うたのおけいこ 短歌の領分

うたのおけいこ 短歌の領分

2014.01.06
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 はじめのうちは、何でアフガンなんだよ~? と思っていましたが、いろいろ調べるにつれて、なるほどこれはアジア史・世界史の「ドツボ」の一つであると腑に落ち、出題した先生の鋭い問題意識とセンスの良さが納得できました。現在、国際政治の焦眉の急となっているシリア・イラン情勢とも無縁ではないと思いました。
 おとといの夜、娘たちの質問を受けながらレクチャーしましたが、目を輝かせて聞いてくれました。父親の威厳は保たれ、面目躍如です(笑)
 娘たちは、きのうまでに要約して立派なレポートを書き上げました。そんなこんなで、とってもいいお正月でした。よかったよかった



アフガニスタンの現状と歴史

■ アフガニスタンのあらまし
 アフガニスタン・イスラム共和国(正式名称)は、中央アジア・南アジアにまたがって位置する、人口約3000万人の内陸の(海がない)国です。
 国土面積は65万平方キロメートルで、日本の約1.7倍です。
 パシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人など多くの民族が住む多民族国家で、公用語はパシュトゥー語とダリー語(ペルシア語の方言)です。国民のほとんどはイスラム教を信仰しています。

 国連(国際連合)ユニセフの2010年の調査では、アフガニスタン国民の平均寿命は48歳で、世界で2番目に短い国です。5歳未満の乳幼児の死亡率は、1000人中149人ときわめて高くなっています。
 また、CIA(アメリカ中央情報局)の2009年の調べでは、国民1人当たりの1年間の収入(* 1人当たりのGDP・国内総生産=おおむね所得)は、おおよそ800ドル(約8万円)で、先進国の私たちから見ると大変貧しい国です。
 アフガニスタン教育省(政府)の2009年の発表では、成人(おとな)の識字率(字が読める人の割合)は26%で、4人のうち3人は字が読めず、教育水準も非常に低い状況です。

 なお、「アフガニスタン」という国の名前は、「山の民」の意味の「アフガン」と、「国」を表わすペルシア語の「(イ)スタン」で「山の民の国」の意味です。パシュトゥーン人が自分たちのことを「アフガン」と呼んでいることから、「アフガン人の国」の意味でもあります。「(イ)スタン」は、パキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンなどのイスラム諸国と共通する言葉です。新聞の見出しなどでは、ほとんど「アフガン」と表記されます。

■ アフガニスタンの略史
 アフガニスタンは「文明の十字路」と呼ばれ、古代から交通・交易の要地として栄えた一方、つねに異民族の征服者の侵略を受けてきました。
 アフガニスタンには、古代から現在のパシュトゥーン人の祖先が住んでいましたが、紀元前6世紀にはペルシア(今のイラン)の支配下に置かれました。
 紀元前329年には、ギリシャ・マケドニア王国のアレクサンドロス(アレキサンダー)大王に征服されました。この時、ヘレニズム(古代ギリシャ)文化が入ってきました。その後も次々とギリシャ人やインド人の王国に征服されました。
 1世紀(西暦0年代)から3世紀(200年代)には、イラン系のクシャーナ王朝に支配されました。その文化は包容的で、各地の文化を受け入れました。カニシカ王の時、厚く仏教を保護したので、ギリシャ文化と仏教文化が混じりあったガンダーラ美術が生まれました。この時初めて、仏陀の姿を人の形で表わす仏像が作られました。
 のちに述べる、2001年にタリバンによって破壊されたバーミヤンの仏像遺跡群も、この頃作られたものでした。
 8世紀(700年代)の初め、イスラム教の帝国・アッバース朝に支配され、しばらくイスラム教の国の支配が続きました。これ以後は、イスラム教が広まり、現在に至っています。
 13世紀(1200年代)前半にはチンギス・ハン(ジンギスカン)のモンゴル帝国に支配され、その後しばらくモンゴル人系のチャガタイ・ハン国、イル・ハン国、ティムール帝国、ムガル帝国に支配されました。
 18世紀(1700年代)になると、強大なムガル帝国もしだいに衰え、各地でパシュトゥーン人の反乱が相次ぎました。加えて、大航海時代のイギリス・フランスなど西洋の列強が進出をねらって圧力を強めていました。
 そんな中、ついに1747年、パシュトゥーン人のアフマド・シャー・アブダーリーを国王とするアフガニスタン王国(ドゥラーニ朝)が建国され、初めて民族国家が成立しました。日本では江戸時代の中期のことです。このころ、首都がカンダハルからカブールに移されました。
 ところが、次の国王のティムール・シャーには35人もの息子がいたといわれ、王家の親族の中で後継者(跡継ぎ)をめぐって争いが絶えませんでした。その中で、1826年、部族の一人ドースト・ムハンマド・ハーンが、新しくバーラクザイ王朝を興しました。この王朝は、20世紀の1973年まで続きました。
 19世紀(1800年代)になるとイギリスが侵略を始めました。ちょうどそのころ、イギリスでは産業革命が起こっており、フランスなどとの国どうしの競争の中で、工業製品の安い原材料や労働力の確保や、それを売る市場を拡げるため、インドの植民地化を進めていました。
 その中でアフガニスタンは、インド洋への南下を図っていたロシアに対する防衛線(緩衝地帯)として位置づけられていました。
 この時期に、分裂していたアフガニスタンの一部の勢力の求めに応えてイギリス軍が侵攻し、1938年から1880年にかけて第1次、第2次のイギリス・アフガニスタン戦争(アフガン戦争)が起こり、勝敗ははっきりしませんでしたが、イギリスの老獪(ろうかい)な(ずる賢い)外交や策略で、事実上の保護国(占領地)にされてしまいました。
 20世紀に入り、1919年、第3次アフガン戦争に勝利し、ようやくイギリス軍は撤退し、独立を回復しました。
 その後しばらく国内は安定していましたが、1973年、無血の(血を流さない)クーデター(権力者どうしの激しい闘争)で国王は追放され、王政は廃止されて共和制(一人で政治のことを決めず、話し合って決める形)になりましたが、1978年、今度はソビエト連邦(ソ連、現在のロシア)の影響を受けた軍部がクーデターを起こし、社会主義の国になりました。
 この軍事政権は強権的で、反対する人々をひどく弾圧したので、各地で反乱がおこり、内戦状態になりました。
 1979年、ついにソ連が軍事介入し、軍隊が侵攻してカルマル政権ができましたが、国連など世界中から非難を浴び、その時開かれたモスクワ・オリンピックにはボイコットする(参加しない)国が相次ぎ、1989年、ついにソ連は撤退しました。
 1980年代の半ばごろから、イスラム教徒たちは「ムジャヒディン」(イスラム聖戦士)を名のり、ソ連に対して「ジハード」(聖戦)を宣言して闘争を始めていました。ソ連と対立するアメリカ・パキスタン・サウジアラビアなどが彼らを支援しました。アメリカとソ連の「代理戦争」の一つだったといわれています。
 1989年のソ連の撤退後、国内の支配をめぐって「アフガニスタン紛争」と呼ばれる内戦が始まり、1992年にムジャヒディン各派(現・北部同盟)の連立政権が出来ましたが、党派間の内紛が続き、首都カブールだけでも4年間に5万人以上が殺され、多くの人々が難民となって隣国パキスタンなどへ逃れました。
 こうした中で、1994年ごろ、パキスタンから現れた「タリバン」(「イスラム神学生」の意味)が急速に勢力を拡大し、1996年に首都カブールを占領し、1998年にはアフガニスタンの大部分(9割)を支配しました。
 2001年には、偶像崇拝(仏像などを拝むこと)を否定するタリバンは、バーミヤンにあった仏像の遺跡群を破壊し、世界中の非難を受けました。
 そして、同じ2001年の9月11日には、アメリカの大都市ニューヨークで、「同時多発テロ事件」が起こり、実に3000人以上が亡くなり、6000人以上が負傷して、全世界に衝撃を与えました。「9・11」(きゅうてんいちいち)事件と呼ばれます。
 この大事件の犯人とされる国際テロ組織アル・カイダをタリバン政権が支援していたので、10月にアメリカ軍とイギリス軍はアフガニスタンに空爆を始め、北部同盟の攻撃もあってタリバン政権は崩壊しました。
 2004年には、選挙によって比較的穏健(穏やか)な北部同盟のカルザイ大統領が選ばれ、現在に至っています。しかし、20年以上も続く内戦で耕地の3分の1は破壊され、200万人以上が今もなお隣国パキスタンやイランなどで難民になっているということです。

■ アフガニスタンの最新情勢 (2013年~)
 ソ連の崩壊後、中央アジアの天然資源が注目されており、特に、トルクメニスタンの天然ガスを、アフガニスタンを通してパキスタンへ送り、インド洋まで結ぶパイプラインを敷設する計画がアメリカにあるといわれています。
 北部同盟のカルザイ政権は、欧米諸国とその多国籍軍の支援を受けています。支援している国は、アメリカ・イギリス・ドイツ・イタリア・スペイン・オーストラリア・ポーランド・ルーマニア・トルコ・グルジアなどです。
 アフガニスタンは一応の安定を保っていますが治安は悪化しており、タリバンなどの反政府勢力とアフガニスタン国軍・多国籍軍の間の戦闘は今も続いています。タリバンは今なお国土の南部の大部分を支配していると見られます。
 今年2014年末には多国籍軍が撤退する予定になっており、いっそうの治安の悪化が心配されています。
 そんな中、昨年2013年11月20日に、アメリカが来年2015年以降も治安維持のために引き続き小規模の軍隊を駐留させることでカルザイ大統領と合意しました。アフガニスタンの治安部隊の訓練や対テロ作戦の任務に当たらせる方針で、1万人~1万5千人の規模ということです。
 アフガニスタン側も、11月24日の「ロヤ・ジルガ」(国民大会議)で話し合って、この協定を受け入れました。
 なお、12月にはインドも治安維持への強力を表明しました。南アジアの大国として、この地域での影響力の拡大を狙っているものと見られています。





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最終更新日  2014.02.28 10:49:13
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