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こんな鬱蒼とした濃い緑の中に身を置きたいです。 2006年7月撮影この頃、大相撲を観る機会が増えました。ルールが分からないなどの理由で、スポーツ観戦にはほとんどと言っていいほど興味のない私が唯一、自分から率先して観るスポーツかもしれません。なんと言っても短い時間で勝負がはっきり決まるのが私にはちょうどいいのかも。。。。先日の初場所で優勝25回目を記録した朝青龍。私生活での素行がいろいろと問題になっているようですが、それにしてもやっぱり彼は強いなぁと感心してしまいました。自分よりずっと身体の大きい把瑠都との取り組みではまわしを持って放り投げるような見事な勝ち方で、改めて相撲は身体の小さい大きいに関係なく、技がモノを言うんだなぁと実感。これまでは、そのなんとなく憎たらしい顔つきと(笑)素行の悪さであまり良いイメージはなかったけれど相撲だけに注目をすれば、やっぱり強い。どの力士との勝負も”う~~~ん、やるなぁ”と思う見事な勝ちぶり。それに朝青龍の土俵入りは素晴らしいと思いました。指先の動作まで神経が行き届いているようで見ていてとても気持ちが良いというか、格好良いというか。迫力のある土俵入りの姿に釘付けになってしまいました。しこを踏む時に会場のお客さんが「よいしょ~」と大きな掛け声をかける辺りもユニークです(笑)。歴代の横綱の中でも千代の富士(ウルフ)は一番好きな力士でした。小柄ではありましたが、相撲力士にしては珍しく?筋肉質な身体で、目覚しいほどの活躍と強さだったのを覚えています。土俵入りは朝青龍のが好きですが、千代の富士の土俵入りもなかなかです。そういえば、小さい頃、夕方、祖父母の部屋に行くと今はもう亡くなった祖父がいつも相撲を観ていたっけ。。。なんとなく、幼少の頃からおじいちゃん=相撲という図式が出来上がっていて、相撲はお年寄りの好きなスポーツ・・・・なんてイメージだった。今こうして相撲を観るのが楽しみになったと言う事は私もそれなりに歳を取ってきてるということなのだなぁ~~。同じく、祖父がよく観ていた「笑点」もここ6~7年前から好きになり、東京にいた頃は、後楽園ホールでの観覧募集に応募した事もありました。円楽さんの司会の大喜利が好きだったので、(初代の南伸介さんの頃も記憶にあります。恰幅の良い人でしたね)日本にいる間に一度は実際に会場に行って観に行きたかったのです。何度か応募したけど、当選しませんでした・・・。 ちなみに三遊亭小遊三さんが好きです。アメリカに来てすぐの辺りには日本から母が「笑点」の番組を録画したのをよくこまめに送ってくれていました(笑)。日本にいる間にやっておきたかった事、行って見たかった場所、観ておきたかったもの・・・・・・挙げたらキリがないほどたくさんあるけれど、この相撲観戦、「笑点」観覧、それから歌舞伎観劇が入ります。そしてこういうのを女友達とでも楽しそうで良いけれど、なんとなく母と一緒に行ってみたいなぁ・・・・と強く思うようになりました。日本に住んでる時に、こういうチケットを取って一緒に観に行く・・・なんて、ささやかな親孝行がしたかったな。***************************去年の11月初めに修理に出したカメラがようやく先週2ヵ月半ぶりに手元に戻って来ました。まるで愛しい我が子に再会したかのような感激だったのに、その感激もつかの間。。。なんと、一番肝心な問題点が全く直っていませんでした!!修理してもらいたい箇所をリストアップして書類に作成し、電話でも詳しく状況を説明したのに。。。消耗が激しい部品の交換や、クリーニングなどなど向こうもいろいろ手を加えてくれたようですが、でも試し撮りをしてみたら、修理に出す前よりも悪い状態になっていました・・・・(涙)。こんな事ってあり?!2ヵ月半、じっと我慢の子で待っていたのにこれはないよなぁ・・・とがっかりしてしまいました。サービスセンターに電話したら、再度送り返す事になりましたがあ~あ、出来れば一回でちゃんと解決して欲しかったなぁ・・・またさらに2ヵ月半も待つ羽目になるのかなぁ???(泣)
2010年01月27日
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梅の木です。ちょうど咲きかけの頃。(吉野梅郷より 2006年3月撮影)日本は、もう来月の後半には梅の季節ですね。「天はニ物を与えず」とはよく言いますが、世の中には例外と言える幸運な方もいるわけで。初めてその方にお会いした時、彼女には後光が射しているように見えました。(私の目には。ハイ、はっきりと。笑)笑顔がチャーミングでした。佇まいが可憐でした。大勢の中で、パッと目を引く"カリスマ性”のような魅力を感じ取りました。とたんに一目惚れしてしまいました。(・・・女性に。汗)それからしばらくして、なんと彼女の方からマイ★ク・リクエストが来た時には大きな驚きと共に小躍りしたいほど、嬉しくなってしまいました。それ以後、私は彼女のブログの大ファンです。とにかく大好きなのです。元気がない時、ちょっと気分が沈んでいる時、彼女のブログで勇気付けられたり、自分でも気付いていなかった心の奥の感情に気付かされたり、笑わせてもらったり、仲の良い家族のほのぼのとした様子にふと口元が緩んだり。モノの考え方や価値観が似ていて、共感できたりと。彼女の、他人の気持ちを思いやる優しさ、頑張り屋さんなところ、自分の夢や目標に向かって努力を惜しまない精神、物事を公平に見つめようとする目線。全てが好きです。ここまで読んで、その女性とは一体、どんな方?と興味の出た方。・・・・お待たせしました(笑)。Kickpopさんです♪他にもご紹介したい写真が山ほどあるのですが、それは皆さんが、ご自分で過去の記事をさかのぼって拝見してくださいね~。その辺のアイドルや女優さんより、ずっと美しいですよ。彼女の笑顔を見てはPCの前でノックダウンされてます、胸キュ~~ンしてます(笑)。そして、私と同じ思いの方は他にもたくさんいらっしゃるはず。世の殿方の中には、ご自分の奥様には料理や掃除、洗濯などの家事は一切求めない、ただキレイに着飾っていてくれればそれでいい、という方もいるようですが。・・・彼女を見ていると、そんな殿方の気持ちがよ~く分るような気がするのです。私は彼女を毎日、神棚に飾って眺めていたいのです(笑)。(・・・・なんかここまで書いてて、私って変態女?!って気がしてきた。汗)しかしですね、彼女は神棚に飾られているようなタイプの女性では決してなくて、実はこんなスゴイ女性でもあるのです!ね?スゴイでしょう~~?(今、ゴクリと生唾を飲み込む音が聞えましたよ)そうなんです。こんな可愛らしいお顔をしておきながら(笑)外見とは似合わない、力強いお仕事をしているのです。テコンドー、拳法、キックボクシングなどを含むマーシャルアーツ、ヨガ、太極拳など、幅広いジャンルのインストラクターをされています。黒帯所持者でもあるのです。こんな美しく可愛らしいお顔で激しい足蹴りをしたり、気合いを入れたレッスンを指導されているなんて。あぁ・・・私も一度、蹴られてみたい・・・(笑)す、す、すみません・・・完全に取り乱してますね。いつもの自分に戻ります(・・って、↑のが本当の自分?!)そんな私の大好きなKickpopさんが今年に入ってからデンバー、コロラドで長い間、TV番組やラジオなどで活躍されている、料理評論家のGabbyさんと言う方のサイトでコラムを担当する事になりました。そして、何がどうなったものか、そんな記念すべき第一回目のコラムに私の写真を使って下さいました。(Kickpopさん、本当にありがとう~~!!)こちらのコラム、毎月新しい記事が投稿されるようです。今後も楽しみにしていきたいですね!こうして、広いアメリカ国内で自分の能力を生かした分野で活躍している・・・。同じ日本人女性として本当に頼もしく、誇りに感じます。(そして、ぐうたら主婦をしている自分をちょっと恥ずかしく思ったり*汗)Kickpopさんが撮るキレイなお写真には美しい州、街であるデンバー、コロラドの素敵な情景が切り取られいて、そちらも楽しむ事が出来ます。そうそう、Kickpopさんは美しい女性、マーシャルアーツのプロであるだけではなくお写真の腕前も、そして絵の才能も、そしてお料理の腕前も立派なもので、まぁ・・・本当に天から何物、頂いたのでしょうか?(笑)う~ん・・・私はせめて一物でもいいから、何かをきわめられたらいいのだけど(汗)。
2010年01月17日
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信じられないけど、まだカメラが入院中なのです(涙)。 もう2ヶ月・・・またまた過去画像ですが、2006年11月に撮影のものです。 ここ何日か、暖かいはずのフロリダが ものすごく寒くなっています。 昨日の土曜日にはみぞれや雪がちらついたとか。 オレンジ農家の方々は、せっかく実った果実が凍ってしまい 収穫できずに大変な事になっているようです。 マイナス4℃なんて、フロリダでは有り得ない温度です。 もっと寒さの厳しい北国で生まれ育った私ですが、 このところ甘やかされて(それに年齢のせいもある?) めっきり寒さに耐えられなくなってきたようです。(根性なし) そんな中、NCにいる旦那のお祖母ちゃんが亡くなったので 急遽、お葬式に出席するために水曜日から4日間 NCへ行って来ました。昨日の夜遅くに帰って来ました。 NC(ノースカロライナ州)の州都である、Raleigh(ローリー)ですが、これまで20年間の結婚生活のうち、4~5回ほど訪れた事があります。今回は本当に久しぶりに訪れた訳ですが、 前回の訪問から比べると、見違えるほど拓けた都会になっていました。 有名ショップやブティック、ストアも何でもあるのに自然もいっぱいあちこちに残っていて、メトロポリタンな面と懐かしい田舎の風景とが上手く調和されているなぁと。。。私、けっこう好きです、ローリー。亡くなったお祖母ちゃんは97歳。 大往生と言えると思います。 先に亡くなった夫である、旦那のお祖父ちゃんが 100エーカーの土地!!を持っていた人だったので(100エーカー=40ヘクタール、ちなみに甲子園球場で1.3ヘクタールだそう)それはそれは大きな財産を残していたようです。 お祖母ちゃんも老人用のコンドに住むまでは それまで住んでいた家や他の土地を売ったので さらに財産が入ったようです。 お祖母ちゃんの住んでいたのはAssisted Livingと呼ばれる まぁ、言ってみれば特に健康面では問題のない お年寄りの方が住むコンドのようなもので 老人ホームやナーシングホームのような介護が入りません。 (緊急用の控えの方は常勤していますが) 食堂はあるけれど、基本的に自室で自炊も出来るし、 掃除、洗濯も気力があれば自分でこなす、というシステム。 亡くなる直前まで、話す内容もしっかりしていたし 本当にボケなどの症状もなく、 自然死というにふさわしい最期だったようです。 ただ、これまで2~3度、「もうあと2週間もつか、どうか・・・」とか「今週いっぱいがヤマです。」と医者に言われ、その度にみなすぐに出発できるように準備していたのですが、なんとその後、1年近くも元気だったのです。今回、お葬式のためにたくさんの親類が集まり、 十数年ぶりに再会した人達もいて そういう意味ではReunionのようになっていました。 子供達は義妹のボーイズ3人と 昨夏以来の再会が出来、嬉しそうだったし 私も、とても大好きで気の合う義妹と4日間過ごせて楽しかった(・・といったら不謹慎?!) 私は今回がアメリカで出席する3回目のお葬式なのだけど、 子供達は初めて棺に入った亡骸を見たので、 5人ともその場から離れる事が出来ず、釘付け(笑)。 キレイに死に化粧がされ、まるで眠っているかのようなお祖母ちゃん(彼らにとっては、曾お祖母ちゃんですね)を指でツンツンして”触った、触った~~♪”なんて はしゃぐ子も出てきて、慌てて止めさせたものの 冷や汗ものでした。お葬式が終わった次の日には 旦那達がジャクソンビルに引っ越すまで住んでいた生家を見に 義理の両親、義妹、そしてそれぞれの子供達を 連れて行ってきました。 旦那は高校を卒業するまで、ローリーに住んでいたので思い出もたくさんあるようです。もちろん今は別の家族が住んでいますが、 当時、隣人だった家族は今もそこに住み続けていました。 今はもう70歳後半になった老夫婦の隣人も 旦那達家族が住んでいた頃は、まだ40代の夫婦だったのです。 単純に凄いことだな~と思ってしまいました。 帰りは車の台数の関係で、 旦那は自分の両親の車を、私は自分達の車を 運転してくることになりました。 後ろに同乗した子供達もわりとおりこうにしてくれたので 私としては助かりました。 ローリーから私達の住んでいる中央フロリダまでは車で11時間ほどかかりました。 ちょっと長距離できつかったけど カフェイン入りのコーヒーをたくさん飲んで どうにか乗り切りました。 NC→SC→ジョージア→フロリダと続く訳ですが、 私は個人的にジョージア州でたくさん見ることの出来る Swamp(沼地)や Creek(小川)の広大な風景が大好きなので 運転中、何度となく両側に出現する その景色を楽しみながら過ごす事が出来ました。 こんな感じに近いです。ちょうど夕暮れ時に通りかかったので、サンセットと小鳥の大群、広い広い高原のような湿地がまるで一枚の絵のようで、とても幻想的でした。ジョージア州、本当に美しい南部の土地です。良かったらついでにこちらで ジョージア州の美しい自然の写真をご覧になってください。 お祖母ちゃんの残してくれた形見、NCで出会った素敵な人達の事など、まだまだ書きたい事があるのですが、 今回はここでオシマイにしておこうと思います。 近いうちに(笑)。 4日間、ず~~~っとヘビィな食事内容で 野菜をほとんど食べていない&米粒を口に出来なかったため 禁断症状のようになり、まるで憑かれたように"ご飯、ご飯・・・・”とつぶやきながら家に帰って来てから、さっそくオニギリと味噌汁、漬物を食べて大満足(笑)。あとはこれで温泉にでも入りに行って身体の芯から温まる事が出来たら、言う事なし! ・・・なんだけど。本当~に寒いです。 アラスカやコロラドなどに住んでいる人からしたら、笑われちゃうかもね。。。。
2010年01月11日
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20年前ほどにバリ島で買ったトラの置物です。2007年に撮影したものを再度、編集し直しているので画質が悪いですね(汗)明けましておめでとうございます!皆さんのお正月はいかがでしたか?海外にいると、どうしてもお正月気分が出ず、いつもと変わらずの毎日・・のようで味気ないですね。年がら年中、日本へ帰りたいと切望している私ですが、でもとりわけ、この今の時期はいつもに増して日本が恋し~くなってしまいます(涙)やはりあの師走独特の、慌しいけどウキウキするような感覚、新年を迎える厳かな雰囲気(実際には友人とパーティ三昧でしたが*笑)などなど、日本にいなければ味わえない事ですから。でも、私と同じように海外でこうして日本のお正月を恋し~く思っている日本人の”同士“の皆さんもたくさんいるんだ、と思うとちょっと励まされる気分です。四方山話 一.さて、今年は寅年と言う事で。寅年の我が家の旦那は、今年は”年男”です。十二支の性格占いを見ますと・・・・意思が強く、自分の決めたことは最後までやりぬくファイトのある寅年生まれの人。面倒見もよく、人から頼りにされるのでリーダーとして人望を集めます。ただ、環境の変化には弱く、臨機応変に対応することが苦手だから、事前に根回しをよくしてから行動にでるとよい結果が出ます。また、金運には恵まれていますが、ギャンブルや投機などには注意が必要です。と、あります。すごく当たっているようで、そうでない部分もあるような。。。?!ちなみにメーガンはヘビ年。・・・・そういえば執念深いところがあるような?!(苦笑)でも上の占別を見ると、そういう根拠はないようですね。二コールは申(さる)年。・・・道理で普段からモンキーっぽい行動が多いのか・・・と納得。四方山話 二.私はと言うと。あの、60年に一回訪れると言う”丙午”(ひのえうま)年です。ご存知のない方はこちらを参考に。丙午年に生まれた女は”男を食う”とか”気が強く夫を尻にしく”などと言われ、とにかく悪いイメージしかついてまわりません(汗)。そのせいか、1966年(昭和41年)の丙午では、子供をもうけるのを避けたり、妊娠中絶を行った夫婦が多く(!!)、出生数は136万974人と他の年に比べて極端に少なかったそうです。(そう考えると、私の両親はかなりのチャンレンジャーでしたね*苦笑)今現在、生きている丙午年は、私達の代の他にはほとんどいないと思われます。何しろ60年に一回なので、私達の前の丙午は現在103歳と言う事で健在されている方は稀だと思われるからです。私が幼少の頃、よく遊びに行っていた近所の“よう子おばあちゃん”という方が、私の前の世代の丙午生まれの女性でした。よう子おばあちゃんの世代は、現代よりも丙午の迷信?が根強く信じられていたため、敬遠されて結婚できない女性も多くいたと聞きます。次の丙午が生まれるまで、あと16年はありますから私達は貴重な、数少ない”1966年生まれの女”という事になりますね(笑)。有名人では、小泉今日子、村上里佳子、早見優、江角マキコ、有森裕子、国生さゆり、などなど・・・やっぱり気が強そう?!あ、あと皇族の紀子様もだそう(笑)。「男を食う」「丙午の女と結婚すると男が早死にする」などと忌み嫌われている、丙午の女ですが、でも、いまだに旦那は健在ですし(笑)、離婚にも至らずに、今年でなんとか結婚21年目を迎えます。よっぽど旦那に忍耐力があるのか、心の広い人なのか・・・四方山話 三.私の亡くなった祖母は近所でも有名な着物道楽の人で、普段着が着物でした。そのため、祖母は洋服を買う代わりに子供の頃から私に着物や帯を買ってくれ、それらは見事にどんどん箪笥の肥やしになって行きました(苦笑)。私が旦那と結婚した時には、二人にお祝いとして祖母の贔屓の着物屋さんにて着物を仕立ててくれました。旦那に店内から好きな反物を選ばせ(と言っても、かなり強引に祖母のアドバイスが入っていましたけど*苦笑)それから旦那の寸法を測ってもらい、仕上がりまで一ヶ月ほどかかりました。羽織付きのアンサンブルです。私にはカジュアルなおしゃれ着として、絣の着物を仕立ててくれました。同じく、羽織付きのアンサンブル。その着物を着て、二人で大晦日の夜にパーティに出かけましたが、日本人の男友達からは”おい、おい、俺だってマイ着物、持ってないぞ~。”とからかわれていましたっけ。Dちゃん、H公、勝手に載せちゃ悪いので顔ぼかしたよ。なんだか、かえって怪しい人みたいになっちゃった・・・(苦笑)君達も若かったねぇ・・・シミジミ今からもう20年前の、’89~’90年になる大晦日の事でした。すっごく若いです、旦那(笑*当たり前か・・・)別人みたい~(笑)。この時の”青臭い”感じより、もしかしたら今現在の、歳を取ってちょっと恰幅も良くなり(物は言いよう*笑)髪の毛も長髪だし、それを「龍馬伝」の坂本龍馬風に後ろで束ねたりしたら・・・・案外、イケちゃったりする?!(笑)最近、読み物をする際には手放せなくなった彼の老眼鏡も、もしかしたらこれらのスタイルにはマッチするかもしれないし~。着物ついでに・・・もう一つ、行っちゃいます。こちらは、以前にも紹介したので覚えている方もいらっしゃるでしょうが、3年前に日本で撮った写真です。このメーガンの着ている着物にはちょっとした秘密がありまして・・・私の母が20歳頃にお嫁に来た当時、着ていたお気に入りの着物を、その柄が好きだと言う事でず~っと大切に取っておいていたのですが、その着物を思い切って孫のメーガンのためにサイズをリフォームして仕立て直してくれた、とっておきの記念の着物なのです。(もしお時間のある方は、↑の”以前にも紹介した”をクリックすると母からの他の着物や、二コールの七五三のお茶目な着物姿も見れますよ*笑)母も気に入っていたようですが、私自身もこの抑え目にした色合いや子供っぽくないデザインがとても気に入りました。40年近く大切に取って置いた母の着物がこうして孫であるメーガンの手元に渡ったのは本当に素敵な事だなぁと思いました。・・・そういえば、もう何年も着物に腕を通していません。自分で着付けが出来ないというのも大きな理由ですが、(情けないですね~。日本好きを公言しておきながら・・・)実家には、着物が普段着の祖母に加えて着付けの先生もしていた母がいたので、毎回、着せてもらう事が出来、自分で着る必要性がなかったから、なのかもしれません。なんだか、久しぶりに着物が着たくなりました。若い頃には似合わなかった、って言う人でももしかしたら年齢を重ねることによってしっくり似合ってくるかもしれませんよ~、それくらい不思議な魅力があるのかも、着物って。なんだか、話題があっちこっちに行ってしまい (いつもの事ですね*汗)何がテーマだったのか、自分でも分からなくなりましたが。(これもいつもの事*大汗~)新年の”たわごと”でした。今年もこんな”たちまゆ”を、どうぞよろしくお願いいたします。ペコリ
2010年01月03日
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