音頭取さんが・・・。可愛い音頭取さんの動画は下記で・・・。超可愛い! 子ども音頭取可愛い姿にアンコール音頭取さんと記念撮影アンコールにこたえて頑張っていましたが抱えおろされてお父さんに抱かれたらホッとしたのか涙が・・・。高いですから怖かったのでしょう。お兄ちゃんだから・・・、頑張ったのでしょうね。船鉾の重量は5.99トン巡行時は装飾や人が加わり8.41トン地上から屋根まで約6.7m車輪は直径約2m40人で曳くそうです。
2022/07/27
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京都山科の勸修寺はハスやスイレン、鯉に鳥たち被写体に事欠かない勸修寺の氷室池です。以前、半夏生は本堂の近くに植えられていましたが池の方へ植え替えられたようです。氷室池はハスよりスイレンが多かった記憶がありますが現在、スイレンはハスに圧倒されながらスイレンが咲いています。千年の杉も鷺の糞害かな…、現在は幹だけになり周りの大きな木を切られたようですが、サギは今も巣営しています。巣の下が餌場で便利ですね。まだ巣立ちしていないのかな。親鳥が餌を運んで戻ったきたのでしょう。大騒ぎしていました。サギの巣営が少なくなった分綺麗な色の鯉の数も増えているようです。こちらは5羽のひなを連れて・・・お母さんがUターン!雛は大騒ぎで…「回れ右~!」「この先 危険」と札が下がっていますが、立ち入り禁止ではなく自己責任で氷室池の周りを一周しました。落ちた枝や落葉などあり、また監視が行き届かないので書かれているように思いますが…。昔、茶室があったのかな…と思う敷石や石仏が並んでいます。池泉回遊式だと思いますので廻れないのはもったいないと思いました。弁財天の祠もありました。以上で京都・山科の勧修寺を終わります。
2022/07/06
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京都市営地下鉄東西線「小野駅」で下車西方向の山手へ向かって歩きます。山科区にある勸修寺です。後醍醐天皇が生母・藤原胤子(ふじわらのいんし/たねこ)の菩提を弔うために創建皇室や藤原氏と関りの有る寺院です。右の建物は「宸殿」江戸時代に明正天皇(めいしょうてんのう)の旧殿が下賜されたものです。白い藤の花が咲く藤棚から藤の実が下がっていました下を通る人が≪ギョッ≫固まっておられました。蛇と間違ったようです。(^▽^)平安時代のお話ですが勧修寺の氷室池にはった氷を毎年、1月2日に御所へ献上して、氷の厚さでその年の豊作を占ったそうです。勧修寺へ来た目的は・・・氷室池のスイレンです。東海さんのブログをもじってそうだ勸修寺へ行こう。と、いうことで勸修寺へしかし、池には半夏生とハスが・・・半夏生とハスが池を占めていました!アジサイも咲いてますよ。観音堂です。ご本尊をお祀りしている本堂より観音堂が絵になるようで…。(苦笑)勸修寺で遊びますので次回もよろしく・・・。
2022/06/27
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アニメにでてくるのかな・・・。バラの木の根元に可愛い人形が・・・。バラの花をかかえているのが良いでしょう!園内を高い場所から見るこんな趣向も・・・。アオイも咲いていたよ。バラ園内の特産館ではグンゼの商品はもちろん地域の特産品や野菜などを売っておられました。新鮮な野菜を見ると買いたくなります。(苦笑)この時期には珍しい淡竹も…。淡竹をかかえて電車で帰る姿を想像してやめました。
2022/06/24
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あやべグンゼスクエア(バラ園)です。バラの良い香りが漂ってきます。大きなバラ園ではないが蔓バラのアーチも数か所一本立てのバラも色とりどりに咲き誇り、1時間45分電車に揺られてきたかいがあります。バラだけでありません。季節花も仲間入りして咲いていました。もう少しバラ園を楽しみます~。(^▽^)
2022/06/22
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グンゼ発祥のまち、京都府綾部市です。京都~園部(乗り継ぎ)園部から綾部へ・・・。京都内から遠かったぁ!園部までは本数もありますが園部から綾部は特急列車はあるが普通列車は少なく9時台の次は10時台がなく11時!写真の特急列車に乗ったら早いのですが、山間を抜け田園風景を楽しみましたが乗車時間は約1時間50分!《フ~~・・・》可愛い市内路線バスが走っていますが駅から近いようなので15分間をてくてくあやべグンゼスクエアに到着グンゼ株式会社の本社社屋風格がありますグンゼ記念館として使っておられます。金曜日は公開されているそうです。3棟の蔵は展示館です。左から創業蔵、現代蔵、未来蔵です。創業蔵の1階です。(展示内容は撮影禁止です)創業者のプロフィール、創業当時の様子や蚕などの展示、2階は社員教育などの歴史現代蔵の2階です。未来蔵の1階です。将来に向けての発展について3棟の蔵は2階でつながっています。黄色い花はアロマのディルでしょうか・・・。バラ園はこの中です。グンゼの創業者:波多野鶴吉氏とグンゼの社内教育の担当者川合信水氏の住居だった「道光庵」です。展示場の蔵は童子のものに手を加えて使っておられるようでした。バラは・・・。バラ園へ・・・ご案内します。
2022/06/20
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藤森神社のアジサイ苑は本殿への参道沿いと本殿裏にあります。本殿や祠、赤い橋もありバックにして撮れるので好きな場所です。雨が似合うアジサイですが快晴で気温がぐんぐん上がり一雨欲しいお天気でした。この日はコスプレの撮影会をされていたので人影がないタイミングで撮るには辛抱強く待ちましょう!前回の写真部の課題が「陽の光を撮る」だったので陽に微笑むアジサイを目的に撮ってみました。光が撮れたかなぁ~。(^▽^*)感謝のお礼参りをして帰宅。今年のアジサイでした。
2022/06/17
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京都のアジサイで有名な場所は三千院、善峯寺、三室戸寺が上げられます。5月の藤森祭では駆け馬神事が行われる京都・伏見の藤森神社にもアジサイ苑があります。藤森神社の主祭神はなんと7柱ちなみに素戔嗚命、別雷命、日本武命、応神天皇、神功皇后、武内宿禰、仁徳天皇です。7柱とは驚きでしょう!いろいろご利益が多そうです。(^▽^)境内の光景に驚き~^^!なんとコスプレの撮影会!フリフリのエプロン姿などのぶりっ子スタイルはあまり見かけません。アニメの影響でしょうね。騎士スタイルが多いです。目的はアジサイ初穂料 300円(入苑料)を納めて最初のアジサイ苑へアジサイ苑は二か所です。コスプレさんのグループにカメラマンで苑内は渋滞気味でした。アジサイの日の丸写真が多くなりますが飽きずにお付き合いください。次回へ
2022/06/15
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途中の結社を後に貴船川の清流に沿って奥宮へ「静寂」という言葉が合う静けさです。ちょっとカラフルな狛犬さん玉依姫命(たまよりひめのみこと)が黄色い船で淀川、鴨川、貴船川をさかのぼってきた船を小石で覆ったと伝えられる「御船形石」小石を持ち帰ると航海安全のご利益があるそうです。ご夫婦で来られた男性が「剥がしてみたい」と言っておられました。罰が当たるかなぁでもその気持ちわかるわ!(^▽^)杉と楓が和合した御神木の「連理の杉」連理とは別々の木が連なって一本の木になることで、男女の深い契りのたとえに用いられます。来た道を戻り神事のため参拝できなかったので本宮へ裏から上がってゆきます上がってきましたお帰りは長い石段を下ります。裏から入るのはよくないかな。(^▽^)アユ釣りが解禁される時期になり釣る楽しみ、食べる楽しみ。貴船の床も繁盛することでしょう。お昼抜きで回ったのでさすがに疲れましたぁ。(苦笑)長くなりましたが貴船神社を終わります。・・・後記・・・一人でお店に入って食べるのが苦手で、おにぎり持参で行きますが境内では食べにくいです。
2022/06/08
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比叡山を正面に遠望できる妙満寺門前のツツジが美しいです。時期がずれましたがアップします。顕本法華宗(けんぽんほっけしゅう)の総本山本尊は三宝尊三宝尊とは法華宗、日蓮宗の本尊仏、法、僧の三宝を祀るための仏像のこと創建当時は京都・烏丸五条辺りにあったそうですが、応仁の乱など幾度か兵火にあい焼失、天文5年(1536)に比叡山の僧徒による焼き討ちで宿坊と大伽藍を類焼。一時は大阪堺に逃れたが天文11年に元の場所に復興。しかし秀吉の時代に寺町二条に移された。環境悪化を避けるため昭和43年に現在に地に移ってきたそうです。お寺の歴史も複雑です。妙満寺へは京都地下鉄 烏丸線終点の国際会館前で下車バスもあるようですが3つほどの先のバス停と思うので歩きます。川沿いに調子よく歩いたら行き過ぎたよ~。エキゾチックな仏舎利塔が目をひきます。仏舎利塔はインドの聖地ブッダガヤの大燈を模して作られているそうです。少しタイミングが遅れたが飛行機雲を見つけて遊びました。本堂の正面に見える比叡山、借景?カメラの限界です~。(^▽^)妙満寺には歌舞伎や能でおなじみの「娘道成寺」で知られている「安珍・清姫の鐘」があります。なぜ 妙満寺に・・・。鐘の中に隠れた安珍を見つけた清姫は炎で安珍を焼き殺し、自らも日高川へ身を投じた。この事件から430年後の1359年、寄進により再鋳した鐘を祝う席に白拍子が現れて舞いおわると鐘が落ち白拍子は蛇身に変じて日高川へ姿を消したそうです。鐘を吊り上げたが近隣に厄災が続き「これぞ清姫の怨念」と裏の竹林に鐘を埋めました。それから200年余り経ち秀吉がこの地を攻めた時この話しを聞き怨念を祓おうと鐘を掘り出し妙満寺に納めたということです。現在、鐘は・・・故郷の道成寺にお里帰りしたそうです。安珍・清姫の話しが脚色されて「娘道成寺」になったそうです。妙満寺をあとにして帰宅。話しが長くなりましたがいかがでしたか。(^▽^)
2022/05/16
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びわ湖疎水の諸羽トンネル(522m)の滋賀県側です。山科の船着き場です。京阪電車の四ノ宮駅あたりです。下りの船の一便のみ寄ります。旧疎水跡過去も舟が行き来していたのでこのような細い側溝ではないと思いますが・・・。びわ湖疎水に沿ってジョギングコースです。カメラを引くと・・・。滋賀県の方向(川上)です。疎水は蛇行しながら大津まで続いています。(^▽^)川上から花筏とは言えませんが花びらが流れてきました。諸羽トンネルの上に諸羽(おろは)神社創建も古いようで貞観4年(862)とありました。道の下を東海道線の列車が通ります。JR山科駅を出て米原、野洲行きなどです。撮り鉄になりました~。嫌われもののように言われているヒヨドリも恋の季節!≪ピイーイジュリ≫ ≪ピイーイジュ≫甲高く鳴いています。諸羽トンネルの大津側へは一週間後に行きましたのでモミジも新緑の葉を・・・、桜はほぼ散って緑の葉をのぞかせていました。チューリップも・・・!諸羽トンネルは522mですが往復を歩いて直径522mの円を一周+αでした。(^▽^)ーおわりー
2022/04/15
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67年ぶりに再開したびわ湖疎水船は滋賀県大津と京都・蹴上間を観光客を乗せて運航されています。今年の春は3月26日~6月12日まで秋は10月末~11月末ころまで期間中に運休の日もありご注意ください。ここは京都・山科区を流れるびわ湖疎水です。安朱橋から諸羽トンネルの入り口へやってきました船が来るまでの待ち時間疎水への写り込みや桜を撮って時間つぶし。下り船が滑るように大津から蹴上(けあげ)へ向かいます。上り船は流れを割るように水しぶきをあげて豪快です!諸羽トンネル522mへ消えて行きました。向こう側が気になります?行ってみましょう!(^▽^)
2022/04/13
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びわ湖疎水の桜が満開の4月4日、桜とびわ湖疎水船を見に出かけました。びわ湖疎水とはびわ湖の湖水を京都市へ流すため明治時代に作られた水路です。季節に合わせて地元の方々のボランティアで花が植えられています。第一トンネル(2,436m)と諸羽トンネル(522m)を抜けて安朱橋に差しかかったびわ湖疎水船です。この後、第二トンネルと第三トンネルを拭けて蹴上げの船溜まりに到着。びわ湖疎水船は2018年(平成30年)春に67年ぶりに再開されました。再開されるについては川底はすり鉢状で水深が浅く(約1m)川幅も狭く流れが速い。急なカーブの個所もあり小型船でも操作が難しく訓練を重ねられたそうです。そのような様子は上り船で見かけます。15分後に次の下り船です。午前中は滋賀県・大津から下りの船が15分間隔で3便上りは京都・蹴上(けあげ)発が午前中に2便です。諸羽トンネルの入り口で上って来るのを待ちます。その様子は次回に・・・
2022/04/11
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背割り堤の木津川側から見る桜は午前中は日当たりが良く桜が華やかですが宇治川側のほうは人も少なく桜が静かな感じがしました。午後になって陽が当たり桜が綺麗に見えました。強風のため観光船の受付用のテントが飛ばされました。御幸橋と桜地元の方も驚くような強風で、背割り堤を歩いていて飛ばされそうになり歩くのがやっと思うような写真が撮れていませんでしたが背割り堤を終わります線撰
2022/04/08
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